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2012年3月

2012年3月30日 (金)

私が好きだったCM29

 「サントリーオールド」 ~恋は遠い日の花火ではない~

 田中裕子さんという女優を覚えていますか?かつて大スターとして君臨したジュリーこと沢田研二さんの妻となった女性で、それは純日本風の美人女優だった。どちらかと言えば顔立ちは切れ長の目をして、長く美しい黒髪と古風な印象で、雰囲気もまったり感を醸す存在だった。その彼女が出演し、話題となった人気CMシリーズが、今夏紹介する「サントリーオールド」だった。1970年代から1980年代にかけて、ウィスキーが持て囃された。かつてはニッカウィスキーが寡占状態だったが、このサントリーオールドの大ヒットによってサントリーがシェアを逆転した。クラブやスナックでは棚にずらっとこの酒が並んでいた。当時ウィスキーを始めとする洋酒は、庶民には高根の花だったが、定価1,980円で買える庶民的な酒として登場してからは市場は様相を一変した。サントリーの角瓶やリザーブ、ローヤルなどが次々ベストセラーとなり、サントリーの独壇場となった。

 そしてそのきっかけとなったのがこのCMだったと言える。田中裕子さん自体は、夏目雅子さんと並んで1980年代を代表する人気女優のひとりだったが、結婚後は家庭に入り、暫くの間芸能の舞台からはめっきり疎遠になってしまった。だから現代の20~30代の方々は、もしかすると知らない人の方が多いかもしれない。それではまず、彼女のプロフを振り返りたい。

 <田中裕子>

 田中 裕子(たなか ゆうこ、本名:澤田 裕子(ひろこ)、1955年4月29日 - )は、女優。 昭和天皇の諱「裕仁(ひろひと)」から取ったので、本名はひろこと読むが、誕生日も同日である。 夫は歌手・俳優の沢田研二、弟は俳優の田中隆三。大阪府池田市出身。中学2年から北海道札幌市西区育ち。札幌市立向陵中学校→北海道札幌西高等学校卒業、藤女子短期大学中途退学を経て明治大学文学部演劇学科卒業。学位は文学士(明治大学)。卒業論文は「女優論」。所属事務所はコムスシフト。血液型はB型。

Tanaka_yuko Tanaka_yuko2

  明大在学中の1975年に文学座に入り、女優活動をスタート。1979年NHKテレビ小説『マー姉ちゃん』で主役の妹役としてデビュー。1981年映画『ええじゃないか』『北斎漫画』で日本アカデミー賞最優秀助演女優賞、新人俳優賞を受賞。
 1982年「ザ・レイプ」という衝撃の話題作で体当たりの役を演じ切り、その後の映画界に影響を与えた。1983年、連続テレビ小説『おしん』で主役を演じ、アジアやイスラム圏を中心として世界的な有名女優になる。日本での『おしん』の平均視聴率は52.6%、最高視聴率は1983年11月12日放送(第186回「戦争編・東京の加代」)の62.9%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)であり、ドラマ史上で最も視聴率が高い。
  1983年には映画『天城越え』でモントリオール世界映画祭主演女優賞受賞。1985年に文学座を退団。
  1989年11月に歌手の沢田研二と結婚し、出雲大社で挙式をおこなった。沢田は再婚だったが、なれそめは沢田の熱狂的ファンであったことから。出会いは1983年の正月映画『男はつらいよ 花も嵐も寅次郎』での共演だったが、沢田はまだ既婚者だった。試写会後の挨拶で田中から沢田へ花束贈呈されたときに、沢田の頬に田中がキスしようとすると、客席から悲鳴が上がる一幕もあった。
  2005年には映画『いつか読書する日』『火火』でキネマ旬報ベスト・テン主演女優賞受賞。2010年ドラマ『Mother』で第65回ザテレビジョンドラマアカデミー賞助演女優賞受賞。同年11月、紫綬褒章受章。

 それでは私が愛してやまなかった「恋は遠い日の花火ではない」のシリーズCMをご覧ください。

 ~出会い編~

 ~恋は遠い日の花火ではない その1~

 ~恋は遠い日の花火ではない その2~

 大森南朋の若かりし頃の出演作!貴重です。

 ~恋は遠い日の花火ではない その3~

~往年のサントリーオールドのCM集~

http://www.youtube.com/watch?feature=endscreen&v=g1RbLYmL9n4&NR=1

 ~長塚京三出演のCMはコチラ~

http://www.youtube.com/watch?v=8yaEMtnfiW8&feature=related

http://www.youtube.com/watch?v=QhYeIyMjaR4&feature=related

http://www.youtube.com/watch?v=U4QGTpHuw_E&feature=related

 何か懐かしい郷愁を覚える、遠い昔の日本の良さがこのCMには散りばめられている。ストレートには言えないが、思いやりや気遣いに溢れ、侘びとか寂といった風情を感じ、このままずっとこの世界や感慨に浸っていたい、そんな作品に仕上がっている。

 記事作成:3月4日(日)

2012年3月28日 (水)

速球王伝説

 日本のプロ野球で速球投手と言って真っ先に思い浮かぶのは誰?全盛期の江川?中日の小松?それとも阪神のエースとして君臨した江夏?長嶋を4打席4三振に切り捨てた400勝投手の金田?それとも炎のストッパーとして立ちはだかった津田?記憶に残る快速球投手は数多くいるだろう。2012年現在、日本プロ野球での最速は2008年に巨人に在籍していたクルーンが出した162km/hである。もちろんMLBでは、シンシナティ・レッズ所属でキューバ出身のチャップマンが171km/hを出したとも言われている。スピードガンが開発されたのは1980年代のことで、それまでは球速を測る術などなかった。そこで、とある番組で最速の投手は誰かを最先端技術を駆使し、分析を行ったドキュメンタリー番組が放送された。今回は、それに基づき、日本プロ野球界の速球王を推理してみたい。さてあなたの予想はいかに?

