昔話⑦ ~開成山の思い出~
今日は、昨日までの悪天候が嘘のような陽気に包まれた。我が町でもようやく桜が八分咲きとなり、ほどなく満開を迎えようとしている。昨日は開成山野球場で、福島県が生んだ名プレーヤー、中畑清氏を迎え、かくも盛大にオープニングセレモニーを祝った。一階のロビーには、彼の功績を讃え、メモリアルコーナーなる展示場までお目見えした。県内のニュースでは、こぞってこの話題に触れていた。確かにスタンドは明るい雰囲気になった。昔、よくあそこでプレーした私にとっては、バックネット裏に迫り出すようにあった大屋根(庇)が無くなったのが残念至極である。見慣れた筈のあの風景は一掃され、面影すらないほど変わり果てていた。外野を両翼100m、中堅が122mと、プロ野球の公式戦が開催可能な仕様としたため、外野スタンドの芝生席は狭くなった印象は否めない。観客用シートは格段に広く、心地よさそうだった。通路の臙脂とシートの緑のコントラストがよく映え、否が応にも真新しさを演出していた。
昨日は5千人もの市民が新生・開成山野球場の門出を祝福した。さっそく明後日の21日には、パ・リーグの一軍のプロ野球の公式戦がこけら落としを兼ねて実施される。対戦は今季、私が予想したとおり絶好調で首位を独走しているロッテと東北期待の星・楽天である。先だっての週末に岩隈と田中マー君が先発で投げてしまったので、マウンドに立つ姿は見られそうもない。恐らく明日は永井だろうから、長谷部かラズナーが有力。対するロッテはエース小林宏か大嶺だろう。ロッテの強力打線を楽天投手陣が封じ込めることができるかが見所だろう。
私が小中学生時代は、巨人戦やそれこそニューヨークメッツなども来て、試合を行った球場である。福島県営あづま総合運動場のあづま球場やいわきグリーンスタジアムが出来てからは、客足を取られっぱなしだった。パ・リーグとはいえ、久々の開催に市民のボルテージも上がることだろう。でも内環状線・国道49号線・さくら通りは大渋滞は必至。ナイトゲームなので夕刻の帰宅ラッシュはもの凄いことになりそうだ。開成山野球場の歴史については素晴らしいサイトを見つけたので下をご覧下さい。
http://www.city.koriyama.fukushima.jp/pcp/browserPActionCode=content&ContentID=1224591333519&SiteID=0000000000000.html
続いて、せっかく開成山の話題に触れたので、私の想い出を振り返りたい。私は開成山から国道49号線を挟んだはす向かいの私立幼稚園を卒園した。さくら通り沿いから少々入った所に実家があり、2km以上離れていたその幼稚園まで通っていたのだ。
しかも定期券を首からぶら下げ、幼稚園児の身分でありながらバス通学をさせられていたのだ。なぜそんな遠くまで通わされたかは、今もって定かではない。当時(40年以上前)は、近くにザベリオ学園(現在ホテルハマツがある場所)があったが、競争率が高くてなかなか入れなかった。今で言うところの「待機児童」状態だったのだ。また、安積女子高校(現・安積黎明高校)の西隣にあった長者派出所の裏手に「わかたけ保育園」があったが、そこは狭小で運動場もなく、のびのびと走り回れるような場所ではなかった。したがって、当時、大學に併設し抜群の教育力と環境で評判の良かったその幼稚園まで通うことになったようだ。だからロケーション的にも、昼休みや花見のシーズンには、よく園児総出であの30ヘクタールもある広大な敷地面積を誇る開成山公園を散策して歩いたものだった。園内には4000本の桜並木はもちろん、チューリップなどカラフルな花々が植えられた花壇や四季折々の花木が多数植え込まれていた。
また、中央には広大な池(通称・五十鈴湖)があり、当時はまだ噴水はなかったものの、市民のオアシス的な存在で、昼寝や犬の散歩をするには打って付けの場所だった。そして池を跨ぐようにして架かる朱塗りの橋が水面に映え、とても綺麗だった。周囲の長く葉を垂らした柳の木もまた風に揺れて風流だった。池には鯉もいたし、ザリガニも生息していた。またアヒルや軽鴨も泳いでいたと思う。私は覚えていないが、そこには 野鳥園という大きな金網を張り巡らせた見学施設もあったらしい。子供の頃に亡き祖父が撮影したと思われるスナップ写真にそれらしきものが写り込んでいた。また、野外音楽堂も設置され、市民コンサートも開催できるほどの規模だった。また、昭和50年代にバラ園が整備され、5月ともなれば白や黄色、深紅など様々な色合いの可憐な花を咲かせ、市民の目を楽しませている。ところで昭和初期まで開成山公園は競馬場だったのをご存知だろうか?そして今はもう埋め立てられたが、今以上に広い沼地が存在していたという。この周辺には体育競技用施設が隣接していた。競泳場(市民プール)、総合体育館、弓道場、陸上競技場と練習用サブトラックなどがある。また、子供が遊べる遊具施設がある場所には、SLのD51が展示されていて、今はGWのこども祭りの時期にしか開放しないが、かつては自由に運転席に登ることが出来た。
また、内環状線沿いには、最近では、郡山を代表する作家・久米正雄を記念した施設「こおりやま文学の森資料館」が建設されたり、児童文化会館があった場所は、郡山総合教育支援センターに改まった。そして周辺は小川が流れ、その川沿いにはせせらぎ小道が整備された。20年ほど前になるだろうか。その近くにあった白雪姫と7人の小人像が、心許ない犯罪者の手によって破壊される残忍な事件があった。郡山市民の多くが、強い憤りと慚愧に堪えない思いに駆られた負の記憶に苛まれた。
