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2011年5月

2011年5月27日 (金)

震災後の政府対応にモノ申す!

Touden2  今更だが、此度の「東日本大震災」は主に大津波によって太平洋沿岸地域に未曾有の甚大な被害を出した。今日現在、死者は15,000名を優に超え、未だに8千人を超える方々の安否が不明のままである。しかも自宅を追われ、避難している被災者は15万人を超えている異常事態。2か月経った今でも故郷に戻れる目途さえ立たないのである。これら一連の出来事はまさしく「驚天動地」の悪夢で、それは1995年の1月に起きた「阪神淡路大震災」を遙かに凌ぐ、我が国が初めて経験した大規模複合型の自然災害であった。しかし、学識者達が声を揃えて言うように、想定外の大津波が襲来したとは言え、原発問題に関してはあくまで人災であると言わざるを得ない。今回の一連の原発事故は、INESの評価基準では最悪の「レベル7」である。そもそも原子力発電所の設置については、1955年に「原子力基本法」が国会で成立して以降、国の原子力エネルギー政策が推進されるようになった。当初はどこも引き受け手がない状況の中、多額の給付金交付により、地域活性化の旗手として注目を浴びるようになった。我が福島県でもエネルギー革命により、常磐地区の石炭産業が斜陽化したため、新たなエネルギー源を模索していた。国と地方の思惑が一致したことにより、安全性より地方財政の安定を優先した当時の知事が建設招致を地元住民の反対を押し切って強行決定。1964年に用地買収が開始され、1967年の9月に1号基の建設開始、1971年の3月より営業運転を開始した。しかしながら、原発招致の際には、甘い餌をばらまき、二重三重の安全策が施されてあると「万全の安全体制」を強調しておきながら、ひと度、政府曰く「想定外の震災」が起こればこのザマで、「周章狼狽」の如くなすすべもない醜態を曝している。2ヶ月経った今でも現状把握がままならず、「メルトダウン」の定義を巡って「朝令暮改」の如く発言が二転三転する東京電力は、「権謀術数」を巡らしているように思われても仕方あるまい。結局は地震発生から72時間以内に水蒸気爆発を起こした全基(1~3号機)すべてで炉心溶融していたことを正式に認めた。しかも3月15日には、原子炉建屋の屋根が原型を留めないほど、跡形もなく木っ端微塵に吹き飛ぶほどの大規模爆発を起こし、原子炉格納容器に10センチの穴が開き、燃料棒が溶けて高レベル放射性物質が大量に漏れ出ていたことが判明した。日本の原子力に関する安全性がなおざりにされていたことを窺い知れるし、それを早期の段階から把握できなかった政府の見通しと東電の事故への認識の甘さ、それに対応の無策さがこれほど事態を悪化させ、なおかつ長期化している要因でもあろう。国益を優先するあまり人命を蔑ろにするような国策など非人道的で何の意味があるのか。その積年の代償を今払わされているのだ。

 ここへ来て次々と明るみにされる事実。外国からの支援の申し出を早々に断り、自力での解決を模索し続けた真の理由は、日本の弱点を暴露することを回避するため、つまり「日本の原子炉において、致命的な事故が起きてしまったことを国際社会に対して事実を覆い隠すことに懸命だった」ことを暗に示唆しているにほかならない。勘繰れば、極東アジアに位置する虚構で固めたどこぞの亡国と同じく、「外国には見られたくない極秘事項があったか」とさえ疑われる。更には、「日本の高水準の原子力技術や世界一とさえ謳われた安全神話が地に落ちた」と評価を下げることになるため、どこまでも体面ばかりを優先する日本人気質の悪い面が露呈した結果とも言えよう。それにしても一定の時間をおいてから、ほとぼりが冷めた頃合いを見て発表するこの狡賢さは一体何なのか?東電は福島県民である私の立場からすれば、元より「隠蔽体質」の巣窟であり、もっとも許し難き朝敵にも匹敵する存在で、端から信用できない。一番可哀相なのは底辺の5万3千人もいる、原発とは相関の薄い一般社員だろうし、その事故現場で明日も見えない暗黒の中、防護服に身を包み、命懸けで放射線と最前線で対峙している、電力の知識など一切持ち合わせていない日雇いで集められた原発作業員達である。また、社員にしてみれば、「雪案蛍窓」の甲斐あって総資産額14兆円(凍結)を超え、誰もが憧れの超一流企業である「東京電力」に入社したまでは良かったが、よもやこのような「四面楚歌」の窮地に立たされることになろうとは誰一人として予想だにできなかったことだろう。今では堂々と名刺を差し出すのも憚れるような状況に追い込まれてしまっている。しかも追い打ちをかけるように、数千億円に上るとも言われている莫大な損害賠償を捻出するため、苦肉の策ながら経営規模縮小の方針を打ち出し、その補填のため、相当数の持株や資産の売却を断行するようである。更には、これまで会社の歯車となり、「精励恪勤」してきた社員のリストラまで強行するようである。また、寸暇を惜しんでの行方不明者の捜索や遺体の収容作業を行い、相当数の疲労とストレスが蓄積されている自衛隊員にまでそのツケが廻されているのも合点が行かない。国家公務員と合わせて一律10%給与削減が時限付きながら閣議決定した。これにより30万円の給与の隊員は、有無を言わさずひと月3万円も減俸を余儀なくされる。通常勤務の何倍もの過酷な状況で捜索活動に携わって、本来なら「特別超過勤務手当」を貰わないと割に合わない筈なのに、血も涙もない減給措置とは・・・。気の毒としか言いようがない。改めて「想定外」という言葉で片付けられてしまった今回の災害の代償はあまりにも大きかったと言わざるを得ない。

