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2012年7月

2012年7月20日 (金)

山寺・山形市内探訪記

 この旅行記は、一度は「My log」の中で紹介しましたが、自身の旅行記(紀行文)として残したいと考え、再度編集し直してアップいたします。山形出張にかこつけて、OFF日を利用して、テレビ東京系(BS7)で放送した「駅弁ひとり旅」を観て、予てから訪れたいと思っていた山寺と急遽思いついた山形市内観光(スタンプラリー)の模様をつぶさにお伝えします。出張2日目の記録のみどうぞ。

 7月20日(金)くもり

 6時半起床。ゆっくりの行動。7時半に食事会場の3階「富士の間」に行ったらガラガラ貸切り。広い結婚式場ホールに客は5~6人。こういう出張は初めて。今朝もバイキング。昨日とメニューが違う。朝メニューだ。デジカメで写真。大好きなウィンナー!

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 朝から嫌いな小倉智昭の番組でロンドン五輪の金メダル数の予想をしていた。小倉は13個の予想をしていたが、私は9個とみた。北島、内村、女子レスリング、セーリング、女子柔道くらいのものだろう。日本人はプレッシャーに弱いので、シビアな現実を突きつけられるに違いない。金銀銅をあわせても22個程度だろう。なでしこJAPANは応援はするものの銅メダル止まりだ。下手すれば準々決勝でフランスに敗れ、メダルなしで終わる可能性すらある。やはり強豪のアメリカ、フランスには体格差が歴然で勝てないと見ている。W杯は運が良かっただけ。実力ではアメリカとは雲泥の差があった。あのときのような粘り強さが発揮できるかにかかっている。

 結局、連れは足の怪我により今日一日ホテルで過ごすことに。私一人で外出。行きはよいよい帰りは怖い・・・。となることもしらず、喜び勇んで出かけた。

 8時40分ホテル発。外に出ていきなり気づいたのが肌寒い。昨日までの天気とは対照的。最初は9時台の電車でゆっくり行こうと思ったが、時間がもったいないし、早朝の山寺見物のほうが良さそう。一本早い電車で行くことをこの時点で決意。

 8時47分、山形駅発。230円。仙山線の各駅で行く。3つ目かと思ったら、それは快速で、普通は5つ目。もちろん始発なので座れた。ドアの横の横向きのシート。進行方向の山は分厚い雲で雨が降っていそう。傘を忘れたことに気づく。

 9時16分山寺駅到着。ホームや駅の見晴台から写真をバチバチ写す。駅の時刻表や案内図もデジカメで撮りまくり。自販機でミネラルウォーターを購入。110円。駅前の蕎麦屋のおばちゃんがえらい商売上手で親切(というよりおせっかい好き)。頼んでもいないのに、地図をくれまくって、「帰り寄ってね」と何気にアピール。

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 質素で歴史を感じる山寺ホテルを右へ。土産物屋が軒を連ねる通りへ。そして左折。すると朱塗りの風情ある橋を渡った。そして右へ。ここも参道へ続く土産物屋のストリート。女性の店員さんは愛想がよく、挨拶もしてくれる。みちすがら、或るお店ではさくらんぼのソフトクリームを売っていた。このあたりは駐車場500円。1000円以上の買い物で無料。そして芭蕉の句碑のある石段から登山道へ。前途多難を予期させる急階段がいきなり現れた。すぐに根本中堂へ。ほとんど観光客はいない。土日はごった返すだろうに。居合わせた観光客とほぼ同じ行動。写真に入らないように先頭を行きたかったのに、一人旅の若い男の後ろを歩かされる。そして9時35分に思い立ったように実家の母親にTEL。山寺にいることを告げた。松尾芭蕉がこの地で詠んだ句「閑さや岩に染み入る蝉の声」と刻まれた句碑と、芭蕉の銅像があった。神社などを何軒か経由し、9時40分に立石寺の山門へ。300円。結構気さくに話してくれる。自然群生の紫陽花が満開でやたら綺麗。

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 千段以上も続く石段を登り始めるが、すぐに息苦しくなる。かなりきつい。心臓破り。せめてもの救いが涼しいこと。これで気温が高くて無風だったら死んでた・・・。石段の途中で何度も休み、水分補給。その都度写真撮影。うっそうと茂った杉の林が美しい景観を作り出す。あちこちに石像や卒塔婆などが置いてある。心臓ばくばく。ふくらはぎ痛。

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 9時48分せみ塚へ。何か物足りないと思ったら蝉の声がまったくしない。しかし土手のあちこちに青々とした色の紫陽花が自然群生していた。順路の道すがらあちこちで咲いていた。うっそうとした杉林が茂り、朝なのに薄暗い。石段で前後に誰もいなくて私一人という状況が何度もあった。途中、工事用の足場のスロープを回りこむように登った。

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 9時53分に仁王門へ。ここまでくればあと僅か。しかしここで息切れ心臓バクバクで、誰もいないことをいいことに、つい我慢していた唾を吐き捨ててしまった。罰当たり。石段に座り込み、ふくらはぎを揉み解したり、呼吸の回復を待つ。そして9時58分に見晴らしが良い「修行の岩場」へ。山頂近くで障害物がなくなったため、風が強い。汗だくの体に冷たい風が吹き付け冷えて風邪をひきそう。

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 その時、ずっと行動をメモしていた紙が強風で飛ばされる。崖の斜面の長い草の茎の上で止まり、足場が見えない崖を2歩降り、草につかまりながら何とか回収した。落ちて死んだらしゃれにならない状況だった。そして登山のクライマックスを迎えた。山頂部にあたるもっとも絶景が楽しめる舞台づくりの五大堂へ。10時3分に到着。ここからの眺望は抜群。眼下には山寺駅、鉄橋、土産屋の参道なども見下ろせた。しかし風が強くて寒かった。自分撮り。そこには随分老けた自分がいた。無礼なおっさんの観光客にシャッターを押すよう頼まれた。頼み方が上から目線。ずうずうしい感じだ。ここまで山門から23分だった。休み休み、写真を撮りながらゆっくり来たのに案外早かった。

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 若い家族連れが現れたため、さっさと下山。ママがミニのショートパンツ・・・。途中から来た道とは別の下山道へ。足場悪く、足を捻らないように細心の注意を払った。途中、紫陽花の回廊を通った。そして10時23分に山門までたどり着いた。往復43分でやってきた。ここは土産物屋(お札売り場)を通らないと帰れない。おばちゃんと話。山形の女性は気さくで話しやすい。男、特におじさんは無愛想だ。そこで娘のためにお守りを購入した。500円。

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 そして土産物屋の間を縫って、橋を渡り、JR山寺駅へ。来たときに声をかけられた蕎麦屋に寄るはずだったが、朝の重すぎたバイキング朝食がまだお腹にあって、食えないことやメニューを見たら高いこと、それに朝のおばちゃんがいないことをいいことに、そのまま駅へ。10時36分の電車に乗れそうだった。このとき35分。急いで自販機で230円で切符を購入。駆け足でホームへ着いたのはちょうど定時だった。しかし、電車はまだ来ていない様子だった。4分遅れて到着。10時40分にホームに滑り込んだ各駅停車の電車に乗った。ちょうど1時間半の滞在で、早業だった。幸いにしてガラガラで座れた。羽前千歳駅の手前にとても綺麗なキャンパスがあったが、山形県立保健医療大と判明。豪華な作りだった。

