2021年9月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30    

« 1980年代のB級アイドルたち Part2 | トップページ | 1980年代のB級アイドルたち Part4 »

2010年11月10日 (水)

1980年代のB級アイドルたち Part3

 さて、今日でこのシリーズも第3弾となった。昨日までで20人の元アイドルたちを紹介したが、やはり普段(平均500件)のアクセス数を超える訪問を頂いた。人それぞれお気に入りのアイドルが存在しているようだ。例えば40年以上前に、世の男性を虜にしたアイドル的存在と言えば吉永小百合だったし、30年前はキャンディーズや山口百恵がその頂点に君臨していた。今回取り上げている1980年代というと、20年前から30年前であり、その頃に多感な中高生だった若者は、現在では40代から50代前半の方々ということになる。コンサートホールでは、派手な鉢巻きとはっぴ姿で応援していた親衛隊やギャルの追っかけも多かった。アイドルの髪型やファッションを真似し、街を歩いていた人もきっと多いことだろう。しかし、90年代に入ると音楽シーンは急展開を見せる。「イカ天」が火つけ役となり、実力派のバンドブームが沸き起こった。その代表格が「プリプリ」であったし、「ピンクサファイヤ」だった。その後は「TRF」や「MAX」、「zoo」、「SPEED」などのダンスユニットが持て囃され、ミーハーではない、いわゆる本物志向のユニットが相次いで登場し、アイドルブームは廃れ一気に斜陽となった。最近は「モーニング娘。」や「AKB48」、「少女時代」などの台頭で、大人数でのダンスをパフォーマンスにするアイドルブームが復権の兆しを見せている。芸能界も世代交代が著しいが、一定のサイクルを持っているように思える。さぁ、前置きはこれくらいにして、今日は「Part3」と題して続編をお送りするが、今日こそはあなたのお気に入りのアイドルは登場するだろうか?

21.水野きみこ
                                                          
Mizuno  1965年5月11日生まれ、名古屋出身の元歌手(渡辺プロダクション所属)。本名は水野 規仁子。血液型はA型。愛称は“キミー” で、八重歯と笑顔が可愛い女の子だった。中学3年生の時、渡辺プロダクションの音楽学院に入学。1981年末、渡辺プロのオーディションを受け合格。1982年に愛知県から上京。堀越高校卒業。同年5月、ポリドールより「私のモナミ」でレコードデビュー。とても大人しい性格であった。2歳年上の姉がいる。芸能界引退後は、地元名古屋のデパートに勤務していた。水野の大ファンだった池田貴族(故人)が、当時メインMCをつとめていた『なごやかホルモン』(CBCテレビ)で会いたいとラブコールを送り、引退後は一切テレビなどに出演していなかったが、一度だけ同番組に出演している。主なレコードリリースは「私のモナミ/小さな恋のメロディ」(1982年5月21日)、「夢見るアニー/TOMORROW」(1982年9月25日)、「神よ何てお礼を言えばいいのか分からない/ハイヒールDreamin’」(1983年2月25日)、「VIRGIN/愛はケセラ・セラ」(1983年6月25日)の4曲のみ。可愛さはピカイチだったけど歌はイマイチだった。同じA型アイドルの松本友里とイメージが重なる。
                                                   
