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2012年9月11日 (火)

監督の資質と条件(監督に向く人と向かない人)

 今、もっともタイムリーな話題を提供したい。政治の各政党の代表選挙も混迷を深めているが、急遽翻意し、参加を表明したNPB選手会の決断に伴い、来春開催の第3回WBCの監督人事もまた難航しているようだ。「自分では役不足」「責任が重い」と初めから身を引く方が多い。私は当初から落合前中日監督は、その手腕は評価するが、絶対に受けないと思っていた。それは第2回WBCの際に自分の所属チームの選手を派遣することを頑なに拒んだ経緯があったからだ。また、現役監督の原、秋山両監督もなかなか首を縦に振らない。私は候補者としていち早く山本浩二元広島監督や野村元楽天監督、あるいは山田久志氏の就任を予想していたが、本人たちがなりたくても選手の起用法や相性、そして何より現場から長く遠ざかっていることがネックだろうと考えていた。それならば、むしろ梨田前日本ハム監督のほうが適任だし、あるいはサッカーの日本代表のように、外国人監督を招聘するのも面白いのではないかとさえ考えていた。一方、コーチは古田元ヤクルト監督やMLBで長年プレーし、相手選手の特徴を知り尽くしている野茂英雄を投手コーチに、そして桑田真澄をヘッドに据えても面白いと思う。彼の卓越した一流の野球理論は的を射ているし、選手の信望も厚い。さて野球ファンならずとも興味関心が尽きない日本代表の監督選びの成り行きが注目される。そこで今回は、監督に必要な資質と条件というテーマで論じてみたい。

 私は「名選手=名監督ではない」と思っている。巨人の創世期を支えた水原茂も三原脩も、あるいは阪急の黄金期を築いた上田利治、広島で赤ヘル旋風を巻き起こし、萬年最下位から奇跡の優勝を遂げた時の名将・古葉監督でも現役時代は冴えない戦績しか残せなかった。一方で現役時代に華々しい活躍をし、記録にも記憶にも残るような名選手が名監督になるかと言えばそうとも言い切れない。強いリーダーシップは大事だが、鉄拳制裁などの強い指導は、時として選手と軋轢や摩擦を生じやすく、確執が起きやすい。サッカーやバレーを見ても、岡田武史氏やザッケローニ氏、佐々木則夫氏、眞鍋正義氏などは、鉄拳制裁からは程遠く、選手の体調や調子の善し悪しなどを細かく観察して起用法を決めている。そしてある程度プロ意識や自主性に任せ、時にはフレンドリーな対応を示し、選手とのコミュニケーションを欠かさない。つまり選手と監督は絶妙なそして全幅の信頼関係で結ばれてこそ、初めて予期せぬ好結果をもたらすようだ。WBCの際の侍ジャパンを率いてV2を成し遂げた時の原監督がそうだった。「俺について来い」タイプはもう時代錯誤で古いのかもしれない。では今回のテーマに沿って話を進めたい。監督に向く人向かない人を、実際のプロ野球の歴代監督を振り返って考察したい。なお、今回は、ブレザー、バレンタイン、ブラウン、ヒルマンなど外国人の監督で傑出した方々もいたが、そういった外国人監督は除外して考えたい。

 まず、これまでの成績から判断して、私が考える名監督と迷監督は以下の通りに分類できる。

1 現役選手時代も活躍し、監督としても一流

 川上哲治(巨人)

 ご存知V9監督。彼が凄いのは日本シリーズ9連覇という大偉業を達成した。あの頃すでに投手の分業制を確立し、適材適所に選手を配置し、ワークシェアで優勝に導いた点。もちろん牧野茂という有能な参謀と当時ドラフト制度がなかったために、ONを始め、根こそぎ優秀な選手を揃えていたことが勝因のひとつでもある。彼は現役時代も巨人の4番打者として活躍。赤バットで「打撃の神様」とまで呼ばれた雲の上の存在。巨人の黎明期の礎を築いた貢献人である。血液型はA型

