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2010年10月30日 (土)

私が選ぶ日本の名城ベスト10

 かつて日本一の城と言えば、徳川家の栄華と繁栄を象徴した「江戸城」があった。現在も広大な敷地面積を誇る皇居内にあって、我々は今や設計図面や時代劇でしかお目にかかれないものの、当時はかの有名な絢爛豪華を絵にかいたような大奥、本丸、二の丸、三の丸、大老井伊直助が襲撃されて命を落とした桜田門、幕末には勝海舟と西郷隆盛の会談によって、無欠開城が実現した歴史的遺産でもある。とりわけ天守閣は地上5層、地下一階の堂々たる威容を誇り、最上階からは江戸の街並みや太平洋を一望できたという。また、豊臣秀吉が築城した大坂城は、天下分け目の大合戦となった大坂夏の陣、冬の陣の舞台となった。そもそも城の建築目的や利用価値と言うのは、戦国時代や幕藩体制下にあって、各藩の財力や国力、あるいは時の権力者の強固な力を誇示する象徴であったり、敵の侵入から殿様を守る防御的目的、要塞としての防衛的あるいは攻撃的利用など、いわゆる軍事的拠点としての利用価値があった。つまり、築城された時期や時代背景を考えると、いずれも血なまぐさい時代にあって歴史の生き証人とも言えるかもしれない。また、一般的に日本三名城と言えば、「大坂城・姫路城・熊本城」を指すが、それは城としての規模や美しさなどが群を抜いている点が評価されての指定であり、大坂城を除いて年表に掲載されるような大きな戦や出来事があった訳ではない。現存する・しないの枠を取り払った上で、私が考える日本三名城は、「江戸城・大阪城・安土城」と言う事が出来る。そこで今回は、もうおわかりのように、私が独断専行で選ぶ「日本の名城ベスト10」というテーマでランキング形式でお送りしたい。(解説は一部Wikipediaより抜粋) 

 第1位 江戸城

 江戸城は、現在の隅田川河口付近にあった麹町台地の北に、扇谷上杉氏の家臣太田道灌が築いた平山城である。千代田城とも呼ばれる。国の特別史跡に指定されている。近世に徳川氏によって段階的に改修された結果、総構周囲約4里と、日本最大の面積の城郭になった。徳川家康が江戸城に入城するのは、1590年のことである。家康が江戸幕府を開いた後は徳川の居城、明治維新後の東京奠都で宮城・皇居となった。以後は吹上庭園が御所、旧江戸城西ノ丸が宮殿の敷地となっている。その東側にある旧江戸城の中心部である本丸・二の丸と三ノ丸の跡は皇居東御苑として開放されている。築城年は1457年で築城主は太田道灌だった。天守構造は、層塔型5重5階地下1階(1606年当時)・独立式層塔型5重5階地下1階(1621年・1635年当時)、主に改修に寄与したのが徳川家康、秀忠、家光である。主な城主は太田氏、後北条氏、徳川将軍家、天皇家である。個人的には、暴れん坊将軍のワンカットで登場し、姫路城を遥かに凌ぐ美しさと威容を誇る印象が強い。しかし、現存しないのは1657年に起きた、明暦の大火により天守を含めた城構の多くを焼失。町の復興を優先し、また経済的な理由から天守は再建されなかった。1873年には皇居に使用中の西ノ丸御殿が焼失。1923年には関東大震災によって残っていた建造物は大きな被害を受け、和田倉門(櫓門)は復旧されなかった。他の被害を受けた門は、上の櫓部分を解体して改修された。また、1945年には東京大空襲によって大手門が焼失した。その後、GHQの指導があったこと、莫大な費用がかかること、現在はそこが天皇の居住地である皇居であることなどの理由から、この城に至っては、天守閣や大奥など大部分の建造物が未だに再建や復元が果たされていない。現在は二重橋(皇居正門石橋)とそこから奥に望める伏見櫓が庶民には馴染みが深い。