 このまま山形駅に着いてもホテルには戻れない時間なので、乗車中に次の行動を考えた。「山形市内を見物しよう」とこの時点で決意した。10時59分に7番ホームへ到着。山形の女性は脚が細く、綺麗な人が多い。そして西口へ移動。霞城セントラル方面から降りて線路沿いを歩く。そして車窓から見えた高級住宅街とお堀沿いの道を歩き、11時14分、南門から城跡へ。自販機で南アルプスの天然水を110円で購入。

 それにしても山寺往復(山登り)に加え、今日はどれくらい歩くのだろう。足はすでにパンパン状態。ふくらはぎが熱を持っていて悲鳴をあげていた。

 散策路を歩く。ここは数十年かけて城跡を復元するようだ。石垣が多数点在。昔ながらの木造の橋があったり、周辺は広大な敷地。写真撮りまくり。11時22分県立博物館前へ。そして隣の東大手門へ。本日櫓を公開しているらしい。城主の最上家の銅像が立っていた。石段を登り櫓へ。するとスタンプラリーをしているらしく、適当にはんこをパンフに押した。案内係のおじさんに説明してもらった。すると観光地を回ってスタンプを8個集めると、「やまがた舞子」の絵葉書セットをもらえるようだ。これがまたかわいい子ばっかり。思わずデジカメで写真を撮った。訪れる観光客もまた可愛い。女の子ひとりで旅している場面も何回か見た。駅弁一人旅のアバンチュールを期待してしまった。すぐに仕事で来ていると戒めた。

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 案内係のおじさんの勧めで郷土館へ向かう。方向を間違えてUターン。これがまた風変わりな明治大正時代を髣髴させる三層楼16角形の洋風建築。ちょうど7~8人の観光客とぶつかり、写真が撮り終わるまで待たされる。しかし、その中の一人が超美人!シーボルト時代からの医療器具や医療に関する絵や模型などの展示をしていた。写真撮りまくった。

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 スタンプを専用のパンフに押したが、東門の櫓でそのパンフに押し忘れたことに気づく、さっきの櫓に戻る。そしてスタンプを押したこの瞬間に、残り6つのスタンプがある場所をすべて巡ることを決意した。どうせ一日暇なら、こういう目的があったほうが観光しやすい。それが狙いでこのような企画を考えたのだろうが。しかし、さっき通った霞城セントラルにもう一度最後に行かざるを得ない。足が痛くて仕方ないが、あの舞子写真セットをもらえるなら、老骨に鞭打って歩けるような気がした。美術館の横を通り112号線へ。次に向かったのは「まる八」という名の漬物屋。スタンプだけを押して何も買わず逃げた。12時13分だった。

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 レンタサイクルで回っている人もいた。足パンパン。市役所脇を通って左折。突き当たりに大正浪漫を感じるような石造りの重厚な建物が見えた。それが次のスタンプ押印箇所の「文翔館」だった。ここは何を隠そう旧山形県庁だった建物。由緒ある時計台まであった。とにかく綺麗。12時26分着。女子高生の一団がそこの芝生でお弁当を食べるようだった。

 中に入ってすぐ格式が高い印象を受けた。係りの方々が優しくサポート。案内をつけようとしたが、丁重に断り、案内パンフをもらって自由見学することに。スタンプ4つ目。いきなり赤じゅうたんの木造の階段。首相官邸で閣僚が記念撮影するような作り。知事室や会議室などのほか、山形の今昔を学習できるような細工がいっぱい。資料や映像が盛りだくさん。福島県にもこのような施設がほしい。一番感動したのは、西洋の映画に登場しそうな煉瓦調の中庭。美しかった。写真を撮りまくった。冬ソナのユジンたちが通っていた高校みたい。

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 その後向かったのは七日町御殿堰。道すがら人工的に作ったような小川の堰を発見。スタンプが見つからず右往左往。やっとのことで、あんみつ屋の中にあるのを見つけた。何か観光協会と町の特定の店が結託して仕組んだようなスタンプラリーだ。金を落とさないとスタンプをもらえないような仕掛け。あえて何も買わず食わず押印のみ。次に向かったのは7つめのスタンプのありかの「まなび館」。山形グランドホテルから左折した左側にある。山形一小学校と隣接。6つ目となるスタンプを押すだけで、すぐ退散。間違って小学校の敷地を横切った。施設は立派。

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 その後、宿泊先のホテルに近づくように進み、途中にある「紅の蔵」へ。13時12分。ここは食事処だ。でも高そうなのでスタンプのみ。店の人に聞くと裏を回って毘沙門天の庭を通り、裏口から入ったところにあるという。卑しいが食事をしないとスタンプは押せないような場所に置いてあった。でも高そうなので食べず。もう昼下がりなのに朝食バイキングが重かったため、あまり腹が減らない。

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 あとひとつですべてのスタンプが完成するところまでこぎつけた。最悪なことに、朝、気づいていればその前を通ったのに、さらに1km近くあるいて駅の西口まで往復しなければならない。国際ホテルへ戻る途中、公園の向かいにあるよさげな蕎麦屋を見つけた。ミニスカの女子高生カップルがいちゃついていた。13時18分にその蕎麦屋「山長」へ。OL4人組が先客でいた。座敷へ。160km/hを出した東北のダルビッシュこと花巻東の大谷投手のニュースを伝えるスポーツ紙を読んだ。冷丼ラーメン850円を頼んだ。あまり旨くなかった。OLたちが食べていた950円の樹氷ラーメンのほうが良かったかも。13時40分発。その公園は第二公園といい、何と古ぼけたSLまで置いてあった。

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 13時42分に国際ホテルへ戻った。ホテルの前は綺麗で大きな山形学院高校だった。部屋には行かず、トイレのみ。レストランはランチバイキングを実施していた。可愛い子が食べていた。そのまま駅方面へ。いい加減足が痛くて棒に。本音ではすぐにでもベッドで横になりたい気分。しかし「やまがた舞子」の写真セット欲しさにまた歩く。駅で待合室に立ち寄って売店でさくらんぼの携帯ストラップを購入。367円。これを知り合いの高校2年生にプレゼントしようと思った。13時56分、霞城セントラルへ。山形の駅周辺はホテルだらけ。ルートイン、第一イン、コンフォートなど。こんなに訪れる人がいるの?人口25万人程度と郡山より少ないのに・・・。1Fの観光案内所で最後のスタンプを押した。一箇所で2つずつ押しておけば良かったと後悔した。何箇所か聞いてたらいまわしにされた後、裏手の観光協会に申し出て、ようやくはがきセットをいただいた。受け取る際に「旅の記念にします」と告げたが、周りは女性だらけで恥ずかしかった。

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 その後、再び駅の通路を歩き、東口へ。何枚か駅舎を撮影。14時22分、セブンに立ち寄り、缶ビール、いろはす、おかし、カフェオレなど527円分を購入。やっとの思いで14時27分にホテルへ戻った。 

 くたくた。でも一日涼しかったのでそれが幸い。熱中症にならずにすんだ。ふくらはぎが熱を持つほどの筋肉痛。いったい何キロ歩いたのだろう。部屋ですぐに風呂を沸かし入った。そして今日だけで200枚くらいデジカメ撮影した。メモリーカードもよく持つ。昨年の尾道旅行から使い始めたカードだが、全部で2,000枚近く撮影している。

「やまがた舞子」の詳細はコチラ↓

http://www.yamagata-cci.or.jp/maiko/

 記事再編:8月13日(月)

笑えないネタ50連発!

