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2010年8月

2010年8月31日 (火)

往年の名優回顧録~男優編~

 東京オリンピックの年に生まれた私にとって、テレビは生活にはなくてはならない存在だった。三種の神器から3C時代と言われるほど時代の寵児として持て囃され、貴重な情報源として利用価値は高く、またブラウン管の向こう側で繰り広げられる様々な番組に思いを馳せたものだ。歌謡ショー(スター誕生・のど自慢・ロッテ歌のアルバム・家族そろって歌合戦・ザ・ベストテンなど)、トークショードラマ(木下恵介アワー・白い巨塔・日本沈没)・ヒーローもの(ウルトラマン・仮面ライダー・キカイダー・赤影・マグマ大使・レインボーマン)・アニメ(キャンディキャンディ・タイガーマスク・巨人の星・ルパン3世など)・バラエティ(シャボン玉ホリデー・8時だヨ!全員集合・がっちり買いましょうなど)・ドキュメンタリー(ウルトラアイ・YOU・野生の王国)・お色気番組では「11PM・ウィークエンダー・独占おとなの時間・トゥナイト」などの番組を齧り付くように見ては、成長過程において感化されたことは多い。
 特に大好きだったのはドラマ系であり、今は亡き往年の名優達が抜群の演技力で私達を魅了した。昔は東宝・東映・日活・松竹などの映画が隆盛を極めた時代で、その後、メディアがテレビへと移行した時代に私がこの世に生を受けた。私が5歳くらいの昭和44年頃まではテレビは白黒テレビで、脚がついていた。リモコンなどなく、チャンネルはガチャガチャと捻って回すものだった。そして画面の前に別売のスクリーンを取り付け、大画面にして見たり、UHFが登場すると、やはり別売のコンバーターという機器を繋げなければ見られない時代だった。いずれにしてもテレビの登場で、私達の生活は質が向上し、情報源の確保が容易になったのは言うまでもない。今思えば経済成長と共に、庶民の生活が潤い、勢いがあった「古き佳き時代」だったのかもしれない。そこで今回は、私が幼少時代から夢中になって見ていたテレビドラマに出演していた、往年の俳優にスポットを当て、その出演作(代表作)や特徴、私の抱いている印象などを記事にしたいと思う。

 天知茂・・・お馴染み名探偵明智小五郎役で大ブレークしたが、その前はゴルゴ13ばりのハードボイルド系の刑事ドラマ「非情のライセンス」に主役として出演していた。かつては時代劇などで悪役などの脇役が多かったようだ。ニヒルお代表格で、眉間に横に皺が出来るのは珍しかった。死後20年以上経っても「ニヒルといえば天知茂」といわれている。孤独なヒーロー役か悪役が多く、今日のように片っ端からバラエティで露出させられるような時代ではなかったことも影響しているが、関係者は一様に真面目で気さくな素顔を語っている。血液型はB型

Amachi       

 石原裕次郎・・・もちろん彼を知らない人はいない。日活シリーズの超人気だった大物役者。太陽族という流行語まで生んだ。「狂った果実」や「嵐を呼ぶ男」などに出演し、ドル箱スターと呼ばれた。彼の短い髪型を真似した「裕ちゃんカット」が街角に溢れていた。ムード歌謡の歌手としてもヒット曲を次々生んだ。「夜霧よ今夜もありがとう」「恋の街札幌」「ブランデーグラス」などが代表作。私は太陽にほえろや西部警察のボス役のほうが印象が強い。彼はA型だった。

Yujiroishihara

  三船敏郎・・・黒澤明映画には欠かせない存在だった。「七人の侍」や「用心棒」、「椿三十郎」、「赤ひげ」、「天国と地獄」など数多くの白黒映画に出演した。太くて低い声で存在感はピカイチだった。彼は典型的なO型だった。

Mihune

 萬屋錦之介・・・昭和を代表する大スターで歌舞伎役者からテレビ映画へと転身した。芸名も中村錦之介から萬屋に変更した。独特な節回しが印象に残っている。萬屋と言えば時代劇だろう。「笛吹童子」や「忠臣蔵」の大石内蔵助役などで不動の地位を築いた。また、シリーズ物として「一心太助」や「宮本武蔵」は大人気だった。彼はA型だった。

Yorozuya

 鶴田浩二・・・戦後派として登場し、抜群の風貌と時々のぞかせる甘い表情と陰りで一躍トップスターになった。その甘い表情でアイドルだったが、中年期からは任侠映画や戦争ものでみせた渋い魅力で、日本映画を代表するスターとして長らく君臨し、歌手としても人気が高かった。とりわけ東映の看板スターだった。「婦系図 湯島の白梅」で有名になった。代表作を挙げたらキリがない。「人生劇場シリーズ」、「博徒シリーズ」、「関東シリーズ」、「博奕打ちシリーズ」、「特攻隊シリーズ」、「列伝シリーズ」の主演は特に有名。歌手としても名声を博した。手を耳に当てて歌う独自のスタイルが有名。着物を着て歌った「傷だらけの人生」は大ヒットした。彼はA型だった。

Turuta

 松田優作・・・彼ほど国民に愛された俳優はいないだろう。没後20年以上が経過してもなお、彼の面影は我々の記憶から色褪せることはなく、若かりし姿のまま残っている。特に彼の人気を不動のものにしたのは、刑事ドラマ「太陽にほえろ」のジーパン刑事役だった。1970年代後半から東映作品、角川映画作品でアクションスターとして人気を博し、1980年代からは演技派としても認められるようになる。主演したドラマ「探偵物語」など、後進への影響も大きく、男気にあふれ情に厚く、その勇猛な人間性と卓越した演技力から、1980年代を通じてもっとも重要な日本の映画俳優の1人と評価されている。代表作は「暴力教室」「人間の証明」「もっとも危険な遊戯」「蘇る金狼」「野獣死すべし」「ブラックレイン」「家族ゲーム」など。40歳と言う若さでこの世を去った。血液型はA型

Matsuda

 沖雅也・・・甘いマスクとどこか陰のある役どころが当たり、人気が高かった。「太陽にほえろ」のスコッチ刑事役があまりにも有名だが、「「俺たちは天使だ!」の麻生雅人探偵役、「必殺仕置き人」、それに「姿三四郎」でもライバルの檜垣源之助役で好演した。しかし、昭和58年6月、京王プラザホテル47階から衝撃的な投身自殺を遂げた。「オヤジ、涅槃で待つ」という言葉を残して、僅か31歳という若さでこの世を去った。B型だった。

Okimasaya

 古尾谷雅人・・・彼もまた自殺で45歳という若さでこの世を去った名優のひとりだ。彼もまたB型だった。晩年は事務所兼自宅マンションの住宅ローンや、亡父の遺産相続をめぐって継母との民事裁判を抱えていた。主な出演作は、映画が「家なき子」「スローなブギにしてくれ」「悪霊島」「Ronin坂本龍馬」などで、一方テレビは、「北の国から」「3年B組金八先生」「キッド」「若草学園物語」「金田一少年の事件簿」「天国への階段」など多数。

Furuoya

 川谷拓三・・・山城新伍と共に「どん兵衛」のCMにも登場した。飾らない芸風で、多少照れ屋で自分を前面に押し出すのが不得手な彼だった。名脇役として数々の作品に出演した。悪役で組織した「ピラニア軍団」のメンバーだった。「仁義なき戦いシリーズ」では、斬られ役に徹した。彼を一躍有名にしたのは、倉本聰脚本の「前略おふくろ様」の利夫役が当たったことだった。主な出演作は「仁義なき戦い」や「トラック野郎」、「ビルマの竪琴」、「男はつらいよ」「塀の中の懲りない面々」「用心棒シリーズ」などであった。A型だった。

Kawatani

 山城新伍・・・私は「白馬童子」の世代ではないが、当時、一世を風靡した国民的アイドルだったようだ。私はクイズ解答者や「アイアイゲーム」の司会の印象の方が強く残っている。彼は典型的なO型俳優だった。私生活でも結婚離婚再婚を繰り返し、独自の価値観に基づいた行動でスキャンダラスも多かった。主な出演は、「不良番長シリーズ」「帝王シリーズ」「トラック野郎」「銭形平次」「眠狂四郎」「きまぐれ天使」「新ハングマン」「桃太郎侍」など時代劇から現代劇まで幅広く活躍した。

Yamashiro

 夏夕介・・・クールで誠実な二枚目俳優だった。彼の代表作は「特捜最前線」であり、刑事役がハマリ役だった。出演作品は、「爆走暴走族」「風立ちぬ」「極道の妻たちⅡ」「野性の証明」「女王蜂」「人はそれをスキャンダルという」など。血液型は見るからにO型。

Natsuyusuke

 荻島眞一・・・彼もまた、ナイスガイで、誠実でイケメンの二枚目俳優だった。劇団四季に入団し、「信長記」でデビューした。甘いルックスで人気が急上昇し、「スター千一夜」「クイズおもしろ料理館」の司会も務めた。1980年代には2時間のサスペンスドラマには欠かせない存在で、江戸川乱歩シリーズにも複数回出演している。血液型はO型。

Ogishima

 荒井注・・・ご存知、ザ・ドリフターズの元メンバーだった。すっとんきょうで何か抜けたキャラが発揮されたのが、名探偵・明智小五郎とコンビを組んで活躍する土曜ワイド劇場の「江戸川乱歩シリーズ」だった。波越警部役の彼は、番組内では欠かせない存在で、随所で笑いを誘ってくれた。私が伊豆旅行に行っているさなか、彼は伊豆の自宅で亡くなり、それを伝えるテレビの中継車とすれ違ったこともあった。血液型はA型。

Arai

 田村高廣・・・私が大好きだった名優のひとり。彼の代表作は何と言ってもテレビ歴史ドラマ「二百三高地」の陸軍第三司令部・大将の乃木希典役だった。旅順攻略に手間通り、部下の大勢を殉死させた日露戦争の壮絶な戦闘を描いた一大巨編だった。忠誠を誓った明治天皇の崩御に伴い、自らも夫人と共に自害した。その生き様を見事に演じきった。戦果報告を明治天皇の御前で行う場面では、途中から嗚咽し、床にひれ伏し、それを明治天皇が宥めるシーンが涙なくしては見られないものだった。個人的には田村三兄弟(田村正和・田村亮)の長兄で、存在感は大きかったし、演技力もずば抜けていた。実に惜しい人を亡くした。彼はO型だった。

Tamuratakahiro

 芦田伸介・・・東京外大出のインテリ俳優だった。終戦を満州で迎え、妻子を抱え生死の淵をさまよったが、1947年、やっとのことで日本に帰国し、その後、劇団民藝に入団。1950年代には日活のアクション系の映画に出演するが脇役が多かった。1961年に大ヒットした「7人の刑事」役で大ブレーク。主な出演は「花の生涯」「霧の旗」「検事霧島三郎」「氷点」「関ヶ原」「水戸黄門」「青春の門」などで名演技を醸した。1999年には遺作となった「サラリーマン金太郎」で、病魔と闘いやせ細りながら熱演した彼の姿が今でも脳裏に焼き付いている。血液型O型。骨董界の大御所・中島誠之助に似ている印象がある。中島もO型。

Ashida

 松村達雄・・・彼もまた味のある名脇役だった。晩年のおじいちゃん役で数多くの作品で好演した。とりわけ彼の代表作は、「男はつらいよ」や吉田茂役を演じきった「日本の戦後シリーズ」で名を馳せた。他にも「太閤記」や「光る海」「天と地と」「赤い疑惑」「独眼竜正宗」「まぁだだよ」などがある。特にNHKの大河ドラマでは存在感を存分に発揮した。

Matsumuratatsuo

 三浦洋一・・・彼はサングラスにリーゼントスタイルで、一見ツッパリ不良風の出で立ちで登場したが、早稲田大学政経学部出身のインテリ俳優だった。特に代表作「池中玄太80キロ」の同僚カメラマン・前川秀也役や「さすらい刑事旅情編」の香取刑事役がはまり役だった。他には「戦国自衛隊」「前略おふくろ様」「アイコ16歳」「痛快ロックンロール通り」がある。血液型はO型。食道ガンで46歳という若さでこの世を去ったのが悼まれる。

Miurayuichi

 岸田 森・・・彼を覚えている人はそんなにいないと思う。私からすれば名優である。法政大学英文科出身のインテリ芸能人だが、文学座で演技力と芸を磨いた。すっとんきょうな役どころで、「サンバルカン」「ファイヤーマン」などの戦隊もの・特撮怪獣シリーズにも出演した。私生活も浮き沈みが激しく、樹木希林と結婚・離婚を経験した。代表作は「氷点」「ブルークリスマス」「腐蝕の構造」「徳川家康」「草燃える」「蘇る金狼」など。彼もまた食道ガンで若くして(43歳にて)この世を去った。AB型

Kishida

 小林昭二・・・「仮面ライダー」のおっちゃん役としてあまりにも有名。未だに彼が亡くなったとは信じられない。もう14年の歳月が流れた。日大芸術学部中退・劇団俳優座出身のエリート。デビューは1962年と古く、新東宝の『殺人容疑者』で銀幕デビューを飾った。その後、特撮ヒーローものに数多く出演。ウルトラマンの隊長役や仮面ライダーにおいて確固たる地位を築いた。「氷点」や「腐蝕の構造」の刑事役でも味のある演技を示した。

