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2010年9月

2010年9月29日 (水)

AB型の逆襲

 最近、テレビを眺めていると、血液型がAB型のタレントの躍進が目立つ。ご承知のようにAB型は日本国民の1割未満しかいない。ということは10人にわずか1人という極めて希少で珍重されるべき存在なのだ。だから、以前はAB型芸能人というと、地味系で、あまり目立たない存在だった。しかし、それでも一部では天才肌とか奇抜な感覚の持ち主だとか、とにかく物珍しい感じで見られがちだった。芸能人では、谷村新司や南こうせつ、大和田獏、稲川淳二、加藤茶(最近A型だと判明)、柳沢慎吾など特異な感じが多かった。女性では川島なお美、杉本彩、岡江久美子、藤吉久美子など。それが最近、やたらと芸能界でAB型が幅を利かせている気がする。そこで今回は、血液型シリーズ第13弾としてAB型人種について取り上げてみたい。

男性(前述したタレントは除く)

イケメン系・・・DAIGO、堤真一、反町隆史、三浦春馬、水嶋ヒロ、村上信五、岡田将生

実力派ミュージシャン・・・井上陽水、稲葉浩志

Haruma Mizushima Inaba

俳優・・・奥田瑛二、小泉孝太郎、役所広司、柴田恭兵、矢崎滋、坂上忍、内野聖陽、武田真治、温水洋一、三浦友和、竜雷太、ジャッキー・チェン

Koizumi Yakusyo Uchino

歌手・・・相葉雅紀、堂本剛、西城秀樹、鈴木雅之、故・hyde(X-JAPAN)

芸人・・・内村光良・南原清隆、坂上二郎(故人)、土田晃之、木村祐一、ウド鈴木、名倉潤、上島竜兵

Aiba Doumoto_2 Urinari

司会・・・井上順、古館伊知郎、島田紳助

スポーツ選手・・・岩隈久志(楽天)、小久保裕紀、中澤祐二(横浜M)、松岡修造、桑田真澄、本田圭佑、アントニオ猪木、力道山、大沢啓二

Hurutachi Shimada Honda 

 AB型男性の特徴は、「自分ワールド」を持っている。争いを好まず、クールで冷静、そして平和主義者が多い。身だしなみやお洒落に気を遣い、紳士的でダンディズムを追求したがる性質を持つ。人当たりは柔らかだが、一線を画す他人行儀な付き合い方をし、とっつきにくい印象もある。ソフトな応答が逆に淡泊な印象を与えるが、内に秘める闘志は意外と熱い。ただ睡眠不足や疲れには滅法弱い。集中力があまり持続しないタイプが多い。故・三遊亭円楽さんのように、アカデミックで落語や能、狂言などの古典芸能や伝統芸能をこよなく愛する人もことのほか多い。そして見た目もそうだが、博識な学者肌のイメージで、専門的な職業に就く人が多いのも事実だ。昭和天皇やJF・ケネディ、クリントン元大統領、石原慎太郎、橋本龍太郎元首相、田中真紀子ら政治家にも向いている血液型と言える。ややタカ派傾向もなきにしもあらず。

女性(前述したタレントは除く)

美人系・・・水沢エレナ、鈴木えみ、佐々木希、江角マキコ、木下あゆ美、戸田恵梨香、今井美樹、菊川怜、小西真奈美、川村ひかる、松下奈緒

歌手・・・aiko、BoA、加護亜依、長山洋子、岡本真夜、相川七瀬、高橋みなみ、YUI

Sasaki Toda Yui 

女優・・・菅野美穂、加藤夏希、佐藤江梨子、高橋ひとみ、財前直見、東ちづる、鷲尾いさ子、名取裕子、ユンソナ、佐藤藍子、宮地真緒、山口もえ、ベッキー、志田未来、鈴木杏樹、水川あさみ、原田夏希

芸人・・・いとうあさこ

Kanno Shida Mizukawa 

スポーツ選手・・・村主章枝、上村愛子、横峯さくら

女子アナ・・・青木裕子、滝川クリステル、中村仁美、島田彩夏、大江麻理子

Aoki Nakamura Ooe 

 次にAB型の性格を挙げてみよう。まず外見的な特徴から。女性はスラリとした細いスタイルで、一様にロングヘアーを好む傾向が強い。ファッションセンスはピカイチで、綺麗好き。デザイナーばりのオシャレな女性が目立つ。ブランド品を身につけたがる。国際的な感覚も身につけている。内面的性質は小悪魔的で、冷たくするととことん根に持たれてしまい、復讐されることがある。事務的で対人関係がうまく、合理主義者。秘書や接待をさせるとそつなくこなし、知的で大人の雰囲気や印象を醸し出す。やはり疲れに極端に弱い。AB型女性が男性に求めるのは、温厚で優しい点や誠実さ。

 AB型は基本的にA型の真面目さや几帳面なところ、責任感が強くてやや神経質な面とB型特有のマイペース、拘束や束縛を嫌う自由奔放の二面性を合わせ持つため、二重人格と言われるのは、実はそうしたことが作用している。ただ日本人の1割しかいないため、あまり目立たないだけのこと。AB型は自意識や虚栄心が他と比べるとやや強い傾向が見られる。それは普段、周囲を絶えず観察し、自分の立場や役目を把握しようという働きが自然のうちに備わっているからで、調整役的な役割分担を自らが自覚し、認識しているからに他ならない。また、ことのついでにAB型の性格を列挙すれば、ボランティア精神(公共心)が旺盛で、献血する率が最も高い。理論的で頭脳派・合理的な発想でギブ&テイク・俳優で言えば個性的で演技派・霊感が強い・ケチ・割り勘主義など。男性では、口が悪く嫌味や妬みで凝り固まっている人も中にはいる。

 さて、これまで何度も血液型の話題に触れてきたが、そろそろネタが尽きてきた感じだ。もうこの話題ももうよさげな感じだろう。あまり固執しすぎると偏重した見方しかできなくなり危険である。いつも言うように、そういう傾向があるくらいに留めておいたほうが良い。
 断っておきたいのは、これらの考察はすべて私が長年、人間観察を繰り広げ、人生経験を重ねて蓄積して得た知識や持論であって、私は今流行の「血液型別自分説明書」など他人の書物は一切読んでいない。4つの血液型を研究し、性格を分析し、或る程度把握すれば、社会生活の一助になるし、気に入らないことがあっても、血液型のせいにしてしまえば、未然に衝突を避けたりすることが出来る。私は仕事上、人を相手にしている部署にいるため、そうした洞察力の習得や「人間行動心理」を学ぶ意味でも価値があることだと認識している。それぞれ4パターンの性格の傾向を知ることで、そつがない対応や円満な社会生活を送れているのも事実だ。私が人間観察を30年以上も行い、導き出した結論をひとつ。それは社会生活を送る上で、得な血液型があることである。順位付けすればO型→B型→A型→AB型ということになる。O型は誰とでもうまくやれる天賦の才能を持っている。あけすけで来る者は拒まずの姿勢で人間関係をそつなくこなす。B型は、天真爛漫でマイペース。自分が一番好きで自由闊達な生き方を実践するからだ。あまりプレッシャーも感じず、世界を相手に堂々と渡り合い、支持者も多いように思える。A型はあれこれ考えすぎるきらいがあり、慎重すぎて行動が遅い。堅実な生き方は賛同できるが、ビジネスチャンスの見極めが苦手。ここぞという時の決断力も弱い。AB型は、日本人には酷な立場。数少ないその中で、一生懸命けなげに生きている感じが滲み出ている。

 以上、今回はAB型を中心に血液型の考察を行ってみた。あなたも余計なお世話かも知れないが、血液型の神秘に迫ってみれば、新たな発見が得られ、より充実した人生を送れるかも知れない。その一助になれば幸いである。

2010年9月24日 (金)

福島県の人気女子アナ10傑

 先日21日、テレビ朝日系列やフリーアナの投票で選ぶ「好きな芸人ランキング」を放送していた。私個人的には、テレビ朝日の番組はあまり見ないが、女子アナが登場すると、何か特別な意識が沸き、どうしても好奇な目で見てしまう。女子アナは一流大学を卒業していることでわかるように、賢くて、清潔で可憐なイメージがある。そこで、あまり線引きするのは良くないが、我が福島県で活躍されている現職アナのうち、特に露出度が多く、人気の高い方々を10名ほど紹介したい。以前「福島県ゆかりの女子アナ」を紹介したが、今回は、全国の人はあまり目にすることが少なく、その存在すら知らないであろう、現職の福島県のテレビ局・ラジオ局で人気の女子アナウンサーをピックアップしてお送りしたい。

猪俣理恵 A型・・・福島放送(KFB)。会津若松出身。とにかく明るい。周りを元気に陽気にしてくれる天賦の才能を持っている。かつてのアイドル伊藤さやかに似ている日大東北高、。関西大学卒業の28歳。夕方の「ふくしまスーパーJチャンネル」担当。

Inomata Inomata2 Inomata3

小野美希 B型・・・テレビユー福島(TUF)の人気看板アナ。会津若松出身。夕方のニュース「スイッチ」を担当。とにかく美人。正確無比。長いまつ毛とつぶらな瞳がチャームポイント。大東文化大学卒業の28歳。ニュース「イブニングシックス」担当。

Onomiki Onomiki4 Onomiki3

若槻麻美 A型・・・福島テレビ(FTV)。「サタふく」担当。ビタミンガールが愛称となっているハリキリ元気娘。何と全国フジ系列のアナウンサーを敵に回し、見事「ライアーゲーム」で優勝した強運の持ち主。明るく元気で愛嬌たっぷり。神奈川県出身。フェリス女学院を卒業し、3年間旅行会社に勤務した経歴を持つ。その後、NHK甲府局のキャスターを2年間務め、2006年よりFTVに勤務している。しかし、9月25日の放送を以って「サタふく」を卒業してしまった。残念でならない。

