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2011年2月19日 (土)

大ブレイクの手前で終わったスター達

 いきなり失礼なタイトルだが、芸能界は「虎の穴」の掟よりも厳しい世界で、流行り廃りが激しく、一年後には芸能界にはいないということも現実的にあるかもしれない。有名な俳優や歌手であっても、一体いつ引退したのかわからないような方々は大勢いる。例を挙げればキリがないが、渋谷哲平、伊藤政則、竹本孝之、長江健次、木村一八、新田純一、真木蔵人、加藤晴彦、ケインコスギ、根津甚八、二谷英明、露口茂、松尾嘉代、中島ゆたか、宇都宮雅代、結城しのぶ、篠ヒロ子、伊藤さやか、中原めいこ、生田悦子、斎藤ゆう子、細川ふみえ、斎藤友子、木村理恵、山本みどり、吉川十和子、東てる美、夏純子、佳那晃子、木内みどり、三浦リカ、竹井みどり、竹田かほり、山口美江、兵藤ゆき、篠原ともえなどは一時期、飛ぶ鳥を落とすような勢いで随分とテレビやドラマに出ずっぱりだった。それが知らないうちに、すっかりご無沙汰かあるいは登場回数がめっきり減ってしまっているように思える。
 また、残念なことに、堀江しのぶ、岡田由希子、可愛かずみ、飯島愛や早乙女愛、清水由貴子、古尾谷雅人、高橋良明、沖田浩之、尾崎豊など、若くして亡くなってしまった人達もいる。彼等・彼女たちは一時期であっても、トップスターとして輝いたからまだいいほうで、下積みだけで一花も咲かさず、蕾のまま散ってしまったスター達も数知れずいる。今回は華々しいデビューを飾りながら、一時のブームで去ってしまった歌手やグループを紹介したい。ファンだった方には申し訳ないが、憤慨したり、気を悪くしないで読んで頂きたい。なお、リンクした動画映像は、予告無く削除されている場合があります。ご了承ください。

 「コスミック・インベンション」

 日曜夜6時放送のNHKの「レッツゴーヤング」に出演して話題になった近未来感覚のバンドだった。シンセサイザーのキーボードや電子ドラムなどを駆使し、アップテンポの軽快なテクノ調の演奏を繰り広げ、一時期は日の出の勢いだった。そして特筆すべきはメンバー全員が中学生だったこと。新しい音楽の到来を予感させ、私はとても期待していたが、YMOの二番煎じ的な扱いで、結局2~3曲で終わってしまった。中学生なのに卓越した演奏技術を持っていて、実にもったいなかった。女性のドラマー(森岡みま)がボーカルという珍しいスタイルで、かなりハードな“弾き語り”を披露していた。メンバーの6人は以下の通り。

Cosmic_invention1 Cosmic_invention2

 ・森岡みま(カッパ)(1967年生まれ):ボーカル・ドラム
 ・井上能征(ビーバー)(1966年生まれ):トップキーボード
 ・佐藤克巳(オウマシャン)(1965年生まれ):セカンドキーボード
 ・橋本かんな(カンナ)(1966年生まれ):ベースキーボード
 ・安藤聖己(イヤミちゃん)(1967年生まれ):ストリングス・オーケストラ 元メンバーで、1981年に脱退した。

 代表曲
 ・YAKIMOKI:1981年3月に発売されたレコードデビュー曲。
 ・コンピューターおばあちゃん:NHKの「みんなのうた」で著名な曲。「あなたのメロディー年間優秀作品コンテスト」でオリジナル版を歌っている。
 ・ひこうき雲:後に志賀真理子によってカバーされた。

 アイドル夢工場

 夕やけニャンニャンのひと夏のイベント「夢工場’87」から誕生したおニャン子クラブの妹分としてデビューしたのだが、衣裳もメンバーも楽曲(アドベンチャードリーム)も良かったのに、何故かパッとしないまま一曲で終わってしまった。当時は「夜のヒットスタジオ」に出演するなど破竹の勢いがあった。7人組のアイドルグループ構成で、メンバーはいずれも1987年のミスマガジンの準グランプリ、各賞入賞者から成っている。可愛らしさは皆折り紙つきのアイドルだったのだが・・・。特に解散宣言があったわけではなく、2曲目の発売が無かったため(期間限定ユニットであったためと言われている。)自然消滅した。こちらも実に勿体ないアイドルグループだった。メンバーは以下の通り。

