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2011年2月24日 (木)

華麗なる転身

 1980年代半ばのテレビコマーシャルにこのようなコピーがあった。「普通のOLからある日突然プロゴルファーへ」。これは女子プロゴルフの村口史子さんを取り上げた、実話を元にしたCMだった。駅のホームでどう見ても普通のOLスタイルの彼女が、電車を待つ間、手にしていた傘をクラブ代わりに振ったら、そのままゴルファースタイルに変身するというもの。結構当時はインパクトを与えた。その時代はバブルの絶頂期にあって、今では想像も出来ないくらい仕事が有り余っていた。、脱サラして飲食業を始める人、ベンチャー企業を起こす青年実業家、あるいは株式市場でマネーゲームをする投資家などが増え、転職やヘッドハンティングなどが市民権を獲得し、アルバイトニュースや女性転職専門誌「とらば~ゆ」が創刊され、流行語になるほどだった。そんな飽食で豊かな時代を契機として、華麗なる変身を遂げた方々を今日は紹介したい。 

 村口史子

Muraguchi  東京都渋谷区出身。習志野高校卒業。高校ではバレーボール部に所属するも、スパルタ練習にうんざりして高1で退部。高校卒業後、都内の商事会社に3ヶ月勤め退職し、1985年9月には研修生として千葉カントリー倶楽部に入社した。練習場で空振りをするレベルだったが郡司洋トッププロの下で4年間練習に専念し、1990年春にプロテストに合格した。24歳の時だった。 同年いすゞレディースでツアーデビューした。1991年は6月にサントリーレディスで初優勝を果たした。同年8月には、anクィーンズカップで2勝目をマークした。1994年は3年間守ったシード権を落としたが翌1995年には雪印レディ-ス東海クラシックに統一予選会からの出場ながら優勝した。1999年はヤクルトレディース、中京テレビ・ブリヂストンレディースオープンで2週連続優勝を果たし、続く新キャタピラー三菱レディースでは自己初となる年間3勝目を達成し、初の賞金女王の座に輝いた。そして2004年の最終戦終了後にツアー競技引退を表明した。近年はツアーの解説やリポーターでテレビに登場している。2009年10月四日からは、千葉テレビ放送で自身の冠番組である『村西史子のグッドゴルフ』がスタートした。ハウス食品のCMにも出演した。やはり決断が早いことから転職が多いB型の特徴を継いでいる。顔が市毛良枝に似て、私は好きだった。

CMはコチラ https://www.youtube.com/watch?v=Nu0mbz2Y0kI

 蓮 舫

Renhou  この人ほど劇的かつ華麗な転身はないかもしれない。クラリオンのキャンペーントップモデル(グラビアアイドル)から何と大臣である。アーノルドシュワルツェネッガー並みの変わり身の凄さである。しかも彼女の代名詞ともなった事業仕分けでは、「どうして2番ではダメなんですか」という名文句まで残した。台湾出身で、貿易商を営んでいた父とミス資生堂だった母の子として1967年に生まれた。幼稚園から大学(法学部)までエスカレーター式に青山学院大学で学生生活を送った。芸能界デビューは1985年、17歳の時に出演したNTTのテレホンカードCM。音響機器メーカーのキャンペ-ンガール、「1988年度クラリオンガール」として青山学院大学在学中に芸能界にデビューした。クラリオンガールへの応募理由は、自分が欲しかった車の価格が、優勝賞金と同額であったためである。見事グランプリを受賞し、車も購入した。一大転機は2004年7月、手塚仁雄の誘いで民主党から参議院議員選挙に出馬して初当選を飾った。2007年9月、民主党のネクスト年金担当大臣である長妻昭からの要請で、ネクスト年金担当副大臣に就任。2009年10月には、内閣府が設置した事業仕分けワーキンググループの一つである、農林水産省・文部科学ーうて省・防衛省担当の「仕分け人」となった。2010年6月8日に発足した菅内閣において、内閣特命大臣(行政刷新担当)に就任。2011年1月発足の第2次菅改造内閣では、内閣府特命担当大臣(行政刷新担当)に留任。「公務員制度改革を推進するため企画立案及び行政各部の所管する事務の調整担当」から外れ、新たに内閣府特命担当大臣(消費者及び食品安全担当も兼務することとなった。今や内閣の顔と呼ぶに相応しい活躍である。あのテキパキとした身のこなしやとげとげしい印象はやはり血液型がA型だった。

