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2011年2月 1日 (火)

引田天功の「世紀の大脱出」

 初代「引田天功」を覚えているだろうか。もちろんクレオパトラを彷彿させる風貌の「プリンセス天功」ではない。昭和40年代に彼は彗星の如くブラウン管に登場し、テレビの前の国民の視線を釘づけにし、そしてハラハラドキドキと興奮をさせまくった命知らずな人間だった。それは現代のイリュージョンとは程遠く、血生臭く、そして泥臭い「脱出劇」の数々だった。常に死と隣り合わせの恐怖と、立て続けに大爆発が襲ってくる中、数秒遅れれば爆死という壮絶で過酷な状況の中、脱出劇を完成させる、それは或る種「男の美学」さえ漂わせる超絶マジックショーであった。

 それは40代以上の方ならご存知の、「日本テレビ」系列で放送していた「木曜スペシャル」の番組内の企画だった。元祖どっきりカメラや超能力ブーム、はたまたUFOブームを巻き起こす火付け役となった例のスペシャル番組である。ゴールデンタイムの夜7時半から90分間、お茶の間を賑わしていた人気お化け番組で同局の看板番組でもあった。手品もさほどエンターテイメントとしての地位を確立していなかった時代に、テレビ番組として「命賭けのチャレンジ」をさせる大それたものはそれまで前例がなかった。水中や爆発など極限状態からの「脱出マジック」はわが国で類を見ないもので、彼がその先駆者だった。そして彼は「脱出王」の異名を欲しいままにしていた。

 「脱出」と軽々しく口にするが、実態はそんな生易しく簡単なものではなかった。彼が独自に考案したトリックを駆使し、実際に「成功するか失敗するか」は本人にすらわからないほどの一か八かの賭けだった。大量の爆薬と至近距離で向きあい、死の恐怖とも立ち向かい、そしてギリギリのシチュエーションの中で闘う。そして何より凄いのはその大がかりな仕掛けと装置類にあった。恐らく数千万円の費用をかけて製作したであろう脱出用の巨大特殊セットの数々であった。彼が命名した「死の水道管」や「油壺火炎地獄」を始め、時速90kmで疾走し、燃えさかるジェットコースターから命からがらの脱出を試みたり、高さ40mはあろうかという火炎塔から地上までの脱出など手に汗握る世紀のパフォーマンスに、国民は皆絶句し、不安な眼差しで見守っていたものだった。何が彼をそんな危険極まりない衝動に駆り立てさせるのか?死ぬのが怖くないのか?さまざまな憶測を呼んだ。中には「箱に入ると見せかけて、実はヘリコプターで吊り上げられる前に別の脱出口からいち早く脱出を完了していて、前もって脱出用のカプセルにまんまと避難しているのではないか?」という噂や週刊誌などでは「番組の共演者(和田浩治・石川牧子アナ)やスタッフ一同が皆グルで、後から幾らでも映像を編集しているだけのヤラセやオトボケ演出をしているのではないか?」などと憶測が飛び交い、「引田天功の脱出劇はすべてインチキではないか?」とさえ囁かれたほどだった。これも今となっては真偽のほどは確かめようがない。

 彼はどの脱出でも、必ず手錠を嵌められ、木箱の中に閉じ込められる。そしてヘリコプターで天高く吊り上げられ、脱出元となる所定の位置まで辿り着くのだが、時限爆弾のタイマーはヘリコプターが地上を離れたと同時に作動し、カウントダウンを開始する。したがって爆破開始まで一刻を争う緊急事態である。スタッフの作業が遅れれば、それだけ脱出が遅れ、命の危機に曝される。そして時限発火装置によってダイナマイトなどの爆薬に引火させ、彼が乗り込んだ木箱もろとも木っ端微塵に破壊するのだが、毎回発火予定時刻より何故か早く爆破するのだ。そのことで予定と違う何かトラブルが起こったと思わせ、視聴者の不安感を煽るのだ。これも彼ならではの一流の演出であった。そして必ず、脱出先となる小屋などもまた猛火に包まれてしまい、最後は焼け落ちてしまう。余計に視聴者の不安を募らせるのだ。もちろん、不幸にして脱出に失敗し、丸焦げの死体で発見されるようなことになれば、当然放送など出来る筈もなく、あくまでショーマンシップの要素が強いことは事前に察知できるのだが、巧みな演出とナレーションについ騙され、固唾をのんで緊張しながら見てしまうのだった。

