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2011年1月28日 (金)

坂井泉水 FOREVER

 1990年代、その女性は日本のポップス界において最も光彩を放ち、輝いていた。彼女が出すシングルやアルバム曲は、毎週ヒットチャートの上位を独占。テレビアニメの主題歌に幾度となく起用され、誰もが口ずさめるシンプルでアップテンポでリズミカルなメロディーライン。しかし、神は無慈悲にも彼女に永遠の輝きを与えることはなく、試練を授けた。傍目には順風満帆の歌手人生に見えていたが、いつしか忍び寄る病魔に蝕まれ、あのような非業の死を遂げるとは思いもしなかっただろう。いやそれともそれも承知の上での覚悟の事だったのだろうか・・・。

 生前、彼女のデビューは秘密のベールに包まれていた。覆面歌手(ユニット)として、公の場に姿を見せることを頑なに拒むかのような身の置き方であった。まるで正体不明で、一時「彼女はこの世に実在しないのではないか」との憶測も飛び交うほどであった。デビュー当時の松山千春を彷彿させる、そんな不思議な存在だった。一体どんな人が歌っているのだろうと興味津々だった。
 独特な鼻にかかった甘ったるい声質。それでいて艶やかで伸びのある美声。初めて彼女の姿を見た時、私は言いしれぬ衝撃と感動を覚えた。「何て美しい女性なのだろう」と。ピュアな印象と透明感を醸し、現代の若い人には珍しいくらい独特な落ち着き。そしていつも伏し目がちで少し影を感じさせる妖しい雰囲気の持ち主。何もかもが魅惑的で神秘的。
 彼女はデビュー前、様々な職業をこなしていた。レースクイーンやモデル、カラオケのPV出演、そして時には、その美形な顔立ちとスタイリッシュな体型を活かしてイメージビデオにも出演した。しかしそれは自らの身を立てる為の手段で、内心は歌手になることを捨て切れなかったということで、何も引け目を感じることではないし、ファンへの裏切り行為でも何でもない。
 しかしながら、もしかすると、彼女の中でそうした過去を包み隠そうとしてテレビ出演を拒み、CDリリースのみで自分の感性を発表する場と考え、そのようなデビュー形態を確立しようと模索していたのかも知れない。そして彼女の雰囲気の中にある、そうした「影」の部分を自然のうちに作り出していたのかもしれない。彼女のCDジャケットやZARDのボーカルとして撮影された画像は、殆どがカメラ目線はなく、素顔を見せることを避けているかのように伏し目がちかあるいは遠目に撮影したものばかりである。ファンならずともここで言う「彼女とは誰なのか」もうおわかりだろう。そう、彼女とはポップス系ユニット「ZARD」のボーカルだった「坂井泉水」である。

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 彼女の歌声は1990年代、世の中を席巻し、テレビ、ラジオ、CDショップなどでは毎日のようにBGM替わりに流されていた。リリースする曲がすべてメガヒット。私は8cmCDの時代から、ずっとZARDのシングルを所有していた。
 デビュー曲の「Good-bye My Loneliness」から遺作となった「グロリアスマインド」まで。シングルは実に45枚発表された。オリコン調べによる(2009年6月現在)ランキングによると、アーティスト・トータル・セールス(CD総売上枚数)は3,743万枚で歴代7位の記録。シングル:1,768万枚(女性ボーカルアーティスト歴代2位) 、アルバム:1,971万枚(女性ボーカルアーティスト歴代4位) 、シングルTOP10獲得数:43作(歴代5位タイ)(女性ボーカルアーティスト歴代2位)、 90年代アーティスト・トータル・セールス:3位(女性ボーカルアーティスト1位) 、シングル1位獲得数:12作(女性ボーカルアーティスト歴代4位) 、シングルTOP100チャートイン数:45作(90年代デビューアーティスト歴代2位)、アルバムミリオン獲得数:9作(歴代4位タイ)、アルバム連続ミリオン獲得数:9作(歴代1位)、アルバム1位獲得数:11作(女性ボーカルグループ1位タイ)という実に輝かしい記録である。

