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2010年11月 8日 (月)

1980年代のB級アイドルたち Part1

 今を遡ること30年前の1980年代は「アイドル全盛時代」だった。まるでバブルの申し子と呼ぶに相応しいほど次々と新しいアイドル歌手が登場しては消えて行った時代でもあった。原宿では週末になると「竹の子族」が歩行者天国で集団で踊りを披露し、テレビをつければアイドル歌手が親衛隊と呼ばれる派手な衣裳に身を包んだ応援部隊の声援を受けながら華やかに歌っている光景が随所で見られ、40代も半ばを過ぎた人間にとっては懐かしく思い出される。当時、芸能界のA級アイドルと言えば、男性がたのきんトリオ(田原俊彦・野村義男・近藤真彦)やシブがき隊(薬丸裕英・布川敏和・本木雅弘)、イモ欽トリオ(長江健次・西山浩司・山口良一)、吉川晃司、沖田浩之、ひかる一平、少年隊(錦織一清・植草克秀・東山紀之)などであった。一方女性は、70年代アイドルだった麻丘めぐみ、南沙織、天地真理、キャンディーズ(伊藤蘭・藤村美樹・田中好子)、桜田淳子、山口百恵、石野真子、大場久美子、木之内みどり、ピンクレディー(根本美鶴代・増田恵子)、榊原郁恵、高田みづえの後を引き継いだA級アイドルたち(松田聖子、河合奈保子、小泉今日子、中森明菜、早見優、松本伊代、堀ちえみ、石川秀美、柏原芳恵、伊藤つかさ、菊池桃子、岡田有希子、荻野目洋子、西田ひかる、斎藤由貴、南野陽子、浅香唯、おニャン子クラブ、中山美穂、立花理佐、WINK(相田翔子・鈴木早智子)ら)がブラウン管を独占。ヒットチャートを賑わす常連だったし、歌番組やドラマ、バラエティ番組では彼等の顔を見ない日はないほどであった。当時人気絶大だったアイドルが出演していた番組と言えば、「8時だョ!全員集合」、「ザ・ベストテン」、「紅白歌のベストテン(後のザ・トップテン)」、「カックラキン大放送」、「夜のヒットスタジオ」、「ヤンヤン歌うスタジオ」、「たのきん全力投球」、「スーパージョッキー」、「アイドルパンチ」、「パリンコ学園No.1」、「レッツゴーヤング」などがあった。そして、彼女たちA級アイドルの華々しい活躍の陰で、明日のスターを夢見て、健気に頑張っていた女性アイドルたちも大勢いた。今風の言葉で例えれば、「B級アイドル」と言えるだろう。今回は、芸能界の荒波に、ともすれば埋没して忘れ去られがちな、そうしたアイドル達にスポットを当ててみたい。私は男なので、正直あまり男性アイドルはわからない。よってミーハーと言われるかも知れないが、女性アイドルを中心に総勢50名ピックアップし、特集を組んで全5回シリーズでお送りしてみたい。(アドレスをクリックすれば、「You Tube」の懐かしい映像が見られます。青春時代にタイプスリップ出来ますョ!)ただし、本日はスペースの都合上10名を「Part1」と題して紹介することにするのであしからず。

 1.天馬ルミ子

Tenma  彼女は正しくは、1978年1月に「教えてください、神様」でデビュー。ショートパンツに長く伸びた脚。それに超ショートカットというスタイル。衣装はまるで麒麟ルックを思わせる、昔風で古さが漂い、今見ると思わず吹き出してしまいそうだ。当時、所属していた事務所がピンク・レディーと同じT&Cだったことから「ピンク・レディーの妹分」として大々的に売り出されたアイドル歌手だった。ピンク・レディーとの連携もバッチリで、かなりの鳴り物入りとしてのスタートを切った。しかも彼女は歌手デビュー前からNHK「レッツゴーヤング」のサンデーズのメンバーとして活躍。歌手としてデビューした際には同番組でこの曲が何度も歌われ売り込みにかなりのプッシュ体制が組まれていた。そんな効果も手伝ってデビュー曲はオリコンで最高83位、2.6万枚を売り上げ、新人賞候補一番乗りとして気を吐くはずだったのだが…。シングル第2弾でイメチェンを図った「ありがとう青春」が予想外の大コケ。慌てて第3弾「その時わたしはTAXIを停めた」を発売するもデビュー時の華やかな勢いは戻らず、シングル第4弾「ミスター・シャドウ」を発売してアイドル人生を終えている。血液型はO型で神奈川県出身。