 1位 クルーン 162km/h

 クルーンはボールの重さは無くてキレで勝負するタイプだった。映像ではそんなにスピードを感じない。初速と終速の差があまりなく、ホップしてくる感じなのだろう。

 2位 佐藤由規 161km/h

 スピードガンの故障という説も飛び出したほどの快速球だった。日本人投手で160km/hを超えたのは初めてのこと。私は下の高校時代の155km/h、甲子園最速を出した時の衝撃の方が大きかった。将来性を感じ、期待を大きく持った。

http://www.youtube.com/watch?v=OwQTb-6uEBI

 3位 沢村栄治 159.4km/h

http://www.youtube.com/watch?v=SRNr9sUqRZI

 巨人軍創設当時の剛腕。東京野球倶楽部時代から日本を代表するエースピッチャーとしてその名を刻んだ。アメリカ遠征で、大リーグの並み居る強打者と互角に渡り合った。しかし、太平洋戦争で戦死するという痛ましい人物を失った。

 4位 尾崎行雄 159.2km/h

 怪童とまで言われた彼だが、実働は短かった。剛腕投手の故障で苦しみ短い現役生活を送った典型だった。残念ながら単独での映像はありません。下にリンクした「速球王」の映像をご覧下さい。

 5位 江夏豊 158.8km/h

http://www.youtube.com/watch?v=pkX9i5-9R9Y

http://www.youtube.com/watch?v=4CX-5lTS8qY&feature=related

 広島時代の江夏の21球も神業だったが、若武者だった阪神時代の彼の唸りをあげる豪速球は、当時の強打者のバットを次々空を切らせた。圧巻だったのはオールスターゲームでの9者連続三振の離れ業。実は全球ストレート。あの怪物江川でも9人目に色気を出してカーブを合わせられて大記録を逃したが、江夏は高めに浮きあがって来る直球1本で勝負したから凄い。

 6位 伊良部秀輝 158km/h

http://www.youtube.com/watch?v=8SXU7oOsvqU

 今は亡き伊良部の若かりしロッテ時代の頃の豪速球。やっぱり痩せている。その後、ヤンキースではファンに唾を吐くなどの悪態をつき、すっかり悪役に定着してしまった。清原のバットをへし折ったこの球威は永久不滅。終生語り継がれるだろう。

 6位 五十嵐亮太 158km/h

http://www.youtube.com/watch?v=Q-r1eCyvcKw&feature=related

 捕手が古田だから捕れた。日本人初の3球連続158km/hの離れ業!

 8位 山口高志 157.4km/h

http://www.youtube.com/watch?v=NuzbmSq-MCk&feature=related

http://www.youtube.com/watch?v=rA6mYBETX1M&feature=related

 常勝上田阪急の抑えの切り札として活躍した。あの頃はエース山田を筆頭に足立、米田、今井雄太郎など凄い投手陣がいた。打者では福本、長池、マルカーノ、ウィリアムス、スペンサー、加藤英司などの強力打線で黄金時代を築いた。特に昭和50年から52年までの日本シリーズ3連覇は圧巻だった。1975年に入団した彼は、1年目でいきなり18完投12勝を挙げて新人王を獲得した。日本シリーズでも6試合中4試合に登板し、1勝1セーブで日本シリーズMVPを獲得した。1978年にはリリーフに転向し、最優秀救援投手のタイトルを獲得した。1979年以降は左アキレス腱の故障にも泣き、それでも速球にこだわり続けたために成績が低迷、1980年に張本勲に通算3000本安打となる本塁打を浴びたことで名前が出た程度で、1982年に引退した。195試合登板50勝43敗44S。防御率3.18。

 9位 与田剛 157km/h

http://www.youtube.com/watch?v=g6Odqh0Nzwc

 細身で、独特のピッチングフォームから繰り出す快速球が目を引いた。亜細亜大学時代は故障がちであまり目立たなかったが、社会人野球(NTT)に150km/hを超える速球が注目されてプロ入り。中日に指名され入団。ルーキーイヤーの1990年にいきなり31セーブをあげて新人王に輝いた。右肘痛に悩まされ、実働8年で59セーブで終わってしまったのが惜しまれる。