 <私の好きなZARDの曲ベスト20>

 1位 「揺れる想い」・・・1993年5月19日発売 最高位1位
 2位 「マイフレンド」・・・1996年1月8日発売 最高位1位
 3位 「永遠」・・・1997年8月20日発売発売 最高位1位
 4位 「負けないで」・・・1993年1月27日発売 最高位1位
 5位 「心を開いて」・・・1996年5月6日発売 最高位1位
 6位 「君に逢いたくなったら」・・・1997年2月26日発売 最高位2位
 7位 「きっと忘れない」・・・1993年11月3日発売 最高位1位
 8位 「この愛に泳ぎ疲れても」・・・1994年2月2日発売 最高位1位
 9位 「風が通り抜ける町へ」・・・1997年7月2日発売 最高位3位
10位 「愛が見えない」・・・1995年6月5日発売 最高位2位
11位 「こんなにそばに居るのに」・・・1994年8月6日発売 最高位1位
12位 「Good-bye My Loneliness」・・・1991年2月10日発売 最高位9位
13位 「眠れない夜を抱いて」・・・1992年8月5日発売 最高位8位 
14位 「君がいない」・・・1993年4月21日発売 最高位2位
15位 「運命のルーレット廻して」・・・1998年9月17日発売 最高位1位
16位 「息もできない」・・・1998年9月17日発売 最高位3位
17位 「瞳閉じて」・・・2003年7月9日発売 最高位4位
18位 「もう少しあと少し」・・・1993年9月4日発売 最高位2位
19位 「あなたを感じていたい」・・・1994年12月24日発売 最高位2位
20位 「痛いくらい君があふれているよ」・・・1999年10月14日発売 最高位5位
次点  「この涙  星になれ」・・・1999年12月1日発売 最高位5位

  シングル曲ではないが、「Oh my love」も大好きな曲だった。

 タイトルを見ると、彼女はまるで自らの死期を悟り、悲しい別れを暗示しているかのような意味深なネーミングばかりである。タイトルを知らなくても、そのサビの部分やメロディラインの一部を聴いただけでも一度は聞き覚えのある曲ばかりに違いない。

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 デビュー前から彼女がスターダムにのし上がるまでの経歴をここで簡単に振り返ってみたい。彼女は1967年2月6日神奈川県平塚市生まれ。秦野市育ち(小学校4年より)。本名は蒲池幸子。血液型はA型。秦野市立西小学校、秦野市立西中学校、神奈川県立伊志田高等学校卒業。中学時代は陸上部で活動をする傍ら、ギタークラブでも活動していた。
 高校時代は硬式テニス部に所属。松蔭女子短期大学を卒業後、不動産会社にOLとして約2年間勤務した。しかし、転機が訪れた。街頭でスカウトされ、スターダストプロモーションに所属し、本名「蒲池幸子」でモデル活動を行う。モデル時代の公式プロフィールは1969年生まれとなっていた。この時期、セミヌード写真集「nocturne」を出している。
 1989年(22歳) からドラマや人気歌手のPV、更にはバラエティ番組のアシスタントなどに多数出演する。東映カラオケのPR活動などで地方のカラオケ店を巡業する。この企画はZARDでの歌手デビュー後の1991年3月まで続いた。日本エアシステムのフルロードキャンペーンのキャンペーンガール。
 1990年(23歳)の時には、日清カップヌードルレーシングチーム(2輪)のレースクイーン。岡本夏生は同期。 6月、写真集『Body Works』出版。 6月21日、ビデオ『SEXY SHOOTING』(サザンクロスビデオアーツ)発売。7月24日、写真集『NOCTURNE出版。モデルやグラビアアイドルとして順調に仕事をこなしていた。 冬にはフジテレビ系番組『オールナイトフジ』のグラビア美少女のコーナーに出演。
 その他、雑誌グラビアに多数掲載される。これらは華やかで決して下積みとは呼べないが、彼女がひた隠しにしたかった過去だったのかもしれない。そしてまたまた一大転機が訪れた。
 1990年8月に所属の「スターダストプロモーション」の代表取締役、細野義朗にビーイング社長、長戸大幸を紹介されオーディションを受ける。長戸に才能を認められ、坂井泉水として音楽ユニット「ZARD」結成の準備に入る。そして念願だった歌手デビューを1991年(24歳)で果たすこととなった。2月10日にシングル「Good-bye My Loneliness」でデビューし、 以降、音楽活動を続ける。それ以降の活躍については前述の通り。

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 「美人薄命」とは彼女のために用意された言葉なのかも知れない。運命の悪戯に翻弄され、天国と地獄の両方を味わい、人知れず病気と闘い、ひとり天国へと旅立っていった。ファンにあまりにも突然の悲しい訃報を残しただけで・・・。彼女は素顔を晒すことはあまりなかった。あれだけの美貌の持ち主ながら、結婚もせず、女性としての幸せを掴むことすら望まなかったように思える。ここから先の文面は、ややショッキングなため掲載するかどうか迷いに迷ったが、彼女が精一杯生き、人生を締め括るエピローグなので、やはり包み隠さずに全てを掲載したい。

