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2011年9月22日 (木)

栄光のV9戦士たち~中編~

 さて、本日は昨日お送りした「栄光のV9戦士たち」と題した特集の後編と行きたい。今日は打順で言うところの6番から9番打者まで、更には脇を固めた名選手やV9を支えた投手陣にもスポットを当ててみたいと考えている。では早速始めたい。

 6番ショート 黒江透修(背番号67→5)

 1938年12月12日生まれの現在72歳。愛称は「豆タンク」(165cmと小柄で、なおかつ太っていたのが由来)。確かに小兵でずんぐりむっくりしていた印象がある。鹿児島高校から杵島炭鉱、日炭高松、立正佼成会を経て、1964年に読売ジャイアンツ(巨人)に入団。165cmと小柄ながら堅実な守備で、土井正三とともにV9巨人の内野の要となった。1967年には129試合に出場し、.278の好打率を残し、レギュラーに定着した。1968年には遊撃手でベストナインに選出される。7番を打つことも多かった。以降、1973年まで毎年ほぼフル出場、打率.270前後とコンスタントな成績を残す。しかし、1974年より河埜和正(背番号29)に遊撃手を明け渡すようになり、同年限りで現役引退。引退後は、指導者(コーチ)として主に名参謀として活躍し、長嶋茂雄(巨人)、近藤貞雄(中日)、広岡達朗(西武)、森祗晶(昌彦)(西武・横浜)、江尻亮(ロッテ)、王貞治(ダイエー)、渡辺久信(西武)らを支えた。2001年~2002年まで横浜一軍ヘッドコーチ(2002年は打撃コーチも兼務していたが、監督の森祇晶解任に伴いシーズン途中より監督代行)を歴任。6球団のうち4球団で優勝、西武と福岡ダイエーでは日本一に貢献している。私は名参謀役として彼の才能を高く評価している。血液型はA

 通算成績(11年)

 3,478打数923安打 57本塁打 371打点 127盗塁 通算打率.265

Kuroe1 Kuroe2

 7番レフト 高田繁(背番号8)

 1945年7月24日生まれ。大阪府大阪市住之江区出身の元プロ野球選手・監督。鹿児島県生まれ。身長173cm、体重70kg。 明治大学時代は島岡監督の信望が厚く、主将を務めた。リーグ通算102試合に出場し384打数127安打、打率.331、5本塁打、30打点、48盗塁。通算127安打と7度のベストナインは今なお六大学野球記録。1967年にドラフト1位で巨人軍に入団。俊足・強肩・強打の外野手 として、読売ジャイアンツV9時代に活躍した。特に1968年、1年目から左翼手のレギュラーに定着し、打率3割・20盗塁をマークし新人王を獲得、以後、走攻守と三拍子揃った外野手としてV9時代の巨人を支えた。6番や1番を打つことも多かった。高田はプロ野球史上でも屈指の名左翼手の呼び声が高い。特に得意としたのは外野フェンスに当たった打球がどのようにはね返るかを正確に先読みし、本来なら二塁打となる当たりをシングルヒットにとどめてしまうというプレーで、「壁際の魔術師」と呼ばれた。その後、張本の巨人入団により、コンバートされた内野手の1年目でダイヤモンドグラブ賞を獲得して、史上初の外野手・内野手両方で受賞を遂げている。一方、バッティングは強烈な引っ張りが特徴で、レフト線への強烈な打球がファールになることが多く、「高田ファール」と名付けられるほどだった。引退後は日本ハムファイターズ監督、巨人コーチ、二軍監督を歴任し、2005年度から2007年度まで日本ハムのゼネラルマネージャー(GM)。2008年度から2010年度途中まで東京ヤクルトスワローズ監督。

 個人的にも高田選手は大好きで、後楽園球場に野球観戦に行った際には、わざと彼に近いレフトスタンドで応援をしたものだ。そして「高田~こっち向いて!」と声援を送ったら、ちゃんと苦笑いしながらスタンドを振り返ってくれた。監督としてはあまり好成績を残せなかったが、人間性は素晴らしく、自分の役割をきちんとこなした名選手だった。血液型はA

 通算成績(13年)

 5,064打数1,384安打 139本塁打 499打点 200盗塁 通算打率.273

Takada Takada2

 8番キャッチャー 森昌彦(背番号27)

 監督になって改名し「森祇晶」となったが、現役時代は昌彦だった。彼は名実ともにV9を支えた立役者だった。巨人軍のV9当時の捕手は彼と、吉田孝司くらいしか思いつかないほど守りの要だった。「V9の頭脳」と呼ばれたほどだった。捕手には珍しい右投げ左打ちの選手だった。
 現役時代は岐阜県立岐阜高校から1955年に巨人軍に入団。現役引退までレギュラーの座を死守し続け、8年連続ベストナインに輝くなどV9時代を支えた。洞察力が鋭く、頭脳明晰、研究熱心であり、バッテリー間のリード力は当時の他のプロ野球界のキャッチャーの中で、群を抜いて優れていた。相手チームのバッターの苦手コースや、一つの試合毎の味方相手チームのバッテリーの配球をすべて正確に暗記している記憶力の持ち主だった。この記憶力を武器に、ボール球なども巧みに使った緻密な配球の組み立てをおこない、相手チームの打者を翻弄しつづけた。キャッチングも優れており、現役時代全体を通じて、わずか42個のパスボールしか記録していない。
 打撃に関しては決して強打者とはいえず、足も遅かった。しかし左打者だったため、王貞治・長嶋茂雄の後ろで5番も打つこともあり(1964年から1965年にかけて6試合だけ4番を打ったこともある)低打率ながら勝負強さを発揮する打者であった。1967年には日本シリーズMVPを受賞している。