Wakatsuki Wakatsuki2 Wakatsuki3

大橋聡子 O型・・・福島中央テレビ(FCT)の看板アナ。夕方のニュース・情報バラエティ番組の「ゴジてれChu!」のメインキャスターを務めている。大阪府豊中市出身。関西学院大学卒業。あれほどの美人アナが随分長らく福島県で頑張ってくれているかと思うと感謝感激。彼女の醸し出す雰囲気は、いかにも日テレ系列の特徴を如実に物語っている。

Ohashisatoko Ohashisatoko2 Ohashisatoko3

上條麻里奈 O型・・・テレビユー福島(TUF)のアナ。東京都出身。学習院大学卒。月~水の「グーテン」の司会を担当。笑顔がよく似合い、つぶらな瞳とえくぼがチャームポイント。彼女の表情を見ていると、こちらまで笑顔になってしまう。彼女はとにかく癒される美人アナ。ずっと福島で活躍してほしい。

Kamijyo Kamijyo2 Kamijyo3

安藤桂子 A型・・・福島放送(KFB)所属の契約女子アナ。福井県出身。今年2年目だが、そうとは思えないほど落ち着いている。それもその筈、それまでは2年間群馬テレビのアナウンサーだった。聡明で頭脳明晰な印象を受ける才色兼備の美人アナウンサーだ。それもその筈早稲田大学第一文学部卒業。

Andoh Andoh2 Andoh3

千原礼子 A型・・・福島放送(KFB)「週刊ことばマガジン」。神奈川出身で今年入社したての新人アナウンサー。笑うとなくなる目がチャームポイント。以前はNHK甲府放送局の契約アナとして2年間リポーターなどして活躍していた。ベビーフェイスで可愛らしい雰囲気を持っている。

Chihara Chihara2 Chihara3

堤 友香 O型・・・福島テレビ(FTV)北海道札幌市出身の23歳。フェリス女学院大学卒業。今年入社したばかりの新人アナ。今後の活躍に大いに期待したい。

Tsutsumi Tsutsumi2 Tsutsumi3  

多田紗耶子 AB型・・・福島テレビ(FTV)担当は夕方のニュース番組「FTVスーパーニュース」。山形県出身で日本女子大学卒業の26歳。彼女のえくぼもまた可愛いらしい。

Tada Tada2 Tada3

関口由香里 B型・・・福島テレビ(FTV)。担当は夕方の「FTVスーパーニュース」。埼玉県朝霞市出身の33歳。成蹊大学卒業。大学で高島彩とは先輩後輩の関係。何故か成蹊大学出身者はB型が多い。キュートな感じで年齢よりずっと若く見える。もう10年くらいFTVで活躍している。

Sekiguchi Sekiguchi2  Sekiguchi3

 血液型をみると、A型5人、O型とB型が2人ずつで、AB型がひとり。保守的な東北のローカル局にはありがちな人員配置かもしれない。ところで、プロフをざっと振り返ると、福島県出身のアナウンサーは意外に少ないのがわかる。中には2~3年勤務で福島を去り、新天地を他県に求める契約アナウンサーもいる。かつてTUFで活躍していた唐橋ユミ(現在・三桂)さんや藁谷麻美(現在・テレビ大阪)さん、丹野麻衣子(現在・北海道文化放送)さん、山田幸美(現在・広島ホームテレビ)さんもそうだった。また、福島放送の看板アナだった羽藤淳子さんは、「あいうえお天気目玉焼きLサイズ」や「福島スーパーJチャンネル」で活躍されていたが、視聴者の人気によって契約アナから本採用になった女子アナである。10年ほど前にご結婚されて、他県へ嫁いだと聞いている。

 ちなみにテレビではないが、地元のコミュニティFM局で活躍している、私のイチ押しのアナウンサーを紹介したい。

さとみ・・・FM Mot.Com.パーソナリティー。地元の国立大学に通学する現役女子大生ながらボランティアでDJ&MCを担当。担当は「今夜も んだNight!」金曜日。少し鼻にかかった可愛らしい声がたまらない魅力だ。彼女にも明るく爽やかで元気なパワーを感じる。血液型AB型。(写真左)

Satomi

 なお、ことのついでにお天気キャスターを除く、私がお気に入りの東京キー局のアナウンサーもランキング形式でお送りすると以下の通りとなる。

 1位 竹内由恵   O型        11位 松尾由美子   O型 
 2位 松村未央   A型       12位 西尾由佳里  O型            
 3位 宇賀なつみ  ?         13位  武内絵美    O型 
 4位 大木優紀   A型       14位 首藤奈知子   O型
 5位 高島彩     B型       15位 矢島悠子    A型
 6位 大橋未歩   B型       16位 一柳亜矢子  A型
 7位 大江麻理子 AB型        17位 繁田美貴    B型
  8位 加藤綾子   O型       18位 白石小百合   A型
 9位 松尾翠     O型        19位 佐藤良子      O型
10位 長野翼     A型         20位 堂真理子      A型

Takeuchi Matsumuramio Ohki

 こうしてみると、私が贔屓にしているアナウンサーはAとO型が圧倒的に多い。ひとつ気づくことは、ひょっとすると民放各局は、女子アナは顔で取っているのかと思えるほど皆美形揃いである。というより可愛い系が圧倒的に多い。やはり、プロ野球選手と結婚する率が高いことでもわかるように、顔を売ってなんぼの商売という面もあながち否定できない。比率から言って芸能人はB型が多いのに、何故か女性の花形職業であるアナウンサーはAとBが断然多いようだ。日々仕事現場を日本全国でアピールしているからには、それなりの美貌と教養を備えておく必要がある。毎日、行動面には気を遣い、四六時中衆人環視の中での生活を強いられ、プロアマを問わず、カメラマンのファインダーが常に狙っている。よほど規則正しい生活をしていないと、すぐにゴシップネタにされてしまうことも多々あり、そういう意味では息も継ぐ暇もないほどで気の毒である。しかし、時にはアイドルとして持て囃されことも多く、そういう意味では自らが志願して選んだ以上、本望なのかもしれない。女子アナは、私から見れば高嶺の花だが、いつも凛々しく溢れる魅力を感じる女性の代表格であってほしいと願っている。出身大学の高学歴を見てもわかる通り、知性と教養を備えた気高くも柔軟な発想で、これからも我々視聴者を楽しませて貰いたいものである。

  追記(H24.12.29)

 この日深夜放送のKFB「べしゃるーむ」でのカラオケ大会の影響か、この記事のアクセスがいつもの10倍以上と集中した。この記事は2年以上前の執筆のため、現況にそぐわないようになっている。まず、私も好きだった上條麻里奈さんだが、今年3月でTUFを退社し、フリーに。現在は「圭三プロダクション」に所属し、NHKの「ゆうどきネットワーク」に出演している。また、現在、福島県の人気アナは、FTVの名和田知加アナもいる。地元ではジャージー名和田の愛称で親しまれ、草彅剛の女子アナ番組で抜群の踊りを披露し、そのネアカでナイスキャラがウケ、人気が全国区となった。最近では、「ドミソラ」のMCを担当しているKFBの高島英里奈アナも人気急上昇中だ。

 ~お知らせ(H25.4.6)~

 3月30日付のFTVの人気番組「サタふく」で、自称「福島県民の恋人」名和田知加アナが先週の番組出演を最後に退社した。その衝撃は大きく、それゆえに当記事へのアクセスが後を絶たない状況が見られた。そこで急遽「2013年春・福島を去ったアナウンサー」と題した緊急掲載記事を作成し、公開することにしました。明日、4月7日(日)午前6時に更新アップしますので、お楽しみに。

 追記(H27.2.15)

 この記事を掲載して4年半、すでにこの記事内で紹介した女子アナのうち、4名の方が退社されています。この記事をしばらくの間、公開を停止していたため、一部、現状と合わない部分があります。ご了承ください。

2010年9月21日 (火)

福島県出身の有名人

 今日は、我が故郷・福島県が誇る有名人たちを紹介したい。医学界、法曹界、産業界、経済界、芸能界など各業界で功績を残した、あるいは現在も活躍中の方々にスポットを当てたい。意外な人が県内出身者だったりして、ちょっとしたサプライズも味わえるだろう。

野口英世・・・1876年(明治9年)11月9日-1928年(昭和3年)5月21日は、戦前の細菌学者。黄熱病や梅毒等の研究で知られる。ガーナのアクラで黄熱病原を研究中に自身も感染して51歳で死去。

新島八重・・・弘化2年11月3日(1845年12月1日) - 昭和7年(1932年)6月14日)は幕末から昭和初期の日本女性で、同志社創立者の新島襄の妻として有名な人物である。旧姓は「山本」。一部の手紙などでは「八重子」。幕末を生き抜き、会津戊辰戦争にも参戦した女傑としても歴史に名を轟かせている。

円谷英二・・・1901年7月7日-1970年1月25日)は、福島県須賀川市生まれの特撮監督、映画監督、撮影技師、発明家、「株式会社円谷特技プロダクション」初代社長。ご存知ウルトラマンやゴジラの生みの親である。

春日八郎・・・(1924年10月9日-1991年10月22日)は、日本の歌手。福島県河沼郡会津坂下町塔寺出身。『赤いランプの終列車』『お富さん』『別れの一本杉』などが有名である。

