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2010年4月 6日 (火)

懐かしのBCLブーム

 BCLをご存知だろうか。BCLのジャンルを世に知らしめ、その道のスペシャリストとして君臨し、元祖BCLブームの火付け役となったのが山田耕嗣(下の写真)さんだった。海外を始めとするSW短波放送の受信方法や報告書の書き方、ベリカードが自宅に届くまでの一連の楽しみ方について、わかりやすい解説と手ほどきをしてくれた第一人者だった。私は中1の頃、友人たちの間で流行していたそのBCLブームに便乗する形で、彼が書いた「BCL百科」と云う入門本を買い込んでその存在を一から知ることとなった。残念ながら彼は、2008年の8月に肝臓の病気により67歳の若さでこの世を去った。誠に残念至極である。

Yamada  そもそもBCLとは、Broadcasting Listening / Listener の略である。主に海外から発信される日本向けの短波放送を聴視する趣味を指し、有名どころでは「北京放送」や「モスクワ放送」、「ラジオオーストラリア」や「アンデスの声」、「BBC放送」などがある。よくFENと間違える人がいるが、あれはFar East Networkの略称で、在日の外国人向けの極東軍事放送(極東にいるアメリカ軍の軍人および家族向けの放送)だった。1997年8月、そのFENはAFN‐Pacificと改称された。また、英語のまま放送していたアメリカのVOA(Voice of America)などもBCLを代表する一種であった。私はよく中学時代に、英語の勉強にもなると考え、夜な夜なラジオのダイヤルを合わせ、耳を澄まして聞いたものだが、当時は多少の雑音や混信もあって、何を喋っているのか皆目見当がつかなかった。でもラジオから聞こえてくる異国の文化に、直に触れることのできる滅多にないチャンスだった。何か新鮮さと共に刺激的で、新しい未知なる世界に首を突っ込んだような、言い知れぬ不思議な感覚を覚えた記憶がある。

 日本では、1970年代に脚光を浴び、中高生を中心に流行したBCLだったが、時同じくして、その頃の日本は深夜放送が一大ブームとなっており、人気DJ達が深夜零時から朝方の5時頃までマイクを握り、リスナーと一体となった歌とおしゃべり、リクエストに応えるラジオ番組を展開し、夜のしじまを盛り上げていた。局のアナウンサーではなく、歌手や有名タレントがDJを担当する画期的なスタイルが確立され、この頃に世間に広まったコンビニと合わせて「夜型人間」なる新語まで生まれたほどだ。その頃の人気番組は、ニッポン放送(JOLF)の「オールナイトニッポン」や文化放送(JOQR)の谷村新司が一時代を築いた「セイヤング!」、「走れ歌謡曲」、TBSの夜中の3時から始まる「いすゞ歌うヘッドライト~コックピットのあなたへ」などが毎日のように放送されていた。特に私が好んで聴いていたのは、土曜深夜の笑福亭鶴光の「オールナイトニッポン」。「わんばんこ」の挨拶は時代を作ったし、青山墓地からの臨場感あふれる生放送はリスナーを釘づけにした。ちょっとHなハガキ紹介や名物コーナーは、中学生だった私には刺激的だった。他にビートたけしやタモリ、中島みゆき、リスナーからの生電話で恋の悩みに即答するラジオっ娘がパーソナリティーを務めた同番組は欠かさず聴いていた。番組の中で流れるジングルで、「ビバ~ヤング、パヤパヤ~ビバヤング!」や「オールナーイトニーッポーン」は今でも耳に残っている。当時の福島県はラジオ福島ではネットしていなかった。0時15分から45分間放送していた「夜をぶっ飛ばせリクエストで45分!」が地元では人気深夜番組だった。荒川守アナや菅原俊二アナ、そして大和田新アナらがマイクを握っていた。浪人生の頃にようやく「オールナイトニッポン」が福島でもネットされるようになった。また、「歌うヘッドライト」では、木曜日の石渡のり子さんが大好きだった。オープニングのトラックのクラクションをモチーフにした軽快な音楽は心地よかったし、エンディングの「夜明けの仲間達」を聞きながら朝焼けを迎えるのは格別だった。当時、浪人していた私が毎日受験勉強をしながら元気づけられていた、言うなれば「夜の友」だった。また、地方都市の郡山市に住んでいた私は、都会の情報や流行の曲をチェックするのも一番手っ取り早い方法だった。また、日本短波放送「NSB」(後のラジオたんぱ→現在のラジオNIKKEI)の看板アナだったのが大橋照子さんだった。あの頃は女子アナは今ほど人気が爆発することはなかったが、彼女は別だった。チャーミングで身近な印象を醸したことに加え、可愛らしい声と優しい話し方が超ウケた。ところで、ラジオの一大改革をご存知だろうか。電気通信局(通称電波監理局)の方針で、1978年11月23日を境に周波数の変更が大々的に行われたのだ。ニッポン放送を例に出すと、昔は1240KHzだった。TBSは950KHz、東北放送は1620KHzというように、10KHz間隔で設定されるキリの良い数字だった。それが9KHz間隔に改められ、1242KHzのように、最後が端数で終わる中途半端な数になってしまったのだ。その状態は今もなお続いている。

