2021年9月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30    

« 私が好きだったCM25 | トップページ | 私が好きだったCM26 »

2012年3月11日 (日)

3.11~あの日を忘れない~

 本日3月11日は、あの「東日本大震災」から丸1年にあたる記念すべき日である。あれから1年もの歳月が過ぎたとは信じられない。地震や大津波により亡くなった方々や今も3千人を越える行方不明の方々、その遺族、家族を思うと居た堪れないし、目頭が熱くなるのを禁じ得ない。あの地震の瞬間の映像や津波に流され、破壊される町が脳裏に焼き付いて離れない。その後も1000回以上続く余震、そして我が福島県は出口が見えない原発事故のさなかに未だいる。

 そこで今回は、決してあの時の体験を忘れない為に、そして同じ過ちを2度と繰り返さないために、この映像をお送りしたい。これは多数の犠牲者を出した南三陸町の防災無線担当し、押し寄せる大津波の恐怖と闘い、懸命に住民に避難を呼びかけ、多くの住民の命を救いながら、自ら命を落とした「遠藤未希」さんの「未来への遺言」とも言える天使の声を特集した時の映像だ。私も正座して心して見て、彼女の遺志を後世まで語り継ぎたいと思う。

https://www.youtube.com/watch?v=dlx84wX5PYk

http://www.youtube.com/watch?v=M-neskB4FOc&feature=related

http://www.youtube.com/watch?v=dB4xT-FBysM

 彼女が命懸けで守りたかったもの、それは美しい故郷の港町の風景、愛すべき町民たち。それと引き換えに払わされた代償・・・。決して彼女のことを忘れてはいけない。そして、よりよき未来を築いて行かなければならない。彼女は空からずっと私達を見守っている。

http://www.youtube.com/watch?v=yBh6DUVFU1g

  そして3月9日のNHKニュースで、遠藤未希さんが命懸けで避難を呼びかけた30分に渡る緊迫した様子を録音したCDが見つかった。下記はNHKのニュースの全文です。

 宮城県南三陸町で、震災発生の際、住民に避難を呼びかけ、多くの命を救った防災無線の音声が完全な形で残っていることが分かりました。
亡くなった町職員の遠藤未希さんの呼びかけがすべて収録されているほか、呼びかけがどのような判断で行われていたかをうかがわせるものとなっています。

 NHKが入手した音声は、津波で職員や住民、合わせて41人が亡くなった南三陸町の防災対策庁舎から発信された、およそ30分の防災無線の放送をすべて収録したものです。地震発生の直後から放送が始まり、サイレンに続いて、危機管理課の職員だった遠藤未希さんが「震度6弱の地震を観測しました。津波が予想されますので、高台へ避難して下さい」と呼びかけていました。この時点で大津波警報は出ていませんでしたが、町は独自の判断で津波への警戒を呼びかけていました。周囲にいた人の声も収録されていて、大津波警報が出たあと、津波の高さについて「最大6メートルを入れて」と指示され、未希さんは、6メートルという情報と「急いで」とか「直ちに」という言葉を呼びかけに付け加えていました。
 また、周囲の「潮が引いている」という言葉に反応して「ただいま、海面に変化が見られます」と臨機応変に対応していたことも分かります。
津波を目撃したとみられる職員の緊迫した声のあと、未希さんの呼びかけは「津波が襲来しています」という表現に変わっていましたが、高さについては「最大で6メートル」という表現が続き、最後の4回だけ「10メートル」に変わっていました。
当時、未希さんたちと一緒に放送を出していた佐藤智係長は「水門の高さが5.5メートルあり、防災対策庁舎の高さも12メートルあったので、6メートルならば庁舎を越えるような津波は来ないと思っていた」と話しています。
 音声は、なおも放送を続けようとする未希さんの声を遮るように「上へあがっぺ、未希ちゃん、あがっぺ」という周囲の制止のことばで終わっていました。呼びかけは62回で、このうち18回は課長補佐の三浦毅さんが行っていました。
男性の声でも呼びかけて、緊張感を持ってもらおうとしたということです。三浦さんは今も行方が分かっていません。
 この音声を初めて聞いた未希さんの母親の遠藤美恵子さんは「この放送を聞いて、本当に頑張ったんだと分かりました。親として子どもを守ってあげられなかったけど、私たちが未希に守られて、本当にご苦労さまというしかないです」と話していました。

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20120309/t10013614681000.html

 このニュースを見て涙が止まらなかった。多くの人命を救った最期まで正義を貫いて頑張った人がなぜ犠牲にならなければならないのか?残念でならない。

 最後に、「あの日を忘れない」ために、1年前から1か月以上も繰り返し流れていた公共広告機構のCMをお送りしたい。

 見える気持ちに 編

 魔法の言葉 編

 今、私にできること 編

 SMAP・トータス松本 編

 岡崎、長友、内田 編

 こだまでしょうか 編

 あの日から今日で1年。マグニチュード9.0の我が国最大の地震、東日本の海岸線に押し寄せた大津波、あのチェリノブイリと同じレベル7の原発事故、そして故郷を遠く離れての避難、風評被害。2万人近い多くの人命が奪われた。この未曾有の災害を私たちはいつまでも忘れず、後世に語り継いでいかなければならない。震災によって新しい絆が生まれた。助け合いの精神が育った。人間なせばなる。かつて敗戦の泥沼から劇的な復興を果たしたように、何年かかるかわからないが、必ずや福島県は豊かな自然を取り戻し、昔の面影を取り戻せると信じている。「3.11」。私たちはこの日を忘れないだろう。

 そして、東北の復興ソングというべき歌を紹介したい。曲名は「あすという日が」。これは仙台市立八軒中学校が全国大会進出を果たし、鹿児島で歌う筈だったが、震災で出場を辞退せざるをえなくなった。彼らの歌声を復興のシンボルとしてお聴き頂きたい。

http://www.youtube.com/watch?v=QQsKdWKmY-A&feature=related

 被災地から発信された"希望の歌"
9月21日発売の夏川りみのシングル。 作詞:山本瓔子 作曲:八木澤教司
大震災の影響で全国大会出場を断念した仙台市立八軒中学校の吹奏楽・合唱部の生徒が、避難所の体育館で発表会を兼ねた支援コンサートで歌った、「あすという日が」がニュー­ス番組で報じられ注目をあつめました。4月12日放送の「NHK歌謡コンサート」で、夏川が同曲を歌唱し、注目度はさらに上昇。急きょ発売が決まりました。

http://www.youtube.com/watch?v=fj8tsl0mH1E&feature=related

 最後に、昨年末、長渕剛が紅白歌合戦で犠牲者に捧げた鎮魂歌「ひとつ」(cover)をご覧頂きながら、追悼したいと思う。

http://www.youtube.com/watch?v=EMtbGbGLQ2A&feature=related

http://www.youtube.com/watch?v=JP6gv6rQiyI&feature=related

 記事作成:1月11日(水)

« 私が好きだったCM25 | トップページ | 私が好きだったCM26 »

私のPVライブラリー」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

« 私が好きだったCM25 | トップページ | 私が好きだったCM26 »

福島県の天気


無料ブログはココログ