Kobayashisyoji

 丹波哲郎・・・「キーハンター」「Gメン’75」のボス役はあまりにも有名。映画「大霊界」では宗教家として君臨し、教祖役を見事に演じきった。とにかく彼の出演作は超大作ばかり。しかも重要なキャスティングが多かった。大型時代劇では国家老役や現代劇・戦記物でもボスの役目が多かった。存在感があって、話口調に独特の癖があった。主な出演作は「丹下左膳」「柳生十兵衛」「鬼平犯科帳」「長七郎天下ご免!」「徳川家康」「峠の群像」「忠臣蔵」「白虎隊」「田原坂」などNHK大河ドラマや年末大型時代劇には欠かせない人材だった。血液型はO型

Tanba

 名古屋章・・・まずラジオドラマでその頭角を現した。ラジオ時代はその美声により二枚目を担当し、数多の女性ファンを獲得した。「ぼたもち」や「一丁目一番地」「ひょっこりひょうたん島」が有名。映画への出演ではくせのある敵役や悪役でならし、テレビ時代に入り何十年間に渡りバイプレイヤーとして、その風貌を活かし人情味ある庶民の役をこなした。またドラマでは、校長役や刑事役で出演する事が多かった。国民に絶大な人気があった桜木健一主演の「刑事くん」では、刑事課長役で熱演し、テレビドラマでも人気を得た。主な出演は映画が「放浪記」「天国と地獄」「人間革命」「日本沈没」「釣りバカ日誌」、テレビドラマは「NHKテレビ劇場」「藪の中」「天狗女房」「太閤記」「ザ・ガードマン」「これが青春だ」「柔道一直線」など。血液型はAB型

Nagoya

 中谷一郎・・・ご存知「水戸黄門」の風車の弥七役はあまりにも有名で、彼の代名詞となった人気作品。月曜の20時45分頃になると颯のように現れ、赤い風車で危機的状況を救う。彼は早稲田大学文学部中退のエリート役者だった。当時は早稲田をわざと中退することがステータスだった。大腸がんや糖尿病と闘いながら、弥七役として活躍したが、体調不良のため惜しまれつつ第27部限りで降板。出演回数は歴代のレギュラー出演者では第2位の687回を誇る。映画では「用心棒」「網走番外地シリーズ」「眠狂四郎シリーズ」「風林火山」「不毛地帯」に出演。テレビドラマでは、「木下恵介アワー」「江戸の鷹」「鬼平犯科帳」などに出演した。

Nakatani

 鈴木ヒロミツ・・・元々はGSグループのロックバンド「モップス」のボーカルだった。俳優に転身し、二枚目半のキャラで数多くの作品に出演した。晩年は「夜明けの刑事」や「新・夜明けの刑事」「明日の刑事」などのうだつの上がらない刑事役が多かった。他には「時間ですよ」「赤いシリーズ」「誇りの報酬」「明日に向かって走れ」「HOTEL」など。血液型はO型

Suzuki_hiromitsu

 峰岸徹・・・日大芸術学部中退のインテリ俳優だった。野性的な肉体派の俳優だった。岡田有希子の自殺の原因があると騒がれたが真相は不明。渋みあふれる貴重なバイプレーヤーとして数多くのテレビドラマ、映画に出演。テレビドラマでは、TBSの『高校教師』における実の娘と近親相姦を重ねる父親役が評判を呼んだ。また、大河ドラマ『風と雲と虹と』における極悪非道な演技も印象深い。主な出演作は「高校生と女教師・非情の青春」「ニッポン無責任時代」「動脈列島」「風と雲と虹と」「小説吉田学校」「帝都物語」「おくりびと」など。単発ドラマが多く、あまりレギュラーは持たなかった。血液型はO型

Minegishi

 石立鉄男・・・岡崎友紀と共演した「奥様は18歳」、杉田かおるかを「チー坊」と呼ぶ「パパとよばないで」などパロディ風ドラマに数多く出演した。アフロヘアーが特徴で、「赤いシリーズ」、「夜明けの刑事」、「噂の刑事トミーとマツ」、「スチュワーデス物語」、「少女に何が起こったか」など大映テレビ制作のドラマではエリートから憎まれ役まで様々なキャラクターを演じ存在感を発揮。人生のペーソスを感じさせる軽妙さとシリアスさを兼ね備えた幅広い演技力をもつ実力派の俳優となる。出演は他に「おふくろさん」「きまぐれ天使」「鉄道公安官」など。血液型はB型

Ishidate_3 

 船越英二・・・ご存知船越英一郎の実父。戦後、銀幕のスターとして大映の数々の名作に出演した。「熱中時代」や学園ドラマに数多く出演し、お父さん役や校長先生役が多かった。洒脱な持ち味を生かしてテレビの脇役として人気を維持した。「雲のじゅうたん」の華族の殿様役、では逝去した有島一郎の後を継ぎ、2代目御側御用取次・田之倉孫兵衛役を演じたことでも知られている。主な代表作は「安宅家の人々」「夜の蝶」「時間ですよ」「若草学園物語」「なぜか、ドラキュラ」など。勲四等旭日小授章を受けた。血液型はO型

Funakoshi

 藤岡琢也・・・この方も実に味わい深い俳優さんだった。晩年の「渡る世間は鬼ばかり」の父親(岡倉大吉)役の印象が強いが、芸歴は古い。テレビでは、大阪を舞台とした商人もの、ホームドラマ、NHK大河ドラマ、東芝日曜劇場、2時間ドラマに数多く出演した。ホームドラマでは小太りで黒縁の眼鏡とヒゲが特徴的な風貌を持ち、家に帰ると和服に着替えて一杯飲むという一時代前の典型的な父親のイメージを努めて演じた。演じる役柄によっては関西弁を強調した話し方をすることもあり、藤岡自身のキャラクターとして確立した。代表作は「横掘川」「おやじのヒゲ」「大家族」「八甲田山」「八つ墓村」「白昼の死角」「連合艦隊」など。私は個人的には「サッポロ一番味噌ラーメン」のCMが特に印象に残っている。関西学院大学文学部中退。血液型はO型

Fujioka

 渥美清・・・1969年に「罪滅ぼしの意味も含めて」、松竹で映画を製作。これが予想に反し大ヒットとなり、以降シリーズ化となって製作の始まった山田洋次監督の映画『男はつらいよ』シリーズにおいて、主演の車寅次郎(フーテンの寅)役を27年間48作に渡って演じ続ける事になる。この映画のシリーズは、国民的映画として日本中の多くの人たちに親しまれた。映画のシリーズでは最多記録の作品としてギネスブックにも載るなどの記録を成し遂げた。
 1996年(平成8年)8月4日、転移性肺癌のため東京都文京区の順天堂大学医学部附属順天堂医院にてこの世を去る。68歳没。血液型はB型

Atsumi

 岡田英次・・・彼が亡くなって15年の歳月が過ぎた。江戸川乱歩シリーズには欠かせない演技派&知性派俳優だった。それもその筈彼は、慶應義塾大学経済学部を卒業した。日本人離れした彫りの深い整った容姿の演技派として、勅使河原宏の『砂の女』のような芸術映画から娯楽映画まで幅広く活躍した。1949年に「花の素顔」でデビューし、「また逢う日まで」「現代人劇場」「真空地帯」「24時間の情事」などやや艶の或る演技に磨きをかけた。他の代表作は「智恵子抄」「黒部の太陽」「若い人」「黄金の犬」「犬神家の一族」などに出演した。血液型はO型

Okadaeiji

 東野英心・・・テレビ朝日系列で放映されたテレビドラマ「あばれはっちゃく」シリーズでは、主人公の小学生の少年「桜間長太郎」の厳格な父親役で人気を集めた。特に「てめぇの馬鹿さ加減には、父ちゃん情けなくて涙が出てくらぁ」と言って息子を張り飛ばすシーンは有名。実は水戸黄門に扮した東野英治郎の長男。高血圧性脳溢血で58歳で急逝した。代表作は他に「ウルトラマンタロウ」や「八甲田山」「竜馬がゆく」「シルバー仮面」「中学生日記」「翔ぶが如く」など。血液型はB型

Tonoeishin

 小坂和也・・・バンド歌手出身の俳優で、その後松竹と契約し、テレビドラマ・映画に存在感のある演技派として着実に出演を続けた。木下恵介に「この天の虹」の演技が認められ、以来数多くのドラマに出演するようになった。私生活では十朱幸代と結婚するもすぐに離婚に至った。代表作は「星空の街」「恋の片道切符」「黄色いさくらんぼ」「マルサの女」「時間ですよ2」「刑事ドラマ」「痛快ロックンロール通り」など。血液型はB型

Kosaka

 山村 聰・・・存在感抜群で東京帝国大学文学部を卒業した正真正銘のエリート俳優。太陽座で演技力を磨く。1946年の「命ある限り」でスクリーンデビュー。自身もメガホンを取り、「蟹工船」を発表した。他の代表作は「ただいま11人」「春の坂道」「必殺仕掛人」「華麗なる一族」「ザ・ハングマン」にも出演した。晩年は父親役や威厳のある大物役などを演じることが多かった。血液型はAB型

Yamamura

 仲谷 昇・・・中央大学法学部中退のエリート俳優。文学座演劇研究所で芸を磨く。そして1953年に「にごりえ」でスクリーンデビューを果たした。主に舞台が多く、「鹿鳴館」「ハムレット」「女の一生」など古典芸能に熱心に取り組んだ。映画では「喜びも悲しみも幾歳月」「おとうと」「放浪記」「怪談」「不毛地帯」「戦国自衛隊」「大日本帝国」、テレビドラマは「天と地と」「天下ご免」「勝海舟」「日本沈没」「猿の軍団」「獄門島」「草燃える」など。私生活では、女優・岸田今日子と3度に渡って結婚・離婚を繰り返した。血液型A型

Nakaya

 東野英次郎・・・ご存知「水戸黄門」が当たり役。しかしこれは晩年のおじいちゃん役としての作品。それまでは時代劇の悪役やギャングのボス役が多かった。明治大学を卒業した知性派俳優で、名門俳優座を開いたメンバーの一人だった。主な出演作は「海軍」「山びこ学校」「七人の侍」「潮騒」「野獣死すべし」「赤ひげ」「白い巨塔」「居酒屋兆治」など。血液型はA型

Tounoeijirou

 大坂志郎・・・松竹の実力派俳優のひとり。1943年に「開戦の前夜」でデビュー。「はたちの青春」や小津安二郎監督の映画「東京物語」にも出演した。晩年は時代劇「大岡越前」に村上源次郎出演した。その他の作品は「伊豆の踊子」「網走番外地」「絶唱」「泥だらけの純情」「時代屋の女房」「だいこんの花」など。とにかく味のある演技派だった。

Osakasirou

 松山英太郎・・・私の大好きだった俳優のひとりだ。俳優座12期生として入団。翌1964年、TBSの人気ドラマ、「七人の孫」に出演し、一躍人気者となる。以降、「肝っ玉かあさん」「時間ですよ」などホームドラマには欠かせぬ顔として大活躍する。ひょうひょうとした外見ながらも下品さやくどさがなく、むしろ上品ささえ感じられた役作り(時代劇・現代劇とも)ができた俳優だった。また、時代劇の多くに出演。特に大岡越前の猿の三次や「江戸を斬る」の「ねずみ小僧次郎吉」役はハマリ役だった。48歳と若くして突然に亡くなったのが悔やまれる。

Matsuyama

 西村 晃・・・日大芸術学部卒業のエリート俳優だったが、自身は戦時中、特攻隊員だった。元々彼は、時代劇や現代劇でも悪役が多かった。晩年は東野からバトンを受けた水戸黄門役の印象が強いが、ひとつの役にこだわらず、笑いを誘うような役柄にも積極的にチャレンジした。主な出演作は「真空地帯」「天国と地獄」「十三人の刺客」「赤ひげ」「あゝ野麦峠」「徳川家康」「赤穂浪士」「忠臣蔵」「江戸川乱歩シリーズ」「おとこ同志おんな同志」「大奥」など。血液型はB型

Nishimurako

 中条静夫・・・晩年に出演した「あぶない刑事」の捜査課長役の印象が強いが、元々は大映テレビ制作の「ザ・ガードマン」の小森隊員がハマリ役となった。「雲のじゅうたん」や「赤いシリーズ」で父親役としても熱演を振るい、存在感のある脇役として親しまれた。代表作は他に「陸軍中野学校」「日本沈没」「白い滑走路」「元禄太平記」「夢千代日記」など。