 また、私は彼の貢献度は計り知れなく、監督としての功績も輝かしいものがある。広岡監督が基礎を作り、それを引き継いだ彼が常勝軍団西武を築き上げ、巨人から球界の盟主の座を奪還した。監督業は10年だが、西武時代の9年間で8度のリーグ優勝、6度の日本一を達成した名監督である。血液型はO。

 現役時代の通算成績(20年)

 5,686打数1,341安打 81本塁打582打点 通算打率.236

Mori1 Mori2

 それではメインのメンバー以外でV9に貢献した選手を簡単に回顧したい。

 国松彰(背番号36)

 西京高校から同志社大学在学中の1955年に投手として巨人軍に入団し、1957年から外車種に転向。ONの脇を固める巧打者としてV9時代を支えた。1961年には監督推薦で、1963年にはファン選抜でオールスターゲームに出場した。1970年に現役を引退し、その後巨人のコーチやニ軍監督も務めた。現役生活は15年間で6番を打つことが多くあった。

通算成績
4,025打数979安打 93本塁打 427打点 125盗塁 通算打率.243 

Kunimatsu

 富田勝(背番号25)

 田淵、山本浩二と共に「法政三羽ガラス」の一人。大阪府出身。1968年にドラフト1位で南海に入団後、巨人に移籍。3年間しかプレーしなかったが、印象に残る内野手だった。その後、高橋一三と共に日本ハムに電撃トレード。代わりに安打製造機の張本勲が巨人に入団した。

通算成績
4,028打数1,087安打 107本塁打 451打点 126盗塁 通算打率.270  

Tomita

 吉田孝司(背番号9)

 兵庫県出身。市立新港高校から1965年に巨人軍に入団。森と共に捕手として巨人のV9を支えた。1984年に引退。

通算成績
2,025打数476安打 42本塁打 199打点 通算打率.235(現役生活20年)

Yoshida Yoshida2

 上田武司(背番号2)

 兵庫県出身。1964年に鳴尾高校から巨人に入団。内野手。1978年引退

通算成績 960打数215安打 15本塁打 89打点 通算打率.224 

 河埜和正(背番号29→5)

 愛媛県出身。八幡浜工業高校から1970年に巨人に入団。どちらかというと守備の人だった。遊撃手。1977年にベストナイン、1974年にゴールデングラブ賞。オールスターにも4度選出されている。守備の際の構えがクラウチングに近く、独特だった。私も同じ遊撃手だったため、真似していた。とにかくエラーが少なく、送球が安定していた記憶がある。

通算成績
4,195打数1,051安打 115本塁打 416打点 153盗塁 通算打率.251

Kouno

 柳田俊郎(真宏)(背番号36)

 熊本県出身。九州学院高校から1967年に西鉄ライオンズに入団。1969年から巨人へ。左投げ左打ちの外野手だが、代打での起用が多かったが、チャンスに強く、長打力があった。

通算成績
2,303打数649安打 99本塁打 344打点 通算打率.282(現役生活16年)

Yanagida

 萩原康弘(背番号32)

 神奈川県出身。荏原高校、中央大学を経て1970年に巨人に入団。6年間代打や守備要員として出場し、その後広島へトレードされた。古巣相手の試合で外野飛球を追いかけ、フェンスに激突しながら捕球し、骨折。その際、古葉監督から労いの言葉をかけられ、涙したというエピソードはあまりにも有名。

通算成績
910打数217安打 20本塁打 114打点 打率.238 

Hagiwara

 今回の企画は、巨人のふがいない戦いぶりに業を煮やし、「喝」を注入するために筆を取った次第だ。今の巨人は坂本の怠慢プレーと言い、センスや格好良さだけで野球をしているような気がする。かつての一球入魂などのスポーツ根性や一生懸命さ、全力プレーなど泥臭さが無くなって来ている。勝負に対する執念が減って来ており、プロ野球を40年以上見て来た私からすれば残念極まりない。

 さて、2回シリーズで終わらせるつもりが、巨人や野球を話題にすると、ついつい力が入り、長くなってしまった。申し訳ないが、スペースが不足してしまい、投手編は明日に延期してお送りしたい。V9時代の栄華を誇った常勝巨人の勝ちっぷりを知っているだけに、叱咤激励の意味で掲載させて頂いた次第だ。ドラフト制によって戦力が分散し、連覇を達成することは至難の業だが、黄金時代を再び築くことを願ってやまない。

 記事作成:9月20日(火)・21日(水)

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