白虎の魂 飯盛の地に果てぬ ~峠の虚像~
およそ1年前に「会津の魂」というタイトルの記事の中で下記の時代小説を認めたたことがある。私の祖父母は生粋の会津人で、特に5年前に亡くなった祖父は、「ならぬものはならぬ」の頑固一徹の厳しい精神が骨の髄まで宿り、どこを切っても会津の血が流れるほどの根っからの会津武士道を全うした人だった。もちろん剣道六段で師範の資格も有していた。今回は二度目の掲載となるが、尊敬する祖父を偲ぶとともに、会津武士道を忘れないために敢えて二度目の掲載に踏み切った。幕末の時代背景を噛みしめながらとくとご覧あれ。
時は幕末 京の都は暗雲垂れ込める政変の世
倒幕 維新を叫ぶ勤皇の獅子に敢然と立ち向かい
幕府最後の砦 京都守護職の命を拝した容保
尊皇攘夷が旗印 長州の策略をことごとく排除し
天下に名を轟かせた会津藩 その配下で一躍
その存在を世に知らしめた新撰組
戦の度に翻る誠の紋章はまさしく時代の象徴
されどその栄華はほんの一時に過ぎなかった
禁門の変で会津は討幕派の憎しみを一身に背負い
その後 龍馬の仲立ちで 薩摩がまさかの寝返り
同盟が成り立つや 一気に形勢は逆転
慶応四年 鳥羽伏見の戦いでの敗北を機に
錦旗が討幕派に落ちると 末代将軍慶喜は身を案じ
城を抜け江戸へと逃げ帰る
あれほど忠誠を誓った筈の将軍家の唐突な翻意
会津は後ろ盾を失い 京を追われた
やがて謂れのない逆賊の汚名を着せられ
倒幕の嵐の中へと呑み込まれていった
「勝てば官軍負ければ賊軍・・・」気がつけば朝敵
孝明天皇より授かったご宸翰も もはや過去の遺物
やがて戦の舞台は北へと移り 押し寄せる薩長連合
その猛威の前に退却を余儀なくされた
奥州会津 そこは美しい山河に囲まれた四十二万石の
城下町 剣に生き 忠義を尊び 生真面目で情け深い
それが会津人の魂
その後戦況悪化に伴い士中二番隊 白虎隊が結成された
歳の頃は十八にも満たぬ紅顔無恥の少年たち
日新館の学び舎で鍛えた強靭な精神と身体
「ならぬものはならぬ」の尊い教え
よもや会津の豊かな自然が血で汚れることなど
誰一人として想像した者はいなかった
やがて西軍が白河の関を攻め落とし その後母成を攻略
会津への玄関口 日橋川に架かる十六橋を突破し
一気に城下へなだれ込む 強大な武力の前に
ことごとく退却 そして敗走 戦況は誰の目にも明らか
ほどなく白虎隊に下った出陣の命 廻し文のお触れ
やがて城下のあちらこちらで戦火が立ち上り
噴煙のさ中で見る悪夢 それはまるで地獄絵図
戸の口原で奮闘した白虎隊だったが 圧倒的な数の前に
あえなく後退 隊士たちは四方八方散りじりに
命からがら戦場から敗走 崖をよじ登り谷間を下り
洞穴を潜り抜け 疲れ果てた末に辿り着いた運命の地
そこは飯盛山に中腹にある松林 小高き丘より
隊士たちが見たものは 燃えさかる己の故郷
そして火の海の先には 激しく燃える五層の天守閣
鶴ケ城の異名をとる美しき城も もはや落城寸前
息を呑む悲惨な光景に「もはやこれまで」と誰もが
死を覚悟 「生き恥を晒すなら死を以って尊しと成す」
それこそが武士道 それこそが武士の本懐
かくして副隊長篠田儀三郎以下隊士十六名は
遅れをとるまいと次々切腹 全員が潔く自ら命を断った
僅か十代で国を想い 故郷を護り そして儚く散った
会津の空の下 その瞼には父母の姿を思い浮かべ
死んでいったに相違ない
悲運なことに この時隊士が見たものは 燃えさかる
城下の噴煙であって 事実城はまだ落ちてはいなかった
時同じ頃 敗色濃厚となり 筆頭家老西郷頼母邸では
もうひとつの悲劇があった
妻千重子 子供 親類縁者二十一名の集団自決であった
うたかたの夢は潰え 敵に辱めを受ける前の
壮絶な最期であったとされる
「なよ竹の 風にまかする身ながらも
たわまぬ節はありとこそ聞け」
その後も薩長の容赦ない攻撃の前に 会津藩はただただ
成すすべなくたじろぐばかり 頼みの援軍は来たらず