 9位 平井正史 157km/h

http://www.youtube.com/watch?v=-Lu7HTPbag0

 持ち球は最速157km/h、平均140km/h台後半~150km/hのストレート、カットボール、フォーク、シュートなど。1993年に宇和島東高校からオリックスに入団。ルーキーイヤーの1994年に初勝利を挙げる。8試合登板、1勝3敗の成績で終わった。1995年は、抑えとして15勝5敗27セーブを挙げて新人王と最多セーブ投手のタイトルを獲得する大車輪の活躍を見せオールスターゲーム出場、イチローらと共に、オリックス黄金時代(同年リーグ優勝、1996年日本一)を築く。しかし1996年途中の肘をはじめ、度重なる故障に悩まされるようになると同時に登板数が徐々に減少、1999年以降の4年間は勝ち星を挙げることができなかった。2002年オフに山﨑武司との交換トレードで中日ドラゴンズに移籍。移籍後の2003年シーズンはオリックス時代の投手コーチでもあった山田久志監督のもと、先発投手としてチームの勝ち頭となる12勝(6敗)を挙げて見事に復活を遂げ、カムバック賞を受賞した。

 次点 金田正一 156.5km/h

http://www.youtube.com/watch?v=a4iqPHa2iAk

 ご存知400勝投手。国鉄の金田という印象が強い。鳴り物入りで入団した長嶋茂雄のプロ初出場のゲームでの4打席連続三振に切ってとった伝説はあまりにも有名。ONと互角以上の戦いを演じた。

 チャップマンの171km/hの映像はコチラ

http://www.youtube.com/watch?NR=1&v=VddJTABc4KI&feature=fvwp

 ここに挙げた投手以外でも西武に在籍した郭大源、ザトペッグ投法の村山実、「神様仏様稲尾様」という流行語まで生み、奇跡の日本シリーズ4連投4連勝の稲尾和久などもいる。全盛期の今中、巨人で完全試合を達成した槇原寛巳もまた速かった。残念ながらデビュー戦でいきなり155km/hを出した平成の怪物こと松坂大輔はベスト10には入らなかった。
 以上見て来たように、予想外のランキングだったかもしれないが、スピードガンが開発され、球速測定に活用されたのが1980年代であって、なかなか昔の偉大な投手との比較は難しいが、思いのほか、最近の投手もランキングには数多く登場することを嬉しく思う。やはり全盛期と言うのはあるもので、江川はそのピークが高校時代にあったのではないか?と思えてしまう。また、豪速球投手は肩や肘を壊しやすく、意外と短命で選手生命を終えている。私は敵ながら中日の今中や広島の津田が好きだった。切れ味鋭く、バッターが手も足も出ないような投球を見ていてスカッとしたし、「これこそプロ!」と唸ったものだ。最近は当時に負けないような快速球を投げ込む剛腕投手が再び現れた。ダルビッシュや田中、菊地雄星、大石、澤村、野村らは期待大である。胸が抄く様なピッチングをぜひ披露してほしいと思う。

 記事作成:2月27日(月)

2012年3月19日 (月)

私が好きだったCM28

 今回は東北地方限定のCMを2編紹介したい。実は2月26日のブログでどちらも掲載したものだ。「Youtube」に誰もアップロードしてくれなかったので、自分でアップした貴重にして希少な映像だ。じっくり味わって見て頂きたい。

 「東北電力」

 これは震災前の2010年に流れていた。ストーリー性があって、心がほんわかと温まるマイベストなCMと言える。土曜日の朝に「週刊こどもニュース」という番組の後に放送していた番組で東北地方のローカル局の女子アナが持ち回りで、難しい東北弁の意味について取り上げ、解説していた。そのスポンサーとして東北電力が2週間に一回のペースでこのCMを流していた。私はこの中に出て来た女性がお気に入りで、可愛い系で優しい顔立ちをした色白な感じがど真ん中ストレートだ。この女性は、下の「MAST東北」のCMにも登場しているし、福島県の「柏屋」のCMにも出演していた。この東北限定CMに数多く出演している女優さんの名前を知りたいが、未だ不明。誰か知っていたら教えてほしい。

 「MAST東北」

 とってもチャーミングで大好きな顔立ちをしている。タレントの真鍋かをりに似ている気もするが・・・。一時このCMをHDDに録画して、一時停止して写メを撮り、それを携帯の待ち受けにしていたこともあった。「あなたのお部屋~みつかり~マスト!」というテンポのいい歌声に合わせて一輪差しを投げ込む。最初、彼女は「平野綾か?」と思ったが、違っていた。

 以上、2編お送りしたが、これ以外にもローカルCMとして「かんのや」の春夏秋冬の田舎の風景を映したCMも好きだし、お盆や正月などの帰省シーズンになると流れる故郷の良さを強調した「柏屋」のCMも大好きだった。これも2月27日にアップロードした。5つのシリーズを紹介したい。(下のアドレスをクリックすれば見ることが出来ます。)

「柏屋CM①」
http://www.youtube.com/watch?v=EpdRSC7IVEI&feature=related

「柏屋CM②」
http://www.youtube.com/watch?v=6G_xnzY7pY4&feature=related

「柏屋CM③」
http://www.youtube.com/watch?v=ld5VNe5pBWA&feature=related

「柏屋CM④」
http://www.youtube.com/watch?v=UzM7bSkEeKs&feature=related

「柏屋CM⑤」
http://www.youtube.com/watch?feature=endscreen&v=MV5HrrTo5sc&NR=1

 「東邦銀行 ~郡山編~」

 これは福島県限定のシリーズCMだが、この歌も大好きだし、福島県の美しい風景が随所に散りばめられて、とても好きなCMだ。このようなCMを通じて「ふくしまは元気です」と全国に発信できたらいいと考えている。「♪届けるよ~今君の元へ~届けるよ~シンプルな想い~」。ずっと続けて欲しいシリーズだと思う。福島テレビでは、「めざましテレビ」水曜日の6時53分頃の天気予報の中で、時々支店を変えながら毎週流れている。

