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2009年12月

2009年12月29日 (火)

親父の背中 ~亡き父へ捧ぐ鎮魂歌~

年の瀬も押し迫った師走の朝 突然親父は逝った 誰にも看取られず
別れの言葉を交わす暇さえなく 覚悟も無いままたった独りきりで旅立った

昔気質で大の病院嫌い 体の不調を口にせず人知れず断末魔の苦しみや
痛みに耐えていたのだろう
元来人に気を遣いすぎる性格 それが災いし 余計な心配をかけまいと
自らの死期が近いことをひた隠しにしていたに違いない

その前夜 あなたは周囲の説得に耳を貸さず
最後まで病院へ行くことを躊躇った
今思えば あの時あなたは二度と生きてここへは戻れないことを
悟っていたに違いない

翌朝 医師から呼ばれ伝えられた真実
そしてほどなく「ご臨終です」という突き刺す悪魔の言葉
一瞬我が耳を疑った
昨夜まで我が家で生きていた筈の父が目の前で冷たくなっている現実

嗚呼 夢なら早く覚めてくれ されど生きる証を示す心電計は
真横に一直線に流れ 無情にも命の炎が尽きたことを物語っていた

手を握れば まだ柔らかく温もりのある体を冷やさないようにと
必死で母と擦った
やがてそれも叶わぬ願いと知り 唇を噛んで遺体に縋りつく母
震えるその肩を抱き寄せ ただじっと病室の天井を見つめていた

どうしてこんなことに いったい誰がこんな別れを仕組んだのか
受け入れ難い現実を突きつけられ 心の整理がつかない


その夜 通夜には不似合いなくらい 空一面に瞬く銀の星
天に召されたあなたも きっとそのどこかにいる筈と
必死であなたの名を星に向かって叫んだ

突然の訃報にうな垂れて訪れた喪服姿の弔問客
その日を境に未亡人と化した母は気丈に振る舞う
生前親交があった人々の悲痛な面持ちと嗚咽
そしてお悔やみと慰めの言葉に
これが現実であることをようやく受け入れた
取り付く島を与えず 矢継ぎ早に始まる葬儀の仕度
家族はその日から遺族と呼ばれ 不幸の眼差しを一身に浴びる

真夜中過ぎ客足が途絶えた頃 死化粧と白い布を顔にあてがわれ
守り刀を胸に抱いて横たわる 変わり果てたあなたの亡骸と向き合い
久しぶりに親子二人で話をした

額に深く刻まれた皺 やつれた頬
仕事中 誤って怪我をし足の甲に拵えた傷の跡
気づかなかった こんなにあなたが疲れていたことを

線香の煙の中で交わす心の会話
「この大きな空の小さな町の片隅であなたは生まれ育ち
七十歳という生涯を人知れず閉じた」
「遣り残したことはないの」「幸せな人生だったの」
無言の父は身動きひとつせず ただ黙っているだけ


明るく気さく 忠義で誰にでも優しかった親父
頭に浮かぶは在りし日の面影
幼い頃いろんな所へ連れて行ってもらったこと
空き地でキャッチボールしてくれたこと
大学や就職が決まった時 手放しで喜んでくれたこと
昨日のことのように甦る

子供の時 あんなに大きく見えた背中が
いつの間にか小さくなっていた
あなたの体を蝕み命を奪い取った煙草
死ぬまで肌身離さず持っていた
いつも家族に窘められ それでも一向にやめようとはしなかった
焼香代わりに香炉の灰に立て火を点す
「今宵は好きなだけ吸っていいよ・・・」

大晦日 あなたを野辺送り 火葬場にて最期の別れ
経帷子を身に纏ったあなたとあなたの代名詞だった遺品を
棺に納め 天に昇る煙をこの目で見届けた

翌日 我が家に初めて正月は来なかった
楽し気に初詣に向かう家族連れを茫然と見送った
放心状態と極度の虚脱感が全身を襲う

正月が明け 吹雪の中でしめやかに執り行われた告別式
葬儀を終えた瞬間 我々遺族は言い知れぬ深い悲しみに包まれた
参列者に気丈に振る舞いお辞儀を繰り返していた母が
ひとつ深い溜息をつき崩れるように床に落ちた
子供の前で一度も弱音を吐かず強かった母の初めて見る真実の姿
僕は拳を握りしめ人生を噛みしめた


