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2010年7月 8日 (木)

懐かしいモノ大集合

 本日の折り込み広告で、「郡山・田村」の昔懐かしいスナップ写真やポートレートを集めた写真集が9月に発売されることを告知していた。9,900円と値段は張るが、昭和初期から現在の郡山の街並みや人々の暮らしを比較する上で第一級の資料となるだろう。今から10年以上前に、やはり同じような写真集が発売され、反響が大きかったようだ。私の行きつけの食堂に置いてあって、それを懐かしく眺めながら昼食をすると、平気で一時間は長居してしまうし、私のような昭和39年生まれのアナログ人間にとっては、昔話をし出すと止まらなくなってしまうが、話のタネにでも一冊購入を検討したい。そういう経緯もあり、今日は、私が子供の頃、実際に自宅にあったり、昭和ノスタルジーを甦らせてくれる懐かしい品々を紹介したいと思う。

1. ポケットカメラ(昭和50年代)

 この頃ポラロイドカメラを始め、カメラの小型軽量化が図られた。当時は舶来のコダックは少数で、大部分は富士フィルムとサクラカラーが主流だった。メーカーも国産はオリンパス、キャノン、ニコン、ペンタックスくらいだった。そんな折り、珍しい形の小型のフィルムが新規発売された。ワンタッチ装填可能で、フィルム自体もひとコマが小さくて細い形状だった。今は廃盤になっていて、ヨドバシあたりでもこの手のフィルムはもう入手出来ないと思う。一時はその手軽さからヒット商品になったが、「写るんです」の台頭により、シェアを奪われ、完全に市場からも姿を消すこととなった。

Pocket_camera Pocket_film 

2.卓上式レコードプレーヤー(昭和40年代)

 昔、祖父が踊りをやっていた頃、祖父の自宅に、この卓上式のプレーヤーがあった。実際は紅白のプラスチックの外見であり、軽量で、小型のポータブルであった。あまりにもコンパクトなのでLP盤(33回転)は外側に大きくはみ出し、レコード針も廉価で使い捨てのような粗悪な物を使用していた。

Record_player

3.黒電話

 ダイヤル式でアナログ。小学生の頃までは実家の電話はこれだった。回すと「ジーコ・ジーコ」と音がし、留守電機能もなければ、ナンバーディスプレイもない、電話をかけて「話す」だけの単純明快な通信機器であり、実は、1986年以降、大学3~4年時の私の部屋にあった電話もこれだった。

Black_tel

4.テレホンカード

 私は今でも「電電公社」時代のテレカを大事に持っている。恐らく相当なプレミアがついていると思う。一時はアイドル歌手の超人気の物や国家的イベントを記念して出された物が持て囃された時期があり、商品の販売促進とコラボで出された希少価値が出るような代物が多くあった。しかし、携帯電話の急速な普及により、徐々に街角の電話ボックスが減り、テレカも20世紀(ミレニアム)を最後に終焉を迎えた感が強い。

Tel_card

5.ジュークボックス

 お金を入れて選曲すると、ボックス内のアームが移動し、タテに並んだ場所からレコードを探し、それをプレーヤーにセットする。そして自動でレコード針が再生位置まで移動し、音楽が始まる機械である。昔はレストランや展望台、ボウリング場でよく見かけた。今は有線放送やCD、i-podが幅を利かせているため、頻度が少なくなったし、大きくて場所を取るので厄介者扱いされがちである。

Jyukubox

6.ソノシート(昭和40年代)

 ぺらぺらで薄っぺらなレコードで、雑誌・「冒険王」や「明星」「平凡」などの付録に付いていた。アイドル歌手が吹き込んだおしゃべりが主流だったが、私の自宅にあったのは、「ザ・ドリフターズ」の軽妙なおしゃべりのものだった。ドリフが新幹線に乗って東京駅から大阪まで旅行しながらクイズに答えたり、名所を紹介する内容だった。いかりや長介が、メンバーに「名古屋城を作ったのは誰だか知っているか?」と尋ねるが、メンバーの誰も知らない。そこで長さんが「徳川家康!」と答えると、加藤茶が「ブブーッ」と言い、「名古屋城を作ったのは大工さん!」と答え、メンバー全員がズッコケるという内容。また、「福島の昔話」のようなシートも、何かの付録についていた。「三枚のお札」というお馴染みの昔話で、山姥から逃れるために三枚のお札を使って、何とか逃げ通す内容のものだった。

Sonosheet

7.姿を消した紙幣(100円札、500円札、2,000円札?)

