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2010年11月 9日 (火)

1980年代のB級アイドルたち Part2

 さて、今日は昨日の続きである。昨日10名の元アイドル歌手たちを紹介したところ、現在40代と思われる方々を中心に歴代1位となるアクセス数が殺到し、大変な反響があった。ミーハー根性と言われればそれまでだが、バブル時代に世間が沸き返り、何かにつけ色めきだっていた好景気にあって、可憐に、そして青春の魅力を爆発させていたティーンエイジの美少女アイドルたち。私達は彼女たちの一挙手一投足に目と心を奪われ、テレビに釘付けとなった(多少オーバーか?)ことを思い出す。80年代は「ぶりっこアイドル」の代名詞で、独特なヘアスタイルのブームの火付け役となった松田聖子を筆頭に、豊かな時代を象徴するかのように様々なアイドルたちが登場しては一時の繁栄とともに姿を消していった。私達は彼女たちの偶像を思い返すとき、自分の青春時代と重ね合わせ、当時の出来事や世相を懐かしむことが出来る。個人的に80年代は物資だけでなく心の豊かさを追求した時代だったように思う。自身も高校と大学時代にあたり、多感な時期に多彩なアイドルたちに出逢え、心ときめかせたことを今でも幸せに思っている。さぁ、今日は「Part2」と題し、昨日と同様に10名をピックアップして続編をお送りするが、果たしてあなたのお気に入りのアイドルは登場するだろうか?

11.宇沙美ゆかり

Usami  本名は金城ゆかり。1968年4月2日生まれ。元アイドル歌手、元女優。沖縄県浦添市出身。身長163cmで血液型はO型。地元沖縄で開催されたタレントオーディションで芸能事務所スカイコーポレーションにスカウトされ、芸能界入り。その後、井筒和幸監督映画「みゆき」の主演オーディションに合格し、その主演女優としてスクリーンデビューを果たす。本作により各種の映画賞を獲得する。1984年3月にはキャニオンレコードより「蒼い多感期」でアイドル歌手としてデビュー(その際のキャッチフレーズは「ときめきタイフーン」。なお、これはデビューシングルのB面のタイトルでもある)。また同曲はCM初出演の不二家「パフィ」に続く出演CMカネボウ「マイデイト」のCMソングとしても大量OAされた。その後、コンスタントにレコードをリリースしながら、1984年の「フジテレビ夏キャン・ガール」に選ばれ、同局放映の当時のアイドル女優の定番出演番組であった月曜ドラマランド「あ!Myみかん」では主演も務めた。また、フジテレビ系連続ドラマ「オレゴンから愛」の水泳部の学生役を務めた。1985年、フジテレビ系連続ドラマ「スケバン刑事」の主演に選ばれるが、同時期に松竹の奥山和由プロデューサーからの強いオファーにより映画「V.マドンナ大戦争」で主演を果たす。一方、「スケバン刑事」は映画と撮影時期が重なり降板することとなる。一見順調に見えた彼女の芸能界生活であったが、上記映画公開後、突然沖縄に帰郷。これがそのまま事実上の引退となる。この「引退」に関しては当時さまざまな憶測が流れたが、いまだに真相は謎のままとなっている。なお、帰郷後の一時期に地元でラジオDJとして活動していた時期がある。曲は他に「SHOCK!」、「ツライ・キライ・クライMAX」、「アルカリ少年(boy)」、「風のプリマドンナ」、「恋はDancing」など。

http://www.youtube.com/watch?v=5ILuugBh4_g&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=k3voeaCZq4k&feature=related  