あれから早幾歳月 未だ信じ難いあまりにも早すぎた父の死
いつも当たり前のようにそこにいたはずの人がいない
できなかった親孝行 自分を責め続けた日々
でも遺影の父はいつも黙って微笑んでいる
 掌を合わせる度にあなたは無言で語りかけてくる
「これが人生 これが男の生き様 生きてこその絆 限りある命
今を精一杯生きろ」それが父の教え いずれ私もおっつけ逝くだろう
それまで その後の自分の人生を胸を張って報告できるようにしよう
そう墓前で固く誓った

心の支えはもういない かつてあなたがそうであったように
気づけば自分も親の身となった
此の頃少しずつあなたの気持ちがわかってきた
今の僕ならあなたの苦労が痛いほどよくわかる
家庭を築くこと 愛する人を守ること 男として生きていくことが
どんなに辛く大変だってことかを
あなたが僕にしてくれたことを 今度は僕が自分の子供にしてあげよう

「あなたはこの世から旅立ったけど これから先もずっと僕の心の中で
生き続けるだろう」

そのことを自分自身に言い聞かせ ありきたりだけれど
生前言えなかったこの言葉を今 あなたに捧ぐ


「こんな僕を育ててくれてありがとう あなたの子供で本当に良かった」
「またいつか 空の上でキャッチボールをしよう・・・」


   平成十五年 十二月二十九日 父他界 享年七十歳  合掌

2009年12月21日 (月)

時代をリードするディアゴスティーニ商法

 近年、「週刊20世紀」なる書物や「昭和タイムズ」なる時代の変遷をつぶさに辿れる、写真や図解入りの本が発売されている。自分が生きた時代の足跡を窺い知る史料として活用できるし、自らの半生を振り返る上で、貴重なお宝でもある。そして一番の目的は、その時代の流行や政治経済の情勢などを振り返り、懐かしむことができることだ。古くは学研の「学習」と「科学」に代表される、昆虫採集セットや顕微鏡などの実験器具や模型などを組み立てる楽しい付録がその走りだった。その後、その手法は「グリコのおもちゃ」にも使われ、各種お菓子について来る「シール」や「カード」なども購買意欲を駆り立てるのに打ってつけの商法だったと言える。私自身、仮面ライダーカード欲しさにスナックを購入していたし、事実、プロ野球選手のカードも集めていた。「何が入っているかわからない」というスリルや期待感など、今思えばゲーム感覚で楽しめ、子供心をくすぐる興味深い付録たちであった。

 そうした、まるで現代風「袋とじ」のような書籍がある。それは「ディアゴスティーニ」という出版社で、この会社は実に面白い。約5年ほど前から急激に日の目を浴びて来た。その魅力は何と言ってもユニークな付録にある。例えば「安土城」や「フェラーリ」の模型を完成させるために、毎週、部品を少しずつ買わせて、ひとたび購入すると完成するまで、間髪を置かずに毎回欠かさず購入しないと、実物も完成しないという商売上手ぶり。そして創刊号をかなりの低価格に抑え、購買意欲を煽り、最終号まで継続して購入させる商法である。また、その資料集が実に見易く、写真入りや図解で解説し、おまけにオリジナル特製バインダーなどを低価格で売り、毎週一冊ずつ増やしていくコレクト手法を用いているのだ。そこには昔の「ナカバヤシアルバム」のような毎回増える楽しみがあり、最後は世界で自分だけの資料集が完成するという寸法。毎週定期的に買わないと続きがわからない。まるで「巨人の星」状態だ。この手法は見事と言うほかない。一体購読者は何冊まで続くのか分からないし、気づくと「ン万円?」にもなっていたりする心配や怖さもある。模型が完成しなければ元も子もないのだから途中でやめる訳には行かない。そして子供から大人までがハマる、好奇心や興味をそそられる付録内容には、つくづく感服してしまうほど。これまでにその会社がどんな書籍・付録を発売したか見てみよう。その都度、テレビ等で大々的に宣伝しているので、一度は見たことがあるだろう。