 ではここで、彼のプロフ紹介と共に、生涯に行った合計7度の大脱出の全貌を振り返ってみたい。

Hikitatenko  本名は疋田 功。1934年7月3日生まれ。出身は横浜市。日本大学の工学部卒業となっているが、学部の詳細は定かではない。生前、1968年から1975年までまで7回にわたって行われ、放送された「脱出イリュージョン」は、「死のジェットコースター大脱出」、「死の火煙塔大脱出」、「死の水道管大脱出」、「油地獄水面炎上大脱出」といった大それた内容で、従来のマジックからは考えられないほどのスケールの大きさで毎回高視聴率を記録し、日本中に脱出ブームを巻き起こした。脱出のアイディアは、彼の尊敬するハリー・フーディニの脱出劇にヒントを得たものであり、大規模な火薬をセッティングした大掛かりなパフォーマンスであった。彼はこれらの脱出を成功させるため、訓練中に瀕死のアクシデントを経験している。脱出の際の爆薬の威力は凄まじく、爆音と高熱と猛煙に相当悩まされたとも自身の著書に記している。そして彼は、脱出を手掛けるアクションスターの割には大柄であった。脱出イリュージョンで日本のマジック界をリードする存在であったが、中年期より心筋梗塞など重度の心臓疾患に苦しんだ。晩年は催眠術に取り組むなど体に負担をかけずかつ新鮮な芸にも挑戦しながら、ナイアガラ瀑布脱出など、新たな脱出イリュージョンを構想していた。しかし、自身の病状の進行等の諸事情から果たせず、1979年の大晦日に志半ばで早世。「引田天功は脱出マジックに失敗して命を落とした」とか「煙を吸い込んで、肺を痛めたのが早世につながった」という噂もあったが、公式の死因発表は心臓病死である。彼の死後、事務所の後輩だった若手タレント朝風まりが彼の遺志を引き継ぎ、二代目・引田天功を襲名、プリンセス・テンコーの別名で活躍しているのは衆知の通りである。

 次に「You Tube」にアップされている映像(ダイジェスト版と実際のテレビの脱出映像を3つ)紹介したい。

 1.ダイジェスト

 2.「死のジェットコースター大脱出」(昭和48年3月)

 http://www.youtube.com/watch?v=ZiBnrpF4fu0&feature=related

 http://www.youtube.com/watch?v=ki6SLU6NERU&feature=related

 http://www.youtube.com/watch?v=57O0sa95kaE&feature=related

 3.「死の火煙塔大脱出」(昭和50年4月)

 http://www.youtube.com/watch?v=s_HiSlNWoo8&feature=related

 http://www.youtube.com/watch?v=hCaocwrFxh4&feature=related

 http://www.youtube.com/watch?v=IJlG73szPxI&feature=related

 4.「油地獄水面炎上大脱出」(昭和50年10月)

 http://www.youtube.com/watch?v=vB6KmuqANgU&feature=related

 http://www.youtube.com/watch?v=yPUxL1DhZ0U&feature=related

 この油壺の脱出については、彼の死後、今から25年ほど前に彼がどのようにしてこの脱出を成功させたか、事細かに検証する番組を放送した。福留功男アナのナレーションで、いかに緻密に仕組んだ計画だったかを逐一解説して行った。私は当時VHSビデオに録画し、繰り返し何度も見て、彼の天才ぶりを賞賛した覚えがある。また、初期の「死の水道管大脱出」については映像がないので、こちらのHPをどうぞ!

 http://homepage3.nifty.com/arb/subpage4-03.htm  

 ところで、オランダにも彼に負けずとも劣らない今は亡き、名スタントマンがいた。彼の名はアラン・バンクス。彼は命知らずな冒険野郎としてアメリカ中にその名を轟かせる一流のスタントマンだった。ところが、自分で発案・設計して挑んだカースタントで、彼は帰らぬ人となった。それは1987年、縦に3台並んで置かれたバスに向かって猛スピードで車を走らせ、体当たりして車体をぶち破り、向こう側に着地して無事に生還するというものだった。しかし、炎の中に突っ込んだ瞬間、ほんの一瞬体を助手席側に倒れ込むのが遅れ、そのまま首が吹っ飛び、即死してしまうという悲劇に見舞われてしまった。一瞬で騒然となり、番組スタッフや助手たちは頭を抱えてその場にひれ伏した。そのVTRを15年くらい前に見て、私もショックを受けた記憶がある。常に命の危険と隣り合わせのスタントや脱出マジック。ほんの一瞬の誤差や手違いが生死を分ける典型例となってしまった。(下の映像はその時のものだが、心臓の弱い方はご遠慮ください)

 http://www.youtube.com/watch?v=Eb17i0eSTLg&feature=related

 ところで、引田天功は既に30年以上も前にこの世を去った。彼の最期は無念にもスタントや脱出マジック中ではなく、長年患ってきた病気によるものだった。死因は心臓に持病を抱えていたため、その発作となっているが、恐らくはそうした過激な脱出の連続により、緊張や心肺機能へ相当の負荷をかけていたからに相違あるまい。日本の脱出王は自らの死によって、永遠に私達の記憶の中に眠る「伝説」となってしまったのである。享年45歳。合掌。

 記事作成:1/30(日)

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