Genpatu2 Genpatsu

Genpatsu3 Touden1

 また、此度の一連の震災に関する政府対応を見ていると、先進国の一角を担っている日本という国家は、危機管理がおしなべて甘く、重大な非常事態に直面した時、こんなにも脆かったのかと大いなる疑念を抱かざるを得ない事象が相次いで起きている。政府は東京電力だけに責任の一切合切を擦り付けて見殺しにして潰すわけには行かない。電力供給が滞ると我々庶民の生活が麻痺してしまうだけでなく、日本経済や産業自体がブラックアウトしてしまう。普通の民間企業なら「破産宣告」に見舞われた場合、倒産後に管財人が財産を差し止めするが、東電の場合、電気自体、扱いを誤れば死をもたらす目に見えぬ厄介な代物だけに、日本航空の赤字処理の際と同様、見殺しにして潰すような訳には到底出来ないのだ。元々原子力エネルギー政策は、国の方策(つまりは国策)として推進してきた経緯がある。そのための法整備もまた国が推し進めてきた。そうした意図で行われてきた以上、責任の所在は一蓮托生である。国が本来あるべきは「経世済民」でなければならない。それをこの期に及んで大局を見失い、重箱の隅を突くかのように批判が渦巻く政界。政府内の一大臣や東電の発表を巡り、「言った言わない」で一悶着。こんなどうでもいい下卑な罵りあいの泥仕合は国益に何のメリットがYokokumeあろう。従前からそうであったように、「綸言如汗」とも言うべき政府高官の迂闊な一言は、身を滅ぼしかねないが、今はそのような些細ないざこざで、責任を追及したり、論破して失脚させようなどと画策している状況ではな い筈だ。一昨日、政権与党である民主党内で党分裂の危機を思わせるような若手議員の離党表明がクローズアップされた。この事態の収拾と収束に党執行部が丸一日も振り回された。離党を表明した横粂衆議院議員の決意は相当固い。ただでさえ小沢問題や、震災と原発の政府の対応を巡って党内から批判が続出して、党の協力体制が希薄であり、いかにも諸刃の剣で一枚岩ではないことが露呈されていた。まさに国家の中枢を担い、国民の代表者としてその執務を代行する国会議員が四分五裂といった危機に瀕している中、どうしても憂いに近い感覚で受け止めざるを得ない。そんなお家の窮地に直面しているのに、当の民主党は犬猿の仲だった本県選出の長老・渡部恒三議員と小沢一郎議員が袂を分けあっていた実態を暴露。政治家ともあろう者が「私はシカトしていたのですが」などと平然と宣い、自ら「人面獣心」の本懐を吐露していた。政界一の実力者と言われる大物がこうした発言に終始する日本の政治体質も論外である。そして首尾よくいやが応にも「挙党一致」の雰囲気を偽装アピールしていた。この国家の一大事に政権を担当する民主党内での内紛(内ゲバ)暴露はデメリットしかもたらさないだろう。「一体今まで政治家同士、何をやってたんだ!」と国民からは非難の集中砲火を浴びるのは必然だろう。同じ党内にもかかわらず、気の合う仲間が集う派閥や仲よしこよしのグループがあちらこちらに存在し、抵抗勢力まであるようではお先真っ暗。「青眼白眼」が政界(永田町)の論理らしい。事ここに及んで、「肝胆相照」を悟ったのか、はたまた「同病相憐」の心境だったのか、そこには小沢グループに距離を置いていたはずの前原誠司氏も会合に出席。しかし、何か不自然で、無理な演出で民主党の健在ぶりを内外に示す試みを画策したとしか映らなかった。ここまでやらないと分裂の危機を回避できない与党に成り下がってしまったのか。横粂議員ならずともこのような政党には愛想を尽かし、離脱したくなるのも無理からぬことと理解できよう。

 一方、対抗勢力の旗手として政権与党の座を虎視眈々と狙うべき筈の自民党も、何故か政府の後手後手の復興対策には努めて寛大であり、追及の手を緩め、模様眺めや高見の見物を決め込む傾向がありありである。通常ならこれほどの国民の不信を買い、打算的な見通ししか示せない政府に対し、内閣不信任案の最終カードを切るのが順当なのだろうが、そうしたカード自体も切れないで躊躇している様子が見て取れる。何故か?今、最終手段であるそれを駆使し、国会に提出すれば、民主党内にも、執行部の顛末振りに業を煮やした造反議員が多数出て、ひょっとすると可決するかも知れない。そうなれば、内閣総辞職するか下手すると破れかぶれ解散に踏み切って、国民に真意を問う事態になる可能性は無きにしも非ず。さすれば、逆に自民党を始めとする野党にとってもこれは青天の霹靂で、選挙の準備が追いつかないし、政局がらみで復興支援が更に頓挫する懸念も憂慮される。もちろんそうなれば、被災者を始めとする国民から痛烈な批判を浴びることは必至だろう。国の一大事に政治家は「何を流ちょうなことをやってるのだ」と。そのことを谷垣氏は誰よりも察知しているからこそ何も有効な手を打てないのだ。万が一、再び政権交代のうねりを起こせば、菅政権の復興支援や原発処理問題に関わる失態のツケをすべて背負わされることになるのは火を見るより明らか。そんな危険な橋を渡れるわけがない。本当に政権を奪取せんとする気構えがあるなら、両院議員総会を開催し、党が結束して政府の責任追及なり、最終カードを切るべきなのだ。その覚悟すら谷垣総裁にはない。だから今は、遠巻きに旗色を伺い、立つべき時勢を見極めている段階であることから、「狐疑逡巡」でお手並み拝見を決め込むしかないのが実状なのだ。

Kan Tanigaki

 また、菅直人首相が苦し紛れの策として模索した「大連立」構想も挫折を見た。呉越同舟的な発想は、所詮、「羅針盤を持たない泥の船」と一緒で、船頭だけ多くて山に登るようなものだ。短絡的な発想で危機を乗り切ろうと一国の主が思いついたのも末恐ろしいものがあるが、結局は「会従連衡」にしてその場しのぎの夢は潰えたのは公然の事実。結局のところ、「犬馬之労」は絵空事でしかない。長期的な見通しがなく「規矩準縄」もないまま「当意即妙」の打開策しか示せない状況で、「多士済々」と思しき政治家達が雁首を揃えたところで、有効な手立てを講じられない。そういう自分の面子ばかりを優先し、危急存亡の危機に何一つ有効な手立てを講じられない無能な政治家達は、単なる税金泥棒と一緒だ。国家としての毅然たる姿勢や方針がなければ国民はうらぶれた卑屈な感情さえ抱いてしまう。各政党もまた然り。「党利党略」ばかりが優先されて、自己の都合や利益だけを欲し、政権獲得を旗印に国家存亡の事態にさえもそればかりを追求し、与党の揚げ足を取ることしかできぬ日本の政党政治の実態。かの聖徳太子が諭した「和を以て貴と成す」という言葉は現世の日本の民主政治にはおよそ無縁のようだ。