 記事作成:2月27日(月)

2012年3月17日 (土)

私が好きだったCM27

 サントリープロテイン(2009年)

ホソ(細)マッチョとゴリマッチョの筋肉自慢対決だが、はないちもんめのようなノリとステップに大笑いして見ていた。出演は意外や意外の中村獅童と松田翔太。今考えるとこんなパロディ風のCMに大抜擢。或る意味凄い演出。これはシリーズ化し、大評判になった。では早速ご覧頂きたい。

 「マッチョ対決編」

 「夏祭り編」

 

 サントリー広報部の紹介は以下の通り

 “スタイルが気になる現代人”のためのプロテイン補給飲料「プロテインウォーター」。イケメン「細マッチョ」軍団と「ゴリマッチョ」軍団が“花いちもんめ”対決!? 中村獅童さん、松田翔太さん率いるイケメン軍団が甘い投げキッスでマッチョな軍団をノックアウト。「プロテインウォーター」新TV-CM「マッチョ」篇。
 細身のファッションを着こなし、体型も細身で筋肉質の引き締まった体つきを目指し“カラダケア”を意識する最近の20代男性。「プロテインウォーター」は、そんなスタイルを気にする20代の男性をメインターゲットにした、気軽にゴクゴク飲める新プロテイン補給飲料です。
本CMでは、プロテインが本格的に体を鍛えている“マッチョな人”だけのものではなく、細身で引き締まった体型づくりのサポートになることを訴求するために、従来のプロテインのイメージとしての強靭な肉体をもったマッチョを「ゴリマッチョ」、細身で筋肉質な体型を目指すメインターゲットを「細マッチョ」に区別し、両チームを対決させることで、「プロテイン
ウォーター」が「細マッチョ」を目指す人に向けた飲料であることを印象的に訴求しています。

「細マッチョ」を率いるリーダー役として、演技派で幅広い役をこなす歌舞伎役者・中村獅童さんと、人気急上昇中の若手実力派俳優・松田翔太さんを起用しました。普段あまり見られない2人の共演もさることながら、コミカルで色気たっぷりのダンスも見どころです。お互いが威嚇しあいつつも、シリアスにならず、“花いちもんめ”を連想させる対決に、思わず笑みがこぼれるコミカルなCMに仕上がっています。
また、音楽には、1970年代の大ヒット曲「The Hustle」を採用。シンプルで覚えやすく、聴いているだけで心躍るリズミカルなメロディに「細マッチョ!」「ゴリマッチョ!」のセリフをのせた音楽がCMを一層引き立てます。

 CMストーリー
 
 “細macho(マッチョ)”という文字が青と赤の派手な電飾で飾られたきらびやかな舞台。中村獅童さんと松田翔太さん率いるイケメン「細マッチョ」軍団と、たくましい筋肉を持った「ゴリマッチョ軍団」が、「Do The Hustle」の軽快な音楽にあわせ、交互にダンスステップを踏んで“花いちもんめ”風の掛け合いで対決をくり広げます。まず仕掛けたのは、イケメン「細マッチョ」軍団。さっそうと歩みだし、細身ならではの切れの良さをアピールしながら攻撃的な目つきで「細マッチョ!」とクールな決めのポーズ。その挑発に対して、今度は少し間抜けなマスクをかぶった色黒でたくましい筋肉の「ゴリマッチョ」軍団が、真っ赤な鉄アレイを両手に「ゴリマッチョ!」と迫り返し、自慢の大胸筋を見せつけるポーズで反撃します。カラダの大きさで比べれば断然優位なはずの「ゴリマッチョ軍団」ですが、イケメンの細マッチョたちはなぜか余裕で、やさしく甘い投げキスを返します。それに対し、「ゴリマッチョ」軍団は両腕を上げるポーズで対抗しますが、投げキスが決め手となり、“パリコレ”モデルを思わせる「細マッチョ」軍団のウォーキングにぐんぐんと迫られたところで、「細マッチョなあなたにプロテインウォーター」というナレーションが入ります。最後は中村さんと松田さんが2人並んでおいしそうに「プロテイン
ウォーター」を飲む姿で締めくくります。

 記事作成:2月28日(火)

2012年3月16日 (金)

私が好きだったCM26

 今から10年ほど前に、山崎努と豊川悦司が真剣勝負を繰り広げた「サッポロ黒ラベル」のCMを覚えているだろうか?「温泉卓球対決」、「雪合戦対決」、「カラオケ対決」などシリーズもので、当時大評判となった。互いにライバル意識むき出しで、鬼気迫る怖い表情で真剣勝負を繰り広げた割に、最後は必ず笑えるオチが付いていた。このシリーズCMは大好きだった。毎回抱腹絶倒で、チャンネルを変えることはなかった。たぶん今見ても大笑い出来ると思う。

 卓球対決編

 記念すべき第一作。これが大ウケして続編も誕生することとなった。よくある温泉場の卓球台で、中年男が白熱したゲームを展開する。スマッシュが卓球台の縁に当たり、逸れて行く。しかし諦めず飛び付く絵づら。勝ち誇ってポーズを決めるトヨエツ。汗がほとばしる。そして遠巻きに頭から落ちて行く山崎努という映像。誰もが大笑いしたに違いない。