Tyujyoshizuo

 田宮二郎・・・クールな二枚目俳優だった。私は「白い巨塔」での財前医師役と「クイズ・タイムショック」の名司会の印象が強い。繊細で端整なルックス、身長180cmでスリムでありながら筋肉質であることに加え、甘い二枚目から冷酷なエリート、ユーモラスな拳銃使い、ヤクザ、欲望のためなら手段を選ばない悪役までもこなす演技力から犬シリーズ、黒シリーズ等にも主演、大映の看板俳優として活躍した。また若尾文子の相手役として名画を多く残した。1966年、「白い巨塔」で財前五郎役を演じたことで、その名声は決定的なものになり、「昭和のクールガイ」と呼ばれた。主な作品は「悪名シリーズ」「女系家族」「人生劇場」「宮本武蔵」「華麗なる一族」など。残念ながら彼は1978年12月に、猟銃自殺によって43歳という短い生涯に幕を下ろした。血液型はB型

Tamiya

 高松英郎・・・大映に第5期ニューフェースとして入社。以後はテレビドラマを中心に活躍し、悪役や凄味のある役から、温和な紳士や好々爺に至まで、幅広い役柄でお茶の間に親しまれた。1969年に放送が始まった国民的人気番組「柔道一直線」では「講道館の鬼車」こと車周作を演じ、これが生涯の当たり役となった。代表作は他に「しとやかな獣」「黒の試走車」「不毛地帯」「雲のじゅうたん」「将軍」「関ヶ原」「夏子の酒」など。

Takamatsu

 緒形 拳・・・個性的で泥臭い演技派の代表だった。彼の遺作は、倉本聰の「風のガーデン」だった。主な代表作品は「八甲田山」「鬼畜」「復讐するは我にあり」「火宅の人」「楢山節考」「魚影の群れ」「太閤記」「必殺シリーズ」など数知れず。紫綬褒章や旭日小授章を授章した。血液型はB型

Ogataken   

 牟田悌三・・・北海道大学農学部卒業。テレビの黎明期から登場し、主にホームドラマを中心に活動。かつてはお茶の間の大人気「ケンちゃんシリーズ」の父親役として長い間ブラウン管に登場し、温厚で日本の庶民的なお父さんとして親しまれた。他の出演作は「坊っちゃん」「恋の季節」「四季・奈津子」「桃太郎侍」「刑事くん」など。

Muta

 森繁久弥・・・ご存知大御所俳優として長らく芸能界の頂点に君臨し、人脈が広く、影響力を誇示した。時代劇をさせたら右に出る者がいないほど卓越した演技力だった。出演作品はあまりにも多過ぎて書ききれない。とりわけ「屋根の上のバイオリン弾き」では、900回にわたってユダヤ人・テヴィエ役を演じ、彼の代表作となった。勲二等瑞宝章を受章。他には「年末大型時代劇シリーズ」「東宝重役社長シリーズ」「駅前シリーズ」「次郎長シリーズ」「向田邦子ドラマスペシャル」などやCMなどにもマルチに活躍した。老衰により96歳でこの世を去った。血液型B型

Morishige

 北村和夫・・・早稲田大学文学部卒業のエリート俳優。文学座出身。「女の一生」「欲望という名の電車」、「阿Q外伝」など文学座一筋で舞台に出演した。杉村と常に行動を共にし杉村亡き後も文学座を支えた。映画では大学時代からの友人である今村昌平監督の「にっぽん昆虫記」「神々の深き欲望」などに出演し、「黒い雨』では準主役を務めた。またテレビドラマ「姿三四郎」にも出演し、渋みがかった演技が光った。「にごりえ」「暗夜行路」なども代表作と言える。紫綬褒章を受章した。

Kitamura

 小池朝雄・・・彼も私の中では押しも押されぬ名優だった。文学座演劇研究所に入所し、演技に磨きをかけた。声優としても、洋画ではジーンハックマン、ピーターフォークなどを持役とした。特に「刑事コロンボ」は番組自体の大ヒットとともに、小池のアクの強い台詞回しも外国俳優の吹き替えとしては空前絶後ともいえる注目を集めた。アニメでは「長靴をはいた猫」の魔王ルシファ、「どうぶつ宝島」のシルバー船長などがある。出演作は「私は貝になりたい」「名もなく貧しく美しく」「夜霧のブルース」「銭形平次」「悪名一代」「徳川女系図」「仁義なき戦い」「蘇る金狼」「動乱」「太閤記」「大奥」などがある。54歳という若さでこの世を去った。

Koike

 藤田まこと・・・ご存知「必殺シリーズ」の中村主水役で名声を得た。もちろんその前にも時代劇コメディーの「てなもんや三度笠」や、晩年に出演した「はぐれ刑事純情派」の安浦刑事役でも渋い演技力は光っていた。テレビ・映画だけでなく「剣客商売」など舞台への出演も多かった。血液型はAB型

Fujitamakoto

 もちろん他にも大勢名役者は存在する。長谷川一夫や嵐寛寿郎、辰巳柳太郎、大川橋蔵、佐田啓二、赤木圭一郎、上原謙、志村喬、加藤嘉、笠智衆、千秋実、有島一郎、山形勲、伴淳三郎、あるいは片岡千恵蔵,、佐分利信など。世代的にはオン・タイムではなかったのであまり存じ上げないか、あるいはおじいちゃん役で短い期間お目にかかったくらいだ。

Hasegawakazuo Akagikeiichiro Ueharaken 

 しかし、確かに言えることは、私はこうした名優たちの名演技に視線が釘付けになり、感動を与えて貰ったり、自分の生き方に少なからず影響があったという事実である。惜しまれつつ亡くなった名優たちに敬意を払うと共に、次世代の若い才能のある俳優達が彼等の遺志を引き継ぎ、更なる名作を世に生みだして行くことを願ってやまないものである。

2010年8月24日 (火)

ドキュメンタリー45歳の挑戦~スクーリング篇⑧~

 8月24日(火)晴れ

P8240239  本日、スクーリング最終日だった。実に名残惜しい。もっと東京にいたい気がする。スクーリングでは、土曜日も通常通り16時50分までの授業なので、休日は一日しかないというハードでタイトな日々だった。昨夜はエレベーターとゲームコーナーに近い角部屋を取ったために、ひと晩じゅうスロットのゲーム音がうるさくて、結果的に2時間しか眠れなかった。やばい・・・。5時45分には朝風呂に浸かり、6時から4Fのレストランで朝食。トーストは、2日目以降、丸い小さなパンが2個になってしまったようだ。そして本日は宿を引き払うため、荷物を全て作り、早めにフロントへ。この一週間を振り返れば、実に居心地の良いホテルだった。地方から出てきた私が連泊する為には、何よりリーゾナブルなのが嬉しかった。朝食と生ビール付きで7泊もして、25,200円なのだから・・・。しかもサウナと「トロンの湯」はいつでも入り放題、マッサージ器は無料で使い放題。ドライヤーや髭剃りフォーム、トニックからリキッド、フェイスオイル、そして歯ブラシと髭剃りまでフルセット。ガウンも上下無料貸し出しなので、着替えをあんなに多く持って行かなくても十分事足りた。来年は軽装で荷物を減らして来たいと思う。一度も履かなかったズボン(ジーンズ)も2着あった。そしてコインランドリーと乾燥機もあるし、ネットも使えるし、学習環境にはよろしくないが、アダルトチャンネルも4チャンネルも見たい放題だし(笑)、言うことなしだろう。6時台の「めざましテレビ」では、福島県では放送していない「美郷のワンポイント!」をチェック。思わずTV画面にカメラを向けてしまった。来年はカプセル内のテレビを全て地デジになっていることだろう。

 そして7時20分にチェックアウトした。昨日の夕食代は、結局、合計880円だったことが判明した。荷物を持ってキャスターで転がしながら大森駅へ。160円で切符を購入して7時27分に京浜東北線に乗車。そして田町駅に8時37分に到着。初日と同様、帰りまでコインロッカーに荷物を預けるため、エスカレーターで1Fへ。するとその先で本日創刊のコミュニティー誌「たまち」を配っていた。400円を投入し、一番大きなロッカーに荷物を預け、スクーリング最終日となった大学へと向かう。途中、ファミマに寄った。今日は昼休みにも試験勉強をする為、外食が困難な予想から、ペット茶以外に、おにぎりをふたつ買い込P8240245_2 んだ。340円。東京の人は秩序があると思ったのは、レジに行くまで、ちゃんと離れて列を成して待っているのだ。しかも通路をちゃんと空けた状態で。ところで今日も暑くなりそうだ。汗まみれの状態で、7時52分に由緒正しきレンガ調の東門を潜り、7時55分には2階の526教室へ。8時からが冷房使用開始らしく、部屋に入った時はモアァと来るような蒸し風呂状態。どっと汗が噴き出した。1限目が始まる8時50分までの約1時間、ずっと本日のテストのプリント類を必死に見直した。テキスト・ノート類すべて持ち込み可の「マスコミ論」は、ぶっつけ本番的な感じとなった。1時限は質問などを受け付け、10時50分から11時50分までの60分間、テストを実施した。独特な緊張感の中、それは始まった。当初の予告通り、「3択問題」で、1~3の中から自分が自由に選択して論述する問題だった。私が選んだのは(1)の設問で、「ニュースの生産過程に対する影響要因について論じなさい」というものだった。冒頭部分で前置きが長くなってしまい、時間が足りるか危なかった。裏面まで行ってしまい、自分なりには頑張ったと思う。「A」評価を取るのは厳しいが、「B」は貰えそうな雰囲気だった。幾らブログで記事や文章を書くことに慣れているとは言え、簡潔に要点をまとめ上げるのは、やはり厳しい物があった。しかも時間制限まである。でもそこは天下にその名を轟かせる名門大学だけあって、半分を過ぎた頃から、ぞくぞくと答案を提出する輩が大勢いた。自分は最後のタイムアップまで粘り、内容はともかく何P8240242 とかメイキングすることは出来た。その後、屋外のロータリーの木陰でおにぎりを平げ、早目に午後の「日本政治史」の試験会場へ。午後は13時30分から60分間の試験となった。こちらは4問まであって、すべて授業内容からの出題。したがって、どのテキストを見ても正答はなく、授業に出ていないと絶対に取れない問題だった。こちらは持ち込み不可のペン書きだったが、すべての問題に対し、そつなく書けたと思う。第1回の選挙ポスターから読み取れる他の政党批判や戦争の時期に英米観がどう変容したか、また、授業で聴いた戦時中の歌の内容についても問われた。こちらは「B」か「A」に値する答案は作成できたが、教授の要求レベルが高いので、遠慮して「B」と言っておこう。でもかなりテストについては不安だらけだったが、何とか7日間の成果は出せたように思う。決して楽観はできないが、2+2=4単位は堅いと思う。休憩時間中、120円でお茶を購入。そして15時からは、テストの模範解答についての解説と、授業中に見れなかったGHQの統治下のビデオ映像を見て、その後、質問コーナーとなった。これが大盛況。テストが終わって、内心いち早く帰りたいと思っていたが、さすがは天下の「K」大学。入れ替わり立ち替わり矢継ぎ早に質問が殺到し、収拾がつかない。教授ですらたじろぐほどのレベルの高い質問が寄せられた。他の授業の学生は、テスト終了後そそくさと帰っているのに、結局通常通りの終了時間である17時近くまで討論会を催した。したがってチャイムの後の帰路は早足だった。もはやスクーリングの余韻や郷愁に浸っている場合ではなかった。16時55分に東門より出て、17時5分に田町駅のロッカーから荷物を取り出し、丁度到着した京浜東北線に飛び乗り、これまでと逆方向の東京駅方面へ向かう。当初、予定していた新幹線を4つ先送りし、結局17時40分発の「やまびこ63号」にした。改札の前に、土産屋に立ち寄り、「吉田菊次郎のクッキー&チーズケーキ」をお土産に4箱購入。〆て4,200円。そしてホームのNEWDAYの売店で、鳥めし弁当とペット茶を950円で購入。乗り込んだ電車で早速食した。こまちタイプの車両で、回送列車だったので、清掃もなくすぐに乗車となった。始発なので自由席でも訳なく座れた。5号車の西側の窓際にP8240246席を陣取った。乗り込む際、AKBに入れたい様な超可愛い女の子が目の前を素通りして行った。ストライプのシャツを纏っていた。それにしても東京に8日間滞在したとは思えない感じがした。何か都会で過ごすと、時間の経過がかなり早い気がする。その車両は上野で既に満員状態だった。列車内からは高いビル群に隠れて、東京スカイツリーを拝むことは出来なかった。もちろん上野駅は地下駅のため、その前後は地下に潜るので、鼻から見えないのだが・・・。日暮里から先、地上に出たときに何度も振り返ったが、あの威容を拝むことは許されなかった。途中、王子駅前の飛鳥山公園に設置されているミニケーブルカー(モノレール)やロッテの二軍練習グランドを素通りした。18時5分に到着した大宮では、殆ど座れない状態に、乗客が膨れあがった。宇都宮に18時29分に停車。ここで通勤者達がごそっと降りた。そして18時56分に郡山へと到着した。駅前の人や車の少ないこと・・・。平日の仕事終わりの時間帯なのに、何か妙に閑散としている。地方都市は寂れる一方だ。7時10分にバスターミナルから「さくら循環虎丸回り」に乗車し、郡山二中前で下車。170円。そして車を預けておいた実家へ19時18分に辿り着いた。そこでお土産を渡し、仏壇に手を合わせ、出がけにわざわざ朝早く駅まで送ってくれた母親にも東京滞在中の報告を行った。21日に内臓の検査を受けたのだが、明日結果がわかるというのだが、あまり状態が芳しくないようだ。母親自身は重い病気だと思い込んでいる。父親のこともあるので、気分が萎えないように極力励ましの言葉をかけた。思いがけない落胆な表情と様子にこちらもやや気落ちしてしまった。内心大丈夫だろうか・・・。そして、明日以降、随分と休んでしまった仕事に復帰することになるが、明日以降は、帰宅が遅くなると思われるので、帰宅する前に市内麓山にある中央図書館に出向き、借りていた東京の地図とガイドブックを返却した。そして20時2分に、一週間以上空けていた自宅に辿り着いた。何か冷房が効きまくっていた東京よりも郡山の方が蒸し暑い印象を抱いた。

