2021年9月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30    

« 若者の自動車離れ | トップページ | 今は亡き往年の名優たち »

2009年11月 6日 (金)

巨人軍の背番号の歴史

 連日、熱戦が続く日本シリーズの話題が持ちきりで、このところ野球ネタばかり。今回もその例に漏れず恐縮である。私は物心ついた頃(小学生)から、大の巨人ファンで、栄光のV9黄金時代をつぶさに見てきた一人である。当時の世相を文字って「巨人・大鵬・玉子焼き」とまで言われた巨人全盛時代のことだ。柴田・土井・王・長嶋・末次・高田・黒江・森・堀内が不動のオーダーで、彼等を取り仕切ったのが、監督・川上哲治。ライバルは小山・村山・江夏・田淵らを擁する阪神と高木・谷沢・星野・三沢・松本幸行・江藤慎一・中・木俣・鈴木孝政ら名選手をずらり揃えた中日だった。今も忘れはしない昭和48年、阪神はマジック1とし、ナゴヤ球場で中日と対戦していた。もちろん勝つか引き分けで優勝が決まる大事な一戦だった。私は当時、巨人戦以外のラジオやテレビ中継がなかったため、結果は翌日の新聞で知った。その運命の試合に中日が勝ち、優勝の行方は巨人VS阪神の最終決戦に持ち越されたのだ。場所は甲子園球場でデーゲームの試合となった。前夜、ナイターで行われていた阪神VS中日戦のスタンドのすぐ脇を、東海道新幹線で甲子園に向けて移動中だった巨人の選手たちが通って行った話はあまりにも有名だ。

 翌日の試合は勝った方が優勝という大事な一戦だった。スタジアムが阪神甲子園球場だけに、誰もが阪神が有利と見ていた。しかし、巨人のエース・堀内は、阪神に2塁すら踏ませない力投に加え、巨人打線が猛爆発。何と蓋を開けてみれば、戦前の予想を大きく覆し、9-0という大差で巨人が伝統の一戦を制し、見事セ・リーグ9連覇を達成した。この時の日本列島のフィーバー振りは凄まじかった。結局その年は、日本シリーズで南海ホークスと対戦した。南海のバッテリー江本猛紀・野村克也の巧みなピッチングの前に初戦こそ落とすものの、その後4連勝し、圧倒的な強さで日本シリーズを勝ち、見事9年連続日本シリーズ優勝という大金字塔を打ち立てたのである。この時、南海の野村は監督兼任現役捕手という立場で出場し、また巨人の長嶋は指を骨折したため、全試合欠場。痛々しい包帯姿で一塁コーチャーズボックスから激戦を見守っていた記憶がある。

 後にも先にもこのような華々しい戦績は、後の西武ライオンズの黄金期(広岡監督・森監督・スティーブ・テリー・田淵・太田・秋山・辻・デストラーデ・清原・石毛・渡辺久・東尾・松沼兄弟・潮崎・郭泰源・工藤・伊東ら)の11回(日本シリーズは3連覇が最高)も及ばないほどである。ONが引退後は、プロ野球界も戦国時代に入り、セ・リーグは古葉監督率いる赤ヘル軍団が世の中を席巻した。衣笠・山本浩二・三村・高橋慶彦・小早川・安仁屋・外木場・高橋里志・山根・福士・池谷・北別府・小林・津田・大野など錚々たるメンバーだった。その後、ヤクルト野村監督が巨人に対する異常なまでの闘争心を剥き出しにして襲いかかった。セ・リーグの他球団と談合し、巨人包囲網(巨人戦には、各チームともエース級が当たるようにローテーションを組むこと)まで作り上げた。更に野村スコープにも代表される通り、打者一人一人の対戦データを隅々まで調べ上げ、分析し、それを古田敦也に徹底的に仕込んだ。もともとアマチュア時代(立命館大)、強肩巧打の評価を得ていた彼は、野茂英雄とバッテリーを組んで、オリンピック出場するほど注目の大型捕手だった。メガネをかけたキャッチャーは大成しないというジンクスがあったが、野村の指導により、日本一の捕手とまで言われた。その中で、飯田・池山・広沢・秦・岩村・土橋・八重樫・荒井らを育て、ハウエル・ホージー・ラミレス・ペタジーニの長距離砲もいた。ピッチャーも伊東・伊藤・石井一・川崎・ブロス・内藤・高津らを揃えていた。