             
Mizunokimiko Kimiee Kimiko1                                                              
                                                       
22.浅倉亜季
                                                                                                                                
Asakura  1968年7月3日生まれの1980年代後半に活動した日本のアイドル歌手、タレント。東京都出身。血液型はA型。本名は大倉亜季。1986年3月に開催された、当時漫画とテレビアニメで大人気の『タッチ』のヒロイン・浅倉南のイメージガールを選ぶ「ミス南コンテスト」で優勝して芸能界入り。芸名もこれに由来し、名付け親は原作者のあだち充。同年5月にテレビアニメ『タッチ』の挿入歌で、ローソンのCMソングでもある「南の風・夏少女」で歌手デビュー。その後も、同じあだち充原作のテレビアニメ『陽あたり良好!』の主題歌などを歌った。女優として、フジテレビの月曜ドラマランド『ナイン』、『タッチ』やミュージカル『タッチ』のヒロイン役など、あだち充に関連する作品で演じる事が多かった。歌手としてはテレビの主題歌を歌うことが多く、代表作は「南の風・夏少女」(アニメ「タッチ」挿入歌)、「オータム・リップス」、「内気なボーダーライン」(主演ドラマ「ナイン」挿入歌)、「陽あたり良好」(アニメ「陽あたり良好!」主題歌)、「感傷(センチメンタル)ヴァケーション」(主演ドラマ「タッチ」挿入歌)、「Double Meaning」(主演ミュージカル「タッチ」テーマソング)などであった。
                                                                                                                               http://www.youtube.com/watch?v=zO-F48Ns6Jw&feature=related

23.相原勇

Aihara  1967年4月1日生まれで広島出身の元アイドル。 おひつじ座のO型。中学生の時に、ミュージカル『ピーター・パン』で、榊原郁恵の演ずるピーターパンが観客の上を飛ぶのを観て感動し「ピーター・パンを演じるために1984年に芸能界に入った」と自ら語っている。高校生の時、第9回ホリプロタレントスカウトキャラバンに応募。中国・四国地区代表として決勝まで残る。この時の優勝者は井森美幸であった。1985年4月、芸能界デビューのため上京。19866年4月、別の事務所から、本名の小原靖子で「ちょっとHENSHIN」でデビュー。そして「じゃけぇ」や「たいぎぃ」などの広島弁を随所に散りばめた「恋はBUCHIBUCHI!」という曲を同年8月に出すも、事務所の倒産もあり、芸能界での活動は制限されてしまった。1987年、小学館の雑誌『GORO』の激写で篠山紀信撮影のヌードを披露。1989年2月、TBS『平成名物TV』内の1コーナー「三宅裕司のいかすバンド天国」(通称「イカ天」)の司会者に抜擢され、明るく元気な女の子といったキャラクターで大ブレイク。もし「イカ天」に抜擢されていなかったら、「広島に帰っていた」と本人も語っている。この番組出演を機に芸名を相原勇に変えての再スタートであった。1990年は、女優として4月に映画『香港パラダイス』に、10月にフジテレビ月9ドラマ『すてきな片想い』に出演し、歌手として7月にシングル「ボクはパワー」で相原勇として歌手デビュー、また4月から10月まで文化放送のラジオ番組『相原勇のBEBOP YOU』に出演する他、CM出演や番組司会でも活躍した。1998年にニューヨーク滞在中、英語と演劇を学んでいる時に出会ったアイルランド人男性の画商とアメリカ同時多発テロ事件をきっかけに結婚した。
                                                                                                                       http://www.youtube.com/watch?v=Vqtzl3f9ssg

24.小出広美

Changelove  1966年3月3日生まれの元歌手、元グラビアアイドル。愛知県海部郡大治町出身。堀越高等学校中退。血液型はA型。中学生の頃より名古屋の芸能事務所巣山プロダクションに在籍。1981年、『ぱろぱろエブリディ』に火曜日アシスタントとしてレギュラー出演。番組内で彼女をモチーフにしたドラマも作られ、番組を見たキングレコードの関係者にスカウトされ、東京に進出。 『レッツゴーヤング』(NHK)の番組内グループサンデーズのメンバーに選抜され、1983年にはキングレコードより「タブー」でアイドル歌手としてデビュー。デビュー時のキャッチフレーズは「'83 誰もがKOIDE(恋で)狂いです」。マイナー調の中森明菜路線の歌謡曲で、少し陰のある部分を演出し、“ポスト明菜”として注目を浴びた。サードシングル「水色の輝き」のリリース発売直後所属事務所を研音へ移籍。1984年に、シングル「最近のム・ス・メ」を発売する予定がお蔵入りとなり、研音から契約を破棄され、事実上の引退となる。引退の真相は未だに謎である。シングル「最近のム・ス・メ」は業界関係者向けのサンプル盤が数百枚しかプレスされず、中古レコード市場で高額で取引されている。後年、CDとして再発売されたが、これも発売直後に廃盤となった。権利関係に問題があったとされる。1987年からはグラビアアイドルとして活動し、数冊の写真集及びヘアーヌード写真集を発売する。その傍ら、都内の高級クラブ「水芭蕉」のママとなり、現在も営業を続けている。2010年11月「週間現代」にてヘアヌードグラビアで久々に登場。馬にヘアーヌード姿で乗るなど大胆な姿で登場して話題を呼んだ。デビュー曲以外の主な代表作は「タブー」、「チェンジLOVE」、「水色の輝き」、「心はプリズム」、「最近のム・ス・メ」など。
                                           
