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2009年7月 7日 (火)

苦労した話 ~恐怖の町内会~

 七夕の日にするような話ではないが、私が現在の場所に居を構えてから、かれこれ14年になる。市街地からほどよく離れた郊外の、いわゆる閑静な新興住宅街の一角にある。実はそこに住み始めてからビックリ仰天したことが3つある。

 ひとつはこの14年の間に、周辺の生活環境が目覚ましい発展を遂げたことだ。元々近所には幼稚園・小学校・中学校があって、幼い子供を抱えた者にとっては抜群の教育環境だった。特に小学校と中学校は自宅から半径100m以内と極めて至近距離にあり、この点では、不便を感じたことはない。そんな場所に我が一家は、平成7年の年の瀬も押し迫った暮れに引っ越した訳だが、その直後から近隣の道路は大幅に整備され、区画整理も順次行われ、交通の面ではアクセスが抜群に良くなった。その後も立て続けにホームセンターや大型電気量販店が進出。全国展開の人気カジュアルショップや回転寿司、100円ショップ、郡山市に本社を置く大型スーパー、全国展開のドラッグストアが2店舗、紳士服店3店舗、大手眼鏡のチェーン店が4店舗、ラーメン屋が3店舗、居酒屋や飲食店も多数、理美容室が3店舗、個人病院が10院以上、コンビニが3~4店舗、美味しいケーキ屋やパン屋、ランドリーショップ、タクシー会社、焼き肉店、バイキングレストラン、ギフトショップなどが何れも新規開店で立ち並ぶまでになり、生活には事欠かない市内でも有数のロケーションとなっている。きわめつけは警察署まで新設され、パトカーや白バイが幾度となく周辺を巡回し、治安の面でも格段に良くなり、信じられない変貌ぶりだ。もちろんこうなることを予想して買った訳ではないが、先見の明があったということか・・・。

 2つ目は、土地の下落である。これだけ生活環境がアップすると、必然的に地代が値上がりし、さぞや税金負担が大変だろうと思いきやまったくの逆で、私が建売を購入した当時と比較して、価格が3分の2以下にまでなった。退職するまでローン返済に追われている我が身とは裏腹に、ローンの利率は下がるは、地代は急落して租税公課の負担も減り、これに昨今の麻生内閣の目玉政策の特別減税措置が加わり、羨ましい限りである。当時と現在を比べれば、支払総額で1000万円以上は安い筈だ。何とも割に合わない話だ。だから自民党の政策は、選挙の前だけいい顔する完全日和見主義で、「肉を切らせて骨を断つ」的な発想と、あからさまで手段を選ばない何でもござれの手法がどうも気に入らない。

 3つ目がいよいよ今回のテーマである苦労した話である。少々愚痴っぽくなるが、自分に置き換えて聞いて(読んで)ほしい。私が一番驚いたことは、地域(町内会)行事の多さである。町内会に加入している以上、地域の行事に参加するのは市民の務めだとしても、その回数が半端ではない。他の比ではないと思う。地区の清掃や廃品回収などはどこでもやっていることで、それは多少目をつぶるにしても、実に年間行事が40以上にも上るのだ。そこには筆舌に尽くしがたい過酷な苦労がある。めぼしい行事を挙げると、まず清掃活動。年間3回程度なら理解できるが、私の住む地域は、なんとそれだけで年間6回。しかも欠席する際には、冠婚葬祭以外の理由は認められず、一律1000円の協力金を否応なしに徴収される。病気の欠席では理由にならない、まさに問答無用のお役所仕事的体質が露呈される。更に驚愕なのは、体育的行事が年間4回もあることだ。まずは春と秋に球技大会。そして夏には町内の親善体育祭。更にダメ押しとなるのが、その上部組織に当たる地区対抗の球技大会。住宅街の特徴でもあるお年寄りが大多数を占める当地において、この体育的行事の多さはもはや敬老どころではなく、実態も顧みない、年寄りいじめもはなはだしい地域なのだ。当然、毎年怪我人が複数出て救急車が駆け付けるなど、本末転倒としか言いようがない命がけの行事参加となる。だから、辞退者も数知れず、参加者は毎年・毎回決まって同じ顔ぶれなのだ。地区内の住民の人間関係の構築と体力向上、健康増進をお題目にしているようだが、こんな有様では何の意味もない。

 これだけ挙げても信じられないだろうが、我が地区の飽くなき行事はまだまだ続く。お盆には小学校の校庭を貸し切っての夏祭り兼盆踊り大会。秋には神事の代表格、子ども会とタイアップしての秋祭り。神輿で町内を練り歩き、お菓子を配ったり、豚汁を振舞うオーソドックスな内容。それ以外にもお決まり行事である資源物回収も年間3回実施しているし、それだけではまだまだこと足りないらしく、忘年会・新年会・町内会の総会、そして事務引き継ぎ会と、役員には寝るいとまも与えないほどの過密日程と多忙スケジュール。更にひどいのは、ひとつのイベントを行う場合には、その前段階として度重なる会議・会合・打ち合わせ等を強いられる。それらを含めると月に3回は会議で時間を束縛されてしまう。まさに私が住む地域は、そんな殺伐とした健康上好ましくない環境下にある、異常な所だ。もしこういう現状を事前に察知していたのなら、生活が便利になったとはいえ、当然引越しなどしていなかっただろう。