Sakai11  2000年以降、子宮筋腫、卵巣のう腫、子宮内膜症と次々に病気を患い、通院の日々が続いた。その年のNHK紅白歌合戦を「体調がすぐれないため」として出場を辞退した。2006年4月、仕事中に体調が悪化したため、病院で検査をうけたところ子宮頸癌が発見される。6月1日に慶應義塾大学病院で病巣の摘出手術を受けて、7月に退院。 2007年年4月、肺への転移が見つかり、再入院。入院中は抗ガン剤による治療を受け、治療後のアルバム製作とコンサートツアーに向けて作詞を行うなど、再始動を目指していた。しかし、5月26日朝の5時40分頃、目撃者の証言によれば、入院先の病院内のスロープの手摺りに腰をかけていたのだが、そこから3メートル下に予期せぬ転落をして、駐車場で仰向けに倒れているのを通行人に発見される。ICUで緊急処置を受けたが、翌5月27日午後3時10分、後頭部強打による脳挫傷で急死し、還らぬ人となってしまった。倒れていたのが早朝6時前という時刻で、あまりにも不自然で不可解な突然死に、事件事故の両面から検証が行われたが、自殺とみられる兆候はなかったことから事故として処理された。これからという矢先の40歳という若さでの孤独な旅立ちであった。しかし真相は本人にしかわからない。闘病生活に疲れ、死を予感して、または先行きを不安視しての発作的に自ら落ちたのかも知れない。彼女の葬儀は青山葬儀所で、しめやかに親族だけの密葬として執り行われた。そして、レコード会社と所属事務所の合同音楽葬としてファンとのお別れ会が6月27日に青山斎場で開かれ、往年のヒット曲が会場に流れる中、四万人を越える大勢のZARDファンが詰めかけ、あまりにも唐突で早すぎる死を悼むと共に、彼女との永遠の別れを惜しんだ。

 彼女の衝撃的な死から早いもので3年以上の月日が流れた。私は未だに彼女がもう過去の人だという事実を受け止めきれないでいる。彼女のPVを見ると居た堪れない気持ちになる。今でも「名探偵コナン」のエンディングテーマに坂井泉水の声が鳴り響く時がある。私は毎日のように彼女のベスト盤CD(MD)を聞きながら、職場までの道のりを往復運転している。彼女の甘い歌声、時には「彼女が生涯をかけて伝えたかったことは何だったのか」という文字通り命題に至るまで深く考えさせられ、身につまされて感じることもしばしである。もう二度と生で歌う姿を見ることは叶わないが、彼女のあの愛らしい、そしてちょっと照れた素振りで歌う姿やスタイル、笑顔、そしてその美声を永遠に忘れはしない。
「坂井泉水、フォーエバー(永遠なれ)!」

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 「揺れる想い」 LIVEでは必ずオープニングで歌った私が一番好きな曲。

 最後に在りし日の彼女の歌声をどうぞ!

http://www.youtube.com/watch?v=lvYW1KDIPlI&feature=related

 「心を開いて」

 Oh my love

http://www.youtube.com/watch?v=dbqrY2vmSQ4&list=RD02OZEt21pk6pM

 「負けないで」の秘話

 

 関連記事(我が永遠なる歌姫)はコチラ↓

http://tsuri-ten.cocolog-nifty.com/blog/2010/02/post-abd8.html

 
 記事作成:1/27(木)

 追記(H25/10/28)

 坂井泉水さんのお墓参りの記事はコチラ ↓

http://tsuri-ten.cocolog-nifty.com/blog/2013/10/1022-6804.html

 坂井泉水さんの転落事故現場訪問の記事はコチラ ↓

http://tsuri-ten.cocolog-nifty.com/blog/2013/10/1023-1efb-1.html

 

 H26.7.15 一部記事を修正しました。

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コメント

初めてコメントします。
ZARDが大好きな20歳の社会人です。
僕も未だに彼女の死を受け止め切れていません。
毎日、通勤の時はZARDの曲を聞き、帰宅したらZARDのDVDを観ています。
坂井泉水さんの詩を通して、言葉の重み、大切さを学びました。

1ZARDファンとして、ZARDの記事は、とても嬉しいです。
これからも更新頑張ってください。

ークロさん、初めまして。コメントありがとうございます。若い世代の方がZARD(坂井泉水)を愛してくれて嬉しく思います。1990年代から2000年代にかけての私のマドンナでもあり、ヒロインでもありました。実は私も未だに彼女の事故死を信じられないし、今でも生きている気がしている一人です。あの美しい横顔も声も歌も大好きでした。時々通勤の車の中でCDを聴いています。
 彼女の墓参りに行きたいのですが、遺族の意向で場所は非公開になっていて、それも叶いません。どこかで彼女の歌に触れることで、彼女の遺した功績をいつまでも忘れないようにしていたいと思います。
 彼女に関係した記事が他にもありますので宜しければご覧下さい。

 「我が永遠なる歌姫」はコチラ↓

http://tsuri-ten.cocolog-nifty.com/blog/2010/02/post-abd8.html

 また、何かお気に入りの記事があればコメント頂ければ幸いです。(SUZU) 

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