 卓球対決リベンジ編

 前回負けた山崎の炎のリベンジマッチ。渾身の一撃はネットも卓球台も破壊し、トヨエツをのけぞらせながら吹き飛ばす。大御所俳優同士がここまで演じてくれたことを素直に嬉しく思った。更なる対決を予感させる出来だった。

 カラオケ対決編

 この作品も男の負けず嫌いのど根性や勝負への執着心を感じさせてくれた。自分の持ち歌を先に歌われた屈辱。しかし、運良くマイクコードに蹴躓き、マイクを手放す。この絶好のチャンスをものにしようとマイクに飛びついて奪い取る。しかし、倒れ込みながらその様子をチラ見する男。勝ち誇って小指を立てながら歌い出す。しかし、男の執念は最後まで続く。倒れながらマイクコードを機械から引きちぎり、歌わせまいと必死の形相で一矢を報いる。このバトルは演出の勝利。最後まで目が離せない攻防戦が最高だった。

 夏祭り金魚すくい編

 何故かニャロメの面をつけてダイビングしながら金魚すくいをする若い男。数匹の金魚を水面からはね上げる。それを見て全力でダッシュし、それに飛びついてゲットしようとする中年男。しかし、空しくも金魚すくいの網を破って抜けて行く。それを蔑んで見送る若い男。金魚は黒ラベルを冷やしたバケツの中へ。中年男も顔から水面に着水。愉快な演出だが、このシリーズではオチがワンパターン化してしまい、イマイチ面白みに欠けた。

 焼き肉編

煙の隙間から睨みを切らした2人の男が、バーベキューの肉を巡り熱い攻防を繰り広げる。タッチの差でトヨエツが奪い取ったが、着地した瞬間、河原でバレーをしていたグループのスパイクが頭を直撃、その衝撃で倒れ込み、せっかく奪った肉を逃す・・・。

 雪合戦編

 壮絶バトルのフィナーレを飾った作品。春夏秋冬熱き闘いを見せてくれた。冬のバトルは雪合戦。正月特番で室内では故染め之助師匠の名演技が流れる中、屋外では2人の中年男の一進一退の雪合戦。子供たちが作った雪だるまを破壊するほどの白熱した戦い。しかしトヨエツが不用意に投げた雪玉が、マトリックス張りにのけぞった山崎に交わされ、あろうことか狂犬に炸裂。エンディングは試合そっちのけで犬に追われる二人の映像。必死の形相で緊迫感が伝わり実にいい!

 総集編

http://www.youtube.com/watch?v=BaLjLb501e8&feature=related

動画を見た人達の笑い顔や声が聞こえてきそうな傑作揃い。よくうまく作ったものだ。CM史上に残して欲しい秀作ばかりだ。昔を懐かしんで楽しんで貰えたら幸いかと思う。

 記事作成:2月25日(土)

2012年3月11日 (日)

3.11~あの日を忘れない~

 本日3月11日は、あの「東日本大震災」から丸1年にあたる記念すべき日である。あれから1年もの歳月が過ぎたとは信じられない。地震や大津波により亡くなった方々や今も3千人を越える行方不明の方々、その遺族、家族を思うと居た堪れないし、目頭が熱くなるのを禁じ得ない。あの地震の瞬間の映像や津波に流され、破壊される町が脳裏に焼き付いて離れない。その後も1000回以上続く余震、そして我が福島県は出口が見えない原発事故のさなかに未だいる。

 そこで今回は、決してあの時の体験を忘れない為に、そして同じ過ちを2度と繰り返さないために、この映像をお送りしたい。これは多数の犠牲者を出した南三陸町の防災無線担当し、押し寄せる大津波の恐怖と闘い、懸命に住民に避難を呼びかけ、多くの住民の命を救いながら、自ら命を落とした「遠藤未希」さんの「未来への遺言」とも言える天使の声を特集した時の映像だ。私も正座して心して見て、彼女の遺志を後世まで語り継ぎたいと思う。

https://www.youtube.com/watch?v=dlx84wX5PYk

http://www.youtube.com/watch?v=M-neskB4FOc&feature=related

http://www.youtube.com/watch?v=dB4xT-FBysM

 彼女が命懸けで守りたかったもの、それは美しい故郷の港町の風景、愛すべき町民たち。それと引き換えに払わされた代償・・・。決して彼女のことを忘れてはいけない。そして、よりよき未来を築いて行かなければならない。彼女は空からずっと私達を見守っている。

http://www.youtube.com/watch?v=yBh6DUVFU1g

  そして3月9日のNHKニュースで、遠藤未希さんが命懸けで避難を呼びかけた30分に渡る緊迫した様子を録音したCDが見つかった。下記はNHKのニュースの全文です。

 宮城県南三陸町で、震災発生の際、住民に避難を呼びかけ、多くの命を救った防災無線の音声が完全な形で残っていることが分かりました。
亡くなった町職員の遠藤未希さんの呼びかけがすべて収録されているほか、呼びかけがどのような判断で行われていたかをうかがわせるものとなっています。