 こちらはお金なので、画像掲載は差し控えさせて頂きたい。今でこそ「聖徳太子」は現役のお札から姿を消したが、私が小学生の頃は、百円札・五千円札・壱万円札は聖徳太子だった。それが政府の方針で、数年おきに肖像画が変わり、百円札は製造中止、五千円札は「新渡戸稲造」から現在は「樋口一葉」、壱万円札は「福沢諭吉」に改訂された。そして五百円札は岩倉具視だったが、今は市場に出回ることはなく、500円銀貨にとって替わってしまった。また、2,000円札は、沖縄サミットを記念し、小渕内閣の遺作として発行された。「紫式部」と「守礼の門」のデザインこそ立派だったが、自動販売機で使えないことや五千円札と色合いが似て紛らわしいことから厄介者扱いされ、流通しなかった。今は日銀が回収している。言わずもがなだが、紙幣は日本銀行が発行し、硬貨や銀貨などいわゆるコインは財務省(旧大蔵省)造幣局で製造されている。

8.懐かしの看板(昭和30年代)

 田舎の個人商店や駄菓子屋の木造の合わせ板の壁によく掛けてあった。下の4枚は定番だろう。浪波千恵子(おばあちゃんの優しさで怪我を治してくれそう)、大村昆(美味しいと眼鏡が落ちるんですよ)、由美かおる(水戸黄門の入浴シーンはあまりにも有名)、そして水原弘(殺虫剤ハイアース)はセットとして考えたい。最近はこれらの看板をあまり見かけなくなり、残念だ。

Oronaine Ornamine

Earth Mizuhara   

9.丸いポスト(昭和30年代)

 我が勤務地の町には、未だにそこらじゅうに立っている。四角いポストより何か愛嬌があって親しみが沸く。長閑な感じが郷愁を誘う。今、東京23区からは姿を消し、全国的にも随時入れ替わりが行われている。オレンジの色合いもいいが、長年風雨に耐え続けた歴史的価値があるように思えてならない。

Post

10. オート三輪・・・残念だが、こちらもあまり見なくなった。かつて1950年代にミゼットが、マツダT-2000が1960年代に普通に街角を闊歩していた。この車の特徴は、とにかく小回りが利くことで、小さいながらもれっきとした荷台があって、過積載に強かった。

3rin

11.大八車

 こちらは、私が小さい頃(昭和40年代)に、行商でおばあさんが野菜などを売るのに使っていた。リヤカーというのが普通だが、これに多くの商品を積んで売り歩く姿を何度目にしたことか知れない。

Daihachi

12.豚の蚊取り線香入れ

 こちらは夏の風物詩である。これが登場すると夏本番を思わせる。夕方に縁側で風鈴の音を聞きながら浴衣姿で夕涼み。傍らには冷えたビールと枝豆、あるいはスイカ。そして団扇片手に過ぎゆく夏の情緒を噛みしめる。そんな日本の夏風景が脳裏に浮かぶ。

Katori

13. 蚊帳

 これはあまり見かけなくなった。昭和30~40年代の日本にはどこの家庭にもあった光景だ。天井から吊し、緑色の網状の囲いを作り、蚊の攻撃から身を守ったものだ。そして蚊取り線香の香に包まれて過ごすのが定番だった。蚊帳と聞くだけで妙に懐かしくなるのは私だけではないだろう。 

Kaya

14. 蝿取り紙

 リボン式で巻いてある。ゴキブリホイホイの蝿蚊蛾用であって、粘着力の強い茶色の昆布のような長い紙を伸ばしてそれを天井から吊しておくだけ。一晩で10羽以上はとれる。強力な夏の味方であった。