http://www.youtube.com/watch?v=uzZvunfqWjk

 2.能瀬慶子

Nosekeiko  彼女もまた1979年1月のレコードデビューである。1963年3月16日、千葉県で出生し、東京都文京区で育つ。1978年(昭和53年)高校在学中に第3回ホリプロタレントスカウトキャラバンで優勝。同年映画出演を果たし、1979年にNAVからシングル『アテンションプリーズ』で、歌手としてデビュー。1979年には「赤い激突」以来約1年ぶりに復活した赤いシリーズ第8作「赤い嵐」にヒロインとして出演。記憶喪失の少女・小池しのぶを演じた。二重人格による豹変ぶりは当時評判となった。また、記憶喪失時の「ここはどこ、私は誰?」という演技は、その後お笑い芸人などによってしばしばパロディのネタにされた。1983年(昭和58年)20歳で引退した後、ミュージシャンと結婚、し2児の母となった。他の代表作は「裸足でヤングラブ」など。血液型は見るからにO型。バレーボール日本代表の栗原恵(彼女もO型)に似ている。主なシングルは「アテンション・プリーズ」 (1979年1月5日)、「裸足でヤング ラブ」(1979年4月5日)、「He Is コットン100%」(1979年7月5日)、「美少女時代」(1979年9月5日)
                                                         

http://www.youtube.com/watch?v=QZiYj8cnKyI

 3.倉田まり子(坪田まり子)

Kuratamariko  1960年11月20日生まれの長崎県諫早市出身。TBSの番組『家族そろって歌合戦』が長崎県で収録された際、それに出場したことをスカウトマンに見初められて上京。NHKの人気歌番組『レッツゴーヤング』のサンデーズの一員として1978年4月からレギュラー出演した。芸名の「倉田」は、師匠で作曲家の当時レッツゴーヤングの司会を務めていた都倉俊一から一字もらったものと言われる。1979年1月に1月に「グラジュエイション」でレコードデビューし、伸びやかな高音としっかりした音程でしっとりと卒業式の気持ちを歌いあげて本格派歌手の素質を感じさせた。1979年8月月に発表されたシングル3曲目「HOW! ワンダフル」のヒットにより人気を確立、その年の日本歌謡大賞 放送音楽新人賞 、FNS音楽祭 最優秀新人賞をはじめ、多くの新人賞を受賞。また、石川ひとみに顔が似ているとも話題になった。所属事務所はニューバンブー。抜群のプロポーション、脚線美の持ち主だった。他に代表作は「恋はAmi ami」、「恋はライライライ」、「カナリヤ」、「冷たい雨」、「グラデュエーション」など。血液型はO型。アイドル後半にはスキャンダルに巻き込まれ、ゴシップネタにされたり、レポーターに追いかけられたりと気の毒な状況に苛まれた。現在は坪田まり子として活動中。

http://www.youtube.com/watch?v=FLm-9xUwnqg&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=GE0owc9zzjw&feature=related
                                                       
