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2010年6月11日 (金)

伝説の硬派系バンド

 私がこの世に生を受け半世紀近く経過した。その間、様々なジャンルのヒット曲が時代を彩り、ミュージックシーンを塗り替えて来た。これまで幾度もそうした話題に触れて来たが、その中でも今回は特に、今は解散したり、活動を休止してしまい、あまりお目にかかることのできない20世紀を席巻した「伝説の硬派系ロックバンド」を取り上げたい。私は古いタイプの人間なので、昔のジャズやディスコティックな音楽やフォークは聞いても、最近のロックやヘビメタ、R&V系は聞かなくなった。どちらかと言えば、30代だった20世紀のロックシーンの方がバンドとしての登場は衝撃的だったし、そのコンセプトも完成度が高く、頑強だった気がする。世代的には1960年代のビートルズに感化され、見よう見まねで相次いで結成された俄かGSブームは当てはまらず、1977年(昭和52年)以降のニューミュージックブームが中高生時代だった。その頃、外国では、派手なメイクと衣装が印象的だった「キッス」やフレディー・マーキュリーのボーカルが超パワフルだった「クイーン」、ミック・ジャガー率いる「ローリング・ストーンズ」などが時代の寵児だった。

 一方日本では、古来の雅楽に代表されるように、スローテンポでゆったり系の音楽を愛する風潮と、和(侘び寂び)を貴ぶ民族だったため、8ビート以上のリズムカルな旋律は、一部の若者を除き受け入れがたい風潮があった。それを見事打ち破ったのは、やはり世代を越えて人気を博した「ザ・ビートルズ」の影響が大きいだろう。彼等の出現を境にしてミュージックシーンは大きく変わった。空前のバンドブームが世界規模で起き、音楽界への革命をもたらした。日本ではGS(グルーウサウンズ)ブームがその典型で、「ブルージーンズ」、「ブルーコメッツ」、「ザ・タイガース」、「ザ・サベージ」、「ジャガーズ」、「ザ・スパイダース」、「ワイルドワンズ」、「ザ・モップス」などが次々とデビューした。そのバンド名を聞けば、「ザ・ビートルズ」を意識した(と言うより模倣した)ネーミングであることは明らかだろう。舶来品を有り難がる当時の日本人の気質を象徴している。その熱狂的なブームは1968年頃まで続いたが、ブームが去れば、たちどころに解散していく末路を辿った。そしてその後、カレッジフォークブームやニューミュージックブームが巻き起こった。楽曲を他人に委ねず、自らが作詞作曲して歌う、シンガーソングライターと呼ばれるジャンルである。アリス・ゴダイゴ・甲斐バンド・オフコース・チューリップなどがその代表格である。そこで今回は、GSブーム以降に颯爽と登場し、ジャパニーズロックをリードし、音楽界に新風を吹き込んだ「伝説の硬派系ロックバンド」を20世紀限定で、しかもカウントダウンのランキング形式でお送りすることにする。最初にお断りするが、この順位は独断と偏見で無作為に選び出したものなので、「あのバンドはどうしたんだ?」とか「このバンドが入っていないのは納得できない」とかいう苦情はご免こうむりたい。あしからず。