佐藤慶・・・(1928年12月21日-2010年5月2日)は、日本の俳優、ナレーター。福島県会津若松市生まれ。本名は佐藤 慶之助。「白い巨塔」

Noguchi_hideyo Tuburaya Satoukei

斎藤清・・・1907年4月27日-1997年11月14日)は、木版画家。福島県河沼郡会津坂下町生まれ。文化功労者。独学で独自の木版画技法を確立。浮世絵版画の技法や西洋作家の近代的造形を取り入れ、日本的感情を表現した。

市川昭介・・・(1933年(昭和8年)1月4日-2006年(平成18年)9月26日)は、日本の作曲家。福島県郡山市出身。郡山工業高校卒業。昭和36年「恋しているんだもん」(島倉千代子)で作曲家デビュー。第3回日本レコード大賞・作曲奨励賞受賞。

古関裕而・・・(1909年(明治42)8月11日-1989年(平成元)8月18日)は、福島市出身の作曲家。本名は古關 勇治。従五位勲三等瑞宝章、紫綬褒章受勲受章。校歌や甲子園の「栄冠は君に輝く」など数多くの曲を残した。

猪俣公章・・・1938年 4月11日-1993年 6月10日)は、日本の作曲家、作詞家。 会津坂下町出身『港町ブルース』、『おふくろさん』、『冬の旅』などの大ヒット曲を提供する。

湯浅譲二・・・(1929年8月12日-)は、日本の現代音楽の作曲家。郡山の安積中学校を卒業後、慶應義塾大学医学部に進学。

Ichikawa Koseki Yuasa

加藤茶・・・(1943年3月1日-)は、日本のドラマー・歌手・男性コメディアン・俳優であり、ザ・ドリフターズの一員である。本名、加藤 英文(かとう ひでゆき)。身長:163cm。血液型はA型(長年AB型としていたが間違いが判明)。愛称は「加ト茶」「カトちゃん」「ヒデ坊」「チャー坊」。

西田敏行・・・(1947年11月4日-)は、日本の俳優、歌手、タレント、司会者。本名は同じ。所属事務所はオフィスコバック。福島県郡山市小原田出身。明治大学付属中野高等学校卒業、明治大学農学部中退。身長166cm。体重は80kg超。映画『釣りバカ日誌』は1988年から2009年まで20作続く。「池中玄太80キロ」「おんな太閤記」などが代表作。血液型はB型

佐藤B作・・・(本名:佐藤俊夫、1949年2月13日-)は、福島県福島市出身の俳優。血液型AB型。福島県立福島高等学校卒業、早稲田大学商学部中退。芸名は佐藤栄作から(A作に対抗してB作とした)。妻は女優のあめくみちこ(2001年に再婚)、息子は佐藤銀平。劇団東京ヴォードヴィルショー所属。

なすび・・・(1975年8月3日-)は日本のお笑いタレント、俳優。本名・浜津智明(はまつ ともあき)。所属事務所はワタナベエンターテインメント。福島東高校、専修大学法学部卒業。バラエティー番組『進ぬ!電波少年』で開催された「運だけが頼りの企画」のオーディションでくじ引きを当て合格。O型

つのだ☆ひろ・・・(本名:角田 博民(つのだ ひろたみ)、1949年8月1日-)は、 福島県生まれの歌手、ドラマー、作曲家。有限会社角田兄弟社代表取締役。次兄に漫画家のつのだじろう、四兄にリュート奏者のつのだたかしがいる。血液型はO型

Katocha Nishida Satoub

江川卓・・・(1955年5月25日-)は、福島県いわき市出身の元プロ野球選手、野球解説者。作新学院から甲子園に出場し、剛速球を武器に三振の山を築き「怪物」と呼ばれた。巨人入団後もエースとして活躍し、9年間で135勝を挙げた。オールスターで8者連続奪三振を演じた。血液型はO型

秋吉久美子・・・(1954年7月29日-)は、日本の女優。静岡県富士宮市出身。父親の仕事の関係で、徳島県日和佐町(現・美波町)、福島県いわき市で育つ。しし座のO型。

白羽ゆり・・・(1978年12月28日-)は日本の女優。元宝塚歌劇団(84期生)星組・雪組トップ娘役。福島市出身で桜の聖母高校卒業。山羊座のA型

伊東美咲・・・(1977年5月26日-)は、日本の女優、タレント。大阪千代田短期大学幼児教育科卒業。所属事務所は研音、インセント。身長171センチ、スリーサイズはB83.W60.H87。足のサイズは24.5センチ。 福島県いわき市出身。血液型はA型。高校生(福島県立遠野高等学校中退、千代田高校に途中編入し卒業)から短大生の期間は大坂府に在住。幼稚園教諭2種免許資格や社会福祉主事などの免許を取得している。

相楽晴子・・・ (旧芸名:相楽ハル子 1968年3月1日-)は、日本の女優、タレント、元女性アイドル。福島県郡山市出身。彼女の代名詞は「スケバン刑事2」のビー玉のお京。血液型はAB型。

Akiyoshikumiko Shirahane Itoh

平忠彦・・・(1956年11月12日-)は、福島県南相馬市(旧原町市)出身の元オートバイ・ロードレースライダー。全日本ロードレース選手権500ccクラス3年連続チャンピオン。端正な容貌、ダイナミックかつ緻密なライディングにより、人気と実力を兼ね備えた1980年代国内ヤマハワークスの堂々たるエースライダーだった。しかしスターにありがちな派手な言動は全く無く、穏やかな人柄で男女問わず多くのファンを獲得した。速さは勿論の事、卓越したマシン開発能力にも定評がありロードレース世界選手権にすぐれたマシンを供給しヤマハのタイトル獲得に貢献した。1980年代に日本のエースライダーとして君臨した。映画「汚れた英雄」の草刈正雄演じる主人公・北野晶夫のレースシーンのスタントを務めた。血液型はA型。

芦名星・・・(1983年11月22日-)は、福島県郡山市出身の女優、元ファッションモデル。ホリプロ所属。 本名非公開。日出女子学園高校卒業。身長165cm、足のサイズは23.5cm、スリーサイズは、B83/W58/H80。いて座 /O型

梅沢富美男・・・(本名:池田 富美男、1950年11月9日-)は、福島県福島市出身の日本の俳優、歌手である。女形で名声を挙げる。株式会社富美男企画代表取締役。福島県立福島高等学校中退。妻は株式会社ソフィアハーモニー代表取締役の池田明子。さそり座 /B型

伊東正義・・・(1913年12月15日-1994年5月20日)は日本の政治家。祖父・健輔は会津藩士。農水省・局次長より政界入り。 第2次大平正芳内閣で官房長官、さらに急死した大平にかわり臨時首相代理を務めた。「首相の椅子を蹴った男」としてあまりにも有名。

渡部恒三・・・(1932年5月24日‐)は、日本の政治家。衆議院議員(14期)。勲一等旭日大綬章。復旦大学経済管理学院名誉教授。 南会津郡出身で早稲田大学文学部卒業。福島県第4区総支部長、厚生大臣、自治大臣、国家公安委員長、通商産業大臣、衆議院副議長などを歴任。現在、民主党内では政界の黄門さまとしてご意見番である。血液型はA型。

Taira Ashina Umezawa

玉乃島・・・昭和52年9月15日生まれ 西白河郡泉崎村出身。本名は岡部新。186cm159kg。522勝528敗 片男浪部屋所属。

円谷幸吉・・・1940年(昭和15年)5月13日-1968年(昭和43年)1月9日)は日本の陸上競技(長距離走・マラソン)選手、陸上自衛官。福島県須賀川市出身。東京オリンピックで男子マラソン3位。しかし次のメキシコオリンピックへ過度の期待をかけられ、思うような成果を上げれないことを悩み、自ら命を断った。遺書には「幸吉はもうすつかり疲れ切つてしまつて走れません。 何卒お許し下さい。 気が休まることもなく御苦労、御心配をお掛け致し申しわけありません。 幸吉は父母上様の側で暮らしとうございました。」と記されていた。彼の遺志を継いで、親友だった君原が銀メダルを獲得した。

鈴木博美・・・(1968年12月6日-)は、1990年代に活躍した元陸上競技(長距離走・マラソン)女子選手。福島県出身。1992年バルセロナオリンピックと1996アトランタオリンピックは女子1万m代表として出場。1997年の世界陸上選手権アテネ大会女子マラソンでは金メダルを獲得した伝説の名ランナーである。

佐藤敦之・・・(1984年4月2日-)は、1978年5月8日 - )は福島県会津若松市出身(出生地は福島県河沼郡会津坂下町)、中国電力陸上競技部所属の男子陸上競技(長距離種目・マラソン)選手。身長170cm、左利き。ハーフマラソン日本記録保持者。2008年- 8月24日 北京五輪の男子マラソンで2時間41分8秒の76位。2009年 - 8月22日 世界陸上ベルリン大会の男子マラソンで2時間12分5秒で日本人最高の6位入賞。彼のレースへの真剣な取り組みと礼儀正しさは賞賛に値する。血液型はA型。

Tsuburaya Suzuki_hiromi Satoh_atsushi

今井正人・・・(1984年4月2日 - )は、陸上競技選手。福島県小高町(現・南相馬市)生まれ。小高町立小高中学校→福島県立原町高等学校→順天堂大学スポーツ健康科学部→トヨタ自動車九州所属。169cm、55kg。箱根駅伝では5区山登りで、ぶっちぎりの独走を見せ、初代「山の神」と呼ばれた。