http://www.youtube.com/watch?v=m4W2IfYVfdQ&feature=related                 
 
Koide_hiromi Koidehiromi 
                                                            
25.原真祐美
                                                        
Haramayumi  1966年9月13日生まれは、元モデル・女優・歌手。出身は北海道札幌市。本名:種田真祐美。血液型はO型。札幌の街でショッピング中にスカウトされる。その後、モデルとして、各種ポスター、スチール、CM出演などで活躍。「ミルクランド北海道」のCM出演中に、第一プロダクションにスカウトされ、芸能界入り。三角形の小顔でえくぼがチャームポイント。 また同時期、デビュー前の1981年に、ホリプロスカウトキャラバンにて北海道代表として全国大会に進出した。歌手デビュー前、エースコック「麻婆拉麺」にCM出演した。1983年3月に「妹みたいじゃだめですか?」のキャッチフレーズで、「決心」でアイドル歌手としてデビュー。テレビ等に出演の際、帽子をトレードマークとすることが多かった。また同期のアイドルと比較し割とおっとりめの大人びた感じのキャラであった。サードシングル「Bye,Bye,September」は、FNS歌謡祭優秀新人賞をはじめ、あなたが選ぶ全日本歌謡音楽祭で新人奨励賞、ヤング歌謡大賞でアイドル賞、銀座音楽祭で銀賞、新宿音楽祭で銀賞、日本歌謡大賞など、各種新人賞を総なめにした。1984年からは、月曜ドラマランド「てんてん姫」の主演で女優業にも進出。以降、「瑠璃色ジェネレーション」「金曜日の妻たちへIII 恋におちて」などの作品に出演。「恋におちて」では、上司の妻(篠ひろ子)を恋愛の対象として慕うOLを演じた。堀越高校卒業後、いきなりの芸能界引退、第一プロダクションを退社。1年後、ヌード写真集「彩どり」を発売し、女優復帰宣言もしたものの、その後の活動は一切なく、事実上の引退となった。主なシングルレコードは、「決心」(オリコン102位)、「恋人なんて」(オリコン111位)、「Bye,Bye,September」(オリコン89位)、「夕暮れはLove Song」(オリコン91位)、「わかってマイ・ラヴ」(オリコン107位)、「夏のレッスン1(one)( オリコン109位)、「てんてん娘」:月曜ドラマランド『てんてん娘』主題歌、「ペルシャの涙」( オリコン169位)、「泣き虫なマリオネット」など。

http://www.youtube.com/watch?v=WqQNYjXhBXw&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=GzQdmtapEAM
http://www.youtube.com/watch?v=DcAr9tm3eW0&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=cQ703241-s8&feature=related