 巨人にとって、そんな苦難な時代を経て、原監督が巨人に復帰し、それからというもの、めざましい躍進を果たした。第2期黄金時代の到来と言っても過言ではない、V9時代以来となる、リーグ3連覇を成し得た。これは王や長嶋、藤田でさえ達成できなかった偉業なのだ。去年、先に王手をかけながら逆転Vをさらわれた昨年の借りを返す意味でも、ぜひ今年は日本一を奪回して貰いたいと願っている。

 さて、栄光の歴史を刻んできた、巨人軍であるが、往年の名選手の存在や活躍があってこその伝統である。今日は、そんな選手たちを思い返して貰う意味も込めて、歴代の背番号を取り上げてみたい。まず、巨人の背番号を語る上で、真っ先に気づくことは、永久欠番の多さである。通常、永久欠番と言えば、どのチームでも顕著な功績があり、その選手の偉業を讃え、永遠に語り継ぐために設定するものだ。まず、背番号1。これはご存知世界のホームラン王、「王貞治」である。彼が昭和52年の9月にハンクアーロンが持つ。当時の世界記録の755号を破る756号を放った瞬間、日本列島中が大フィーバーした。彼の通算本塁打868号はバリーボンズでも抜けず、未だに世界記録である。2786安打・通算打率は.301。次に背番号3。無論誰もが知らない野球ファンはいない、「ミスタージャイアンツ・長嶋茂雄」である。昭和34年の天覧試合での阪神・村山から放ったサヨナラホームランは、今でも球史に燦然と輝き、印象に残るものだ。大卒で入団し、17年間の現役生活の中で通算444本塁打を放ち、打率は.305だった。彼は燃える男としてチャンスにめっぽう強く、ファンサービスを心掛け、常にハッスル&スタンドプレーで観衆を魅了した。続いて背番号14。戦前の巨人軍の前身、東京野球倶楽部を経て、巨人の創設期に大活躍した、伝説の名投手・沢村栄治である。彼は日米職業野球で、あのヤンキースのベーブルースとも対戦し、当時の大リーガー達をキリキリ舞いさせた。惜しいことに、戦争で出兵し、27歳という若さで戦死し、帰らぬ人となってしまった。しかし、彼の栄誉を讃え、先発完投型の優秀な投手に贈られる「沢村賞」が創設され、その名を球史に刻んだ一人である。通算63勝22敗。防御率1.74

 次に、「打撃の神様」と呼ばれ、半世紀近く前に活躍した名選手がいた。赤バットを巧みに操り、安打を量産した川上哲治の背番号16もまた永久欠番である。彼は現役時代、「ピッチャーが投げるボールが止まって見えた」と豪語するほどバッテイングには卓越した素質を持っていた。私自身、彼に関しては現役時代のことはまるで知らない。むしろV9時代の名監督としての功績しか念頭にない。今考えても、ONが君臨した頃の巨人の強さは絶大で、日本シリーズを9年連続で制したことは筆舌に尽くし難い。通算安打2351本で181本塁打を放った。そして通算打率.313はONを上回っている。また、背番号34番も永久欠番である。最近ではブラウン管にほとんどでなくなってしまったが、400勝投手の金田正一である。B型パフォーマーの彼は、同じB型の長嶋を異様なまでにライバル心を燃やした一人で、とにかく目立ちたがり屋で派手好き。大学野球で新記録の8本塁打を引っ提げ鳴り物入りで立教大学からプロ入りした長嶋のデビュー戦に於いて、「4打席4三振」に切ってとり、格の違いを見せつけた。その金田は現役時代の大半を、あまり強くなかった国鉄アトムズ(現ヤクルトスワローズ)で過ごし、勝ち星の大部分を自力で稼いだだけにその価値は尊大だ。登板機会が多かった昔なので、負け数も298敗とワーストワンなのが珠に傷だが。防御率は2.34だった。彼は晩年、ONを従えてマウンドに立てたらどんなにか楽だろうと語った通り、最後の400勝を挙げた時は巨人の一員だった。その後、彼が前例となり、往年の名選手で他チームで活躍した選手は、引退時には巨人で終わるという風潮があった。まるでご褒美で花道を飾るかのごとく。古くは別所毅彦・金田正一がいるが、この20年でも、加藤英司(阪急)、石渡(近鉄)、簑田(阪急)、清原(西武)、落合(ロッテ・中日)、広沢(ヤクルト)、江藤(広島)、石井(近鉄)、有田(近鉄)、張本(東映・日拓)、松原(大洋)、阿波野(近鉄)、太田幸司(近鉄)、武田一浩(日本ハム)、河野(日本ハム)、川口(広島)、屋敷(大洋)、野口(中日)、ペタジーニ(ヤクルト)、中尾(中日)、工藤(西武・ダイエー)らがいる。