 第10位 「ツイスト」

Twist  このバンド、デビュー当初は「世良公則&ツイスト」だった。日本のロックをメジャーに押し上げた先駆者である。1977年、バンドデビューの登竜門だった「ヤマハポプコン→世界歌謡祭」の出身である。そのコンテストでグランプリを獲得したのだが、実はデビューまでは紆余曲折あったとされる。グランプリ獲得時のメンバーとデビューメンバーが全く違っているのだ。かくしてふとがね金太(ドラム)をリーダーに鮫島秀樹(ベース)、神本宗幸(キーボード)ら6名のメンバーで構成。そして長髪で細身ながらパワーとパンチの効いたボーカル・世良公則で大人気となった。デビュー曲の「あんたのバラード」はこれまでの曲調とは明らかに趣を異にする衝撃があった。歌詞も斬新で、酔いどれ女性の本音を歌い上げていた。黒皮のSMを彷彿させる衣装と腕のベルトなどそのルックスもさることながら大股開きで派手なアクションで世の女性は酔いしれた。その後、「宿無し」や「銃爪(ひきがね)」、「性(さが)」、「燃えろいい女」など次々ヒット曲を飛ばし、迂闊に街を歩けないほど人気を独り占めした。その後、メンバーの入れ替えがあって、作風も変わって行った。しかし、1980年に発売した「LOVE SONG」が、最後のチャートイン曲となり、1981年12月25日に解散した。ベーシストの鮫島は、その後、幾つかのバンドを転々とし、大友康平率いる「HOUND DOG」に加入した。

 第9位 「クリスタルキング」

Crystal_king  このバンドが硬派かどうかは疑問だが、コンセプトや出で立ちは間違いなくチャートインするであろう。このバンドもまたヤマハポプコン→世界歌謡祭グランプリ受賞がメジャーデビューのきっかけとなった。誰もがご存知の「大都会」が1979年に大ヒットした。独特なイントロといきなりカン高いサビから入る歌い出し。一度聴いたら忘れられないメロディーだろう。「♪嗚呼~果てしない~夢を追い続け~」という例の歌詞である。普通の人がカラオケで歌うと血管が切れそうになるほど音域が高く、とても人間業とは思えない。リードボーカルでこの高音を担当したのは田中昌之、そしてサングラスで強面な感じの低音担当がムッシュ吉崎(勝正)だった。このコンビが歌うこの「大都会」は、驚くなかれ150万枚のミリオンセラーを記録した。ただこのイメージがあまりにも強烈過ぎて、翌年発売した2曲目の「蜃気楼」は50万枚止まりだった。やはり曲調が似ていたことでパッとせず、2匹目のドジョウはいなかった。そして3曲目の「処女航海」の頃には、一時の勢いがすっかり失せ、存在感と同時にその輝きは消えて行った。

 
 第8位 「ザ・ロッカーズ(THe ROCKERS)」

Rockers  このバンドは知る人ぞ知る1980年代初頭、日本中に吹き荒れたジャパニーズ・ロック・ムーブメントの中心にいたモッズ、ルースターズ、ロッカーズ。彼らは皆、九州・博多にある伝説のライブハウス「昭和」出身だったことから、地元の特産物・辛子明太子にちなんで「めんたいロック」と呼ばれていた。リードボーカルは、現在も俳優活動を継続している、あの陣内孝則。今からは想像も出来ないほどの過激ロックの急先鋒だった。コスプレも得意で、見た目は50’sファッションを取り入れ、トラッド系との融合も図っていた。リーゼントをより誇張したロックンロールヘアーも凛々しく、派手系ロックの代表格だった。何度かのメンバー・チェンジを経て1978年にデビューメンバーである5人が揃った。当時としては衝撃的なそのリズムスピードと奇抜なルックスで注目を浴びたが、1981年末には穴井と鶴川が脱退。翌年6月には解散してしまう。1980年代初頭の日本のロック・シーンをその高速ビートとともに一気に駆け抜けて行った。代表作は「黒い眼をしてU.S.A」、「プライベートタイム」、「涙のモーターウェイ」、「冷たくしないで」など。