Tryx2000  さて、話を本題に戻すと、BCLにハマっていた自分が中学時代に行っていたことを紹介しよう。まず、BCLを行うにはそれ専用のラジオが必要となる。つまり、AM(中波)放送やFM放送だけでなく、短波放送(SW=short wave)の周波数が聞こえる特別仕様のラジオである。当時、BCLブームに絢かってスタイリッシュで格好の良い受信機が各メーカーからこぞって発売されていた。まず、一番人気は横長の軍隊の無線送受信機を思わせるような深緑色の「クーガ2200」という機種。てっぺんにT字型のアンテナが付いていて、それが回転し、とても高級感があった。当時の物価で、ラジオだけの機能なのに定価34,800円もした。受信周波数はMW525~1605KHZ、FMが76~90MHZ、そして短波はSW1~SW6まであって、4MHZ~28MHZまでをフルカバーし、極めて高性能だった。また、SONYが発売した縦置き型の「スカイセンサーICF5900もバカ売れした。私と兄が共同で所有していたのが東芝製のTRY-X2000という縦長の機種だった。親にねだって無理して買ってもらった記憶がある。MW525~1605KHz、FM 76~90MHz、SW 1.6~30MHzで、短波直読を売り物に発売された機種であり、SW直読範囲は3.9~4MHz、4.75~5.06MHz、5.95~6.2MHz、7.1~7.3MHz、9.5~9.775MHz、11.7~11.975MHz、15.1~15.45MHz、17.7~17.9MHz、21.45~21.75MHz、25.6~26.1MHzを網羅していた。同じ東芝製の旧型機のTRYX-1600のマーカーがLC発振だったのに比べ、1MHzの水晶発振になっていた。また昔の通信型受信機に良く見られるダイアル指針アジャスト機構を備えているのでFMとMWも周波数の読み取り精度が高い、校正すれば、ほぼ正確に読み取れる、中々楽しい機種だった。アンテナが左端にコンパクトに装備され、回転式になっていたのもユニークなデザインだった。このラジオは1976年に発売され、28,900円だった。私は夜な夜なこのラジオを使って、チューニングし、世界各国を“旅”していたのであった。

Tbs

 次に、ただラジオを聴いて楽しむだけがBCLの能ではない。それを既製ハガキか便箋型の用紙に、番組のタイムスケジュールに沿ってどんな内容を放送したかを詳細に記録する「受信報告書」なるものを書き、それをその放送局に送るのだった。海外の放送局にはもちろんエアメールと国際返信切手券(IRC)を購入し、横文字で封書に住所を書く。これがなかなか国際的な感覚を味わえて楽しかった。すると数週間後に更なる楽しみがあった。それは受信報告書を送った放送局から返礼品として送られてくる「受信確認証」(通称ベリカード)だった。これをたくさん集めて友人と枚数を競い合ったものだ。凝り性の私は、それこそ国内のラジオやテレビ局、それに外国の短波放送から英語放送まで幅広く報告書を送り、短期間のうちに100枚以上もベリカードを溜め込んだ。負けず嫌いの私は、校内一の枚数を保持していた。このベリカード、言ってみれば何の変哲もないその放送局でデザインした写真やイラストなどが入った絵葉書みたいなものだが、そこに妙な価値観を見出し、さまざまな絵柄のカードを数多く集めることに深い意義を抱いたのだった。実はこのカード収集にも、実は裏技があったのだ。例えば日本テレビ系列の番組を見て、番組内容を記録する。そして同時に、番組中に流れるテロップで「この放送は~テレビ、~放送」というネット局紹介をチェックし、報告書にこう書くのだ。「この放送は、旅行中○○県に滞在した際に観た物です。」と。これで福島県に居ながらにして、いろいろな県のベリカードを集めたものだ。ちょっとえげつない姑息な感じだが。ラジオでは、22時から放送していた「日立ミュージック・イン・ハイフォニック」という番組でよく同じ手を使った。ところで地元の「ラジオ福島」のベリカードは、裏磐梯の桧原湖と一切経山から噴煙が立ち上っている写真のカードだった。一番人気があったのは、TBSのモノ。取材記者のイラストが描かれていた。ネットで「VERI CARD COLLECTION」という名のサイトがあって、各放送局で製作していたベリカードの一覧が写真入りで載っていた。驚くことに、ほとんど全てのカードを私はかつて所有していたのだった。30年振り以上に見たが、恐ろしいことに全部デザインを覚えていた。恐らく、無頓着な母親によってとうの昔に捨てられたのだが、私にとってはそれは青春時代を彩る貴重なお宝だった。ちなみに受信報告書には以下のような内容を記載した。 