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 すると山のように郵便物が届いていた。その数、私の分だけでも9通。その中には、案の定、7月3日・4日に福島市で受験した科目試験の通知が大学から届いていた。自信をもって封を切ったその瞬間、愕然と来た。幸いにして得意の英語は「A」(英語Ⅲ)と「B」(英語Ⅱ)で、めでたく単位認定となったが、一番大事な専門の「日本法制史Ⅰ」が何と「単位不認定」(D評価で、早い話が再試験!)。これには合点がいかない。一番自信があったのに・・・。事前に提出したレポートも「A評価」を貰い、テストの答案も裏面の最後の行までびっちり埋めたのに・・・。一体何が原因だというのか?誰かの答案と処理を間違えたのか?頭の中にクエスチョンマークが幾つも浮かんだ。そこでネットでやっている学友会のフォーラムの書き込みや掲示板の学生たちのやり取りを読むと、実はレポートと科目試験は、評価の観点からすればあまり因果関係がないようで、あくまで試験結果がすべてのようだ。レポートはあくまで受験出来る権利を獲得しただけに過ぎないらしい。やっぱり短期集中の学習では、内容理解が乏しいことを見透かされてしまったようだ。冷静に原因を振り返ると、設問の意図とは論点がズレていたのと、いくら覚えて来たからと言って、関連性がない記述をただだらだらと羅列しても、まったく評価の対象にはならないということらしい。また、余計なことを書くのも評価の対象外と判断されるようだ。もしかすると、試験はペン書きだったのだが、時間内にたくさん書こうと焦り、あまりにも誤字脱字が多く、それを訂正する箇所し過ぎて、やや汚い答案になったことも災いしたのだろうか?じゃあどうすれば単位認定をして貰えるのだろうか・・・。しかし、よくよく考えてみると、下手に温情で「C」評価を貰うより、再度チャレンジして、次回「A」評価を狙えるチャンスを与えられたと考えれば、逆に好材料かもしれない。そして一夜漬け的な学習姿勢で単位を貰ってしまうと、「こんなものか」と多寡を食ってしまい、甘く見て今後に悪影響を及ぼす可能性のほうが、むしろ危惧すべき点なのかもしれない。

 されど正直なところ、この2単位分の取得について、前もって皮算用し計算済みだっただけに、よもや同じ科目を再び覚え直して再チャレンジを余儀なくされるとは、それだけでも気が滅入る。私自身、現役の学生時代にはすべて単位を一度も落とさず、追試にもならずに乗り切って来た経緯があったので、この不意打ちとも思える処遇には、いささか絶句ものの衝撃だった。これで今後の履修計画を大幅に見直す必要に迫られた。10月の試験では、「英語Ⅶ」と「憲法」、そしてこの「日本法制史Ⅰ」に再チャレンジすることになりそうだ。ところが大学から毎月発行される「ニューズレター8月号」で確認したところ、前回と同様、試験の時間が「日本法制史Ⅰ」と「英語Ⅶ」が重なってしまい、両方は受けられないことが判明。7月の科目試験で「日本法制史Ⅰ」を捨てて、英語を真っ先に終わらせておけば良かったと後悔した。やはりにわか学習は、その道のエキスパートには見抜かれるということだ。しかし、逆にこれで闘志に火が付いた思いがした。10月の試験は、3科目と枠を広げずに、2科目に絞り、じっくり腰を据えて取り組みたい。次の試験は仙台が一番近い受験地になるので、「憲法」と「英語Ⅶ」を受けると2日間出向く必要があり、宿泊せずに1,000円高速を活用し、車で往復したいため、同じ日の異なる時間帯で受験が可能な「民法総論」と「英語Ⅶ」を受験することにしたい。そうすれば一日の日帰り往復が可能となる。

 次回(10月)の科目試験で受験を予定していた「憲法(J)」と、受験不可と判明した「日本法制史Ⅰ」は来年(1月)以降にずれ込むことになりそうだ。せっかく一番時間をかけ、かつ力を入れて勉強した「英語Ⅱ」(文法)と「日本法制史Ⅰ」で「A」評価をゲットできず、ほぼぶっつけ本番で臨んだ長文読解の「英語Ⅲ」が皮肉にも「A」だなんて・・・。「真実は小説より奇なり」でわからないものだ。これはスクーリングの成績も下方修正しておいた方が無難かもしれない。急に弱気になった。スクーリング終了で10単位分取得を目論んでいたが、本日現在で4単位分に留まってしまったことで、当てが外れた。そして、そんな気落ちの中、朗報もあった。7月の20日に提出していた「憲法(J)」のレポートがスクーリングの最中に返却されていた。何とこちらは「日本法制史Ⅰ」と同様に「A評価」だった。どうもレポートは、ブログの影響からなのか、毎回(と言ってもまだ2回だが)最高評価をして貰えるのだが、科目試験は、時間を掛けてじっくり覚え、理解を深めないと、なかなか高評価には結びつかないことも認識できた。今回のことを反省材料、若しくは教訓として、試験対策と内容理解に努めたいと思う。今日はスクーリングでの科目試験や「憲法」のレポート結果の件と言い、母親の病状や7月に受験した科目試験の結果と言い、浮き沈みの激しい一日となった。精神的にも肉体的にもとにかく疲れた。東京では毎日歩き通しだった。普段車で移動なので運動不足が露呈したが、ほぼ電車と徒歩で動き回ったために汗だくになり、毎日サウナに入っているようだった。そして喜ぶべきか悲しむべきか体重も68kg台まで落ちた。身長が178cmあるので、ベストなのかもしれない。結局、この記事を作成し、溜め込んだ145枚分の画像とにらめっこし、レイアウト貼り付けをしてしまったら、何と夜中の零時30分までかかってしまった。2日連続でかなり寝不足だが、あとは明日の仕事に備えて休息に充てたいと思う。

 結びに、いろいろ挫折や緊張感など、普段の生活ではあまり体験できないようなスリリングな日々を過ごせた。スクーリングは自己の能力を高める意味において至極楽しい。金は随分つぎ込んだが、普段の生活では得られないそれ以上の価値はあった。大体にして22年振りに学生気分に浸れたという経験は、自分にとって今後の人生にプラスになった気がする。今回のようなアカデミックな刺激をたまに受けないと、地方の生活に甘んじてしまい、まったり&のんべんだらりとした人生で終わってしまう気がしたのだ。

 本日の費用 6,340円

 今回のスクーリングの総費用(概算)
 
 JR東北新幹線往復(学割)  13,360円(実際の持ち出しは3,360円)
 スクーリング受講料(2科目)  16,000円
 1日目滞在費           11,237円(不意の教科書購入有)
 2日目滞在費            6,370円
 3日目滞在費            6,803円
 4日目滞在費            6,455円
 5日目滞在費            6,189円
  6日目滞在費            7,773円(各種入場料・ワンデーパスなど有)
 7日目滞在費            6,920円
 8日目滞在費            6,340円

     合計額           87,447円(実際の持ち出しは77,447円)

* 主な滞在費用は、往復のJR代、お茶代・昼食・夕食などの食事代、宿泊代・インターネット代・洗濯代などであった。出来るだけジリ貧生活を続けた結果、8日間も東京にいて9万円未満(実際は8万円未満)で収まったのは普段から節制している賜なのかもしれない。なお加筆すれば、これ以外にも衣服代などがあった。

 

2010年8月23日 (月)

ドキュメンタリー45歳の挑戦~スクーリング篇⑦~

 8月23日(月)晴れ

 本日、スクーリング7日目だった。もう東京滞在も一週間になった。あと一日で郡山に帰るのかと思うと気が滅入る。どうせならもう少しいたいが、仕事をそんなに休めないし、先立つものも心配だ。疲れも溜まって来た。明日には単位認定の試験もあり、ちょっと緊張の日々となることは間違いないだろう。それにしても私がセレクトしたカプセルホテルは実に居心地がよい。サウナやトロンの湯は入り放題だし、マッサージ器も無料で使い放題。そして生ビールはグラス一杯は無料。そして朝食付きで一泊3,600円。普通東京都内で一泊すればビジネスだって素泊まり6,000円はまず下らない。個室ではないが、寝るときくらいしかカプセルに入らないので別に問題ない。7日間も居て、体調もまったく損ねては居ない。これから東京に泊まることにも別段抵抗はなくなったような気がする。ぜひお勧めしたい。そしてそんなに混んでいないし、予約が取れないということはまずない。

 さて、快晴の天気予報の中、5時45分に起床。5時55分に風呂へ。シャワーのみで6時5分には朝食を摂る。洋食はいつもと同じメニューだった。どうも左肩がマッサージ器のかけすぎで骨が痛む。そして右足の小指の皮が剥けてしまい、カットバンを貼る。7時37分にチェックアウト。着る物も残り少なくなり、今日も洗濯が必要のようだ。昨日の夕食代730円をカード決済し、7時39分に大森駅で160円の切符を購入し、京浜東北線に乗る。朝のラッシュで混んでいた。明日はこれに大きな荷物を背負って乗り込まなければならない。7時55分に田町駅へ。そしてファミマに立ち寄り、125円のペット茶を購入。そして裏道を歩き、8時4分東門より大学構内へ。掲示板を見に立ち寄った後、8時8分に教室へ。朝から汗だく。残暑がまた戻った感じ。そこで30分ほど明日の持ち込み不可の試験の対策として、プリントの見直しを行う。どの教科書を見ても答えは出てこないが、授業を聞いていたものは論述が可能だとだけ教授は言っていた。むしろそれが怖い。O教授のマスコミ論が午前中で早めに終了し、12時24分にすっかり通いなれた「さかな食堂」へ。P8230218 本日は590円で「ねぎとろ丼」を食した。そしてファミマで125円のペット茶を購入し、517教室へ。そして午後は、問題のT教授の講義を受けた。どうも自分の研究分野をそのまま授業として取り入れるので、かなり時代区分でも偏重している傾向がある。でも視点がユニークで切り口も面白い。そしてJUST16時50分に最終講義が終了。いきなりマイクをさし向けられる緊張の授業だった。今日は沖縄戦まで話が進んだ。田町駅で160円の切符を購入し、17時8分の電車で大森へ。電車では、視線をどこに置いたらいいか目のやり場に困っていたが、それも慣れたし、吊革につかまらなくてもバランスをとるのが上手になった。17時18分には大森駅にいた。そして昨日も立ち寄った「江戸そば」に17時21分に立ち寄り、小銭確保のため自販機で1万円札を崩す。480円の冷やし蕎麦と牛丼セットを食券にて注文して食べた。安い割りに美味い。そして17時35分にホテルにチェックイン。まず、3,600円カード決済し、部屋を替えてもらった。2Fの一番手前の2002にして貰った。そして本日は洗濯があるので、カウンターで500円玉2枚を100円銀貨に両替してもらった。17時50分から入浴&マッサージしながら洗濯300円と乾燥機を2回回した。200円。漫画MAJORを読みながらかけたマッサージ器の周辺は、客がタバコをぷかぷかふかすので匂いがべっとりつく。私はあの煙が大嫌いだ。そしてついでに待ち時間を利用してレストランで夕食。生ビールと冷奴300円、特別料理の焼きそば580円を作ってもらい食べた。19時45分までレストランで16歳で亡くなった同級生と埋めた思い出の「タイムカプセル」を発掘するTVを見て涙した。

 そしてカプセルでいったん寛いだ後、20時45分からネットでこの記事を打った。その最中、俺がネットスペースに来ると、なぜか決まって入れ替わり立ち代り喫煙しに来る。私は亡き父の命を奪ったタバコを憎んでいる。副流煙のことを考えて、人前では断じて吸ってほしくない。私はそれは犯罪行為だと思っているからだ。自分が好きでタバコを吸って寿命を縮めるのは一向に構わないが、人にその煙を撒き散らさないでもらいたい物だ。その後、21時20分以降、カプセル内で明日の試験のために、全部の授業に出席したそのレポートを見直す作業を徹底して行った。

 本日の費用 6,920円

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2010年8月22日 (日)