 NHKが入手した音声は、津波で職員や住民、合わせて41人が亡くなった南三陸町の防災対策庁舎から発信された、およそ30分の防災無線の放送をすべて収録したものです。地震発生の直後から放送が始まり、サイレンに続いて、危機管理課の職員だった遠藤未希さんが「震度6弱の地震を観測しました。津波が予想されますので、高台へ避難して下さい」と呼びかけていました。この時点で大津波警報は出ていませんでしたが、町は独自の判断で津波への警戒を呼びかけていました。周囲にいた人の声も収録されていて、大津波警報が出たあと、津波の高さについて「最大6メートルを入れて」と指示され、未希さんは、6メートルという情報と「急いで」とか「直ちに」という言葉を呼びかけに付け加えていました。
 また、周囲の「潮が引いている」という言葉に反応して「ただいま、海面に変化が見られます」と臨機応変に対応していたことも分かります。
津波を目撃したとみられる職員の緊迫した声のあと、未希さんの呼びかけは「津波が襲来しています」という表現に変わっていましたが、高さについては「最大で6メートル」という表現が続き、最後の4回だけ「10メートル」に変わっていました。
当時、未希さんたちと一緒に放送を出していた佐藤智係長は「水門の高さが5.5メートルあり、防災対策庁舎の高さも12メートルあったので、6メートルならば庁舎を越えるような津波は来ないと思っていた」と話しています。
 音声は、なおも放送を続けようとする未希さんの声を遮るように「上へあがっぺ、未希ちゃん、あがっぺ」という周囲の制止のことばで終わっていました。呼びかけは62回で、このうち18回は課長補佐の三浦毅さんが行っていました。
男性の声でも呼びかけて、緊張感を持ってもらおうとしたということです。三浦さんは今も行方が分かっていません。
 この音声を初めて聞いた未希さんの母親の遠藤美恵子さんは「この放送を聞いて、本当に頑張ったんだと分かりました。親として子どもを守ってあげられなかったけど、私たちが未希に守られて、本当にご苦労さまというしかないです」と話していました。

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20120309/t10013614681000.html

 このニュースを見て涙が止まらなかった。多くの人命を救った最期まで正義を貫いて頑張った人がなぜ犠牲にならなければならないのか?残念でならない。

 最後に、「あの日を忘れない」ために、1年前から1か月以上も繰り返し流れていた公共広告機構のCMをお送りしたい。

 見える気持ちに 編

 魔法の言葉 編

 今、私にできること 編

 SMAP・トータス松本 編

 岡崎、長友、内田 編

 こだまでしょうか 編

 あの日から今日で1年。マグニチュード9.0の我が国最大の地震、東日本の海岸線に押し寄せた大津波、あのチェリノブイリと同じレベル7の原発事故、そして故郷を遠く離れての避難、風評被害。2万人近い多くの人命が奪われた。この未曾有の災害を私たちはいつまでも忘れず、後世に語り継いでいかなければならない。震災によって新しい絆が生まれた。助け合いの精神が育った。人間なせばなる。かつて敗戦の泥沼から劇的な復興を果たしたように、何年かかるかわからないが、必ずや福島県は豊かな自然を取り戻し、昔の面影を取り戻せると信じている。「3.11」。私たちはこの日を忘れないだろう。

 そして、東北の復興ソングというべき歌を紹介したい。曲名は「あすという日が」。これは仙台市立八軒中学校が全国大会進出を果たし、鹿児島で歌う筈だったが、震災で出場を辞退せざるをえなくなった。彼らの歌声を復興のシンボルとしてお聴き頂きたい。

http://www.youtube.com/watch?v=QQsKdWKmY-A&feature=related

 被災地から発信された"希望の歌"
9月21日発売の夏川りみのシングル。 作詞:山本瓔子 作曲:八木澤教司
大震災の影響で全国大会出場を断念した仙台市立八軒中学校の吹奏楽・合唱部の生徒が、避難所の体育館で発表会を兼ねた支援コンサートで歌った、「あすという日が」がニュー­ス番組で報じられ注目をあつめました。4月12日放送の「NHK歌謡コンサート」で、夏川が同曲を歌唱し、注目度はさらに上昇。急きょ発売が決まりました。

http://www.youtube.com/watch?v=fj8tsl0mH1E&feature=related

 最後に、昨年末、長渕剛が紅白歌合戦で犠牲者に捧げた鎮魂歌「ひとつ」(cover)をご覧頂きながら、追悼したいと思う。

http://www.youtube.com/watch?v=EMtbGbGLQ2A&feature=related

http://www.youtube.com/watch?v=JP6gv6rQiyI&feature=related

 記事作成:1月11日(水)

2012年3月 8日 (木)

私が好きだったCM25

 今日は趣向を変えて、昔、深夜の時間帯に放送していたCMで、子供ながらに見て、ちょっと刺激的で色っぽかったCMや、ここ10年来の女性アイドルたちが、背伸びをして愛嬌をふりまき、話題となったCMなどをお送りしたい。いつもは時事ネタとか社会問題に対する批評が多く、堅い印象を持たれているため、イメチェンしてみた。ご理解頂ければ幸いだ。

 「ホテル聚楽」

 私の地元には飯坂温泉に「ホテル聚楽」がある。世界の料理をバイキングで楽しめるところが売り。結構老舗のホテルである。我が故郷の郡山市熱海町にも「磐光パラダイス」というレジャー施設に隣接した「磐光グランドホテル」というのがあった。しかし、昭和44年2月5日に大火に遭い、大勢の死傷者(31名)を出す大惨事となってしまった。私は当時5歳。さくら通りを何台もの消防車がけたたましいサイレンを鳴らして通り過ぎて行ったのをおぼろげながら覚えている。