 以前、当ブログで「ブラックユーモア」や「笑いのネタ100連発」などの記事をお送りした。今日はその類の第3弾。「またか・・・」と懲りずに広い心で見てほしい。

<立ち直れない出来事(自虐ネタ)>

 1 全国指名手配の凶悪犯の顔写真にそっくりな自分

 2 いつもきまってサメに食べられる夢を見て目が覚める自分(たぶん前世はサメに食われた魚?)

 3 カラオケで歌っても誰も手拍子や拍手をしてくれない・・・。

 4 化粧をしても変わらない自分

 5 通りを歩いていて、すれ違う女性全員に笑われる自分の容姿

 6 2次会で気づくと最後はいつも自分ひとり。いつも全員分の勘定を払わされている。

 7 コンパで誰も話しかけてくれない。

 8 病院の待合室で、見ず知らずの人にお腹を見られて「何ヶ月ですか?」と言われるほど太鼓腹の体型。

 9 1年で異なる個所を3回骨折した自分

10 飼い犬にバカにされている自分

11 若白髪が凄くていつも50代に見られる30代の自分。

12 毎週地元の形成外科からDMが届く・・・

13 駅前を通ると必ず宗教の勧誘を受ける自分

14 毎回カラオケで30点しか出ない自分

15 社内ボーリング大会でいつもビリになる自分

16 毎晩ひとりで反省会している自分

17 芸能人のサイン会や握手会で、自分の直前で終了になった瞬間

18 毎日夜な夜なこんなことばかり考えている自分

19 自分のことを友達に紹介したがらない友人

20 番組観覧ハガキを100枚以上送ってもすべて落選したとき

21 街を歩いていて自分だけポケットティッシュをもらえなかった時。へこむわ~。 

22 背中ではなく顔に哀愁を感じる私

23 新幹線に飛び乗ったら、それが「はやぶさ」で、降りる駅を通過した時

24 欲張って駅弁をふたつ食べたら、食い合わせが悪くて食あたりになり、楽しい筈の旅行が台無しになった時

25 一重二重あご三段腹四十肩がオンパレードな三十路

26 宝くじの一等前後賞にあと1番足りなかった自分の券を目の当たりにした時

27 おみくじで3回連続大凶を引いた時

28 妻のメルアドを教えてもらえない私

29 姓名判断で画数が全部最悪だったとわかった時(どうりで)

30 10歳下の上司にこき使われている自分

<信じられない事実>

 1 B’zの稲葉浩志と俳優の温水洋一が同い年という事実

 2 松田聖子の「赤いスピートピー」から丸30年も経過しているという事実

 3 叶姉妹が本当の姉妹ではなかったこと  

 4 アブドーラ・ザ・ブッチャーが71歳、アントニオ猪木が来年70歳という事実 ザ・デストロイヤーは今年81歳!

 おまけの貴重映像「ブッチャー対デストロイヤー」

http://www.youtube.com/watch?v=XvcsFpsl3-s

 5 千秋楽に土俵を壊して土を持ち帰る名古屋場所の観客

<ホントにいたら(あったら)怖いもの>

 1 ギターを抱いた渡り鳥(鴨がネギ背負ってるのとは訳が違う)

 2 千手観音の手品マジック(どこを見ていいのかわからない)

 3 アゴが外れたカバ(誰に治してもらう?)

 4 幽霊が怖がる怪奇現象(どれだけ怖い?)
  
 5 キリンのあっち向いてホイ(首が疲れそう・・・)

 6 化けの皮のはがれたミカン

 7 「本家本元」と「元祖」を売りにしている店のあくなき闘争 

 8 恨みっこ(裏見っこ)なしのお札

 9 カツラではないと言い張るヘアピース(綾小路ネタ?) 

10 失恋したキューピット

11 お坊さんが袈裟を着たまま医師の診察を受けている場面

12 落雷で全焼した神社(ホントに神様はいたのかね?)

13 保証期間が切れた翌日に100%故障する電化製品(実際ありそう)

14 七福神の仲たがい(ご利益ねぇ~)

15 奈良の大仏と鎌倉の大仏の駆け落ち

 記事作成:6月15日(金)~ 6月18日(月)

2012年7月19日 (木)

私が好きだったCM35

 専門学校・予備校編

 1 東京モード学園

 ニッポン放送「オールナイトニッポン」の合間に流れていた懐かしいメロディーで始まるCM。ジャングルの中とかアフリカのサバンナなどの未開の奥地を旅してさまよっているような印象に溢れた曲。探検気分を味わえる。Quincy Jonesの「Soul Bossa Nova」という曲だった。神秘的で、図柄も異国情緒満載。東京モード学園は昔、私が1987年12月に働いていた「新宿センタービル」の中にあったと思う。私が43Fでアルバイトをし、その2つか3つ階下にあったと思う。

 一世を風靡した激しく踊り狂う女子高生編はコチラ

 2 立志舎(東京法律専門学校&東京IT会計専門学校)

 夏のオープンキャンパスシーズンや1~3月の受験シーズンになると決まって流れる有名なフレーズ。

http://www.youtube.com/watch?v=9p0YhGUaYGA&feature=related

http://www.youtube.com/watch?v=eyWYsQkxlh0&feature=related

http://www.youtube.com/watch?v=vRo5hrvUIGk&feature=related

 この歌は武内千佳さんが歌う「夢は終わらない」という曲で、このCMのためだけに作られたため、CD発表れていない。何か夢と希望に満ち溢れ、頑張ろうという気持ちが芽生えそうなフレーズに感動してしまう。

「いつまでも、いつまでも、夢を追いかけ、
 壊れそうな時でもあきらめたりしないで」

「どこまでも、どこまでも、果てしない空、
 信じている限り、夢は終わらない」

信じている限り、夢は終わらない。

 3 東北電子専門学校

 やはり学生募集という観点から、専門学校CMは「楽しく学べる自由な校風」というイメージをアピールしている。

 良いCMだったのですが、その後削除されてしまいました・・・。

 駿台予備校&代々木ゼミナール

 尾道編 http://www.youtube.com/watch?v=aIn8qZQ9l18

 予備校のCMでも夢に向かって頑張る前向きなポジティブ思考を全面に押し出したつくりとなっている。かつてのような受験に失敗し、暗い浪人生活というようなイメージは微塵も感じられない。

 東進ハイスクール

 妙に感動してしまったCM。

 記事作成:6月17日(日)

2012年7月16日 (月)

「郡山発!おもしろオブジェ大集合」第二弾

 以前、「郡山発!おもしろオブジェ大集合」というタイトルの記事(2010年5月24日付)を書いた。その中で、郡山市内に点在する奇妙奇天烈で、風変わりな造形物(オブジェ)を8体取り上げて紹介した。我が故郷である郡山市は、別名「楽都」と呼ばれるほど古より音楽文化が栄え、それに造詣が深く、「音楽都市」として名を馳せた土地柄であった。論より証拠、偉大な作詞家作曲家を数多く輩出していることで証明できるだろう。湯浅譲二、丘灯至夫(生まれは小野町)、市川昭介、本名徹次、文壇では久米正雄や宮本百合子(東京生まれ)らがいる。

 また、郡山市というところは、音楽ばかりでなく、芸術性にも優れ、市街地の至るところで様々なオブジェを目にすることができ、私たちを楽しませている。駅前大通りや中央通り商店街の目抜き通りには、楽器を象ったベンチを多数目にすることが出来る。ピアノ、ハープ、バイオリン、オカリナ、ハーモニカ、サックス、リコーダー、木琴、音符などである。毎年、一般公募でコンクールを開き、市内外から広くデザインを募集し、入賞者の作品が日大工学部の協力のもと、タイアップしてそれを実物化しているというユニークな試みを行っているのだ。そこで今回は、2年前の続編として、郡山市内の街角で見かけたさらなるオブジェを紹介したい。今回は趣向を凝らし、あえて答えは掲載せず、クイズ形式の出題とし、それがどこにあるのかを当ててもらいたい。答えがわかったらコメントでお知らせください。

 ① 巨大ネズミ現る!

