「資源とともに消えた島、再び」 ~軍艦島の悲劇~
もう30年以上も前になるだろうか。「軍艦島の悲劇」を取り上げた公共広告機構のCMがテレビで放映されていた。長崎県の沖合数キロの海上に浮かぶ周囲2キロにも満たない小さな無人島でありながら、かつてそこには五千人を超す大勢の人々が暮らしていた。島は人々の活気で満ち溢れていた。正式名称は長崎県・五島列島の中でも一番外れにあるから端島という。元々は天然の無人島だったが、1810年の発掘調査で石炭の埋蔵量が日本でもトップクラスであることがわかると、ゴールドラッシュの如く、大挙して炭鉱夫とその家族たちが移り住み、やがて次第にその島は大規模に改造されて行った。台風や時化による洪水や浸食を防ぐために、周囲をコンクリート壁で囲むと、一気に人工島の様相を呈し、見る影もない姿へと変貌していった。黒いダイヤとまで称された石炭が最盛期を迎えていた昭和30年代には、その場所は日本一人口密度が高く(東京の九倍)、日本初の高層鉄筋アパートが立ち並び、学校、病院を始め、神社やボウリング場、映画館、パチンコ店などの娯楽施設まで設置され、墓地と真水以外は生活に必要なありとあらゆる物資が揃っていた。海から眺めると、その形状はまさしく軍艦そのもので、それは誰の目にも異様な光景であった。
その後、昭和40年代の高度経済成長とエネルギー革命によって、石油に主役の座を奪われてからは、石炭産業は一気に斜陽、衰退の一途を辿って行った。発掘量が激減し、やがて仕事がなくなると、人々は「宝の島」に見切りをつけ、新天地を求めて島を離れて行った。そして、昭和49年に鉱山が閉山し、最後の住民が島を去るとそれっきり無人島となり、それ以来、世紀を跨いでも人間が足跡や痕跡を残すことはなかった。島は長きに渡り、激しい風雨や荒波に晒され、建物自体が朽ち果て、廃墟と化していった。数年前までは、老朽化が著しく、上陸するのも憚れるほど痛々しい姿で、それからというもの、時間の経過と歩調を合わせるかのように荒廃が進行して行った。そして、遂に21世紀以降は、全面的に関係者を含め一切の渡航及び島への上陸が禁止となった。このままこの島は、時代と人間の私利私欲の狭間で翻弄された揚句、歴史の片隅に埋没したまま永久に葬り去られるはずだった。
ところが、昨年あたりからこの「眠れる島」を巡り、俄かに状況が騒がしくなってきた。繁栄と衰退を繰り返し、極めて不遇な経緯を辿ったこの島が、こともあろうに世界遺産の候補にリストアップされたのだ。私はこの報に接し、「何故?」と強い疑念を抱いた。それは憤りにも近かった。私自身、昔見たテレビCMの幻影が脳裏から離れず、いつかは上陸を果たし、その惨状を自分の目に焼き付けたいという積年の「想い」があった。しかし、あくまでその島は、古き佳き時代の象徴的な産物で、そっとしておくべき筈の過去の遺物なのだ。それを後世になって、再び人の勝手な都合によって穿り返す必要性など毛頭ないのだ。かくいう私も、確かに一時は、好奇心や俗物根性的な発想が心の奥底になかったと言えば嘘になるが、日本一と形容されている富士山ですら、未だに世界遺産に登録されていない現状を鑑みても、この瓦礫と化した島が、何故に世界遺産なのか。そうなったばかりに、悲惨な末路を辿った例が幾つもあることをご存じだろうか。
ご当地の長崎県は、長引く不景気で観光収入が激減し、地元経済は冷え切った状態に陥っていた。その打開策として、この島に目を付けたのは見え透いていて、果たしてどれだけの経済効果が見込めるというのだろう。むしろそれと引き換えに、軍艦島が再び脚光を浴びることによって払うであろう犠牲や代償を蔑にしていないだろうか。もうすでに渡航禁止が解除され、一般公開を再開してしまっているのだ。県は予算を計上し、観光客が安全に見学できるようにと島の一部に新しい桟橋を設置する工事を施した。更には廃墟の中を足場を気にせずコース散策できるように、デッキや柵まで設けた散策路まで整備した。いかにも現代風の斬新な建造物で、既存の建物とは完全にミスマッチである。そのことがマスコミで大きく取り上げられると、大勢の「もの珍しさ」や「怖いもの見たさ」の観光客がこぞって押しかけ、今年のGWだけでも、すでに2000人以上が上陸を果たした。いかに苦肉の策とは言え、あまりにも時期尚早で、これが行政がとるべき正しい判断と言えるのだろうか。
