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2009年5月21日 (木)

紀行文のすすめ

 みなさんは旅の記録をどのように残していますか?江戸時代の歌人、松尾芭蕉は旅の道中、時節が醸し出す明媚な風景や情緒を句にしたため、「奥の細道」として編纂し、後々の世まで語り継ぐことでその存在感を示した。これは特異な例だとしても、通常であれば写真に撮ってアルバムに飾るだとか、その土地で出会った風景をスケッチしたり、また最近にあっては、家庭用パソコンの普及によりワープロ機能をフルに活用し、文章化したものを旅日記として整理したり、ホームページやブログに掲載して公表するといった新しい表現方法、また「旅の手帖」のように旅行記として編纂し、本にして出版するという手法も考えられる。

 数ある手段の中で、私は古から伝わる昔ながらの記録法である「紀行文」という形で残すことを十代の時に思い立った。きっかけは、高校時代まで遡る。当時、国語の課題で「修学旅行の想い出」として紀行文を書いて提出というのがあった。当時、私は文章を読むことも書くことも大の苦手で、まして自身が紀行文を執筆するなどといった大それた発想など全く持ち合わせていなかった。最初は悪戦苦闘することが予想されたが、事前にグループでの下調べや班別自主研修などの準備を万端に整え、旅の最中でもメモをとるようにしたのが功を奏し、あれよあれよと作業が捗った。まず事実を丹念に記載し、その上で味を出そうと詩や俳句・短歌、諺などを引用したり、挿絵を挟むなどの工夫も自然に出来たように思う。気づけば人生初の紀行文は、大学ノート一冊分、すなわちページ数にして優に100頁を超えていた。また私自身、進学した大学が北海道で、かつバイクに乗っていたことから、各地をツーリングした際に、大切な想い出を何とか形あるものとして残したいという状況には打ってつけであった。

 紀行文の第一の利点は、人の記憶というのは、時間の経過とともに薄れていくものだ。記録として残せれば、それを見返した時に、その時分の感性や雑感めいたものが年齢を重ねた今でも、鮮やかに蘇る。また実際に書く時には、旅行中に書き留めたメモを見ながら書き進める訳だが、その行程や足跡を追憶しながら辿ることで、二度旅行気分を味わうことができるし、そのひとつひとつの作業が確かな記憶を植え付けていくのである。

 第二の利点は、紀行文として旅行の内容を細かく記載しておけば、次回の旅行の際には有力な参考資料になる。行程表や移動距離、それにかかった時間や費用などが一目瞭然。すると次回の旅行計画が立てやすくなり、初めて訪れる人へのアドバイスも容易になる。これはまさに一石二鳥である。

 第三の利点は、文章が上達し、表現力がつくということである。最近はパソコンに入力すれば、その文字や漢字を一発で検索し、選択確定までの煩わしい作業をいとも簡単に引き受けてくれるが、当時は紀行文ノートのすぐ脇に国語辞典を置き、それを引きながら悪戦苦闘して、どうにかページ数を稼いでいた。もともと文才の無い私の拙い文章を覆い隠すには、それしか打つ手はなかった。このことを継続・励行したことが、旅の知識を増やす結果となり、また語彙力の向上にもつながり、後々大学のレポート提出や卒論制作に一役買ったことは言うまでもない。

 第四の利点は、紀行文を通して知らないうちに、企画力・発想力・表現力、更には創造力が身に付いていたことが挙げられる。そして、私自身が紀行文を書くことで得た最大のメリットは、感性がことのほか豊かになったという事実だ。それまで気にも留めなかった風景に立ち止まり、心を許したり、その土地で見知らぬ人と友達になったり、雄大な自然の荘厳さに触れ、環境保全の重要性を認識したり、究極的には人間の生命力や神秘にも目を向けるようになった。旅の醍醐味を五感全部を使って感じとり、貴重な体験を積み重ねたことで、ひと回り人間が大きくなったと思う。