Sugimura  かくなる上は根本的な政治システムの再構築が求められる。かつて当ブログに於いて、私が提唱したように、諸葛孔明の掲げた「天下三分の計」の構築が政治社会にも求められる時期に来ているのだ。つまり政党を3つに分け、「55年体制」の反省に立って、このような忌々しき事態に陥り、政権不安定になった際には、いつ如何なる場面でも政権委譲が簡素に行われるようなシステムに再編することが重要なのだ。10人未満の少数政党で一体何が出来よう。社民党や国民新党などのように、自らの政治信念を捻じ曲げてもどこかと連立を組み、結局は与党の座に収まることしかできなくなるのだ。結党時の主義主張は一体どこに消え去るのか。だから今こそ、政党政治の在り方を根本から見直す必要があるのだ。しかるに、以前に私が提唱したように再編するしかないのだ。つまり、民主・国民新党などで一党、自民・公明・社民などで一党、そして革新勢力として共産党を中心とする一党で構成する。無所属や少数野党は金輪際廃止する。方向性が異なる政党同士が、つかず離れずで轡を並べての「呉越同舟」的な連立政権は土台無理な話。必ずどこかで不協和音が出て、軋みが生じるのは必然。選挙制度もガラリ変える必要がある。政治家たるもの、身を粉にして国民のために働き、一命を投げ打って職責を全うするだけの覚悟を持って貰いたい。そういう確固たる信念の持ち主に立候補してほしい。言っちゃ悪いが、小泉チルドレンとして、独特なパフォーマンスを駆使して、たいした実力もないのに、物珍しさから周囲にチヤホヤされて、タナボタ状態で代議士になったものの、落選以降はへらへらとバラエティ番組に登場し、顔を売るだけで信念も何も持たない「杉村太蔵」なんかに政治を託した私達も愚かだった。タレントは出来ても彼に「政治のいろは」を語らせたのがそもそもの間違いだったのだ。元政治家ぶっているのなら一刻も早く被災地を訪れ被災者たちが「今何を考え、国に何を要望したいのかを聞いて来い!」と言いたい。今の政治家は、選挙では「金科玉条」、「美辞麗句」を並べ立て、「巧言令色」で「青雲之志」だけは一丁前だが、いつしか大志をなおざりにし、特定の所属政党の中で「主義主張」は影を潜め、角は削ぎ落ち、「井の中の蛙」で縮こまってしまう。「志操堅固」の者でさえ、気づけば朱に染まり、「臥龍鳳雛」を期待できず、「画竜点睛」を欠くしか道はない現行政治体制自体に問題があるのだ。

 では、結びに政治に期待できない中、「私達民間レベルで活動して、社会全体の大勢を変える新たな潮流を生み出すことも可能なのではないか」という結論に至る。もちろん外国の様に、クーデターを巻き起こそうという気はさらさらない。民主国家にはそれ相応の対応の仕方があるだろう。それには法律遵守の観点からも、一定の手順や段階を経なければならないし、相応の成果を上げるまでには相当な時間と手間がかかるだろう。しかし、現状に満足していては改革などあり得ない。TBSの「サンデーモーニング」の「風をよむ」のコーナーを見ていると、考えさせられることが多々あるが、総じて言えることは、私達は決して政治に無関心であってはならない。国や政治家が独断専行で決めた庶民の生活苦に拍車を掛けるような増税案を鵜呑みにして何の違和感も持たずに受け入れる、単なる言いなり状態では何の進展も得られないからだ。「YESかNOか」の態度を明確にし、今、何が必要で何を成すべきかを徹底討論して、ひとりひとりが意見や考えをしっかりと保持し、堂々と主張することこそがこの非常事態を乗り切る知恵を生み出すのだと信じている。「事なかれ主義」や「時代の傍観者」であってはならないのだ。だから反論を受けようが、私自身も慣れない稚拙な文章ながらこうして正々堂々と持論を捲し立てているのである。

  今回の記事では、政府批判や個人名を出しての評論も行ったが、あなた自身はこの意見をどう見るだろう。事ここに至ってもなお、単に「何も出来なくせに夜郎自大の外野が偉そうなことをほざくな」としか思わないだろうか?されど「横行闊歩」や「暴虎馮河」と蔑むなかれ。私は生粋の福島県民なので、これだけの意見を述べる権利を有していると思っている。しかも私の祖父が会津人の血を引く生真面目な性格で、私利私欲に一切走らず、一生を慈善活動に身を捧げた地方政治家だったこともあり、国民の代弁者として国政に赴きながら、その地位を有り難がってろくな政策も断行できず、適当に誤魔化す輩は断じて見逃しておけないのだ。同じ民族として、何か相通じるものがあったら、考えを聞かせて欲しいと思う。それが「気息奄々」に瀕している日本を救う第一歩になると信じて。一見、私が軽々しく日本政府を容易に批判しているように聞こえるかも知れないが、10年後、20年後の日本のあるべき姿を憂慮してのことであると察してほしいものだ。

 最後に、「大言壮語」かもしれないが、声を大にして言いたい。「これ以上、日本丸を羅針盤を持たないまま大海原を彷徨させてはならない」と・・・。

 記事作成:5月25日(水)

2011年5月11日 (水)

一世を風靡したCM (昭和編 Part3)

 本来は2回シリーズで終了のつもりだったが、昨日のラストで紹介したCM作品が気になったのと一昨日と昨日アップしたブログがアクセス数が多かったことから、急遽「Part3」を制作する運びとなった。今回が正真正銘のシリーズ最終回。当初は5月6日と7日の2日でアップする予定だったが、3回シリーズとなってしまったため、5月9日~10日に延期したことを付記しておきたい。では早速、第三弾をお送りするが、ここでリンクした「YouTube」の動画は予告なく削除されることがあることを申し添えておきたい。

 「なんであるアイデアル洋傘」(植木等)

 このくらい古い頃に「あたり前田のクラッカー」、「ガチョーン」などが流行した。ここに登場したクレージーキャッツの植木等さんも今では過去の人となってしまった。白黒映像がその時代背景や世相を感じさせる。おそらく50歳以上の方しか覚えがないと思う。私でもライブで見たことは一度もない。CMが放送されたのは、昭和38年9月から40年8月まで。「朝から晩まで『アイデアル』といえば目につくだろう」と、広告料の安い5秒CMが決まった。「当時、シャボン玉ホリデーでヒットして映画にも出演し、これからという植木等さんを起用したようである。一世を風靡した名文句であったことから掲載した。