柏原竜二・・・(1989年7月13日 - )は日本の陸上競技選手である。専門は長距離走。福島県いわき市出身。福島県立いわき総合高等学校卒業、東洋大学経済学部在学。173cm、54kg。箱根駅伝の往路5区で4分以上のビハインドを中盤で逆転、6人をごぼう抜きした。2年連続で新記録を出し、「新山の神」として君臨している。日本男子陸上界のホープ。血液型はA型。

本田武史・・・(1981年3月23日-)は、福島県郡山市出身。郡山第2中学校卒業後、東北高校へ進学。その後法政大学中退。日本のプロフィギュアスケーター、フィギュアスケートコーチ、解説者。2002年、2003年世界選手権3位。2004年ソルトレークシティオリンピック4位。血液型はO型。

中畑清・・・(1954年1月6日-)は、福島県西白河郡矢吹町出身の元プロ野球選手(内野手)。愛称は「ヤッターマン」、「絶好調男」。安積商業高校、駒澤大学卒業。 読売巨人軍入団。 アテネオリンピック日本代表チーム、ヘッドコーチ。現役時代は13年間で1294安打171本塁打、621打点。通算打率は.290をマークした。血液型はA型。

Imai Kashiwabara Nakahata

箭内道彦・・・(1964年4月10日-)は、日本のクリエイティブディレクターである。風とロックを主宰。福島県郡山市出身で安積高校から三浪して東京藝術大学に進み、卒業した。大手広告代理店・博報堂に入社。その後CMプランナーに転向。NHKのトーク番組の「トップランナー」で5代目MCを務めている。何を隠そう私の中学時代の同級生。中3では同じクラスで、フォーク仲間だった。

三瓶・・・(1976年11月23日-)は日本のお笑い芸人。福島県安達郡本宮町(現本宮市)出身。福島県立安達高等学校、服部栄養専門学校卒業。所属事務所はよしもとクリエイティブ・エージェンシー(東京吉本)。血液型はB型。

野村沙知代・・・(1932年3月26日-)は、日本の女性タレントであり、元プロ野球監督として知られる野村克也の妻である。 福島県西郷村出身。血液型はB型

唐橋ユミ・・・1974年10月22日生まれ/てんびん座/福島出身 喜多方市のほまれ酒造の社長令嬢。実践女子大学を卒業し、三桂所属。現在はフリーアナウンサーとして活躍中。血液型はO型

Yanai Nomura Karahashi_yumi

 こうして見ると、郷里福島県を離れ、様々な分野で活躍していることがわかる。もちろん他の産業界や経済界で頑張っている人も多くいる。驚いたのは若手女優の「芦名星」が私と同じ郡山出身だったこと。都会的な聡明そうなイメージは、とても気骨で土臭いイメージの東北出身者には見えない驚きがあった。こうして見てみると、普段何気なくテレビを見ている人達も、東京都出身者ばかりではなく、地方から一旗揚げようと立志して上京していることがわかる。全国津々浦々、タレントや有名人の出身地を探ってみれば、思いがけない発見や共通点などが見出せて面白いかもしれない。そういうわけで、近々全国1道1都2府43県(全47)の都道府県別の有名人リストを作成し、分析してみたいと思う。

2010年9月18日 (土)

本日の釣果(2010/9/18)

釣行記録

DATE : 9月18日(土)
TIME  : 3:19~11:09(約8H)
PLACE: 大津港長堤防
EFFECT:アジ2尾 シャコ17cm(リリース) アイナメ17cm(リリース) サバ16cm~18cm4尾(リリース) 計8尾 
COMMENT:

 前夜、2週連続相馬沖堤防にするかアクアマリンにするか、はたまた中之作沖堤防かで思案したが、結局意表を突き、釣りを始めた2003年を皮切りに翌年の2004年、更には最近では2008年以来通算6回目の「大津港」に決めた。アクアマリンは混むと踏んだ。一番外海側に面している新堤は釣り師の列だろうが、長堤防の先端なら穴場と予想し、睡眠時間たった1時間という強行で、真夜中の1時に起きた。そして1時18分に自宅を後にした。先週に引き続き「AKBのオールナイトニッポン」を聴きながらの運転。相馬よりかなり南寄りのルートなのに、なぜかニッポン放送の受信感度は悪かった。深夜の時間帯は代行がやたらと多かった。バイパスからR4本線に入り、須賀川のデニーズの交差点を左折(1時35分)。この道は平成2年から6年まで、毎週夜に勿来のアパートに帰った時のルートで走り慣れている。たぶん200回以上は走っている。死亡事故多発警報発令中につき、30km/hオーバーにならないよう気をつける。GPSレーダー探知機をつけてから、逆にスピードを出さなくなった。往路は石川から先は単独走行し、かなりのハイスピードで巡行したにもかかわらず、先行車に一台も追いつかなかった。御斉所街道はトンネルが3か所出来たので、時間短縮になるし、運転がすこぶる楽。そして遠野の分岐点から右折し、植田方面へ。2時18分。ここで先行車とトラックに追いつき、抜けずにタイムロス。やがてセブンから右折し、田畑クリニックから鮫川を渡る道路へショートカット。そのままR6へは出ずに直進。呉羽化学工場とその先の団地群の脇を通り、ゴルフ場の一本道へ。その周辺で茨城県と福島県を交互に通過。そして関本中学校のT字路から左折。そしてその先のカーブにあったセブンに入り、おにぎり2個入りを2セットとシーチキンを購入。465円。魚の餌の方が人間より高いとは・・・。そして大津港駅隣の踏切を渡り右折、そしてR6へ。大津港の懐かしの船揚げ場の駐車場へ2時45分に到着した。往路は1時間25分で到着した。距離は96.4kmだった。ところが、釣り座となる防波堤までたどり着くのに苦労した。7年前と堤防までのアクセスがガラリ変わってしまっていたのだ。右が岸壁、左は水たまりの或る雑草という細い道を行き、先が読めないのと真っ暗で怖いのなんの。何回もバランスを崩して海に転落しそうになった。そして重い荷物を両手に抱え、500mほど歩いて5m以上高い防波堤へ辿り着くのは大変だった。帰りは死にそうだったが・・・。

 そして、ようやく夜中の3時前に星空の超綺麗な防波堤に立った。市場側は夜釣りの人がいたが、この堤防は勿論無人。夜中の3時19分から11時過ぎまで実釣。無風に近い状態でロケーションが抜群で、釣り座としては最高だが、沖堤防が目の前に連なり、凪の状態で活性はイマイチ。釣り自体は全般的に低調。先端は高さがあるが、根がかりはあまりなし。竿5本出すが、ルアーはいつも通り当たりすらなし。朝方5時に大津港の大船団が30隻以上、立て続けに勇壮に出航、そして10時以降、大挙して続々と帰港する様は壮観だった。市場前は漁船で埋め尽くされ、ちょっとした渋滞になっていた。漁船が目の前を通る為、せっかく、サバのラッシュの時間帯、その都度仕掛けを上げて損する形に。そして、ようやく当たりが立て続けにあったと思ったら、コマセ切れ。もっともサバは相馬とは雲泥の差で20cmにも満たない小粒揃い。そして相変わらずここはボラが多い。あちらこちらで海面から跳ねていた。かつてこの堤防で、一度の釣行でメバルを50尾以上釣ったことがあったのでメバリングも試したが、結局メバルにはお目にかかれなかった。釣果は5時台にアジ゙(フロート3本ハリ)とシャコ(天秤)、7時台にアジ゙が上がった。藪蚊とスズメバチ5匹と格闘。8時台にアイナメ、9時台から10時台にかけて久々に小サバ゙のラッシュ。計4匹すべてサビキ仕掛けに来る。9時以降は残暑再びという感じ。暑くて喉がカラカラ。7時台に向こう岸のオイルタンク付近で、地元のオヤジとファミリーの間で凄まじい口論トラブルがあった。「やかましこのぉ~」とか叫びまくっていた。その大声が港じゅうに響き渡り、或る種の注目を浴びていた。大津港の魚市場付近は海面も堤防もゴミだらけ。プカプカと弁当容器やビニール袋、ペットボトルなどが多数漂流していた。あれでは魚が寄りつかない。これ以外はフグが2尾のみ。日中は青空晴天。大津港は久し振りだったので、懐かしく、周囲の写真を撮りまくった。私自身も初心に還る思いがした。

 帰りは勿来ICから高速1,000円を初利用。通常料金だと2,250円だから大分お得。何と帰りの間、一台の車にも抜かれないという快挙を演じ、高速道走行時間41分で走りきった。追い抜いた車は100台程度。3連休初日なので、土浦、千葉、袖ヶ浦、水戸ナンバーなどが多かった。「郡山JCTから福島西ICまで下り線8km渋滞」という表示が出ていた。結局大津港を出て自宅までたったの1時間7分で到着した。次回ここでやる時は、車横付けで実釣可能な里根川沿いの白灯台で行いたい。ここはシーバス、ヒラメが狙えそうだし、冬にはカレイも釣れそうだ。寒い時にも車内で暖をとれるのがいい。

<かかった費用>

エサ代     787円  仕掛け代 1,164円 
朝食昼食代 465円  高速代 1,000円   合計 3,416円      

<釣り場の写真>

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<釣果>

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2010年9月11日 (土)

本日の釣果(2010/9/11)