奥羽列藩同盟の血判などどこ吹く風 孤立無援の篭城戦
小田山に据えられた 南蛮渡来の大砲の集中砲火に
勝敗はあえなく決した 明治元年九月 会津は降伏した
それは白虎隊の悲劇の僅か十六日後のことであった
あれから百数余年が経ち
平穏な時世にあって 当時を偲ぶ名所を訪ね歩いた
四十九号国道 強清水より峠を深く分け入れば
そこは歴史を辿る旅路 そこで繰り広げられた時代絵巻
遠い昔の出来事が現世に甦る
旧街道に架かる滝澤峠を下れば 城下へ続く一本道
その出口にあるのは戊辰戦争時の本陣跡
柱には今も生々しく残る刃の跡 その南側一帯こそ
白虎隊ゆかりの地 飯盛山 非業の死を遂げた場所には
終焉を印す墓標 眼下に広がる綺麗な街並み
霞の彼方にうっすらと浮かぶ 鶴に例えし美しき城
白虎隊士も見たであろう丘の上より あの日の光景を
しかと見届け脳裏に刻み込む
そして高台の石畳には 肩を並べて佇む十九の墓石
彼らの早すぎる死を悼み 線香を手向ける人々が
今も後を絶たない
そしてその外れの山林にひっそりと立つ 飯沼の墓
彼こそ全員が自刃した筈の白虎隊士の唯一の生き残り
まさに歴史の目撃者 そして生き証人 皮肉にも彼が
生き残ったために 壮絶な白虎隊の悲劇が
後世まで語り継がれることとなった
志半ばで戦火に倒れ散っていった 勇ましき会津人の魂
それを心の奥底で感じ 夕焼けに染まる天守閣を
しかとこの目に焼きつけ 会津を後にした
終戦から早幾歳月 こよなく会津を愛し美しき山河を守り
死んでいった多くの防人たちの魂の叫び
今もこの胸に去来して止まず
その遺志を引き継ぎ 天下泰平の世を続けることこそ
我等が使命 そして彼らへの何よりの供養
今の会津があるのは 多くの犠牲があるおかげ
会津白虎の魂は 脈々と現世に受け継がれ息づいている
彼岸獅子が秋の訪れを告げる頃 決まって私は
今は亡き祖父母の郷里会津を訪ね 来し方行く末を案じ
いにしえの歴史を胸に刻み、思いを馳せるのである
「もののふの猛き心にくらぶれば 数にも入らぬ我が身ながらも」
薙刀の名手で 若くして戦場に散った中野竹子の辞世の句である
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- 白虎の魂 飯盛の地に果てぬ ~峠の虚像~(2010.10.28)
私は、会津藩にはゆかりも何も無い人間ですが
おなじ福島県人として、とても誇りに思っています。
白虎隊を世に知らしめた媒体は数多く存在しますが
その中でも、日本テレビの年末時代劇「白虎隊」は
とても大きなウェイトを占めると思います。
そして堀内孝雄さんの主題歌。
「もう少し 時が ゆるやかであったなら・・・」
まさしく、その通り。
あまりにも急変しすぎた時代の中で
時代遅れかもしれないけど
家訓を守り、愚かなまでに全うした会津藩。
逆賊薩長によって血に染まったその地ですが
会津藩士の魂、教え、そして会津の山々や空は
永遠に変わることは無いでしょう。
薩長を道案内したといわれるM藩については
語るるに足りずです。
― アイナメさん、コメント恐縮です。NHK大河ドラマで「龍馬伝」が放送されて以来、坂本龍馬の功績ばかりが目立ち、会津藩が逆賊扱いされるのを見るに絶えず、また、龍馬暗殺の憎しみを一身にかうのではないかという危惧もあって、敢えて掲載に踏み切りました。二本松では、少年隊の悲劇があって、菊人形のテーマに坂本龍馬を据えるか否かあるかと思ったが、時代認識よりも興行収入の道を選んだような気配さえある。これは会津魂がある者の考えに過ぎないかもしれないが、百数十年を経てなおも語り継がねばならない真実の様な気がしています。私もNTV系列の里見浩太郎主演の「白虎隊」はDVDで持っていて、折に触れ見ています。堀内孝雄の「愛しき日々」も実は私の持ち歌です。(SUZU)
投稿: アイナメ | 2010年10月29日 (金) 16時06分