2019年11月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

« 今日の釣果 | トップページ | 若者の自動車離れ »

2009年10月31日 (土)

昔話⑥ ~子供の頃の遊びと流行りもの~

 私が小学生時分というと、昭和45年から52年頃だった。郡山市内でも中心市街地のど真ん中にあった歴史と伝統がある小学校に通った。当時、「遊び」と言えば、現在のようなゲーセンはなく、遊園地もなかった。もちろんスポーツで汗を流したくてもスポ少すらなかった。その頃、娯楽と呼べるものはテレビぐらいで、それを見て時代の流行を知り、社会の動きや時勢に遅れないように、そして翌日の学校で話題に付いて行けるようにしていた。そこで今回は、テレビから火がついてブームとなった「遊び」や子供の頃に流行ったものを取り上げてみたい。

① 陣取り合戦

 これは道具は何も要らない。土の地面に1m×1.5m四方の長方形を描き、その対角線に親指と中指を伸ばして1/4の円を描く。これが自分の陣地となる。そしてその辺に転がっている小石を自陣内から指ではじき、3回以内で戻ってきたらその面積分の陣地が増える。もちろん3回で戻れたら、かなり広い陣地が手に入るが、リスクは高くなる。もし、戻れなければ無効。また、2回で戻った場合は、ボーナスとして自陣から指をコンパス代わりにして円を描き、更に増やせるのです。これを対戦相手と交互に行い、長方形が埋まり、これ以上陣地が増やせなくなった時点で終了。陣地が多いほうが勝ちとなる。

② グループ遊び

 友達と一緒に遊んだゲームや遊びを紹介すると、「カン蹴り」「鬼ごっこ」「だるまさんが転んだ」「長縄跳び」「馬跳び」「馬乗り」「独楽回し」。特に「カン蹴り」は近所の空き地を利用してよくやった。何でもそうだが、ジャンケンで負けた者がなる鬼の役はいつも辛い。馬乗りは、危険ということで教育委員会から禁止令が出た。独楽は普通は一緒に投げて、一秒でも長く回っていた方が勝者となるが、我々のルールでは、「ガンつけ」と言ってわざと相手の回っている独楽目掛けてぶつける様に上手投げで投げ、相手の物に傷を負わせて力ずくで止めるのだ。これも結構やることがないとよく遊んだ。

③ テーブルゲーム遊び

 主役はトランプと花札。よくやったのは、「ページバン」「セブンブリッジ」「七並べ」「ババ抜き」で、中学生になると「ポーカー」が流行った。この頃はUNOや「大貧民」はメジャーではなかった。また、「オセロ」や「将棋」「軍人将棋」もよくやった遊びである。

④ 人形遊び

 人形と言っても、女の子が好む「リカちゃん人形」や「バービー人形」の類ではない。当時開発され、絶大な人気を誇ったのが超合金ロボットである。「マジンガーZ」「グレートマジンガー」「グレンダイザー」がその走りで、一大センセーションを巻き起こした「ガンダム」はその後のことだ。他に「ゲッター・ロボ」もあり、可動式で合体ロボの元祖と言えよう。それが開発されるまでは、「ゴジラ」や「ウルトラマン」対怪獣のソフトビニール人形を集め、勝手に対決させていた。

⑤ 牛乳蓋

 これは我々の一世代前の「メンコ」のような物で、当時はパック型の牛乳ではなく、給食等で出たのは瓶詰め牛乳だった。その紙製の蓋がこの遊びの主役だった。牛乳蓋にも色々なデザインがあって、他人が持っていない丸蓋を持っているだけで自慢で来たが、それを奪い合うことこそがこのゲームの真髄。やり方は、牛乳蓋をテーブルの上に撒き、指だけを使って裏返しにする。攻撃は一回で交代交代。裏返しに失敗すれば自分の物にはならない。テーブル上の蓋が無くなった時点で終了。