 ①「週刊そーなんだ!」 物の仕組みを科学的根拠に基づいて解明していく。大人でも勉強になる。社会編・科学編・歴史編などがある。

 ②「週刊鉄道データファイル」 鉄道ファン必見の珠玉の一冊。面白情報満載。

 ③「青春のうたベストコレクション」 フォークソングやGS、ニューミュージックなどのセレクションDVD付き。

 ④「週刊フェラーリ・ラジコンカー」 フェラーリのRCカーを製作。これは衝撃的だった。

 ⑤「ハローキティ・アクセサリーコレクション」 女性ファンが飛びつくようなコレクション。

 ⑥「週刊蒸気機関車C62を作る」 1/50スケールの模型を製作。SLファン必買。

 ⑦「マイディズニーランド」 ディズニーランドの見どころ満載。独自目線で編纂。

 ⑧「週刊昭和タイムズ」 事件事故、政治経済、流行、風俗などその年ごとの出来事をカラー写真と解説でわかりやすく掲載。

 ⑨「週刊ハーレーダビッドソン」 バイク模型を完成させる。熟年ライダーにウケた。

 ⑩「週刊マイミュージックスタジオ」 パソコンソフト内蔵で、旋律を弾くと楽譜が画面に現れ、作曲や編曲ができる優れ物。

 ⑪「地球の鉱物」 石や鉱物を取り上げた異色のシリーズ。翡翠や宝石などを掘りあてる。地層など地質学の勉強にも役立つ。

 ⑫「週刊歴史のミステリー」 坂本龍馬の寺田屋事件の真実や本能寺の変では明智光秀が暗殺者ではないなど新説を紹介。

 ⑬「科学忍者隊ガッチャマン」 名場面入りのDVD付き。40代のオールドファンにはたまらない。

 ⑭「世界名作劇場DVDコレクション」 お母さん世代が子供に見せたい名画・名話の数々。

 ⑮「落語百選」 名人と呼ばれた噺家たちの名調子や名下りや独特な語りが満載。

 ⑯「東映時代劇傑作DVDコレクション」 大川橋蔵や長谷川一夫など懐かしい映像。

 ⑰「週刊天体模型太陽系を作る」 天文学者監修の製作もの。

 ⑱「週刊安土城を作る」 これも栄華を極めたお城を毎週少しずつ製作し完成させる。

 ⑲「週刊ウルトラマンオフィシャルデータ」 ウルトラ兄弟やM78星雲の秘密など満載。

 ⑳「週刊零戦をつくる」 模型製作。これには物が物だけに賛否両論あった。

 その他 「ハリーポッターチェスコレクション」「古代文明ビジュアルファイル」「Xファイル」「東宝特撮映画コレクション」など・・・。

 どうですか。一度は書店で手に取った記憶があるのでは・・・。マニアにとっては喉から手が出るほど欲しい代物ばかり。最近はDVDが多くなって来たが、毎回、取説のような解説本と共について来る付録は、注目すべき内容のものばかり。世代や性別ごとに毎回ターゲットを決め、発想そのものが、今、時代が求めているものを的確に見極めて仕掛けている。その企画・編集スタッフの眼力たるや本物であり、賢明かつ崇高と呼ぶにふさわしい。次は何を世に送り出してくれるのか、期待感で胸が膨らむ。この商法は、やはりリピーターが自動で見込める点で、他社にはない斬新なアイディアが成功のカギとなった。まさに企画力の勝利である。このディアゴスティーニの成功を機に、他社でも「人体模型を作る」などという類似した刊行物が出回るようになった。これは日本人の「長いものには巻かれろ」的な性質の悪い模倣癖である。少しでも脚光を浴びれば、オリジナリティーで勝負しないで、すぐに便乗し、他人の真似ごとで何とか乗り切ろうとする。そんな便乗派の会社は、その場凌ぎでしかなく、独自の発想がなく、日和見主義的で、長続きなどしない。すぐに潰れることだろう。「24時間風呂」や「痩せる石鹸」、「ルーズソックス」、「ガングロ」などもブームが去れば、無用の長物でしかない。私は、そういうブームには決して乗らず、関知すらしない。生活必需品などは、実用性もしくは機能性重視で選択するようにしている。未だにあれほど一大ブームを巻き起こした「マリオ」や「ドラクエ」関連のテレビゲームには一切興味が無いし、やろうとも思わない。「飽きたら捨てる」ような風潮がたまらなく嫌だからだ。常に足元を見て、自分が好きなことはとことん追求するが、それはあくまで、長続きできるかという観点で自分の判断で選んだ物で、決して社会現象に踊らされた物ではない。そういう意味では、ディアゴスティーニの付録は、わが知的好奇心を揺さぶるものだと言えるだろう。何を引っ提げ、何を世に送り出すのか、そしてどんな作戦で私を釘づけにするのか次の刊行物が楽しみである。