ドキュメンタリー45歳の挑戦~スクーリング篇⑥~

P8220147  本日は学校は休みで、束の間の東京での休日を満喫した。まず、昨日のうちに大凡の見当をつけておいた。テーマは「古の歴史に触れる」である。物見遊山で終わりたくないので、休日まで勉強に充てた。とりわけ明後日、科目試験を控えているので、はしゃぎすぎるわけにもいかない。結局昨日も夜中の1時までビデオを見てしまった。目的を逸脱する自虐行為に反省。おかげで、猛暑の中、睡眠不足状態で都内を方々歩くこととなった。6時10分起床。まず朝風呂に入り、4Fの和風レストランで朝食。今日もパンは小さいのがふたつ。そしてカツフライはいつも通り。そしてアイスコーヒーだった。そして7時半チェックアウト。いつもだと朝の通勤の人波なのに、本日は日曜の朝イチにつきガラガラ。人影まばら。計画は成功したようだ。160円で切符を買い、大森駅を7時38分発。今日は座れた。初めてだった。田町に7時46分に到着し、一旦改札を出て、都営浅草線に乗るため、1Fに降り、地下鉄入り口より階段を下りていく。そして改札口で無愛想な駅員に尋ね、窓口にて超お得な「ワンデーパス」を500円で購入。なんとこれ一枚で、丸一日「都営地下鉄乗り放題」なのだ。昨日、ガイドブックには、700円で都バスと都電に乗れる物が掲載されていたが、地下鉄しか乗る予定がないので、500円の切符にした。ラッキー。実は昨日のうちに、地下鉄の乗り換えやら運賃やら所要時間やら、何個目の駅かを丹念に調べ上げ、行程表を作成しておいたから万全。しかし、三田駅7時58分発の「急行」に乗ったつもりが、最初の訪問地「押上」までは各駅だった。12個も駅を乗るのでうんざりだが、朝早いので地下鉄浅草線も座れた。というかガラガラだった。最初の目的地は、「東京スカイツリー」だ。結構おのぼりコースだが、こち亀にも載っていたように、今しか建設途中のタワーを記憶と記録に残すことはできない。地下鉄は真っ暗の中を運行するが、前の車両が曲がると大きく車列がそれにあわせてカーブしながら移動するので見ていて楽しい。そして8時19分に押上駅着。地下鉄は階段がやたら長くて嫌になる。そして出口を出た途端、まだ8時だというのにうだるような暑さ。モアァーと来た。やっと憧れの「東京スカイツリー」が拝める。胸がどきどきだった。しかし、周辺は工事のため、塀が回され、どこにあると周囲をキョロキョロ見渡P8220140して、初対面。驚き。何がって、そんなに高く感じなかったからだ。これで本当に東京タワーの333mを超えているの?という印象。五重塔と同じ心柱で支える構造のためか、鉛筆のように真っ直ぐ伸びている。末広がりではないので何かシンプルでそんなに大きさは感じなかった。あまりの暑さに近くの「ampm」でペット茶を購入。125円。そしてよく雑誌や新聞を飾っている、川面に映るスカイツリーの撮影現場を探す。案の定、同じ目的のカメラをぶら下げた同志!が大勢いた。交番の信号を渡り、すぐに川を発見した。そして何枚か写真。そして川に沿っていかにも下町風の佇まいの細い路地を歩く。大きすぎてフレームに入らない。少し歩いただけなのにもう汗びっしょり。半ズボンまで汗で濡れる。そして十間橋を発見。どうやらそこが川面に映る撮影ポイントのようだった。それからさらにスカイツリーから遠ざかるようにその東側の交差点まで移動。川を跨いで架かる青い水道管を発見。漫画に登場した場面だった。そしてその先の歩道橋まで行った。へとへと。そしてその上からも道路上に聳える構図を撮影。やはり撮影者やカメラ小僧が大勢繰り出してきた。帰り道はもっと増えていた。このスカイツリー、634mまで伸びる。今日は日曜なので工事はストップしていた。下町の風景をガラリ変えたように思える。そして展望台がやたらと外側に膨れてせり出している。一体どうやって建設しているのだろう。念願叶い、スカイツリーが見れて良かった。そして8時58分に押上駅に戻り、再び都営浅草線で浅草まで引き返す。予定より50分近く早かった。9時2分着。浅草では雷門から分け入り、仲見世を歩いた。中国人や欧米人が朝から多数つめかけ、人を避けて歩くのが大変な状態だった。そして一番奥の境内へ。ここは3年ぶりの訪問。そしてお香を髪や体に巻きつけ、本堂へ。そこで「ぴったんこカンカン」で安住・キムタク・泉ピン子がロケで来たおみくじを見つけた。そして東側より出た。そこで上空に聳えるスカイツリーの展望だ部分が見て取れた。遠くから見たほうがその高さは際立つようだ。ここからは徒歩となる。人力車のいなせな男衆がしきりに観光客に声をかけていた。ここから先は列車の接続がないので徒歩覚悟。6号線に沿って、南下。途中バンダイがあり、いろんなキャラクターが歩道に整列していた。そして地下鉄大江戸線に乗るのに、間違えて通り越してしまった。信号を横断し、Uターン。そして9時34分にセブンを発見し、麦茶を98円で購P8220151 入。こう暑いと水分もすぐに無くなる。そして9時37分蔵前の地下鉄乗り場へ。地下鉄の入り口は非常にわかりすらい。大江戸線で一個目の両国へ。これも座れた。ここで降りた目的は、歴史に触れようと「江戸東京博物館」に行くためだった。階段を駆け上がり、チケット売り場へ。超可愛い窓口のお姉さんに「学生証」を見せながら大学生1枚と告げ、入場料480円を支払った。超長いエスカレーター(途中で上りから平行になりまた上る珍しい形状)に乗って、一気に6Fの常設展へ。入り口でも学生証とチケットを見せた。何か気が引ける部分とうれしい気持ちが交錯していた。中はとにかく広かった。のっけから日本橋を渡って、広いスペースの展示場へ降りることになる。大きな模型やジオラマ、人形など江戸時代から現在に至るまでの東京の街の変遷がつぶさに見て取れた。率直に訪れて良かった。修学旅行生の中学生が多く散らばっていた。皆、美形揃いだった。あまり込んでなく、結構見ごたえがある博物館だ。そして何とスクーリングの日本政治史のテーマである「東京復興」という特設展示までやっていた。まさに講義のまま。戦後間もないGHQの占領下に置かれていた頃の様子を窺い知るのにはこの上ない資料が満載だった。しかも日本で見る白黒映像とは違い、戦勝国アメリカのそれはすべてカラー。自分の中で既成事実として出来上がっていた暗い印象は見事に払拭され、そこには色があった。P8220170 明るい印象すら感じた。新聞社の建物が復元されていたり、模型が動き、係員が説明してくれた。鹿鳴館やニコライ堂、そして明治時代や大正の街並みがかなりのミニチュア模型で復元されていた。最後に、マイブームになっている懐かしの車まであった。ダットサントラックやスバル360が展示されていた。何か「三丁目の夕日」を髣髴とさせた。そして歴史の重みにも触れることができ歌感激した。試験対策に一役買いそうだ。写真撮影は自由なので、何枚もシャッターを切った。そこには11時10分までいた。両国駅を11時14分に出た。大江戸線はどうもガラガラのようだ。今回も分けなく座れた、地下鉄は地上のJRや私鉄より混まないようだ。そして次の森下駅で都営新宿線に乗り換えた。(11:18)違えて急行に乗ってしまった。これは次に訪れる「靖国神社」の最寄の九段下は通過のなので、ひとつ手前の神保町で下車し、各駅に乗り換えた。東京の電車は5分も待たずに次の列車が来るのでうれしい。そしてワンデーパスはありがたい。いちいち切符を自販機で購入する手間が省けるし、とっくに元は取った。

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P8220212  九段下で11時30分下車。予定より2時間も早かった。でも東京にいると早く時間が過ぎそうで怖い。外はかんかん照りで、おそらく33度以上はありそうな天気だった。汗だく・靴擦れとふくらはぎが痛い中、何とか歩く。大鳥居は厳かな雰囲気を演出している。東京に住んでいた学生時代には一度も訪れたことがないのに。全国から来たバスが30台くらい参道の両側を埋め尽くしていた。さすが戦没者を合祀する神社だけある。途中、テントで英霊を讃え、施設存続のための署名を行っていた。ここの場所だけは神聖な場所だけに厳粛な態度で臨まなければならない。まず、しきたり通りに、お水とりで口をゆすぎ、本殿へ。そこで二礼・二拍・一礼した。ここは毎年のように首相の参拝を巡って問題視されてきた場所である。小泉首相が公約どおりに紋付袴で参拝し、戦争で犠牲になった若き兵士たちを悼み、涙した場面は今でも鮮明に残っている。家内の祖父も戦死しているので、何か特別な印象がある。そして教授の推薦したように「遊就館」へ行った。大学生料金で500円だった。ここは撮影は一切禁止。順路どおりに進むが展示室が20以上あり、全部見ると2時間はかかった。戦死者の遺品の数々。ゼロ戦や艦隊・魚雷や戦艦の模型や機関銃・戦車まで展示してあった。ここでは日清戦争から第2次世界大戦終結までのすべての事件や戦争が理解できるように時系列を追って展示説明紹介している。今まさに学んでP8220210 いることへ歴史認識を検証する上でも大いに役に立ったし、私自身、戦争というものを客観的に振り返る意味でも意義があった。そして最後の何万人もの遺影と遺書をみて思わず涙してしまった。私の亡き祖父も戦地に赴き、いつ死ぬかわからない恐怖と戦いながら大陸に進軍したのだった。そして家族に充てた手紙や挿絵を見たことがあったからだ。ここで靖国神社問題について、ひとつ理解を得られた。A級戦犯がここに合祀されていることが発端で、そこに首相が参拝することで国メディア(特に中国・韓国)から批判を受けるわけだが、実際、ここに東条英機らが合祀されたのは昭和53年の10月17日で、ごく最近のことだと判明した。だから以前は靖国問題など起きなかったのだった。これは歴史認識が乏しかった。やはりここは日本人なら一度は訪れないといけない場所である。特に愛国党らしき黒い特攻服を来た人たちも何人かいた。勘違いしているのは若いカップルが手をつなぎいちゃいちゃしながらデートの場所にしているのがやたら腹が立った。もっとここがどう居場所なのか歴史を勉強してから訪れるべきだろう。大学の講義で聴いた「海ゆかば」が作られた背景や戦時中の生と死をかけて大勢の若者が戦地に赴き、御国の為と自ら散って行ったその犠牲の上に、現在の平和や豊かな暮らしがあることを決して忘れてはいけない。

「海ゆかば」 http://www.youtube.com/watch?v=0vuQRrQ7nvc&feature=related

P8220214  そして靖国神社を13時43分に出発し、九段下駅へ。13時52分に新宿線でいったん神保町へ行き、そこで都営三田線へ乗り換えた。もうあしが棒状態。ここも難なく座れた。日曜日の電車は楽勝だ。歩き疲れたが、もう佳境である。そして芝公園駅で下車。最後締めは「東京タワー」と決めていた。新旧タワーの揃い踏みだ。14時7分着。ホームの冷たい水をペットに何度も詰めた。増上寺の隣の芝公園で一休み。ここからの眺めが抜群なのだ。上半身裸で芝生に寝転んでいる人や親子で野球をしている姿など、都会のど真ん中にあって何か長閑で風情を感じた。ここから見える東京タワーの絵は素晴らしかった。私が思うに歴史と風格があり、大きく見える。これで本当にスカイツリーのほうが大きいのだろうか。この比較をしたかったので、最後をここにしたのだった。15分くらいの休憩で帰り支度。14時29分に芝公園を発って、地下鉄三田線へ。公園駅を14時37分発。そして隣の三田駅で下車。ところが福祉会館前の出口に出てしまい、田町まで行くのに多少苦労した。そして田町駅ですぐに電車の乗らず、1Fの書店を一周した。その後160円でJR切符を買って、京浜東北線に乗り込んだ。14時48分発。ここでも座れた。今日は一度もたつ場面はなかった。大森駅に14時58分に到着した。そして遅すぎる昼食をとった。昨日のかつやの前にある「江戸そば」という店で、ミニカツ丼セット」を注文して食した。15時1分だった。冷えた日本蕎麦とセットで500円だった。安いし早いしうまかった。その後、アーケードを散策。いろんな居酒屋がたくさんあった。そして東口にあるはずのブックオフを探して入る。冷房効きまくり。3Fまで往復。ケツメイシの「さくら」を一度手に取るがキャンセル。そして法律関係の書籍を探すが、文献や教科書はなし。そして「みづほ」に15時45分チエェックインした。当初の計画より靖国神社で2時間半近く居座ったが、予定より早かった。3,600円。16時30から風呂&マッサージ。実はやりすぎて左の肩が痛い。17時からレストランで夕食。生ビールと冷奴300円。そして430円のもやしの味噌炒め。計730円だった。17時半にカプセルへ戻り、19時半からネットでブログを作成した。しかし、500円では足りず、ドリンクを2回購入(320円)し、お札を崩し、結局ネットには600円費やした。

 本日の費用 7,773円

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2010年8月21日 (土)