 「オロナミンC」(大村崑)

http://www.youtube.com/watch?v=x2dAblFayKg&feature=related

 このCMも随分長い期間放送された。恐らく20年以上は使われたであろう。大村崑さんは幼少の頃から本業が何なのかわからない不思議な方だった。歌手ではないし、俳優でもない。作家でも芸人さんでもない。なのにあの国民的な人気は一体・・・。数年前までは大相撲大阪場所で、砂かぶりの特等席で観戦中の彼の姿をテレビ画面を通じて何回か見たことがあった。「元気ハツラツオロナミンC!」の後の「オロナミンCは小さな巨人です」は決め台詞だった。そして下の看板は町じゅうの至るところにあった。今でも田舎に行くと見かけることがある。

Omura

 「大塚食品ボンカレー」(松山容子)

 今の若い人(30代以下)は恐らく「この人誰?」の世界だろう。しかし、或る年代を境に、この食品には随分お世話になったと思う。お湯で温めればすぐに食べれるレトルト食品の魁として登場したのが、このボンカレーだった。あのパッケージは今も変わらず、私自身は生涯忘れることはない。その後、王選手がCMに登場したボンカレーGOLD(野球のボールをデザインしたパッケージ)も登場した。大村崑と同様、地方の商店に行くと木造の古い外壁に決まってあったのが下の看板。

Boncurry

 「金鳥蚊取り線香」

 他にも「タンスにゴン」、「どんと」、「マット」、「キンチョーリキッド」、「キンチョール」、「コックローチ」など製品ごとにCMが作られた。やはり大元はこの渦巻型の蚊取り線香のCMで、数多くのタレントが出演した。個人的は山瀬まみの河童が大好きだったが、やはり最後に「金鳥の夏、日本の夏」という花火文字の映像が付きものだ。このCMが始まると「いや~夏が来たな~」と実感した。

http://www.youtube.com/watch?v=hrEd4TPMQdY&feature=related

http://www.youtube.com/watch?v=Eh4SadirjD4&feature=related

http://www.youtube.com/watch?v=81sMyYRKryA&feature=related

 「大塚製薬オロナインH軟膏」(香山美子・斉藤浩子・名取裕子)

 美人女優だった香山美子さんと今は御無沙汰の斉藤浩子さんが親子として共演したCM。これもシリーズ化し、随分長い間放送されたお馴染みのCMだ。「香山さんと言えば大塚製薬」が代名詞になっていた。この頃はお母さん役が板についていた。今は何をしておられるのだろうか。この頃は、彼女を含め、栗原小巻、十朱幸代、山本陽子、岩下志麻、大原麗子、松坂慶子、酒井和歌子、島田陽子など、美人女優が数多く登場して来た時代だった。

 「ナカバヤシフエルアルバム」

 残念ながら当時のCMは「YouTube」などの動画サイトにアップされていない。フエルアルバムは老舗写真アルバムメーカーの「ナカバヤシ」が開発したバインダー式でアルバムのシート台紙がどんどん増やせてページが膨らむ画期的で夢のようなアルバムとして登場し、大いに持て囃された。私も何度も購入した。あの頃は、今のようにPCで自宅にてプリントアウトすることはなく、35mm版のフィルムをカメラ屋で買って、自分で撮影後、再びカメラ屋へ持ち込み、現像に出し、3日後くらいに写真が戻って来るという仕組みだった。

 「サクラカラー・フォトカセット」(薬師丸ひろ子)

 1980年代を代表する若手女優として脚光を浴びた。高倉健の娘役として出演した映画「野性の時代」で映画デビュー。その後、「セーラー服と機関銃」で歌手としてもレコードを出し、大ヒットした。マシンガンをぶっ放し、「カ・イ・カ・ン(快感)!」という台詞は有名。角川3人娘の一人であった。私は彼女と年齢が同じなので、まさにタイムリーだ。松田優作と共演した「探偵物語」や「メインテーマ」が好きだった。玉置浩二と結婚したが離婚。トレードマークだった瞳の下の泣きぼくろも取ってしまった。サクラカラーは「小西六」の商標であり、「百年プリント」が売りだった。その後「コニカ」と名称を変更した。

 「ナガオカ」(キャロライン洋子)

 このお方が「外タレ」の走りだったような気がする。アグネスラム、ジェーン・シェパード、ウィッキーさん、エマニエル坊や、マリアン、マルシア、サンコン、ケントデリカット、ビビアン・スーなど、数多くの外国人タレントが日本で活躍したが、キャロライン洋子さんは不思議キャラで、天真爛漫で元気いっぱいの女の子だった。これ以外にも東芝の縦型掃除機のCMなどにも出演し、1975~76年頃はバラエティー番組などにも引っ張りだこだった。今で言うベッキーみたいな感じ。

 「冨士薬品」(吉沢京子)

http://www.youtube.com/watch?v=7HHckuk5epY

 彼女は35年近く前にあって、とても可愛らしく爽やかで、とてもチャーミングな女性だった。女優が本業だったが、どちらかと言えばこの冨士薬品のCMモデルの印象が強かった。今もこのCMは続いているが、あまり当時と変わらない美しさを保っている。

 「トワイニング紅茶」

 私は個人的に思い入れがあるCMが、この「クイーンエリザベスⅡ世号」のバージョンである。中学生くらいの頃に流れていたCMで、BGMの曲が好きだった。壮大なスケールと「♪Twining Tea on the Queen Elizabeth~♪」という節が脳裏から離れない。

 その他にも♪「大きく~膨らむ~夢~夢~夢~」♪という歌が心地よかった「セキスイハウス」や「大橋巨泉のパイロット万年筆の「ハッパフミフミ」も流行語になるほどの好評を得た。「ラッパ~一発吹き鳴らせ~」の「丸大ウィンナー」、「カエルコール」もまた然り。他に想い出深いのは「エポック野球盤」や「ホームランバー」、錦帯橋を壮大なスケールで描いた「違いのわかる男のゴールドブレンド(ネッスル・現ネスレ)」、「ロート製薬」、「日立のこの木なんの木」、会長が藤村俊二や樹木希林と共演した「ピップエレキバン」の会長も是非とももう一度見たいCMだ。まとめてどうぞ!