釣行記録

DATE : 9月11日(土)
TIME  : 3:58~11:28(7.5H)
PLACE: 相馬沖防波堤0番
EFFECT:アナゴ40cm(リリース) シャコ12cm(リリース) サバ34cm~37cm4尾 
COMMENT:
 最近睡眠不足が続く最中、敢えて強行。本来、この釣行も危うかった。2~3日前まで接近していた台風とそれを追いかけるように襲来する低気圧の影響で、土曜日は天気が崩れるとの予報。大方無理と思っていた。しかし、前日のヤフーの天気では雨マークなし。真夏日の晴天予報。残暑再び・・・というコンディションだった。前日の夜7時半にJ屋へ駆け込む。店員の I さんによれば、久の浜の沖堤防で先週のウィークデーに釣行したら、40cmオーバーのサバがルアーで爆釣、連れの友達が50cmオーバーのイナダを複数本ゲットという情報を頂いた。しかし、この日は相馬の賀都屋から沖防渡船で0番に行くと決めていた。昨年間違えて1番に行ってしまい、是が非でも一番南端のその番号でリベンジを誓いたかった。いつものように2時間程の仮眠で準備。セブンでおにぎりと1L入りのお茶を買い込み1時21分発。深夜のR4は大型トラックだらけ。皆平気で80km/h以上で流している。何かおかしい。私は場所は違うが同じ深夜に67km/hで走行中に切符を切られたのに・・・。信号に引っ掛かることなくハイペースで巡行。松川からバイパスを外れ、飯野・月館経由の山間部を分け入る。そしてラジオをつけると「AKB」のオールナイトニッポンを放送していたので、大島優子ら賑やか3人組の元気なトークを聞きながらハンドルを握った。やがて2:08に石田から国道115号線へ合流。深夜の時間帯は、交通量は皆無に等しい。霊山付近の温度表示が17℃だった。そして2時41分に賀都屋へ。

P9110269  6番目ぐらいで名簿に名前を記入。福島市や伊達市から来たグループと、栃木県の方もいた。しかし、一番船は4時とのこと。お客さんが多ければ多少早く出すとのこと。2,000円払って200m先の渡船乗り場用の駐車場でとりあえず荷物を置いて場所取り。すると30分程で船長が現れた。3時15分乗船。40分に10名ほどで出航した。上空驚くほどの星の輝き。無数の星達がさんざめき、それはこの世のものとは思えぬほどの美しさだった。今回は12時戻りの0番にした。案の定、そこで降りたのは私だけだった。ところが・・・。前回の反省を生かして0番にしたのに、南の端っこは何と00番だったのだった。失敗した・・・。歩くのも面倒なので、周囲無人の0番沖堤防に一番乗り。やはり賀都屋の渡船が一番早い。朝方は寒いことを見越し、また日中は日焼け対策に上下のレイン用の長そで長ズボンを着用して行ったらとんでもないことに・・・汗が滝のように流れ、下着までグチョグチョに。日中脱いで日焼け止めクリームを塗りまくった。条件は中潮で、満潮から潮が引いて行く時間帯の釣行なので下げ三分にもぶつかるので悪くはなかった。しかし、4時前の釣行開始から全く当たりがない。ライトの電池が不足し、仕掛けのセットに手間取りイライラする。そしてここでは毎度のことながらトラブル続出。アP9110266スファルトで腰や骨折した右足甲が激痛。やはり完治などしていない。あの藪医者が!初期治療が全く駄目だったことが1年半経った今でも尾を引くとは・・・。その他の主なトラブルは、コマセを入れるパッカンを家の台所に忘れて来たようだ。たぶんクーラーに氷を入れた時だと思う。そして投げ竿に付けた鈴の留め具が折れた。投げサビキのウキを遊動で固定するのに使うガン玉が割れ目がないものばかり。イワシ用のルアーを間違えて蹴飛ばし、海中にドボン。下ろし立てだったのに・・・ろくなことがない。そしてフロート仕掛けも根がかりで失い、とにかくイライラ。精神衛生上良くないことの連続。そんな中、竿を5本(投げ竿ぶっ込み2本・ショートパックブラクリ用・コマセカゴ付き投げサビキ用の磯竿・ジグ用のルアー竿)も出し、忙しい釣りとなった状況下にあって、僅かだが、良いこともあった。まず開始早々の4時15分、投げ竿の鈴が鳴った。かなり竿が重く取り込もうとした時に根に潜られ、「THE END」。痛恨のばらし。時間帯から言えばアイナメだろう。4時45分には天秤仕掛けに40cmオーバーの太いアナゴ。裁けないのでリリースした。夜が明け、急に暑くなり出した6時10分には、下オモリ式にシャコ(12cm)これまたリリース。ブラクリはことごとく餌取りの餌食に。メバルはかからなかった。それと今までと同様、ルアーは全く駄目。イナダは愚か当たり一つなし。恐らく、気温上昇で無風、潮止まりや凪の状態で、P9110272 水温も高く魚の活性が上がらないのも一目瞭然だった。今回はボウズで土産なしかと諦めかけた頃、投げサビキに立て続けに4回当たり。1回目は6時35分。コマセを替えようと回収しようとしたら、ウキが沈んだ。大きく竿がしなり、引っ張られる。サビキ針の一番下にかかった。太陽光線で金色に光っていた。何とか堤防の脇の岸壁にぶつけながらも何とかバラさず引き上げた。すると大きい。35cmあった。去年は鈴なりだったがサイズが小さかった。今回は噂通り巨大。何とかこれで土産が出来た。そしてその後も断続的に当たりがあった。2回目は8時28分に34cm。3回目は10時5分、外海側のテトラの上からルアーを遠投していた時の事。ふと振り返ると三脚に立てた筈の2本の竿が無い!海中に落ちたか?と慌てて戻ると、魚の抵抗で倒れたようだ。それくらいサバの横走りは強烈。これは36cmだった。そしてラストは10時35分だった。これは当たりがあった瞬間を自分の目で確かめた。そしてすぐに合わせを入れ、この日最大サイズの37cmのサバの引きを楽しんだ。すべてすぐにナイフで生き締めし、バッカンに投げ込み血抜きをした。海水が血に染まった・・・。この暑さでは「サバの生腐れ」になってしまうからだ。釣果は4本と少なかったが、久し振りに大物のサバの引きは堪能できたと思う。隣りでやっていた若い4人組のルアーマンも羨ましがっていた。

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 しかし、調子が出て来た矢先に、青イソメとコマセが両方餌切れとなった。防波堤上は逃げ場がなく、カンカン照りで真夏そのもの。水分補給のペット茶も当の昔に飲み切り、辛かった。11時の迎えでも良かったが、片付けに手間取ると思い、12時まで時間を潰した。でもコマセが無いのが致命的で、その後、疑似餌だけで試したが、結局何も当たらなかった。すると12時を過ぎてもなかなか迎えの船が来ない。間違えて昔よく使っていた「かめちゃん」の渡船に乗ってしまい、間違えに気づき、あわてて下船する一幕があった。超恥ずかしかった。12時5分に賀都屋の船がやっと来て、乗船。10人以上が乗っていた。船の上で体中に日焼け止めクリームを塗りまくった。船に乗り合わせていた人の会話では、一番東側の端の7番は、釣れたのはサヨリばかりだったそうだ。この全長2km以上もある相馬の沖堤防は、00番から白灯台が立つ7番まで約300m置きに船着き場があるが、番号によってターゲットとなる魚が違うのだ。また、すべてテトラが埋め尽くしている外洋側(沖側)と波が穏やかな内側(岸側)でも全く対照魚が異なる。時期によっては7番は、ヒラマサやシイラ、ソウダガツオなどの回遊魚も狙えるし、クロダイもダンゴやフカセで狙うと面白い。6月~8月はテトラに沿ってルアーを引けば、カンパチやシーバスもかかる。外側はタナゴ、ウマヅラ、クロダイ、大型のアイナメなど。内側はドンコやメバルなどが防波堤の際で狙え、サバやアジなどの青物も爆釣モード。カレイも内側が有利。そして2番のテトラから冷凍イワシを付けて遠投すればヒラメも来る。冬でもソフトワームで底を引けばソイや40cmオーバーのアイナメが来る。

 さて、次回こそは一番はじっこの00番に来ることを固く誓った。今日は土曜なので、松川浦大橋の周辺でもたくさんの釣り師が出ていた。そして大変な暑さの中、車内に乗り込み、12時14分に駐車場を出発した。体が火照って水分が蒸発し、乾き切ってきたので、R6に出る前の途中にあったセブンに入り、1Lのビタミンウォーターとウーロン茶を購入した。324円派手な若い女性店員の客に挨拶もしない応対の仕方にマジ切れした。そのビタミンウオーターは帰りの車中で全て飲み干した。帰路の峠道では待避所が何箇所も設けてあるのに、後続に追いつかれても絶対に譲ろうとしない。自分が一番速いと思っているのだろうか?霊山では深緑色の最新式のロータスのオープンカーに追いついた。乗っているのが若僧だったので妙に腹立たしかった。やはり渋滞の原因を作っていたのは過積載したトラックだった。往路と全く同じ道を辿った。13時20分松川から4号バイパスへ合流。途中安達交差点で交通事故があった模様。現場検証していた。注目を浴び、恥ずかしかったに違いない。14時まで帰宅に間に合うかと思ったが、予想外に渋滞個所もなくスムーズ。バイパス降りたところの信号機につかまったが、13時56分に自宅に戻った。コンビニでのタイムロス分を引くと1時間39分で戻れたのは快挙だ。交通量の無い裏道の山道を選んで走ったのが勝因とどういう走りをしたかは容易に想像できるだろう。帰宅後、サバを洗って、チルド室に保管しようとしたら、大量の出血。何度洗っても駄目。結局5回洗った。でも前もって血抜きをしたせいで、いつもより見た目にも鮮度が良く、普通だと死後硬直してしまうのに、時間が立っていても身が柔らかだった。やはり可哀相ではあるが、魚は釣ったその場で締めるのが良さそうだ。

