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2012年1月10日 (火)

伝説の男⑤ ~ドラゴンと呼ばれたスター~

 彼がこの世を去って40年近い歳月が過ぎようとは、俄かに信じられない。彼の名は李小龍と言う。たぶんわかって貰えないだろう。本名はリー・シャオロン、レイ・シウルンと言い、サンフランシスコ生まれの中国人と聞けばどうだろう。たぶん、それでもまだ彼の正体を理解できないだろう。それではカンフー映画の「ドラゴン」シリーズと言えば一発でBINGO!だろう。そう、今年が辰年だからという訳ではないが、今回取り上げたい伝説の男とは、中国武術家、武道家、香港俳優の「ブルース・リー」である。彼は名作「ドラゴン怒りの鉄拳」や「ドラゴン危機一発」、「ドラゴンへの道」、「死亡遊戯」に出演し、数多くの危険なアクションシーンを自ら演じ、当時の観客の度肝を抜いた。彼を一躍有名にした出世作が1973年公開の「燃えよドラゴン」であった。これらの映画で、彼はカンフーアクションを駆使し、揺るぎない第一人者としての地位を獲得し、人気も絶頂だった。しかし、彼が「伝説の男」と位置づけられる所以となったのは、そんな人気が最高潮の時に、突如、原因不明の腹痛によって、32歳という若さでこの世を去ったことによる。もちろん一流映画スターの突然の謎の死の報には、マスコミやファンならずとも様々な疑惑が浮上し、憶測が渦巻いた。公式な死因は脳浮腫である。司法解剖の結果、微量の大麻が検出されたほか、脳が極度に肥大化していたことが判明した。頭蓋内圧亢進により脳幹部が圧迫されて死に至ったと考えられる。

Lee1 Lee2

 まずは簡単に彼のプロフと功績を振り返りたい。

 父親の中国系で広東演劇の役者の李海泉と、混血の母親グレイスが家族を連れて長期アメリカ巡業中、辰年の1940年11月27日、サンフランシスコのチャイナタウンの病院で生まれた。5人兄弟の次男。何不自由なく育ったリーの将来を心配した父は、「俳優の不良息子」として悪名を知られた香港から離し、渡米を命じる。18歳のリーは、わずか100ドルの所持金で単身渡米し、シアトルに移り住む。新聞配達のアルバイトをして職業訓練学校のシアトル・セントラル・カレッジに通い高校卒業資格を得て、ワシントン大学哲学科に進学。勉学に励むかたわら、「振藩國術館」を開いて中国武術の指導を始める。高校で哲学の講師もしていた。その頃、同じ大学の医学生で、道場の生徒だったリンダ・エメリーと結婚。その後、大学を中退し、道場経営に専念。1966年に、アメリカの「ロングビーチ国際空手選手権大会」で詠春拳の演武をしたフィルムが、TVプロデューサーの目に止まり、TVシリーズ『グリーン・ホーネット』の準主役や映画「キルビル」に抜擢され、派手なアクションで人気を博す。1971年に、成人後の初主演映画『ドラゴン危機一発』が公開され、香港の歴代興行記録を塗り替える大ヒットになった。リーは、一躍、香港のトップスターに躍り出る。主演第2作の『ドラゴン怒りの鉄拳』(1972年)では主演と武術指導を担当し、3作目の『ドラゴンへの道』(1972年)では、自ら製作・監督・脚本・主演の四役を担った。この3作によって、リーは香港で不動のトップスターの地位を築き、ゴールデン・ハーベストは興行収入で香港最大の映画会社となった。1972年秋から、リーの2作目の監督映画『死亡遊戯』の撮影がスタートする。ところが、ハリウッドとの合作映画の企画が持ち上がり、『死亡遊戯』の製作は中断される。1973年1月から、アメリカと香港の合作映画『燃えよドラゴン』(ロバート・クローズ監督)の撮影が始まる。しかし、前述したように1973年7月20日に彼の急死によって、彼は「永遠のヒーロー」としてその短い生涯を閉じた。リーの死後、彼が待望していたハリウッド主演作『燃えよドラゴン』がアメリカを皮切りに全世界で公開され、大ヒットとなった。しかし皮肉なことにアクションスターとして世界的に知名度が上昇した時、すでにリーは亡くなっていた。

 次に彼のアクションシーンをご覧頂きたい。

 カッコいいテーマソングはコチラ

http://www.youtube.com/watch?v=cuaLE0I17ns&feature=related

http://www.youtube.com/watch?v=137z3WCh3GM

 当時は、ヌンチャクはおろか、カンフーアクションなど見たことも無い時代。その鬼気迫る戦闘シーンは見る者を圧倒したし、その寸分たがわぬ、息も継がせぬような派手なアクションには、私自身圧倒され、度肝を抜かれた記憶がある。もちろんCGなどなかった時代。すべて彼が実際に演じているのだ。「ジャーン、ジャジャン!」といういつものBGMもまた臨場感を効果的に盛り上げた。そして彼が発した「アチョー!」という絶叫にも似た掛け声もトレードマークになった。そして筋骨隆々の体型を駆使し、一撃必殺で敵を仕留める華麗なアクションは見ごたえあった。手に汗握る攻防も何故か心地よかった。

 さて、ことのついでにプライベートな話をすれば、私はさほどでもないが、私の小中高の親友に、ブルース・リーの熱烈なファンがいた。DVDはすべて買い揃え、部屋には彼がアクションシーンで着ていた黄色い繋ぎのスーツがハンガーにかかっていたし、通販でヌンチャクまで購入していた。それくらい彼の迫真のアクションや戦闘シーンは心を打つ惹かれるものがあるようだ。それもその筈、彼はスクリーン以外ではもう二度と見れない永遠のスターになってしまったからである。

 最後に、彼の死後も不可解なことが起きた。彼の実の息子ブランドン・ブルース・リー奇怪な死を遂げた。1993年に映画『クロウ飛翔伝説』の収録中、銃撃されるシーンで使用する拳銃に空砲ではなく実弾が装填されており、誤って発射された弾丸が腹部に当たり事故死したのだった。28歳没。

 ブルースリーの亡きがらは、青春時代を過ごしたシアトルで静かに眠っているという。

 記事作成:12月5日(月)

 

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