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2011年12月 9日 (金)

伝説の男① ~キックの鬼~

 その昔、「キックの鬼」と呼ばれ、伝説となった孤高の天才キックボクサーがいたことを覚えているだろうか?1970年代、それは梶原一騎原作・監修の「巨人の星」や「タイガーマスク」、そして「アタックNo.1」などいわゆる「スポ根」ものが流行っていた頃のことで、キックボクシングがテレビのゴールデンタイムを賑わせ、人々を熱狂させていた時代があった。今は格闘技(K-1)に押され、その競技が存在していたことすら忘れ去られてしまっているが、当時絶頂期にあったプロレスの「燃える闘魂」アントニオ猪木と並んで1970年代を代表するヒーローの一人として彼の名前を忘れる訳にはいかない。その人の名は「沢村忠」と言う。必殺技「真空飛び膝蹴り」や拳ひとつで狙いすました一撃必殺を繰り出し、相手をマットに沈める抜群の反射神経を駆使して王者に君臨したのだった。生涯成績は241回リングに上って232勝5敗という驚異の勝率で無敵神話を残した。しかし、彼は絶頂の時に、或る日忽然と姿を消したのだった。まずは、懐かしい彼の勇姿を、三宅裕司が司会を務めていたテレビ朝日系列の番組「驚き桃の木20世紀」から紹介したい。タイトルは「沢村忠の真実」であった。

http://www.youtube.com/watch?v=So6-HboimC0

http://www.youtube.com/watch?v=gVSQ44NbIcc

http://www.youtube.com/watch?v=lgriVQSgGkU

 ここであまり知られていなかった彼の輝かしい経歴を振り返りたい。

Sawamura  1943年(昭和18年)1月5日生まれ。剛柔流空手道参段。満州出身。本名は白羽秀樹(しらは ひでき)。娘はタレントの白羽玲子。半生を描いた漫画やアニメの『キックの鬼』の影響により、世間からは「キックの鬼」と呼ばれていた。幼少より祖父から剛柔流空手道を習う。法政大学第一高等学校を経て、日本大学芸術学部映画科を卒業。大学在学中には全日本学生選手権で優勝し、60戦無敗であった。野口修はその実力を評価し、キックボクシングに勧誘した。1966年(昭和41年)4月に日本キックボクシング協会が旗揚げされ、リングネーム“沢村忠”として参戦。大阪府立体育会館で行われたデビュー戦は“空手vs.ムエタイ”と銘打たれた試合で、ラークレイ・シーハーマンを2R(ラウンド)KO勝利した。6月にはリキバレスで、ムエタイのルンビニーフェザー級8位のサマンソー・アディソンと対戦したが、16度のダウン(19の報道もあり)を奪われ、25ヶ所以上の打撲を負い、4RKO負けを喫した。しかし、この敗北を機に特訓を積み、必殺技「真空飛び膝蹴り」や飛び前蹴りを武器にKOを重ね、活躍。1973年には日本プロスポーツ大賞を獲得した。1976年(昭和51年)7月2日に最終試合を行い、翌年の10月10日に引退式を行った。最終成績は、241戦232勝(228KO)5敗4分(一説には500戦以上戦歴があるともされている)であった。

 思い出して貰えただろうか。40代以上の人なら記憶の片隅にあった人物で、懐かしく思えたことだろう。引き分けを除けば98%近い驚異の勝率を残した、これぞプロ中のプロと言える天才キックボクサーだった。まさに「キックの鬼」と呼ぶに相応しい輝かしい戦績である。激しい殴り合い、そしてキックの雨霰。相手の隙を突き、一撃で相手を倒す。これぞキックボクシングの真骨頂で、厳しい練習に耐え、極限まで体を痛めつけて築き上げた上腕ニ頭筋に象徴される強靭な肉体と驚異の精神力の持ち主。誰よりもタフで強い、男の中の男。あまり多くを語らず、結果はリングの上で出した孤高の天才だった。世の男子なら誰でも憧れる存在だっただろう。それなのに何故、失踪したのだろうか。天才が故の勝利に対する重圧に押しつぶされたのか。あるいは孤独に苛まれたのか。それとも体力の衰えを悟り、競技を続行することが怖くなったのか。

 彼が消息を絶ってからというものの、様々な憶測を呼んだ。一時期、彼は殴られ続けたのが原因で、気が狂ったようになって、人知れず我が故郷・郡山市内にある安積保養苑(現在の安積ホスピタル)に逃げ、そこに入院して精神病の治療にあたっていたという噂まで飛び交った。また、一時期「引退後、酒で身を持ち崩した」「死亡した」という説が出回っており、真偽のほどは定かではない。それくらい彼の消息不能はさまざまな憶測を生み出したということだ。強くて逞しい男の典型だっただけに、その影響はとてつもなく大きかった。

 しかし、噂はどうあれ、彼が残したキックボクサーとしての功績は偉大だ。その後、回し蹴りで一躍東洋ウェルター級チャンピオンの座を掴んだ富山勝治が、沢村引退後のキックボクシング界を背負い、エースとして君臨した。68歳となった現在は、自動車の修理販売業を営む傍ら、子供達に空手を教えている。パチンコ台販売会社「セイブシステムリンク」の常務取締役でもあるそうだ。

 私は決して忘れないと思う。あれほど華やかなスポットライトを全身に浴びて、自分の持てる力を存分に発揮し、命懸けで闘ったチャンピオンがいたことを。最後に、彼の魂のこもった壮絶な一戦を紹介して結びとしたい。ちなみに解説はあの寺内大吉氏である。

http://www.youtube.com/watch?v=fg4DxeuVvzI&feature=related

 追記

 本日から連載を開始した「伝説の男」シリーズは、週1回ペースで執筆し、全10回シリーズで完結としたい。

 記事作成:11月29日(火)

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