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2012年2月24日 (金)

懐かしいCM~HONDA編~

 最近は「昔懐かしいCM」を取り上げた記事ばかりが目立つようになって恐縮しているが、歳のせいかあまり良いアイディアが思い浮かばなくなり、同じ類の記事で誤魔化そうというのが見え見えである。面目ない次第だ。今回もその例に漏れず、同じシリーズで勘弁願いたい。そういう理由から、今回は1980年代当時、バブル全盛で人々の暮らしも潤っていた頃にあって、スポーツカーやハイラグジュアリーカーが飛ぶように売れた「古き佳き時代」を象徴するようなCMを紹介したい。第1回はHONDA編をお送りしたい。今ではもう絶版になってしまった幻の名車達。その一世を風靡した時代に思いを馳せながら、名車達を追憶したい。

① プレリュードXX

 この2代目プレリュードは一時代を築いた。1982年11月25日に販売された。キャッチコピーは“FFスーパーボルテージ”。フロントサスペンションにダブルウィッシュボーンを採用し、リトラクタブル・ヘッドライトと相まって、先代よりボンネットフードが80~100mm低くされた。ほぼ車両中央部まで達する長いリバースAアームを備えたストラットをリアサスペンションに採用した。ワイパーに、他社のクーペが採用していた1アーム・シングルワイパーを適用するなど、当時としては斬新なデザインが女性にも好評で、運転席側にも助手席リクライニングノブがついており「デートカー」という言葉を生み出した。オプションとして、日本初の4wA.L.B.(4輪ABS)を「XZ」(5速MT車のみ)、「XX」に設定した。搭載されたエンジンは、ES型 1.8L 直4 SOHC CVCC 12バルブ クロスフローで、CVキャブが2連で装着され、ルーフ型燃焼室やB·Cトーチの採用による高圧縮比化(9.4)などにより、125PS(MT車、AT車は120PS)を発生。エアクリーナーをエンジン後部に装着することにより、ボンネットフードが低く置かれた。組み合されたトランスミッションは、5速MTとロックアップ機構が採用された4速ATの2種類が用意された。 当初の前期型には、法改正前のフェンダーミラーと当時流行のクルーズコンピュータが搭載されたが、後期型ではドアミラーに変更され、クルーズコンピュータは省略された。1985年6月20日には、3代目アコードのB20A型 2.0L 直4 DOHC 16バルブ PGM-FI(グロス値で160PS/6,300rpmを発生)を搭載した、「2.0Si」(BA1型)が追加された。

 我が国初のリトラクタブルライトは1980年代に開発されて次々商品化された。その先駆けとなったのはフェアレディZやサバンナRX-7、三菱GTOだった。そしてブームを呼ぶ起爆剤となったのは「セリカXX」で、名車の呼び声高い86レビン(FR)と姉妹車だったトレノにも搭載された。また、HONDAもクーペモデルとして市場に投入したのがこのバカ売れしたプレリュードだった。TOYOTAのソアラ、スープラ、日産シルビア、スカイラインと並んで爆発的なヒットとなった車だった。流線形のフォルムを採用し、デザインもトレンディだった。トレンディな印象で若者を中心にバカ売れした。

② バラードスポーツ「CR-X」

http://www.youtube.com/watch?v=SslsKDFv3jY&feature=related

 CR-X(シーアール-エックス)は、本田技研工業がかつて生産、販売していたハッチバック型(初代,2代目)またはタルガトップ型(3代目)の小型乗用車である。1983年7月に発売された初代は、同社の小型車シビックの姉妹車であるバラードの派生車種として、3代目シビック(ワンダーシビック)へのフルモデルチェンジに先立って市場に投入された。発売にあたり同社は、「FFライトウェイトスポーツ」という新ジャンルであると説明し、以来この言葉は同クラスの車種を分類する場合に使用されることになる。初代及び2代目には後部座席が装備されていたが、シビック3ドアよりも150mm以上短いホイールベースとファストバッククーペボディーが影響し、大人が2人座っての長距離移動は困難であった。なお北米向けには後席は無く、床下に浅い小物入れが装備されている。また、この2代に共通の特徴として「アウタースライドサンルーフ」があり、短い屋根ゆえに屋根後半にスライド型サンルーフを格納した場合は開放感を得るに十分な開口面積が確保できないため、ボディの外に電動スライドさせるものである。さらに北米においては、後述するように軽い車体重量を活かした低燃費仕様が設定され、CAFEの達成に貢献した。
 3代目は、走行性能を追求したそれまでの2代とは大幅にコンセプトを変え、開放感を楽しむタルガトップとして誕生し、1991年に発売されたビートに次ぐ、小型オープンカーとなった。これは、北米市場においてCAFEの達成に貢献する低燃費仕様としての役割を、リーンバーンエンジン搭載車が担うことになり、軽量化の要求がなくなったためである。

 コンパクトカーだが、コンセプトはかっとびツーシータースポーツカー。その後、TOYOTAでもミッドシップスポーツカーのMR2が爆発的ヒットとなった。お馴染みのマンガ「よろしくメカドック」で有名になった。峠をギンギンに攻めている光景をよく目にした。現在は後継車として「CR-Z」が登場しているが、この車自体は製造を中止している。

