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2011年4月16日 (土)

有名人の光と影

 人間、一生のうちに良いこともあれば悪いこともある。特に、ひと際華やかな芸能界を見てみれば一目瞭然で、強烈な個性や特技を活かしてひとたび注目されれば、たちまち脚光を浴びることがある。下積みが長くても、あることをきっかけに振って沸いたように大ブレークした芸人や歌手は多い。漫談師・綾小路きみまろや戦場カメラマン・渡部陽一、「ロード」が200万枚を超える大ヒットになったTHE 虎舞竜の高橋ジョージのデビューエピソードもなど、まさにそうだろう。また、よく聞くのがデビューのきっかけで、「たまたま姉が芸能事務所に写真を送っただけ」とか、「原宿や表参道を歩いていたら偶然スカウトされた」など、まさしくシンデレラストーリーが実際に起こり得る訳だ。逆に、あの時あの場所にたまたま居合わせたばかりに、事件や事故に巻き込まれたケースというのもある。古くは三菱重工ビル爆破事件、地下鉄サリン事件や秋葉原で起きた無差別殺傷事件などがそうだろう。30年ほど前、平凡なタクシーの運転手が偶然に銀座で1億円を拾って一躍時の人となる幸運な出来事に遭遇した人もいて、目には見えぬ何か得体の知れない不思議な力に導かれていることを痛感するケースあった。それで一生分の運を使い果たしたのか、その後、予期せぬ不幸に見舞われたり、自分の力ではどうしようもない運命に翻弄された、悲劇的な人生を送った人もいる。そしてどういう訳か、このような波乱に満ちた人生を送るのは血液型がO型の人が断然多いように思えてならない。

 今回は、時代の寵児となりながら、本人の意思とは裏腹に、何か不思議な力に弄ばれ、予期せぬ幸運や不幸が相次いで身の回りに起こってしまった方々をピックアップし、「光と影」あるいは「功罪」として10のケースを例示したいと思う。なお、お断りしておくが、今回の記事は客観報道的な立場で人間の生き様の妙を紹介するもので、取り上げた方々のプライバシーを侵害したり、侮辱するために掲載するものではないことを申し添えておきたい。

 1. 世界のホームラン王、王貞治の栄光と闇

Oh  22年間の現役時代、一本足打法で名を馳せ、数々のホームラン記録を塗り替えて日本プロ野球界に様々な金字塔を打ち立てた功労者だ。ONの片翼を担い、スーパースターとしての地位を確立して野球殿堂入りも果たした。人間性にもすぐれ、傍目には順風満帆の現役生活だった。とりわけ昭和52年、前人未踏の756号を達成した時は、列島中が大フィーバーし、初の国民栄誉賞まで贈られた。彼は元々は台湾国籍だった。故に、早実高時代、1年生で甲子園優勝投手となりながら、国体の出場権を得られず、辛い思いをした。しかし、恵まれた体格と自らの努力によって、彼はその才能を開花させた。その現役時代の栄光とは裏腹に、監督に就任してからは苦労の連続だった。ダイエーの監督時代にはファンに「王やめろ!」とか「腹を切れ!」などと心許ない横断幕まで掲げられ、人一倍辛い時期を過ごした。そして最愛の恭子夫人には先立たれ、精神的ショックはただならぬものがあったに相違ない。しかし、それに輪を掛けて不幸が重なる事件が起きた。墓地から夫人の遺骨が盗難に遭うという信じられない出来事が起きたのだ。「一体誰が何の目的で」・・・。未だに遺骨は帰っていない。やがて、第1回WBC監督に担がれて就任し、厳しい戦いを制し、初の世界一監督になったものの、それまでの心労が祟り、自らも胃ガン発症するなど、現役時代とは雲泥の人生を送ることを余儀なくされている。有名になりすぎた故のツケなのか、もちろん王さん自身には何一つ非はない。王貞治の野球人としての栄光とは裏腹に、何か「見えざる手」によって運命に翻弄された晩年を送ることになってしまった。血液型はO型である。