 美保 純

Mihojyun  彼女は今でこそ清廉なイメージだが、デビュー当時はAV女優だった。でもイメージ的にはPV風の「美や爽やかさ」を追求した映像での出方だった。静岡精華学園高等学校中退。静岡市内のデパート勤務の後、1980年、「ディスコ・クィーン・コンテスト」へ出場して優勝。その後上京して広告代理店でアルバイト中にスカウトされ、1981年、成人映画のにっかつロマンポルノ『制服処女のいたみ』で主演デビュー。1982年『ピンクのカーテン』(にっかつ)でブルーリボン新人賞を獲得。「隣のお姉さん」的なキャラクターで、週刊誌のグラビアなどに登場。人気を博し、デビューから約1年後には一般映画にも出演。『男はつらいよ』でタコ社長(太宰久雄)の娘・あけみ役などに抜擢される。現在も多くの映画、テレビドラマ(『菊次郎とさき』、『クライマーズ・ハイ』)、バラエティ(『Dのゲキジョー』パネラー)に出演し、活躍している。私は彼女の印象は可愛らしい女性だった。テレビドラマ「北の国から」や時代劇にも数多く出演し、演技の幅を広げた器用な資質の持ち主だと思っていた。血液型はA型。
 
 飯島愛

Iijima  飯島愛は、これまで当ブログで紹介してきたが、彼女も美保純と同様、AV女優から華麗な転身を図った一人である。タレントに転身して2007年に芸能界を引退するまでの間、常に一線で活躍しており、一度でもメディアでの影が薄くなった時期のない珍しいタレントである。バラエティー番組に飯島愛がいるだけで番組が成り立つとも大物司会者にまで言わせた存在である。「元アダルトビデオ出演女優」の肩書き(も同然)でデビューしたにもかかわらず、民放テレビに留まらずNHK教育テレビまでも頻繁に出演し、バラエティー番組・コメンテーター・ドラマ女優・作家・ボランティア活動等をこなすマルチタレントとして広く支持を得るという成功をおさめた稀有な例であり、世間のAV女優の憧れの的となっている。血液型はA型。芸能界を引退する表明をして、しばらく経った後に不慮の死を遂げてしまい、残念だった。ご冥福をお祈りします。

 長山洋子

 彼女はアイドル歌手からこぶしコロコロの演歌歌手への難しい転身を図った希少な女性だった。しかも由緒ある津軽三味線の澤田流の名取である。彼女のプロフを紹介すれば、1984年に「春はSA-RA SA-RA」でアイドル歌手としてデビューした。1986年にはショッキングブルーの「ヴィーナスを日本語にしたカバーがヒット。その後女優としての経験も積み、1993年には「蜩」で演歌歌手として再デビュー。1995年には「でもねポーズ」(曲にあわせ、手を広げ振ってみせる仕草)で有名の「捨てられて」がリリースされ、現在の地位を築いた。現在は演歌歌手をメインとして活動しているが、アイドル歌手としてデビューしたこともあって、活動ジャンルは幅広く、芝居では喜劇役者としての側面も見せる。演歌歌手に転じて10年が経った2003暮れに放送された「ザ・ベストテン2003」では、アイドル時代にヒットした「ヴィーナス」をドレス姿で熱唱し、アイドル時代の歌を解禁した。彼女は古典芸能を受け継ぐAB型である。とにかく和服が似合う純日本美人である。

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 若人あきら(我集院達也)