 次回は私が生を受け、45年間の半生の中で、その時代を彩った様々な出来事を時代背景と共に振り返ってみたい。「温故知新」、何か新たな発見があるかもしれない。

 

2009年12月14日 (月)

女子アスリート花盛り!

 昨日まで開かれていた国際柔道大会「グランドスラム東京」で、日本女子が全7階級を制覇し、圧倒的強さを発揮して幕を閉じた。「平成の女三四郎」こと52kg級・中村美里は、準々決勝以外はオール一本勝ちと、他を寄せ付けない強さで優勝した。彼女が北京オリンピックで、初出場ながら準決勝まで進出し、結果銅メダルに終わった時に、「金でなければすべて一緒ですから」と悔しそうな表情で語ったのを今でも忘れられない。また、決勝での日本人対決も多く、63kg級では、上野三姉妹の一人、上野順恵が、アテネ・北京2連覇した谷本歩美の実妹・育実を一本で破り、世代交代も感じさせた。そして最重量級の78kg超級では、アテネ五輪で金、北京五輪で銀メダリストの塚田真希が久しぶりに表彰台の中央に立ち、復活ぶりをアピールした。最近は、男勝りで負けん気が強い女子が多くなってきた。いやはや柔道を志しているとはいえ、大和ナデシコも随分様変わりしたものだと妙に感心してしまった。このように、日本スポーツ界に於いて、近年女子選手の躍進や快挙が著しい。今回はそんな発展目覚ましい女子スポーツ界にスポットを当てて考察してみたい。

 まず、冒頭で取り上げた女子柔道だが、これは「山口香」選手を抜きには語れない。彼女は、柔道が男子のスポーツという認識が色濃くあった時代に、第一人者として牽引し、パイオニア的な存在だった。YAWARAちゃんこと「田村(現在・谷)亮子」の出現まで、彼女の右に出る選手はいなかった。彼女が第一線で活躍していた当時は、もちろんオリンピックの正式種目ではなく、ソウルオリンピックで初めて公開競技として行われた時に、日本柔道界初の女性メダリストとなる銅メダルに輝いた。彼女の強さは日本に於いては無敵で、50kg級・52kg級合わせて、全日本体重別選手権10連覇という大金字塔を打ちたてた。1989年に25歳の若さで現役を引退後は、指導者として大学教授などを歴任した。彼女の引退後、ヒロイン不在の氷河期が続いたが、やがて彗星の如く現れた田村亮子によって、女子柔道が脚光を浴び、オリンピック正式種目になった。そして今、日本女子柔道は、名実ともに黄金期を迎えている。この柔道、日本が発祥であるのは周知の事実だが、年々、競技人口が増えるにつれ、変革が著しく行われた。まず、青いカラー柔道着やカラー畳の導入。そして日本古来の一本を狙う「柔の道」とはおよそかけ離れた欧米式の闘い方へと変化した。そしてポイント狙いの姑息な戦法に伴って相次ぐルール改正。国際大会では、より鮮明になる「JUDO」と「柔道」の違い。そして篠原や鈴木桂治が味わった屈辱的な世紀の大誤審。当面は外国人審判の育成も急務となるだろう。