12.渡辺典子

Watanabenoriko  1965年7月22日、大分県大分市出身の女優。 血液型A型、身長153cm。イイジマルーム所属。 彼女は角川映画の救世主と清楚な美人というイメージがある。1981年第6回ホリプロスカウトキャラバンの九州地区代表に選ばれ、決勝まで進出した(優勝者は堀ちえみ)。1982年4月、映画『伊賀忍法帖』のオーディションを兼ねた「角川映画大型新人女優募集」でも九州代表となり、応募総数57,480名から勝ち残った16名での本選(決勝)でグランプリを受賞し、芸能界デビュー。この時のオーディションで特別賞を受賞したのが原田知世である。薬師丸ひろ子、原田知世と共に「角川三人娘」と呼ばれた。歌手としても出演作の主題歌などを歌い、オリコンベスト10入りを果たす。「優等生役」が多かった薬師丸や原田に対し、可憐なお嬢様の外見とは大きく異なる『積み木くずし』の不良少女など汚れ役も演じた。役柄上、髪の毛を金髪に染めた為ショックで3日間泣いてしまったらしい。 2時間ドラマへの出演も多い。私生活では1995年にプロ野球選手西岡洋と結婚、1女をもうけるが1999年に離婚している。東宝映画「晴れ、ときどき殺人」や「いつか誰かが殺される」では主役を演じた。また、歌手としては「花の色」「晴れ、ときどき殺人」「いつか誰かが・・・」「カムイの剣」、「野ばらのレクイエム」、「火の鳥」の楽曲をリリースするなど映画の主題歌を歌うことが多かった。私は「♪花の色~移りにけりな~いたずらに人を~愛しては駄目~」という百人一首にある句をもじって歌詞にした「花の色」が大好きで、レコードを持っていた。

http://www.youtube.com/watch?v=o4DFL2-nXDc
http://www.youtube.com/watch?v=FFEtVo1AlHY&feature=related

Watanabenoriko_2

13.セイントフォー

 橋幸夫がかつてプロデュースしていた女性アイドルグループである。メンバーは岩間沙織、浜田範子、鈴木幸恵、板谷祐三子(いわお潤)だった。

Saint_four岩間沙織・・・1964年7月7日生まれ。血液型O型。神奈川県出身。バックダンス担当。イメージカラーは、緑。初代リーダー(グループ結成時からデビューまでの2年間を務めた)
浜田範子・・・1965年2月22日生まれ。血液型A型。埼玉県出身。リードボーカル担当。イメージカラーは、ピンク。
鈴木幸恵・・・1966年5月15日生まれ。血液型A型。神奈川県出身。リードボーカル担当。イメージカラーは、青。※二代目リーダー(デビューから解散まで務めた)
板谷祐三子・・・1968年3月5日生まれ。血液型A型。神奈川県出身。バックダンス担当。イメージカラーは、赤。1986年3月に脱退。
いわお潤・・・本名、岩男潤子。1970年2月18日生まれ。血液型AB型。大分県出身。
※板谷脱退後に加入したメンバー。

Saint4 1982年「あなたもスターに!」というプロダクションのダイレクトメールに応募して、約3万人の中から選ばれた4人。デビュー当初は板谷・浜田・鈴木・岩間(立ち位置順)で構成されたが、後に板谷に替わっていわお潤が加入した。曲間にバック宙をするなど、アクロバティックなパフォーマンスが話題になった。事務所の方針により、グループのマンネリ化を防ぐため結成から2年ごとにリーダーを変えていく方針だった。同時期にデビューした少女隊と同じようにプロモーションに40億円をかけたといわれ話題になったが、所属事務所の日芸とレコード会社リバスター音産との間で発生した契約上のトラブルに巻き込まれ、4枚目のシングルを出した後、新曲が発売できない状態が続き、デビューから2年2ヶ月後、本人たちの意思という形で解散した。主な曲は、「不思議Tokyoシンデレラ」 デビューシングル(オリコン最高35位)、「太陽を抱きしめろ」( オリコン最高15位)、「ハイッ!先生」、「ハートジャックWAR」( オリコン最高43位)など。解散後、浜田範子・鈴木幸恵はロック系ボーカルデュオ「ピンクジャガー」として再デビュー。解散後、浜田は濱田のり子としてセクシー系の女優として活躍。岩間沙織も現在は女優として活動している。いわお潤は本名の岩男潤子に芸名を戻して主に声優として活動、1990年代中期の女性アイドル声優ブームを代表する一人となり、現在でも声優、歌手として幅広い活躍を続けている。なお、メンバーの中では、板谷祐三子、浜田範子(濱田のり子)、岩間沙織(岩間さおり)が、それぞれソロでヌード写真集を発表した。売れなくなった芸能人が、当時は生き残りをかけてとる最終手段であった。
                                                                                                                                                                                                                                             