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 県道を走行中、いきなり現れた巨大ネズミ・・・。高さ6m以上、幅3mもあろうかという巨大なディスプレイ。道路沿いではなく、50mほど引っ込んだ或る会社の敷地内にある。さてどこでしょうか? ヒントは郡山市でも西の方にある。「まうちゅう」と言えばわかるかな?

 ② 親子の牛

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 観光地でよく見かける「牛のオブジェ」。しかしこれは町中にある。母親の牛が子供たちを温かく見守っている構図で、いかにもほのぼのするような配置。私は定休日に訪れたが、店内に仕舞うことなく屋外に置かれていた。さてどこでしょう?誰でも目に触れる屋外にあります。

 ③ 招き猫

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 見通しの良い道路を走っていると、店舗もないような道端で、突如目の前に現れた巨大な猫!よく見ると御影石製の「招き猫」・・・。高さは1m50cm程度。さぁ、どこにあるでしょうか?ヒントは国道沿いです。

 ④ 街中にド派手なロケットが出現!(煙突?鉄柱?)

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 いつ建てたのかも不明だが、まるで「アサンテ」のイメージカラーをパクって建てたかのような高さ10mほどのド派手なロケット型の鉄柱(鉄塔)。楳図かずおのカラフル住宅のよう。もしかして夕刻になると、あの辺の電線を覆い尽くすカラスやムクドリの騒音や糞対策で建てたのか?けばけばしく、およそ周辺の景観に合わず、完全に浮きまくっている。ある建設会社の店先にあるのだが、接する道路がかなり交通量が多い場所だけに、やたら目立つ。巨大台風が襲来したら吹っ飛ばされそうだ。さてどこにあるでしょう?

 ⑤ 「住宅街にある自由の女神 !」

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 よくパチンコ店とかラブホの屋上のシンボルや店先の看板代わりのラウンドマークとして置かれてあるミニチュア版の「自由の女神像」を目にしたことは多い。しかし、住宅街の一角にひっそりと佇んでいたこの像は、ちょっと前までは信じられない状態にあった。あろうことかその自由の象徴であるはずの「自由の女神」に有刺鉄線を張り巡らし、がんじがらめにしているディスプレイが現実にあるとしたらどうだろう。誰が何の目的で建てたのか?アメリカ政府からクレームが来てもおかしくないような景観がそこにあった。初めて目にした人は、驚愕を覚え、背筋が冷たく感じたことだろう。神をも恐れぬ冒涜・・・。これを紹介したら、反響は大きそうだ。幸いにして有刺鉄線は今は取り除かれた。もしかして盗難防止措置だった?さてどこにある?

  追記(H29年3月7日)

 夕方のKFBの「ふくしまスーパーJチャンネル」の中で猪俣アナがここを取材し、なぜここに建てたのかが判明した。
 三春街道のカーブに鍋島さんという社長が店を出していたが、あまりにも交通事故が多いために、パトライトを手にしたこの「自由の女神像」を建てたところ、事故が減ったらしい。その知り合いの秋元さんが、ボルゾイ通り(自称)にアパートを建てる時に、この像を寄贈されたそうだ。

 ⑥ どでかい鯉のオブジェ出現!

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 9月4日(火)に取材を敢行し、追記という形でお送りしたい。郡山は実は知る人ぞ知る錦鯉の養殖日本一なのだ。だから郡山の西部地区を中心に鯉の養殖場が点在している。残念ながら、震災でその出荷が危ぶまれている節は否めないが、まるでそれをモチーフにした巨大なオブジェが郡山のと或る場所に飾られている。飾られてというのは表現が悪いが、実際は聳え立っているといったほうが妥当だろう。今年6月、このオブジェのある場所にほど近い別の養殖場で、経営者の5歳の息子さんが自転車で遊んでいて、屋外にあるその養殖場の生簀に落ちて亡くなるという痛ましい事故が起きた。謹んでご冥福をお祈りしたい。

 さて、この巨大な錦鯉のオブジェ、おそらく長さ5mはあると思えるのだが、さてどこにあるでしょうか?

  ⑦ なぜ郡山にパルテノン神殿が・・・。

Campus Castle

 最後はオブジェではないが、郡山の市街地から10Km以上離れた田園風景に、昭和末期頃に突如現れた白亜の神殿。まるでパルテノン神殿を再現したかのような佇まいで、丘の上にいぶかしそうに聳え立っている。もちろんここは古代遺跡の宝庫、ギリシャでもローマでもない。さて一体どこでしょう?そして何の目的で建てられた?

 さぁ、いくつわかったでしょうか。郡山市内を見ただけでもこれだけ面白いオブジェが点在している。あなたがお住まいの街にも、探せばこんなおかしな造形物がきっとあるでしょう。さてさて、今回の記事のクイズ、答えがわかったらコメントでお知らせください。全問正解でも懸賞等はありませんのであしからず・・・。そしてまた、他に郡山市内で面白いオブジェや置物を知っている方はご一報ください。取材を行い、第三弾としてお送りしたいと思います。

 郡山発!おもしろオブジェ大集合の記事はコチラ↓

http://tsuri-ten.cocolog-nifty.com/blog/2010/05/post-9e13.html

 すでに8月末までの記事が完成し、この記事は本来8月末日に掲載する予定でしたが、急遽予定を変更して、本日、差込み記事として掲載しました。

 記事作成:7月11日(水)~7月14日(土) 

2012年7月 6日 (金)

想い出のドラマ「季節はずれの海岸物語」

 夏が似合うグループと言えば「サザンオールスターズ」や「TUBE」が定番だが、ことテレビドラマと言えば私は真っ先にこの作品を挙げたい。それは湘南や江の島の海岸線を舞台に1980年代後半から90年代にかけて放送された片岡鶴太郎主演のトレンディードラマ「季節はずれの海岸物語」だ。不器用な生き方しかできないが、底抜けに優しい喫茶店のマスター・圭介を取り巻く人間模様をつぶさに描き、「ひと夏の恋」をテーマにすることが多かった。寅さんシリーズのように毎回マドンナ役の女性が登場した。今は亡き可愛かずみや芸能界復帰の道を自ら断ってしまった田代まさしなども脇を固めていた。そして昔の日テレの青春ドラマ風にエンディングで「詩」を掲載する点も高評価だった。残念ながらこの作品はシリーズながら未だにDVD化されていない。おそらく若い人たちはこれほどストーリー性に優れたトレンディードラマだったこの作品を知らないと思うので、ここで簡単に紹介したい。

 『季節はずれの海岸物語』(きせつはずれのかいがんものがたり)は、1988年から1994 年にかけてフジテレビ系列で放送されたテレビドラマ。同局の第二制作部(現:バラエティ制作センター)が制作していた。連続ドラマではなく年に1~2本の割合で放送された。「季節はずれの海岸」というタイトル通り、秋や冬バージョンが多かった。第1弾は1988年1月1日。お正月のスペシャルドラマだったが、好評だったため、同年10月には第2弾を放送。その後も不定期に放送され、1994年の完結までに計14回も放送する人気ドラマとなった。そのため、放送終了後も何度か再放送が行われていた(最後の再放送は関東地区で2000年の9月頃)。