 4.比企理恵
 
Hikirie  1965年10月10日生まれのてんびん座。東京都出身の小麦色の健康アイドル。第4回ホリプロタレントスカウトキャラバンで優勝し、1979年12月に、シングル『恋のローラーブーツ』で歌手デビュー。昭和40年生まれのアイドル第1号として、デビュー当時話題になる。デビューに際し芸名を一般公募したが、本名から「子」を外すだけにとどまった。以来、アイドルとして活躍。歌手としては『恋のローラーブーツ』がオリコン199位で最高位だった。現在は、舞台を中心に活動している。ミュージカル『ピーターパン』では、6年連続で演じたウェンディ役を始めとして、2001年からはダーリング夫人役として出演し、2010年の公演で出演回数が500回を超えた。血液型はO型。伊藤つかさ(彼女もやはりO型)に似ている。曲は他に「ARE YOU HAPP?」、「陽気なフラ・ベイビー」、「恋のワナ・ワナ」、「想像力少女」など。褐色の健康的な肌と元気印が魅力で、歌詞はメルヘンチックな夢見る少女っぽい曲が多かった。現在は女優として活躍している。アイドル時代の出演作は、「不良少女と呼ばれて」、「スタァ誕生」、「ポニーテールは振り向かない」など。

http://www.youtube.com/watch?v=h5ShyQCtBRg
http://www.youtube.com/watch?v=tITBwsbxqI0&feature=related

Hikirie

 

                                           

                                                                                                                                                                                                                                                        

5.甲斐智枝美

Kaichiemi  1963年6月16日生まれの大分県大牟田市出身のもとアイドル歌手。1979年に日本テレビの人気オーディション番組「スター誕生!」で第29代グランドチャンピオンを獲得。これをきっかけに芸能界入り。1980年、シングル曲「スタア」で歌手デビュー。キャッチフレーズは「KIRARI!瞳が語る」。オリコン最高位は「マーマレード気分」の103位と、歌手としては奮わなかったが、デビュー当時から知名度は抜群で、アイドル雑誌の表紙を何度も飾っていた。1982年には、清純なイメージを打ち破り、当時としては珍しいヌード写真集も発売された。しかし、2006年年7月、朝になっても起きてこないのを心配した中学校3年生(当時)の長男が確認しに行ったところ、2階の寝室で首を吊っていたところを発見した。すぐに119番通報し、救急隊員と警察が駆けつけたが、自殺と断定した。原因不明の43歳にして早すぎる死だった。曲は他に「さよならサンセット」、「マーマレード気分」、「いつでも答えはYESなのよ」、「枯葉天使」など。血液型はA型だった。褐色の肌で健康的なイメージがあったが精神面はピュアだったアイドルのような気がする。御冥福をお祈りしたい。

http://www.youtube.com/watch?v=i_gD7z7qj6k
http://www.youtube.com/watch?v=Mz-hyKbuiv0&feature=related

 6.浜田朱里

Hamadajuri  1962年11月1日生まれで東京都出身の元女優・元女性アイドル。血液型はO型。1980年6月にCBSソニーから「さよなら好き」でデビュー。デビュー当時の所属は、プロダクション尾木。堀越高校卒業。松田聖子と親友で同期。当時アイドル・女優などで活躍したが、その後、芸能界を引退した。雰囲気が似ていたため、ポスト百恵を狙うが、同期に松田聖子などの強豪がいたため、セールス的に伸び悩んだ。しかし、ややハスキーで独特の雰囲気の歌声と整ったルックスのアンマッチさは、当時の女性アイドルの中では目立つ存在だったため、現役時代も現在も根強いファンが存在している。色白で丸顔でやや頬が膨れている感じは誰にでも親しみが持てる容姿であった。代表作は他に「あなたに熱中」、「青い花火」、「青い嫉妬」、「黒い瞳」、「18カラットの涙」、「想い出のセレナーデ」、「悲しみは駆け足でやってくる」など。当時としては超美系アイドルで、アンニュイな感じがウケて私も大好きな顔立ちをしていた。トップアイドルではなかったにも関わらず、復刻版は比較的多くリリースされている。山口百恵に似た雰囲気を持ち、同じ路線で売りだした。もっとも本人はあまり歌うことは好きではなかったらしく、「自分は歌が下手なので、将来は女優で勝負したい」とインタビューで答えていた。その後活動の中心をグラビア、バラエティに移し、深夜放送の「鶴光のオールナイトニッポン」内に於いて、坂上とし恵・日高のり子と共に後の無いアイドルと言う事で「がけっぷちトリオ」と命名されて出演するなど、バラドルの先駆け的存在としてそれなりに人気を集める。しかし当時はまだ、アイドルがグラビアやバラエティだけでやっていくのは難しかったようで、結局一時休業状態になる。復帰後は主に女優として活動。脇役としてはコンスタントに仕事をこなし、一定の評価は得るが、歌手同様こちらでも一線級になることはなく、ヌード写真集の発売で一時期話題になるものの徐々にフェードアウトしていき、1995年に一人目の子供を出産するために引退した。