 第7位 「RCサクセション」

Rc 忌野清志郎をフロントマンとし、「King of Rock」「King of Live」の異名をとるなど日本語ロックの成立や、現在日本で普通に見られるロックコンサート、ライブパフォーマンスのスタイルの確立に大きな影響を及ぼした。実際、RCサクセションに影響を受けたと公言するミュージシャンは非常に多い。また、彼らが発信するファッションや言動などは音楽業界にとどまらず若者の間でサブカルチャー的存在とまでなり、1980年代を中心にまさに時代を席捲した。その後、1991年より無期限の活動休止状態に入ったまま復活することはなく、2009年5月2日に忌野が癌性リンパ管症のため死去した。メンバーは意外に多く9名編成。「僕の好きな先生」「スローバラード」「ヒッピーに捧ぐ」「ステップ!」「雨上がりの夜空に」「トランジスタラジオ」「いい事ばかりはありゃしない」「君が僕を知っている」「キモちE」などマニアックな作風と凝ったステージ衣装、パンク調の派手な化粧も歌い方も一種独特で、他のバンドにない独創性に溢れたパフォーマンスでも注目を浴びた。彼は他のミュージシャンに多大な影響を与え、カリスマ的存在に上りつめた功績は大きい。彼が亡き後も、その存在感は薄れることは決してない。

 第6位 「横浜銀蠅」

Ginbae  1980年代に流行した空前の「ツッパリブーム」。その先頭を走っていたのがこの「横浜銀蠅」だった。ポマードを塗りたくったギンギンなリーゼントの髪形にサングラス、ライダー皮ジャン、白いドカン(鳶職仕様ズボン)という独特の服装をギミックして登場。「ツッパリ」、「暴走族」といった当時の時代風潮に乗り一気に若者の人気を獲得した。「ツッパリの中のツッパリ」として、グレた若者にとって、教祖的な存在となった。楽曲としては、4人で演奏するシンプルなロックンロール、バラードなどから、笑いを誘うコミックソングまで幅広いものがある。メンバーは4人で、翔(ボーカール兼ギター)、Johnny(ボーカル兼ギター)、TAKU(ベース兼ボーカル)、それにリーダーの嵐(ドラム)だった。彼等の存在を一躍世に知らしめたのが、「ツッパリHigh School Rock'n Roll」で、登校編、試験編などが作られた。また、軽快な「お前サラサラサーファー・ガールおいらテカテカロックンローラー」や「あせかき ベソかきRock'n Roll Run」もヒットした。彼等は一見、単なるハチャメチャ軍団のように映るが、リードボーカルの翔は横浜国立大学卒業の秀才。残念ながら覚せい剤によって3度に渡って逮捕されてしまった。バンド1人気があったJohnnyも神奈川大学卒業のエリートだった。ソロシングルも大ヒットした。歌だけでなく、イントロや間奏部分で時折見せるツイストも好評だった。その後、嶋大輔が見習いとしてメンバー入りし、その後正式に一員となった。彼等の妹分の岩井小百合もまたデビューした。彼女は’50sをモチーフとしたファンションで魅了した。

 第5位 「X JAPAN」

Xjapan_2 1989年にX(エックス)としてメジャーデビュー。その後1992に現在の「X JAPAN」に改名。1997年に解散し、暫くの沈黙を破り、2007年に再結成。通称はX。1992年、千葉県館山市で当時高校生だったYOSHIKIとTOSHIを中心に結成。アメリカのヘヴィメタル/ハードロックバンド「キッス」に影響を受けた派手なルックス(パンク調のメッシュを入れた長髪と化粧や衣装)で、日本では後に「ビジュアル系」と言われるロックの先駆者的存在とされ、後続のバンドに大きな影響を与えた。また、小泉純一郎元総理がファンの一人として知られている。1998年にバンドメンバーでギター担当だったHIDEが急逝。彼の葬儀告別式には、ファン数万人が駆け付け、長蛇の列が出来るほどその人気の凄さを印象づけた。主な代表曲はデビュー曲の「BLUE BLOOD」、「紅」、「ENDLESS RAIN」、「Silent Jealousy」、「FOREVER LOVE」などである。
 