Kisetsu Kisetsu2

Kisetsu3 Kisetsu4

 出演者 

 高村圭介:片岡鶴太郎・・・喫茶店「QUE」のマスター。

 新井徳子:可愛かずみ・・・圭介の女友達。

 玉川春文:田代まさし・・・圭介の大学時代の同級生。

 渡辺理恵:渡辺美奈代・・・ (「砂浜のDESTINY」以降全話出演)

 山本幸一:山本陽一 (「'90冬」以降全話出演)

 遠藤和彦:古尾谷雅人 (「'89夏」、「'92秋」、「'93秋」、最終回に出演)

 初期の頃、ダチョウ倶楽部の寺門ジモンがQUEのバイト(?)・春文の弟分役として数回出演していた。

http://www.ne.jp/asahi/kuma560/kaiganmonogatari/dete/kisetu1.pdf

 概要

 圭介は海岸沿いの喫茶店「QUE」(キュー)を切り盛りするマスター。マスターの女友達である徳子が店を手伝っている。圭介の隣に住むのが理恵。この3人の恋物語を中心にドラマは展開される。徳子は学生時代からの悪友春文の元妻という設定で、少し苦味のある大人の恋が描かれた。

 田代まさしの一連の事件以降、一度も再放送されていない。また、全話にわたって出演していた可愛かずみと古尾谷雅人の自殺や、挿入歌の版権問題などが原因なのか、ソフト化もされておらず、封印作品の一つとなってしまっている。現在では、過去に地上波で放送されたものを録画したものしか視聴する手段はない。ビデオ化もDVD化もしていないが、番組完結から15年以上経過した現在も、あちこちのサイト(主に掲示板など)で「DVD化してほしい」といった書き込みが後を絶たず、このドラマの人気をうかがい知ることが出来る。しかし、劇中で使われるサザンオールスターズや松任谷由実などの楽曲の著作権問題をクリアするのは容易ではない。また、ドラマの中で中心的な役割を担っていた田代まさしが盗撮や覚醒剤などの様々な犯罪を犯した事や、可愛かずみや古尾谷雅人が自殺したということもあり、今後ソフト化するのは困難であろう。そしてこの作品のコンセプトにこれらの事件等により、イメージを損ねてしまったというのが痛い。

 主役の圭介の恋の相手として毎回違うマドンナが出演し(下記参照)、放送当時は「現代版寅さん」と言われたこともある。

 作品(放送日・タイトル・テーマ曲・マドンナの名前・マドンナ役)

1 1988年1月1日 「涙のSeaside Cafe Terrace」 真澄 石野真子

2 1988年10月3日 「真夏のヒコーキ雲」 夏海 美保純

3 1989年1月3日   「砂浜のDESTINY」 真由美 斉藤慶子 中森明菜

4 1989年8月25日 「’89夏 Good byそしてGood luck」 麗子 鈴木保奈美

5 1990年1月2日  「’90冬 Sweet Christmas Again」  明子 樋口可南子

6 1990年10月11日 「1990年暑かった夏 あの夏のDestiny」 久美子 森尾由美

7 1991年1月2日 「’91冬 想い出は美しすぎて」 未散 つみきみほ

8 1991年11月8日「’91秋 フィルムの中の想い出」 かおり 南野陽子

9 1992年1月2日 「’92冬 恋は夢の彼方に」 友美 石田ゆり子/冴子 中村あずさ

10 1992年10月8日 「’92秋 通り過ぎた夏」 優香子 松田聖子

11 1993年1月7日 「’93冬 ひとりぼっちの波」 祥子 麻生祐未

12 1993年9月27日 「’93秋 愛に微笑みたくて」 ゆかり 西田ひかる

13 1993年12月24日 「X'mas スペシャル」 未収録 里美 財前直見/愛子 室井滋

14 1994年10月13日 「~いつも海があった~」 未収録 徳子 可愛かずみ 松田聖子

 全作品について詳細を記載したサイトを発見しました。下をクリックしてご覧ください。

http://simanchu.com/seasidestory/b/

 では「YouTube」にアップされている動画を幾つか紹介したい。

 「’89年冬 砂浜のDESTINY」

 「’89年夏」


季節はずれの海岸物語'90冬 Sweet ChristmasAgain

 「1990年暑かった夏」

 「最終回スペシャル」(ラストシーン)

 このドラマの人気を不動のものにした要因に、海とほどよくマッチングしたおしゃれなBGMがある。サザンの「栞のテーマ」やユーミンの「DESTINY」が使われ、番組の情感を効果的に盛り上げた。とにもかくにもこのドラマは、当時長きに渡ってかなりの人気を博した。フジテレビの手法で、高視聴率を稼ぎ人気が出ると続編が数年おきに登場する。これまでも「オレゴンから愛」や「北の国から」、「白線流し」もまた同様の番組制作を実施した。実は個人的に上の作品のうち、10本程度はビデオに録画した。でもVHSテープが埃をかぶってどこにあるかわからない状態だし、8ミリハイエイト方式のテープに録画した分も相当ある。おそらくは歪みなどで映像が再生できなかったり、横線ノイズが酷かったり、場合によっては音が出なかったりするであろう。BSやCS(スカパー)で再放送を期待しているが、一切放送しない。残念だ。

 最後に、放送終了後18年もの歳月が経過したにもかかわらず、この作品がいかに人気がすごいかを証明するためにブロガーの方々が制作した、この番組にかんするHP等を紹介して結びとしたい。

http://www.ne.jp/asahi/kuma560/kaiganmonogatari/

http://www.tvdrama-db.com/drama_info/p/id-29865

http://keikyubus.cocolog-nifty.com/diary/2010/09/10que-6d3e.html

http://blogs.yahoo.co.jp/kk12120928/35709998.html

Kamakurakoukou

 記事作成:5月26日(土)

 追記(H27/1/28)

 この記事を掲載してから2年半が経過し、リンクした動画映像が期限切れで削除になった物が多くなったため、動画部分を再編集し、再アップしました。それにしてもこのドラマが放送終了して21年経過したなんてとても信じられない。私の20代の頃の恋愛バイブル的なドラマで、「キスの温度~一番近い他人~」、「東京ラブストーリー」、「季節はずれの海岸物語」、「同窓会へようこそ~遅すぎた夏の帰郷~」の4作品が私にとっての1990年代のベストドラマだった。

2012年7月 5日 (木)

伝説の男⑪ 「柏原竜二」

 福島県出身の有名人と言って思い浮かぶ人は誰だろう。ちょっと前までは俳優・西田敏行を挙げる人が地元でも断トツに多かったであろう。昨年から今年にかけては我が中学校の同級生だった箭内道彦、来年はさしずめ新島八重子あたりか。ここ数年でガラリと変わった。特にご当地福島は、「陸上王国」と呼ばれる土地柄にあって、特に長距離走者の有名選手を多く輩出している。事実、福島県出身の全国にその名を轟かせる陸上選手は、古くは東京五輪銅メダリストの円谷幸吉に始まり、藤田敦史(清陵情報ー駒澤大ー富士通)、佐藤敦之(会津高ー早稲田ー中国電力)、初代「山の神」と呼ばれた今井正人(原町高ー順天堂大ートヨタ自動車九州)ら有名選手が目白押し。そんな中、正月の日本列島を熱狂させた名物ランナーが登場した。4年連続箱根駅伝5区の山上りを担当し、気持ちが梳くような驚くべきスピードで快走し、前を行くランナーを片っ端から抜き去り、自身4年連続区間賞(うち区間新3度更新)と華々しい記録を残し、堂々東洋大学の往路4連覇に貢献したランナーこそ、「新・山の神」と呼ばれ、大学駅伝の観衆の声援を一身に受け、超人気を博し、貴公子にのし上がった孤高のランナーこそ「柏原竜二」だった。今回は彼の箱根駅伝の功績を称え、その栄誉に満ちた足跡を振り返りたい。まずはプロフから。

