往年の名優回顧録~女優編~
さて、本日は昨日の男優に引き続き、かつて銀幕のスターとして華々しく活躍した往年の女優にスポットを当ててみたい。私達を魅了し、のめり込むほど心酔させ、胸ときめかせくれる存在だったスクリーンのマドンナ達。殆どは亡くなられた方々ばかりだが、既に引退されてしまった方もいる。そんな彼女達の功績を振り返って行きたい。
田中絹代・・・黎明期から日本映画界を支えた大スターであり、日本映画史を代表する大女優の一人。出演映画において世界三大映画祭(カンヌ・ヴェネツィア・ベルリン)の全てを受賞しており、三冠を達成している。特に、上原謙とのコンビで1938年に公開された「愛染かつら」は空前の大ヒットとなり、シリーズ化された。終戦後も、溝口監督の『女優須磨子の恋』や小津安二郎監督の「風の中の牝鳥」などに出演し、高い評価を得、1947年、1948年と連続して毎日映画コンクール女優演技賞を連続受賞した。木下恵介監督の「楢山節考」、小津監督の「彼岸花への出演、京マチ子主演の「流転の王妃」の演出など、常に映画界をリードする活躍を続ける。その一方で、テレビドラマにも活躍の場を広げ、「前略おふくろ様」の主人公の母親役やNHK朝の連続テレビ小説「雲のじゅうたん」のナレーションなどで親しまれた。紫綬褒章を受章。
原節子・・・始めに断っておくが、彼女は今もご健在である。戦前戦後の日本映画を代表する大スターであった。1937年、初の日独合作映画「新しき士」のヒロイン役としてアーノルト・ファンク監督に抜擢される。1946年黒澤明戦後初の監督作品「わが青春に悔なし」では信念に生きた女性を内に秘める強烈な演技で、その美貌とのギャップをスクリーン上で表現した。1949年の「青い山脈」では女性教師役を演じ、同名主題歌とともに大ヒットとなった。また同年から1961年まで、小津安二郎監督と組んだ6作品は、日本映画を代表するものとして、国際的にも有名になった。しかし1962年の『忠臣蔵』を最後に映画界を引退した。
大原麗子・・・和風クレオパトラ的とも言うべき誰もが認める美人女優で、ちょっと小悪魔的な魅力に溢れていた。甘ったるい喋り方と端正が整ったややベビーフェイスは世の男性を虜にした。)、1964年にドラマ「幸福試験」への出演でデビューし、翌年、東映に入社した。佐久間良子主演の「孤独な賭け」で初めて本格的な映画出演をし、以後、高倉健の「網走番外地」シリーズや、梅宮辰夫の「夜の青春」シリーズをはじめ数々の映画に出演した。また、映画「男はつらいよ」シリーズでは、マドンナ役を二度務めた。さらに、多くのテレビドラマにも主演し、“好感度No.1女優”の地位を得るに至った。テレビCMへの出演も多く、とりわけ1977年から1987年まで出演していた、サントリーレッド のCMは、「すこし愛して、なが~く愛して」のキャッチコピーとともによく知られた。また、歌手として数枚のレコードをリリースしている。血液型はAB型
岸田今日子・・・当初は文学座の舞台女優として活躍していた。画では1962年に「破戒」などの演技で毎日映画コンクール助演女優賞、1964年には「砂の器」でブルーリボン助演女優賞を受賞して、実力派女優としての地位を確立した。個人的には「おとこ同志おんな同志」のナイスキャラの演技が記憶に残っている。また、アニメ「ムーミン」のムーミン・トロールの声も担当するなど声優や独特な語り口調で番組のナレーションも数多くこなした。他には「砂の女」「戦争と人間」「犬神家の一族」など。私生活では仲谷昇と何度も結婚離婚を繰り返した。血液型はA型
南田洋子・・・大映のニューフェイスとして入社。「美女と盗賊」で映画デビュー。1953年、若尾文子と共演した「十代の性典」が大ヒットし、注目される。艶っぽい演技が魅力だった。日活に移籍しm芥川賞を受賞した話題作「太陽の季節」が映画化され長門裕之とともに主演。この映画は大ヒットし2人は日活の看板スターとなり、多くの作品に出演する。1961年に長門と結婚。夫婦揃って番組出演し、仲睦まじいおしどり夫婦であった。他の代表作は「サムライの子」「宮本武蔵」「無法松の一生」「野菊の墓」など。血液型はA型