⑥ 流行り物

 かつてダッコちゃん人形が世の中を席巻したように、小学生時分に流行したものを紹介したい。古いほうでは、「笑い袋」。もちろん外国製で、袋の真ん中辺りを強く押すと、勝手にスイッチが入り、いきなり「ワッハッハッハ」と笑いだすおもちゃがあった。2つ目は「スマイルバッヂ」だ。皆持っていて、帽子やバッグに付けていた。丸い黄色の缶バッヂなのだが、今風の「ニコちゃんマーク」の絵柄で、持っていれば女の子にモテるような格別な雰囲気があった。3つ目は「ローラースルーゴーゴー」。これはキックボードのことで、ブームは一年足らずだったが、流行り物の中でも代表格だろう。T字バーのハンドル付きのスケボーの形をしていて、後ろ側にキックペダルが付いている。片足でバランスを取りながら滑り、もう片足でキックすると進むのだ。また4つ目は、「ホッピング」と言う竹馬を一本にしたような形で、地面に接する部分が強力なスプリングになっていて、かなりピョンピョン弾み、意外とジャンプ力があって危険な乗り物(遊び道具)だった。この後に、ローラースケートやスケボーが主流となった。また、スプリングを使ったおもちゃがあった。階段などの段差では、順序良く一段一段ひとりでに落ちて行くおもちゃで、子供心に物理や理科の連続動作の勉強になったと「思う。(学習と科学の付録についていそう)。その後、「スライム」という緑色のネバネバした粘着力のある謎の物体が登場した。掴みどころがなく、でも手は汚れない不思議な流行だった。また、おもちゃではないが、お菓子についている応募券を集め、ハガキに貼って応募すると抽選で当たる「オイラはあるま~じろ~」でお馴染みのふわふわ型のポシェットのような小物入れが貰えた。私は何回ハガキを出しても一度も当たらなかったが、近所に住む友人は2~3個も持っていた。運が良い奴はいるものだ。

⑦ アメリカ仕込みのおもちゃ

 ひとつ目は「アメリカンクラッカー」。さくらんぼを大きくしたような形状をしていて、リングから枝分かれした2本の紐の先端にそれぞれ玉がついている。リングを軸にして上下させることで玉同士がぶつかり合い、連続で「カンカンカン」と音を出す遊びだった。「懐かし~」という声が聞こえそうだが、これも理科の「振り子の原理」や「慣性の法則」を利用した優れた玩具であった。もうひとつは、「ヨーヨー」「ハイパーヨーヨー」である。これは小学校の高学年になった頃、アメリカから入って来た玩具だ。これもまた、理科の上下運動を上手に利用した玩具。しかし、大の大人も夢中にさせるほど、「東京タワー」や「ブランコ」、「犬の散歩」などのハイレベルな技があった。「宇宙遊泳」なる回転技もあった。

⑧ ソフトボール

 これは紛れもなくスポーツであるが、毎日放課後になるとやっていた健全な遊びだった。いつもいったん自宅に帰ってから、道具一式を持って学校のグランドに集まる。そしてウラオモテといって手のひらの向きでその日のチーム分けをした。とにかく一番夢中になった遊びと言って過言ではない。

⑨ 収集物

 小学校時代は、何かにつけ色々な物を集めた気がする。まず、切手が最初。様々な国の切手(使用済み・未使用)を東京切手センターを介して集めまくった。続いて⑤で書いた「牛乳蓋」、そして仮面ライダーカードやそれを収納するアルバムなど。違う番号のカードを100枚くらいは集めたと思う。友人同士でお互い持っていないカード同士を交換したりもした。今で言う「ポケモンカード」のような物。そして中1になると、折からのBCLブームがあって、テレビ局やラジオ局の放送番組を視聴し、受信報告書を郵送すれば、御礼として「ベリカード(QSLカード)」が貰えたのだ。これも裏ワザを用いて100枚以上集めた。海外の短波放送を聞いていたせいか、知らないうちに英語の勉強にも役立っていた。

⑩ インベーダーゲーム

 これは正確に言えば、中1(昭和52年~53年)頃のゲーム。卓上型で1回100円。横一列のインベーダー達が徐々に手前に向かってミサイルを撃ちながら攻めて来る。それを壁に隠れながら応戦し、相手のインベーダーに当たると消え、得点になる。時々上段をUFOが飛んできて、それに当たれば得点は高い。当時は大ブームで、ゲーセンだけではなく、近所の駄菓子屋やラーメン屋にも置いてあった。ブームに翳りが見え始めると、一斉値下げし、1回50円とか20円にまでなった。ブームが終われば、そのゲーム台自体を売りに出していた。