③ シティ

http://www.youtube.com/watch?v=Hw6kfbuFWYY&feature=related

 シティ(City)は、本田技研工業が生産・販売している小型自動車である。主に日本国内で販売された初代、2代目の3ドアハッチバック等のコンパクトカーは1993年で一度生産・販売を終了していたが、1996年に東南アジア地域向けに開発されたサブコンパクト4ドアセダンとして復活した。初代は1981年11月11日に発売開始。「トールボーイ」と呼ばれるユニークな背の高いデザインを採用し、人気車種となった。搭載されたエンジンは、COMBAX(COMPACT BLAZING-COMBUSTION AXIOM:高密度速炎燃焼原理)エンジンと名付けられた ER型 1.2L 直4 SOHC CVCCのみ。同時に商用バンとしてシティプロも発売された。乗車定員は「T」が2名で「F」が5名。1982年8月25日に、低燃費仕様の「EI」を追加。クラストップの低燃費 21.0km/L(10モード)を実現。1982年9月20日に、ターボチャージャー付きの「ターボ」を追加。

 思わず「懐かしい~」という声が聞こえてきそうだ。それくらいこのCMは流行した。

 ④ ビート

 ビート(Beat)は、本田技研工業がかつて生産、販売していたオープン2シーターの軽自動車である。ビートはバブル時代に企画、発売された「平成ABCトリオ」と呼ばれる3車種の軽2座席スペシャルティカーのBにあたり、総生産台数が3万3,892台で3車種の中で一番多い。NSXと同様にミッドシップエンジン・リアドライブが取り入れられ、ほぼ同時期の開発・発売とあって、その相似がとりあげられることもある。実際には開発チームは別々で双方の人的交流もなかったが、ルームミラーは開発陣が意図してNSXと全く同じものを装備していた。生産終了から15年あまりが経過するが、中古車市場では根強い人気が続あり、程度の良い個体には高値もついている。量産車として世界初のミッドシップフルオープンモノコックボディを採用した。サスペンションは四輪独立懸架のストラット式で、軽自動車としては初めて四輪ディスクブレーキ、SRSエアバッグ、サイドインパクトビームを採用した。駆動方式がMRということもあり、タイヤは前13インチ、後14インチと前後が異なるサイズを採用した。駆動輪である後輪のブレーキディスクは、当時のプレリュードのものが流用されていた。パワーステアリングは装備されておらず、ハンドル回転時の遊びも少ない。これに対し、「SUZUKI」も負けじとカプチーノを開発し、ライバル車として戦いを挑んだ。この頃はフェスティバキャンバストップやユーノスロードスターもバカ売れした。ビートのイメージカラーは黄色と赤だったように思う。1996年をもって生産を終了した。

 ⑤ インスパイア

 インスパイア(Inspire)は、本田技研工業が生産・販売しているセダン型の乗用車である。1989年10月12日に「アコード・インスパイア」(5ナンバーモデル)が誕生した。(型式名CB5)グレードは上位から「AX-i」、「AG-i」、「AZ-i」の3グレードで2.0Lのみで、姉妹車は2代目ビガーである。エンジンは、専用設計された直列5気筒 SOHC 4Valve 2.0LのG20A型と2.5LのG25A型。ホンダらしく高回転、高出力を念頭に開発され、スムーズに出力する特徴を備えていた。なお、5気筒特有の1次偶力によるエンジンの振動の対策には当初バランサーを用いていた。独特のFFミッドシップ・レイアウトが採用され、縦置きにしたエンジン横にディファレンシャルギアが置かれているため、駆動軸(ドライブシャフト)がオイルパンを貫通している。なお、以降登場するホンダの高級車はしばらくの間この仕様が継続された。その後北米仕様など生き残りを図ったが、残念ながら2007年6月には同年中の生産中止が決定した。

 この車も一世を風靡した。一日10台は見かけたほど売れに売れたメジャーな車だった。フォグランプが特徴的なデザインだった。

 いかがでしょう?懐かしく感じたのでは?上で紹介した5台については、今では生産中止となっている。つまりは幻と化してしまった。今思うとバブルは自動車産業がリードしたと言える。貿易黒字を溜め込み、外国では日本車が持て囃され、輸出が潤った。あれから四半世紀が経過し、当時バカ売れし、市場を闊歩した高級車やスポーツクオリティー車は大部分姿を消した。絶版になった車については以前、当ブログで紹介済みなのでここでは割愛したい。栄枯盛衰を感じざるを得ない自動車の末路といった印象は否めない、そんな記事になってしまった。韓国現代自動車や中国、インドの自動車メーカーの台頭が著しく、輸出が振るわない現状では、衰退する一方で、或る意味日本人として劣等感を抱かざるを得ない。かつて若者を惹きつけて止まなかったスポーツカーの競演。4年に一度のフルモデルチェンジで次々新しいコンセプトカーを次々市場に投入したメーカーの思惑と豊かな経済を背景に、どんどん買い手が付いたバブル時代。すべてが夢物語だった。今、それが「強者どもが夢の跡」といった印象は否めない。その代償をその数倍に渡って払わされている感じがする。90年代以降、市場の車の3分の2の車が生産中止に追い込まれた現状からも車産業の衰退は明白である。しかし、個人的に日本の技術や開発力は世界一だと信じて止まない。今後の日本車の行く末を案じている身から、日本経済を牽引してきた日本の自動車メーカーの巻き返しに期待し、エールを送って結びとしたい。

 記事作成:2月10日(金)

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