http://www.youtube.com/watch?v=1bq0SMA18Ag&feature=related                                            
                                                       

14.渡辺桂子

Watanabekeiko  1966年11月9日、大阪府生まれで1984年にデビューした元アイドル歌手。当時の本名は渡部桂子。血液型はA型。明治大学付属中野高等学校定時制卒。「スター誕生!」にてテレビに出ているところを、芸能事務所・ゴールデンミュージックプロモーションの社長にスカウトされ芸能界入り。また、同時期に大沢逸美が優勝したホリプロスカウトキャラバンで特別賞を受賞している。1984年3月に「お友達にしてくれませんか?」のキャッチフレーズでテイチクレコードより「H-i-r-o-s-h-i」でアイドル歌手としてデビュー。同曲で「ザ・ベストテン」の今秋のスポットライト、「ザ・トップテン」の話題曲など多くのテレビ番組に出演し、鳴り物入りのデビューであった。ポスト柏原芳恵(事務所の先輩でもある)、ポスト堀ちえみとも呼ばれた。やや岡田有希子に似た雰囲気を持っていた。その後、新人賞レースにも参戦し、多くの新人賞を受賞した。1985年、歌手として活動する傍ら、TBS系連続ドラマ「乳姉妹」に主演し、女優としても知名度をあげる。1986年4月に出演番組で知り合った日系二世の男性と逃避行気味に渡米・結婚し、突然引退。 しかし離婚して翌87年秋に本名の「渡部桂子」で芸能界に復帰。といっても男性誌(GORO・週刊プレイボーイ・平凡パンチなど)に写真集の宣伝としてヌードを披露した程度に留まる。同時期にビデオ3本を出した以外はこれといった芸能活動をせずに事実上の再引退、大阪に戻り再婚・出産したと言われている。他に「赤道直下型の誘惑」、「第Ⅱ少女期」、「グッバイ・ガール」、「恋人白書」、「真夏のレッスン」、「純情レジスタンス」など。
                                                                                                                                 
http://www.youtube.com/watch?v=12I3KtYnIBo&feature=related                                                        
                                
15.中山忍

Nakayamashinobu  1973年1月18日生まれの日本の女優、歌手、元アイドル。所属事務所はオフィスミューズ。女優の中山美穂は実姉。身長166cm。血液型はB型。亜細亜大学中退。日出女子学園高校では、同級生に岡本南、小林彩子などがいた。姉の美穂を家族と共に空港へ見送りに来ていた時にスタッフの目にとまり、これが芸能界に入るきっかけになった。1988年、テレビドラマ『オトコだろッ!』でデビューした。同時期にアイドルとして歌手活動も行っていた。歌手活動休止後は2時間ドラマを中心に連続ドラマ、舞台、CMなどで活躍している。1993年にに『ゴジラvsメカゴジラ』、1995年に『ガメラ大怪獣空中決戦』に出演したことで、ゴジラ映画とガメラ映画の双方に出演した初の女優となった。NHKの科学番組などへの出演も多い。各映画祭で助演女優賞を獲得した。なおヨコハマ映画祭、ブルーリボン賞では姉の中山美穂が主演女優賞を受賞しており、史上初の姉妹同時受賞となった。歌手の中山美穂に対して女優のイメージが強いが、アイドル時代には曲も出していた。代表作は「小さな決心」、「涙、止まれ!」、「負けないで、勇気」、「夏に恋するAWATENBO」、「駈けてきた処女(おとめ)」、「ロマンティック」など。私は彼女がブラウン管に登場した時からお気に入りだった。永遠のアイドル菊池桃子(同じB型)を彷彿させる天使のような雰囲気を持っていた。
                                                                                                                                                      