Edojyo Nijubashi

 第2位 安土城 

 これは織田信長が1579年に建てたと言われ、滋賀県近江八幡市にあった幻の山城である。安土城は、現在の安土山に建造され、大型の天守を初めて持つなど威容を誇ったが、1582年(天正10年)の家臣明智光秀の信長への謀反、いわゆる本能寺の変後まもなくして何らかの原因によって焼失、その後廃城となった。現在は石垣などの一部の遺構を残すのみだが、当時実際に城を観覧している宣教師ルイス・フロイスなどの記録によってその様子をうかがい知ることができる。安土城は六角氏の観音城を見本に総石垣で普請された城郭であり、ここで培われた築城技術が安土桃山時代から江戸時代初期にかけて相次いで日本国中に築城された近世城郭の範となった。そして普請を手がけたとの由緒を持つ石垣職人集団、いわゆる「穴太衆」はその後全国的に城の石垣普請に携わり、石垣を使った城は全国に広がっていった。ただし、安土城に残る当時の石垣の積み方は場所により様々であり、特定の「穴太積み」なる技法の存在を想定するのは難しい。建造当時は郭が琵琶湖に接していたが、昭和に入って干拓が行われたため、現在は湖岸からやや離れている。安土山の全体に城郭遺構が分布しており、当時の建築としては城山の中腹に所在する摠見寺の境内に仁王門と三重塔が残っている。また二の丸には信長の霊廟が置かれている築城の年、山崎の戦いの後、落雷により天守と本丸が焼失したという記録が残る。織田信長の天下人としての存在感や威厳を証明するに相応しい威容だった。

Azuchi Azuchi2

 第3位 大坂城

 摂津国東成郡大坂(現在の大阪市中央区)にあった安土桃山時代から江戸時代の城である。豊臣秀吉によって築城されたことから、通称「太閤さんのお城」とも呼ばれているが、城跡に現存する櫓や石垣などは徳川氏、徳川幕府によるものであることがわかっている。大坂城は、上町台地の北端に位置する。戦国末期から安土桃山時代初期には石山本願寺があったが、1580年に焼失した後、豊臣秀吉によって大坂城が築かれ、豊臣氏の居城および豊臣政権の本拠地となったが、大坂夏の陣で豊臣氏の滅亡とともに焼失した。徳川政権は豊臣氏築造のものに高さ数メートルの盛り土をして縄張を改めさせ豊臣氏の影響力と記憶を払拭するように再建したとされる。完成に1年半を要した本丸は、石山本願寺跡の台地端を造成し、石垣を積んで築かれたもので、巧妙な防衛機能が施された。秀吉が死去するまでに二の丸、三の丸、総構えが建設され、3重の堀と運河によって囲むなどの防衛設備が施された。天守は、絵画史料では外観5層で、外壁などに金箔をふんだんに用いた華麗な姿で描かれている。天守は1665年に落雷で焼失。豊臣政権の栄華の象徴だった本城だが、江戸末期の鳥羽伏見の戦いの後、失火により大半を焼失した。現在の天守は1931年に再建されたもの。私は昭和52年の夏に訪れたことがある。現在は大阪城公園を取り巻くように高層ビルが立ち並び、異様な光景である。

Ohsaka Osaka

 第4位 姫路城

 兵庫県姫路市(播磨国飾東郡姫路)にあった平山城。日本一の名城と謳われるその規模と美しさは白鷺城(はくろじょう)という異名を持つ。中世に赤松氏が姫山に城を築いたことから始まる。戦国時代後期には羽柴秀吉が居城し、江戸時代には姫路藩の藩庁として池田氏、本田氏、酒井氏などの譜代大名が入城した。明治時代には陸軍の兵営地となり、歩兵第十連隊が駐屯していた。この際に多くの建物が取り壊されたが、大小天守群、櫓群が当時の陸軍省の働きかけによって名古屋城とともに国費によって保存される処置がとられ、太平洋戦争においては空襲に見舞われたものの、天守閣最上階に落ちた焼夷弾が不発弾となるという幸運もあり奇跡的に焼失を免れた。現在では天守を始め多くの建造物が現存し、うち大天守、小天守、渡櫓等8棟が国宝、74棟の各種建造物(櫓・渡櫓27棟、門15棟、塀32棟)が重要文化財に指定されている。また1993年、ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されている。現存天守は、江戸時代以前に建造された天守が現存する日本国内12箇所の城の一つであり、いわゆる「国宝四城」(通例として、国宝指定の天守を持つ城のことを指し、姫路城・松本城・彦根城・犬山城をいう)の一つでもある。

