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2009年5月26日 (火)

ジェット気流が夜空を闊歩する時刻

八十年代 僕が大学生活を送っていた頃
世間はバブルの絶頂期 人々は身も心も潤い飽食の時代とまで云われた
そんな物がありふれた日常にあって
僕が欠かさずに聞いていたFMラジオの長寿番組があった

午前零時 誰もが寝静まった夜半に 80.0MHzにダイヤルを合わせれば
そっと流れてくる癒しの音楽 そして魅惑の世界へのいざない

その人はラジオの向こう側から異国のBGMに乗せて
独特の低い口調で リスナーにせつせつと語りかけてきた
心を酔わせる甘い囁きは 星の輝きにも似た煌く夢の欠片を優しく包み
やがていつもと変わらぬナレーションが この胸をときめかせる


「遠い地平線が消えて ふかぶかとした夜の闇に心を休める時
遥か雲海の上を音もなく流れ去る気流は 限りない宇宙の営みを告げています
満天の星を頂くはてしない光の海を 豊かに流れゆく風に心を開けば
煌めく星座の物語も聞こえてくる 夜の静寂の何と饒舌な事でしょうか
光と影の境に消えていった遥かな地平線も 瞼に浮かんで参ります」


その番組の趣旨は 日本にいながらにしてさまざまな国々の街角を旅し
異国情緒を存分に満喫できるところにあった
彼がコックピットで奏でる言葉のメロディーに 乗客たちは酔いしれて
やがて安らぎを覚え まことしやかな憩いのひとときを見出す
いつしかジェットストリームの虜になっている自分自身に気づかされる

まるでリスナーは雲上を漂う夜間飛行をナレーションと共に追体験する
機内の窓辺では星屑たちが夜空を乱舞し 目映い光の渦を演出する
心地よい銀河の子守唄 過ぎ行く時間は太平洋上で一日の元に舞い戻る

当時 暇を見つけては旅に出ていた自分の生き方と相通ずるものがあり
詩をしたためながら 好んで聴いていた至福の一刻(ひととき)

しかし物の道理には 初めがあればいつかは終止符を打つ時が訪れる
彼は声優の魂ともいえる喉の病を患い 四半世紀務め上げてきた
機長の座を降り後進に道を譲ることを決断した 1995年暮れの事だった

彼のフライトでは エピローグはいつだって穏やかだった

「夜間飛行のジェット機の翼に点滅するランプは 遠ざかるにつれて
次第に星の瞬きと区別がつかなくなります
お送りしておりますこの音楽も美しく あなたの夢に溶け込んでいきますように
また明日 午前零時にお会いしましょう・・・」
それが決まりごとになっていた いつもの約束のメッセージだった

そして最終フライトで彼の遺した最後の言葉は その後語り継がれる伝説となった

「25年間 私がご案内役を務めて参りましたジェットストリームは
今夜でお別れでございます 長い間本当にありがとうございました
またいつの日か 夢も遥かな空の旅でお会いしましょう
では皆様 さようなら よいお年をお迎えください」

その時彼は 自分の死期が近いことを悟っていたに違いない
そして操縦桿を静かに置いてから わずか二ヵ月後の翌年二月 
新しい時代の夜明けを迎えることなく 見果てぬ夢とその美声を残し  
彼は永遠の眠りに着いた 享年六十三


ジェットストリーム それは心地よい夜の静寂へいざなう音楽の定期便
その後彼の遺志は受け継がれ 午前零時の同じ時刻に今もフライトは続いている

世相とは無縁の天上夢幻の世界 ジェット気流が夜空を闊歩する時刻
彼は今夜も 世界のどこかの空を旅していることだろう

 

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