                                                                                                                                  
Nakayama_2
 
16.岩井小百合
 
Iwaisayuri  1968年8月10日は、女性アイドル歌手、タレント、女優。神奈川県相模原市出身。堀越高等学校東洋大学短期大学日本文学科卒業。小さい頃からのど自慢荒らしとして注目を集め、それがきっかけでユタカプロダクションにスカウトされる。10歳の頃映画「ガラスのうさぎ」に出演しまずは女優としてスクリーンデビュー。1983年1月に横浜銀蝿のマスコットガールとして、キングレコードより「ドリーム ドリーム ドリーム」でアイドル歌手としてデビュー。デビュー日のサンシャインシティの噴水広場で行なわれたデビュー曲発表会は1万人のファンが集まった。よって彼女をB級アイドル呼ばわりするのは大変気が引ける。ポニーテールがトレードマークで典型的な「アイドル」といった風貌だった。弱小事務所に所属していながらこの年の各種の新人賞を総なめにした。1983年9月には日本武道館でファーストコンサートを行った。15歳1ヶ月でのソロコンサートは日本武道館史上最年少記録となっている。同じくポニーテールにしていた武田久美子とは何かと比較され、歌番組でも共演することが多かった。デビュー2年目、トレードマークのポニーテールをばっさり切り、パーマをかけ、ショートカットにした。1987年ミュージカル「少公女セーラ」に主演する。その後、ワイドショーのレポーター、アニメの声優、パチンコアイドルなどで多方面で活躍する。 また、ライブの開催やピアノのインストゥルメンタルCDアルバム「LOVE LETTER」を発表するなど、音楽活動にも力をいれる。2003年9月に医師と結婚。2004年6月には女児を出産した。 2005年2月、初台DOORSのライブ会場でアメリカへ語学留学をすることを発表し活動を休止する。2005年4月、音楽・語学留学の為家族でアメリカ・ヒューストンに移住する。2005年12月、アイドル歌手時代の全音源を収録した『岩井小百合DREAMBOX 』が発売される。2007年には第2子となる男児を出産。2008年5月、留学を終え帰国した。主なシングル曲は『ドリームドリームドリーム』、『ドキドキHeartのバースディ・パーティ』、『いちごの片想い』、『恋◇あなた◇し・だ・い ! 』、『水色のラブレター』、『早春メモリー』、『パラレルガール』 『そっとさよなら』、『恋のアメリカン★パトロール』、『とまどい』、『涙のシルエット』、『涙に天使』など。血液型はA型。
                                       
                                                      

17.網浜直子

Amihama 1968年8月12日生まれ の しし座 で兵庫出身、血液型はO型。本名・秦 直子(はた なおこ 旧姓・網浜)。夫はタレントの三四六。1984年にミスセブンティーンコンテストで18万325人の応募者の中から選ばれ、松本典子とダブルでグランプリを獲得。翌年デビューとなる映画『バローギャング・BC』で人気のシブがき隊と共演。以降、映画『ビーバップ・ハイスクール高校与太郎完結編』『仁義なき野望』、ドラマ『愛という名のもとに』、『温泉へ行こう』、『同級生』、『ママまっしぐら!』など数多くの作品に出演。1985年には『竹下涙話』で歌手としてもデビュー。同期の中山美穂、森下恵理、斉藤さおりとは親友だった。今でも仲はいいらしい。日本青年館でのファーストコンサートでは、当時親友のダンプ松本、中山美穂も花束をもって祝いに駆けつけた。出演CMカゴメ「IMO」のCMソング「シリアス」、夏・体験物語挿入歌の「ホットサマーナイト」など続々リリースし、また、1987年コーセー化粧品「ソニア」のCMソング、コーセー1987年キャンペンガールもつとめた。ものまねバトル大賞での共演がきっかけで1998年にタレントの松山三四郎と結婚。2001年5月に男児を出産。現在は『愛の劇場』を中心に女優業で活躍している。二児の母でもある。