 第4位 「ダウンタウンブギウギバンド」

Downtown  1972年末にサディスチックミカバンドに対抗した長いバンド名「ダウン・タウン・ブギウギ・バンド」を思いついた宇崎竜童が、当時のバンド仲間(アマチュア)にレコーディングの話を持ちかけたところ全員怖気づいて解散状態になる。その後メンバー集めに奔走し、1973年4月に改めて5名編成のバンドを結成、ダウン・タウン・ブギウギ・バンドと命名する。同年12月にシングル「知らず知らずのうちに」でデビュー。その暴走族をイメージした皮ジャンスタイルの超ワル的な装いは、当時斬新で、誰もが怖がったほどだ。1974年12月に「スモーキン・ブギ」、1975年3月に「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」を発表。基本的にブルースを基調としたロックサウンドを展開するバンドだったが、流行語化した「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」内のフレーズ「あんた、あの娘のなんなのさ?」に見られるようなコミカルな部分が注目され、人気バンドとなる。1975年末にはNHK紅白歌合戦に出場し、「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」を熱演。その後もヒット作を多く発表したが、1970年代末にロック路線を望むバンドとコミカル路線を望むレコード会社の間に大きな溝が出来た。1980年に一部ファイティングという名称を加え、再結成したが、同年暮れに解散となった。その後、宇崎はソロの作曲家として活動。妻・阿木耀子との夫婦で楽曲に取り組み、山口百恵などにロックンロール調の曲を提供し、大成功を収めた。

 第3位 「BOOWY」

Boowy  BOOWYは1981年に結成され、1988年に解散した、当時絶大な人気を博したロック(ビートロック系)バンド。メンバーは4人。ヴォーカルの氷室京介、ギター担当の布袋寅泰、ベース担当の松井恒松、ドラム担当の高橋まこと。3人が途中で脱退した。1981年のデビュー当時は「暴威」という和名だったが、翌年BOOWYと改名した。1stアルバム「MORAL」をリリース。当時はライブハウスを中心に活動していた。サンプル盤の「OH! MY JULLY」のB面、「FUNNY-BOY」が新宿有線で3週連続1位を獲得して脚光を浴び始める。1986年以降出したシングルが爆発的な売れ行きとなり、一気にメジャーの仲間入りを果たした。1986年の「わがままなジュリエット」、「B・BLUE」、1987年には「ONLY YOU」、「MARIONETTE」を立て続けに大ヒットさせた。しかし、同年のクリスマスイブで開催されたコンサートの席上で突如解散発言をし、熱狂的なファンを落胆させた。テレビには殆ど出演せず、この頃、ZARDが同じ手法でCDセールスが圧倒していたため、覆面バンドと称された。氷室京介はルックスも歌も抜群で、ステージでは熱狂する女性が後を絶たなかった。

 第2位 「クールス」

Cools  クールス(COOLS)はアメリカンロックンロールをとりいれたロックバンド。現在も活動中。11975年年のバンド結成(前身のバイクチームの結成は更に前年)からすでに30年以上も続いているロックバンドなのだ。BUCK-TICK、元チェッカーズの藤井フミヤなど、その影響を受けたミュージシャンは数多い。このバンドの出発点は、原宿において1974年12月、舘ひろしをリーダー(チーム内での呼称は「ボス」。岩城滉一(同じく、チーム内での呼称は「コーちゃん」)をサブリーダーに結成されたモーターサイクルチーム(暴走族)が原点。 「暴走族」とはいっても、日本のいわゆる暴走族のように特攻服や竹やりマフラーではなく、アメリカの「ヘルズ・エンジェルス」を手本とした、おしゃれとかっこよさを追求したチームであった。そのことは当時リーダーの舘ひろしが語った「どうすればかっこよくなれるか、それだけしか考えていなかった。」という言葉にも表れている(とはいっても不良集団だったことには変わりない)。当初、舘ひろしはバンド結成については否定的であったが、熱心なキングレコードの若手社員に説得され、「チームのメンバーを食べさせていくため。」バンド結成を決意する。キャロル解散後の1975年9月、チームの中から選抜された7名とバンド結成から参加の大久保喜市(バイクチームの中でベースを弾ける人間がいなかったことから、ジェームス藤木が舘に大久保を紹介した)の計8名で、アメリカンロックンロールバンド「クールス(COOLS)」としてシングル「紫のハイウェイ」でデビュー。その際、岩城滉一は参加しておらず、そのまま俳優となった。主なヒット曲は、「紫のハイウェイ」、「シンデレラ」、「Mrハーレーダビッドソン」、「あの娘はステディガール」、「恋のゴールデンリング」、「ひびわれたグラス」、「追憶」、クライマックス」などである。男所帯でとにかく硬派を絵に描いたような凄味が感じられた。
 