Kashiwabara Kashiwabara2 Kashiwabara3

 1989年7月13日生まれ。日本の陸上競技選手である。 専門は長距離走。福島県いわき市出身。福島県立いわき総合高等学校、東洋大学経済 学部卒業。富士通陸上競技部所属。 大学時代に世界ジュニア陸上競技選手権大会10000m7位、ユニバーシアード10000m8位など日本代表として活躍し、箱根駅伝では往路5区山上りで3回区間記録を更新した。

 1年次・・・2009年1月2日、第85回箱根駅伝では5区(23.4km)山登り区間の選手として箱根路を走った。2007年今井正人が残した同5区区間記録を47秒更新する走りで8校をごぼう抜きし、4分58秒差を逆転し、東洋大学の往路逆転優勝そして初の総合優勝に貢献し、この年の「金栗四三杯」を受賞した。

 2年次・・・2010年1月2日、第86回箱根駅伝では前年に続いて、山登りの5区を出走。トップの明治大学から4分26秒差で柏原は7位で襷を受け取るがスタートから6人ごぼう抜きの快走、13Km付近で一気に首位に立つ。さらになおかつ2位の山梨学院大学には3分36秒の大差をつけた。結果昨年自身の打ちたてた区間記録を10秒更新、東洋大学の2年連続往路優勝に貢献する。翌日の1月3日も東洋大学は2年連続での箱根駅伝総合優勝を果たし、柏原も前年に続いて2回目の「金栗四三杯」を受賞した。

 3年次・・・2010年春先に右膝を痛めて以降不調に苦しみ、同年10月の第22回出雲駅伝では出走メンバーから外れ、11月の第42回全日本大学駅伝では2区で区間4位となった。2011年1月2日、総合三連覇を懸けた第87回箱根駅伝では三度目の5区に出走。トップ早稲田大学と2分54秒差の3位で襷を受け取り、前年自らが記録した区間記録に45秒及ばずも、16kmすぎに首位に立ちそのままゴール、3年連続往路優勝を達成し、さらに往路大会新記録も達成した。東洋大学は復路で逆転を許して総合2位となった。

 4年次・・・2012年1月2日、第88回箱根駅伝では4年連続4回目の5区に出走。初めて首位で襷を受け取り、その後も独走。2010年に自身が作った区間記録1時間17分8秒を29秒上回る1時間16分39秒で走り、4年連続往路優勝で、前年記録した往路大会記録も更に更新した。4年連続の区間賞は史上8人目だが、同一区間では大久保初男(5区、第50回-第53回)以来35年ぶり2人目となる。翌日の1月3日も東洋大学は箱根駅伝総合優勝を大会新記録で果たし、2年ぶり3回目の「金栗四三杯」を受賞した。2位の早稲田大学には5分7秒の大差をつけ、更に20大学中13大学が翌日の繰上げスタートとなった。5分以上大差ついたのは24年ぶり、繰り上げスタートが10大学以上になったのは18年ぶりである。

  2012年4月に富士通陸上競技部に入部。

 それでは、すでにご存じの方も多いが、伝説となった彼の走りっぷりを4年間の箱根駅伝のダイジェスト版で振り返りたい。

http://www.youtube.com/watch?feature=endscreen&NR=1&v=c_w-2HX5f6g

 解説者(瀬古利彦)も舌を巻く走り。ライバルも彼の存在に一目置いていた。彼の真骨頂は、段違いの走り、歯を食いしばり魂の走り、そして他を置き去りにする驚異のスピードだろう。やはり山の申し子、山の神童にふさわしい快走だった。彼が走れば沿道にわんさか人が繰り出し、人の波が絶えることはなかった。そして誰もがデジカメ片手に大声援を送った。さぞかし気持ちが良かっただろう。彼は「福島の誇り」であり、「福島の英雄」だ。もう来年から彼の箱根での勇姿を目の当たりにできないかと思うと、興味も半減してしまうが、その分1月1日に行われる実業団選手対抗の「ニューイヤー駅伝」を楽しみにしたい。そして今年のロンドン五輪には残念ながら出場しないが、同郷の先輩「佐藤敦之」を手本とし、オリンピックでの彼の走りをぜひ見たいと思う。社会人としての彼の今後の活躍を期待して結びとしたい。

 記事作成:5月26日(土)

2012年7月 4日 (水)

カリスマ的B型人間

 正直この手の話題は避けたかった。血液型の話題は批判も多く、何かと物議を醸す火種となるからだ。特に、今回取り上げるB型人間は、血液型の話題をひどく嫌う性質がある。元来、型にハメられたり、固定観念を嫌がるマイペースな性格の持ち主。おそらく直感的に受け入れ難い代物なのだろう。しかし、今回はそんなB型の心情に配慮してB型の才能を高く評価する趣旨の話である。私はO型だが、幼少の頃からB型特有の自由奔放で枠にとらわれない生き方を羨ましく思っていた。物事に前向きで好奇心旺盛、スポーツの大会でもあまりプレッシャーに押しつぶされたり、縮こまることもなく、むしろその重圧を楽しむ傾向すら感じる。今回は、私の持論だが、B型人間はカリスマ性に溢れ、天才的な功績を残したり、誰もが一目置くような存在になる傾向がある。今回は、各方面、各分野において優れた功績を残しているB型の方々を取り上げたい。

 <スポーツ界>

 長嶋茂雄・・・大試合にめっぽう強く、派手なパフォーマンスで人気。「ミスタープロ野球」として野球人の誰もが尊敬し、崇拝している大人物。

 福本 豊・・・シーズン最多盗塁の世界記録を達成した俊足巧打の一番バッターだった。貪欲に次ぐの塁を狙った。職人的な仕事を行うのもB型の特徴。巨人の川相は犠打の世界記録を樹立したが、彼もまた職人気質のB型。

 野茂英雄・・・独自の「トルネード投法」を編み出し、メジャー挑戦など固定概念を打ち破った。実力があるのに決して傲慢にならず、むしろ口数が少なく、ポーカーフェイス。

 イチロー・・・振り子打法を引っ提げ若くして才能を発揮するのはB型の特徴そのまま。弱冠20歳でシーズン200本安打の金字塔を打ち立てた。重圧を楽しみ、数々の大記録を残しながら、平然と振舞う。

 清原和博・・・彼もまた早熟の天才。あのPL学園で1年生から4番を打ち、未だに甲子園No.1のホームラン数と飛距離を誇る。西武に入団一年目から4番を打ち、高卒ルーキーながら3割30本塁打以上を残す。年齢に見合わない活躍するのがB型の真骨頂。これもありきたりなオーソドックスを嫌い、マイペースで個性重視の本質がなせる業だろう。

 黒田博樹・・・広島のエースとして長らく獅子奮迅の活躍をし、広島のファンにこよなく愛されたカリスマ投手。メジャーに挑戦した際の記者会見では、「日本のプロ野球、広島東洋カープから来ました黒田です」と挨拶。これで広島ファンは歓喜の涙を流した。このファンを大事にする姿勢、そして多くを語らずとも、背中で物語る存在感は半端ない。メジャーで成功し、20億円もの巨額の契約を蹴り、年俸4億円で古巣、広島に復帰した。赤一色で満員に膨れ上がったマウンドで、再びあの勇姿をファンに見せてくれた。