山岡久乃・・・橋田壽賀子ファミリーで、京塚昌子・池内淳子と共に「日本を代表するお母さん女優」として、不動の地位を築いた。落ち着いた物腰と琴線に触れる演技力でスクリーンを闊歩した。1946年に俳優座に入団。女優としてのスタンスを決定付けた作品が、1970年の「ありがとう」であった。母娘役で水前寺清子と共演。1974年の第3部まで「母・山岡、娘・水前寺」のコンビで好評を博し視聴率50%を突破、怪物ドラマと呼ばれた。他の主な出演作品は、「こころの山脈」「三男三女婿一匹」「あんたがたどこさ」「渡る世間は鬼ばかり」「時代劇シリーズ」など。血液型はO型
京塚昌子・・・ホームドラマのお母さん役には欠かせない女優さんだった。「肝っ玉かあさん」が当たり役となり、恰幅が良く割烹着の似合う母親役で絶大な人気を誇り「日本のお母さん」とも呼ばれた。主な出演は「女と味噌汁」「大忠臣蔵」「おかあさんの四季」「おふくろさん」「ありがとう」など。晩年は長らく闘病生活を強いられた。
高峰秀子・・・彼女も現在ご健在である。子役時代から活躍し、和製チャーリーテンプルと呼ばれていた。1929年に映画「母」でスクリーンデビューし、戦前戦後と数多くの映画、テレビに活躍し、様々な作品に主役として登場した。代表作は「お嬢さん」「花ひらく」「細雪」「カルメン故郷に帰る」「名もなく貧しく美しく」「恍惚の人」、東芝日曜劇場など。
高峰三枝子・・・「歌う映画スター」の草分け的存在だった。映画『母を尋ねて』で女優としてデビューした。理知的で気品のある美貌はたちまち人気を集め、翌年には松竹三羽烏と呼ばれた人気二枚目俳優・上原謙、佐野周二、佐分利信を相手にマドンナ役を演じた『婚約三羽烏』が公開されている。同じ1937年の年末に公開された浜本広の小説を映画化した「浅草の灯」で演じた浅草オペラの踊り子役で、歌を口ずさむシーンが話題となり、コロムビアがレコード歌手としてスカウト。翌年、映画「蛍の光」の主題歌「蛍の光」でレコードデビューした。他の作品は「宵待草」「3時のあなた」「母を尋ねて」「金色夜叉」「荒城の月」「人間の証明」「犬神家の一族」など。血液型はA型
越路吹雪・・・女優というよりもシャンソン歌手である。彼女の代名詞「愛の賛歌」はあまりにも有名。元々は戦中戦後と宝塚歌劇団の男役スターだった。主な舞台は「ハムレット」「カルメン」「雨月物語」など。血液型はB型
岡田嘉子・・・大正昭和初期のサイレント映画期の大スターである。奔放な恋愛遍歴とソビエト連邦へ亡命(愛の逃避行)するなどスキャンダラス女優として波乱の生涯を送ったことでも知られる。主な出演作は「髑髏の舞」「街の手品師」「大地は微笑む」「日輪」「椿姫」「また逢ふ日まで」「土曜ワイド劇場」など。
三ツ矢歌子・・・新東宝の新人募集に応募書類を送って見事に合格し、第4期スターレットとして入社。視聴率を稼ぎまくったことから「昼メロの女王」と呼ばれた。和服美人であるが、なぜかシリアスドラマに出演することが多かった。主な作品は、映画が「君ひとすじに」「女真珠王の復讐」「スーパージャイアンツ」「人間の壁」「黒線地帯」「暖春」で、テレビドラマは「すべってころんで」「澪つくし」「気まぐれ本格派」「女の絶唱」「大奥」「金メダルへのターン」「裸の大将放浪記」「華麗なる一族」など。記念すべき江戸川乱歩シリーズ第1回作品「氷柱の美女」のマドンナ役として出演した。血液型はA型
河内桃子・・・出生は由緒ある大財閥の令嬢である。東宝の6期ニューフェースとして入社し、その後俳優座へ。1954年に「坊っちゃん社員シリーズ」でデビュー。その後出演3作目で「ゴジラ」のヒロイン・山根恵美子役に抜擢される。このため世間では「特撮俳優」のイメージが強い。その後、舞台とテレビに活動の軸足を移して、「ありがとう」』や「渡る世間は鬼ばかり」などのホームドラマでは一癖ある母親役などを演じ、「土曜ワイド劇場」などの2時間単発ドラマにも出演するなど芸域は幅広かった。代表作は「男はつらいよ」「東芝日曜劇場」「初恋」「春の河」「若い季節」「三人姉妹」「二百三高地」など。血液型はO型