26.太田貴子

Ohtatakako  1967年8月13日生まれで東京都出身。歌手であり声優せもある。B-Box所属。血液型はB型。1982年、NTV『スター誕生!』第45回に出演し、決戦大会で徳間音楽工業からスカウトを受け、1983年に歌手デビュー。デビュー曲の「デリケートに好きして」は、自身が主演声優を務めた『魔法の天使クリィミーマミ』の主題歌にもなった。ちなみにこの曲の楽曲制作はビーイングが行っている。その後1984年にNHKの『レッツゴーヤング』のレギュラーメンバー「サンデーズ」の一員として参加。その後1989年にNECアベニューに移籍した。1985年頃には、新宿ルイードでライブを行うなど、アイドル系のポップス歌手としては異例の活動を行った。その後、音楽面でも徐々にロック色が強くなっていった。1994年に引退し、1996年に結婚。3人の子供にも恵まれる。1998年7月に行われた「スターぴえろ20周年記念ファン感謝祭にゲスト出演した際、芸能界への復帰宣言を行い、以後は主婦業のかたわらで芸能活動再開させた。主なヒット曲は「デリケートに好きにして」、「BIN・KANルージュ」、「LOVEさりげなく」、「夏にあわてないで」、「ハートブレイク・ミステイク」、「天使のミラクル」、「ハートのSEASON」など多数。空想的不思議少女キャラは小倉優子と同様。2人共にB型。
                                                                                                               
http://www.youtube.com/watch?v=SXK_HaxuJrY&feature=related

http://www.youtube.com/watch?v=f0Y7Rr3vPjc&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=Hd9_7Uy-neY&feature=related

Ootatakako

27.勇直子

Isamu  1968年12月7日生まれの神奈川県出身。女優・元アイドル歌手。血液型はO型。1985年、原宿でショッピング中に芸能プロダクション『K-HOUSE』のスタッフにスカウトされ、芸能界入り。翌年、『夏・体験物語2』(TBS)でドラマデビュー。挿入歌『センターラインが終わるとき』でRVCより歌手としてもデビュー。『歌のトップテン』(日本テレビ)に出演した他、各種新人賞レースにもノミネートされ審査員奨励賞を受賞した。声の質が透明で歌唱力もあった。当時、作家の秋元康が彼女の才能に惚れこみ「本田美奈子」を超える、新時代アイドル歌手になる」と語っていた。ワイルドな外見とやや性格的に天然が入っており、ボケキャラ的な不思議少女の存在だった。歌手活動のかたわら、数々のミュージカルやドラマにも出演。1990年頃、芸能界引退。数年後には宮田和弥(JUN SKY WALKER(S)のボーカル)と結婚、出産も経験。2002年、芸能プロダクションoregaと契約し、芸能界に復帰。現在も、女優や、CMタレントなどで活躍中。主なシングルカットは「センターラインが終わるとき」、「ナーバスにならないで」、「さよならは落ち込まないで」、「BOOM BOOM BOOM」、「ラスト・パラシュート」、「ポラロイドのふたり」 など。

http://www.youtube.com/watch?v=Yjgt6ybwdSA&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=EpW-Slk2PbA&feature=related