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 今日は総じて暑くて釣りにならなかった。魚影も活性も薄い。今年の暑さはとにかく異常。来月には水温も落ち着き魚の数も増えることだろう。今年は大学生の身分に戻ったので、去年に比べて釣行回数が激減。今年はこれで4回目。恐らく年内に頑張ってもあと4回程度になる見通し。私のホームページの更新を楽しみにしている方達には申し訳ないし、弁解のしようがない。今後多少なりとも巻き返しを図りたい。

<かかった費用>

エサ代     787円  仕掛け代 567円 
朝食昼食代 933円  渡船代 2,000円   合計 4,287円      

<その他の写真>

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 なお、DATAの詳細については、「ようこそ釣り天国へ」の釣行記録をご覧ください。

 

2010年9月 4日 (土)

巨人移籍でダメになる選手たち

 今回のテーマは、タイトルが物語るように、巨人軍に入団・移籍したばかりにダメになった選手たち、あるいは成績がガタ落ちした選手を取り上げることにする。ON時代から熱烈なるジャイアンツファンの私にとって、できればこの話題には触れたくなかった。でもペナントレースで困窮を極める巨人の戦いぶりに「喝!」を入れる意味で、敢えて掲載したい。これまで巨人に移籍した主な代表選手は以下の通りである。

 金田、別所、シピン、張本、松原、中尾、加藤英司、蓑田、阿波野、屋敷、清原、広沢、マルチネス、ペタジーニ、石井浩郎、ローズ、江藤、工藤、前田、李、豊田、谷、木村拓、シコースキー、グライシンガー、クルーン、マイケル中村、小林雅、藤井など

 彼等は、他球団で主力(4番バッターやエース級)として活躍し、何らかの手段(FA・トレード等)で巨人に移籍して来た選手達である。彼等は一様に、前球団での成績の方が遥かに良く、華々しい活躍をした選手達である。彼等の個別の成績を移籍前と移籍後という条件で比較してみれば一目瞭然だろう。引退した選手は通算成績比較。現役選手は移籍前年とまだシーズン途中ではあるが、今年の成績を比較して検証した。

           前球団     移籍前成績       巨人移籍後の成績

 金田正一    国鉄     353勝267敗       47勝 31敗     
 別所毅彦    南海      89勝 76敗      221勝102敗
 シピン      大洋    822安打166本塁打467打点     302安打52本塁打158打点
 張本勲   日本ハム  2263安打338本塁打1396打点 526安打75本塁打280打点

Kaneda Bessyo Harimoto    
 

           前球団     移籍前成績          巨人移籍後の成績

  松原 誠     大洋  2,081安打330本塁打1,172打点  14安打   1本塁打  8打点  
  中尾孝義    中日    596安打  95本塁打  280打点  103安打 14本塁打 55打点 
 加藤英司    阪急  2032安打 344本塁打1246打点    23安打  3本塁打 13打点
 蓑田浩二    阪急    1211安打195本塁打656打点     75安打  9本塁打  22打点

Nakao Kato_hideji Minoda 

           前球団      移籍前成績        巨人移籍後の成績
 
 阿波野秀幸   近鉄    67勝56敗4S 850奪三振  0勝3敗0S 39奪三振 
 清原和博     西武    1362安打394本塁打954打点   720安打131本塁打576打点
  広沢克己   ヤクルト  1440安打250本塁打807打点 296安打 56本塁打178打点   
 石井浩郎    近鉄       778安打146本塁打463打点  116安打 16本塁打 73打点
 マルチネス   西武    288安打  61本塁打203打点   209安打43本塁打147打点

Kiyohara Hirosawa Ishiihiro

            前球団       移籍前成績        巨人移籍後の成績

 工藤公康     西武・ダイエー 162勝89敗3S2,021奪三振  53勝40敗0S732奪三振      
  江藤 智   広島    1,014安打278本塁打670打点   465安打101本塁打296打点
 屋敷  要    横浜        1136安打 57本塁打 370打点     10安打   1本塁打  5打点
 前田幸長   ロッテ・中日 65勝102敗5S1,023奪三振   11勝8敗4S 218奪三振

Kudoh Etoh Maeda       

           前球団       移籍前成績        巨人移籍後の成績

 ペタジーニ   ヤクルト   595安打160本塁打429打点   218安打63本塁打165打点
 ローズ     近鉄      1551安打392本塁打1100打点 241安打72本塁打169打点
 小久保裕紀   ダイエー   1380安打233本塁打916打点   371安打94本塁打238打点
 李承燁      ロッテ    打率.260 本塁打30 打点82     打率.167 本塁打5 打点11

Ppetajini Roze Isunuopu
 
           前球団        移籍前成績       巨人移籍後の成績

 グライシンガーヤクルト    16勝8敗 防御率2.84     0勝1敗 防御率4.90
 クルーン    横浜       3勝1敗31S 防御率2.76   3勝2敗19S 防御率4.31
 豊田清      西武       3勝1敗19S 防御率3.97   1勝1敗0S 防御率4.39       
 ゴンザレス  ヤクルト      1勝5敗 防御率4.30          4勝10敗 防御率5.75

Guraisinger Croon Gonzares  

           前球団        移籍前成績        巨人移籍後の成績

 マイケル中村 日本ハム         2勝2敗28S 防御率2.14     1勝0敗1S 防御率1.68
 小林雅英    ロッテ      2勝7敗27S 防御率3.61   0勝0敗1S 防御率 5.14
 藤井秀悟   日本ハム    7勝5敗 防御率3.53      6勝5敗 防御率4.29

Micheal Kobayashi_masahide Fujii

 明らかにどの選手も移籍前の方が活躍しているのがわかる。特にひどいのはマルチネスとペタジーニ、そして韓国の英雄・李承燁。移籍前では華々しい実績を挙げて鳴り物入りで巨人に来たのに、全くの期待はずれ。これでは給料泥棒と同じだ。巨人に来た途端、成績がガタ落ちとなるし、選手生命が短くなる。理由は簡単。他チームでは一線級でバリバリ働いた主力選手だったのが、巨人に来る時にはピークを過ぎた35歳前後からであり、体力も気力も衰え(萎え)ているからなのだ。怪我や故障も必然的に多くなる。つまり早い話、引退間近な選手が有終の美を飾る最後のご奉公やご褒美として「終の棲家」が巨人という図式なのだ。そして外国人助っ人に関しては、金に物を言わせ、莫大な契約金を用意し、辺り構わずあるいは手当たり次第に引きぬく傾向があることから、選手自身も生活が保証されることに甘んじてハングリー精神を失い、気持ち的に守りに入る傾向が強くなるのだ。結果を出す前に期待料として多額の金額を提示されてしまえば、安心すること然りでやる気が出ないのは当然。こういう場合は完全歩合制にするべきなのだ。例えば安打一本に付き幾ら。投手だったら一勝につき幾らという具合だ。すると言い訳は出来ず、結果が収入のすべてを占めることになる。プロ選手は、野球で身を立てているのだから、それは当然の生業なのだ。新人選手もそうだ。プロとしては未知数の段階で、契約金1億円は与え過ぎ。「夢を売る職業」としての位置付けなのかもしれないが、プロとして通用するかどうかも先行き不透明な18歳くらいの高卒ルーキーにそんな大金を叩いてどうするのか?

 また、巨人は毎年優勝を強く期待されることから、すぐに実践で使える即戦力候補が求められるため、FAやトレードで他チームの有力選手を引き抜いて補強する手法を取って来た。現戦力を見ても、小笠原・ラミレス・谷・古城などはいわゆる外人部隊で、彼等は額面以上の活躍を見せているが、それ以外の者はあまり活躍の場すら与えて貰えず、また、せっかくレギュラーを勝ち取っても、翌年には熾烈なポジション争いで控えに回るというケースも数多い。そして環境の変化に順応できない選手が多い。各対戦相手がセリーグとパリーグではクセや好みなどがガラリ異なり、選手一人一人に対して一から研究・分析し直さなければならないから、いくら移籍前の球団で華々しい活躍をしても、移籍後は以前と同じ成績を上げられるかというと一概にそうとは言えないのだ。しかも、巨人が相手だと、他チームの気合の入り方が違う。特に阪神戦では、エース級をあえてぶつけ、絶対に取りこぼせない覚悟と勢いを感じる。そしてかつては露骨にも巨人戦しか野球中継が行われなかった時期があった。だから全国の野球ファンの前で無様なプレーは見せられないというのが強かった。故に気合の入れ方がまるで異なり、巨人を目の敵にする傾向が強かった。従って、巨人に身を売った外国人などは意地でもやっつけてやりたいという闘志は強くなるのは当然だろう。

 また、巨人軍は新人選手を育てるのが昔から下手。ドラフトで鳴り物入りで新加入しながら、日の目を浴びず、鳴かず飛ばずで終わってしまった大物ルーキーも多い。藤城、大森、上田、辻内、太田も結果が出せない人達だ。生え抜きで何とかやっているのは高橋由伸、亀井、鈴木、阿部、脇谷、坂本、越智くらいのもの。本当に強い巨人愛を貫くのであれば、若手選手を育て上げ、一から鍛えて貰いたい。気骨な精神力なくして寄せ集めだけのチーム力ではベクトルもバラバラで、優勝は到底狙えないと思う。すぐに結果(優勝)を求めてしまうファンも悪いのだが、かつての広島のように地道な育成プランニングが求められているのかもしれない。