 選手としての成績 1,979試合 2,351安打 181本塁打 1,319打点 打率.313
 監督としての成績 1,866試合 1,066勝 739敗 61分 勝率.591
                                                                                                                        
    
 野村克也(南海・西武・ヤクルト・阪神・楽天など)

 データ野球のパイオニア。同じ捕手の古田敦也を育てたことで、選手の育成も上手い。監督として眼力に優れ、たまに見せるぼやきがトレードマークだった。現役時代は人気抜群だった長嶋茂雄に嫉妬し、とことんライバル意識むき出しで立ち向かった。しかし当の長嶋は軽くあしらい、あまり取り合わなかった。それがお互いB型の天才肌的なところである。マイペースで自己中が元来の持ち味だが、一流の野球哲学を持ち、データ野球のパイオニアと言える。

 選手としての成績 3,017試合 2,901安打 1,988打点 657本塁打 打率.277  
 監督としての成績 3,204試合 1,565勝 1,563敗 勝率.500

 藤田元司(巨人)

 今も原監督が尊敬してやまない紳士的な名監督。決して怒らず常に冷静な立ち居振る舞いをした。さすが慶應出身。選手時代も巨人のエースとして活躍した。彼は6年間で2回しか優勝できなかった長嶋監督の解任を受け、急遽監督を任され、牧野ヘッド、王助監督とトロイカ体制で見事翌年首位に返り咲いた。3年間で優勝2回、2位1回という強さを発揮し、王に後進を譲った。しかしその王監督が5年で1度しか優勝できないふがいに成績に終わると再登板した。そこでも4年間で2度優勝という抜群の成績を残し、再び長嶋に監督を譲った。通算すると7年間で4回優勝し、Aクラス6回という安定した強さを発揮し、勝率は.588とかなり高い戦績だった。

 選手としての成績 364試合 119勝 88敗 924奪三振 防御率2.20
 監督としての成績 910試合 516勝 361敗 33分 勝率.588

 権藤博(横浜)

 中日ドラゴンズとして入団一年目からエースとして活躍。連投連投で一シーズン69試合も投げ、35勝も挙げた。沢村賞と新人賞を受賞した。2年目も30勝で最多勝を獲得した。しかしその後肩を痛め、実働は5年で引退を余儀なくされた。監督としてはマシンガン打線の横浜ベースターズを率いて日本一を達成した。その時のメンバーには石井拓郎、波留、佐伯、進藤、駒田、谷繁、鈴木尚典、三浦大輔、野村、川村、斎藤隆、阿波野、横山、佐々木など投打のバランスが整っていた。

 選手としての成績 210試合 82勝 60敗 667奪三振 防御率2.69
 監督としての成績 407試合 219勝 186敗 2分 勝率.541

 森祇晶(巨人・西武・横浜)

 巨人時代は森昌彦の名前で、正捕手としてV9に大きく貢献。投手陣をうまくリードし、盤石な帝国を築いた立役者。監督としても西武・広岡監督の築いた基礎を引き継ぎ、常勝軍団として圧倒的な強さを見せつけた。もっとも最強の選手たちだった。石毛、辻、清原、デストラーデ、秋山、伊東、平野、工藤、郭、渡辺久信、東尾修、潮崎、松沼兄弟など屈強な選手たちの集まりだった。 西武の9年間で8回優勝という常勝ぶりだった。
 
 選手としての成績 1,884試合 1,341安打 81本塁打 582打点 打率.236
 監督としての成績 1,436試合 785勝 583敗 68分 勝率.574

 落合博満(ロッテ・巨人・日本ハム・中日)

 現役時代はロッテで三冠王3度獲得。あの世界の王貞治を超えた男。独自の野球理論でユニークな練習法を展開。オレ流を貫いた。選手ととことん突き詰めて話し合うなど見た目とは違い、あまり怒らず、努めて冷静に振舞っていた。冷静沈着で頭脳派の野球を行った。これほどギャップの大きかった人はいない。監督としての器が備わっていて、適役であり、天職ではないかと思うほどだ。中日で8年間監督を務め、4回優勝に導いた。いずれまた復帰するだろう。勝負勘に優れ、モノの道理を知り尽くしている印象。しかし、第2回WBCに自分のチームから選手の派遣を拒否したため、世間のバッシングを浴びた。血液型はO型。