また、子供自分、郡山市の役員をしていた祖父に連れられ、いろんな場所に自由に出入りできた。球場は顔パスだったし、巨人が試合を行った年には、王選手や長嶋監督、中畑選手のアップの生の顔写真を貰い、そこにサインをして貰ったこともある。また、公式戦で、ネット裏の役員席に入れて貰ったこともあり、場内を散策しているうちに、試合中トイレに行く選手を追いかけ、サインをねだったりしたものだ。阪神の外人選手の身長がやたらでかかったことを覚えている。また、陸上競技場で開催された何かのパレードにも駆り出され、風船を持って場内を一周して練り歩いた記憶もある。そして祖父の希望で幼少から剣道と水泳を習っていた。夏休み中に一週間、ナイターの水泳教室に参加し、この開成山プールに通い、コーチを受けたこともある。
そして、極めつけは、今でこそ郡山南IC近くにカルチャーパークが出来て、その一画に遊園地が作られ、観覧車や回転木馬、ジェットコースターなどの大型の遊具を楽しめるようになったが、当時は子供が遊べるような遊園地は皆無だった。ところが、小学生高学年の頃(1974年7月~8月)に、大規模な「こども祭り」(イベント)がここで開かれた。開成山公園をメーン会場に、大人も遊べる多彩な催しが盛りだくさんだった。五十鈴湖にラジコンの船(軍艦)を浮かべて競争したり、イベントにはつきもののトランポリンみたいに弾んで遊べるゴム製のハウスや一番人気はやはりバラ園の西側辺りに築かれたジェットーコースターだった。この施設は、距離が短いながらも、郡山には当時なかったもので、山のハリボテを滝が流れ落ちていて、コースターが潜る際にだけ、一時的にそれがストップするのだ。また、この頃流行っていたホッピング大会とかもあっていろいろ楽しめた。そしてさくら通りを挟んだ 桑野一丁目界隈の空き地が第2会場となっていて、そこから何と陸上自衛隊のヘリコプターが発着し、有料ながら郡山市内を空から探索できるアトラクションまで備えられていた。恐らくそこは自衛隊の専用コーナーだったと思う。覚えているのは、健康チェックできる保健コーナーが設けられ、そこで生まれて初めて肺活量を測定したと思う。未だにその時の数値が2900ccだったことを鮮明に覚えている。そして、これらのイベントの期間、PRを兼ねて郡山市内の上空を巨大な飛行船が何度も旋回していた。確かシルバーで大きな目が描かれてあった。そして失敗談になるが、よせばいいのに当時仲の良かった悪ガキ3人組で、誰が言い出しっぺなのかは今となっては確かめようがないが、カラオケ大会に出ようということになって、勢いで申し込んでしまった。その特設ステージで、いざ公衆の面前立ったら足がすくみ、声にならないか細い声で歌った気がする。その時の歌がまた、海援隊(武田鉄矢ボーカル)の「母に捧げるバラード」だった。思わぬ赤っ恥をかくこととなってしまった
。
このこども祭りと同時開催で、開成山公園がかつて日本中のロック・ファンの間で有名になったイベントがあった。それは、「ワンステップ・フェスティバル」という名前の、名だたるロックアーティストを一堂に会しての音楽イベントだった。7月31日から8月10日までの11日間に渡って開催され、そのうちロック・コンサートは8月4・5日、8~10日の5日間行われた。地元でミニコミ誌を主宰する佐藤三郎氏が実行委員長を務め、「街に緑を、若者に広場を、そして大きな夢を」というテーマを掲げ、地元地域に根ざした形で発案されたものだった。フェスティバルのスローガンは「市制50周年記念・新しい未来への祭り・・・緑と広場そして大きな夢」というものだった。そして、ロック・コンサートはその一環として行われ、大盛況だったようだ。沢田研二、矢沢永吉率いるキャロル、ダウンタウンブギウギバンド、かまやつひろし、オノ・ヨーコなども出演したのだった。
http://www.city.koriyama.fukushima.jp/upload/1/2061_2008_9musicpower.pdf
http://www.youtube.com/watch?v=cTJXY0yW6JA&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=CUH6L18scfQ
そして野外音楽堂についても想い出がある。それは25歳の時に、中学時代にギター&CB無線をやっていた仲間で、この野外音楽堂を貸し切ってコンサートを開いたのだ。どういう訳か私もステージに上げられ、音響室に入ったり、ビデオの撮影係をさせられた。その友人は郡山市公会堂でもミニコンサートを開くほど歌好きな野郎だった。一体今彼はどこで何をしているのやら・・・。ここで言う彼とは、昨年郷里に凱旋し、「風とロック」のコンサートを大成功させた我が同級生の「箭内道彦氏」ではないのであしからず。
また、付随して述べれば、小学生時分に母の運転する車でここの西側の駐車場を訪れ、何と緩やかなスロープを利用してスキーの直滑降の練習をしたこともあったし、浪人時代は予備校にも行かず、この公園のテーブル付きベンチでひたすら大学受験の勉強をしていたこともあった。以上見て来たように、郡山市に生を受け、長年暮らしているとやはり愛着が湧くし、様々な想い出が染みついている場所だと言える。昔と変わらず現在も開成山公園は市民の憩いの場であり、経済県都・郡山の発展を見守って来た場所でもある。県内広しと言えど、人口33万人の中核都市で、市街地のど真ん中に30haもの巨大な公園を備えた都市は希少だろう。繁華街を離れ、郊外に引っ込んだ今、春と秋の大植木市以外になかなか開成山を訪れる機会はなくなったが、童心に返って、どれくらい「今昔物語」が進んだかこの目でしかと確認したいものである。
追記:平成24年8月27日(月)
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