 一方、巨人を追われた選手は、球界の盟主から追放される訳で、どうしても「都落ち」という意識を強く抱く。そして「いつか巨人を見返してやろう」とリベンジを固く誓い、新天地ではかなり好成績を上げている。古くは広島の萩原、韓国プロ野球に新境地を求めた新浦、阪神へトレードされ、翌年20勝を挙げて、対巨人戦は負けなしだった小林繁、横浜で2,000本安打を達成した駒田、西武でも守護神として活躍した鹿取、近鉄でクリーンアップを打った吉岡、同じく石毛博史、日本ハムへ出された二岡と林、今年の木佐貫(オリックス)など。巨人では控えなどで出番を与えられなかった面々だが、他球団で活躍できる機会が増え、水を得た魚のようにその才能を開花させている。巨人にとっては皮肉とも言えるような結果である。

 今、プロ野球はセ・パ両リーグ共に日替わり首位とも言うべき状況で、見ていては面白いだろうが、巨人は明らかに投手不足。楽天から朝井を連れて来てローテーションを任せるも、出だしは良かったが、毎回大量失点の中に埋没してしまっている。今回のテーマを問題意識として、この現状打破に向け、今こそ大改革が求められるような気がする。プロ野球中継がBSでしか放送されなくなった不人気の中、復権を果たすには強い巨人が切望されるのだ。ぜひ、プロ野球に再び灯りをともしてほしいものだ。

  

2010年9月 1日 (水)

往年の名優回顧録~女優編~

 さて、本日は昨日の男優に引き続き、かつて銀幕のスターとして華々しく活躍した往年の女優にスポットを当ててみたい。私達を魅了し、のめり込むほど心酔させ、胸ときめかせくれる存在だったスクリーンのマドンナ達。殆どは亡くなられた方々ばかりだが、既に引退されてしまった方もいる。そんな彼女達の功績を振り返って行きたい。

 田中絹代・・・黎明期から日本映画界を支えた大スターであり、日本映画史を代表する大女優の一人。出演映画において世界三大映画祭(カンヌ・ヴェネツィア・ベルリン)の全てを受賞しており、三冠を達成している。特に、上原謙とのコンビで1938年に公開された「愛染かつら」は空前の大ヒットとなり、シリーズ化された。終戦後も、溝口監督の『女優須磨子の恋』や小津安二郎監督の「風の中の牝鳥」などに出演し、高い評価を得、1947年、1948年と連続して毎日映画コンクール女優演技賞を連続受賞した。木下恵介監督の「楢山節考」、小津監督の「彼岸花への出演、京マチ子主演の「流転の王妃」の演出など、常に映画界をリードする活躍を続ける。その一方で、テレビドラマにも活躍の場を広げ、「前略おふくろ様」の主人公の母親役やNHK朝の連続テレビ小説「雲のじゅうたん」のナレーションなどで親しまれた。紫綬褒章を受章。

Tanakakinuyo

 原節子・・・始めに断っておくが、彼女は今もご健在である。戦前戦後の日本映画を代表する大スターであった。1937年、初の日独合作映画「新しき士」のヒロイン役としてアーノルト・ファンク監督に抜擢される。1946年黒澤明戦後初の監督作品「わが青春に悔なし」では信念に生きた女性を内に秘める強烈な演技で、その美貌とのギャップをスクリーン上で表現した。1949年の「青い山脈」では女性教師役を演じ、同名主題歌とともに大ヒットとなった。また同年から1961年まで、小津安二郎監督と組んだ6作品は、日本映画を代表するものとして、国際的にも有名になった。しかし1962年の『忠臣蔵』を最後に映画界を引退した。

Setsukohara

 大原麗子・・・和風クレオパトラ的とも言うべき誰もが認める美人女優で、ちょっと小悪魔的な魅力に溢れていた。甘ったるい喋り方と端正が整ったややベビーフェイスは世の男性を虜にした。)、1964年にドラマ「幸福試験」への出演でデビューし、翌年、東映に入社した。佐久間良子主演の「孤独な賭け」で初めて本格的な映画出演をし、以後、高倉健の「網走番外地」シリーズや、梅宮辰夫の「夜の青春」シリーズをはじめ数々の映画に出演した。また、映画「男はつらいよ」シリーズでは、マドンナ役を二度務めた。さらに、多くのテレビドラマにも主演し、“好感度No.1女優”の地位を得るに至った。テレビCMへの出演も多く、とりわけ1977年から1987年まで出演していた、サントリーレッド のCMは、「すこし愛して、なが~く愛して」のキャッチコピーとともによく知られた。また、歌手として数枚のレコードをリリースしている。血液型はAB型

Oharareiko

 岸田今日子・・・当初は文学座の舞台女優として活躍していた。画では1962年に「破戒」などの演技で毎日映画コンクール助演女優賞、1964年には「砂の器」でブルーリボン助演女優賞を受賞して、実力派女優としての地位を確立した。個人的には「おとこ同志おんな同志」のナイスキャラの演技が記憶に残っている。また、アニメ「ムーミン」のムーミン・トロールの声も担当するなど声優や独特な語り口調で番組のナレーションも数多くこなした。他には「砂の女」「戦争と人間」「犬神家の一族」など。私生活では仲谷昇と何度も結婚離婚を繰り返した。血液型はA型

Kishida

 南田洋子・・・大映のニューフェイスとして入社。「美女と盗賊」で映画デビュー。1953年、若尾文子と共演した「十代の性典」が大ヒットし、注目される。艶っぽい演技が魅力だった。日活に移籍しm芥川賞を受賞した話題作「太陽の季節」が映画化され長門裕之とともに主演。この映画は大ヒットし2人は日活の看板スターとなり、多くの作品に出演する。1961年に長門と結婚。夫婦揃って番組出演し、仲睦まじいおしどり夫婦であった。他の代表作は「サムライの子」「宮本武蔵」「無法松の一生」「野菊の墓」など。血液型はA型

Minamida

 山岡久乃・・・橋田壽賀子ファミリーで、京塚昌子・池内淳子と共に「日本を代表するお母さん女優」として、不動の地位を築いた。落ち着いた物腰と琴線に触れる演技力でスクリーンを闊歩した。1946年に俳優座に入団。女優としてのスタンスを決定付けた作品が、1970年の「ありがとう」であった。母娘役で水前寺清子と共演。1974年の第3部まで「母・山岡、娘・水前寺」のコンビで好評を博し視聴率50%を突破、怪物ドラマと呼ばれた。他の主な出演作品は、「こころの山脈」「三男三女婿一匹」「あんたがたどこさ」「渡る世間は鬼ばかり」「時代劇シリーズ」など。血液型はO型

Yamaoka

 京塚昌子・・・ホームドラマのお母さん役には欠かせない女優さんだった。「肝っ玉かあさん」が当たり役となり、恰幅が良く割烹着の似合う母親役で絶大な人気を誇り「日本のお母さん」とも呼ばれた。主な出演は「女と味噌汁」「大忠臣蔵」「おかあさんの四季」「おふくろさん」「ありがとう」など。晩年は長らく闘病生活を強いられた。

Kyouzuka

 高峰秀子・・・彼女も現在ご健在である。子役時代から活躍し、和製チャーリーテンプルと呼ばれていた。1929年に映画「母」でスクリーンデビューし、戦前戦後と数多くの映画、テレビに活躍し、様々な作品に主役として登場した。代表作は「お嬢さん」「花ひらく」「細雪」「カルメン故郷に帰る」「名もなく貧しく美しく」「恍惚の人」、東芝日曜劇場など。

Takaminehideko

 高峰三枝子・・・「歌う映画スター」の草分け的存在だった。映画『母を尋ねて』で女優としてデビューした。理知的で気品のある美貌はたちまち人気を集め、翌年には松竹三羽烏と呼ばれた人気二枚目俳優・上原謙、佐野周二、佐分利信を相手にマドンナ役を演じた『婚約三羽烏』が公開されている。同じ1937年の年末に公開された浜本広の小説を映画化した「浅草の灯」で演じた浅草オペラの踊り子役で、歌を口ずさむシーンが話題となり、コロムビアがレコード歌手としてスカウト。翌年、映画「蛍の光」の主題歌「蛍の光」でレコードデビューした。他の作品は「宵待草」「3時のあなた」「母を尋ねて」「金色夜叉」「荒城の月」「人間の証明」「犬神家の一族」など。血液型はA型

Takaminemieko

 越路吹雪・・・女優というよりもシャンソン歌手である。彼女の代名詞「愛の賛歌」はあまりにも有名。元々は戦中戦後と宝塚歌劇団の男役スターだった。主な舞台は「ハムレット」「カルメン」「雨月物語」など。血液型はB型

Koshiji

 岡田嘉子・・・大正昭和初期のサイレント映画期の大スターである。奔放な恋愛遍歴とソビエト連邦へ亡命(愛の逃避行)するなどスキャンダラス女優として波乱の生涯を送ったことでも知られる。主な出演作は「髑髏の舞」「街の手品師」「大地は微笑む」「日輪」「椿姫」「また逢ふ日まで」「土曜ワイド劇場」など。

Okadayoshiko

 三ツ矢歌子・・・新東宝の新人募集に応募書類を送って見事に合格し、第4期スターレットとして入社。視聴率を稼ぎまくったことから「昼メロの女王」と呼ばれた。和服美人であるが、なぜかシリアスドラマに出演することが多かった。主な作品は、映画が「君ひとすじに」「女真珠王の復讐」「スーパージャイアンツ」「人間の壁」「黒線地帯」「暖春」で、テレビドラマは「すべってころんで」「澪つくし」「気まぐれ本格派」「女の絶唱」「大奥」「金メダルへのターン」「裸の大将放浪記」「華麗なる一族」など。記念すべき江戸川乱歩シリーズ第1回作品「氷柱の美女」のマドンナ役として出演した。血液型はA型