http://www.youtube.com/watch?v=s09TUUPLA0c&feature=related

18.岡本舞子

Okamotomaiko  1970年9月3日生まれの東京都出身の女優、アイドル。フロムスクラッチ所属。血液型O型。平尾昌晃ミュージックスクール東京本校出身。子役として芸能界入りし、西城秀樹が司会を勤めた土曜日朝の情報番組「モーニングサラダ」から、「サイニーサイド7」、「うるとら7:00(セブンオクロック)」へ続く一連シリーズのマスコットを勤める。また、テレビアニメ「魔法の妖精ペルシャ」のテーマ曲「見知らぬ国のトリッパー」を歌うほか、声優としてもゲストで出演した。1985年4月に、ビクター音楽産業より「愛って林檎ですか」で正式にアイドルとしてレコードデビュー。同年「第4回メガロポリス歌謡祭」優秀新人エメラルド賞、「第16回日本歌謡大賞」新人賞を受賞した。その後はミュージカルへの出演等順調な芸能活動を続け、1987年には、松竹映画配給「舞妓物語」でスクリーンデビューを果たす。しかし、同年秋に引退。現在は、一児の母となっている。主なシングル曲は「愛って林檎ですか」、「ファンレター」、「11月のソフィア」、「臆病なヴィーナス」、「ナツオの恋人ナツコ」、「さよならペガサス」など。容姿は見るからにO型特有の顔の作りをしている。清楚なお嬢様風。小顔で色白。うしろゆびさされ組の高井麻巳子に似て、私にとって「直球ど真ん中ストライク」の存在だった。最近では南沢奈央や桜庭ななみっぽい感じ。

http://www.youtube.com/watch?v=5eOYn0dui5E&feature=related          

http://www.youtube.com/watch?v=qTbyYj395Vo&feature=related

http://www.youtube.com/watch?v=z-ay28bijm0&feature=related

http://www.youtube.com/watch?v=7fPVP5C6w1w&feature=related

Okamotomaiko_2

19.徳丸純子

Tokumaru  1968年6月26日生まれの大分県出身。日本のモデルであり、元アイドル歌手、元女優である。かに座で血液型はO型。明治大学付属中野高等学校定時制卒業。1983年のTDKコア主催の「金の椅子オーディション」で優勝し、1983年の3月に「聖・ファーストラブ」でアイドル歌手としてデビューする。ハウス「フルーチェ」のCM出演で顔を売り、各種新人賞にも参戦した。1985年以降、俳優業に移行し、数多くのドラマに出演した。一時は、「東京乾電池」の劇団員として、舞台にも多く出演していた。数年前からはモデル事務所に所属し、モデル専業としてCM中心に活動している。現在は、シアトル在住である。主なアイドル時代のレコードは「聖・ファーストラブ」、「PICA-PICA」、「恋はシーソーゲーム」、「蒼いサスペンス」、「哀の心話」など。デビュー同期は桑田靖子、THE GOOD-BYE、伊藤麻衣子、岩井小百合、松本明子、小出広美、原真祐美、大沢逸美、森尾由美、木元ゆうこなどで地味な83年デビュー組とも言われていた。

http://www.youtube.com/watch?v=VxFG-4cjlCo
http://www.youtube.com/watch?v=ECH48EOxhcw&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=f9wQwjlya_s&feature=related