 選手としての成績 2,236試合 2,371安打 510本塁打 1,564打点 打率.311
 監督としての成績 1,150試合 629勝 491敗 30分 勝率.562

  原辰徳(巨人) 

 就任早々「ジャイアンツ愛」を方針として掲げ、自らを犠牲にしてもチームのために貢献する方向性を訴えた。今年もスタートで躓いたものの、見事奪首に成功。監督人選が困難を極める中で、責任感を持ってWBCの監督に就任。烏合の衆をひとつに束ね、プレッシャーだらけの中、見事2連覇を達成した采配は見事としか言い様がない。巨人の監督としては昨年まで8年間指揮を執り、優勝4回。血液型はA型。

 選手としての成績 1,697試合 1,675安打 382本塁打 1,093打点 打率.279
 監督としての成績 1,146試合 625勝 489敗 32分 勝率.561

 秋山幸二(西武・ソフトバンク)

 全盛期にはメジャー移籍など考えもしなかったが、もっともメジャーに近い逸材だった。三拍子揃い、運動神経抜群の選手だった。西武、ダイエー&ソフトバンクと渡り歩いたが、いずれも主軸を打ち、チームになくてはならない名選手だった。王監督からバトンを引き継ぎ、監督に就任後も安定した強さで就任2年目に優勝し、2年連続で優勝を成し遂げた。血液型はO

 選手としての成績 2,189試合 2,157安打 437本塁打 1,312打点 打率.270 
 監督としての成績 433試合 238勝 175敗 20分 勝率.576 

2 現役時代はパッとしなかったが、監督としては一流

 鶴岡一人

 失礼だが、戦争を挟んだため、実働期間が8年間と短いだけで、選手としても華々しい成績を残した方だ。主に南海を中心に在籍。内外野いずれもこなしたユーティリティープレーヤーだった。監督としてはもっとも多い勝利数を挙げている名監督。グラウンドだけでなく私生活でも面倒見がよく「鶴岡親分」という異名をとり、選手に慕われた。主に南海の監督として23年間、優勝11回の優勝を誇る。

 選手としての成績 754試合 790安打 61本塁打 467打点 143盗塁 打率.295
 監督としての成績 2,994試合 1,773勝 1,140敗 81分 勝率.609

 西本幸雄(毎日・阪急・近鉄)

 選手時代を覚えている人は殆どいないほど大昔の出来事だ。現在のロッテの前身「毎日オリオンズ」の選手だった。30歳でプロ入りし、一番打者として活躍。1年目の1950年にリーグ優勝と日本一に輝いた。1952年の入団3年目に主将となり、35歳では兼任コーチ、この頃から指導者の道を歩んだ。1960年の大毎を皮切りに阪急に11年、近鉄でも8年間指揮を執った。通算8回のリーグ優勝を果たしながら日本一には一度もなれなかったことから「悲運の闘将」とも呼ばれた。血液型はO

 選手としての成績 491試合 276安打 6本塁打 99打点 44盗塁 打率.244
 監督としての成績 2,655試合 1,384勝 1,163敗 118分 勝率.543

 古葉竹識(広島・大洋)

 1958年に広島に入団し、1年目からショートとして活躍。長嶋と首位打者を争うほどの好打者で、2度盗塁王になったこともある三拍子揃った選手だった。しかし、現役生活が短く、あまり記憶には残らない選手だった。むしろ監督としての名声が高い。広島の監督として弱小お荷物球団だった広島を劇的に変身させ、赤ヘル旋風を巻き起こし、昭和50年にリーグ優勝を果たした。三村、水谷、山本浩二、衣笠、水沼、池谷、安仁屋などを擁した。以後、広島では11年間で4回優勝を成し遂げた。血液型はO