 続いて日本陸上界。Qちゃんこと高橋尚子がシドニーオリンピック女子マラソンで金メダルを獲得し、日本女子の陸上選手として初の表彰台の真ん中に立った。実は、彼女のオリンピック代表への道のりは決して平たんなものではなかった。高校時代はほとんど無名選手で、名将奇将として知られる当時リクルート監督だった小出義雄氏が、その潜在能力を見出し、ユニークな練習方法を取り入れながら二人三脚でその才能を開花していった。毎年3月に開かれる、名古屋国際女子マラソンで大会新記録で優勝し、最後の選考会で最後の一枚の切符を手にし、文字通り滑り込み代表となった。そして迎えた2000年シドニーオリンピック。シモンやヌデレバ、ロルーペら並みいる強敵を抑え、語り草となったサングラスを脱ぎ捨てての一気のギアチェンジスパートで、初の金メダルを勝ち取った。ゴールテープを切った後も、まだ余裕があった。レース直後、小出監督と対面した時の第一声が「お酒臭い・・・」である。この一見、奇を衒うような師弟関係が、Qちゃんに何のプレッシャーも与えず、のびのびとマラソンをやらせた要因だろう。彼女の「とても楽しい42.195kmでした」というセリフは、今でも脳裏から離れない。大仕事をやってのけたこととは裏腹に、彼女はいたって冷静でキョトンとしていた。愛くるしい笑顔で国民的なアイドルとなり、その偉業を称え、「国民栄誉賞」が授与された。彼女の快挙が起爆剤となり、その4年後のアテネオリンピックでの野口みずきの連覇につながったと言える。

 次に、取り上げたいのはソフトボール。宇津木監督率いる日本女子チーム。シドニー・アテネオリンピックでは、強豪アメリカの前に屈し、あと一歩のところで金メダルを逃した。その時は、宇津木監督の養女となった宇津木麗華選手が主砲として君臨し、エース高山を擁し、ページシステムという独特な勝ち上がりシステムもまた脚光を浴びた。そして昨年の北京オリンピック。次回から正式種目から外されることが濃厚な状態で、最後の戦いに挑んだ。前回悔し涙を流した時の主力メンバーだった斉藤春香を監督に迎え、エースに上野由岐子という大黒柱を持つ、守りのチームに生まれ変わっていた。結果、上野がひとりで4連投し、血染めのボールで413球を投げ抜いた渾身の投球が光り、見事激戦を制し、初の金メダルを日本にもたらした。試合後日米両選手が、ダイヤモンドにバットとボールで文字を作り、肩を組みながら次回開催をアピールした光景が強く印象に残っている。

 次に冬季オリンピックにおいても女子選手の活躍は目を見張るものがある。まず、スピードスケート岡崎朋美選手は足かけ13年間、4大会連続のオリピック出場(リレハンメル・長野・ソルトレイク・トリノ)を果たし、長野では500mで初の銅メダルを獲得した。「朋美スマイル」で人気も爆発し、現在結婚しても尚現役生活を貫いている。続いてフリースタイルスキーの代表格、モーグル競技では、長野オリンピックで20歳だった里谷多英が優勝し、一躍時の人になった。また、当時高校生だった上村愛子も7位に入賞し、花を添えた。女子の日本人選手でも、35度を超える急斜面のコブコースをターンとジャンプを織り交ぜながら颯爽と滑り降りる姿は、とにかく壮観でカッコ良い。私も多少スキーを齧ったことがあるので、彼女たちの知恵と勇気には脱帽である。昨年は、上村がワールドカップの年間チャンピオンに輝くなど、来年のバンクーバーが楽しみである。同じくフリースタイルでは、エアリアルやボーダークロス、ハープパイプがあるが、一番メダルが有力なのがはボードを使うハーフパイプ競技である。今年2月にカナダストーンハムで行われたワールドカップ大会で山岡聡子、中島志保、岡田良菜の日本人3名が表彰台を独占する活躍を見せた。これによってメダル獲得の期待が大きく膨らんだ。また、前回のトリノオリンピックで荒川静香が金メダルを獲得したニュースやGPファイナルでの日本人選手の活躍を見ればわかるように、フィギュアの強さは、すでに折り紙つきである。すでにGPファイナルで2位に入った安藤美姫が代表内定し、残り枠は2つ。最近絶不調の浅田真央に代わって、彗星の如く現れた鈴木明子や中野友加里、村主章枝など実力伯仲。誰が代表になってもメダルは狙える。日本スケート連盟が浅田真央を代表に内定させたい腹は見え見えで、国民感情を考慮しても、前回断トツの実力を持ちながら、わずかな年齢制限で代表入りを逃した彼女をオリンピックという檜舞台に立たせたい気持ちもわからぬ訳ではない。しかし、採点基準の大幅な見直しによって、3回転半ジャンプが必須となったため、このところ精彩を欠いている。3年前なら文句なし代表、金メダル最有力候補だっただけに残念でならない。しかし、国民的アイドルである彼女を悲劇の女王にするわけにはいかないし、最後は巻き返してくれることを期待したい。