Himeji  

 第5位 名古屋城

 尾張国愛知郡名古屋にあった城郭である。通称、「金鯱城」、「金城」とも呼ばれた。日本の100名城に選定されており、国の特別史跡に指定されている。名古屋城は、織田信長の城とされる今川氏・織田氏の那古野城(なごやじょう)の跡周辺に、徳川家康が九男義直のために天下普請によって築城したとされる。以降は徳川御三家の一つでもあ尾張徳川家17代の居城として明治まで利用された。姫路城、熊本城とともに日本三名城に数えられ、伊勢音頭にも「伊勢は津で持つ、津は伊勢で持つ、尾張名古屋は城で持つ」と歌われている。大天守に上げられた金の鯱は、城だけでなく名古屋の町の象徴にもなっている。大小天守や櫓、御殿の一部は昭和初期まで現存していたが名古屋大空襲(1945年)によって天守群と御殿を焼失し、戦後に天守などが復元され、現在城跡は名城公園として整備されている。城郭構造は梯郭式平城で天守構造は連結式層塔型5層5階地下1階(1612年築 非現存)となっている。国の重要文化財の指定を受けている。私は昭和55年春に訪れたことがある。

Nagoya Nagoya2

 第6位 熊本城

 黒塗りが重厚感がある、こちらも日本三名城のひとつ。熊本県植木街の中心から南に伸びる舌状台地(京町台地)の尖端、茶臼山丘陵一帯に築かれた平山城。現在の熊本市本丸、二の丸、宮内、古城、古京町、千葉城町に当たる。中世に千葉城、隈本城が築かれ、安土桃山時代末期から江戸時代初期にかけて加藤清正がこれを取り込み、現在のような姿の熊本城を築いた。日本三名城の一つとされ、「清正流(せいしょうりゅう)」と呼ばれる石垣の上に御殿、大小天守、五階櫓などが詰め込んだように建てられ、一大名の城としては「日本一」であるとの評価がある。細川氏の居城となった後もさかんに改築が行われ、明治時代の初めまでは大半の建物が撤去されずに現存していたが、熊本鎮台が置かれた後に建物や石垣、曲輪の撤去や改変が行われ、西南戦争で一部の建物を残して天守を含む御殿や櫓など主要な建物を焼失した。現在は、宇土櫓や東竹之丸の櫓群が残る。石垣普請の名手とされる清正が築いた石垣は、明治22年の大地震で石垣の一部が崩落し、改修された部分があるものの、ほぼ江戸期の改築による変遷の痕跡をとどめ、城跡は特別史跡に指定されている。昭和時代初期には大小天守と一部の櫓が外観復元され、近年では、櫓や御殿などの主要な建物を木構造で復元する事業が行われている。私は2001年に熊本を訪れ、路面電車の中から5日間城を眺めて過ごした。

Kumamoto Kumamoto2

 第7位 松本城

 長野県松本市にあった城である。現在は天守群などの建物が現存し、城跡は国の史跡に指定されている。松本城と呼ばれる以前は深志城といった。市民からは別名烏城(からすじょう)とも呼ばれている。日本国内に12基現存している、安土桃山時代後期から江戸時代にかけて建造された天守を有する城郭の1つである。天守群は国宝に指定されている。私は熊本城と外観はそっくりだと感じている。城郭構造は梯郭式+輪郭式平山で、天守構造は連結式望楼型(1593年頃か1615年築)、複合連結式層塔型5重6階(1633年改)である。1504年(永正1)信濃(しなの)守護小笠原(おがさわら)氏の一族である島立貞永(しまだてさだなが)が室町期の坂西(さかにし)氏の館跡に城を築き、深志(ふかし)城と称したのが初めといわれている。私は大学3年生の1986年にバイクツーリングで信州を訪れた際に立ち寄った。城の周りをお堀が囲み、とても美しい城だと感じた。