 選手としての成績 1,501試合 1,369安打 44本塁打 334打点 163盗塁 打率.252
 監督としての成績 1,801試合 873勝 791敗 137分 勝率.525

 上田利治(阪急・日本ハム)

 現役時代を知る人は少ないだろうが、広島の選手だった。1959年に入団したが肩を壊し、僅か3年で引退した。選手としてはまるで無名だったが、コーチや監督としては突出した成績を残した。1974年から阪急の監督に就任し、15年間指揮を執った。福本、加藤英、長池、マルカーノ、ウィリアムス、岡村、山田、足立、今井、山口などの強力な選手を揃え、3年連続日本一にも輝いた。昭和50年代、最強だったチーム。血液型はO

 選手としての成績 121試合 56安打 2本塁打 17打点 5盗塁 打率.218
 監督としての成績 2,567試合 1,322勝 1,136敗 109分 勝率.538

 近藤貞雄(中日)

 この方ほどいろいろなチームを転々とした人は少ない。現役時代は西鉄、巨人、中日と渡り歩き、一塁手だったが、なぜかプロ入り後投手に転向。投手としてはパッとしない成績で終わった。その後、中日、ロッテのコーチを歴任し、監督は中日、大洋、日ハムで通算9年間指揮を執った。昭和57年に中日をリーグ優勝に導いた。血液型はA型

 選手としての成績 222試合 55勝 71敗 274奪三振 防御率2.91
 監督としての成績 1,050試合 470勝 521敗 59分 勝率.474 
 
 仰木彬(近鉄・オリックス)

 1954年に大物ルーキーとして西鉄に入団したが、三原監督の勧めで二塁手に転向。中西太や豊田、稲尾と共に西鉄の黄金期を支えた。三原監督の下で指導者の基礎を学んだ。監督としては平成元年に近鉄を優勝に導き、オリックスでは強力布陣で連覇。野茂やイチローを育てた。近鉄在任中の5年間はすべてAクラス入りさせ、オリックスでも9年間指揮を執り、弱小傾向だったチームを立て直した。飾らない温厚な人柄は多くの選手に慕われた。血液型はA

 選手としての成績 1,328試合 800安打 70本塁打 326打点 116盗塁 打率.229
 監督としての成績 1,856試合 988勝 815敗 53分 勝率.548

3 現役時代は名選手だったが、監督としてはイマイチ

  鈴木啓示(近鉄)

 現役時代は弱小近鉄を支え、草魂をモットーに近鉄のエースとして300勝を挙げた。しかし、監督としてはO型特有の親分風を吹かせ、ワンマン振りが選手の顰蹙を買い、選手の意見を聞き入れずスパルタ式でやろうとしたため、選手から総スカンを喰い、結局鳴かず飛ばず。3年目のシーズン途中で最下位に低迷した責任を取って休養に入った(実質クビ)。血液型はO。

 選手としての成績 703試合 317勝 238敗 3,061奪三振 防御率 3.11 
 監督としての成績 390試合 183勝 196敗 11分 勝率.469

 高田繁(巨人・日本ハム・ヤクルト)

 彼も巨人のV9戦士として常勝軍団を支えた一人。トレードで張本の入団に伴い、レフトからサードにコンバート。思い切り引っ張ってレフトのファールを連発することで「高田ファール」などと揶揄された。俊足巧打の好プレーヤーだった。しかし、監督としてはパッとしなかった。選手を束ねることは明治大学の主将をしていた時に島岡監督の信望も厚かったことで折り紙つきだったが、プロ野球では甘くなく、成績は芳しくなかった。二度目の監督としてヤクルトに招聘されたが、シーズン途中で成績不振の責任を取り休養に入った。しかし皮肉なことに、跡を引き継いだ小川監督に替わった途端、快進撃が始まり、驚異的な勝率で最下位からAクラス入りを果たすこととなった。血液型はA型。

 選手としての成績 1,512試合 1,384安打 139本塁打 499打点 200盗塁 打率.273
 監督としての成績 854試合 385勝 433敗 36分 勝率.471