28.島田奈美

Shimada  1971年2月1日生まれ、東京都練馬区出身の音楽ライター、ディスクジョッキー。10代の頃は島田奈美という芸名でアイドルとして活動していた。現在は島田奈央美として活躍。富士見中学校・高等学校卒業。血液型はO型。アイドル時代は色白で丸顔、アンニュイな美少女的存在だった。とんねるずの妹分として「お坊っチャマにはわかるまい!」に出演してブレークした。ややイメージが伊藤つかさと被る。1983年、練馬区中村の私立富士見中学校に入学。。中学2年の時、本人を含めた家族5人でTBS系のクイズ番組「クイズ100人に聞きました」に出場し勝利を収めた。このときの賞品としてハワイ旅行がプレゼントされている。また、司会の関口宏が「この子芸能界に入りたいんだって!」と言ったため、芸能事務所からの誘いが殺到するが、その時は断ってしまった。映画『パンツの穴2~花柄畑でインプト』のオーディションで準優勝。1986年、アイドルとしてデビュー。デビュー当時のプロフィールは、「身長161cm、体重44kg、B80W60H83、足23cm」。同年4月から7月にかけて、TBS系ドラマ「お坊っチャマにはわかるまい!」にて、とんねるずの木梨憲武の妹、「平田奈美」役でテレビドラマデビュー。5月には「ガラスの幻想曲(ファンタジー)」で歌手デビュー。以後、シングル14枚、オリジナルアルバム10枚をリリース。一部の曲では本名の「島田 奈央子」名義で作詞も手がけていた。1987年2月、「Free Balloon」が「ザ・ベストテン」「歌のトップテン」に初ランクイン。ファーストコンサートを大阪や東京・日本青年館などで開く。1988年、ラジオ番組「奈美のFLYING TEAPOT」放送開始。契約上の理由からか、引退後の1990年9月まで続いた。引退直前には「ラストアルバムでは、素直に自分のやりたいことが出来たので、思い残すことはない」ともコメントしている。しかし、後期に取り入れた「ダンスミュージックは受け入れられなかった気がする」というコメントも残しており、商業的には必ずしも成功とは言えなかったとみられる。1990年7月30日、MZA有明のファイナルコンサートを最後に、自らの意思でアイドルを引退した。主な楽曲は「ガラスの幻想曲」、「負けないで・・片想い」、「パウダースノーの妖精」、「Free Balloon」、「内気なキューピッド」、「パステルブルーのためいき」、「ハロー・レディ」、「タンポポの草原」などベビーフェイスの愛くるしい顔に合わせ、メルヘンチックな曲が大勢を占めた。おニャン子時代の渡辺満理奈に似ている。

http://www.youtube.com/watch?v=zrOih7-ovSg
http://www.youtube.com/watch?v=_shYiq74EUo&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=hJpXLE58WNI&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=xSsNdevSaTw&feature=related

Shimada_nami Shimadanami Nami_shimada 

29.水谷麻里

Mari  1971年7月18日生まれの1980年代後半に活動した日本の元女性アイドル歌手。本名、江口 葉子。愛知県津島市出身。現役時代の所属事務所はサンミュージック、レコード会社はビクター音楽産業。堀越高等学校卒業。中学2年生時の1985年、資生堂主催の「'86ミスヘアコロン・イメージガール・コンテスト」に応募、全国大会で54,129名の中からグランプリとなる。カラスの鳴き真似が得意で、コンテストでも演じ、これが審査員に大受けした事からグランプリを獲ったと評される。1986年3月、「21世紀まで愛して」でデビュー。デビュー年はアイドルブーム真っ只中で、年末には銀座音楽祭・メガロポリス歌謡祭・日本レコード大賞など多くの音楽祭が行われており、山瀬まみ・ポピンズ・真璃子・少年隊らと各新人賞を争い、彼らと共に多くの新人賞を獲得する。最初の1年目は細くやや不安定なボーカルで、どちらかといえば可愛らしさを前面に立てた典型的なアイドル歌手だったが、1987年1月に発売した4thシングル「春が来た」から歌唱が一変、見違えるように声が太くなり歌が安定する。以降、「不思議路線」と銘打ってハイテンションで意味不明な暴走パワーに満ちたシングルを連発する。1987年秋、雑誌の対談をきっかけに、デビュー前からファンだった漫画家の江口寿史との交際が親密化し、次第に芸能活動への熱意を失う。その後地元向けのDJやCMの仕事を続け、1990年に18歳で江口と結婚し、芸能界を完全に引退した。シングルは1986年から88年までに8枚発売され、オリコンチャートでは、内4枚が連続でベスト10入りした。最高位は「乙女日和」「春が来た」の週間売上9位。また、アルバムはオリジナル3枚、ベスト盤が2枚発売されている。これはもうB級アイドルではないかもしれない。シングルは「21世紀まで愛して」、「地上に降りた天使、、「乙女日和」、「春が来た」、「ポキチ・ペキチ・パキチ」、「バカンスの嵐」、「メビウス天国」、「春休み」など。香椎由宇に似ている気がする。血液型はO型。
                                                        