「セキスイハウス」

http://www.youtube.com/watch?v=HVi1RWBFk3U

「パイロット万年筆」

http://www.youtube.com/watch?v=rYfYaflhi7w

「エポック野球盤」(CMがないので遊び方VTR)

http://www.youtube.com/watch?v=mE6MfcFgDQ4

「ホームランバー」

http://www.youtube.com/watch?v=t_YzjC67r_Q&feature=related

「ロート製薬」

http://www.youtube.com/watch?v=UQ1CNOsNqis

「この木なんの木」

http://www.youtube.com/watch?v=q8SQNMclNGY&feature=related 

「ピップエレキバン」

http://www.youtube.com/watch?v=x5IUE3Wp4iE

「丸大ウィンナー」

http://www.youtube.com/watch?v=3X-QXaVZdC4

 <おまけ>

 鶴田真由(特典お宝映像)

 彼女は私のマドンナだった。O型の典型。愛情表現に長け、魅力を余すことなくストレートに表現する。清純なイメージなのに、甘ったるい面と大胆かつエッチなシーンにも果敢に挑んでくれた。これは最後まで読んでくれた方へのおまけのお宝映像としてお送りしました。もちろん昭和のCMではない。1994年の作品。

 さて、1日延長して3回シリーズでお伝えした「一世を風靡したCM~昭和編~」いかがでしたか?「そう言えばそんなCMあったな」とか「懐かしい~」と思って頂けたら、今回の企画を制作した甲斐があったというものだ。とかくCMは、チャンネルを変えられる存在だったり、その隙に野暮用を済ませるだけの不要物のように映るかもしれない。しかし、CMスポンサーがいて、初めて番組が成立する訳で、これ見よがしには出来ない大事な提供物なのだ。作り手も、視聴者を画面に釘づけにする面白CMを制作して頂きたい。私達の記憶にずっと残り、時々「むかし懐かしいCM」として特集番組に取り上げられるような、そんなCMを。もし、今回のこのテーマが好評であれば、暫く時を置いて、Part 4以降も随時考えていこうと思います。

 記事作成:5月4日(水)

2011年5月10日 (火)

一世を風靡したCM (昭和編 Part2)

 昨日に引き続き、本日もまた激動の昭和を彩り、数々の話題を振りまいたCM作品を選りすぐって紹介したい。なお、紹介するCMは、年代など順不同である。また、これらの「YouTube」の動画は、予告なく削除されることがあることを申し添えておきます。

 ナショナル・クイントリックス(1974年 坊屋三郎)

 以前、当ブログで取り上げた懐かしいCM。私が小学生の頃に放送していた。高度経済成長期にあって、技術革新や様々な市民生活に便利な電化製品が開発され、人々のライフスタイルが劇的に変化した「古き佳き時代」だった。三種の神器に始まり、「3C」を所有しや高層団地に住むことが庶民の憧れだった。「ナショナルクイントリックス」は、テレビがカラー化された頃の急先鋒的な役割を担っていた。対抗馬は「ソニーのトリニトロン」だった。いずれもスペースを取る大型ブラウン管テレビだったと記憶している。

 丸八真綿(高見山)

 「ジェシー」こと角界初のハワイ出身の外国人力士・高見山の芸達者な一面を覗かせるCMだった。あの巨体にもかかわらず、軽やかにステップやダンスを踊り(ナショナルのトランザム)、エンターテナーぶりを大いに発揮し、人気が出た。「トランザム」はコチラ↓

http://www.youtube.com/watch?v=NtIRheMg2J4

 ライオン・ブルーダイヤ(1980年頃)

 どれだけ干せば気が済むの?と思えるほど数多くの洗濯物が並べられ、風になびいていた。極めつけはCMのラストで耳の奥に残る♪金銀パールプレゼント~♪のフレーズでお馴染みのCMだった。今では公正取引委員会からクレームが来そうな大盤振る舞いのプレゼントだった。今もこの洗剤は製造・販売されているのだろうか?「消臭ブルーダイヤ」という名前は聞いたことがあるが・・・。この頃は、「ブルーダイヤ」の寡占市場だったが、その後、「酵素パワーのトップ」と「アタック」が台頭し、シェアを食われた。

 明治製菓(おいらはアルマジロ~♪)

Arumajiro Chibimajiro

 これは私が小学生時分、明治製菓の景品だった人形。私は幾らハガキを出しても一向に当たらないのに、運の良いクラスメートA君は、ひとりで2~3個も持っていた。この頃から私はくじ運はないし、勝負運も弱いことを悟り、以来、賭けごとは一切封印した。アルマジロ人形(ポケットつき)とチビマジロ人形があった。残念ながら「YouTube」やニコニコ動画のどこを探しても当時のCMはアップされていなかった。

 丸大ハム(1979年頃)



 「腕白でもいい、逞しく育って欲しい」というコピーはウチの亡くなった祖父の決め台詞だった。このCMは結構長年に渡って放送された。

 日本船舶振興会「一日一善」

 これも以前、当ブログで取り上げたことのあるCM。今は亡き産業界の首領、笹川良一氏が自ら出演し、拍子木を叩きながら子供達と一緒に善行を訴えて街を練り歩いた。作曲家の山本直純や高見山関も共演していた。これもシリーズ化し、曜日毎に様々なシチュエーションの作品が制作された。最後に笹川氏が声を荒げて叫ぶ、「街を綺麗にしよう、一日一善!」という言葉が妙に脳裏に残っている。

 フジカラー(岸本&樹木希林ー1980年)

 岸本加世子と樹木希林の掛け合いが傑作だった。このシリーズは世紀を跨ぎ、最近まで制作されている。中島みゆきや松田聖子、堀北真希、長瀬智也、GACKT、佐々木希などが共演した。

 ミノルタX-7(宮崎美子/淑子ー1980年)

 ♪今の君はピカピカに光って~呆れかえるほど~素敵~♪の曲に乗せ、今で言う生着替えを披露したのは、当時、熊本大学の学生だった宮崎美子(現・淑子)。今は「Qさま!」で漢検1級を取得し、漢字問題のエキスパートの才女として活躍中の彼女だが、当時は人気大絶頂の現役女子大生アイドルだった。最後のハニカむような表情が男性の心をメロメロにした。その後、彼女は芸能界にデビューしたが、最初に出演したのが「元気です!」という汚れ役のようなドラマでギャップが凄かった。クイズダービーの解答者としても活躍した。妹にしたいタレントやお嫁さんにしたい女優でも上位に入っていた。また、斎藤哲夫さんが歌うこのCM曲もヒットした。何を隠そう、私もこのレコードを持っていた。下をクリックして貰えばわかるように、昔は清純派の代表格だった。健康的な魅力に溢れていた。

http://www.youtube.com/watch?v=RP3_rF9h-Po&feature=related

 グリコ(田原俊彦&松田聖子の高原での出逢い篇)

 1980年代を代表するスーパーアイドル同士の共演CMだった。何か微笑ましく、ほのぼのとした作品に仕上がっていた。「この2人にもこんな若かりし純な時代があったのか」と、妙に懐かしく感じてしまった。曲は田原俊彦が歌っていた「ハッとしてGood!」。

