2024年9月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30          

« ドキュメンタリー45歳の挑戦~スクーリング篇⑤~ | トップページ | ドキュメンタリー45歳の挑戦~スクーリング篇⑦~ »

2010年8月22日 (日)

ドキュメンタリー45歳の挑戦~スクーリング篇⑥~

P8220147  本日は学校は休みで、束の間の東京での休日を満喫した。まず、昨日のうちに大凡の見当をつけておいた。テーマは「古の歴史に触れる」である。物見遊山で終わりたくないので、休日まで勉強に充てた。とりわけ明後日、科目試験を控えているので、はしゃぎすぎるわけにもいかない。結局昨日も夜中の1時までビデオを見てしまった。目的を逸脱する自虐行為に反省。おかげで、猛暑の中、睡眠不足状態で都内を方々歩くこととなった。6時10分起床。まず朝風呂に入り、4Fの和風レストランで朝食。今日もパンは小さいのがふたつ。そしてカツフライはいつも通り。そしてアイスコーヒーだった。そして7時半チェックアウト。いつもだと朝の通勤の人波なのに、本日は日曜の朝イチにつきガラガラ。人影まばら。計画は成功したようだ。160円で切符を買い、大森駅を7時38分発。今日は座れた。初めてだった。田町に7時46分に到着し、一旦改札を出て、都営浅草線に乗るため、1Fに降り、地下鉄入り口より階段を下りていく。そして改札口で無愛想な駅員に尋ね、窓口にて超お得な「ワンデーパス」を500円で購入。なんとこれ一枚で、丸一日「都営地下鉄乗り放題」なのだ。昨日、ガイドブックには、700円で都バスと都電に乗れる物が掲載されていたが、地下鉄しか乗る予定がないので、500円の切符にした。ラッキー。実は昨日のうちに、地下鉄の乗り換えやら運賃やら所要時間やら、何個目の駅かを丹念に調べ上げ、行程表を作成しておいたから万全。しかし、三田駅7時58分発の「急行」に乗ったつもりが、最初の訪問地「押上」までは各駅だった。12個も駅を乗るのでうんざりだが、朝早いので地下鉄浅草線も座れた。というかガラガラだった。最初の目的地は、「東京スカイツリー」だ。結構おのぼりコースだが、こち亀にも載っていたように、今しか建設途中のタワーを記憶と記録に残すことはできない。地下鉄は真っ暗の中を運行するが、前の車両が曲がると大きく車列がそれにあわせてカーブしながら移動するので見ていて楽しい。そして8時19分に押上駅着。地下鉄は階段がやたら長くて嫌になる。そして出口を出た途端、まだ8時だというのにうだるような暑さ。モアァーと来た。やっと憧れの「東京スカイツリー」が拝める。胸がどきどきだった。しかし、周辺は工事のため、塀が回され、どこにあると周囲をキョロキョロ見渡P8220140して、初対面。驚き。何がって、そんなに高く感じなかったからだ。これで本当に東京タワーの333mを超えているの?という印象。五重塔と同じ心柱で支える構造のためか、鉛筆のように真っ直ぐ伸びている。末広がりではないので何かシンプルでそんなに大きさは感じなかった。あまりの暑さに近くの「ampm」でペット茶を購入。125円。そしてよく雑誌や新聞を飾っている、川面に映るスカイツリーの撮影現場を探す。案の定、同じ目的のカメラをぶら下げた同志!が大勢いた。交番の信号を渡り、すぐに川を発見した。そして何枚か写真。そして川に沿っていかにも下町風の佇まいの細い路地を歩く。大きすぎてフレームに入らない。少し歩いただけなのにもう汗びっしょり。半ズボンまで汗で濡れる。そして十間橋を発見。どうやらそこが川面に映る撮影ポイントのようだった。それからさらにスカイツリーから遠ざかるようにその東側の交差点まで移動。川を跨いで架かる青い水道管を発見。漫画に登場した場面だった。そしてその先の歩道橋まで行った。へとへと。そしてその上からも道路上に聳える構図を撮影。