 また、集団競技でも女子の検討が光る。例えばサッカーなでしこJapanの活躍。オリンピックではアトランタ大会から3大会で出場を果たし、ワールドカップでも初回大会から5大会連続で出場するなど、戦績では既に男子を上回っている。アテネ大会では決勝トーナメントに進出したし、北京大会でもベスト4に入り、一躍世界の強豪国の仲間入りを果たした。荒川、澤、永里、大谷、丸山、大野などスター選手を数多く擁し、なでしこリーグも開幕したことにより、競技人口も増え、着実に個々のレベルアップが図れた。更に、シンクロナイズドスイミングもまた、日本のお家芸に近いものがある。黎明期は、井村コーチが日本代表の技術力向上に懸命に取り組んだものの、ことオリンピックでは団体で金メダルを獲ったことがなく、銀メダル4個、銅メダルが8個となっている。それは常に難敵ロシアが立ちはだかっているからで、近頃はアメリカやカナダ、スペインが台頭してきたからに他ならない。体格の良い欧米の選手は技も大きく見えるため、それが高評価に繋がるようだ。また、その井村コーチがアテネ五輪以降、中国チームの強化策のために専任コーチに招かれてからは、めきめき力をつけて来ている。元々人材豊富な国(国民体育学校のエリート選手がごろごろいる)だけに、今後脅威となるのは言うまでもないだろう。

 また、ゴルフ界でも、美貌と実力を兼ね備えたプレーヤーが続々と現れ、それはそれは明るく賑やかである。女子ゴルフと言えば、樋口久子や岡本綾子といった大御所がいて、経験豊かなベテラン選手でなければ賞金女王など夢のまた夢だった。ところが宮里藍の登場を皮切りに、アイドルと呼ぶに相応しいような10代20代の若きアスリート達が目白押しの状態だ。賞金女王に輝いた横峯さくらは24歳、有村智恵が22歳、諸見里しのぶが23歳、そして古閑美保が27歳、上田桃子が23歳というフレッシュさ。また今年PGAツアーに挑戦していた宮里藍が24歳、そして同じ沖縄出身の宮里美香は20歳である。凄まじいほどのヤングパワーが炸裂である。石川遼・池田勇太以外、スター不在の男子に比べ、実に華やかだ。

 ところで、スポーツは筋書きのないドラマだけに、人々を魅了し、一挙手一投足のプレーが感動を呼ぶ。特に女子のスポーツ界での華々しい活躍の走りとなったのが、東京オリンピック「東洋の魔女」と呼ばれた女子バレーである。あの一件で女子選手も世界で十分通用することを証明して見せた。水泳界では「前畑頑張れ!」で一世を風靡した時代があったのを始め、弱冠中学生でオリンピック王者となった競泳の岩崎恭子の活躍も華々しかったと思う。特に現在、世界を股にかけて活躍できる人材が育った要因は、ゆとり教育の賜であろう。いわゆる個性重視、変化への対応という教育体制の中で育った世代だ。物おじせず、ひたすら自分のためにプラスイメージで努力を積み重ねていく。年上でも諂うことなく、国際舞台でもプレッシャーに押し潰されることなく、堂々と自己スタイル、マイペースでプレーできる資質を身に付けたことが大きいのだろう。その他、コンビ解消したが、ビーチバレーの天使、浅尾・西堀ペアや大人気バドミントンペアのオグシオもまたスポーツ界に於いてアイドル的存在となった。また、卓球の福原愛や石川佳純もまた若くしてその才能を発揮している。恐らく、男子に比べて女子の方が体格差が少なく、世界的な実力もさほど違わないからだと思われる。もともと日本人は、個々の力や技は欧米人に比べ見劣りするが、集団競技となると抜群のコンビネーション、あるいは適材適所でチームプレーに徹し、まとまりはピカイチである。それが個人競技にも派生して来た傾向がある。