Matsumoto Matsumoto2

 第8位 鶴ヶ城

 地元会津若松に現存する平城。正式には若松城で、黒川城と呼ばれることもある。会津戊辰戦争では1か月間に渡り籠城し、新政府軍に最後まで抵抗して悲劇の舞台となった。 鶴ヶ城は至徳元年(1384)に芦名直盛が最初に築城したと言われている。芦名氏は南奥羽を制する大大名に成長したが、戦国末期になると佐竹氏から養子を迎えるなど衰退し、天正17年(1589)に伊達正宗との摺上原合戦で敗れると佐竹氏を頼り江戸崎へ落ち延びた。政宗は居城を米沢城から黒川城に移し整備を進めた。しかし、政宗は豊臣秀吉によって行われた小田原攻めに遅参したことで奥州仕置きにより居城を岩出山城に移され、黒川城には蒲生氏郷が伊勢松坂から入城。蒲生氏郷は織田信長の娘冬姫を貰い受けた名門で、秀吉に臣従し数々の功をたてた事で42万石(後92万石)の大名に取り立てられ、対伊達氏の抑えとなった。氏郷は鶴ヶ城と名前を改め、七重の天守閣を築くなど城を大改修して伊達氏に備えるが氏郷が没すると嫡男が幼少の事もあり宇都宮城に居城を移され18万石に減封される。鶴ヶ城には上杉景勝が春日山城から120万石で入り徳川家康を東で牽制します。2代後蒲生氏が廃絶すると加藤嘉明が寛永4年(1627)が藩主になり嫡男の明成の代に大幅な城郭の整備を行い現在に近い形になった。その後加藤氏はお家騒動により領地が取り上げられ寛永20年(1643)に保科正之が山形城から23万石へ加増され藩主となり、明治維新まで保科(松平)家が続く。戊辰戦争時には白石城で調印された奥羽越列藩同盟に参加したことで新政府軍と対立、約一ヶ月の間篭城しますが明治元年9月22日に降伏し明治7年に鶴ヶ城は廃城となりました。又、鶴ヶ城の唯一の現存遺構として御三階が阿弥陀寺に移築されている。現在の天守閣は鉄筋コンクリート製で昭和40年に再建されたもの。城郭構造は梯郭式平山城で、天守構造は望楼型7重不明(1593年築)、層塔型5重5階地下2階(1611年改)、層塔型5重5階(RC造1965年再)。私は現に会津若松市に住んでいたし、それ以外にも10回以上は訪れている。鶴を彷彿させる美しい城だが、もうじき当時と同じように赤瓦に葺き替える工事が始まる。私は現在のシックな外観が好きなので、幾ら歴史や設計に忠実であっても赤瓦ではけばくなる印象は否めず、現存のまま残してほしいと願っている。

Turugajyo Tsurugajyo

 第9位 犬山城

 愛知県犬山市にあった城である。現在は江戸時代前後に建造された天守が現存する。また、現存天守は国宝に指定された4城のうちの一つである。木曽川沿いの高さ約88メートルほどの丘に築かれた平山城である。別名、白帝城。天守構造は複合式望楼型 3層4階地下2階(1620年改)。1469年の築城で、築城主は織田広近とされる。私は過去、この城見たさに二度訪れたことがある。昭和55年と61年である。木曽川のほとり、小高い丘の上に聳えるようにして立つ綺麗な城郭。反対側は名鉄が横切る鉄橋。風情のある佇まいを見せる。この河原で15歳当時、石切りをして遊んだ思い出がある。