ドキュメンタリー45歳の挑戦~スクーリング篇⑤~

 8月21日(土) くもり/晴れ

P8210110  本日、スクーリング5日目だった。だいぶ疲れが溜まって来た。しかも昨日、夜中じゅう、隣の奴が競馬中継をラジオで聞いていて音漏れでうるさくて熟睡できず。でも5時54分に起床。6時から10分間シャワーを浴びる。タバコくさくてかなわない。6時15分から35分まで4Fレストランにて朝食。トースト&ベーコンエッグ&サラダ、アイスコーヒー。6時40分から40分以上カプセル内で寛いだ。ロッカーが狭くてバッグを擦り、ついにネームタッグシールがボロボロになる。7時41分チェックアウト。昨日の夕食代を精算。いきなり大森駅前のガード近辺で取り締まり。パトカーや警官など5~6人が出て、ベルトとケータイをチェックしていた。押し問答していたドライバーもいた。自販機で160円出して切符を購入し、7時47分大森駅発。いつもよりは空いていたが、座れず。7時57分田町到着。ファミマに立ち寄り、ペット茶を125円で購入。そして徒歩で大学まで歩く。予てから計画していた写真を2枚撮影敢行。一枚は豚が釣りをしているオブジェで、もう一枚は東京タワー。ちょっと恥ずかしかったが、あと4日間しかいられないので度胸も据わった。8時10分に東門へ。汗だくと息切れで8時12分に教室へ。今日から授業担当者が代わった。本来の教授になった。大石教授は話がとにかく面白い。例示が完璧で女性に受ける話術で飽きなかった。説明も懇切丁寧で温和な感じだった。昔職場でいお世話になった同僚に似ていた。さすがは大学教授だし、研究の第一人者だけのことはある。彼の勧めで、明日押上で建設中の「東京スカイツリー」を間近で見たいのと、その帰りに靖国神社にある「遊就館」を見学に行くことにした。明日は講義は休みだが、カプセルは連泊といえどもいったんチェックアウトしなければならないからだ。科目試験が近いのだが、これは仕方ない。

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P8210112 午前中の講義が終わり、12時30分に昨日も行った、「さかな食堂」へ。今日は「鉄火丼」にした。590円と割安だが、マグロはたくさん乗っていた。そして東門を通過し、ファミマへ。125円でペット茶を購入。午後の授業は昨日の歌にい引き続き「お山の杉の子」が戦後GHQの統治下で放送禁止になった理由とか、軍歌を2点取り上げた。その際、一度も指名を受けていない私が挙手して答えたが、イメージとは違うのが正答だった。やれやれ。今回のスクーリングでやっと話した感じ。そして隣の女性に質問され、答えたのも初めてだった。東京タワーに立ち寄って、そこからスカイツリーを眺めても良かったのだが、一人で行ってもつまらないのでキャンセル。大田区に住むおじさんを呼んでも良かったが、電話番号を控えるのを忘れていた。16時55分に教室を出て、田町駅へ向かう。160円で切符を購入し、17時9分発の京浜東北線に乗る。17時20分大森着。今回も座らず。そして駅前の「かつや」という店に入って夕食。829円の「ロースメンチカツ定食」を注文した。これが結構量が多い。満腹になった。どうも待っている間の間が持てない。カップルが隣に来ても、目線をどこに置いたらいいのかわからない・・・。そして17時45分に定宿となった「みづほ」へ。土曜日なのにやたらと客が多い。下駄箱はいつもの倍。3,600円をカード決済するが、4日間同じだった2092号室が先客がいて、日の当たらない側にしてもらう。隣に人がいると落ち着かないからだ。本日は2Fの2055室だった。そして明日の行程をガイドブックで確認するが、地下鉄の乗り継ぎがどうもうまくいかない。面倒くさくなり、18時35分からとっとと大浴場へ。簡単に済ませて、マッサージへ。漫画MAJORを4巻読みながら、大画面テレビを見た。松岡修造がMCのスポーツ感動物語だった。脳溢血で倒れた生徒が奇跡のシュートを入れるシーンは涙ものだった。そして19時半にレストランへ。もうすでに夕食を済ませたので、今日は生ビール(無料券)なんとグラスも冷えてるし、ビールの中に潰した氷が入っている!そして300円の冷奴だけを食した。テレビ東京のいい旅夢気分でやっていた「会津」の映像を見た。そして20時にカプセルに戻り、20時5分からこの記事を3Fのネットコーナーで打っている。300円。

 明日は東京滞在で唯一の休日。思う存分楽しみたい。

 本日の費用 6,189円

2010年8月20日 (金)

ドキュメンタリー45歳の挑戦~スクーリング篇④~

8月20日(金) くもり

P8200071  朝5時45分起床。肩と腰に張り返しあり。マッサージのかけすぎ。5時55分から朝風呂。昨日、タバコの煙を浴びすぎて臭い。6時10分から6時25分まで朝食。洋食だが、パンがやたら小さくなる。アイスコーヒー付き。ケータイ&デジカメ充電。ロッカーの荷物、擦りまくり。6時50分から7時半までカプセル内で休憩。7時47分チェックアウト。昨日の夕食代1,130円をカード決済。7時52分大森駅、切符160円。田町駅8時2分着。ファミマに立ち寄り125円でペット茶購入。東門8時12分。そして掲示板を見に第一校舎へ。すると私のレポートを見てくれた担当者が三田先生という女性だと判明。教室に8時18分到着。前から10列目を陣取る。私の指定席になった感じ。話が絶妙にうまい山腰講師の授業が終了した。最後は拍手喝采を浴びていた。試験の内容が告知され、すべての持ち込みが可能で安堵した。昼食は外へ出た。学食は一度だけでOKだと思ったからだ。12時30分に昨日、目星をつけた「さかな食堂」へ。自販機で券を購入すると自動で厨房につながっている。私は「まぐろ・サーモン・いくら」などがぎっしり詰まった「海鮮どんぶり」を790円で注文した。これが味・量とも適当だった。東京でこれだけ美味い丼物をなかなか食べれないと思った。5分ほどで平らげた。そして12時40分にはメディアセンターへ。「国際政治」関連の書籍を探し、2冊カウンターに持ち込むが、「RB」表示はレファレンスブックにつき、貸し出しできないらしい。残念。午後の授業はマイクを突きつけられるプレッシャーとの戦いなので準備したかったのだが・・・。自販機で140円のペット茶を購入し、1Fの517教室へ。午後の一発目はなかなか指名はなかった。映像を見せられた。戦後のマッカーサーの上陸の様子や占領下の日本の様子などが映し出されていた。そして2コマ目は「杉の子お山の子」という歌が、戦後GHQによって放送禁止になった理由などを探った。それにしても大学教授ともなれば、専門用語は次々飛び出すは、とにかく話を論理的に展開し、話術に長けている。まぁそれが商売なのだが・・・。自分の研究分野について取り上げているのでやや偏りはあるのだP8200073 が・・・。こちらの試験は持ち込み付加。授業に出ていれば楽勝というのだが、どこにポイントを絞ればいいのかわかりづらい授業なので、日曜日に集中して見直して、試験対策をしなければならないだろう。16時50分に講義が終わり、17時2分に東門より外へ。17時8分に田町駅へ。160円の切符を購入し、改札へ。京浜東北線の車内は空いていたが、一度も座った試しがない。もっとも3駅なので9分の乗車だ。都会の人々は、何か冷たい印象だ。何食わぬ顔で乗り合わせただけという感覚。皆、あさっての方を向いている。不思議な感覚だ。今、駅ですれ違った人とは、おそらくもう二度と会うこともないだろう。無関係を装っているよそよそしさを感じざるを得ない。17時20分に大森駅へ。チェックイン。もう施設にも慣れた。下駄箱に靴を入れ、カウンターで3,600円でカード決済。ロッカーのキーを受け取り(今回も2092号)ドリンク無料券と、翌朝の朝食券を受け取る。そして2Fのロッカーに荷物を入れ、カプセルへ。ガウンを着てすぐに5Fの大浴場へ。髭剃り、シェービングクリーム、ボディシャンプーやシャンプー&リンスがすべて無料。フェイスローションやトニックも使い放題。製水機もある。サウナも汗を出すのに最高。そしてお決まりの行動になったが、漫画を見ながらマッサージ器で疲れを取る。18時10分には4Fの和風レストランへ。本日は生ビール(何とこれが氷が入っていて冷えまくり)、冷奴300円、キャベツの旨だれ300円、烏賊の姿焼き580円を注文した。合計1,180円なのだが、烏賊が焼けるまで店員が気を遣って、小鉢に入った何かの肝をサービスしてくれた。その後、18時50分より3Fのネットコーナーでこの記事を打ち込んだ。

 本日の費用 6,455円

2010年8月19日 (木)

ドキュメンタリー45歳の挑戦~スクーリング篇③~

 8月19日(木) くもり 

 スクーリング3日目に突入し、徐々に東京での生活に慣れてきた。一番つらいのは朝夕の京浜東北線の列車通学だ。いまだに場が持てない。さて、昨日はMチャンネルにどっぷりつかりながらも6時間以上睡眠を確保した。枕が変わると寝れないタイプなので心配したが、おもいのほか昨日は眠れた。連日猛暑日が続くので疲れが溜まっていたのだろう。5時24分に起床した。「めざましのテレビの」前にやっているフジテレビが誇る女子アナが3人登場する番組を初めて見た。松村未央(私の先輩!)も出演していた。5時30分から6時10分前朝風呂につかった。寝癖がついたので髪も洗った。体重は68.8kgにダウン。連日暑さの中、靴擦れができたほど異常なくらい歩くので、知らないうちに減量に一役買っていた。血圧も128-84と安定した。カプセルに戻り、テレビを見る。千葉テレビの朝の情報番組に出ているアナウンサーがとても可愛くてびっくりした。「朝まるJUST」という番組だった。6時48分から7時まで4Fレストランで朝食。今日は洋食にした。エッグサンドとカツサンド。そしてサニーレタスにアイスコーヒーのセット。パンが肉厚なのは良いが、口蓋を火傷し、皮がめくれた。

 そして、カウンターで昨日の夕食の精算をカードで済ませ、昨日より断然早い7時32分にホテルを出発した。7時35分に大森駅から160円で切符を買い、京浜東北線に乗る。早い時間帯のほうが電車は込んでいるようだった。田町までは10分程度の行程。7時50分に到着。そして人の流れに身を任せて徒歩。エフワンという建物の近くに面白いオブジェを発見した。店の看板が豚でしかも立体的なオブジェで釣り糸を垂れているものだった。機会があれば東京タワーの写真とともに何とかシャッターを押したい。8時にはなんと大学に到着してしまった。自販機で「伊右衛門」を140円で購入。講義は8時50分からなので45分は待った。31歳の私より遥かに若い講師の話を延々聞く。「マスコミュニケーション論」という科目なのだが、でもやたら話がうまい。例示も見事。わかりやすい説明に敬服している。そして、午前中の講義が終わって、12時半にファミリーマートへ。昼食を購入。チキンライスコロッケ弁当とお茶とおにぎり一個で633円。何のことはない1万円札を崩したかっただけだ。帰りがてらよさげな「おさかな食堂」という場所を見つけた。ぜひ明日行ってみたい。12時50分に517号教室に戻り、そこで食事。今日は指されるか毎回ドキドキ。今日は曇り空で、猛暑日ではないが、それでも汗だく。湿度が高いせいだと思う。午後の授業も私の一人前までマイクを差し向けられたが、結局指名されず。

 17時5分に田町駅へ。160円で切符を購入し、京浜東北線にて大森駅へ。ホテルまでの道すがらカツどん屋と蕎麦屋があるのだが、わき目もくれずホテルへ。17時20分「カプセルみづほ」へ。またしても同じ2092号。3,600円をカードで支払う。そして洗濯物を選別し、17時40分に5F大浴場へ。今日は3日分の汚れ物を洗濯すると決めていた。300円で洗濯機を回す。洗剤入りなので助かる。その間に入浴。そして風呂上りには昨日と同様マッサージへ。ジャンプを読みながら20分間マッサージ器の恩恵を受ける。そしていったんコインランドリーへ。そのまま乾燥機へ。30分で100円。その間、今度は4Fのレストランへ。ドリンク無料のクーポン券を使い、生ビールを注文し、つまみに冷奴300円、枝豆300円、串焼き350円を頼む。しかし、出て来た枝豆がやたら塩をまぶしてあり、高血圧気味の俺には厳しかった。そして水を貰う。やや腹がすいたので、最後に180円のポークおにぎりを追加した。これがびっくりの大きさ。普通のおにぎりの2個分はあろうかという大きさ。それにスライスした豚肉がのっかっていた。夕食代は合計で1,130円。その後乾燥機を覗くが、あまり乾いておらず、もう100円追加し、カプセルへ戻った。テレビを見ながら待ち、20時10分に5Fへ。今度はちゃんと乾いていた。その後、3Fのネットスペースへ。小銭がなく、自販機で180円のペット茶を購入し、20時4分からネットでこの記事を打った。300円。そして21時半から再び風呂とマッサージをかけた。しかし、そこでプカプカタバコを吸われ、体中に臭いが染み付いた。