 聖子ちゃんの能登半島ひとり旅「風立ちぬ編」と「京都編」はコチラ↓

http://www.youtube.com/watch?v=FEhXrfrdAc8&feature=related

http://www.youtube.com/watch?v=QldrK5WKB78&playnext=1&list=PL398D97AE1980A25B

 私の高校時代は松田聖子と共にあった。同級生の女子たちは皆、「聖子ちゃんカット」という、前髪は眉を隠す程度、サイドとバックは肩下5~10センチ程度のレイヤードをセンター分けにし、毛先をサイドは後ろ、バックは内側にゆるくカールさせたスタイルをしていた。今見ると笑ってしまうくらい皆、同じ髪型で卒業アルバムに写っていた。

グリコ(渡辺徹&小泉今日子の再会篇)

http://www.youtube.com/watch?v=Bm8oPStMyo0

 この二人はいい雰囲気だったが、恋愛感情に発展することはなかった。兄と妹的な感じだった。キョンキョンのあどけない表情が可愛いかった!本当は出逢い編のほうを紹介したかったが、その動画が削除されてしまった・・・。そしてこのCMも埋め込み処理不可のため、アドレスのみの紹介となってしまった。ご容赦願いたい。

 さて、2日間に渡ってお送りした昭和を代表するCMの数々、如何だったでしょうか?同じ時代を生きた方々が少しでも懐かしんで貰えれば幸いです。もちろん、人それぞれ好みは異なるし、記憶に残っているCM作品は違うだろう。私自身も思いつかないだけで、忘れているであろうCM作品は大いにあるに違いない。他には「嬉しいとメガネが落ちるんです」の名セリフでお馴染み、大村昆主演の「オロナミンC」や松山容子さんが出演していた大塚食品のボンカレー、「金鳥の夏、日本の夏」で最後に花火の映像で締め括る蚊取り線のCM、香山美子、斉藤浩子、名取裕子らが出演した「オロナインH軟膏」、ナカバシの「フエルアルバム」、キャロライン洋子の「ナショナル掃除機&ナガオカ」、純粋無垢で可愛らしかった薬師丸ひろ子の「サクラカラーフォトカセット」、「トワイニングテー・オン・ザ・クイーンエリザベス」など、昔に目にしたCMはたくさんある。さて、あなたの好きだったCMは何ですか?もし、今回のこのテーマが好評であれば、Part 3以降も随時考えていこうと思う。

 記事作成:5月2日(月)

 

2011年5月 9日 (月)

一世を風靡したCM (昭和編 Part1)

 歳をとると何故か昔の事はよく覚えているくせに、最近の事となると無頓着でなかなか覚えられない。新しいことを脳がなかなか受け付けてくれないようだ。特に学生時代(小中高大)を過ごした昭和の出来事はある部分、鮮明に覚えていたりする。不思議なものだ。そして当時は辛かったことでも、時間がたてば美化され、それも良い想い出になっていたりする。或る意味人間とは都合のいい習性を持った生き物である。これまで私は、当ブログにおいて、自分が無類のテレビっ子で、暇さえあればテレビの電源を入れ、ジャンルを問わず様々な番組をチェックしていたことを記して来た。その中でも、学生時代はとりわけ、「いい旅夢気分」などの旅行番組ばかり見ていたし、「知ってるつもり?」や「驚き桃の木20世紀」などの教養番組、雑学知識を増殖できるクイズ番組(ベルトクイズQ&A、タイムショック、ドレミファドン!、ウルトラクイズ、連想ゲーム、霊感ヤマ感第六感・クイズダービー・クイズ100人に聞きました・三枝の国盗りゲーム・ヒントでピントなど)、「ザ・ベストテン」などの歌番組、そして更には情報やドキュメンタリータッチの物を好んで見ていたし、「忠臣蔵」や「白虎隊」などの「年末大型時代劇ドラマ」も大好きだった。社会人になってからはNHKの「プロジェクトX」や「その時歴史が動いた」、「趣味悠々」が好きだった。そして、意外と印象に残っているのがその合間に流れるTVコマーシャルだった。そこから流行語が生まれたり、コピーライター・糸井重里に代表されるようなキャッチコピーが重要度を増し、小林亜星などによってCMのBGMなども流行した。また、広告代理店やCMプロデューサーなる職業が持て囃された時期でもあった。そこで今回のテーマは一世を風靡した昭和を代表するCMをピックアップしてみたい。世代的には昭和の後期になる。昭和45年(1970年)以降で、特に流行ったと思われるようなCMを紹介したい。なお、以前に取り上げたことのある「コカコーラ」と「国鉄&JR」の作品は今回は割愛させて頂きたいと思う。では懐かしいCMの数々をどうぞ。

 文明堂のカステラ

 のっけから意に反して1930年代のCMを取り上げたが、これは今も続く文明堂のカステラCMの魁という意味で掲載した。テレビの黎明期の昭和30年代には既にこのメロディーと人形劇仕立てのこのCMが世に出ていたという事実。長い歴史と伝統を重ねて、今がある。

 スタイリー(1975年)

 これも懐かしい。♪スタイリ~スタイリ~♪という独特な節回しと、最後の「私に電話してください。どうぞよろしく」は一世を風靡した。この頃はぶら下がり健康器や高価な肩たたきマッサージ機などが世に登場し、結構売れた時代だった。残念ながら地方である我が県ではこのCMは流れていなかったのだが、あまりにも有名だったため、掲載した。

 ナボナ(亀屋万年堂)

 「世界のホームラン王」の名をほしいままにしていた王貞治選手が出演していた。「ナボナはお菓子のホームラン王です」というフレーズが未だに耳に残っていて妙に懐かしい。

 猛烈ダッシュ(丸善ガソリン-1969年)

 お色気路線の走りのCMと言って良いだろう。1969年、テレビのカラー化が始まった頃の作品である。小川ローザが出演し、世の男性の視線を釘づけにして話題をさらった伝説のCMだ。この曲を歌った「しばたはつみ」さんは昨年お亡くなりになった。合掌

 レナウン娘

 レナウンと言えば、初期のCMは「イエイエ」がすっかりお馴染みだったが、1978年のこのCMはとにかく流行った。ワンサカ娘のこの歌もヒットした。

 ハトヤ大漁苑

 「伊東に行くなら~ハ・ト・ヤ~、電話は良い風呂~」という有名なCMに加え、「4126体操」がCM業界を闊歩した。活きのいい魚を腕に抱えていた男の子は今、何をしているのだろう。