小林千登勢・・・文学座からNHKへ。「輪唱」「伊豆の踊り子」「廃市」など、多くのテレビドラマに出演。清純さの中にどこか哀愁を漂わせた美貌で人気を集め、馬渕晴子、冨士眞奈美とともに「NHK三人娘」としてテレビ草創期のスターとなった。俳優の山本耕一と結婚した。フリーとなってからもテレビを中心に活躍し、74年のNHK「鳩子の海」、81年のTBS「わが子よ」、83年のNHK「おしん」などに出演する一方、75年にスタートした「土曜の朝に」では14年間司会を、また、クイズ番組「ヒントでピント」ではレギュラー解答者をつとめ、その飾らない人柄から「おっかさん」の愛称で親しまれた。他の出演作は、「黒い雨」「伊豆の踊子」「春日局」「俺たちの旅」「3年B組金八先生」「ガラスのうさぎ」「華の宴」など。血液型はA型
夏目雅子・・・カネボウキャンペーンガールから東映「トラック野郎」のマドンナ役に抜擢された。1978年、日本テレビ系「西遊記」では三蔵法師役を演じて人気を得る。この時、「頭の形が良く、美しくて神々しい」と話題になった。1981年NHK大河ドラマ「おんな太閤記」にお市の方で出演した。1982年の「鬼龍院花子の生涯」の台詞「なめたらいかんぜよ!」が流行語となる。またこの映画では、周囲の反対を押し切って本人がヌードになった。迫真の演技が話題になり、この作品でブルーリボン賞を獲得。1984年に作家・伊集院静と結婚したが、直後に急性骨髄性白血病を発病し、27歳という若さで他界した。彼女のその美貌と存在感は、今でも伝説となっている。主な作品は「二百三高地」「時代屋の女房」「南極物語」「瀬戸内少年野球団」「黄金の日日」など。血液型はB型
杉村春子・・・。築地小劇場より始まり文学座に至る日本の演劇界の屋台骨を支え続け、文化史に大きな足跡を残した文字通り、日本を代表するカリスマ女優。特に戦時1945年4月、東京大空襲下の渋谷東横映画劇場で初演された森本薫作「女の一生」の布引けいは当たり役となり、1990年までに上演回数は900回を超え、日本の演劇史上に金字塔を打ち立てた。1974年文化功労章受章。出演は他に「また逢う日まで」「東京物語」「にごりえ」「赤ひげ」「野菊の如き君なりき」「破戒」「ありがとう」「関ヶ原」「華岡青洲の妻」「欲望という名の電車」など。血液型はO型
范文雀・・・国籍は台湾の女優。大学在学中の1968年、テレビ番組「特別機動捜査隊」に端役で出演し、女優デビューした。。1970年、TBSの「サインはV」に悲運の混血アタッカー「ジュン・サンダース」役で出演したが、繊細な心を持ちながら、表面的には突っ張った部分を持つジュンの役柄は多くの視聴者の共感を呼び、志半ばで骨肉腫で倒れるストーリー展開に対しては、全国のファンから助命嘆願が数多く届くほどだった。続くスチュワーデスを描いたドラマ「アテンションプリーズ」にも田村早苗役で出演し、范の人気は不動のものとなった。他の出演作品は、「野良猫ロック」「可愛い悪女」「人間の証明」「プレイガール」「2丁目3番地」「清水次郎長」「影同心」「G'メン75」など。血液型はO型
太地喜和子・・・高校在学中、東映ニューフェイスオーディションに合格。その後、俳優座養成所を経て文学座に入団。1967年、日活映画の『花を喰う蟲』に主演、ヌードやベッドシーンを大胆にこなし、一躍注目される。舞台女優として「欲望という名の電車」、「近松心中物語」、「唐人お吉」などで活躍。他の作品は「火まつり」「白い巨塔」「悪魔の手毬唄」「男はつらいよ」「ナショナルキッド」「若い恋人たち」「風と雲と虹と」「蔵の中」など。1992年、車が海に転落する不慮の事故により48歳で逝去。血液型はA型