http://www.youtube.com/watch?v=L8a1zMMC7Cw&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=M9-dwQpY46E&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=Z3NaKZJYkds&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=EKSouejJ6EQ&feature=related

 7.新井薫子

Araikaoruko  昭和40年生まれで名古屋出身。1982-1983年の間活動した、愛知県名古屋市出身の元アイドル歌手、現芸術家。後発のTDKコアが手掛けた初の新人だったが、1年程活動しただけで療養のため休業し、趣味だった日本画や絵本を学ぶ傍ら、快復後には端役出演などこなした。1980年代末よりイラストレーター・キャラクターデザイナーに転身し、カオルコ・KAORUKO名義で各方面で活躍する傍ら、サイケポップユニット『the TABLES』を結成し中野薫子・KAORUCO名義で音楽活動も展開した。デビュー曲は「虹いろの瞳/風のジェラシー」(1982年3月21日)で、他には「イニシャルは夏/Holiday」(1982年6月9日)、「赤い靴/パステル気分」(1982年9月5日)、「私の彼は左きき/愛になりたい」(1982年11月21日)、「大和撫子“春”咲きます/片想いのイニシャル」(1983年2月21日)、「OH!新鮮娘/立ち入り禁止」(1983年5月21日)、「虹色の瞳」などをリリースした。血液型はA型だった。

http://www.youtube.com/watch?v=D_ieLlNYMgE&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=Tf8BW3gUUqs&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=wYLPed2lvm0&feature=related

 8.井上望

Inouenozomi  元歌手・タレントで、音楽プロデューサーを中心に活動している。本名:武東 望(むとう のぞみ)、旧姓:井上。1963年2月4日生まれ。福岡県大牟田市出身で血液型はA型。日本テレビ系列の「スター誕生!」がデビューのきっかけである。1979年ビクターから「ルフラン」で歌手デビュー。同年暮れの第21回日本レコード大賞では「好きだから」で新人賞を受賞。アイドルとしては歌唱力があり「実力派アイドル」ともいわれたが、松田聖子・河合奈保子・柏原芳恵ら「1980年デビューアイドル」の台頭で割を食った形になった。曲は他に「花ねがわくば」、「メイクアップミー」、「シャドーボーイ」、「恋のシュラシュシュ」など。印象としては山口百恵に似た雰囲気を持ち、同じ路線で売り出そうとした事務所やレコード会社の戦略が見て取れる。

http://www.youtube.com/watch?v=2elsbcFnXOs&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=Xzqb0CGsmHQ&feature=related

9.ソフトクリーム

Nettaigyonotuxedo   遠藤由美子、天野千英、大塚真実の3人で結成された女性アイドルグループ(1984年6月、途中で天野千英が脱退し、大橋直美が入る)。活動当時の所属事務所は渡辺プロ。1982年12月ににシングル「熱帯魚のタキシード」でデビューする。「ソフトクリーム」というグループ名になったきっかけは、デビュー曲の作詞者だった島武実の「食べ物の名前にしたら売れるかな」という一言からだったという。グループ名に因んでマイクもソフトクリームのカバーが拵えてあってウケた。2枚目のシングル「すっぱい失敗」以降は作詞:森雪之丞、作編曲:後藤次利コンビで楽曲が作られた。詞の中身は「ちょっとHな意味を含んだアブナいもの」で、曲の構成やアレンジが従来のアイドル歌謡とは大きく異なっていたため、後のおニャン子クラブのプロトタイプとも言われることがある。リードボーカルは遠藤由美子。変声期の少年のような音質でよく伸びる声を持つ。グループ活動中と並行してソロ活動も行うことがあった。 1985年(高校卒業頃)に解散した。曲は他に「スキよ!ダイスキ君」、「やったね!春だね !! 」、「ごめんあそばせガンバリ娘」、「クラスメート失踪事件」など。遠藤由美子はA型で現在遠藤由実子として活躍中。天野千英はA型。大塚真実は不祥。

http://www.youtube.com/watch?v=8ilEsP1MRrs&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=PAp8F5DyKjk&feature=related