 2. 超人気アイドル近藤真彦の波瀾万丈人生

Kondo  昭和50年代後半、飛ぶ鳥を落とす勢いだった「たのきんトリオ」の中で、一番人気があったのがマッチこと近藤真彦だった。彼はテレビドラマ「3年B組金八先生」や「ただいま放課後」で人気が沸騰し、またたく間に女子中高生の間で大ブレークした。男子でも彼の髪型やファッションを真似したものだった。私も同世代なので、かなり影響を受けた。定期的に映画にも出演した。「ハイティーンブギ」は青春のバイブルとなった。「ギンギラギンにさりげなく」など出す曲出す曲が大ヒットし、ベストテン番組では初登場1位は当たり前だった。親衛隊が歌番組の会場を占拠し、それは熱狂的なものだった。映画「嵐を呼ぶ男」で披露したドラムもプロ級だった。そして「大将」で日本レコード大賞を受賞し、偉大な歌手にも名を連ねた。そして忙しいTV出演の傍ら、星野一義に師事し、カーレースにも出場した。しかし、皮肉にも最愛の母親が、自動車事故によって急死するという悲劇に見舞われた。しかも王監督のケースと同様、墓地から母親の遺骨が盗まれる事件が発生。脅迫めいた文面が所属事務所に届くなど、陰湿で卑劣な事件が明るみとなった。遺骨は現在も戻っていない。10代の頃に人気絶頂だった彼だが、その後は運命の悪戯とは言え、精神的にかなり過酷な人生を歩むこととなってしまった。血液型はO型

 3. 星野仙一に襲いかかる苦難

Hoshino  彼もまた運命に翻弄されている一人だ。出生時の3か月前に父親を病気で亡くし、工場勤めの母親に育てられた。中学高校と野球に没頭。倉敷商業では甲子園出場はならなかったが、進学した明治大学ではエースとして法政大学三羽ガラス(田淵・山本浩二・富田勝)と共に神宮で活躍。中日に入団後は、「燃える男」として巨人戦には闘志むき出しで向かって行った。監督に就任してからも、鉄拳制裁で選手を鼓舞。親分肌の性格をフルに発揮し、中日、阪神でリーグ優勝を成し遂げた。男気があり、抗議や乱闘では常に中心的存在だった。私生活でもベストファザー賞や上司にしたい男性でNo.1に輝くなど充実していた。その頃、最愛の妻に先立たれる不幸に見舞われた。自らも体調を崩し、阪神を優勝させた年に、突如ユニホームを脱いだ。そして北京五輪の際、盟友田淵コーチを伴って監督に就任。しかし、オールプロで臨み、期待された金メダルは愚か4位に終わり、帰国後はそれまでと打って変わり、強烈な星野バッシングを受ける羽目になった。その後、第2回WBC監督を打診されたが、これを固辞。紆余曲折を経て、野球人として生涯を全うしたいと、再び田淵を側近に迎えて今季から楽天の監督として球界復帰を果たした。しかし、その矢先、今度は本拠地仙台が東日本大震災で被災し、クリネックススタジアムでの開幕戦が迎えられなくなった。様々な困難が熨しかかったが、強い意志とずば抜けた統率力、勝負運で乗り越えてくれることを期待したい。血液型はO型

 4. 美空ひばりの天涯孤独人生

Misora  戦後、日活・松竹・大映などの子役として数々のヒット曲を歌い、銀幕スターとして多数の映画に出演 した。昭和の歌謡界を代表する歌手、女優である。しかし、母・加藤喜美枝の溺愛は凄まじく、ひばりを一流の歌手にするまで全財産を投げ打って全面的に支援した。その甲斐あって「東京ブギウギ」「悲しい口笛」が大ヒットし、全国的な人気を獲得した。その後、彼女は母親のマネジメントの元、大物歌手に成長し、「3人娘」や「お嬢」と呼ばれる地位にまで登りつめた。しかし表向きは華やかな一方で、私生活では不幸を絵に描いた人生だった。1962年に日活の人気スターだった小林旭と結婚したが、2年で離婚。実際は入籍せず、ひばりは戸籍上は生涯独身だった。そして1973年には実の弟が不祥事を起こし、ひばりまでバッシングを受け、紅白を辞退。それ以来2度と紅白の舞台を踏むことはなかった。1980年代に実母の喜美枝と父親が代わりだった田岡組長を相次いで亡くし、1982年には親友江利チエミ、更には2人の実弟が次々と急逝し、悲運が襲いかかる。そしてひばりは天涯孤独の身となるが、弟哲也の実子であった加藤和也を養子に迎えた。その後、酒とたばこが原因して、ひばり自身も病魔に蝕まれて行ってしまう。その都度不死鳥のように甦ったが、1989年9月24日に間質性肺炎による呼吸器不全によって僅か52歳でこの世を去った。死後、女性として初の「国民栄誉賞」が贈られた。私が歌の上手い女性歌手として尊敬してやまない大人物である。血液型はO型

