伝説の男③ ~音速の貴公子~
日本人が一番好きな外国人として、毎年上位に名を連ねていたのが彼だった。時速300kmを越える音速の世界、F1。彼は、モンスターマシンを操り、常に命の危険と背中合わせのギリギリの場所で生きていた。本田宗一郎を崇拝し、結果だけがすべての世界で、マクラーレンHONDAの契約ドライバーとしてF1に出場、圧倒的な速さで年間チャンピオンに君臨した。ここで言う彼とは、ブラジルが生んだ英雄にして孤高の天才ドライバー、アイルトン・セナである。彼が逝ってから早17年が経過した。
~アイルトン・セナのプロフ~
Ayrton Senna da Silva(アイルトン・セナ・ダ・シルバ)1960年生まれ、1994年5月1日逝去。享年34歳。フォーミュラ1、通算161戦41勝、ワールドチャンピオン3回、ポールポジション65回、ファステストラップ19回、数々の伝説を残す『音速の貴公子』と呼ばれた。血液型はB型。トールマンでデビューし、ロータス、マクラーレン、ウィリアムズと名門チームを渡り歩いた。また1987年から92年にかけてはHONDAのエースとしても活躍した。1994年サンアリノGPイモラサーキット、予選で度重なる大クラッシュが続く中行われた決勝にて、6周目およそ310km/hで彼のマシンは突如制御不能に陥り、そのままコースアウトしてコンクリートウォールへ一直線に激突した。激突の瞬間、マシンの左フロントのサスペンションが破損し、そのシャフトが彼のヘルメットを直撃。すぐに救急隊員が駆けつけたが、おびただしい頭部からの多量出血。ドクターヘリでボローニャの病院に搬送後、彼の非業の死が伝えられた。母国ブラジルでは、プロサッカーのゲーム途中で彼の死が伝えられ、スタンドが悲しみに暮れた。試合を中断して選手とスタンドが一体となって彼の死を悼み、黙祷を捧げた。その後、ブラジルが生んだ英雄を偲び、国葬として執り行われた葬儀では、全国民が喪に服し、彼の冥福を祈った。
~セナのラストラン~
セナのファンだった私にとって、これらの映像は衝撃的で深い悲しみを覚える映像シーンだ。本心はアップすることも辛いのだが、彼の最期の文字通り命をかけた魂のラストランだけに、目を背けずに直視しなければならない衝動に駆り立てられる。
http://www.youtube.com/watch?v=xjSLaywkoho&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=YvbPXP33m1c&feature=related
セナの伝説回顧
当時、F1ドライバーとしては、アラン・プロストを筆頭にネルソン・ピケやナイジェル・マンセル、M・シューマッハなど並み居る強敵がいた。そんな誉れ高き男達に混じって、その類い希な才能を開花させていった。時に最後の周回で、意図的にチームメイトに優勝を譲る優しさもあった。そして常に冷静で寡黙な男だった。男が惚れる男で、決して奢ることをせず、控えめな男だった。
あの日から17年の歳月が流れた。星になった彼は、今時分、どこかでサーキットに散った仲間達と陽気にシャンパンファイトをしているかもしれない・・・。
記事作成:12月2日(金)
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