 輪島功一・・・ご存知ボクシングの世界チャンピオン。現役時代は基本無視の奇想天外な作戦で相手を翻弄した。よそ見したふりで注意を引き、相手の隙を突いたり、蛙跳びパンチ等、独自に編み出した戦法で相手をかく乱し続けた。他にB型ボクサーでは、辰吉丈一郎や亀田興毅らがいる。

 田村亮子・・・YAWARAちゃんとして若くして第一人者に君臨。抜群の人気を誇り、女子柔道界ではカリスマ的存在。他に柔道では、オリンピック3連覇の偉業を達成した野村忠宏や女子柔道界のパイオニアの山口香らがB型。

 浅田真央・・・幼少期からその才能開花し、年齢制限で、あと数ヶ月足りず、リオ五輪出場を逃した頃がピークで、多くの国民の人気を独り占めし、ちびっ子たちやジュニア世代の憧れの存在である。キム・ヨナとライバル関係にあった。

 羽生結弦・・・オリンピック金メダリストにして、女性ファンの心をがっちり掴んで離さない。それはまるで王子様を髣髴させる。世界最高ポイントを叩きだし、断トツのパフォーマンス。フリーで終盤に4回転ジャンプを取り入れるなど、その構成は他の追随を許さない。

 福原愛・・・卓球少女として幼少の頃から注目された。若くして才能を開花し、日本を背負って立つまでに成長し、日本女子卓球界を牽引している。誰からも愛され応援される。

 宮里藍・・・アメリカツアーで何度も優勝するなど、世界を股にかけた活躍をしている。

 ゴルフ界では古閑美保や岡本綾子らが同じB型。男子プロではジャンボ尾崎や青木功、丸山茂樹、片山晋呉などその道の頂点に君臨した神様のような重鎮ばかり。私は以前から指摘しているが、風や芝目を読み、距離感など頭脳的な能力を求められるゴルフはまさにB型にうってつけの職業だと思っている。韓国を代表する女子ゴルファーの大部分はB型であることからも証明がつく。

 伊達公子・・・ウィンブルドンベスト8入りなど40歳を過ぎた今でも現役に復帰し、優れた戦績を残しているのは立派としか言いようがない。

 テニス界ではB型は、杉山愛もそうだ。B型は個人スポーツで才能を発揮する。他のスポーツでもB型の活躍は凄い。自転車のパイオニアとなった中野浩一選手、水泳の北島康介選手、ヤクルトの選手兼任監督も務めた古田敦也氏、そしてその師匠だった野村克也もまたB型。

 スポーツ界では主に個人種目において、その道のスペシャリストや第一人者になるケースが多い。

 <芸能界>

 明石家さんま・・・型にはまらず自由闊達でアドリブが効いたトークの帝王だ。恋愛話になるとB型特有の照れ症が顔を覗かせるが、それを悟られないように敢えて露骨な発言をする。しかし、女性にウケの良いB型は、プレイボーイや女ったらしのように映るので気の毒化も。しかし、誰とでも仲良くでき、友人が多いのが特徴。B型の判断基準として、その人を心から信用できるかどうかが条件になってくる。うさん臭い人間を極端に嫌う傾向がある。基本、B型は同じ血液型のB型を敬うように思える。B型の人は、今回のテーマに挙げた人たちは好きに違いない。

 尾崎 豊・・・20年前にJ-popに新たな足跡を残した天才カリスマシンガー。反逆的な詩作、露骨な表現が多いが、独自な視点で描いたロマンチックなラブソング。彼のファンはまさに信者的な要素を持つ。尾崎を教祖のように敬っている。

 矢沢永吉・・・彼こそ初代のカリスマシンガーだろう。熱狂的なファンがつく。今でも矢沢信者は、彼を教祖として崇めている人は大勢いる。

 布袋寅泰・・・超人気バンドだったBOØWYのギターリストとして、数々の伝説を残した。やや近寄りがたい印象はあるが、神がかり的な楽曲やパフォーマンスは他を圧倒してきた。

 YOSHIKI・・・ご存知X-Japanのメンバー。彼もまたカリスマ的で、一目置かれる存在。熱烈なファンに支えられているひとり。

 他には坂本龍一がB型の典型かもしれない。

 また、なぜか不思議なことにお笑い芸人やモノマネ芸人にはB型人間が多い。オードリー春日、はんにゃ金田、アンタッチャブル(山崎&柴田)、インパルス(堤下&板倉)、岡村隆史、松本人志、スピードワゴン(井戸田&小澤)スギちゃんなど。ものまねはコロッケ、青木隆治、栗田貫一、モト冬樹など。このように芸人はB型の天下と思えるほど突出している。枠にとらわれず、話がうまいので人気沸騰する。

 <俳優>

 高倉健、高橋英樹、松平健、渡哲也、柄本明、緒形拳、滝田栄、西田敏行、梅沢富美男、京本政樹、佐野史郎、山下真司、三田村邦彦、中条きよし、沢村一樹、陣内孝則、高嶋政伸、大泉洋、瑛太、速水もこみち、松山ケンイチなど

 特に渥美清さんは、「男はつらいよ」の「フーテンの寅さん」として没後の今も根強いファンがいる。

 <歌手・タレント>

 堂本光一・亀梨和也・玉森裕太・山田涼介・田原俊彦・岡田准一・手越祐也など 

 B型の俳優は、大御所と呼ばれるような人が多いが、堅苦しい印象はなく、むしろ型破りだったり、予想外のコスチュームでサプライズを起こしたり、とにかくちょっと変わっている印象を醸したり、個性に溢れ、ファンサービスがすごい。たぶん、自分自身が一番楽しんでいるからわざとらしさが無いのだろう。
 タレントでは、プレイボーイ風の印象が強い。熱狂的なファンがつく。

 <政治家>

 田中角栄・・・手段を選ばず、O型の大物政治集団に支えられ、政界のドンとして君臨した。人間ブルドーザーと呼ばれ、金権政治を駆使し、列島改造論を提唱し、日本中に高速道路や新幹線を整備した。その影響力や手腕は凄く、同じB型の小沢一郎に引き継がれた。

 鈴木宗男・・・型にはまらず、独自の政治スタイル、信念を持って行動する。O型の松山千春などの支援を得て、復帰を目指している。

 東国原英夫・・・ご存知元たけし軍団のそのまんま東。自らの信念を貫き、華麗なる転身を実現し、県知事になり、その類まれな人気と抜群の行動力で、宮崎を全国区に押し上げた。

 橋下徹・・・カリスマ的政治家の典型。絶対君主的な政治手法と存在感。市民の圧倒的な支持をとりつけ、やりたい放題である。弁護士出身だけあって、不正を許さず徹底的に排除する強権的なやり方は、B型そのもの。

 他にB型の政治家は、現首相の野田佳彦を始め、安倍晋三、竹下登、安倍晋太郎、渡辺美智雄らがいた。また現閣僚の枝野幸男氏や辻本清美氏らがいる。このたび、消費税の増税に反対し、離党を表明した小沢一郎ももちろんB型。