 5. 高島忠夫夫妻を襲った悲劇

 高島忠夫と言えば、宝塚歌劇団の星組男役の花形スターだった寿美花代を夫人に持つおしどり夫婦、そして俳優・政宏、政伸を息子に持つ高島ファミリーを形成。誰もがうらやむような家族である。しかし、この夫妻には悲しい過去があったのをご存知の方は少ない。当時、「ごちそうさま」という料理番組の共演がきっかけで寿美と1963年に結婚。結婚後、長男をもうけるが、1964年8月24日、このご子息が生後5ヶ月の時に、当時17歳の住み込み家政婦によって自宅で殺害されるという痛ましい事件に見舞われてしまう。原因は嫉妬だった。この悲劇は日本中に衝撃を与えたのだった。そんな辛い過去がありながら、深い悲しみを乗り越えて頑張っている夫妻にエールを送りたい。高島忠夫は血液型O型。
Takashima

 6. 田代まさしの壮絶転落人生

Tashiro  このお方はいわゆる懲りない面々の一人だ。芸能人だから、何度同じ過ちをしても許されてしまう甘さが、結果的に犯罪を繰り返させてしまった。これだけ法を犯し続けても、一部の若者は彼を「神」と呼んで崇めてしまう。結局は対岸の火事のようなもので、面白おかしく取り上げているのだ。彼の功罪の功はラッツ&スターとしてのスター人生、そして夕方の女子高生参加型のバラエティ番組の司会を担当し、若者のハートをガッチリ掴んだ。更には志村けんとのコンビで「だいじょぶだ~」や「バカ殿」シリーズに出演し、多彩な才能を発揮していた。しかし、リーダー鈴木雅之が言うように、自分にだらしない性格が顔を覗かせ、その後転落人生が始まる。最初の事件は2000年9月、私鉄の駅構内で女性の下着を撮影しようとして見つかり、書類送検。5万円の罰金刑。2度目は2001年12月、男性宅の風呂を覗いたとして軽犯罪法で逮捕、自宅からは覚せい剤が発見された。懲役2年執行猶予3年の判決。3度目は2004年6月に青梅街道で転回禁止でUターンし、衝突する人身事故を起こす。4度目は執行猶予中の2004年9月に覚せい剤所持と及び銃刀法違反で逮捕。懲役3年6カ月の実刑判決となり、服役した。そして妻とは離婚が成立。出所後もブログなどで「神」となり、これがまた善悪の判断を狂わせてしまう。5度目は2010年9月、横浜でコカイン所持で現行犯逮捕、自宅にも覚せい剤、コカイン、大麻を隠し持っていたことで再逮捕された。自分が「変なおじさん」になってしまい、残念でならない。血液型はA型

 7. ビートたけしの事件簿

Takeshi  彼は時代が産んだ天才であり、本名の北野武として世界でも有名な映画監督である。ツービートの漫才や「おれたちひょうきん族」のたけちゃんマンや司会業を経て、現在の地位を確立する。とにかく多芸で、司会者・映画監督・お笑いタレント・俳優・作家・歌手・そして東京藝大映像研究科の教授でもあるマルチ人間。立川談志を師匠と仰いでいる。明治大学工学部出身。兄・大(まさる)氏は明治大学教授である。影の部分はご承知の通り「フライデー事件」。1986年12月、たけし軍団を引き連れタクシー3台にそれぞれ4人ずつ分乗して発行元の講談社に行き、当時不倫交際を報道した雑誌記者を襲撃し籠城する事件を起こし、逮捕された。翌年6月懲役6か月、執行猶予2年の判決が下された。当時の人気レギュラー番組『元気が出るテレビ」「風雲たけし城」「スーパージョッキー」への出演は、執行猶予判決が確定するまでの約8か月間謹慎することとなった。なお、当時たけしと交際していたといわれた女子大生に暴行で告訴された記者は、罰金10万円の判決を受けた。また、番組で共演した親友・逸見政孝が胃がんにより死去し、葬儀では弔辞を読み上げ号泣した。更に1994年には、酒気帯び運転で原付バイクを運転し、自損事故を起こし転倒。入院して半年間テレビ出演が出来ない状態に陥った。退院時、暫くは顔面の半分が麻痺した状態であったが、リハビリにより回復したが、これにより顔の表情が変わってしまった。しかし、いろいろなことがあっても、類い希な才能によって、彼は人に愛され、尊敬される特異なキャラの持ち主である。血液型はO型