Wakato  東京都渋谷区広尾出身の歌手・俳優・芸人・声優・作詞家・作曲家・編曲家音楽プロデューサーまで何でもこなすマルチタレントである。やはり血液型はB型。かつての芸名は『若人あきら(わかとあきら)』であった。一本につながったカモメ型眉が特徴。玄制流空手道1級で双節棍(ヌンチャク)も使える。テレビで若人あきら名義で郷ひろみの歌真似を隠し芸としてやったのがうけて、『オレたちひょうきん族』(フジテレビ)、『笑ってる場合ですよ!』(フジテレビ)などで一躍人気者となり、レギュラー番組も増えたが、全部歌真似番組で歌手としての活動が思うように行かず、このままでは歌マネのお笑い芸人と思われてしまい不本意だと悩み、ノイローゼ気味になり精神科に通院しながらもステージでは明るく装い歌マネを続けていた。だが、それがストレスとなり自律神経失調症になる(当時のマネージャー談)。ところが一九九一年、熱海市の海岸で釣りの最中突然行方不明となり、3日後に小田原市にて記憶喪失状態で発見された。この事件の際、年齢を6歳逆鯖読みをしていたことも発覚している。事件の影響で、若人の名前が嫌になった本人は、イメージを刷新すべく、1993年に「我修院達也」へ4度目の改名(菩提寺の住職に依頼、経文から引用して付けてもらう。改名当初は仕事に恵まれず、通信カラオケの編曲やキャバレー回りをしていた。1999年に映画『鮫肌男と桃尻女』に出演。さらに、アスパラドリンクのテレビCM、SMAPのプロモーションビデオなど石井監督の作品に出演。これが注目されて、スタジオジブリ作品での声優などの仕事が入るようになり、現在は“個性派俳優””怪優”として活躍している。

 そのまんま東

Higashi  彼は先月まで宮崎県知事であった。つまり一国一城の主の夢を自らの努力によって実現したひとりである。彼は、かつては大森うたえもんとコンビを組む「ツーツーレロレロ」という漫才・コントを専門に行う芸人であった。漫才ブームが下火になった頃に登場したため、さほど売れなかった。そしてビートたけしに弟子入りし、「たけし軍団」の一因として下積み生活を行った。日曜日のお昼に放送の「スーパージョッキー」では、ガンバルマンズというコーナーで、熱湯風呂に入ったりして客を笑わせていた。また、講談社に殴り込みをかけて逮捕される一件もあった。それが有名美人女優の「かとうかずこ」と電撃結婚はするは、自らの夢を叶えたいと政治家を志し、早稲田大学に入学するなど猛勉強を重ねた努力家でもあった。そして、故郷宮崎を「どげんかせんといかん」と一念発起し、知事選に出馬して当選し、一期4年を勤め上げた。一階の芸人から県知事というとてつもない大転身を実行して見せた。そして自ら宮崎県の広告塔として東奔西走。トップセールスマン並に全国に宮崎をPRして廻った。そして今、俄に彼の周囲が慌ただしくなってきた。都知事選出馬か国政への転身かで騒がれている。今だから言うが、彼は私の亡き父親に背格好から仕草、雰囲気まで、まるで生き写しである。彼はマイペースで信念を貫き、我が道を行くB型人間である。

 片岡鶴太郎

 「オレたちひょうきん族」にチョイ役や汚れ役で出演し、必死に体を張ってパフォーマンスしていた。「マッチで~す!」と近藤真彦の真似で生きながらえた芸人であった。外見が似ていることから坂上二郎の真似もよくやっていた。「夕やけニャンニャン」の初代司会者として人気を得、その後、生き方を180度転換し、ボクサー免許やセコンドの資格を所有し、若手のプロボクサーのサポートを行ったり、陶芸や絵画の世界でも類い希なセンスを魅せ、芸術家としての地位も確立するまでに至った。俳優としても刑事役やサザエさんの波平役、そして番組の司会まで無難にこなすなどマルチな才能をいかんなく発揮しているスーパーマンである。代表作は他に、「男女7人夏(秋)物語」や「季節はずれの海岸物語」など。バイタリティの塊、さすがO型である。

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 若林正人

Wakabayashi  彼を覚えているだろうか。ヘッドハンティングが持て囃されていたバブル時代に、一流サラリーマンを退職してニュース番組の記者兼コメンテーターになった変わり種だった。彼の経歴は言語を絶するほどである。東京大学法学部を卒業後、東京銀行(現三菱東京UFJ銀行)に入社。オーストリアのウィーン事務所長など主にドイツ語圏を中心とした欧州畑で活躍したトップエリートだった。その後、脱サラして、久米宏がメインキャスターをして人気があったテレビ朝日系列の『ニュースステーション』キャスター公募に応募、異色のキャスターとして採用された。豊富な経済知識により経済を一般の人にわかり易く解説する「若様経済講座」、各地の夜桜を中継する「夜桜中継」、「金曜コンサート」で活躍し、「金曜コンサート」ではクラシック音楽への造詣の深さを披露した。1992年降板後、テレビ朝日『スーパーモーニング』の司会を務めた他、ABC『探偵!ナイトスクープ』、TBS『怪傑熟女』、日本テレビ『あの人は今?』などに出演。ザルツブルク音楽祭や様々なコンサートの案内役を務めるほか、エッセイも執筆している。現在、ミュージックバード『リクエストアワー 若林正人の大好きクラシック』に出演中。彼の旺盛な知的好奇心と思い立ったらすぐ行動するのは凝り性の代表格B型そのままの性格である。昔のプロフにはB型と出ていた。自由闊達な生き様を見せる人柄は、典型的かもしれない。