 ここで私が30年間、血液型を研究してきた結果、B型の人の性格を列挙したい。特にB型自身の方は反感を持たず、聞き流してほしい。

 凝り性(男性はバイクや車に興味を持つ人が多い)で特異分野にのめりこむ
 個性的で他人の真似事を嫌う
 奇抜な服装を好む
 なぜか派手な色が好き(赤・黄色など)
 痩せ型(細身)で骨ばっている人が多い(体質的には脂性)顔も細長
 男性は唇が赤紫色の人が多い
 好きになる異性も細身(ガリガリタイプ)の人が多い
 あまのじゃくで、人の意見を認めたがらない(反骨精神あり)
 型にはめられることを嫌う
 早熟(若くして才能を発揮)
 照れ症なので逆に露骨な発言をしがち
 カリスマ的存在(天才肌 人はAB型を天才肌というが私はB型人間こそそう思う)
 権力や権威に対し、とことん対抗心を燃やす
 個人種目で才能を発揮(ゴルフ・テニス・柔道など)
 研究熱心で芸風に長けているので芸能界向き
 女性は空想少女的で不思議キャラの人が多い
 日本人の約22%しかいないのに、やたらと目立つ
 自分自身が大好き
 正直者で人を信じやすい(嘘はつかないが、でまかせを言う人を極端に嫌う)
 気分屋で自己中心的と思われがち
 友人が多い(特に同じB型同士で無二の親友になる)
 プレイボーイ風

 その他のB型有名人(女性)

 きゃりーぱみゅぱみゅ、重盛さと美、小倉優子、坂下千里子、岩崎名美、菊池桃子、相田翔子、本上まなみ、米倉涼子、篠原涼子、朝倉あき、大島優子、柏木由紀、西川史子、中野美奈子、高島彩、大橋未歩、皆藤愛子、釈由美子、仲里依紗、泉ピン子、森光子、藤あや子、堀北真希、優木まおみ、キンタロー。、ローラ 

 
 B型ははたで見ていると常識破りで面白い。だから国民的に人気者となりえる性質を持っている。ローラのように底抜けに明るくてあっけらかんとしている親しみやすい雰囲気を持ち、憎めない。それは裏表がなく、人を偏見なく平等に扱う人柄の良さがにじみ出ているからである。B型は日本人全体の2割強しかいないのに、やたら目立つ感じを受ける。マイペースで自分のことが一番好きな性格もまたB型ならではだろう。人に流されず、自分の信念を曲げずに自分スタイルを貫く性格だからこそ、自分自身を確立できるのだ。

 今年はオリンピックイヤー。プレッシャーに強いB型の活躍をぜひ期待したい。かつては柔道3連覇の偉業を達成した野村忠宏や目下2連覇中の北島康介などB型がリードしてきた功績は賞賛に値する。ぜひ日本のためではなく、自分自身のために頑張ってほしい。それこそがB型本来の天性の生き方だろうと思うからである。

 記事作成:5月23日(水)~25日(金) 

  追記

 この回をもって、しばらくの間、血液型に関する記事を休止し、封印したいと思います。ブロガーの中には、この手の話を毛嫌いする方も多く(クレームコメントを書き込んだ4名は全員B型の方々だったが)、反響が大きすぎるからである。ご了承ください。

2012年7月 3日 (火)

中学時代(昭和52年~55年)に流行った歌

 これまで当ブログで私の学生時分に流行った歌を紹介した。ニューミュージック全盛期にあって、アコースティックギターを駆使し、当時のシンガーソングライターたちの楽曲をコピーして歌っていた想い出がある。とりわけ好きだったのは「アリス」だが、3つのコードで弾けてしまう「冬の稲妻」や最大のヒット曲となった名曲「チャンピオン」など夢中になって演奏していた。それほど音楽が与える影響は大だった。中学校の頃、マイブームだったものが、このギター演奏とBCL、オールナイトニッポンなどのラジオの深夜放送だった。また、テレビではTBS系列の「ザ・ベストテン」が一世を風靡し、「今週のスポットライト」などで当時の注目曲をチェックしていた。そんな時代にあって、特に流行った曲をマイベストと題して、得意の勝手にランキングで紹介したい。(映像はベスト10のみ)

 1 季節の中で(松山千春)

 

 中1の頃「ザ・ベストテン」に初出演した時の視聴者に向けたメッセージは衝撃的だった。

 2 渚のシンドバッド(ピンクレディー)



 キャンディーズ引退の後、トップアイドルとして君臨。アイドルで初のレコード大賞を受賞。ちびっこは皆、激しい振り付けを真似したものだ。他にも「ウォンテッド」や「モンスター」、「波乗りパイレーツ」も好きだった。

 3 時間よとまれ(矢沢永吉)

http://www.youtube.com/watch?v=FyAYWU6FyL0

 夏にぴったりの曲だった。中1の頃、初めて永ちゃんの存在を知った。カリスマ的な硬派系シンガーだと悟った瞬間だった。

 4 勝手にシンドバッド(サザンオールスターズ)

 サザンオールスターズは版権・著作権が厳しく、映像はございません。

 5 ダーリング(沢田研二)

 彼は当時唯一男の色気を感じさせるトップシンガーだった。なまめかしい歌詞、水平のようなコスチューム、なかなか様になっていた。先週、元夫人の伊藤エミさんの死去によって、再び注目されることになってしまった。ジュリーも64歳になっていたことが驚きだった。

 6 大都会(クリスタルキング)

http://www.youtube.com/watch?v=KwFDxD8P8Qk&feature=related

 田中昌之のあの高音域は当時の音楽ファンの度肝を抜いた。ヤマハポプコン、世界歌謡祭グランプリという定番路線出身。

 7 異邦人(久保田早紀)

 久保田早紀も著作権にうるさく頻繁に削除の憂き目に遭う。貴重な映像。今も久米小百合として歌手活動を継続中。美しく色っぽい。彼女の出現でソバージュが流行した。

 8 透明人間(ピンクレディー)



 とにかくセクシーな振りに卒倒した。この衣裳も当時としては珍しいシースルー。2か月に一回は新曲をリリースしていた。当時は睡眠2~3時間のハードワークだったらしい。

 9 冬の稲妻(アリス)



 Am→D7→Gの3つのコードの繰り返しで弾けてしまう。アポロキャップを目深にかぶり、真似をして歌ったものだ。

10 サウスポー(ピンクレディー)

11 UFO(ピンクレディー)
http://www.youtube.com/watch?v=0HAEOaIPPtI

12 みずいろの雨(八神純子)
http://www.youtube.com/watch?v=Ej7_Yj2ph88

13 いとしのエリー(サザンオールスターズ) 

サザンオールスターズは版権・著作権が厳しく、映像はございません。

14 ひとり上手(中島みゆき)
http://www.youtube.com/watch?v=bemt5QodcZY&feature=related

15 Mr.サマータイム(サーカス)
http://www.youtube.com/watch?v=wBfz-0EiKVQ

16 迷い道(渡辺真知子)
http://www.youtube.com/watch?v=JaLXNJy1U-M

17 さよなら(オフコース)
http://www.youtube.com/watch?v=pjUKmsOtOtw

18 私の首領(石野真子)

http://www.youtube.com/watch?v=G9ifrZT6bbY&feature=related

19 宿無し(世良公則&ツイスト)
http://www.youtube.com/watch?v=XxNWXwTO38k

 「銃爪」、「燃えろいい女」も好きだった。

20 あずさ2号(狩人)

http://www.youtube.com/watch?v=Si2fqiqw4uc

 他にも榊原郁恵の「夏のお嬢さん」、ゴダイゴの「ガンダーラ」、桜田淳子の「しあわせ芝居」、郷ひろみ・樹木希林の「林檎殺人事件」も好きだった。

 こうしてみると今でもカラオケで歌われている曲ばかり。残念なのはナツメロと呼ばれる範疇に入るようになったこと。それだけ自分自身も歳をとったということだ。

 記事作成:5月16日(水)

   

 

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