Idol_yumekojo Idol_yumekojo2

 ・仲地さより・・・第6回ミスマガジン準グランプリ
 ・太田千秋
 ・桜川佳世・・・1986年8月10日に行われた「ミス・セブンティーンコンテスト」で「夕やけニャンニャン賞」を受賞した。
 ・時田成美・・・女優として『赤いシュート』や『青春オーロラ・スピンスワンの涙』など、いくつかのドラマや映画に出演している。
 ・村岡英美
 ・安原万里子
 ・渡辺恵

http://www.youtube.com/watch?v=17HWTtgZzMA

 中原理恵

 デビュー当時は宝塚の男役を彷彿させるようなショートヘアーでムード歌謡風の黒いイブニングドレスに身を包み、1978年に大ヒット曲「東京ららばい」を引っ提げて颯爽とブラウン管に登場した。年末には、第20回日本レコード大賞新人賞など数々の新人賞を受賞し、第29回NHK紅白歌合戦にも「東京ららばい」で出場。第二弾「ディスコ・レディー」も大ヒットとなり、歌手として華々しいスタートを切る。曲調に合わせて、落ち着いた年齢という印象を与えたかったのか、女性にしては珍しい2歳年上に鯖読んでいた。彼女は特異な才能の持ち主で、バイタリティに満ちていて芸人としての資質も備えていた。それが萩本欽一のフォローもあって、月曜日の21時放送「欽ドン!よい子悪い子普通の子」(1981ー1982年)のお母さん役で開花し、その中のコーナー「良い妻悪い妻普通の妻」を一人で演じきるなど数々のアドリブで笑いをとり、お茶の間の人気者となった。彼女のプロフは、1958年6月17日生まれ。現在52歳。出身は北海道函館市。遺愛女子高校卒業。身長160cmのスレンダー美人だった。血液型はO型。

Nakahararie Nakahararie2

 今回の主旨とは外れるが、彼女は十分メジャーだった。でも活動時期が思いの外短かったということで、今回は掲載させて頂いた。それでは「東京ららばい」を動画でどうぞ!

  BaBe(ベイブ)

 BaBe(ベイブ)は、1980年代後半に活躍した日本の女性デュオ、タレントである。所属 事務所はエスワンカンパニー。 1987年、流行だったユーロビートのカバー曲「Give Me Up」でデビュー。ダンスを踊りながら歌うスタイルで、色白で奔放な性格の近藤と、色黒でしっとりと淑やかな性格の二階堂というキャラクターの組み合わせであった。洋楽のカバーを多数リリースしてヒットしたことでも知られたが、1990年には解散。表記は "BaBe" が正しく、"Babe"、"BABE" は誤り。(以上 Wikipediaより)。私は洋楽のカバーばかりだったのであまり好きではなかったが、兄貴がファンで、今は無き8cmCDを数枚所有していた。メンバーは・・・
近藤智子(こんどう ともこ、1968年2月17日- )東京都狛江市出身 愛称「こんちゃん」
二階堂ゆかり(にかいどう ゆかり、1967年8月29日- )東京都武蔵野市出身 愛称「にかちゃん」

Babe1 Babe2

 1987年、「I Don't Know !」で、第29回日本レコード大賞新人賞、第14回FNS歌謡祭最優秀新人賞、銀座音楽祭最優秀新人賞、全日本歌謡音楽祭新人奨励賞、輝け! 第18回日本歌謡大賞放送音楽新人賞を獲得。しかし、1990年に二階堂の妊娠・結婚によって解散となった。BaBeは一時期、破竹の勢いでCDの売上も順調だったが、コンビ解散によって2年程度の活動で幕引きを迎えてしまった。1990年代のダンスブームの前に、これほどのパフォーマンスを見せていた希少価値が高いユニットだった。