十分な議論もせず、見切り発車で行うことに対しては、後で必ずそのつけがまわる。そうなると後々問題となるのが、日本人の身勝手な振る舞いである。つまり日本人特有の忌々しい悪癖である。相手が世界遺産であろうと何だろうと、訪れた記念にと所構わずしてしまう落書き、落ちている石や土、花や葉などを黙って持ち帰る行為、ゴミの散らかし、煙草の灰を撒き散らす、撮影禁止場所での記念撮影等のマナー違反である。日本には「旅の恥かき捨て」などという恥ずべき格言があるが、それを平気でしてしまう日本人の常識や発想力の欠如。これまでもモアイ像に自分の名前を掘って現地当局に召還され、罰金刑を受けたり、イタリアのサンタマリア・デル・フィオーレ大聖堂に落書きをしてしまい、マスコミに取り上げられるや否や大騒ぎとなり、現地まで謝罪に出向いた短大生など、ありえない醜態を全世界で晒している。実に嘆かわしい。みなさんは、世界一美化に対しての規則が厳しい国を知っているだろうか?それはシンガポールだ。ここは、「街中や公衆でガムを噛んではいけない」とか公園で昼寝をしても警察にしょっ引かれて罰金を払わされる。度が過ぎると、留置場に拘留されたり、場合によっては強制送還となり、ブラックリストに名前が載り、二度とその地を踏めなくなることさえある。無知ほど怖いものはないのだ。これと同じことが、もしかすると軍艦島でも起こり得る可能性があると指摘できる。条件整備が出来ていないのに、背に腹は代えられないとばかりに、一般公開にGOサインを出した行政も行政だが、これで本当に大丈夫なのか日本!と思わず訴えたくなる。
話を本題に戻すが、軍艦島への渡航は大幅に制限すべきだと声を大にして言いたい。安全面に配慮した渡航規則は設けてあるようだが、そこを訪れる人々は、物見遊山ではなく、事前にその島の歴史や閉山に至った経緯など、十分に研鑽を積んだ人だけを人選してもらいたい。行政側が観光で大勢の人に見物してもらい、経済的に潤えばそれで良しとする発想であれば大けがの元である。旧島民の心情を察し、現状にあまり手を加えず、ありのままの姿で後世に語り継ぐことこそ、真の世界遺産になり得ると考える次第である。
最後に当時、公共広告機構のCMで流されたナレーションを紹介して結びとしたい。私が、この島の存在を知るきっかけとなった作品であり、奇しくも地球環境にやさしいエコが叫ばれている今日、心底身につまされるフレーズである。この島の存在をもっと世間に知らしめ、教訓としていかなければならない。
「資源とともに消えた島」
「島は宝島だった。石炭が見つかって人々がやってきた。人々が働いた。周囲1.2キロの島が町になった。4000人もの暮らしがあった。子供たちが生まれた。大きく育った。1年、10年、30年・・・。石炭を掘りつくした時、人々がいなくなった。暮らしがなくなった。資源とともに島は死んだ。ちょうど84年目だった。私たちも今、資源の無い島、日本に住んでいる。」
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軍艦島を世界遺産にする会 理事長坂本道徳
感じることがありましたのでコメントさせていただきました
不快でありましたら削除ください
過去と未来を語り続けながら
作成: 坂本 道徳 日時: 2011年9月18日 23:07
島は果たして過去なのだろうか?廃墟の「軍艦島」と人は言う。
私は毎日この島の未来を見ているような気がする。それは人の未来を・・・・
誰もが過去を見に来たと思っているその姿。果たしてここは過去なのだろうかと。猿の惑星の最後のシーンは。果たして過去であっただろうか?
