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2012年1月 2日 (月)

伝説の男④ ~永遠のチャンプ~

 あなたがボクシングの日本人世界チャンピオンをひとり挙げるとしたら、一体誰の名を口にするだろうか?「カンムリワシ」の異名で13連続防衛という大金字塔を打ち立てた具志堅用高?それとも「森の石松」をイメージした衣裳を身に纏い、派手な入場パフォーマンスを繰り広げ、後生は「O.K牧場」が口癖のガッツ石松?それとも「カエル跳びジャンプ」や相手を油断させての逆転パンチなどありとあらゆる奇襲戦法で相手をだまからかすことが得意だった輪島功一?おそらく今の若者に聞いても彼等の現役時代を知る術もなく、おそらくは亀田3兄弟や内藤大助の名前くらいしか出てこないだろう。しかし、かつて、何度ダウンを奪われても、ふらふらになりながらも自分の足で立ち上がり、ファイティングポーズをとり続け、まるでアニメ「あしたのジョー」を地でいくのよう伝説のチャンプがいたことを覚えているだろうか?その人の名は「大場政夫」という。今回は23歳という若さで旅立った彼の栄光と挫折に満ちた非業とも言える壮絶人生を取り上げたい。

 ~大場政夫のプロフ~

Oba2 1949年10月21日生まれ、1973年1月25日死亡。日本のプロボクサーとして世界王者に君臨した。東京都墨田区出身。スタイルはオーソドックス。帝拳ボクシングジム所属 。第25代WBA世界フライ級王者。 WBA世界フライ級王座を5度防衛した。現役世界王者のまま事故死したため「永遠のチャンプ」と称される。ギャンブル好きの実父の影響で家計は苦しく極貧の環境で育つ。しかしプロボクシングファンだった実父の影響で、小学生の頃から「プロボクシングで世界王者になり、両親のために家を建てよう」と人生の目標を設定していた。 義務教育が終了した直後の1965年6月1日に、帝拳ジムに入門。入門当初は身長160cm、体重48kgと貧弱で周りからはプロボクサー向きかどうか疑問視されていた。その後の略歴は以下の通りである。

 1970年10月22日、世界初挑戦でベルクレック・チャルバンチャイ(タイ)を13回KOに降し、WBA世界フライ級王座獲得。帝拳ジム初の世界王者となった。
 1971年4月1日、ベツリオ・ゴンザレス(ベネズエラ)を15回判定で降し初防衛。
 1971年10月23日、フェルナンド・カバネラ(フィリピン)を15回判定で降し2度目の防衛。
 1972年3月4日、花形進(横浜協栄)を15回判定で降し、3度目の防衛に成功するとともに新人時代の借りを返した。試合前には両者の舌戦が話題となったが、共に相手を認め合う親友同士でもあった。
 1972年6月20日、世界1位で最強の挑戦者と言われたオーランド・アモレス(パナマ)を5回KOに降し4度目の防衛。1回に左を食って尻餅をつくダウンを喫し、バッティングで額から出血するなど苦戦するが、2回に右ストレートでダウンを奪い返し、5回に一気のラッシュでKO勝ちを収めた。
 1972年9月26日、ノンタイトル12回戦で、世界ランカーのナタリオ・ヒメネス(ドミニカ共和国)に5回KO勝ち。
 1973年1月2日、チャチャイ・チオノイ(タイ)を12回KOに降し、5度目の防衛に成功。この日大講堂で行われた5度目の防衛戦の相手は「稲妻小僧」の異名を持つベテラン、チャチャイ・チオノイ(タイ)。初回、いきなりの右ロング・フックをまともに受け大場はダウン。この時大場は右足首を捻挫、以降ラウンド間に氷で冷やしつつ、足を引きずりながらも打ち合いに応じていった。大場は、強気のボクシングで試合中盤から形勢を逆転し、ついに12回、チャチャイから1度目のダウンを奪う。タイの老雄はレフェリーに促されるように立ち上がるが、鬼気迫る表情の大場の連打に晒され2度、3度とダウン。大場は逆転ノックアウト勝利を収めた。

 しかし、その壮絶な打ち合いでの劇的勝利から僅か23日後に彼に悲運が襲いかかったのだった。1973年1月25日午前11時22分頃、愛車シボレー・コルベットを運転中に、首都高速5号池袋線・大曲カーブ(飯田橋出入口ー早稲田出口間)を曲がり切れず中央分離帯を乗り越えて反対車線に出たところで大型トラックと正面衝突。現場はトラックの下に車がめり込んだ状態でつぶれており、即死だった。駆けつけた救急隊も生存の可能性がないものと判断せざるをえないほどの惨状であった。この事故で現役世界王者のまま死去した。享年23歳。

 それでは彼の功績を称え、彼の生き様とも言える魂のファイティングシーンを映像で振り返りたい。

 ジェームスディーンや赤木圭一郎もそうだったが、天才的な人物というのは若くして夭折している。やはり人生、太く短く生きるか、細く長く生きるかのどちらかを神様は用意しているような気がしてならない。彼が僅か23歳という、あまりにも短すぎた人生の中で、身を粉にしながら訴えたかったこととは何なのか?そして私達は彼のボクシング人生を通して何を感じ、彼から何を学び取れるのだろうか?彼自身は、夢であった世界王座の名誉を手にした。しかし、それと引き換えに自分の命を天に差し出すことになったことも事実だ。彼が命がけで訴えたかったことを私達が与し、ただ単に彼を神として崇めるのでなく、彼から得た教訓を後の世に伝えることこそが、残された者の使命だし、務めだと感じている。
 最後に、折しも本日は彼が伝説となったあのチャチャイ戦から39年目の日にあたる。彼に捧げるテンカウントを聞き、彼の人生を振り返ったテレビの映像をご覧頂きながらお別れしたい。

<知ってるつもり?の映像はコチラ>

 記事作成:12月3日(土)

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