20.スターボー

Starbow  1982年から1984年にかけて活動した女性3人組アイドルグループ。所属事務所は研音、所属レコード会社はポリドール。スターボーとは星の虹(レインボーからの造語)という意味で「星の架け橋」という意味が込められているとされている。グループ名の命名者は細野晴臣。1982年7月、「ハートブレイク太陽族」)でデビュー。当初の名義は宇宙三銃士スターボー。太陽系第10惑星「スターボー」から脱出し、地球に「A・I(愛)」を伝えるためにやってきた性別不明の3人組アイドルという設定の下売り出された。衣装は三銃士を意識した宇宙的なコスチューム、髪型も刈上げのテクノカット、また態度も無表情・無口と、徹底して性別不明で非人間的なイメージを演出して活動していた。 。デビュー当初、メンバーはそれぞれナガト、イマト、ヤエトと称していたが、全員の名前の語尾に「ト」が入るのは「男らしくするため」という理由があった。デビュー曲「ハートブレイク太陽族」もそのイメージ戦略は徹底しており、作曲者の細野が所属していたYMO色の強いテクノポップやニュー・ウェイヴ的なサウンドに、男目線で書かれた命令口調の歌詞のラブソングで、「なっちまう」の印象的なリフレインでよく知られている。またメンバーの歌唱法も意図的にドスの利いた野太い声で歌われ、男らしさをさらに際立たせていた。しかし、「ハートブレイク太陽族」のレコード売り上げが7千枚(オリコン最高98位)と商業的に失敗に終わったことから一転、大幅なイメージチェンジ・路線変更を行い、1983発売のシングル「たんぽぽ畑でつかまえて」以降はキャンディーズを意識した普通の女性アイドルグループになった。メンバーも当時流行したいわゆる「聖子ちゃんカット」にフリフリの衣装となり、名前もナミ、ナギ、メグと変えた。その後、同年に唯一のアルバムとなる『STARBOW 1』をリリース。翌1984年にリリースされたシングル「サマー・ラブ」を最後に活動を終えた。3人の現況は不明。事務所の勝手な方針でキャラを作り上げられただけでなく、その興行失敗によって人生を翻弄された3人組ユニットとなってしまった。シングルカットされたのは3曲のみで「ハートブレイク太陽族」(1982年)、「たんぽぽ畑でつかまえて」(1983年)、「サマー・ラブ」(1984年)

http://www.youtube.com/watch?v=0Kh6F6jlDuY
http://www.youtube.com/watch?v=gp4OLF_WN20&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=a1hYXxv5dD0&feature=related

 さて、第二弾の10名のアイドルたち、如何でしたか?よく芸能界は、タレントが成功するか否かはタレント本人の個性もさることながら事務所の力が大きいと言われている。せっかく掘り当てた金の卵を成功へ導けるかどうかは、そのタレントをどういうコンセプトで売り出すか、そのイメージ作りが何より大事で、その所属事務所とレコード会社のキャンペーン(戦略)によるところが大きい。「スターボー」は最初の「作り」が失敗に終わり、慌ててイメチェンを図った急を凌いだ典型だ。無理に作ったキャラは長持ちしないし絶対失敗する。やはりそのタレントの本質を見抜き、自然体で売り出すのが一番良いようだ。もちろん今日、私が取り上げたアイドルたちは、私が勝手な判断でB級などと命名して、大変失礼なことではあるが、決して彼女たちはマイナーではなく、一時期は歌番組やバラエティ番組に度々登場している売れっ子だったことに違いはない。ただ、ブームを巻き起こしたり、オリコンやベストテン番組の上位に入るようなアイドルではなかったというだけの話。もちろん、彼女たちひとりひとりが持ち味や個性を発揮し、ある一定のステータスを築き上げた上に、人気を博していたことに変わりはない。要は視聴者からすると、豊かな時代にあって、取捨選択が出来ていたわけで、自分の好みでお気に入りを指名できる状態にあったということになる。何とも贅沢で良い時代だったとつくづく思う。まだまだこれで5分の2。明日も10人のアイドルを取り上げ、一緒にお宝映像を楽しみながら昔を回顧したいと思う。どうぞご期待ください。

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