Mitsuya

 河内桃子・・・出生は由緒ある大財閥の令嬢である。東宝の6期ニューフェースとして入社し、その後俳優座へ。1954年に「坊っちゃん社員シリーズ」でデビュー。その後出演3作目で「ゴジラ」のヒロイン・山根恵美子役に抜擢される。このため世間では「特撮俳優」のイメージが強い。その後、舞台とテレビに活動の軸足を移して、「ありがとう」』や「渡る世間は鬼ばかり」などのホームドラマでは一癖ある母親役などを演じ、「土曜ワイド劇場」などの2時間単発ドラマにも出演するなど芸域は幅広かった。代表作は「男はつらいよ」「東芝日曜劇場」「初恋」「春の河」「若い季節」「三人姉妹」「二百三高地」など。血液型はO型

Kouchimomoko

 小林千登勢・・・文学座からNHKへ。「輪唱」「伊豆の踊り子」「廃市」など、多くのテレビドラマに出演。清純さの中にどこか哀愁を漂わせた美貌で人気を集め、馬渕晴子、冨士眞奈美とともに「NHK三人娘」としてテレビ草創期のスターとなった。俳優の山本耕一と結婚した。フリーとなってからもテレビを中心に活躍し、74年のNHK「鳩子の海」、81年のTBS「わが子よ」、83年のNHK「おしん」などに出演する一方、75年にスタートした「土曜の朝に」では14年間司会を、また、クイズ番組「ヒントでピント」ではレギュラー解答者をつとめ、その飾らない人柄から「おっかさん」の愛称で親しまれた。他の出演作は、「黒い雨」「伊豆の踊子」「春日局」「俺たちの旅」「3年B組金八先生」「ガラスのうさぎ」「華の宴」など。血液型はA型

Kobayashichitose

 夏目雅子・・・カネボウキャンペーンガールから東映「トラック野郎」のマドンナ役に抜擢された。1978年、日本テレビ系「西遊記」では三蔵法師役を演じて人気を得る。この時、「頭の形が良く、美しくて神々しい」と話題になった。1981年NHK大河ドラマ「おんな太閤記」にお市の方で出演した。1982年の「鬼龍院花子の生涯」の台詞「なめたらいかんぜよ!」が流行語となる。またこの映画では、周囲の反対を押し切って本人がヌードになった。迫真の演技が話題になり、この作品でブルーリボン賞を獲得。1984年に作家・伊集院静と結婚したが、直後に急性骨髄性白血病を発病し、27歳という若さで他界した。彼女のその美貌と存在感は、今でも伝説となっている。主な作品は「二百三高地」「時代屋の女房」「南極物語」「瀬戸内少年野球団」「黄金の日日」など。血液型はB型

Natsumemasako

 杉村春子・・・。築地小劇場より始まり文学座に至る日本の演劇界の屋台骨を支え続け、文化史に大きな足跡を残した文字通り、日本を代表するカリスマ女優。特に戦時1945年4月、東京大空襲下の渋谷東横映画劇場で初演された森本薫作「女の一生」の布引けいは当たり役となり、1990年までに上演回数は900回を超え、日本の演劇史上に金字塔を打ち立てた。1974年文化功労章受章。出演は他に「また逢う日まで」「東京物語」「にごりえ」「赤ひげ」「野菊の如き君なりき」「破戒」「ありがとう」「関ヶ原」「華岡青洲の妻」「欲望という名の電車」など。血液型はO型

Sugimura

 范文雀・・・国籍は台湾の女優。大学在学中の1968年、テレビ番組「特別機動捜査隊」に端役で出演し、女優デビューした。。1970年、TBSの「サインはV」に悲運の混血アタッカー「ジュン・サンダース」役で出演したが、繊細な心を持ちながら、表面的には突っ張った部分を持つジュンの役柄は多くの視聴者の共感を呼び、志半ばで骨肉腫で倒れるストーリー展開に対しては、全国のファンから助命嘆願が数多く届くほどだった。続くスチュワーデスを描いたドラマ「アテンションプリーズ」にも田村早苗役で出演し、范の人気は不動のものとなった。他の出演作品は、「野良猫ロック」「可愛い悪女」「人間の証明」「プレイガール」「2丁目3番地」「清水次郎長」「影同心」「G'メン75」など。血液型はO型

Hanbunsyaku

 太地喜和子・・・高校在学中、東映ニューフェイスオーディションに合格。その後、俳優座養成所を経て文学座に入団。1967年、日活映画の『花を喰う蟲』に主演、ヌードやベッドシーンを大胆にこなし、一躍注目される。舞台女優として「欲望という名の電車」、「近松心中物語」、「唐人お吉」などで活躍。他の作品は「火まつり」「白い巨塔」「悪魔の手毬唄」「男はつらいよ」「ナショナルキッド」「若い恋人たち」「風と雲と虹と」「蔵の中」など。1992年、車が海に転落する不慮の事故により48歳で逝去。血液型はA型

Daichi

 早乙女愛・・・1974年、漫画雑誌 「少年マガジン」に連載されていた漫画 「愛と誠」が映画化されるにあたり、主演を務める俳優・西城秀樹の相手役が公募された。友人と共に応募し、4万人の中から選出されたのが、当時女子高生だった瀬戸口さとみ(本名)であった。その後、松竹と専属契約を結んだ瀬戸口は、同年、映画での役名と同じ「早乙女愛」の芸名で映画デビューした。日本人離れした豊満な肉体で一躍脚光を浴び、1日に400通ものファンレターが殺到するほどの人気となった、その後も清純派女優として活躍を続けた。今年7月、移住先のシアトルの病院で多臓器不全で亡くなった。享年51歳という若さだった。出演作品は他に「港のヨーコヨコハマヨコスカ」「男はつらいよ」「オレンジロード急行」「迷走地図」「ピュア」「江戸の波濤」「北条早雲」「日活ロマンポルノ」など多数。血液型はA型

Aisaotome

 乙羽信子・・・宝塚歌劇団出身の女優。退団後、大映に入社する。大映は、宝塚時代から人気のあった「えくぼ」に「百万ドルのえくぼ」というキャッチフレーズをつけて、純情型のスターとして売り出す。デビュー作は同年の「処女蜂」で、上原謙と共演した。その後、何作かに出演したが、魅力を出し切ったとはいえなかった。しかし、1951年の「愛妻物語」で、夫を陰で支える妻を好演し、映画界でもスターの地位を手に入れる。代表作は「裸の島」「絞殺」「原爆の子」「おしん」「午後の遺言状」「恍惚の人」「細雪」「ありがとう」「春の雪」など。

Otowa Otwanobuko

 松尾嘉代・・・彼女は現在ご健在である。今から20年前は2時間ドラマには欠かせない存在だったが、ある年から全くテレビ等には姿を見せなくなってしまった。このような芸能界を引退?した女優さんは篠ヒロ子さんもそうだが数多くいる。松尾さんの場合は、1959年の映画に「あんちゃん」でスクリーンデビューを果たし、「青い山脈」や「肉体の門」などお色気物にも数多く出演した。その後も「積木の箱」や「必殺仕掛人」「二百三高地」「不良少年」「連合艦隊」「鍵」「夏の秘密」などでも名演技を披露した。また、テレビドラマでは「東芝日曜劇場」や「赤いシリーズ」、さまざまな時代劇にも引っ張りだこだった。しかし1994年の釣りバカ日誌スペシャルを最後に姿を消している。現在67歳。私としてはかつての名演技を再び見たい気がする。

K18151

 これ以外にも、今もご存命で現役で頑張っている名女優は数多い。山田五十鈴、八千草薫、岩下志麻、三田佳子、吉永小百合、山本富士子、浅丘ルリ子、北原三枝、岡田茉莉子、山口淑子、冨士眞奈美ら大勢いることを加筆しておく。また、美空ひばりは歌手という位置づけのため、ここでは敢えて割愛させていただいた。

Yachigusa Yoshinaga Yamamotofujiko 

 さて、2日連続に渡ってお送りした「往年の名優回顧録」。如何だっただろうか。思わず「懐かしい~!」と声を張り上げたか、それとも「そんな人いたっけ?」という感じだろうか。私も世代的に原節子や田中絹代はビデオでしか見たことがない。しかし、戦前・戦中・戦後の混乱期に、ひたすら芸を磨き、どん底にあった日本国民に光を導き、希望を与えたのは、数々の銀幕のスターたちであったに違いない。彼等に憧れ、彼等のファッションを真似したこともあっただろう。とりわけ石原裕次郎をモチーフにした「太陽族」は大流行だった。彼等の功績を次の世代に伝えて行くことこそが、彼等の恩義に報いる唯一の方法だろうと思う。今は便利な世の中で、彼等の迫真の演技もビデオやDVD、ブルーレイといった最新技術で鮮明に甦る。古典文学作品から現代のアクションやCGを使った特撮で私達を楽しませてくれる映画やテレビドラマの数々。いつの時代も私達に希望の光を射しこんでくれる、そんな存在であってほしいと願っている。

 追記

 H23.5/18にブロガーの方から田中絹代の写真が違っているというご指摘を頂き、本日、訂正させて頂きました。今後とも、記事のミス等がございましたら、コメント等でお知らせください。

 高峰秀子さんが2010年12月28日に86歳でその生涯を閉じられました。また、2012年7月9日には山田五十鈴さんも95歳の天寿を全うし、天国へ旅立たれました。謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

 昭和を代表する大女優だった「原節子」さんが平成27年9月5日に95歳の天寿を全うされました。戦後の復興を支え、人々に希望を与え続けた銀幕の大スターだった。謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

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