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2009年6月23日 (火)

伝説のバンド「アリス」とニューミュージック回顧

 チンペイ、ベーヤン、キンちゃん。このニックネームを聞いて、すぐピンと来る人は1970年代以前の生まれの方だろう。その当時、世の中を席巻したフォーク&ニューミュージックブームの立役者で、その頂点の座に君臨した伝説のフォークグループ(ロックバンド)がかつてあった。その名は「アリス~Alice~」。彼らの出現は、従来のミュージックシーンの常識を打ち破ると共に、まさに新しい音楽の幕開けを意味していた。ヒット曲、「今はもうだれも」「帰らざる日々」「遠くで汽笛を聞きながら」「冬の稲妻」「ジョニーの子守唄」そしてアリスの名を一躍世間に知らしめた名曲「チャンピオン」。特に「冬の稲妻」は、斬新で軽快なリズムセッションは、一大センセーショナルを巻き起こした。何と3つのギターコード(Am→D7→G)の繰り返しだけで弾き語りができてしまうという単純明快でありながら、誰もが口ずさめる超優れもののメロディーラインだった。彼らが29歳の時にこの曲が脚光を浴びるや否や、彼らの路線は従来のものとは180度異なるものへと変貌していった。彼らは本来の出発点であったアコースティックギターによるフォークからロック調の流行歌を奏でるバンドへと転身したのだ。それまでのフォークグループと言えば、あまりテレビ出演はしなかったが、彼らはそうした固定概念を打ち破り、堂々とテレビ界に進出を果たした。彼らの作るメロディーは世間に蔓延り、と同時にスローテンポの静かなフォーク調一辺倒だった曲をガラリと変え、ロックに邁進し、時代の寵児とまでもてはやされたことが、皮肉にも彼らの音楽活動に亀裂を生む結果となった。

 その後、谷村新司は生来持ち続けていたダンディズムをひたすら追求するようになり、漢字の持つ特性をことのほか崇め、難解な歌詞を作風とするようになり、古風で硬めの印象を醸し出すようになった。伝統芸能を重んじるAB型気質が顔をのぞかせたと言える。また、山口百恵に「いい日旅立ち」や24時間テレビのエンディングテーマ「サライ」を作曲するなど、他人への楽曲も提供するに至った。また、若者に絶大な人気があったラジオの深夜放送「セイ!ヤング」のDJを長年務め、パーソナリティーとしても活躍するなど、多芸ぶりを見せつけていた。

 一方、堀内孝雄は、盟友谷村新司とは明らかに一線を画し、「俺は日本人の心を歌う」と言わんばかりの変わりようで、ひたすら演歌への道を突っ走った。ソロとして「憧れ遊び」「愛しき日々」「恋唄綴り」「影法師」を発表し、演歌部門でのレコード大賞も受賞し、その存在感を示すと共に、NHKの演歌ショーにも次々と出演し、紅白歌手にまで登り詰め、その地位を不動のものとした。よくフォークグループやロックバンドが活動停止を余儀なくされたり、解散に至るケースが多々あるが、その理由として、メンバーの音楽に対する方向性の不一致が挙げられる。アリスもまたご多分に漏れず、脚光を浴びた結果、その方向性の相違が露呈し、危機的状況へと追いやった。

 そんな中で、ドラムを担当していたキンちゃんこと矢沢透は、ドリフで言えば高木ブーのような無口かつ空気のような存在で、二人の不仲?が浮き彫りになるにつれ、それまで緩衝材の役目をしていた彼にしてみれば、毎日が右往左往だったに違いない。長いものに巻かれろタイプのように見える彼だったが、実はミュージシャンとしては一流で、アリスでは、ドラムだけでなく、ピアノやコンガなどのパーカッションも手がけるほどの多彩な才能の持ち主だった。

 当時のアリスの人気は絶大で、全盛期にはコンサートチケットは即日完売で、まず入手困難。筆記体のAliceのロゴ入りのグッズは飛ぶように売れ、3つの首を持つ天馬(ペガサス)を意味する彼らのトレードマークは、一世を風靡した。彼らのリリースしたアルバムは、アリスⅠ~Ⅹまであったが、いずれもヒットチャート上位にランクインしていた。その後、度重なる危機的状況から幾度となく活動停止の事態を招いたが、その都度不死鳥の如く、再結成・活動再開を繰り返した。そしてメンバー全員が還暦を迎えることを記念して、今年再び「老練バンド・アリス」としてリニューアルし、3人そろって表舞台に立つことになったことは、一ファンとして嬉しい限りである。故意におじさん臭く振舞っているのは気になるが。