 田中義剛

Tanaka  彼は元々は青森県八戸出身のタレント兼泥臭い歌が信条のシンガーソングライターだった。それが今や年商数億円の大ヒット商品「花畑キャラメル」を世に送った酪農家、大実業家である。現在は株式会社花畑牧場の代表取締役社長である。彼のプロフは青森県八戸北高校を卒業後、北海道江別市にある酪農学園大学の酪農学部へ進学し、卒業した。理科(生物)の教員免許を持っており、母校の酪農学園大学では特命教授も務めている。身長184cmの長身だが老眼のため、物を見る時は眼鏡を着用している。転機となったのは1994年で、事務所からの借金により北海道札内村に『花畑牧場』を開業した。開業当初はチーズなどの自家生産に失敗し、出荷したが返品されたこともあった。本人の話によると「カビた商品が帰って来る事もあった」とか。また一時は夢の中にまでカビが出て来る事もあったらしく、カビ嫌いとなったとも話している。未だにカビ嫌いであると言っている為、相当なトラウマがあると思われる。 また借金は合計4億円(2万坪の土地購入資金に銀行の融資が2億円、傾きかけた事業の再生に向けて所属事務所から1億円、損失が1億円)となった。30人いた従業員も続々と辞めて、田中と1人残った従業員の2人だけになり、一時は土地を売却し自己破産を迫られる危機的な状況に陥っていた。土地は査定の結果「資産価値無し」と審査された所、「トムチーズ」というチーズがラーメン屋のトッピングとして使われてヒット。更に「カチョウガヴァロ」というチーズや生キャラメルがメディアに紹介され大ヒット。これら商品群のヒットを以って、花畑牧場ブランドとしての地位を獲得した。現在は年商120億円、従業員も1,500人を超える(2009年6月現在)規模に成長した。山あり谷ありの波瀾万丈な人生を送っている。初志貫徹の前向きさはやはりB型そのものであろう。

 今回のテーマを考えると、職種は変わらないが、今流行の局アナのフリーもまた同様のことが言えそうだ。去年暮れにはフジテレビのイメージガール、高島彩が古巣を退社し、今年は日本テレビの看板アナだった羽鳥慎一と夏目三久がフリーへ転身する。かつては男性アナでは、徳光和夫、小林完吾、露木茂、生野文治、草野仁、押坂忍、森本毅郎、久米宏、大塚範一、小倉智明、生島ヒロシ、福留功男、みのもんた、古館伊知郎、堀尾正明、福澤朗、宮根誠司、山中秀樹、吉田照美が局アナからフリーに転向して成功し、女性アナでも楠田枝里子、田丸美寿々、三雲孝江、勝恵子、大橋照子、雨宮塔子、膳場貴子、小宮悦子、永井美奈子、中井美穂、木佐彩子、有賀さつき、小島奈津子(なぜかフジテレビが多い)、赤江珠緒、古瀬絵理、山本モナなど、いわば「局の顔」だった。女性は結婚・産休を契機に局アナを卒業するケースが多い。個人的には日本テレビを退社した関谷亜矢子さんが好きだった。今後も中野美奈子や西尾由佳里なども売れっ子だけにフリーになる可能性は十分ある。

 しかしながら、こういったケースは芸能界という特異な世界の話である。世間一般論から言えば、この経済情勢と雇用情勢、新卒大学生の就職状況が頭打ちの世の中にあって、そうやすやすとは転職できる訳もない。かく言う私も、昨春に23年振りに大学生に戻り、仕事との両立に苦慮している一人だ。一流大学の名前を有り難がっているだけで、1年経過しても10単位しか習得できていない。やはり卒業まで平均8年かかるというのは、あながちハッタリではなさそうだ。要は自分の心掛け次第なのだが・・・。今回記事に挙げたものは極めて、稀なケースであり、決して手本とは考えないで、参考程度と考えて貰いたい。

 記事作成:2/18(金)

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