 ドレミまりちゃん自転車(天地真理ー1974年)

 当時超人気アイドルだった天地真理が出演していた。価格24,900円と当時の子ども自転車としては破格の価格だったにも拘わらず爆発的に売れた。「真理ちゃん自転車に乗ればあなたも魔法使いに」、このフレーズに当時の女児は魅せられたものだ。 

 カルビー(藤谷美和子-1977年)

 藤谷美和子と言えば1970年代後半から80年代初頭にかけて、学園ドラマの生徒役として引っ張りだこだった。特に中村雅俊が教師役だった「ゆう日ヶ丘の総理大臣」は圧巻。井上純一と共演することが多く、噂にもなった。とってもチャーミングで、少しすっとんきょうな感じがまた可愛らしかった。

 日清きつねどん兵衛(1977年) 

  今では2人とも故人となってしまった。「日清どん兵衛」と言えばこの二人が代名詞。山城新伍さんと川谷拓三さんの名コンビのCMは大好評で、シリーズ化した。チャンチキ風の「どんぶりばっちゃ浮いた浮いた~くるりっとシャンシャン」というフレーズもまた懐かしい。その他のシリーズは下をクリックすればご覧頂けます。

 http://www.youtube.com/watch?v=m1tD-40Of-U&NR=1

 エメロンクリームリンス&シャンプー

 このCMも1970年頃からシリーズ化し、10年以上放送されていた。レポーターが様々な都市を訪れ、街角で見かけた髪の綺麗な女性を追いかけてレポートし、最後に振り向かせるという内容。ハローナイツの「ふりむかないで」もヒットした。♪「ふりむかない~で~○○の女(ひと)~」♪というのが妙に頭に残っていた。

http://www.youtube.com/watch?v=TWYsXRI9g7I&feature=related

http://www.youtube.com/watch?v=fDIBXwNiAT0&feature=related

http://www.youtube.com/watch?v=4SpBxtNnVaA&NR=1

 石丸電気

 家電量販店のCMと言えば、エノデン坊や、ラオックス、カメラのさくらや、ビックカメラ、カメラのドイ、ALIC日進、そしてヨドバシカメラが有名で、これらのCMを見ない日はなかった。その中でも秋葉原に数多くの店舗を展開していた石丸電気のCMは実に想い出深いものがある。

 さて、今回はスペースの関係上ここまで。次回はPart2として昭和を代表するようなCMを10作品紹介したい。なおリンクした「YouTube」の動画は、予告なく削除されることがあることを申し添えておきます。

 記事作成:4月30日(土)

2011年5月 4日 (水)

震災の真実を伝える映像・・・

 あの震災から54日目の今日、未だにその爪跡は消えず、人々の心からあの日の恐怖を取り去ることはできない。正直に言えば、この映像は掲載するかどうか迷いに迷った。しかし、日本では今回の震災について、あまりにも知らされていない事実が多すぎるように感じた。そこで今回は、日本ではあまり放送できない映像として「YouTube」に多数アップされていたものを紹介したい。「震災の真実」を包み隠さずに伝え、強烈なインパクトを与えるかもしれないが、決して綺麗ごとでは済まされない「本当の東北の姿」を映し出していると思われる映像を敢えて紹介します。心臓が弱い方は再生ボタンを押すのをご遠慮ください。

「日本では放送できない震災の裏側2」の映像は、犠牲者の遺体が多数映し出され、あまりにも衝撃が強いため、掲載を見送らせて頂きました。ご了承ください。

 「人間失格」 by Metis

もう帰らぬ日の青春
何より自分が大切だった
苦しむ友を救う事さえできなかった
人間失格

つまずく足元に咲いていた
頭を垂れたお人好しな花
色んな者に踏まれる為に
きっと強く立っていたのでしょう?

人を従わせ支配しそんなに自分を大きく見せたいのですか?
君の庭に咲く花は寛大ですか?
心のままにいつも咲いていますか?

涙を忘れていませんか?大事な事から逃げてませんか?
自分に嘘をついてませんか?諦める事に慣れ過ぎてませんか?
泣きたければ 泣けばいい 叫びたければ 叫べばいい
それでいいんだよ…君でいいんだよ…
全ていいんだよ…きっといいんだよ…
明日は明日の風が吹く

http://www.youtube.com/watch?v=hX6J1HdGI24

http://www.youtube.com/watch?v=ycRxtWHXOFA&feature=related

http://www.youtube.com/watch?v=E-PjxqTozhs&feature=related

http://www.youtube.com/watch?v=sAIwDTsdadU&feature=related

http://www.youtube.com/watch?v=GtG_e9pwWmk

http://www.youtube.com/watch?v=Np5q2RVbVG0&feature=related

http://www.youtube.com/watch?v=DDkLXDTaTfg&feature=related

 これらの映像を直視できますか?私は夜中にひとりで見て、大泣きしてしまった。特に最初の映像は衝撃的で、Metisの「人間失格」の歌詞には「人間としての尊厳や生きる意味」を問い正されていると感じ、身につまされて胸を締め付けられる思いがした。本当は見るのも辛いが、この現実を風化させてはいけない。後世に語り継がなくてはならないという強い衝動に駆りたてられた。私自身も福島県在住の身で、今回の出来事は切実である。実際に「震度6弱」の激震を体験したし、多くの建造物の損壊を随分目の当たりにして来た。そして未だに終息しない原発の放射性物質の問題と風評被害・・・。おそらく今年は稲作もできないだろう。酪農家にとって手塩に育てた乳牛を出荷しなければならないことがどれほど辛いことか。ここ福島県は毎日、震災のニュースで嫌というほど現実を突き付けられている。それでも人々は明日を信じ、前を向いて生きているのである。私はそんな被災地にあって、誰よりもその苦しみを知っている。マスコミで取り上げることが出来るのは、ほんの一部で、光を当てていない部分があまりにも多すぎる。私にも経験があるが、或る日突然肉親を失う悲しみほど辛いものはない。

 何度も言うが、衝撃的な場面が多々含まれているため、これらの映像を掲載するのは苦渋の決断だった。しかし、最初の映像の制作者が語るように、今回の大津波による被害、多くの何の罪もない方々が犠牲になった現実を10年先も20年先も伝えなければならない。天災は忘れた頃にやって来る。決して風化させてはならないのだ。今日もまた余震は続き、私が暮らす福島県は、県民が散りじりとなり、明日も見えない避難所生活を強いられている方が大勢いる。5月1日現在、福島県内の死者は1,500人を超え、行方不明者もまだ1,100人以上いる。「未曾有の災害」と言ってはいるが、報道規制や放送コードがあって、日本では亡くなった方(遺体)を写す訳にはいかないし、被害者感情には最大限配慮する必要がある。そして第三者であっても、あまりにも衝撃的で悲惨な映像や画像は、精神的疾患を生みだす恐れがあることから、真実の場面を我々は直接目にすることは出来ないのだ。しかし、ある日突然に肉親を奪われた遺族の深い悲しみややり場のない怒りなど被災者の本当の姿を直視して貰えれば、風評被害などと言ってられないと思う。