 そんな彼らのまったく新しいジャンルへの開拓精神と音楽界へ殴り込みをかけるような情熱に感化され、私は中学2年生の時にフォークギターを始めた。アルペジオ、ストローク、そしてスリーフィンガーへと次々弾き方を覚え、指の皮が厚くなるほど練習したのを覚えている。そしてほどなく、彼らの曲のコピーを始め、中学時代の音楽の授業や、クラスのお別れ会で発表したこともあった。

 今振り返ると1970年代は、音楽界は宝箱だった。シンガーソングライターと呼ばれる歌手が代わる代わる現れ、ニューミュージックブームが巻き起こった。その先頭にいたのがアリスだが、それ以外にも数多くのバンドやポプコン(ヤマハポピュラー音楽コンテスト)出身のグループやバンドがブラウン管やヒットチャートに彗星のごとく顔を出しては、あっという間に消えていった。そのグループやシンガーとその代表曲を紹介しよう。

 アリス(チャンピオン)・ゴダイゴ(銀河鉄道999)・オフコース(さよなら)・甲斐バンド(HERO)・サザンオールスターズ(勝手にシンドバッド)・ツイスト(燃えろいい女)・クリスタルキング(大都会)・松山千春(季節の中で)・さだまさし(関白宣言)・南こうせつ(夢一夜)・長渕剛(順子)・チャゲ&飛鳥(万里の河)・雅夢(愛はかげろう)・H2O(想いでがいっぱい)・そしてYMO(ライディーン)の登場でシンセサイザーを駆使したテクノポップという新ジャンルも誕生した。

 女性シンガーでは、渡辺真知子(迷い道)・中島みゆき(わかれうた)・八神純子(みずいろの雨)・久保田早紀(異邦人)・庄野真代(飛んでイスタンブール)・松任谷由実(守ってあげたい)・大橋純子(たそがれマイ・ラブ)・杏里(オリビアを聴きながら)・サーカス(Mr.サマータイム)・あみん(待つわ)。いずれも世相を反映した曲調のものが多かった。

 また、一発屋と呼ばれるシンガーも数多く存在した。堀江淳(メモリーグラス)・さとう宗幸(青葉城恋唄)・ばんばひろふみ(SACHIKO)・円広志(夢想花)・五十嵐浩晃(ペガサスの朝)・アラジン(完全無欠のロックンローラー)・トムキャット(ふられ気分でロックンロール)・岸田智史(君の朝)・伊藤敏博(サヨナラ模様)などがその代表格。いずれもザ・ベストテンの今週のスポットライトに出演し、その存在を知られ、曲が売れた人たちだろう。

 このニューミュージックブームが火付け役となり、その後、80年代から90年代にかけてこれまた空前のバンドブームをもたらしたイカ天(イカすバンド天国)へと流れが引き継がれることとなる。その間、電子ドラムが取り入れられC-C-B(ロマンチックが止まらない)が登場し、コミカルバンドの米米クラブ(浪漫飛行)、硬派でカリスマ的なBoowy(マリオネット)、新世代のポップスを確立し、頂点に君臨したT・Mネットワークなど個性派揃いの様相を見せ、そして女性ロックバンドや女性ボーカルバンドが大いにモテはやされた。プリンセスプリンセス(ダイヤモンド)・ピンクサファイヤ(P.S I LOVE YOU)・リンドバーグ(今すぐKISS ME)・レベッカ(フレンズ)などが挙げられる。

 今思えば、我が中学時代(1970年代)の音楽シーンは、すさまじい転換期だったように思う。音楽的に新風を吹き込み、その影響を受けて、私を含めてギターやピアノを始めた人も少なくないだろう。1970年代のファッションや流行が、回帰している現代において、時代が産み落とした遺物ではなく、若い人たちにとっても新しい発見があることに、私自身も嬉しさを感じている。そんな時代に立ち会えた境遇に感謝したいと思っている。

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