 「キャバレーロンドン」

 1980年代の深夜に、「キーハンター」の再放送や「スーパーガール」なるお色気アクションドラマが放映されていて、その合間にこの「ロンドン」のCMが流されていた。当時は「ウィークエンダー」の再現ドラマや土曜ワイドの「江戸川乱歩の美女シリーズ」、浅芽陽子と田中邦衛の「幽霊温泉」シリーズ、「11PM」、「独占!おとなの時間」などエッチっぽい深夜番組が多かった。また所ジョージ司会の「海賊チャンネル」もまた一世を風靡した。

 「猛烈ダッシュ」ほかセクシーCM

 このCMは50代以上の人でないとタイムリーではないだろう。正直私でもライブでは見れなかった。おそらくこのシーンを見て当時の男性諸氏はチラリズムに胸をときめかせたことだろう。

 グリコ 「スカートの中をコピー」

 色っぽいというより面白映像だ。日本ではなさそうだ。中国か台湾か韓国?

 お次は、アイドルのお色気たっぷりCM映像をどうぞ!

 BIORE(相武紗季)

http://www.youtube.com/watch?v=aOmK7KbzKWA&feature=related

 若い女の子たちが大勢出て来る汗と匂いを押さえるスプレーのCMでは、VANシックスティーンや8×4(エイトフォー)、シーブリーズ、そしてこのBIOREがあった。また、コンタクトレンズのCMもまた、若くて元気な女の子が大勢出演し、話題となった。

 資生堂スーパーマイルドシャンプー(広末涼子)

 からだ巡茶(広末涼子)

 広末涼子は10台の頃から、こうしたちょっとHっぽくて際どい演出のCMが多かった。O型特有の思い切りの良さや甘え上手で感受性豊かな表現がストレートに伝わる。

 爽健美茶 湖畔の虹編(松下奈緒 & 冨永愛 & 滝沢沙織)

 今から10年以上前の2001年のCMだが、この3人のコラボは意外性というよりその豪華さに圧倒される。紅白司会者と今をときめくトップモデル、ドラマに引っ張りだこの女優の共演は今では絶対に有り得ない。

 記事作成:2月13日(月)

2012年3月 7日 (水)

私が好きだったCM24

 お菓子メーカーの「東鳩」をご存知だろうか?1980年代に市場を席巻し、ブームを呼んだお菓子をこの世に送った会社である。「とうはと」と呼ぶのだが、まだピンとこない人はこのフレーズを聞けば、すぐに閃くだろう。それは「トーハト~、キャラメルコ~ン♪」「オールレーズン~想い出の朝~東鳩オ~ルレ~ズン~♪」というフレーズだ。このCMは一世を風靡した。40歳代以上の方なら、すぐに懐かしく思い出すだろう。ではそのCMを見て頂きたい。

「キャラメルコーン」

「歴代東鳩のCM」

http://www.youtube.com/watch?v=WDFMfivt-pc

「オールレーズン」

「別バージョン」

http://www.youtube.com/watch?v=lAGFNq6UUGk&feature=related

 結構懐かしい。この頃のCMに使われるBGMは小林亜星が手掛けることが多かった。1980年代に入ると糸井重里が登場し、キャッチコピーが流行した。コピーライターなる職業があることを初めて知った。

記事作成:2月13日(月)

2012年3月 6日 (火)

私が好きだったCM23

 「グリコアーモンドチョコレート」、「グリコセシルチョコレート」、「グリコポッキー」

 このCMは昔からアイドルの登竜門のような印象がある。1980年代のアイドルブームの際には、数多くの若手アイドルがこの作品に出演した。可愛くて微笑ましいストーリーが多かった。特に1981年頃のゴールデンコンビだった田原俊彦と松田聖子のシリーズは話題を呼び、お似合いのカップルとして注目され、ファンの悲鳴やら嫉妬やら、怒号がこだましたものだ。それでは懐かしいアイドルの、当時の姿を振り返りたい。

 田原俊彦・松田聖子「高原での出逢い」編

 このCMは埋め込み処理無効のため、映像は下のアドレスをクリックしてどうぞ!著作権がうるさく、たびたび削除されている貴重で希少な映像です。

http://www.youtube.com/watch?v=2vkp45h9Qc8&feature=related

 松田聖子「ひとり旅」編

http://www.youtube.com/watch?NR=1&v=12yTpIbmkhI&feature=endscreen

 アイドル時代の聖子ちゃんは「ぶりっ子」だった。女子高生の大部分が同じ髪型で、いわゆる「聖子ちゃんカット」という両サイドを内巻きのレイヤーを入れ、ボリューム感を出したスタイル。1980年代を代表するトップアイドルとして君臨した。可愛らしさだけでなく、すこぶる歌唱力があった。同時期にマッチが受賞したレコ大を彼女が取れなかったのが不思議でならない。

 渡辺徹&小泉今日子「フットボール」編

 当時は、「太陽にほえろ」のラガー刑事役など細身のアクションスターだった渡辺徹と、アイドル歌手だった小泉今日子が共演したCM。結構話題を呼んだ。でもカップルと言うよりも兄妹といった関係だった。この後、渡辺徹は、1970年代後半のアイドルだった榊原郁恵と結婚した。