やはり撮影者やカメラ小僧が大勢繰り出してきた。帰り道はもっと増えていた。このスカイツリー、634mまで伸びる。今日は日曜なので工事はストップしていた。下町の風景をガラリ変えたように思える。そして展望台がやたらと外側に膨れてせり出している。一体どうやって建設しているのだろう。念願叶い、スカイツリーが見れて良かった。そして8時58分に押上駅に戻り、再び都営浅草線で浅草まで引き返す。予定より50分近く早かった。9時2分着。浅草では雷門から分け入り、仲見世を歩いた。中国人や欧米人が朝から多数つめかけ、人を避けて歩くのが大変な状態だった。そして一番奥の境内へ。ここは3年ぶりの訪問。そしてお香を髪や体に巻きつけ、本堂へ。そこで「ぴったんこカンカン」で安住・キムタク・泉ピン子がロケで来たおみくじを見つけた。そして東側より出た。そこで上空に聳えるスカイツリーの展望だ部分が見て取れた。遠くから見たほうがその高さは際立つようだ。ここからは徒歩となる。人力車のいなせな男衆がしきりに観光客に声をかけていた。ここから先は列車の接続がないので徒歩覚悟。6号線に沿って、南下。途中バンダイがあり、いろんなキャラクターが歩道に整列していた。そして地下鉄大江戸線に乗るのに、間違えて通り越してしまった。信号を横断し、Uターン。そして9時34分にセブンを発見し、麦茶を98円で購P8220151 入。こう暑いと水分もすぐに無くなる。そして9時37分蔵前の地下鉄乗り場へ。地下鉄の入り口は非常にわかりすらい。大江戸線で一個目の両国へ。これも座れた。ここで降りた目的は、歴史に触れようと「江戸東京博物館」に行くためだった。階段を駆け上がり、チケット売り場へ。超可愛い窓口のお姉さんに「学生証」を見せながら大学生1枚と告げ、入場料480円を支払った。超長いエスカレーター(途中で上りから平行になりまた上る珍しい形状)に乗って、一気に6Fの常設展へ。入り口でも学生証とチケットを見せた。何か気が引ける部分とうれしい気持ちが交錯していた。中はとにかく広かった。のっけから日本橋を渡って、広いスペースの展示場へ降りることになる。大きな模型やジオラマ、人形など江戸時代から現在に至るまでの東京の街の変遷がつぶさに見て取れた。率直に訪れて良かった。修学旅行生の中学生が多く散らばっていた。皆、美形揃いだった。あまり込んでなく、結構見ごたえがある博物館だ。そして何とスクーリングの日本政治史のテーマである「東京復興」という特設展示までやっていた。まさに講義のまま。戦後間もないGHQの占領下に置かれていた頃の様子を窺い知るのにはこの上ない資料が満載だった。しかも日本で見る白黒映像とは違い、戦勝国アメリカのそれはすべてカラー。自分の中で既成事実として出来上がっていた暗い印象は見事に払拭され、そこには色があった。P8220170 明るい印象すら感じた。新聞社の建物が復元されていたり、模型が動き、係員が説明してくれた。鹿鳴館やニコライ堂、そして明治時代や大正の街並みがかなりのミニチュア模型で復元されていた。最後に、マイブームになっている懐かしの車まであった。ダットサントラックやスバル360が展示されていた。何か「三丁目の夕日」を髣髴とさせた。そして歴史の重みにも触れることができ歌感激した。試験対策に一役買いそうだ。写真撮影は自由なので、何枚もシャッターを切った。そこには11時10分までいた。両国駅を11時14分に出た。大江戸線はどうもガラガラのようだ。今回も分けなく座れた、地下鉄は地上のJRや私鉄より混まないようだ。そして次の森下駅で都営新宿線に乗り換えた。(11:18)違えて急行に乗ってしまった。これは次に訪れる「靖国神社」の最寄の九段下は通過のなので、ひとつ手前の神保町で下車し、各駅に乗り換えた。東京の電車は5分も待たずに次の列車が来るのでうれしい。そしてワンデーパスはありがたい。いちいち切符を自販機で購入する手間が省けるし、とっくに元は取った。