Inuyama Inuyamajyo  

第10位 五稜郭

 江戸時代末期に現在の北海道函館市に建造された星形の城郭の通称。函館市五稜郭町に現存するわが国最大・最初の西洋式稜堡(りょうほ)式城跡。正式名は亀田(かめだ)役所土塁というが、V字形の堡頭(ほとう)をもった五稜星形築城なので五稜郭と通称されている。江戸幕府は神奈川条約による箱館開港と、ロシアの南下政策などに対応するため、11854年、箱館奉行を配置、奉行所として亀田役所土塁、弁天岬台場などの築造を計画した。五稜郭は1857年に着工、64年に竣工した。設計と監督は伊予大洲藩出身の武田斐三郎成章で、西洋の築城書をもとに築城したといわれる。星形の稜堡式築城は、郭内からの射撃に死角がないことが特長で、同じく幕末に築造された長野県南佐久郡の竜岡(たつおか)城も同型のものである。五稜郭は郭内約25万1400㎡、郭高約5メートル、南西の追手門外に馬出として三角土塁があり、郭には濠が巡らされ、濠外の東西南三方には、さらに土塁が設けられている。郭内には木造瓦葺き望楼付き900坪の本庁舎など、30余棟の建物が並んでいた。1868、新政府は箱館裁判所を設置し、総督に清水谷公考を任命した。その後、箱館戦争終了の1869年まで、五稜郭は榎本武揚の率いる旧幕府軍に占拠され、その本拠となった。戦争の結果、本庁舎に付属する望楼が一部破壊された。本庁舎は戦争後の1871年に解体された。73年、五稜郭は陸軍省に移管されたが、1914年公園として開放、桜の名所となった。1922年国の史跡、1952年には特別史跡に指定された。私は北海道に2年間住んでいたこともあり、ここへは4回程度訪れ、就職してからも2度ほど来ている。

Goryokaku Goryokaku2

 さて、独断と偏見で選んだ「私の好きな名城ベスト10」如何でしたか。別段私はお城フェチではないし、オタクでもない。意外と日本各地にあるお城は自分の目で見たことが多い。他にも桃山城、松前城、弘前城、霞ヶ城、小峰城、小田原城、福山城、首里城なども見ている。何か勇壮で権力の象徴というイメージで見てしまう。時代の象徴であって歴史的遺産でもある日本の名城たち。死ぬまでには日本各地の城を全部見て歩きたいという願望がある。幼少の頃はプロモやジグソーで見たり作ったりしただけだが、男なら一国一城の主を夢見ることがあるだろうし、男の浪漫なのかもしれない。最後に、日本の城100選を掲載して結びとしたい。

●「日本100 名城」(各県1 城以上、5 城以内)
都道府県名 城 郭 名 都道府県名 城 郭 名

①北海道・東北
 
北海道 根室半島チャシ跡群 五稜郭 松前城
 青 森 弘前城 根城
 岩 手 盛岡城
 宮 城 多賀城 仙台城
 秋 田 久保田城
 山 形 山形城
 福 島 二本松城 会津若松城 白河小峰城

②関東・甲信越
 茨 城 水戸城
 栃 木 足利氏館(鑁阿寺)
 群 馬 箕輪城 金山城
 埼玉 鉢形城 川越城
 千 葉 佐倉城
 東 京 江戸城 八王子城
 神奈川 小田原城
 山 梨 武田氏館(武田神社) 甲府城
 長 野 松代城 上田城 小諸城 松本城 高遠城
 新 潟 新発田城 春日山城

③北陸・東海
 富 山 高岡城
 石 川 七尾城 金沢城
 福 井 丸岡城 一乗谷城
 岐 阜 岩村城 岐阜城
 静 岡 山中城 駿府城 掛川城
 愛 知 犬山城 名古屋城 岡崎城 長篠城

④近畿
  滋 賀 小谷城 彦根城 安土城 観音寺城
 三 重 伊賀上野城 松阪城
 京 都 二条城
 
大 阪 大阪城 千早城
 奈 良 高取城
 和歌山 和歌山城
 兵 庫 竹田城 篠山城 明石城 姫路城 赤穂城

⑤中国・四国
鳥 取 鳥取城
島 根 松江城 月山富田城 津和野城
岡 山 津山城 備中松山城 鬼ノ城 岡山城
広 島 福山城 郡山城 広島城
山 口 岩国城 萩城
徳 島 徳島城
香 川 高松城 丸亀城
愛 媛 今治城 湯築城 松山城 大洲城 宇和島城
高 知 高知城

⑥九州・沖縄
福 岡 福岡城 大野城
佐 賀 名護屋城 吉野ヶ里 佐賀城
長 崎 平戸城 島原城
熊 本 熊本城 人吉城
大 分 大分府内城 岡城
宮 崎 飫肥城
鹿児島 鹿児島城
沖 縄 今帰仁城 中城城 首里城

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