 堀ちえみ 「セシルチョコレート」編

 彼女が「潮風の少女」でデビューした時は、まるで人形のような雰囲気。ベビーフェイスでロリアイドルっぽかった。松本伊代、小泉今日子と大の仲良しでパリンコ学園で共演した。まさか3度の結婚を繰り返し、子だくさんになるとは思わなかった。「スチュワーデス物語」に出演した際の「ドジでのろまな亀」や「教官!」という名セリフを残した。

 岡田有希子 編

 今は亡きアイドル歌手。とてもかわいらしい。1985年頃のトップアイドルで、アンニュイなイメージで、熱狂的なファンの支持を集めていた。今でもあんな悲劇的な最期を遂げるなんて信じられない。あの壮絶な事件の日、私は東京の三軒茶屋に住んでいた。

 南野陽子 編

 「スケバン刑事Ⅱ」で2代目麻宮サキを演じた時は、鉄仮面をかぶるあまりにも衝撃的なデビューに度肝を抜かれた。アイドルにあんなものを被せ、尋常ではなかった。彼女のドラマでは、ナース役だった「熱っぽいの」、曲では「ハイカラさんが通る」が大好きだった。

 石原さとみ 「あなたも私もポッキー」編

http://www.youtube.com/watch?v=ufpyDAbKbP0

 「あなたも私もポッキー!」というフレーズが気に入っていた。彼氏とキスをしようとすると邪魔が入る設定。アイドル顔だが、女優業に専念した。声が少し低くてハスキーなので、歌は苦手と自ら身を引いたのか?勿体ないが、ドラマに数多く出演している。大物女優になる素質は十分だ。

 新垣結衣 編

 「とってもいいじゃん、切り捨てコギャル♪」という軽快なリズムに合わせて踊り狂う。ガッキ―も結構明るくて好きなタイプ。「全開ガール」もなかなか良かった。このポッキーのCMは著作権が厳しく、何度も削除の憂き目に遭っている。

http://www.youtube.com/watch?v=VyEUq3FPiN8&feature=related

http://www.youtube.com/watch?v=ovziXcaPgGk&feature=related

 記事作成:2月13日(月)

2012年3月 5日 (月)

私が好きだったCM22

 以前、「一世を風靡したCM」というブログを書いた。JR編とコカコーラ編をシリーズでお送りした。1980年代はバブル景気で、社会全体が勢いがあって人々は経済的にも潤っていた。飽食の時代と言われ、空前のグルメブームが沸き起こった。自動車がバカ売れして不動産バブルが発生。金利もうなぎ登りで100万円を1年間預ければ利息が6万円も付いた。もちろん利息にまで税金をかけるなどということはなかった。今思えば夢のような時代だった。そんな時代に、その世相を風刺するかのようなCMが制作、放映されていた。それが「Yes Coke Yes!」のキャッチフレーズが世の中に木霊した「コカコーラ」の作品だった。空前の女子大生ブームを背景に、或る学食がその舞台。学生が一体となって、音楽をクリエイティブしていく内容。何かこの時代を象徴するようなストーリーだった。この頃は十把一からげのような雰囲気で、「一気(イッキ)飲み」が流行った。運命共同体や一体感を醸しだす作りだった。では早速ご覧頂きたい。40代以上の方は、当時を懐かしく思い出される筈だ。

 <30秒スポットはコチラ>

 <15秒スポットはコチラ>

  「1980年代」の世相を表すニュースはコチラ

1985年のニュース一覧はコチラ(私は当時大学2年生で北海道岩見沢市に住んでいた)

http://www.youtube.com/watch?v=wog44QILlHA&feature=related

1986年のニュース一覧はコチラ(私は当時大学3年生で三軒茶屋に住んでいた)

http://www.youtube.com/watch?feature=endscreen&v=khcTAZb_KeI&NR=1

 私は大学4年生の年末年始頃、新宿センタービルの44Fにあった或る旅行代理店でアルバイトをしていた。25年前の当時でも時給1,000円!同じフロアの一角にバブルを象徴するようなプレイルームがあった。プールバー形式で、ポーカー台、ルーレットコーナー、ダーツ、バックギャモン。ビリヤード台などお洒落なゲームを楽しめる完全会員制のプレイコーナーだった。眼下に大都会東京の夜景が広がり、それは宝石を散りばめたように美しかった。その会社から内定を貰ったが、都会では生活できないと断念し、田舎に逃げ帰った。

Nightscene Poolbar

「一世を風靡したCM~コカコーラ編~」はコチラ↓

http://tsuri-ten.cocolog-nifty.com/blog/2011/02/post-e393.html

 日本が一番元気があって活力に満ち溢れていた時代だ。その頃のCMもその世相を象徴した作品が多かった。一方でチャレンジャー爆発事故や日航機墜落事故など大きな事件や事故も相次いだ。電電公社がNTTへ、国鉄がJR、専売公社がJTと国営事業が次々分割民営化した。社会全体が大きな波のうねりと共に転換期を迎えた気がする。しかし、人々が希望に溢れ、大きな夢を思い描き、追い求めたその代償を、その後長きに渡って払わされることとなった。あれから早くも四半世紀が経過した。時代は今後何を求めて行くのだろうか?

 記事作成:2月12日(日)

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