P8220174 P8220178 P8220198

P8220192 P8220202 P8220203 

P8220212  九段下で11時30分下車。予定より2時間も早かった。でも東京にいると早く時間が過ぎそうで怖い。外はかんかん照りで、おそらく33度以上はありそうな天気だった。汗だく・靴擦れとふくらはぎが痛い中、何とか歩く。大鳥居は厳かな雰囲気を演出している。東京に住んでいた学生時代には一度も訪れたことがないのに。全国から来たバスが30台くらい参道の両側を埋め尽くしていた。さすが戦没者を合祀する神社だけある。途中、テントで英霊を讃え、施設存続のための署名を行っていた。ここの場所だけは神聖な場所だけに厳粛な態度で臨まなければならない。まず、しきたり通りに、お水とりで口をゆすぎ、本殿へ。そこで二礼・二拍・一礼した。ここは毎年のように首相の参拝を巡って問題視されてきた場所である。小泉首相が公約どおりに紋付袴で参拝し、戦争で犠牲になった若き兵士たちを悼み、涙した場面は今でも鮮明に残っている。家内の祖父も戦死しているので、何か特別な印象がある。そして教授の推薦したように「遊就館」へ行った。大学生料金で500円だった。ここは撮影は一切禁止。順路どおりに進むが展示室が20以上あり、全部見ると2時間はかかった。戦死者の遺品の数々。ゼロ戦や艦隊・魚雷や戦艦の模型や機関銃・戦車まで展示してあった。ここでは日清戦争から第2次世界大戦終結までのすべての事件や戦争が理解できるように時系列を追って展示説明紹介している。今まさに学んでP8220210 いることへ歴史認識を検証する上でも大いに役に立ったし、私自身、戦争というものを客観的に振り返る意味でも意義があった。そして最後の何万人もの遺影と遺書をみて思わず涙してしまった。私の亡き祖父も戦地に赴き、いつ死ぬかわからない恐怖と戦いながら大陸に進軍したのだった。そして家族に充てた手紙や挿絵を見たことがあったからだ。ここで靖国神社問題について、ひとつ理解を得られた。A級戦犯がここに合祀されていることが発端で、そこに首相が参拝することで国メディア(特に中国・韓国)から批判を受けるわけだが、実際、ここに東条英機らが合祀されたのは昭和53年の10月17日で、ごく最近のことだと判明した。だから以前は靖国問題など起きなかったのだった。これは歴史認識が乏しかった。やはりここは日本人なら一度は訪れないといけない場所である。特に愛国党らしき黒い特攻服を来た人たちも何人かいた。勘違いしているのは若いカップルが手をつなぎいちゃいちゃしながらデートの場所にしているのがやたら腹が立った。もっとここがどう居場所なのか歴史を勉強してから訪れるべきだろう。大学の講義で聴いた「海ゆかば」が作られた背景や戦時中の生と死をかけて大勢の若者が戦地に赴き、御国の為と自ら散って行ったその犠牲の上に、現在の平和や豊かな暮らしがあることを決して忘れてはいけない。

「海ゆかば」 http://www.youtube.com/watch?v=0vuQRrQ7nvc&feature=related

P8220214  そして靖国神社を13時43分に出発し、九段下駅へ。13時52分に新宿線でいったん神保町へ行き、そこで都営三田線へ乗り換えた。もうあしが棒状態。ここも難なく座れた。日曜日の電車は楽勝だ。歩き疲れたが、もう佳境である。そして芝公園駅で下車。最後締めは「東京タワー」と決めていた。新旧タワーの揃い踏みだ。14時7分着。ホームの冷たい水をペットに何度も詰めた。増上寺の隣の芝公園で一休み。ここからの眺めが抜群なのだ。上半身裸で芝生に寝転んでいる人や親子で野球をしている姿など、都会のど真ん中にあって何か長閑で風情を感じた。ここから見える東京タワーの絵は素晴らしかった。私が思うに歴史と風格があり、大きく見える。これで本当にスカイツリーのほうが大きいのだろうか。この比較をしたかったので、最後をここにしたのだった。15分くらいの休憩で帰り支度。14時29分に芝公園を発って、地下鉄三田線へ。公園駅を14時37分発。そして隣の三田駅で下車。ところが福祉会館前の出口に出てしまい、田町まで行くのに多少苦労した。そして田町駅ですぐに電車の乗らず、1Fの書店を一周した。その後160円でJR切符を買って、京浜東北線に乗り込んだ。14時48分発。ここでも座れた。今日は一度もたつ場面はなかった。大森駅に14時58分に到着した。そして遅すぎる昼食をとった。昨日のかつやの前にある「江戸そば」という店で、ミニカツ丼セット」を注文して食した。15時1分だった。冷えた日本蕎麦とセットで500円だった。安いし早いしうまかった。その後、アーケードを散策。いろんな居酒屋がたくさんあった。そして東口にあるはずのブックオフを探して入る。冷房効きまくり。3Fまで往復。ケツメイシの「さくら」を一度手に取るがキャンセル。そして法律関係の書籍を探すが、文献や教科書はなし。そして「みづほ」に15時45分チエェックインした。当初の計画より靖国神社で2時間半近く居座ったが、予定より早かった。3,600円。16時30から風呂&マッサージ。実はやりすぎて左の肩が痛い。17時からレストランで夕食。生ビールと冷奴300円。そして430円のもやしの味噌炒め。計730円だった。17時半にカプセルへ戻り、19時半からネットでブログを作成した。しかし、500円では足りず、ドリンクを2回購入(320円)し、お札を崩し、結局ネットには600円費やした。

 本日の費用 7,773円

P8220215 P8220217

« ドキュメンタリー45歳の挑戦~スクーリング篇⑤~ | トップページ | ドキュメンタリー45歳の挑戦~スクーリング篇⑦~ »

学問・資格」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

« ドキュメンタリー45歳の挑戦~スクーリング篇⑤~ | トップページ | ドキュメンタリー45歳の挑戦~スクーリング篇⑦~ »

福島県の天気


無料ブログはココログ