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2011年12月16日 (金)

伝説の男② ~魂の名セコンド~

 映画「ROCKY」を観たことがあるだろう。イタリアの種馬との異名をとる主人公ロッキー・バルボアがライバル、アポロ・クリードと2度に渡る死闘の末にヘビー級チャンピオンとなる苦難と栄光の物語である。それを支える恋人エイドリアン、飲んだくれで博打好きのふがいないエイドリアンの兄・ポーリー、そして今回取り上げたいのが、泣かず飛ばずの生活を送っていたロッキーにボクサーとしての魂に火を付け、サクセスストーリーを歩むきっかけとなった名セカンド・ミッキーである。いや、正確に言えば、そのミッキーを取り上げる訳ではない。彼の人生を地で行った実在した名セカンド兼トレーナーであり、今はもう伝説となった男を紹介したい。その男の名は「エディ・タウンゼント(本名はエドワード)」という。彼は列記としたアメリカ人だが、日本のボクシングジム所属で、これまで何人ものボクサーをチャンピオンに育て上げた名トレーナー兼セカンドだった。今でも彼の名前を知っている方は、相当のボクシング通であろう。それではまずは彼の経歴を紹介したい。

 ~エディ・タウンゼント~

 Eddie Townsend、1914年10月4日 - 1988年2月1日)は、 アメリカ合衆国のボクシングトレーナー。ハワイ州ホノルル出身。本名は、エドワード・ タウンゼント。 多くの世界チャンピオンを育て上げ「名トレーナー」「名伯楽」として尊敬された。父はアイルランド系アメリカ人で弁護士、そして母は日本人のハーフの子として誕生した。彼が僅か3歳の時に母親が病気で他界した。11歳からボクシングを始め、12勝無敗のハードパンチャーとしてハワイのアマチュアフェザー級チャンピオンになったが、ボクサーに見切りをつけトレーナーとして次の世代を担う人材育成を志すようになった。たまたまハワイ巡業に来ていた力道山に招請されて1962年に来日。しかし、力道山が暴漢に刺されて1963年12月に死去したためにエディは再び孤独の身となってしまう。そんなエディの処へ、ハワイ時代から旧知の仲だった日系三世のポール・タケシ・藤井が偶然訪れ、トレーナーとして1967年に世界チャンピオンへと導いたことで注目される存在となる。
 以降、6人の世界チャンピオンと赤井英和・カシオペア内藤らの名ボクサーを育て上げた実績のみならず、人間性や指導方法も高く評価され「名トレーナー」として日本のボクシング関係者・ボクシングファンから尊敬される様になった。
 高齢となったエディが、一から育て上げ最後の弟子と言われた井岡弘樹は、とりわけ愛情を注いだボクサーの一人である。井岡のことを「ボーイ」(Boy)と呼び、ジムの二階で寝食を共にして実の息子のように可愛がった。ただし、この二人三脚の生活はかつて何人かの弟子に裏切られたエディが思春期の少年に半ば禁欲生活を強制するためのものだった。
 1987年10月に行われたWBC世界ミニマム級王座決定戦で、井岡を世界チャンピオンへと導いたが、この頃は既にエディの体は「直腸がん」の病魔に蝕まれており車いすで生活しながら指導するようになる。そして迎えた1988年1月31日、大阪城ホールで行われた井岡弘樹が世界同級1位の李敬淵(韓国)を迎えた初防衛戦では、どうしても井岡の試合を見守りたいと切望し、入院中の病院からベッドに横わった状態で試合会場入りしたが、試合開始直前に意識不明の危篤状態に陥り田中外科へと引き返した。井岡が挑戦者の李を12回TKOで退けた知らせを病院で聞くと、右手でVサインをかかげた後に静かに息を引き取った。ドラマ以上にドラマティックな最期、そして彼の人生劇場だった。

 それでは彼の壮絶人生の回顧録をご覧頂き、彼がどんなに偉大な人物だったのか、そして彼の功績を称えたい。

http://www.youtube.com/watch?v=YaGqMKrJtx0&feature=related

http://www.youtube.com/watch?v=tSeUhg9-8z0&feature=related

 彼の壮絶人生を通して、人生で一番大切な物は何か、男には何が必要か?といった人生訓や生きる理由を語りかけて来るように思える。彼は自分が果たせなかった夢を、次世代の若者たちに託し、そして世界チャンピオンを育てることで自分の人生を謳歌しようとしたし、それを使命のように感じていたに相違ない。彼は人をこよなく愛した。そして彼もまた、弟子たちに愛され、ボクシングファンに愛され、彼の人生そのものが、生き様が人々に深い感動を与えている。彼が亡くなって24年近く経とうとしているが、彼の肉体は滅び、土に還っても、その魂は脈々と受け継がれている・・・。最後に彼が遺した名言の数々を紹介して結びとしたい。

 自分が育てた選手に贈る言葉

 「勝った時は、会長が抱くの、負けた時は、僕が抱くの・・・」

 「試合に負けた時、本当の友達が分かります。」

  •  「100%教えないんですよ。70%。残り30%、選手、自分の頭使わなかったらいいボクサーになれない。」
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  •  「試合が近づいたらハッピーになりなさい。」
  •  「ボクシング辞めた後の人生の方が長いのよ。誰が そのボクサーの面倒を見てくれるの?無事に家に帰してあげるのも私の仕事ね」
  • 「勝っ た時には友達いっぱい出来るから私いなくてもいいの。誰が負けたボクサー励ますの?私負けたボクサーの味方ね」
  •  「リングの上で叩かれて、ジムに帰って来てまた叩かれるのですか?私はハートのラブで選手を育てるね」
  •  「この試合、判定なら貴方の負けね。でもケンカなら貴方強い。貴方負けない。この試合ケンカ、今から行ってぶっとばして来るの」
  •  「ボクシングにメイビーはない」
  •  「35%は自分でやるの」
  •  「ワン・キーポイント言うの」
  •  「僕ね ボクシング以外何もできないけど1つだけ得意なことあるよ。それはねぇ、しおれた花をしゃんとさせることよ。」

  •                                 by エディ・タウンゼント

     記事作成:12月1日(木) 

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