http://www.youtube.com/watch?v=FOF3eRkB7nM&feature=related                              
                                                         
Mizutani  
                             
30.真璃子             
                                                       
Mariko_2  1968年8月2日、福岡県筑紫郡大野町(現・大野城市)出身の歌手、アイドル。本名は古賀真里子。血液型はO型。1984年に文化放送の『決定!全日本歌謡選抜』のオーディション企画「スターは君だ!!」でグランプリを獲得。オフィスAtoZに所属し、1986年1月に「私星伝説」でデビュー。3枚目のシングルレコード「夢飛行」は1986年の第28回レコード大賞新人賞、第17回日本歌謡大賞放送音楽新人賞などを受賞している。二枚目のアルバム『♡ to ♡』から真璃子本人が作詞した曲が採用されるようになり、20枚以上のシングルと6枚のオリジナルアルバムを発売した。フォーライフ時代は不思議・幻想をテーマにした曲と少女視点の恋やあこがれを歌った曲を歌うことが多かった。ポニーキャニオン移籍後は、等身大の大人の恋愛やメッセージ性のある楽曲へとシフトしていった。歌番組での衣装もフリルのドレスからドレッシーなスーツへの変遷が見られる。 ポニーキャニオン移籍後は高見沢俊彦(お嫁にいきたい)・松任谷由実(セシルの週末)・中島みゆき(ほうせんか)・尾崎亜美(届かなかったエアメイル)など様々なスタイルの作家の曲を歌いこなした。女性シンガーソングライターの御三家(松任谷・中島・尾崎)の曲を歌った数少ない一人である。特に尾崎亜美とのコラボは後にアルバム「ヴィーナスたちへの伝言」の制作へと発展しており、現在でも名盤と言われる一枚となっている。ラストアルバム「I LOVE ME」レコーディングはオーストラリアのパースで行われ、オリコンにレコーディング日記を連載した。ラジオ番組の司会もこなし、女優としてテレビドラマへの出演歴もある。とんねるずと同じ事務所であったため、とんねるずの妹分としてかわいがられていた。1966年、故郷・福岡の中学時代からの先輩と結婚し、福岡市内に在住。二人の男児をもうけ現在は芸能活動から事実上引退している。私はずっと石田ゆりこに似ていると思っていた。
                                           

 「そういえばそんな名前のアイドルがいたな?」とか、例え名前と顔は覚えていなくても、「どこかで聞いたことがある曲だな」とか記憶の片隅にあるのではないだろうか。今は便利な世の中で、そういった記憶を取り戻してくれるメディアがビデオだったり、今回リンクして紹介している「You Tube」だ。こんなにも手軽で簡単に30年も前の映像を楽しめるなんて・・・。科学技術の進歩には敬服するばかりである。おそらく、かつて自分が支持していたタレントやアイドル歌手を思い出して欲しくて、あるいは自分がファンだったことを誇示したくてアップするのだろう。そういえば何を隠そう私も森高千里の大ファンで、彼女が出ていた歌番組は欠かさず録画していた。確かに30年前の曲であってもすんなり歌詞が出てきたりして自分でも驚いた。覚えやすいメロディーラインだったし、曲自体が3分そこそこと短かったのも耳に残る大きな要因だったのだろう。さて、今日で5分の3が終了となったが、まだ20名が残っている。「何で私が好きだったアイドルが出て来ないんだ?」とお嘆きのあなた!まだあと2回記事が残っている。「明日こそは・・・」と期待して貰いたい。というわけで明日は「第4弾」として合計で10名をお送りする予定だ。

« 1980年代のB級アイドルたち Part2 | トップページ | 1980年代のB級アイドルたち Part4 »

芸能・アイドル」カテゴリの記事

福島県の天気


無料ブログはココログ