Haetori

15.電話ボックス

 これも携帯電話の影響。写真の物は、ドリフのコントに出てきそうな古さだが、透明のボックスまで激減した。テレカと同様過去の遺物となりそうだ。

Telbox

16.卓上ラジオ

 これも懐かしい。実際自宅にあったのはベージュ系の色だったが、床の間や茶箪笥の上に「でーん」と置いてあった。つまみを回してチューニングしたりボリュームを調節した。今はリモコンの普及で便利になりすぎてしまい、昔の良さが失われてしまった感が否めない。そういえば、中学時代に技術家庭の授業でラジオを作った記憶がある。真空管からトランジスタへと媒体は移り、今は小型ラジオやカード型ラジオが一般的。

Radio

17. 足踏み式ミシン

 これも場所(スペース)をとった。今は電子ミシンが様々な縫い方やパターンを選べて重宝だが、当時はアナログ時代なので、型紙から生地を裁断し、布を貼り合わせて縫い合わせるだけのシンプルな使い方しかなかった。今、もしこれが現役で状態が良かったら、高値がつくかもしれない。

Mishin

18.サクラカラー

 今は富士フィルムやコダックが定番だが、かつてはコダックの全身のサクラカラーが30%のシェアを持っていた。アナログ系のフィルム写真は、デジカメの台頭により、その場凌ぎの「写るんです」を除いてシェアはかなり低い。現在は報道写真の現場でも加工がしやすく、コンピューター転送がスムーズで迅速なデジタルが主流である。ポケットフィルムと同様、またひとつ斜陽を迎えた商品が誕生してしまった。

Sakurafilm

19.スライム

 これも変な物体だった、ヌメヌメ、グニュグニュしていて握ると掴めない。何とも掴みどころのない奇妙な個体だった。これと階段などの段差を利用してひとりでに降りて行くスプリングも不思議な物体だった。画像がないので文章でご容赦願いたい。

20.夏休みの宿題・・・夏休みの友、ラジオ体操、昆虫採集

 今は自由研究が主流だが、昔は一冊夏休みの宿題として全生徒に配られた課題があった。それが「夏休みの友」で、その中には国語の漢字や文章題、算数のドリル計算、図画工作の進め方などが満載だった。ラジオ体操は首からぶら下げ、毎朝、はんこを溜めていくのが楽しみだった。そして忘れてならないのが昆虫採集である。これは標本箱のようなものにカラフルな蝶を所狭しと並べ、学術名もきちんと書いて提出されたものもあった。昆虫採集セットなるモノも「学研の学習と科学」に付録で付いていて、小学生に注射器を使わせていたのだから今考えれば怖い物があった。緑と赤色の保存液までついていた。

Natsutomo Radio_card Set 

21.ローラースルーゴーゴー

 これは小学生の頃、多分昭和47年頃に、ホッピングと共に一大ブームを巻き起こした乗り物であった。開発は何とあの「本田技研工業」。月産10万台を越え、絶頂期には半年待ちの状況だった。片足でペダルを蹴る度にビューンと勢い良く加速した。見た目はスケボーにタイヤとT字形のハンドルを付けた三輪車のような外見をしている。赤黄青などカラフルで、価格も手頃だった記憶がある。

Roller_through

22.コカコーラヨーヨー

 これは昭和50年頃、アメリカから突如やって来た遊びだった。その後、第2次、第3次ブームが津波のようにやって来た。そしてハイパーヨーヨーなども流行った。個人的に思い出深いのは、コカコーラやファンタのロゴ入り半透明のガラス製で、テレビには天才少年が現れ、多種多彩な技を繰り出した。外国生まれの遊びは、知恵の輪やカイト、アメリカンイクラッカー、笑い袋などもそうで、その後、インベーダーゲームやルービックキューブも世の中を席巻した。

Yoyo

23.ホッピング・・・こちらは玩具メーカーの「バンダイ」が「スカイホッピー」として売りだした遊びだった。その20年ほど前に開発されたが、これをやり過ぎると胃下垂になるという噂が広まり、一時はブームが下火になった。T字型の取っ手の底に強力なスプリングを配し、文字通りホッピング(ジャンプ)してピョンピョン跳ねて遊ぶおもちゃだった。

Hopping

24.テープレコーダー

 この卓上型が実家にあった。当時はマイクはなく、機械のMICに向かって声などを吹き込んだ。もちろん雑音も入ってしまった。自分の声を録音して聴いた時、聞きなれた声が違って聞こえ、衝撃的で不思議に思ったものだ。家庭用VTRがなかった頃には、これを使ってテレビドラマや歌番組をテープに録音したものだった。そしてこの後に、あのソニーの「ウォークマン」が発売された。

