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2011年6月14日 (火)

原発事故に見え隠れする日本人気質

 朝、「Yahoo!」のニュースを見ていたら、遂に原発被害で経営が立ち行かなくなった県内の酪農業者が自殺してしまった。これは決して軽んじてはいけない問題で、まずはそれを報じた「読売新聞」の記事から抜粋したい。

 福島第一原発の事故で、牛を処分して廃業した福島県相馬市の酪農家男性(50歳代)が「原発さえなければ」と書き残して自殺していたことが13日、わかった。関係者によると、男性は今月11日、小屋で首をつった状態で見つかった。小屋の壁に白チョークで「仕事する気力をなくしました」「残った酪農家は原発にまけないで」と記していた。男性が住む地区は当初、加工前牛乳が出荷停止となり、男性は乳を搾っては捨てていた。今月初旬までに手塩にかけて育てた乳牛約30頭を処分した。男性は親の代から酪農を続けており、姉は本紙の取材に「(弟の死は)子どもたちのことを思えば話したくない。しかし、原発の件は訴えたい」と語った。 酪農家仲間だった男性(51)は「避難区域ではないため、補償はないだろうと繰り返していた」といい、農業男性(53)は「連絡をとるたびに『原発ですべてを失った』と悩んでいた」と話した。

 しかしながら、人ひとりの尊い命が失われた事実は極めて重大であり、この責任は一体誰が取るのだ。将来を悲観して死を選ばざるを得なくなった本人が責めを負う理由などはどこにもない。原発は風評被害を含め、福島県民のすべてを狂わせてしまった。政府はこうした災害補償に関してより明確な支援策を具体的に提示しないと、同じような事例は後を絶たないだろう。本来は失われずに済んだ筈の犠牲を、再び繰り返すことにならないよう肝に銘じて、一刻も早い対応策を提示して福島県民を安心させて貰いたいものだ。

 また、地元新聞紙に目を通せば、お悔やみの欄には、今でも3月11日の日付で亡くなった方々の死亡記事が出ている。もちろん震災で犠牲になられた方々が新たに発見されたことによるものだ。実に痛々しい。中には1歳や8歳、9歳という幼子の名前が掲載され、こんな生まれて間もない赤子まで神は天に召すのかと居たたまれない気持ちになる。この1歳の子供は何のためにこの世に生を授かったのか?人間の真っ当な行いを何一つ経験できないまま、津波に飲み込まれた小さな命。この子が一体どんな悪いことをしたというのだろう。あまりにも不平等だし不条理だ。あの運命の3月11日に、津波で死ぬために生まれてきたというのか?だとしたらあまりにも惨く、神は無慈悲過ぎるのではないだろうか。されど、不謹慎に思えるかも知れないが、震災で数万人規模の死者や行方不明者の数字を目の当たりにしてしまうと、何か感覚が麻痺してしまい、どこかで殺人事件が起きたとしても何かピンと来ない。人間の命は地球よりも重いことは重々知っているが、何か形骸化してしまう部分があることを否めないのだ。最終的に2万人を超えるであろう今回の東日本大震災。ハード面だけでなく、ソフト面の収束は一体いつになるのだろうか?改めて今回の出来事を風化させてはならないことを私達は自覚しなければならない。 

 一方で「福島原発事故」を受けて、イタリアでも国民投票が行われ、半数を超える有効投票があり、「原発にNO」を訴え、「原発凍結」に賛同した国民は驚くなかれ94%にも達した。イタリア首相はこれを重く受け止め、「国民の意向に添うように厳正に対処する」とコメントした。また、フランスでも国民世論の結果、77%が「脱原発」に賛成するなど、福島の原発事故は世界各国に波紋を広げ、また、暗い影を落としているようだ。 

 さて、それでは本題に入るが、今朝の朝日新聞の「天声人語」には、作家・池澤夏樹さんの手記から一部を引用していた記事が掲載されていた。それは「核エネルギーはどこか病理的なところで、人間の手に負えないのだ。それを無理に使おうとするから嘘で固めなければならなくなる」。全くこのご時世、特に我が県は、いつ収束するとも先が読めぬ不安の中、実に的を射た文言表現であり、その記載を見落とさず、抜粋した朝日新聞の記者の手柄と言えるだろう。実態や得体の知れぬ学者が小賢しい知恵で突き止めた「原子」や「中性子」の理論。これを平和理に用いれば人間に相応の恵沢をもたらしてくれるだろうが、一歩扱いを誤れば、想像を絶する「悪魔の宿る殺戮兵器」と化し、人間の生存をも根底から揺るがす負の遺産ともなりかねない。さらに、「天声人語」はこうも語りかける。広島への原爆投下で何が起きたか軍や学者はわかっていた。にもかかわらず、大本営発表では、「若干の被害を被った模様」とだけ、国民に嘘の情報を流した。これは欺瞞以外の何物でもない。当時の日本はまんまと国民を騙し続けた結果、敗戦国という思いも寄らぬ衝撃と屈辱を受ける結果となった。これに関して、つい先日の「吉田照美」の朝のラジオで、ゲストの見解として、プライドの高い日本人が表現のすり替えを得意としていたことを裏付ける発言をしていた。例えば、現在も大陸へ侵攻し、数多くの何の罪もない中国人民を旧日本軍は虐殺する行為を行っておきながら、「侵略」とは絶対に言わない。これを認め、「正当化」してしまうと、戦争を引き起こした大義名分が無くなり、日本人は単に野蛮で無慈悲な民族だと非難を浴びるだけだからだ。更には多額の賠償を支払わされる責任が生じる。未だにアジア諸国に対し、あれほどの苦痛や犠牲を強いておきながら公式に謝罪もしていない。また、そうしたこちらから出向いて仕掛けた戦争であっても、「満州事変」とか「盧溝橋事件」と呼び、あれは偶発的な事件だったと未だに政府は主張している。更には「敗戦」というのは紛れもない事実なのに、日本人の戦死者の遺族感情に配慮し、「終戦」という言葉を用いて来た。「靖国参拝問題」も難しいところがあるが、小泉元首相を除き、これまでの首相は諸外国に配慮し、公人か私人かの態度を明確にせず、適当にうるかしてきた感があるのだ。