 第1位 「キャロル」

Carol  1972年にデビューし、1975年に解散。僅か3年という短期間の活動ながらも強いインパクトを残し、以降の日本のロックシーンに大きな影響を与えた伝説のバンドと称される。その中心的役割を果たしたのが、ベース兼ボーカルの矢沢永吉だった。彼はとにかく特別でカリスマ的な存在だった。とにかく格好良かったし、何をやっても絵になる男だった。そもそもこのバンド結成の経緯は、矢沢永吉が自ら書いた貼り紙で募集をかけたものだった。ちなみにそのとき貼り紙の文句は、「ビートルズとロックンロールが好きなヤツ、求ム!」であった。もともと、「ビートルズ」のコピーバンドとしてスタートし、ハンブルク時代の「ビートルズ」のロッカーズスタイルをモデリングことで注目を集めた。2人目はジョニー大倉(現・俳優)。彼はサイドギターとボーカルを担当した。当初、バンドのコンセプトをつくっていたのはジョニー大倉だった。「キャロル」というバンド名に始まり、革ジャンにリーゼントというスタイル導入も彼の発案によるもの。矢沢の力強いボーカルは当時から大物の片鱗を見せており、ジョニー大倉の日本語と英語をミックスさせた作詞センスは、後のアーティスト、作詞家に影響を与えることになる。また、日本語を英語風に発音する歌い方は多くのアーティストが模倣した。彼ら以外のメンバーは、内海利勝(リードギター兼ボーカル)とユウ岡崎(ドラムス)だった。しかし、メンバー間で軋轢が生じ、1975年4月13日、日比谷野外音楽堂で惜しまれつつ解散。矢沢永吉はソロ活動に転じ、日本を代表するロック・ミュージシャンに成長した。主な代表曲は「ルイジアナ」、「ヘイ・タクシー」、「やりきれない気持」、「彼女は彼のもの」、「ファンキーモンキーベビー」などである。曲のタイトルもかなり「ザ・ビートルズ」のロックビートを意識したものとなっている。リーゼントで決めたバリバリの硬派で、男臭さが滲み出るロックバンドだった。彼等が出現したことにより、その後の硬派系バンドの流れを継承することとなった。

 それ以外にも番外編として、多少異質だが「聖飢魔」、「HOUND DOG」、「Gray」などがこの硬派系のバンドではないだろうか。さて、紹介したこの10グループの中で、現在も活動中なのは「クールス」と「X JAPAN」ということになる。1960年代の空前のGSブームに始まり、70年代のニューミュージックブーム、そして80年代のアイドルブームとテクノポップブームを経て、1990年代には、「イカ天」を起爆剤として再びバンドブームが沸き起こった。20世紀後半の音楽界は、様々なジャンルの融合があった時代でもあった。それぞれの個性溢れるコンセプトや独自のスタイルを、音楽を通して主張して来た。それは本を正せば、図らずも頂点に君臨し、崇拝されるべき存在だった「ザ・ビートルズ」が落とした影であり、それに多大な影響を受け、感化され、音楽活動にのめり込んだ若者達であった。今、その世代は40代~60代となり、昔取った杵柄の再来とばかりに奮闘し、「オヤジバンド」として俄にブームを呼んでいる人達である。最近の音楽は、アイディアが出尽くした感は否めないが、新たな発想や視点で創造性豊かな独自の音楽を世に送ってくれることを大いに期待したい。この21世紀は、どんな音楽、そしてバンドが隆盛を極めるのか楽しみである。
 

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