 もう一人、あまり知られてないが、巨人の背番号4番も永久欠番である。この数字は「四(死)」を意味することから、日本人が最も忌み嫌う数字である。実際巨人で、最初にこの番号を付けた黒沢俊夫選手(戦後、選手が足りなかった時代に4番を打った)は、現役中に腸チフスという病に倒れ、33歳という若さでこの世を去った。以来、誰も付けることなく現在に至っている。

 最後に栄光の巨人軍の背番号を回顧して結びとしたい。(掲載は背番号40番以内で特に記憶に残る選手のみで永久欠番は除く)

 2番 上田・松本・簑田・元木・小笠原  5番 黒江・ジョンソン・河埜・岡崎・清原・ラミレス  6番 土井・篠塚・落合・石井・川相・小久保・坂本  7番 与那嶺・柴田・スミス・吉村・二岡・(長野)  8番 高田・原・仁志・谷  9番 吉田孝司・有田・村田・清水・亀井  10番 張本・ホワイト・加藤英司・駒田・広沢・阿部  11番 高橋善正・角・シピン・斎藤雅樹・久保  12番 呂・マック・村田・鈴木尚広  13番 宮本・ペタジーニ・野間口・林  15番 城之内・横山・山倉・河原・後藤・辻内  17番 倉田・浅野・槙原  18番 藤田元司・堀内・桑田(エースナンバー)  19番 小林・高橋・木田・上原  20番 関本・定岡・入来・ローズ・豊田  21番 高橋一三・加藤初・宮本・チョソンミン・木佐貫・高橋尚  22番 藤城・中尾・大久保  23番 上田・西村・脇谷  24番 宮田征典・中畑・大森・高橋由  25番 富田・松原・鈴木康友・川口・三澤・李  26番 西本・岸川・内海  27番 森昌彦・石渡・福王・門倉  28番 新浦・阿波野・岡島・前田  29番 河埜・鹿取・西岡・川中・グライシンガー  30番 江川・橋本・武田・林・西村  31番 石渡・水野・三澤・野口・小関  32番 柳田真宏・グラッデン・大森  33番 江藤省三・太田幸司・長嶋監督・江藤・李・野間口  35番 淡口・清水・越智・亀井  36番 長嶋一茂・村田  37番 斎藤・藤田宗一  38番 末次・庄司・勝呂・井出  39番 山本和夫・吉原・光山・三浦  40番 河野・村田善  49番 クロマティー  55番 松井秀・太田  00番(ほとんどお遊び番号) 屋敷・後藤・川中  0番 川相・川中・木村拓

 おまけ

 巨人以外の永久欠番

 阪神 10番 藤村富美男 11番 村山実  23番 吉田義男

 中日 10番 服部受弘 15番 西沢道夫 

 広島 3番 衣笠祥雄  8番 山本浩二

 日本ハム 100番 大社義規(初代オーナー)

 球団消滅や失効した永久欠番

 西鉄 3番 大下弘  6番 中西太  24番 稲尾和久

 ヤクルト 8番 大杉勝男

 近鉄 1番 鈴木啓示

« 若者の自動車離れ | トップページ | 今は亡き往年の名優たち »

野球」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

« 若者の自動車離れ | トップページ | 今は亡き往年の名優たち »

福島県の天気


無料ブログはココログ