本日の費用 6,803円

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2010年8月18日 (水)

ドキュメンタリー45歳の挑戦~スクーリング篇②~

 8月18日(水)晴れ

 今日は、スクーリング2日目だった。まずMチャンネルを深夜まで見すぎてしまい、4時間しか眠れず・・・。何をしに東京まで行ったのやら。そしてアラームをセットしたが、意味なく6時には起床。6時10分から30分まで5Fの大浴場でシャワーを浴びた。タオルを返却してしまい、濡れた体を扇風機で乾かした。体重計に乗ったら70kgを割っていた。昨夜は血圧を測ったら上が150未満で下は100を切っていた。マッサージをやりすぎて腰にやP8180008 や張りがある。肩は思いのほか軽い。そして6時40分から4Fのレストランに降り、朝食券を使い、和食を注文。さんまに納豆、漬物、吸い物だった。米はもちもちしてまずくて美味しくない。きっと水のせいだろう。カプセルに戻って、「めざましテレビ」の首都圏版の「長野美郷」見た。初めて6時52分台の「美郷のワンポイントアドバイス」を生で見た。お下げ髪が超可愛かった。7時47分にホテルをチェックアウトし、田町駅へ。朝から暑い。160円で切符を買い京浜東北線へ。すし詰め状態ではなかった。8時2分に田町駅へ。東京タワーが道路の延長線上にデカデカと聳え立ち、目の前にあることにびっくり!是が非でも写真に撮り収めたい。8時12分に由緒正しき東門から入り、構内の自販機で生茶を140円で購入。525号教室へ。10列目に陣取った。何とか教室の写真を撮った。昨日とは打って変わり、「ジャーナリズム論」になった途端、急に難しくなった。12時30分に学食を諦め、東門の写真も撮りたいがために、暑い中、わざわざ外へ。そして「麻布ラーメン」の店に入った。750円のキムチ入りの冷やしラーメンを食べた。ライスかサラダが無料サービスで、ライスを選択したが、やはりお米はまずかった。そして帰りがてら東門の写真をゲットした。東京タワーは無理だった。そして、教室に戻る前に、図書館兼メディアセンターへ立ち寄った。 カードを翳すとゲートが開く仕組み。ここではトイレを使っただけだった。そして学食に立ち寄り、生茶を140円で自販機にて購入した。午後の授業は、昨日ほど指名はしなかったが、やはり自分の近辺まで来て、かすった。隣の女の子がやや気になった。この講義のため、聖光学院対興南の試合を見れなかった。昨日より暑くはならなかったが、空が暗かった。急いで田町駅へ戻った。17時10分、駅で切符を160円で購入して、京浜東北線に飛び乗る。16時20分に大森駅到着。そして5分ほどでカプセルホテル「みづほ」へ。3,600円。預けた荷物を返してもらう。昨日と同じ2092号だった。17時40分より、5Fのトロンの湯に入る。今回はタオルを持ち帰った。18時までサウナにも入った。そして漫画メジャーを読みながらマッサージ器で疲れを癒した。その後、4Fのレストランで夕食。あまりの暑さと店を探す面倒さが手伝って、ホテル内のレストランで済ませる寸法だった。生ビールはドリンク無料券を使用。あとは冷奴300円、串焼き3点盛が380円、大きなほっけ焼きが580円。しめて勘定は1,260円だった。この会計は明日のチェックアウトの時に実施。そして、昨日と同様に3F降りてインターネットでこの記事を作成した。300円分。

本日の費用 6,370円

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2010年8月17日 (火)

ドキュメンタリー45歳の挑戦~スクーリング篇①~

 8月17日(火)晴れ

P8170001  朝5時起床。面丁を患い、さらにやや腰が重く湿布を貼る。急いで身支度を整え、5時28分に愛車で自宅を出発。実家に車を預け、最近病気が発覚した母親に駅まで送ってもらう。申し訳ない気持ちといつまで母親を頼るのか・・・。そして徐に軍資金一万円を渡され、最初拒むが、一度言って引っ込める母親ではない。仕方なくお土産を買うことと、このお金は使わずに、貯金しておくことで受け取る。駅前アーケードで車から降り、そこで母と別れ、ローソンでペットのお茶とおにぎりを購入する。325円。そして駅構内へ。2Fの改札にはすでに50人以上が列を成していた。やはりUターンラッシュの余波だろう。6時に自動改札が動き、初めて使うホームへ。そしてこれも初めての「なすの260号」へ乗り込む。いつも2列シートの窓際を確保。始発なので余裕。8号車の自由席に乗った。6時16分に郡山を発って、宇都宮に6時57分到着。ここからはほぼ満席に。大宮に7時31分に到着。金色のロケットの構造物がいつも妙に感じる。そして霞がかかった中を列車は東京方面へ分け入る。新宿や池袋の高層ビルが見える。東側は朝日のせいでシェードを降ろしている乗客だらけで、東京スカイツリーを拝むことは出来なかった。そして東京駅に7時56分、定刻に滑り込んだ。すぐに山手線に乗り換え、田町駅で下車した。そしてコインロッカーを探し、1Fのロッカーにキャスターバッグを預けた。400円。そして入学式以来となる道順を人の波に身を任せ歩き、8時22分に大学の門をくぐった。未だに工事中なので、迂回するのに手間隙食った。8時30分に2Fの526号教室へ。東京駅から教室までやはり33分かかった。何と教室には冷房が入っていた。東京は前日38度を超える猛暑だったので、これは天の助けだった。午前中は「マスコミュニケーション論」を1時間40分の講義をふたコマだった。しかし、購入したテキストと違う書籍を教科書として使用する肩透かしに見舞われた。だから必死でメモをとった。そしてさすが天下に名を轟かせるK大のことはあって、学生はみな博学であり、質問の嵐で予定時間をオーバーしてしまった。そして12時20分で午前の講義が終了した。誰かに話しかけて仲良くなりたかったが、そんな余裕すら与えられず・・・。昼食は是が非でも学食で摂りたかった。有名女子アナも食事をしたであろう学食を体験したかったのだ。メニューはやはりボリュームがあって安かった。ビュッフェスタイルで、鶏肉とハンバーグポテトのセットにサラダ、豚汁、ミニライス、ペット茶で合計737円だった。座席は外国人の隣に。通学課程の学生と思しき一団が目の前に。やはりK大の学生は美人揃いだった。そして残り20分となったところで、通信制の掲示板を見に第一校舎へ足を運んだところ、101号室でスクーリングで使用するテキストを運良く販売していた。神田まで行こうかと思っていただけにこれはラッキーだった。係りのお姉さんと天気の話題を話しながら「ジャーナリズムとメディア言説」という3,885円もするテキストを購入した。想定外の高い出費だったが、これで引け目を感じずに講義に集中できる。

P8170002 13時20分からは午後の講義だった。1Fの517号室が会場だった。T教授の講義は、参加型で、廊下を巡回し、マイクを向けてさまざまな質問を学生にぶつけてくる。恐ろしい。ドキドキものだった。これはほとんどテキストを使用せず。一方的に教授が自分の研究分野を学生に披露し、一緒に考えるというスタイルのものだった。これも首尾よくこなし、冷房病と闘いながら、何とか16時50分まで持ちこたえた。教室の写真は人目を気にして撮れなかった。帰りは往路と異なる門から出た。これが東門といって赤レンガの伝統と格式を感じる大きな門だった。明日以降写真を撮りたい。17時10分に田町駅でコインロッ カーから荷物を取り出し、160円で切符を購入し、京浜東北線に乗る。3つ目の大森が本日の宿泊地だった。17時25分に大森駅に降り立ち、17時35分にカプセルホテルみづほへ。近代的できれいな外観に安堵した。チェックインの時点で毎回清算らしい。3,600円、楽天カードで支払う。しかも朝食無料券とドリンクサービス券もついている。館内は土足厳禁。カプセルとロッカーの使い方がわからなくて右往左往するも、着替えとか慣れればどの時点ですればいいのか要領を得そうな感じだ。カプセル番号は2092号。すぐ5Fの大浴場へ。ここはとにかく広い。大理石調の湯船が2つ、サウナも2つある。そして上下のガウン、ヒゲ剃り、歯ブラシ、タオル、バスタオル、シャンプー、P8170006ボディーソープなどすべて揃っている。トロン湯が名物のようだ。サウナも蒸し暑くない50℃。18時5分まで入っていた。その後、館内を散策。4Fのレストランの隣では、マッサージチェアが使い放題。30分以上、腰と両肩をマッサージした。大画面テレビで興南対仙台育英の生中継を見た。そして3Fにインターネットルームがあることを確認した。カプセルはTVが見れる。しかもアダルトチャンネルまで無料。そして着替えて外へ。18時55分に、自宅でネット検索で予め当たりをつけていた飲み屋があった。本日は赤い看板が目印の「いかり亭」という居酒屋へ。バイトの女の子4人が全員中国人で、「シンちゃん」が飛び切り可愛かった。ここでは、中生、かんぴょうのお通し、まぐろの刺身、冷奴、ししゃも、イカゲソ揚げを飲んで食べて、20分ほどで完食。1,630円だった。もしかして勘定を間違えた?でも満足だった。明日は違う店を開拓したい。19時20分にはホテルへ戻る。そして着替えた後に、3Fのインターネットスペースで、この記事を打った。15分100円で、つい500円分やってしまった。その後、21時10分以降レストランでドリンク無料券を使い、ウーロン茶をタダ飲み。夜はMチャンネルを見すぎて夜中まで起きてしまったが、とにかく居心地がよく、ぜひお勧めしたいホテルだ。

 本日の支出11,237円。

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2010年8月10日 (火)

プロ野球「名試合・名勝負&名場面」

 日本プロ野球機構(NPB)は9日、球史に残る最高の試合・名勝負・名場面に関しての順位を発表した。これは76年間に及ぶ日本プロ野球界の歴史を振り返り、当事者である各チームの監督と選手達の投票によって選び出されたランキングである。特徴的だったのは、現役の比較的若い選手達が選んだ順位だけあって、往年の名プレーヤー達の活躍に焦点を当てたわけではなく、むしろ近年の記憶に新しい試合ばかりだったのが残念としかいいようがない。まず、NPB発表の「最高の試合」と「名勝負・名場面」から紹介しよう。なお、各順位の下のアドレスをクリックすれば、その時の映像が見られます。

 「最高の試合」編

 第1位 1994/10/8 中日対巨人(ナゴヤ球場) 
      
   この試合に勝った方が優勝を決するという大一番。中日から移籍した落合などの活躍で、巨人が劇的優勝を遂げた一戦だ。この時の監督は中日が高木守道で、巨人は長嶋茂雄だった。この試合、中日はエース今中が登板し、巨人は槇原・斎藤・桑田の三本柱が揃って登板し、盤石の継投策で中日の反撃を防ぎ、6-3で巨人が適地ナゴヤで勝って優勝した。最後の打者を大きくタテに割れるカーブで三振に取り、マウンド上で一回転してガッツポーズした桑田の映像は未だに脳裏から離れない。この僅か2年後にも、最大で15ゲームもあった差をひっくり返して巨人が奇跡の逆転Vを成し遂げ、「メイクドラマ」が完結した。

 http://www.youtube.com/watch?v=FXv2YWAzRjQ

 第2位 2001/9/26 大阪近鉄対オリックス(大阪ドーム)
      
  この試合の前まで西本監督や仰木監督で3度リーグ優勝経験があった近鉄だったが、いずれも奇跡的な逆転劇で優勝を果たしていた。そしてこの試合もまた壮絶だった。3点ビハインドで迎えた9回裏、敗色濃厚の中、「いてまえ打線」の真骨頂の猛打が炸裂した。連続安打と四球で無死満塁と攻め立て、ここで梨田監督は、前の試合でも起死回生の代打ホームランをかっ飛ばした代打・北川を告げた。ここで信じがたいようなミラクル近鉄の本領が発揮されることとなる。その北川が観衆の期待にものの見事に応えた。2-1からの4球目を叩いた打球は、弾丸ライナーとなってぐんぐん伸び、センターバックスクリーン横の2階スタンドに突き刺さるホームランとなった。つまり、奇跡の代打逆転満塁サヨナラ優勝決定ホームランとなったのだ。地元の場内の大観衆は総立ちで、大騒ぎとなった。この時のシーンは今でも鮮明に目に焼き付いている。当時の近鉄は、若きエース岩隈を柱に、高村、中村紀洋、ローズなどがメンバーにいた。しかし、それにしても大興奮の中だったため気が付かなかったが、打った北川がダイヤモンドを一周してホームベースを踏む前に、ベンチから勢いよく飛び出した中村を始めとする近鉄の選手達は、ラインを越えて中に入ってお祭り騒ぎではしゃいでいた。野手がアピールすればアウトだったのでは・・・?。これと同じことはかつて槇原の敬遠のボールをサヨナラヒットした新庄も同じ。映像を良く見るとバッターボックスを越えて足を踏み出して打っている。でもその辺はプロ。サヨナラ打を打ったその時点で「勝負あり」という判断なのだろう。実はこの試合の2日目にもミラクルは起きていた。中村紀洋があの松坂からサヨナラアーチを放っていたのだ。この勢いを優勝決定試合まで持ち込んだ近鉄はやはり、「奇跡を巻き起こすどえらいチーム」だった。実は30年来、近鉄ファンの私は、もちろんこの試合をテレビの生中継で見て、鳥肌が立つほど大興奮したことを覚えている。北川は阪神から新天地を求めて大阪近鉄に移籍し、大一番で神がかり的な大仕事をやってのけた。そして、これぞプロ根性という職人芸をまざまざと見せつけた値千金の球史に残る、そしてチームは無くなったが、ファンの記憶に残る、永遠に語り継がれであろう奇跡の一打となった。

 http://www.youtube.com/watch?v=A32Eb8pkcx8

 第3位 2006/10/12 北海道日本ハム対福岡ソフトバンク(札幌ドーム)