 8. 千昌夫の繁栄と借金地獄

Sen  かつては「星影のワルツ」や「北国の春」がミリオンセラーとなり大ヒット。岩手県出身で田舎くささを売りにしていた。大仏様のような額の出世ぼくろがトレードマークだった。金儲けを目論み、次第に不動産業に手を出すようになり、やがてバブル期には不動産会社を設立し歌手を休業。不動産業に専念した。この時期「歌う不動産王」「ホテル王」と呼ばれるほど、世界各地にマンションやビルなどを所有していた。一時はホノルルの殆どのホテルが千昌夫の所有物と呼ばれるほどで、物真似でもよく「おら金もってんどー」というネタが使われたが、1991年のバブル崩壊とともに借金が膨れ上がり、2000年には個人事務所「アベインターナショナル」は経営破綻した(負債総額は1,034億円)。離婚の際の慰謝料は絞り取るだけ絞り取るのが外国流。タイガーウッズなどの手切れ金は半端な額ではなかった。千昌夫夫人だったアメリカ人歌手のジェーン・シェパードもまた同様。稼ぐだけ稼ぎ、大金持ち夫人としていい暮らしをさせて貰い、金を湯水のように使いまくった。しかし、バブル崩壊でホテル経営や料亭経営は不振に喘ぎ、多額の借金を拵えた途端に、貢がせるだけ貢がせておいて、さっさと見切りを付けた。結局は愛情より金か。女性のこの変わり身の早さは恐ろしいくらいだ。デビィ夫人やイメルダ夫人、かつての大屋政子、塩沢ときにも似た匂いを感じるのは私だけだろうか?しかし、彼はこれくらいではめげず、持ち前のバイタリティーを発揮し、借金を返済し、心機一転、ほくろを取り去って、本業の歌手として出直しを図っている。血液型はO型

 9. 大物俳優・勝新太郎の武勇伝

Katsu   勝新太郎という凄腕の俳優をご存知だろうか?50代以上の人は覚えているだろうが、映画「座頭市」や「悪名」シリーズなど時代劇で活躍した名優であった。どちらかといえば、多方面でトラブルを起こし、その都度、奥さんである中村玉緒さんが記者会見で夫に替わって謝罪している場面を何度も目にした事だろう。また、実兄は、やはり時代劇や任侠シリーズに数多く出演し、すぐれた作品を残した俳優の若山富三郎だった。彼ほど波瀾万丈な生き様を示した人はいない。武勇伝とも言うべき逸話が数多く残されている。無類の酒好き、博打好きとして知られ、「一晩銀座のクラブで300万円使って豪遊した」とか「芸のためなら女房も泣かす」浪速の春団治のような豪快な生き方だった。元々は大映所属で市川雷蔵と並ぶ看板役者だった。しかし、役者としてやりたい放題の人生を送っていたため、晩年は苦難の連続だった。1978年にアヘンの不法所持で書類送検される。翌1979年には黒澤明監督の映画『影武者』の主役に抜擢されるが、監督と衝突して降板する。また、完全主義の勝の製作方針のため、作品がヒットしなくなると膨大な赤字を生み、1981年には勝プロダクションが12億の負債を残し倒産、この時の会見で「勝新太郎は負けない」と述べ、借金と戦っていくことを宣言する。翌年、中村玉緒を社長とした勝プロモーションを設立するが、後に女優の長女と長男が大麻密売で揃って逮捕された。更には1990年1月、アメリカ合衆国ハワイ州のホノルル空港で下着にマリファナとコカインを入れていたとして現行犯逮捕される、帰国した翌年に日本でも逮捕され、懲役2年6ヶ月・執行猶予4年の有罪判決を受ける。その後も、自分が監督兼主役を務める映画の撮影中、真剣を用いた撮影で、起用した役者が殺陣のシーン相手の役者を斬り、出血多量で死亡させる事件を起こした。斬った役者は業務上過失致死で逮捕された。1996年7月に下咽頭ガンを発病。手術はせず、抗癌剤と放射線の治療を行なった。入院中も外出を繰り返して寿司や酒を楽しみ、タバコは絶対に止めなかった。約4ヶ月後の記者会見では「煙草はやめた」と言いながらに堂々と喫煙する様を見せた。しかし実際には療養中は禁煙し、会見での喫煙はパフォーマンスだった(煙を肺に飲み込まずに口でふかしているだけ)と中村玉緒や鴈龍太郎は語っている。図太くも周囲に迷惑をかけ続けても、それでもなお愛される不思議な人柄であり、波瀾万丈の人生を送った一人である。血液型はO型