10.桑田靖子

Kuwata  本名は池田咲恵子、1967年10月30日生まれでは福岡県直方市出身の女性歌手・タレント。堀越高等学校卒業。身長156cm、血液型はA型。小学生時から歌が得意でちびっこのど自慢大会などにも多数出演した。1980(中学1年)に梓みちよの「よろしかったら」を歌い福岡音楽祭にてグランプリを獲得、1981年(中学2年)には文化放送主催のオーディション「全日本ヤング選抜スターは君だ」で優勝、1982年には「東芝・タレントスカウトキャラバン」でも優勝し、大手事務所サンミュージック所属となる。1983年3月にシングル「脱・プラトニック」でレコードデビュー。同年デビューの歌手に大沢逸美、森尾由美、、松本明子、小林千絵、岩井小百合、いとうまい子、小出広美などがおり、「不作の83年組」といわれた。明るいキャラクターでラジオパーソナリティなどもこなした。1988年に音楽活動に専念したい理由から、デビュー当時から所属してい事務所辞める。1990年代に入ってから自身のライブ活動、アニソン、コーラス業などで活動し「咲恵子(さえこ)」、「Sae」の名でも活動。1990年代後半から、2000年代前半にかけて、出身地の福岡に戻り、九州朝日放送やFBS福岡放送でリポーターや、テレビ出演をしていたこともあった。2010年より、桑田靖子名義でライブ活動開始。主な曲は「脱・プラトニック」、「愛・モラル」、「もしかしてドリーム」、「マイ・ジョイフル・ハート」、「あいにく片想い」、「ガラスのラブレター」、「ひそやかな反乱」など全15曲をリリースした。

http://www.youtube.com/watch?v=EeSfRvT8t0I&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=ZVcHKhuR7qc&feature=related

 

 本日はスペースの都合上ここまでとしたい。あなたがお気に入りだったアイドルには会えたでしょうか?「え~っこの娘はB級じゃないだろう!」と憤慨する声が聞こえてきそうだが、あくまで個人的な見解と私的な判断であることをご容赦願いたい。まして思い入れが人一倍強かったファンならなおさらそうだろう。本日の10人を見ても、この頃のアイドルは何か個性が無く、優等生っぽくて、誰もが同じ路線を歩こうとした意図が見え透いてしまうし、実際にそうした感が否めない。特に髪型は、当時隆盛を極めて高校生を中心に大流行した、下に行くにつれて両頬を覆い隠すようにカールしながらボリュームアップする「聖子ちゃんカット」で、皆同型であった。しかも轡を並べたように、決まってアイドル歌手の代名詞のミニスカートをフリフリして、笑顔も爽やかに歌っていた。そして明日以降の記事を見て貰えば納得すると思うが、この頃のアイドルは血液型がO型が断然多い。おっとりで丸顔、そして色白で妹的な雰囲気を醸し出し、思わず支えて守ってあげたくなるような(みんなで応援してあげたくなるような)空気を作っているからだ。そして容姿も曲調もどことなく似てきてしまうのだ。初回から飛ばしてしまったが、まだ5分の1。明日も10名のアイドルを紹介したいと思う。これから更に40名のアイドルたちが控えている。ドキドキ感を出すため、敢えて名前は前もって告知しないでおきたい。では続きをお楽しみに・・・。 

 <参考サイト>

http://www.otokichi.com/main/newotokichi/idoldebutehistoryjp.htm

http://www.youtube.com/watch?v=_TJb46x0zBQ&feature=related

*解説文は一部「Wikipedia」から抜粋。

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