 更に「天声人語」はこうも続けていた。「恐ろしくなったのは、20年30年後に発症し、これが原因で死に行くその時の時差でした」。つまり、得体の知れぬセシウムなどの放射性物質は、体内に長く留まり、忘れた頃に真の威力を発揮し、人間に悪魔の牙を剥いて向かって来るのだ。実際、昨日の深夜のニュースを見て、私は相当のショックを受けた。原発から70kmも離れた福島市内の放射線量が、道路横の草むらの茂みで地表の上に線量計を置いた状態で測定したところ、何と桁外れの152.76μsv/hの高濃度の放射線量が検出された。しかもそこが小学生の通学路の道沿い。ホットスポットでの値とは言え、文科省を始めとする政府は、そうした情報を「今回初めて耳にした」と我関せずの見解。この意識の低さは何なのか?国の主導による除染対策はまったく行われていない現状が明確になった。その測定に携わった京都精華大学の先生も「この場所にはあまり長く居たくないですね」と言い放って、すぐにその場を離れた。そこをマスクも付けずに地元の小学生の下校中の列が歩いて通って行った。福島県は独自の対応マニュアルの策定もせず、単に国からの指示を待ちすぎているだけ。指をくわえて待っていたら命の危険性は更に高まる。後で取り返しがつかなくなる。力もないのに、人柄の良さだけで県知事に選ぶと、下々の県民は苦労するという皮肉な例だ。佐藤栄佐久前知事なら、身を呈してでも県民のために国に多くの苦情やら陳情を展開してくれ、事態は多少沈静化に向かっていただろう。
Fukushima

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 そして連日の報道を見てみると、原発内で作業に当たる従業員が、予想を遙かに超える放射線を浴び、被爆していた現実が明らかになった。国の基準値では、年1回の胃のX線検診で0.6ミリsv/h、年間の自然界の放射線で2.4ミリsv/h、業務に従事する人の年間被爆量の上限は50ミリだが、今回は特例として福島原発の作業員が認められている被爆量の上限は250ミリなのだそうだ。しかし、最近の東電の発表では耳を疑うような数値が発表された。何と既に250ミリを超えた人が8人もいて、最高は中央制御室での作業員で、678ミリであった。これは人命を脅かすほどの量である。更に甘すぎる基準値を超えてはいないものの、100ミリを超えた作業員も102人にも上っていた。何とも杜撰な安全管理。事故が起きた後もなお、作業員を平気で命の危険に晒す杜撰な管理体制を露呈した。人の命を軽視する輩だからこそ東電は今後も全く信用できないのだ。

 そして、まるで伝染病のように被害は拡大する一方である。海水だけでなく、福島県内の河川に棲むヤマメやウグイからも放射線物質が検出された。釣り人は激減。漁協は大打撃、養殖魚を扱う業者までもが風評被害に遭っているという。更に、本日夕方のNHKのニュースでは、福島市内の下水処理施設で、44万ベクレル/kgを超えるセシウムを検知したと報じた。桁が違いすぎ。なんともやるせない。こうなると「原発」とは悪の化身ではなのか?この怒りをどこにぶつければいいのだろう。結局、国は福島を完全に見捨てているように思う。所詮、政府など首都・東京から250km以上も離れた地方都市の惨劇など対岸の火事にしか思っていない。自分らに危険が降りかからなければどうでもいいという感じが見て取れる。避難指示も二転三転、政府の判断は後手後手で右往左往。後になって「メルトダウンで大量・高濃度の放射性物質が大気中にばらまかれていました」では話にならない。善良な市民達を命の危険にさらしておきながら、よくもまぁぬけぬけとこのような無責任なことが言えるものだ。恐らく戦時中の「大本営発表」の如く、まだ秘密裏に処理していることがたくさんあるに違いない。国民がパニックにならぬよう、正確なデータを封印している筈だ。未だに先が見えない原発の処理問題。毎日、不安だらけの綱渡り生活を強いられるが、事態を注視していきたい。

 最後に「天声人語」は疑問を投げかけていた。「嘘は魔物で、ばれぬように上塗りが要る」と。日本では、「嘘つきは泥棒の始まり」といって忌み嫌われてきた対象だ。それを教訓として、あるいは戒めの言葉として大人が子供の躾として使ってきた。ひとつの嘘を貫くには、20の嘘を発明しなければならない。何が嘘で何が本当なのかは当事者ですらわからないのではないだろうか?と皮肉たっぷりにまとめていた。今や国家の中枢を担う政府や当事者である「東京電力」ですら、「悪魔」を目の前にしてなすすべもなく、ただ狼狽えるばかりで、みっともない醜態を諸外国に曝している。それを教訓とし、自覚が求められるのは子供ではなく、役に立たない政治家を筆頭とする大人たちなのではないだろうか?

 記事作成:6月14日(火) 

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