 この聞きしに勝る、超過激で恐怖の町内会は、全部で14もの班に分かれている。私の班は、22世帯の会員で構成され、全体では240世帯以上もいる。総住民は1000人は下らないだろう。そんな中、仕事先でも多忙を極めていた私に、突然災難が降りかかってきた。自分が所属する班の班長の役が私に回ってきたのが、今から4年前の平成17年のことだ。その際、町内会の輪番制とかなんとかで、あろうことか、なんと町内会長の御鉢が回って来たのだ。班長すら初めてやるのに、その上部組織にあたる町内会を仕切れというのだ。これには当初逆上した。藪から棒にそんなことを言われても、何のありがたみも感じていないこの地区で、何の因果でそんな役職までやらされるのか?文句の一つでも捲し立てて町内会を脱退してやろうかとまで考えた。しかし、この地区ではそれが忌々しきならわしであり、あまり波風立てて村八分の目に遭いたくないのと、子供に災いが及ぶのを回避したくて、冷静に考えてやむを得ずその大それた役職に携わることになった。当然のことながら、自分が所属する班の班長も兼務である。それまで仕事の忙しさに感けて、清掃活動以外の行事にろくに参加したことがなく、よもや自分が会議を主催し、40以上も目白押しの事業計画を立てて、それを執行する立場になるなど夢にも思わなかったし、自分にできる訳がないと思っていた。

 通常は、町内会長と言うと、仕事などはとうの昔に退き、時間に余裕がある人で、その地域に長く暮らし、町内の隅々まで知り尽くし、周囲の信頼も厚い、いわば長老的立場の方がなるのが本筋だろう。ところがどうだ。輪番制で引越し間もない新参者が会長に祀り立てられる、なりふり構わぬ押しつけ勝手の町内会。それは自分にとってみれば死刑宣告に近い内容だった。案の定、いざ各班の班長を集めてみると、家庭の主婦が多く、共働きで育児も行っている方々ばかりで、会議の出席率が低いだけでなく、前向きに町内会行事にかかわろうという人は皆無で、周囲は極めて迷惑ごと扱いで非協力的。「手は出さないが口は出す」みたいな閉鎖的で投げやり的な発想の輩が多く存在しており、がっかりさせられた。結果、すべての責任を町内会長が被るというなんとも厄介な役どころとなってしまった。まさしく役員になったものだけが苦労を強いられるロシアンルーレット式の不合理で不平等なシステムだ。その中でも私が一番嫌だったのは、自分の都合や自由が利かなくなり、時間が制約されたり、会議のために行動を束縛されることだった。そして一連の煩雑な職務の中で一番大変だったのは、会議を主催するための文書を作成したり、印刷したり、それを14の班長宅に回覧板として回す作業。更には毎月、市から送られてくる大量の回覧文書や各種案内、広報誌を全世帯分に分けて、各班長宅の玄関先に届けるのに夜中に車で周回したこと。これは家族総動員で仕分け作業を行った。「なぜ自分だけがこんな目に遭うのか」と心底辛かった。もちろん一銭にもならないボランティア活動である。だれも褒めてくれない。それ以外にも町内会長の職務は多く、地域住民の苦情(ゴミの始末)を聞いたり、町民の意見や要望を聞いて市に陳情に出向いたり、街灯の電球が切れてると苦情が来れば、市役所に連絡したり、寄付金を集めに週末に各会社を回ったり、「交通災害保険」の募集といった保険会社の手先まがいの勧誘までさせられた。その一年の間で、私は激やせした。74kgあった体重が一気に6kg減り、大学生以来となる60kg台に。そして睡眠不足やストレスから、不幸にも髪の毛は真っ白になってしまった。この外見の夥しい変化が激務ぶりを象徴していたと思う。そしてこの年は、私にとって42歳の本厄とぶつかっていたが、公私ともにまさしく大厄年だった。もう二度とこんな割に合わない役職はご免こうむりたい。

 しかしながら1年間、このような理不尽な仕事をさせられた訳だが、費やした時間と苦労の見返り(得た物)というのも少なからずあることはあった。それは、それまで見ず知らずだった近隣の住民と顔見知りになれたこと。幸い副会長が職場の同僚だったことや、若干ではあるが、協力的かつ前向きに職務に取り組む方がいて、それらの方々に助けられて、事業計画を滞ることなく何とか大過なく遂行できたこと。この経験と培った人間関係は何物にも代え難い宝物だと思う。ここで学んだことは、嫌なことから逃げて遠ざけてばかりいると、手元には何も残らないということ。正しいと思うことを一生懸命頑張っていれば、誰かがそれを見ていてくれ、必ずサポートしてくれるということだ。途中、紆余曲折はあったとしても、遅かれ早かれ結果はついてくるということが証明できた。これは実際苦労してみないとわからない真価なのだと思うし、それを悟っただけでも収穫だったと思う。そんな年回りだった。逆にあの時、ずっと町内会長を断り続けていたらどうなっていたことか、考えるだけでぞっとする。「若い時の苦労は買ってでもしろ」という言葉の意味が少し理解できた気がする。これが平成17年に経験した出来事の一部始終であり、厄年の私の苦労話である。

 臨時ニュース

 今回のブログ記事の作成中に、突然携帯が鳴った。1か月近く前に打診しておいた出版社から、私のHP「趣味-ING」の中に編纂し、掲載している詩集「都会の片隅で」について、問い合わせと出版の案内が飛び込んだのだ。15分以上話したが、何らかのアクションをしてみたいというのと時間をかけて審査・吟味したいとの返答。少しは脈がありそうだ。これまでにない類のジャンルを開拓したいという私なりのコンセプトと熱意を訴えたつもりだが、それがどこまで伝わるのか楽しみにして結果を待ちたい。 

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