 では次に、いよいよ紀行文を書く上で、具体的な作業についてお話ししよう。まずは旅行前。これは通常の旅行の準備と何ら変わらない。ただ、旅行の計画は綿密に立てたほうが無難だ。行き当たりばったりの旅も、いろんな想定外の出会いや思わぬ場面に出くわして面白いことは確かだが、限られた時間を有効活用する為には、入念な青写真はぜひ頭に入れておきたい。あと必需品なのは小道具類で、デジカメ・マップ・ガイドブック・大学ノート一冊・筆記用具とめぼしいものを揃えるだけ。次に旅行中は、メモとカメラである。時間や場所、かかった費用、主な出来事や特徴的なことをメモるようにする。このメモが積もり積もれば、それだけでも立派な旅の記録の完成だ。そして旅行後は、出発から帰宅まで、一連の行動や雑感をひとつひとつ記憶を呼び起こし、時間の経過を追って書き記していくだけである。そして好みに応じて意匠を凝らせば言うことはない。写真をどこに配置するか、旅の土産(乗車券・入場券などの切符類や見学場所のパンフなど)をどのように整理するか。それらを日付ごとに章分けし、それぞれにサブタイトルを付ける。スペースを考えながら地図や行程表を挿し込む。こうした作業をすることで見やすくなり、他人が見ても好感のもてる「私だけのオリジナルガイドブック」が完成する。

 これでどうだろう。紀行文の素晴らしさを理解してもらえたでしょうか。「面倒くさい」とか「そんな時間など無い」という人がいるかもしれない。私から言わせれば、だからこそやりがいがあって面白いのだ。私が紀行文執筆に夢中になったのは、主に大学生活の四年間だが、その面白さにとりつかれ、夜通しでの執筆は日常茶飯事で、気がつけば大学ノート12冊に上り、1200ページを超す超大作になっていた。書いている時は大変でも、完成した時の喜びは、とてつもなく大きい。一度仕上げてしまえば永久保存版で、見たい時にいつでも手にとって読み返すことができる。すると何十年も前の出来事であっても、不思議と記憶が鮮明に甦り、その時分の自身の気持ちや場面に立ち戻れるのだ。忙しい時の休暇が貴重であるのと同様、慌ただしい日常の合間を縫って行く旅行だからこそ貴重で愛おしいのだ。だから人それぞれやり方の違いこそあれ、独自のスタイルで何らかの形で旅の記憶を残せれば良いと思う。私自身は、それがその時を「生きた証」になると信じている。

 最後に、ここまでを見るといいことずくめの紀行文に思えるが、留意しておきたいことも何点かある。それは紀行文のための旅行にならぬことだ。写真ありきに傾倒してしまう危険がある。写真を撮りさえすれば旅先での記録が残ることにすっかり胡坐をかいて安心してしまい、旅の本来の目的である風景そのものを、心ゆくまで満喫しているのかという危惧である。日本人の悪い癖として、すぐ携帯で写メを撮る傾向がある。心の印画紙に焼き付けることをせずに、機械のメモリーに残そうとする。実はこれはあまり褒められた行為ではない。機械に出来事や記憶を預けてしまうと、心の中には感動や真の風景画は何も残らないからだ。更にもうひとつ、これは前にも述べたが、新たな出会い求めて無計画で行きあたりばったりの旅も一興だが、私は旅行する場合、入念な下調べを行う。地図を机上に広げ、ガイドブックや旅行誌と格闘する。最近はネット検索という強い味方を利用し、情報収集にあたる。この時点から既に旅行は始まっていて、これがまた結構楽しい。「どこでどんな昼食を食べようか」とか「どういうルートで周ろうか」などである。でも勘違いしないでもらいたい。私は誰もが訪れるような、ミーハーな有名観光地は決して選ばない。口コミや何気ない中で見つけた「隠れた名所」を探し出したいのだ。元々人混みが苦手な性質なので、渋滞は大嫌い。だから自由気儘に時間が使える、バイクでの一人旅をしていたという訳だ。人知れず存在する山奥の秘湯や自分だけのお気に入りの場所を求めて旅に出て、、帰宅後は自分だけのガイドマップを作るために、今日も私は筆をふるうのである。さあ、あなたも旅に出かけてみませんか?新しい自分を発見し、人間としての幅を広げるために。そして私がハマった紀行文執筆の世界に足を踏み入れてみませんか?

 

 

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