Tape_recorder

25.ぶら下がり健康器

 これは不思議な健康グッズだった。背筋を伸ばし、脊椎の歪みを矯正するという触れ込みで一般家庭に普及した。実家にあったのは、複合運動が出来るタイプのもので、ビニールシートのベッドにもなるし、それが中央から畳め、「ギッコンバッタン」という腹筋を鍛える動きも可能だった。

Burasagari_3

26.オープンリール

 これも据え置き型だが、実家にあった。「AKAI」や「TEACK」が業界を牛耳っていた。オープンリールは、テープが大きいことやセッティングが大変という難点はあるものの、音質がすこぶる良く、当時最高のサウンドで音楽を楽しめた。この技術を応用し、小型のテープやマイクロカセットが登場した。そして更にクロームⅡやメタルテープへと進化し、格段に録音レベルが良くなった。

Open_reel

27.水飲み鳥

 これが自宅にあったという家庭はどれくらいあるだろうか。東京土産には欠かせない物だったと認識している。首を上下に自動で振る不思議なおもちゃだった。動力はないのだが、コップに水を入れて、最初だけアシストするだけで、あとは勝手に上下運動を繰り返す。シルクハットと長い口ばしがトレードマークだった。

Mizunomidori

28.東京タワー型卓上カレンダー

 これは卓上式の日めくり式カレンダーで、左側に高さ15cm程の東京タワーのミニチュアの置き物があって、右側はペン立てになっている。そして中央に回転式のカレンダーがある。回転すると中の日付が入っている数字が「パタンパタン」と一枚ずつ切り替わるのだ。昔は家にあったのだが、現在はない。画像があったのでアップ。よく見ると配置が若干変わっている。温度計も付いていた。記憶はあてにならない。

Calendar

29.ペナント

 これは茶の間に並べて張ってある家庭が多いだろう。私は北海道に住んでいた時に、ツーリングで訪れた場所を証明する、或る種特別な土産を考えた時に、安価(300~400円程度)で真っ先に思い浮かんだのがこれだった。北海道だけで19枚の観光名所を描いたペナントを所有している。

Penant

30.木彫りの熊

 北海道土産で買って行くようだが、結構手彫りの熊は値段的には高価だ。登別や阿寒湖のアイヌコタンと呼ばれる場所や観光名所には必ず置いてある。

Wooden_bear   

 どうだっただろう。少しは昔を思い出して懐かしんで貰えただろうか。なお、これ以外の物は、思い出した時点で増やすことを付記しておきたい。

 追記

 明日はこの時期、毎年恒例の仙台出張。新幹線を取りやめて、車で行こうかと思う。一昨日、昨日の2日間で「憲法」に関するレポートを完成させた。4,000字弱だが、正味1日で終了した。文献を図書館から3冊借り、多少引用しながら、何とか形は整った。後は体裁を整え、論点をもう少し掘り下げて論述したい。これも日々のブログの賜物である。

(7/8 PM 8:50)

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コメント

こんばんは、時遊人SUZU様へ、懐かしのグッズを見て昔を思い出しました。(特にオープンリールの機械)親に頼んだけど結局買えなかったです。
当時高価だったので。→今中古家電店にあるらしいです。アカイ・TEAC----。

ケンサンさん、初めまして。コメントありがとうございます。最近、年をとったせいか、昔話とか、若い頃の懐かしいものを取り上げた記事が自ずと多くなりました。特に家電は流行り廃りが激しく、カセットテープですら見なくなりましたね。かつてはノーマル、クローム、メタルと種類がありました。ましてオープンリールや8ミリ映写機など還暦を迎えられた方々が愛用していたという記憶しかないかもしれません。カメラだってサクラカラーはなくなっちゃいましたし、ポケットカメラがあったことなど知っている人は少ないのでは?ベータマックスだって、兄貴が愛用していたのですが、テープは山ほどあるのに肝心のデッキが壊れてから再生ができないで困っていますよ。
 私自身は骨董趣味はないのですが、古い話はいくらでもできますので、当ブログで気になる記事があれば、遠慮なさらずにコメントをお願いします。(SUZU)

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