  • 受信者の住所・氏名(放送内容に関する感想・意見との関係で必要があれば、年齢、職業、性別も記載するとよい。)
  • 受信地(緯度・経度(世界測地系)で記載するのがよいが、例えば日本国内で日本国内の放送局の電波を受信した場合には都道府県市町村字番地によってもよい。この場合、何番何号まで精確に記載する。)
  • 受信年月日(日本標準時(JST)と協定世界時(UTC)での日付けの違いに注意する。)
  • 受信時間と時刻(日本国内局の場合は日本標準時(JST)でもよいが、国外局の場合には協定世界時(UTC)により記載する。)
  • 受信した電波の型式・周波数(確認できれば送信所名も記載するとよい。)
  • 受信設備状況(使用受信機・受信アンテナの種類・利得・地上高など。ポケットラジオによる受信は「内蔵バーアンテナ使用」又は「フェライトバーアンテナ」になるが、受信設備状況の報告はできるだけ詳細なほうがよい。)
  • 受信状況(信号強度・混信・ノイズ・フェージング・総合評価を5段階の数値で表したSINPOコードによるものが通例だが、電界強度など数値で厳密に記載したものがよりよい。)
  • 放送内容(言語及び受信時間中の時刻毎の番組内容の概略。例外もあるが、内容が確認できるものであればよく、特に放送局を識別するコールサインなどと、これが放送された時刻を明記するのがよい。)
  • 放送内容に関する感想・意見(技術文書であることから、簡略なものでよい。別途番組制作担当者宛てとして詳しく書いたものを同封するのもよい。)
  •  これに受信確認証の発行を依頼する旨の文面と受信確認証の送付先を明記し、日本国内局の場合には返信用郵便切手、ベリカードのみ希望の場合にはその旨明記して50円、封書でベリカードのみ希望の場合にはその旨明記して80円、番組表等を併せて希望する場合にはその旨明記して、90円~120円程度を同封する。国外局の場合には郵便局で購入可能なIRC(国際返信切手券)と返信先を書いたシールを同封する。

     このようにBCLは、私にひとつの趣味としての楽しみを分け与えてくれた。それを世間に公表し、紹介してくれた山田耕嗣さんに感謝したい。最後に、その偉大なる山田さんの略歴を改めて紹介して結びとしたい。

     山田 耕嗣(やまだ こうじ、1940年12月17日 - 2008年8月19日)は放送評論家。東京都台東区浅草出身、立教大学文学部卒。血液型B型。愛称猫屋敷。元キングレコードディレクター。1955年から国際放送に関心を示し、1970年代から1980年代前半にかけてのBCLブーム期には、「BCLの神様」と呼ばれた。著書には、「新BCLマニュアル」「ベリカード・コレクション」などがあるが、1977年から1982年まで毎年刊行され、小中学生にBCLを紹介した「入門BCLブック」は特に有名。晩年は日本短波クラブの会報「SW DX GUIDE」で「今夜も笑いかわせみ」を連載していた。以前は、KBSワールドラジオ日本語放送の毎月第1土曜日の『ラッコのいきいき週末』(現在は終了)に出演し、BCL情報を提供していた。2008年8月19日23時頃、闘病中のところ薬石効なく千葉県内の病院で亡くなった。享年67。心よりご冥福をお祈り申し上げます。

     http://www.youtube.com/watch?v=fZCcBDdpnOA

     美しいベリカードの数々(ニッポン放送・中部日本放送・ラジオ福島)

    NipponCbcFukusima

    Toukai Bunka

    (東海ラジオと文化放送)とても懐かしい。すべて所有していた。   

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