 堀内恒夫(巨人)

 選手としては巨人のエースナンバー18を背負い、V9の主力投手として大活躍した。新人で16勝を挙げたり、小天狗とまで呼ばれるビッグマウスだった。自ら3打席連続ホームランをかっ飛ばした日に合わせてノーヒットノーランを達成するなど、練習嫌いでありながらセンスは抜群だった。200勝を達成して引退した。その後、就任した巨人監督の中でも最低の成績しか残せなかった戦犯。原監督が3年で自ら身を引いた翌年、監督に就任。しかし、評論家としては一丁前の口をきくが、2年間で優勝は愚かBクラスに低迷。首位から25ゲーム差もつけられ大敗。シーズン終了後解任となり、ふたたび原監督の再登板という事態を招いた。日テレは未だに彼を解説者として採用している理由がわからない。巨人の歴代監督の中で優勝ゼロで通算勝敗で負け越しているのは彼だけ。血液型はO

 選手としての成績 560試合 203勝 139敗 1,865奪三振 防御率3.27
 監督としての成績 284試合 133勝 144敗 7分 勝率.480

 田尾安志(中日・西武・楽天)

 中日の俊足巧打の一番打者として畏れられた。しかし、不公平な選手分配による戦力ダウンの中、初代楽天監督に招聘されたものの、断トツの最下位で終わり、たった一年で解任となった。優勝チームから51.5ゲーム差という屈辱的な歴史的大敗を喫した。

 選手としての成績 1,683試合 1,560安打 149本塁打 574打点 打率.288  
 監督としての成績 136試合 38勝 97敗 1分 勝率.281

4 現役時代も監督としてもイマイチ

 これはどうしても批判的な記事になるため、個人の名誉のため、掲載を見送ります。

5 現役時代も監督としても普通の成績

 梨田昌孝(近鉄・日本ハム)

 1972年に近鉄に入団後、強肩を武器に活躍。有田修三と正捕手争いを演じる。両腕をくねらせる「こんにゃく打法」で勝負強い打撃を発揮。正捕手の座をつかみ、3年連続ベストナイン、ダイヤモンドグラブ賞も受賞した。また選手としても3度、優勝を経験した。一方で監督としても2001年に近鉄「いてまえ打線」を率いて劇的な優勝を遂げ、日本ハムでも2009年にリーグ優勝を達成。しかし、近鉄の選手時代から、未だに日本一になったことがない。

 選手としての成績 1,323試合 874安打 113本塁打 439打点 打率.254
 監督としての成績 1,263試合 645勝 594敗 24分 勝率.521 

 敢えて外したが、ONこと王貞治(巨人・福岡ダイエー・ソフトバンク)と長嶋茂雄(巨人)は、名監督ではないと思っている。現役選手時代は大記録を打ちたて、プロ野球人気を支えた功労者だが、監督としてはどうか。いずれも金に物を言わせ、各チームの主力を引っ張ってきておきながら、さほど戦績はよくない。優勝回数も就任年数の割には少ない。また、カネヤンこと金田正一や星野仙一、大沢親分こと大沢啓二も親分肌で退場回数が群を抜くなどファンとして見ていては面白い逸材だったが、勝負となると?がつく。

 では、核心に入るが、プロ野球ファンなら長年不思議に思っていることがあるだろう。現役時代は名球会に名を残すような名選手でありながら、なぜか監督に招聘されなかった人物というのがいるのだ。