早乙女愛・・・1974年、漫画雑誌 「少年マガジン」に連載されていた漫画 「愛と誠」が映画化されるにあたり、主演を務める俳優・西城秀樹の相手役が公募された。友人と共に応募し、4万人の中から選出されたのが、当時女子高生だった瀬戸口さとみ(本名)であった。その後、松竹と専属契約を結んだ瀬戸口は、同年、映画での役名と同じ「早乙女愛」の芸名で映画デビューした。日本人離れした豊満な肉体で一躍脚光を浴び、1日に400通ものファンレターが殺到するほどの人気となった、その後も清純派女優として活躍を続けた。今年7月、移住先のシアトルの病院で多臓器不全で亡くなった。享年51歳という若さだった。出演作品は他に「港のヨーコヨコハマヨコスカ」「男はつらいよ」「オレンジロード急行」「迷走地図」「ピュア」「江戸の波濤」「北条早雲」「日活ロマンポルノ」など多数。血液型はA型
乙羽信子・・・宝塚歌劇団出身の女優。退団後、大映に入社する。大映は、宝塚時代から人気のあった「えくぼ」に「百万ドルのえくぼ」というキャッチフレーズをつけて、純情型のスターとして売り出す。デビュー作は同年の「処女蜂」で、上原謙と共演した。その後、何作かに出演したが、魅力を出し切ったとはいえなかった。しかし、1951年の「愛妻物語」で、夫を陰で支える妻を好演し、映画界でもスターの地位を手に入れる。代表作は「裸の島」「絞殺」「原爆の子」「おしん」「午後の遺言状」「恍惚の人」「細雪」「ありがとう」「春の雪」など。
松尾嘉代・・・彼女は現在ご健在である。今から20年前は2時間ドラマには欠かせない存在だったが、ある年から全くテレビ等には姿を見せなくなってしまった。このような芸能界を引退?した女優さんは篠ヒロ子さんもそうだが数多くいる。松尾さんの場合は、1959年の映画に「あんちゃん」でスクリーンデビューを果たし、「青い山脈」や「肉体の門」などお色気物にも数多く出演した。その後も「積木の箱」や「必殺仕掛人」「二百三高地」「不良少年」「連合艦隊」「鍵」「夏の秘密」などでも名演技を披露した。また、テレビドラマでは「東芝日曜劇場」や「赤いシリーズ」、さまざまな時代劇にも引っ張りだこだった。しかし1994年の釣りバカ日誌スペシャルを最後に姿を消している。現在67歳。私としてはかつての名演技を再び見たい気がする。
これ以外にも、今もご存命で現役で頑張っている名女優は数多い。山田五十鈴、八千草薫、岩下志麻、三田佳子、吉永小百合、山本富士子、浅丘ルリ子、北原三枝、岡田茉莉子、山口淑子、冨士眞奈美ら大勢いることを加筆しておく。また、美空ひばりは歌手という位置づけのため、ここでは敢えて割愛させていただいた。
さて、2日連続に渡ってお送りした「往年の名優回顧録」。如何だっただろうか。思わず「懐かしい~!」と声を張り上げたか、それとも「そんな人いたっけ?」という感じだろうか。私も世代的に原節子や田中絹代はビデオでしか見たことがない。しかし、戦前・戦中・戦後の混乱期に、ひたすら芸を磨き、どん底にあった日本国民に光を導き、希望を与えたのは、数々の銀幕のスターたちであったに違いない。彼等に憧れ、彼等のファッションを真似したこともあっただろう。とりわけ石原裕次郎をモチーフにした「太陽族」は大流行だった。彼等の功績を次の世代に伝えて行くことこそが、彼等の恩義に報いる唯一の方法だろうと思う。今は便利な世の中で、彼等の迫真の演技もビデオやDVD、ブルーレイといった最新技術で鮮明に甦る。古典文学作品から現代のアクションやCGを使った特撮で私達を楽しませてくれる映画やテレビドラマの数々。いつの時代も私達に希望の光を射しこんでくれる、そんな存在であってほしいと願っている。
追記
H23.5/18にブロガーの方から田中絹代の写真が違っているというご指摘を頂き、本日、訂正させて頂きました。今後とも、記事のミス等がございましたら、コメント等でお知らせください。
高峰秀子さんが2010年12月28日に86歳でその生涯を閉じられました。また、2012年7月9日には山田五十鈴さんも95歳の天寿を全うし、天国へ旅立たれました。謹んでご冥福をお祈り申し上げます。
昭和を代表する大女優だった「原節子」さんが平成27年9月5日に95歳の天寿を全うされました。戦後の復興を支え、人々に希望を与え続けた銀幕の大スターだった。謹んでご冥福をお祈り申し上げます。
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