 この試合はプレーオフ第2ステージ第2戦で行われた試合。八木と斎藤の息詰まる投手戦が続く試合だった。9回裏二死一・二塁から稲葉がサヨナラ二塁打を放った試合。私は特別、この試合が第3位に入るほどの名ゲームだとは思ってはいない。選手の選んだ理由を見ると、打たれたエース斎藤が、マウンドで崩れ落ち、号泣しながらチームメイトに抱きかかえられながら、ベンチに引き挙げて行ったシーンが感動を呼んだようだ。高校野球なら当たり前の一球にかける情熱がプロに入ると薄れがちだが、それを思い起こしてくれるシーンだったに違いない。

 http://www.youtube.com/watch?v=d9NGogZs0eI

 第4位 2009年/10/21 北海道日本ハム対東北楽天(札幌ドーム)

 これが選ばれたのも手前味噌的な印象がある。この試合は昨年のクライマックスシリーズ第2ステージの初戦だった。8対4と楽天リードのまま迎えた9回裏、スレッジが抑えの切り札でメジャー帰りの福盛から逆転満塁サヨナラホームランを放った。この一発で日本ハムが勢いづいてシリーズを制し、そのままリーグ優勝を果たした。私は、この試合よりもむしろ、負ければ即、解雇が確定的となっていた野村監督に対し、敵味方入り交じっての胴上げシーンの方が感動的だった。まさに試合が終わればノーサイド。戦いを終えた後の男達の清々しさがそこにあった。

 http://www.youtube.com/watch?v=J-xDe9H4XWM

 第5位 1985年/4/27 阪神対巨人(甲子園球場)
 
 この年は、阪神の21年ぶりのリーグ優勝・日本一で幕を下ろした大フィーバーした一年だった。優勝が決まった瞬間から、道頓堀川に次々若者が飛び込んだ。その年の阪神の勢いを象徴するのがこの試合だった。打撃陣は真弓・掛布・バース・岡田・木戸・弘田・長崎、投手陣は中西・ゲイル・池田・野村・工藤・中田・仲田・福間・山本和などの黄金メンバーが揃っていた。開幕から豪打と安定した投手陣で首位を守り、圧倒的な強さでリーグを制し、その後巨人でも倒せなかった西武ライオンズをやっつけ日本一の栄冠を手にした。この凄さの象徴がこの試合で飛び出したクリーンアップによる「バックスクリーン3連発だった。しかも巨人のピッチャーは、当時3本柱のひとりだった槇原だった。私はこの場面を      生放送で見ていたが、あまりの強烈さにマウンドで強ばった表情で呆然と立ちすくんでいたのをはっきりと覚えている。監督は吉田義男だった。この年はバースが54本、掛布が40本、岡田が35本、そして真弓が34本とホームランが乱舞し、驚異的な破壊力をまざまざと見せつけた阪神一色のシーズンとなった。

 http://www.youtube.com/watch?v=MbjQoPcwxvc

 「名場面・名勝負」編

 第1位 2009年/10/21 北海道日本ハム対東北楽天(札幌ドーム)

 既に上で紹介済みなのでここでは詳細は割愛します。    

 第2位 2001/9/26 大阪近鉄対オリックス(大阪ドーム)

 既に上で紹介済みなのでここでは詳細は割愛します。
 
 第3位 1999年/5/16 西武対オリックス(西武ドーム)

 これは2対0で西武が勝った一見何の変哲もない試合。しかし、平成の怪物・松坂大輔のルーキーイヤーにあって、あのイチローと初対決があった試合となればプレミアがつくゲームだったと言える。しかも唸りをあげる渾身のストレートと伝家の宝刀の鋭く横に流れて曲がるスライダーを武器にあのふりこ打法の天才打者イチローを3連続三振に仕留めた。詰めかけたファンの度肝を抜くような快刀乱麻の投球だった。松坂は8回を投げて被安打僅かに3、13三振を奪う力投だった。

 http://www.youtube.com/watch?v=gmW7lU3pTJI&feature=related 
 
 第4位 1999年/4/7 日本ハム対西武(東京ドーム)

 これも松坂が主役のゲーム。というより忘れもしない野球ファン必見の松坂のプロ初登板の試合だった。新人とは思えないほどの冷静で落ち着き払ったマウンド裁きと何か「打てるモノなら打ってみろ」と言わんばかりのふてぶてしさや自信が漲り、プロの打者との対戦を余裕を持って、上から目線で見下すかのような投球を展開した。強打者を相手に一歩も引かず、強気に胸元を抉るようなストレートで三振の山を築いた。特に圧巻だったのは初回の球界を代表する小笠原・片岡との直接対決だった。大観衆が興奮して見つめる中、何と155km/hの内角直球で片岡を空振り三振に仕留め、球場全体がどよめいたのを覚えている。まさしく衝撃のデビューだった。この日松坂は8回まで投げ、被安打5、9奪三振の好投で、プロ入り初勝利を挙げた。やはり格の違いを見せつけたと同時に、選手間でも松坂の出現と怪投ぶりは語り草となっているようだ。

 http://www.youtube.com/watch?v=ucouhyoOw3k      
 
 第5位 1995/10/25 ヤクルト対オリックス(神宮球場)

 この試合は日本シリーズの第4戦だった。前年、巨人が敗れた当時最強だった仰木オリックスに、野村監督率いるヤクルトが挑んだ一戦。川崎と長谷川(後にエンゼルス移籍)の投げ合いが続き、1-1で迎えた延長11回ウラの1死一二塁の一打サヨナラの場面で、オリックスの小林宏投手がオマリーを空振り三振に仕留めるまでの14球に渡る勝負の駆け引きや醍醐味は見事としか言いようがなかった。この時のオリックスは田口・イチロー・D.J・ニール・中嶋・平井らを擁した黄金メンバーだった。そして一方のヤクルトも俊足強肩巧打の飯田を先頭に、稲葉・土橋・オマリー・古田・秦・池山・ミューレン・伊東・伊藤智・高津・内藤など、こちらもそうそうたるメンバーが揃っていた。(You tube には映像無し)       

 以上がNPB所属の現役の選手達が選んだ「最高試合」・「名勝負&名場面」ということなのだ。繰り返すようだが、何かいずれもここ15年程度の近年の試合ばかりしかないようだ。おそらく最近の試合ばかりランクインするのは、ONの現役時代はもちろん、下手すれば原辰徳・現巨人監督の現役時代の活躍すら知らない若手の選手自身が選んだ試合ということなので、特段ライブで直接見たゲームではないからであって、次いで単純に覚えていないとか思いつかないというだけなのだと思う。まぁ人間の記憶力など所詮その程度なのだろう。しかし当事者はこれで良しとしても、これでは真の野球ファンは務まらない。そこで40年以上の長きに渡り、野球を愛し続けて来た私が公平な立場で正当な判断をした順位(トップ20)を挙げて結びとしたいと思う。長くなるので、コメントは控えたい。

 第1位「長嶋茂雄引退セレモニー」

 第2位「王貞治756号達成!列島じゅうが大フィーバー」 

 第3位「長嶋茂雄、天覧試合で阪神エース村山からサヨナラホームラン!」

 第4位「江夏豊オールスター戦で9者連続三振!」

 第5位「近鉄・北川の代打逆転満塁サヨナラ優勝決定ホームラン!」

 第6位「江夏の21球」&「近鉄西本監督、2年連続で日本一を逃して悔し涙」

 第7位「野茂英雄鮮烈デビュー!トルネード旋風吹き荒れる!」

 第8位「長嶋茂雄のデビュー戦、金田の前に4打席連続三振!」

 第9位「球界盟主の座を賭け、死闘を繰り広げた巨人VS西武(昭和58年)」

第10位「阪神猛打爆発バックスクリーン3連発」&「21年ぶりの優勝、そして日本一」

第11位「赤ヘル旋風!(昭和50年)」

第12位「江藤の起死回生代打満塁同点アーチ&直後の二岡の優勝決定サヨナラホームラン」

第13位「20歳のイチロー、振り子打法で200本安打達成!」

第14位「V9達成!9-0で圧勝した巨人VS阪神、そして前々夜の中日の勝利に拍手」

第15位「怪物江川、オールスターで8者連続三振」

第16位「近鉄、最終戦で優勝ならず・・・藤井寺に沸き起こったウェーブ」

第17位「巨人・清原、日本シリーズで西武・松坂から看板直撃特大ホームラン!」

第18位「西武・清原、巨人との日本シリーズ試合中に号泣・・・」

第19位「大怪我から復帰の吉村の渾身の一振りで巨人優勝決定!」

第20位「韋駄天福本豊(阪急)の快足世界一と塀際の魔術師」

 主観的に選んだ手前、中には名場面ではなくて名選手を紹介してしまったことはお詫びしたいと思う。如何だろう。予想通りだっただろうか。それとも「そういえばそんな試合があったな?」という感じだろうか。それとも「あの試合が入っていないのはおかしい?」という感じ?されどこうして自分のお気に入りの試合を勝手な尺度でランキングで綴れるのもブロガーの特権だろうと思う。それにしても他者と自己のランキングを見てみて思うことは、ゴタゴタ不祥事続きの大相撲とは格段に違い、野球には筋書きがなく、勝負への執着心や一球に賭ける執念がビンビン伝わってくる。まさにドラマチックかつスリリングな展開が大にしてあるようだ。私達はこうしたひたむきな姿や先が読めない勝負の行方に深い感銘を受け、言いしれぬ感動が体を包み込み、やがて病みつきになり、熱烈な野球ファンになるのだろうと思う。それはシーズンオフになると、往年の名プレーヤー達が集う「マスターズ」でもファンが多いことで同じことが言える。かつて私達を興奮の坩堝に巻き込んだ選手の姿を懐かしむと同時に、若かりし自分とオーバーラップして時代を思い起こす材料にするのだと思う。特に今年は、セ・パ両リーグとも実力が拮抗し、どこが優勝してもおかしくない接戦が展開されている。今後も野球から目が離せない。果たして今年はどんな名勝負を作ってくれるのか、そしてどんな結末が待っているのか楽しみである。

2010年8月 5日 (木)

本日の釣果(2010/8/5)

釣行記録

DATE :8月5日(木)
TIME  :3:45~10:55(約6H)
PLACE:小名浜「アクアマリンふくしま」北東角地
EFFECT:アイナメ14cm1尾 カタクチイワシ2尾(15cm)・マコガレイ2尾(19cm)・巨大ヒトデ2尾(40cm)+1尾
COMMENT:海の日釣行時と同様、朝から濃霧。マリンタワーの展望台は雲の中。そして風があってやや肌寒い気候。明後日が「いわき花火大会」の為、周辺は緑の柵が張り巡らされ、通行規制。そして簡易トイレまで建ち並ぶ。平日釣行は久々だった。案の定私以外、アクアマリンの突端は2グループ(5名のみ)でも、広い釣り場なのに、この一角だけに集中して割り込んで来る。隣のカップルは、私が今回もカタクチイワシが釣れず苦戦しているのを尻目に、次ぎ次と鈴なりでゲットしていた。コツは、夜明け頃は深場にいるのでタナを深めにし、日中は浅くすると良いらしい。今回は逆にぶっこみの方が釣果があった。小振りだがアイナメとマコガレイ2匹上がった。8時以降はカンカン照り。日焼け止めクリームを塗ったが、真っ黒焦げ状態。餌が足りず、コマセとアオイソメが切れてしまい、10時前に納竿となった。また、今週小名浜が重要港湾整備に認定され、一気に3号埠頭と沖堤防に建設中の東港ターミナル工事に弾みがついた感じ。前回にはなかった、3号埠頭の沖合に、橋脚用の土台ブロックの杭が16本も設置されて海中から飛び出していた。この工事のせいで、海に濁りが入り、騒音もあった。明後日の花火大会で、大爆音が港じゅうに鳴り響くため、暫くは魚も寄り付かなくなるだろう。とにもかくにも昨年から通い始めたアクアマリン、ここは広々フィールドで大のお気に入りになってしまった。フランチャイズの中之作にあと1回で並ぶ21回目の小名浜釣行となった。

PHOTO:

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* 詳しくご覧になりたい方は、右上のサイドバー「ようこそ釣り天国へ」の釣行記2010からどうぞ!

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