 これまで福島県民は、「復興支援」とは名ばかりで、方々の避難先で言われなき差別を受けたり、邪魔者扱いを受けて来た経緯と現状がある。日本では「臭いものには蓋」的な思考があり、自分に害が及ばなければいかにも善人のような立ち居振る舞いをするが、いざ自分に火の粉が降りかかってこようものなら、鬼の形相で振り払おうとする習性があるように思えてしまう。或る東海地方の県では実際に行われていたらしいが、「福島県民お断り」などという看板を幹線道路沿いに平気で出していた給油所があったという。住む家を追われた人に対し、どうしてそんなに冷たい振る舞いができるのか?そこまでして完膚なきまでに福島県民を叩き潰したいのか?病院ですら、「福島県の住所が記載された保険証を受付で出したら、そのまま別室に案内された」とか、レストランでは入店を断わられたり、スーパーの駐車場で福は、島ナンバーの車はそのまま退場を命じられた経験をさせられた県民は大勢いるという。めちゃ悔しいし、同じ日本人でありながら、こうした狭い心でしか取り合えない人間がいることにも強い憤りを覚える。もし自分がその立場だったら何とするである。東海地震が危惧されている状況下、決して対岸の火事ではない筈だ。いざ自分が避難する立場になってみて、吠え面かいても遅い。そういうぞんざいな人間は四面楚歌の状況に置かれても文句は言えないのだ。被災者や避難している方々は、家に帰りたくても帰れない。我が家がそこにあるのに帰れない辛さをわかってもらいたい。そして津波で流され、帰る家すらない人も現実にいるのだ。未だに岩手・宮城・福島3県だけでも行方不明者は1万人以上もいる。身内を失った家族は生きる力を失うほどの衝撃を受けている。どうしてそういう人に対して手前勝手な惨たらしい発言や行動が出来るのか不思議でならない。もう少し、被害者の身になって考えてほしいものだ。

 また、テレビ等で芸能人が大挙してメッセージを送ってくれているが、「日本の強さを信じてる」とか「大事なのは続けること。僕はずっと応援し続けます」と言っているが、実際あの方は「被災地域に対して何を応援し続けているのだろうか?」。思っているだけで行動しなければ傍観者と同じだ。現地を訪れて悲惨な状況を自分の目で確かめたのだろうか?テレビの映像だけ見て、真実を直視していない人間があのようなことを口走ったところで説得力は感じられない。東電の社長も遅ればせながら、福島県を始め被災地域を巡って謝罪や懺悔の日々だが、未だに社員や作業員が死闘を繰り広げている「福島第一原発」を訪れていない。どれだけの損害でどれだけ不自由な暮らしを強いられているのかわかっていない。このような方がトップにいる企業では社員が可哀相だ。どうやら私の在籍する大学を卒業したようだが、このような方を先輩に持って残念だ。人格を否定するつもりはないが、病気で入院していたとはいえ、やることが後手後手で遅すぎることが不信感を強めているのに他ならない。

 悪いことばかり書き並べてしまったので、ここで多少良いことを書きたい。この度の未曾有の震災被害にあって、被災者を始め、日本人の統率のとれた行動、規律と礼節、道徳心、公共心を備えた日本人の礼儀正しい行動に、外国からは賞賛の声が上がっている。ともすればこれだけの生活難に見舞われると、略奪や暴動が起きるのが国際社会だが、日本人は、この苦難に直面しても、自分の利益より他人との調和を優先し、秩序を保ち、平常心を見失わず、協力して避難所生活を送っている。そのマナーの良さに驚愕されている。特に東北人は冬の寒さに耐えるだけの強い精神力と忍耐力が備わっている。これは世界に誇れることである。そして一つの出来事や大きな問題が生じると、日本人全体の問題として共感し、連帯意識を持って解決策を見出そうとしたり、ボランティア活動が活発に行われることも同様である。様々なCMが作られ、各テレビ局が「繋がろう日本」とか「助け合おう日本」、「ひとつになろう日本」、「絆プロジェクト」などのキャッチフレーズの下、助け合いの精神を呼びかけるのも日本ならではであろう。現に、芸能人やアスリート達が被災地を訪れ、様々な復興支援を行っているのは頭が下がる思いだ。そして「サントリー」のCMでも「上を向いて歩こう」と「見上げてごらん夜の星を」を様々な歌手が歌い、チャリティーに協力しているのも有り難い。これらの駆け引きゼロの純粋な試みは大いに評価できるし、賞賛したい。

Suntory_song

 最後に、今も原発で必死に闘っている社員や作業員、いつ終わるか知れない行方不明者捜索で、何千体もの遺体を発見し、収容し、遺族に引き渡す最も辛い仕事に従事している方々も大勢いる。自らもストレスを抱え、寝る間もないくらいの重労働をされている自衛隊員、消防団、警察官、そして自治体の方々に感謝し、敬意を払う意味で、ここにもう一つ感動的な動画を紹介したい。

 自らの命を顧みず、防災無線で避難を呼び掛け続けて行方不明になった24歳の女性の話(この動画はNHKニュースのため、予告なく削除されることがあります。ご容赦ください)

 この動画は命をかけて数多くの方々を守った真実の行動記録として削除されないことを願います。涙なくしては見れない映像です。どうしてこのような最期まで人の為に尽くした立派な方まで神様は召されるのか、居た堪れない。謹んで彼女のご冥福をお祈り申し上げます。

http://www.youtube.com/watch?v=QMI1L8mB5ps&feature=player_embedded

↑残念ですがNHKの申し立てにより削除されました。このような後世まで残さなければならない貴重な映像まで単に「著作権」を盾に根こそぎカットするNHKは信じられない。

 そして、追加でもうひとつ、日本人らしさを教えてくれ、誇りを取り戻させてくれた動画を紹介して結びとします。

 「がんばろう福島、がんばろう東北、がんばろうニッポン!」

 真実から目を背けずに・・・。

 記事作成:5月3日(火)

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