10. 清水健太郎

Shimizu  1977年に発売した「失恋レストラン」が大ヒットし、第19回日本レコード大賞最優秀新人賞を獲得し、紅白出場も果たした。当時は飛ぶ鳥を落とす勢いのトップスターで、短いアイロンパーマの「健太郎カット」と呼ばれるヘアスタイルが流行し、社会現象になった。しかし栄光は長くは続かなかった。1983年に大麻取締法違反で逮捕される(起訴猶予)。1985年にはアメリカ人モデルと結婚するが、翌年に大麻取締法違反で2度目の逮捕(懲役1年執行猶予4年の有罪判決)。また、アメリカ人モデルとも1991年に離婚。以後はテレビなどの表舞台から遠ざかり、当時出始めだったVシネマを中心に仕事をするようになる。撮影でも段々貫禄が出てきており、一定の地位を築こうとしていた1994年、大麻取締法違反及び覚せい剤取締法違反で3度目の逮捕。懲役1年6か月の実刑判を受けた。出所後、しばらくは仕事に見放されたが、旧友の誘いで奇跡的に復帰。主に極道の組長役が当たり役となり哀川翔、竹内力と並んでVシネマの帝王と呼ばれるまでになった。2002年には22歳年下の女優・森香名子と結婚し、公私ともに順調に見えていたが、2004年4月に離婚。同年5月、覚せい剤取締法違反で4度目の逮捕。芸能界で親しい間柄だった力也や梅宮辰夫も厳しい非難のコメントを出した。2年4か月の実刑判決を受け、群馬県前橋刑務所に収監される。2006年5月には仮釈放。これでも彼の転落人生は終わらなかった。2008年10月には、乗用車を運転中、自転車で交差点を横断していた男性と衝突し、軽傷を負わせそのまま逃げた。後日、警察に出頭し逮捕。自動車運転過失傷害と道交法違反の罪で起訴され、2009年1月に懲役7月(求刑懲役10月)の実刑判決を受けた。まだまだ続く。2010年8月に覚せい剤取締法違反(使用)容疑で逮捕。薬物関連容疑での逮捕は通算5度目となった。同年11月、懲役1年10月(求刑懲役2年6月)の実刑判決が下され、弁護側・検察側とも控訴せず確定し、現在は服役中である。彼を見ていると歯止めが掛けられず、たがが外れたように転がって行ってしまう。どこか田代まさしと似た印象を持ってしまう。中学生の頃、一ファンだっただけに、次こそは麻薬とは縁を切り、真人間に戻って役者業に専念して欲しい。血液型はB型

 いかがだっただろう。ここに挙げた10名のうちO型は全部で8名である。私も同型だけに他人事ではない。他にも今回のテーマに嵌ってしまいそうな方々を列挙したい。

・横山やすし(自己中心的な生き方を貫き、行く先々でトラブルを発生。俳優だった息子の教育が出来ず、暴力事件で逮捕されても他人事ーB型)
・堀江貴文(東大文学部中退、ライブドア社長としてIT時代の寵児と呼ばれ、億ション暮らしをしていたが、証券取引法違反により逮捕され有罪ーO型)
・小室哲哉(音楽プロデューサーとして一時代を築くが多額の借金返済に困り、5億円の詐欺事件を起こし逮捕、有罪確定ーO型)
・酒井法子(アイドル歌手として時代をリードするが、大麻使用で逃亡の末に逮捕ーB型)
・三田佳子(名女優も息子が覚せい剤取締法違反で複数回逮捕ーO型)
・そのまんま東(たけし軍団から県知事へ華麗なる転身、都知事選落選、有名女優との結婚と離婚、講談社乱入事件や傷害事件を起こして有罪ーB型)
・森進一(レコード大賞歌手、二度の離婚、最愛の母親との死別、作詞家・川内康範との確執などーO型)
・桑田真澄(数奇なドラフトに翻弄され、自らも大怪我、父親の焼死など)ーAB型)
・横浜銀蝿・翔(度重なる覚せい剤で複数回の逮捕劇ーB型)

 なぜかO型やB型に人生を踏み外す人が多いような気がする。共通しているのは、それでも反省が足りず、性懲りもなく何度も同じ過ちを繰り返す方がいることだ。だが、社会がそうした風潮を面白がって見てしまい、善悪の判断がつかない状況に陥らせてしまうことである。そして容易に復帰を許してしまう芸能界の甘い体質も度々問題になる。しかし、長い人生を考えた場合、良いことと悪いことは表裏一体で、相殺すればプラマイナゼロのような気がする。要は表に出る度合いが多いか少ないかの差かもしれない。以前、人生は「太く短く生きるか」、それとも「細く長く生きるか」どちらかという文句を当ブログで書いたことがある。どうやら今日挙げた方々は、前者に入るのが多そうな人たちばかりである。残念ながら法を犯してしまった人は、今度こそ己の言動や行動を悔い改め、真の意味で更生されることを願ってやまない。

 記事作成:4月12日(火)

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