 6 監督には不向きな方々

 張本 勲

 イチローに抜かれるまで日本人の最多安打記録を保持していた張本勲。彼は「安打製造機」と呼ばれたほど野球のバッティングセンスや理論は超一流だが、自分がやるのと人に教えるのは別物ということがこの人を見て歴然。口が悪く、人の立場を考えない横暴な性格が見える。かなり居丈高な印象は否めない。自分の意に反するものは徹底して排除するだろう。こんなエピソードがある。GSで長い列が出来ていた時に、張本氏がたまたま車でやってきた。そこでテレビ放送の本番に遅刻しそうになり、店員に向かって言った言葉が「俺を誰だと思ってるんだ!張本だぞ。俺を待たせるとはどういうことだ!」と怒り剣幕。まったくの自分本位な言い分。結局自意識過剰で傲慢なところが、これまで専任コーチや監督に招聘されなかった理由だろう。扱いが難しく、コーチやフロントともしょっちゅう喧嘩だろう。血液型はO型。

 鈴木啓示

 前述した通り。近鉄の生え抜きとして活躍し、317勝を挙げた名投手。しかし、あまりにも凄い記録の持ち主ということで、周りが萎縮。そして自分の野球理論こそが正しいと思い込んでおり、数々の選手と衝突した。ピッチングフォームを変えないということで入団を承諾したあの野茂投手に対し、高飛車にフォームの矯正を指示。これで反感を買った。古い練習法を強制しようとし、トレーニングの第一人者だった立花コーチを解雇。これが引き金となり、この裁定に反発したエース野茂と抑えの切り札だった吉井を独断で二軍に落とし、結果的にBクラス転落。次年度はメジャーへ移籍した野茂が抜けた穴は大きく、最下位に低迷。シーズン途中で成績不振を理由に休養に入った。自分のエゴを押し通そうとして失脚した悪い例の典型だろう。血液型はO。

 江川 卓

 入団時からごだごた続きで、やや不運で可哀想な面があるものの、選手の気持ちを理解できるかが疑問。ゴリ押しや選手の反発を買うような言動が心配ではある。しかし、一度やらせたら面白いかもしれない。一見親分肌を絵に描いたような風貌だが、データを駆使した緻密な一面もある。評論家としての浪人生活が長い分、手の込んだ興味深い野球を展開する可能性を秘めている。ただ、彼は親分肌でワンマン傾向の強いO型なので、選手の操縦法や観察力という点ではA型の比ではないだろう。

 他にも監督に向かなそうな人は、江本孟紀、江夏豊、門田博光、福本豊、谷沢健一、佐々木主浩、駒田徳広、村田兆治、川藤幸三、衣笠祥雄、石毛宏典、広沢和巳、清原和博、新庄剛志らがいる。彼らは選手時代に主力選手だっただけに我が強く、チームをまとめる力に欠けているように思えるからだ。また、現在、現役の選手で、将来監督をやりそうもない人、あるいはやらないほうが無難な人を挙げると、松井秀喜、中村紀洋、松坂大輔、石井一久、福留孝介ら。

 今後、私が名監督の器として期待したいのは、西武・ダイエー・巨人・横浜などで活躍した工藤公康と高校時代から騒がれ、巨人・パイレーツで一世を風靡した桑田真澄両投手だ。横浜は人選を誤り、人気取りで中畑を抜擢したが、こうなることは目に見えていた。また、中日で名球会に入った立浪和義も魅力を感じる。緻密で地に足をつけた野球をしてくれそうな気がする。また、今季で現役引退を表明した小久保裕紀選手も有望。やはり怪我などで苦労し、大記録を達成した人は、選手の気持ちも理解できそう。彼らは遅かれ早かれ、いずれ招聘されて然るべき監督として適任の逸材だ。