 ゆえに総括すれば、今、スポーツ界に於いて日本人女子選手たちが熱い。単にその美貌で脚光を浴びているだけでなく、実績もまた突出しているのだからなおさら凄い。天は二物も三物も与えてしまったようだ。来年早々にも冬季オリンピックバンクーバー大会が控えており、果たしてどんなパフォーマンスで我々を魅了するのか今から楽しみである。

2009年12月11日 (金)

用意周到 ~備忘録のすすめ~

 病気でもない限り、明日死ぬと思って毎日の生活を過ごしている人はいないだろう。しかし、不慮の事故(交通事故・天災・火災・殺人など)を含め、急性疾患(心筋梗塞・脳溢血・新型インフルエンザ)などで、人はいつ何時命を落とすかわからない状況にある。お年寄りの方の中には、自分の半生や生涯を「自分史」という形で生きた証を残そうという試みをする人もいれば、余命を見据え、近いうちに訪れるであろう死を前もって覚悟すると共に、死後を案じ、予め遺言状という形で意思表示する人もいる。さらには、近年は生前葬と言って、残された子供や孫に迷惑をかけたくないため、生きているうちに葬儀の中身を決めたり、万が一の時を見越して予め連絡する人のリストまで作っている人も少なくないようだ。幾ら何でもどこまでとは些か用意周到すぎないか。しかしながら、現に私の身の回りで、そのことを実感するような出来事が実際に起きてしまったのだ。

 それは平成15年の暮れに、私の父親が急逝した時のことだった。私の父は、昔から大の医者嫌いで名が通っていた。一日に2箱は吸うヘビースモーカーで、自らの不摂生・不養生によって、自分の寿命を縮めたと言って過言ではない。今も忘れはしない仕事納めの日、「お父さんの様子がおかしいから来てくれ」と母親から電話が入り、嫌がる父親を車に乗せ、無理やり当番医の病院まで連れて行った。自分で歩くのもままならず、車椅子に乗せ、何とか処置室のベッドに寝かせて熱を測ってみると、何と40度の高熱。顔からは血の気が失せ、こげ茶色。この時、私は父親の体調が生死にかかわるような重篤な状態だったとは知る由もなく、風邪をこじらせて肺炎でも引き起こし、一日入院して点滴でも打って安静にしていれば大丈夫だろうと高を食っていたが、当直医が専門外の内科医しかおらず、念の為、入院させて様子を見ることにした。しかし、翌朝には、誰にも看取られることなく、息を引き取ってしまったのだ。それが12月29日のことだった。この時、祖父は存命だったが、その後の段取りのすべてを、私の兄と私で仕切らなければならなくなった。まさかこんなに突然に亡くなり、今生の別れをすることになるなんて夢にも思わなかった。まさしく青天の霹靂で、夢と現実の見境がつかないほどだった。ショックのあまり、兄が過呼吸となり救急車で搬送される一幕もあり、私自身もてんてこ舞い。そして、運悪く大晦日にぶつかり、市内の火葬場は年末年始の休業に入ったために、使えず。仕方なく隣町の須賀川市まで遺体を運び、有料で火葬を行った。その後、兄がインフルエンザを患うという不運にも見舞われた。そして、正月明けの悪天候の日に、ようやく葬儀告別式を厳かに執り行った。したがって、この年の年末年始は上や下にの大騒ぎとなった。

 父親は生前、或る組合の理事長や会長を掛け持ちで歴任しており、人脈や交友関係が広く、通夜や葬儀告別式の連絡は一体誰にすればよいのか、どこの葬儀屋に連絡すればよいのか、式場はどこを押さえるのか、葬儀の段取りやお坊さんの手配、送迎、戒名依頼など何もかもが初体験の自分にとって、右往左往するばかりであった。一番大変だったことは、香典袋に書かれた人の名前を見ても、故人との関係が皆目見当がつかないし、葬儀に参列してくれた方々の顔と名前が一致せずに困り果てたことだった。そして死亡届を役場に提出後、色々な場面で名義変更が必要になるし、保険金の請求にしても、どの書類がどこにしまってあるのかなど、当の本人にしかわからないことばかり。後に残された者は苦労の連続で、正直途方に暮れた。事態をより深刻にさせたのは、父親は仕事が忙しく、身の回りのことを整理整頓できるタイプではなかった。財布や時計すら持たず、メガネ(老眼鏡)すら「どこに置いた?」と言っては、部屋中探しまわるような人で、お金はお札をくしゃくしゃにしてズボンのポケットに丸ごと押しこんでいた。自分でもいくらのお金を所持しているのかすらわからない、そんなずぼらで物臭な人間だった。