 ひかる一平

Hikaruippei  本名は谷口 一郎、私と同い年の1964年5月生まれ。東京都大田区大森出身の俳優である。元々は、ジャニーズ事務所に所属した男性アイドル・歌手であった。その後「サードプロデュース」を経て、「クロスポイント」に所属。堀越高校卒業。身長172cm、血液型は見るからにO型。姉がジャニーズ事務所に一平の履歴書を送ったことで芸能界入り。事務所の社長・ジャニー喜多川から、本名が地味だという理由で“ひかる一平”と命名される。1980年、高等学校1年生の時に、テレビドラマ『3年B組金八先生(第二シリーズ)』ので俳優デビュー。1981年5月に「青空オンリー・ユー」で歌手デビュー。以降、1980年代前半はアイドル歌手として活動した。1981年、「第8回FNS歌謡祭」最優秀新人賞候補にノミネートされた(受賞したのは同じ事務所の近藤真彦)。私が彼に関しての印象に残る出来事は、ラジオであった。夜23時過ぎからの「ひかる一平の恋のサインはSHE-SAYS-DO!」 (シー・セイ・ドゥー、1981年4月 - 1982年3月、ニッポン放送)であった。よく聴いたものだった。資生堂の単独提供。この番組が縁で同社の「シャワーコロン」のCMに出演することになった。ファンには悪いが、一時期女性ファンを中心に盛り上がったが、そのブームが長くは続かなかったという点で掲載したことをお断りしておきたい。あまり「You Tube」にはこれといった映像が残されていない。

 LAZY(レイジー)

 このバンドも熱狂的な女性ファンを生みだした。しかし、現在はメンバー5人中、2名が亡くなっている。

 ボーカル:Michell(景山浩宣) 再結成後はアコースティック・ギターも担当。血液型A。
 ギター:Suzy(高崎晃)血液型はA型。
 ベース:Funny(田中宏幸)2006年、急性心不全のため46歳で逝去。血液型はO型。
 キーボード:Pocky(井上俊次)
 ドラムス:Davy(樋口宗孝)2008年、肝細胞ガンのため49歳で逝去。血液型はA型。

Lazy

 1977年6月、デビューのため大阪から上京。7月、デビューシングル『Hey! I Love You!』を発売。本来はハードロック志向のバンドだったにもかかわらず、制作サイドの意向により「ベイ・シティ・ローラーズ」のようなイメージを要求されることになり、ニックネームとお揃いのコスチュームを与えられた。この方針はメンバーを困惑させることになった。しかし、「売れれば好きなハードロックができる」との説得を受け、これに応じることになる。景山は後に「生き残るということを考えれば(アイドル路線は)妥当なものだったと今なら思えるが、当時はショックの方が大きかった」と語っている。1978年、3rdシングル『赤頭巾ちゃん御用心』がオリコン32位にランクインし、レイジーの名を一躍有名にする。しかし、自分たちが望まない路線でのヒットはメンバーの複雑な思いをさらに強くするものであった。彼等は「やりたい音楽」と「求められる音楽」のギャップを感じ続けていた。1980年7月から始まったツアー「DOMESTIC TOUR IN SUMMER」で「ヘヴィー・メタル宣言」が行われた。これは彼等が「本当にやりたい音楽」をやるための、宣戦布告とも呼べるものだった。

 さて、懐かしい方々も登場したかもしれない。タイトルがちょっと過激で「彼(彼女)はどうみてもメジャーだっただろう」と憤慨されている方も大勢いることだろう。その辺は個人の主観の問題なのでご容赦願いたい。しかしながら、「人間って怖い」と思うのは、一時のブームで持ち上げられて持て囃されるのはいいのだが、それが1年も続くと飽きられ、見向きもされなくなる点だ。ついこの前まで若手漫才ブームがあったのに、人気に翳りが見え出すと「エンタの神様」や「レッドカーペット」などその手の放送が打ち切りとなってしまう。世知辛い世の中だ。したがって、現在ブレイクしている「渡辺陽一」や「楽しんご」、ちょっと前に中高年のアイドルとして祀り立て上げられ、3~4年ぶりに再ブレイクした「綾小路きみまろ」も、いずれは「過去の人」になってしまうのかも知れない。されど、いずれの場合も、一時期「飛ぶ鳥を落とす勢い」でスターダムにのし上がることを夢見て活躍していたことは間違いない事実だ。私達はトップスターにはなれなかったものの、その時代のスターとして私達の記憶の中にしっかりと刻み込まれていくことだろう。

 記事作成:2/18(金)

 追記

 当記事をご覧いただいた方から、「表現に不快を与える不適切な部分がある」とのご指摘をいただきましたので、一部訂正させて頂きました。

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