 また、これは遊びではないが、昔の想い出として、学校の昇降口の出た所の道端に、色々な物を売りに来る行商がいた。多かったのは、カブトムシやクワガタ虫、ヒヨコなどの生き物で、ゴムを飛ばす針金細工の鉄砲など子供心をくすぐる商品が露天に並んでいたのだ。このように、昔は遊ぶにも友達とコミュニケーションを取りながら皆で遊べる遊びがあった。現在の子供は、室内でゲームや漫画を見て余暇を楽しむ傾向がある。独り遊びが上手になってしまい、その結果、人間関係を築く場面がかなり減少している。そこにはインターネットを介して見知らぬ人と対戦ゲームを行っても、血の通いあうような人間関係は決して築けないだろう。私は、テレビゲームすらあまりやったことがないが、それで十分幸せだし、その頃遊んだ友人たちとは、今でも親交があり、たまに飲みに行くこともある。流行り廃りはある世の中だが、本当に大事なことだけは見失わないで欲しいと思っている。

 オマケ 「日本シリーズ初戦」の総括

 初戦からしびれる展開。そして追いつ追われつの独特の緊張感があった好ゲームだった。勝敗こそ逆になってしまったが、前日(戦前)の私の予想がことごとく当たったと思う。

 取ったら取り返す、ピンチの後にチャンス、チャンスを潰した後はピンチ、最後までもつれる、大試合ではベテランと外人の活躍がポイント、日本ハムの守備力、先制したチームが有利に試合展開を運べる、古巣でリベンジなど大部分で予想通りだった。そして野球の独特な流れを感じた試合となった。まず、いきなり的中したのがキーマンとして予想した谷と阿部のベテラン勢の活躍。谷の先制本塁打に始まり、その裏には外人助っ人スレッジの同点弾。谷については、この試合3安打の大当たり。特に5~7回の攻防は玄人目にも見応え充分だった。2点差を追う日本ハムの攻撃で、代打・坪井の更なる代打で二岡が登場。安定感抜群の山口からファールで粘って、執念のレフト前タイムリーを放ち、二塁走者を還し、1点差(3-2)に詰め寄る。やはり大舞台に強く巨人に対する復讐心に燃えていた。役者が違う気がした。その直後、やはり巨人を追われた林が登板した。今度は昨年までバッテリーを組んでいた阿部との直接対決があった。阿部がセンター前にはじき返し、貫録を見せつけた。一死後、左キラーとして代打・大道がコールされると、すかさず梨田監督は、右横投げの江尻にスイッチ。すると今度は原監督が動き、代打の代打、切り札「李」を送った。この辺の駆け引きや作戦、采配は実に見応えがあった。李は期待に応え、突き放す一打(4-2)を放った。やはり、今日はもつれにもつれた。最終回万全を期して送ったクルーンが1点を失い、サヨナラのランナーが出た時は万事休すかと思ったが、何とかラストバッターを三振で切り抜け、大事な初戦を巨人が辛くも物にした。やはり、予想通り、先制点を取ったチームが圧倒的に有利に試合を運べたし、巨人の層の厚さが際立ったゲームだったと言えると思う。マスコミが騒いでいるように、日本ハムは連敗を避けるために、ダルビッシュを強行登板させるのか?順当なら内海、八木の両左腕対決だろう。巨人が敵地で勝ったことにより、断然巨人有利である。明日、巨人が連勝するようなことになれば、東京ドーム2勝1敗で優勝決定となり、それだけは日本ハムとしては何が何でも避けたいだろう。今日奮わなかった小笠原とラミレスの動向にも注目したい。

« 今日の釣果 | トップページ | 若者の自動車離れ »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

« 今日の釣果 | トップページ | 若者の自動車離れ »

福島県の天気


無料ブログはココログ