 さて、いかがだったでしょうか。述べてきたことは個人的な考察で、100%正しいわけではない。ただ、データは如実に真理を物語ると思う。冒頭で述べたように、決して名選手=名監督ではないことだけは確かなのだ。監督に必要な資質は、選手の力量を見極める確かな眼力と選手の状態をつぶさに観察し、適材適所として起用できるか、更にはバレーボール女子の眞鍋監督が身をもって手本を示して成功したように、対戦相手との相性を認識し、細かいデータをもとに適切な判断を行うことが大事なのだ。野球で当てはめれば、対戦相手によって投手を変えたり、右投手左投手で打順を組み替えたり、あるいは絶好調の選手を思い切って抜擢して起用するなど、緻密な作戦が必要。そして肝心なのはコーチングスタッフとの意思の疎通と連携。どこで投手を交代するのか、代打や代走のタイミング、サインなどの作戦も選手を納得して動かすためには必要。説得力のないサインは無意味だからだ。あまりにも正統派すぎると相手の術中にはまる危険がある。時に奇抜な攻めも必要。突破口が開けないと見たら、バスターやセフティーバントなど足を絡ませた撹乱戦法をとってみたり、外角ストレートをライト方向狙いでおっつけバッティングを続けてみたり、ファールで粘って相手を疲れさせ、四死球を選んで出塁したり、疲れてストライクを取りに来た甘いボールを叩いたり、作戦はよりどりみどりだ。特に外国人投手が相手の場合には、気が短い人が多いので、有効だと思う。

 結論に入るが、全体を見渡し、いくつもの引き出しを用意し、その場に応じた適切な判断を冷静に行えるかが大きなポイントである。名監督は努めて冷静な振る舞いをしているものだ。森、古葉、落合などはたとえ打たれてもカッカ来て大事な選手を罵倒したり、物に当たったり、殴るような真似はしなかった。それは高校野球とは違い、145試合もある長シーズン。チャンスは何度でもあるからだ。長い目でシーズンを通して働いてもらうためにも、実際に試合で勘を覚え、成長させていくのも監督の手腕なのだ。特に若い選手は経験が必要。相手投手や打者の特徴や時には審判の癖なども知っておく必要がある。特に策も持ち合わせず、閃や当てずっぽで大打者になった長嶋茂雄のような天才ならともかく、普通の選手なら、今述べたことは弁えていて当然だ。それらを知り尽くした上で、総括的にマネジメントし、プロデュースするのが監督である。中にはなりたくてなった監督も多いが、そうした戦術も野球哲学もなく、ただ名選手だったということだけで引き受け、監督になれた事にあぐらをかいているようでは一流の監督にはなれるわけがない。

 総括すれば、人の上に立つ仕事というのは、責任重大で、その人、あるいはそのチームの人生をも背負い込むことを意味する。さて、あなたはどれだけの覚悟があるだろうか・・・。

 最後に、毎年恒例となった「上司になってほしい有名人ランキング」と、次年度の私の予想を紹介して結びとしたい。

 <2012年 理想の上司・監督(男性)ランキング>

 1位 池上彰   A型         6位 堤真一   AB型
 2位 阿部寛   A型    7位 長谷部誠   O型
 3位 関根勤   A型    8位   松岡修造  AB型
 4位 所ジョージ O型    9位 渡辺謙    A型 
 5位 山口智充  O型   10位 タモリ     O型

 A型が多いのは、勤勉で誠実、責任感が強いから熱心な仕事ぶりを買われてのことだろう。ただし、テレビドラマなどで配役が会社の上司役だったりすると、そのイメージで選んだりする。そして注目すべきはB型がゼロという結果。これは一般的に自己中でマイペースな印象を持たれやすいことから、B型の人が上司だと、いい様に使われて捨てられたり、振り回されるのがオチだと思っている人が予想以上に多いからだろう。どうしてもB型の代表格である明石家さんまのイメージがつきまとうようだ。傍目には面白いが、現実的にいざあの人が上司だと周囲は迷惑するのが見え透いているようだ。

 <私が思う理想の上司・監督人ランキング>

 1位 佐々木則夫     6位 岡田武史
 2位 眞鍋政義       7位 小出義雄 
 3位 落合博満       8位 本田宗一郎 
 4位 原辰徳        9位 小泉純一郎
 5位 松下幸之助    10位 八田與一・杉田秀夫

 10位のふたりは同点。八田さんは台湾にダムを建設し、杉田さんは瀬戸大橋の建設で一身を投げ打って完成まで導いた真のリーダー。政治家たちに爪の垢を煎じて飲ませたいような日本社会や経済界、スポーツ界を支えてきた功績のある人ばかりである。

 記事作成:8月16日(木)

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