今の生活、人生、そして社会、国、世界は人類の都合のいい意味での環境であるだけであるはず。
それのバランスが壊れていくときに。。。。戦争、地震、そして原発の失敗による退避。
ここに未来の場所があるのかもしれない。軍艦島・・・・
そんな比喩をしてみても若い世代には一笑に付される。
ただ、あなたたちは何を求めてこの「軍艦島」に足を向けているのであろうか。
毎日の疑問の中で日常を確保している生活があるから、日常でない、非日常を求めているのではあるまいか。
しかしその非日常は誰もが明日経験するものであるならば、日常は常に脆い場所であるに過ぎない。
自分の居場所など無いにもかかわらず、私たちはその安住を願う。
捨てていかなければならない土地もある、捨てていかなければならない国もある人々の思いを私たちは共有したことがあるのだろうか。国境を越えて小さな船で逃げ出さなければならない状況を。
まだ国の中で逃げていける場所がある人の幸運はこの国のおかれた立場がまだ良いからだけだ。
いつか、自分の目の前に現実の「軍艦島」が現れたときに人は何を考え、何を未来に向けて行動するのであろうか?
観光地「軍艦島」それはあなたが、あなたで考えるしかない場所かもしれない。
それが過去なのか、未来なのか。カメラだけにその姿を映し出すしかない、むなしさを毎日感じている。
そこに映し出したい画像は・・・あなたの未来かも知れないのに。
ー坂本様、初めまして。当ブログ記事へのご意見ありがとうございます。拝読しました。その高尚な内容に敬服した次第です。私自身は「軍艦島」は特別な存在だと考えています。しかしそれは、冷やかしや物見遊山など、俗に言う「廃墟マニア的発想」や「旅行気分」などからではありません。かつて数千人の人が移住し、そこで生活し、その場所を自分の故郷と位置付け、そこで亡くなった方もいたことでしょう。そういう方々に敬意を表し、その場所を、かつてのままの状態でそっとしておいてほしいという願いがあります。それは自分の想い出が詰まった故郷を、勝手に見ず知らずの人に土足で踏み込んで欲しくないという思いからです。数十年前に無人島となった島に人を大勢呼び、観光客で溢れかえるような場所にしてどうするのでしょうか?世界遺産にすること自体は私は異論はありません。貴重な文化遺産、あるいは自然遺産として、後世に語り継ぐという姿勢にも共感できますし、これ以上荒廃させないために、整備したいという発想も理解できます。しかし、「世界遺産」ありきで、世論や軍艦島の保存に対する旧島民の希望や願いを聞かず、地元の長崎県民や日本国民の考えを聞かず、もしも見切り発車的に「そこを人を呼べる場所にして観光収入を上げよう」という短絡的な発想だけで行動したら、おしなべて旧島民は嘆き悲しむことでしょう。私はそのように考えてあのような記事を執筆した次第です。
また、私自身は福島県に居を構え、昨年3月に発生した東日本大震災で被災しました。今も原発事故の放射性物質の恐怖に怯え、風評被害に苦しむ日々を送っています。なのに、心ない人間はそんな被災地で、無人と化した町に無断で侵入し、手当たり次第に窃盗や空き巣行為に及ぶような常識も道徳心も無い人間が現にいることも事実です。また、世界を震撼させ、犠牲者を多く出した「大津波の被害状況を見てみたい」という、いかにもお気楽な発想で被災地を訪れる、まるで普通の観光客のような第三者や傍観者も大勢います。しかし、果たしてそんな安易な発想で、犠牲になった方々やその遺族、今も仮設住宅で避難生活を強いられている人たちが喜ぶでしょうか?ボランティア精神の欠片も無く、冷やかし半分で訪れたような人達を歓迎できるでしょうか?私はそうは思いませんし、そんな心情は持ち合わせていません。軍艦島もその発想と似ている気がしてならないのです。
しかしながら、私自身はまた、正当な理由があって「軍艦島」を世界遺産に招致するために必死で運動を行っている方々を非難する意思は一切ありませんし、「軍艦島の悲劇」を未来の日本の姿と重ね合わせ、警鐘を鳴らす目的で「軍艦島」を未来永劫まで残したいという意向も十分理解できます。ただし、私のような考えの日本人も少なからずいるということをお含みおき頂ければ幸いに存じます。更に加えれば、私自身は今のご時世、人それぞれ様々なご意見があって然るべきだし、価値観の違いがこのような見解の相違を生むということも認識致しております。おそらく気に障るような生意気なことも書きならべてしまいましたが、どうか気を悪くされず、こちらの意を多少なりとも汲んで頂ければ幸いです。
最後に、当方の拙劣な記事をご覧頂き感謝申し上げます。(SUZU)
投稿: doutoku | 2012年1月12日 (木) 22時18分