 一方、私はどちらかと言うと細かく、几帳面な方で、結婚して新居を構えた頃から、一家の大黒柱という自覚が備わって、それこそ15年前の20代の頃から、もしも自分が突然この世からいなくなったり、高度身体障害者になった場合、周りはどうなるのかについて念頭に置き、備忘録(覚書)なるものをメモ書きするようにしているのだ。縁起でもないと言われればそれまでだが、少なくとも私は、父親の例を教訓としてそうするようにしている。では備忘録(覚書)とはいかがなものか。蓋を開けてみれば、それはそんな大そう難しいものではなく、紙と鉛筆があれば誰にでも簡単にできることなのだ。例えば、どこにどの書類が置いてあるか。生命保険証書や印鑑、通帳の在処。名義変更が必要なもののリストアップ。もしもの場合、どこに何を提出すればよいのか。何の変更・廃止手続きをすれば良いのか。カードの所在、暗証番号は幾つで、IDナンバーやパスワード等まで一覧表にすべての情報を記しておけば良いのだ。「備えあれば憂いなし」という諺があるが、これらを実践することで、日々の暮らしにも安心感が生まれ、ゆとりのある日常を送れるのだ。しかし、泥棒が聞いたら喜びそうな情報が満載で、もし、このメモを盗まれたら一貫の終わり。すべてがバレバレ(笑)。

 また、釣りをやるようになってから、往復200km近い距離を運転したり、釣りの最中に予期せぬ高波に襲われたり、不意の地震で津波にさらわれないとも限らない。寝ぼけて防波堤から転落し、溺死という可能性だって十二分に考えられる。更に今年こそは、スタッドレスも新調したことだし、随分ご無沙汰していたスキーにも行こうと考えている。若い頃と違って体力は激減。息切れや心臓に負担が掛けることも容易に想像がつく。いつ死んでも大丈夫なように、あとに残された者が困らないようにしておきたいという老婆心からなのだ。そして年をとれば、今以上に物忘れが酷くなるだろうし、所謂痴呆が進むだろう。したがって、年をとればとるほどこの備忘録(覚書)は、有効的な役目を担ってくれるだろう。ただし、上で述べた通り、極秘の個人情報にあたるため、盗難や漏洩など、その管理を徹底しなければならないことをここで申し添えておきたい。

<覚書の書き方の一例>

①生命保険関係 契約プランの詳細と死亡した時の返戻金額とその手続き方法

②住宅ローン関係 死亡時の支払い義務の有無 団信手続き方法

③職場の退職金の請求方法 死亡時に職場から給付されるお金の一覧(リスト)

 ①~③の書類の所在と印鑑の置き場所

④自動車関係の手続き 任意保険の解除 廃車手続き 税金還付手続き 

⑤火災保険の名義変更

⑥土地建物の名義変更

⑦固定資産税の納税者変更手続き

⑧インターネット・携帯電話の解約手続き

⑨通帳の名義変更→手続きが完了するまで一時差し押さえになる。相続税・贈与税等の対象になる。

⑩公共料金(ガス・電気・水道・電話・NHK受信料・新聞代等)の契約者変更手続き・口座振替の変更手続き

⑪カード関係廃止(解約)手続き クレジットカード、キャッシュカード、暗証番号

⑫印鑑登録廃止手続き

⑬その他必要なもの ETCカード、パソコンの各種IDナンバーとパスワード 会員カード

 意外と挙げればたくさん出てくるものだ。どうだろう、目からうろこ状態だろうか。実際、このようなことが現実に起こり得ることは無いほうが良いに決まっている。しかし、一番怪しいのは、一瞬で人命をこの世から葬り去る危険が高い交通事故だが、何時、自分に不幸な出来事が降りかかって来るかわからない今のご時世である。これで安心を買ったと思えば安いもの(お金は一銭もかかっていないが・・・)である。ぜひあなたも励行してみませんか。些細なことだが、思いのほか不思議と心にゆとりが生まれるものですよ。

 

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