記憶に残るスポーツ名実況
「アナウンサーという職業は責任が重い」ことを今年ほど感じた出来事はなかっただろう。目の前で起きた出来事を正確に伝えなければならない。しかしそこは人が行う仕事。主観がどうしても入るし、アナウンサー自身の感情が出てしまうこともある。特に今夏に開催されたロンドン五輪では、一度出された判定が覆ったり、ビデオ裁定で思いのほか時間がかかったり、抗議によって勝ち負けが逆転するという前代未聞のジャッジが相次いだ。その人の伝え方、言葉一つで重みが全く違う。万が一、誤った事実を伝えたら、どれだけ影響が大きいだろう。そんな重圧が著しいであろう職業で、これまで記憶に残る歴史的な名言名句を発したアナウンサーを取り上げてみたい。
第1位 「伸身の新月面が描く放物線は、栄光への架け橋だ~!」
アテネオリンピック男子体操団体で、NHKの刈屋富士雄アナが絶叫した語り草となっている名セリフ。僅少さで3チームがひしめき合う中、最終演技者の冨田の鉄棒の着地シーンで生まれた名言。よくぞあの緊張する場面でこれだけの言葉が出たと思う。金メダルを獲得した直後のセリフも泣かせるものだった。解説の小西さんを気遣い、「どうぞ泣いてください」という人柄が滲み出る優しい言葉、「オリンピックの聖地、オリンピック発祥の地このアテネで、陽はまた昇りそうです!」は生涯記憶に残る名実況だった。
第2位 「前畑がんばれ!前畑がんばれ!」の連呼
オリンピックなど世界大会で日本人が表彰台に上がることが夢だった時代の頃の話だ。時は1936年、ベルリンオリンピック。女子競泳200m平泳ぎで、金メダルを争っていた前畑秀子に対し、NHKの河西三省アナがラジオ放送で「前畑ガンバレ !前畑ガンバレ!」と連呼した。この実況は、日本放送史に残る名実況であるとの声が高い。1936年といえば昭和11年。太平洋戦争が勃発する前の出来事だ。
第3位 「ブロードアピールが飛んで来た!」
フジテレビの競馬中継の実況でお馴染みの青嶋アナの神とも思えるような名セリフ!この伝説のレースは2000年のGⅢ根岸ステークスのダートコースで行われた。最終コーナーをまわって残り400標識を切った地点では長い列の最後方にいた武幸四郎騎乗の「ブロードアピール」だったが、そこから末脚よろしくぐんぐんトップスピードに乗ってみるみる前方の馬を交わし、ゴール寸前で見事に差し切って勝利した、手に汗握る大興奮のレースだった。ゴール直前の「前に届くか、届くか、届くか、届いた~」は語り草だ。
第4位 「探していた、見失っていた光は、ロンドンの風の中にありました~!」
これは今年のロンドンオリンピックの女子バレーボールの3位決定戦で飛び出した名言。それまではツイッターで気の抜けた冷めた実況と評判が悪かったNHKの広坂安伸アナだったが、この試合のラッキーガール迫田さおりがスパイクアウトで宿敵韓国をストレートで下しコート内が歓喜の輪で最高潮に盛り上がった時に生まれた。この名言で、それまでの冷めた実況に対してツイッターなどに寄せられた批判的な声は激変したのだった。そして解説の大林素子が感極まって「待ってましたこの瞬間、止まっていた時間を動かしてくれた選手が・・・ありがとう~!」という言葉もまた感動的だった。
残念ですが、NHKのテレビ放送の動画は、この記事を公開する直前にユーザーにより動画が削除されてしまいました。
第5位 「立て、立て、立て、立ってくれ~!・・・・立った~!」
それは伝説となった言葉だ。1998年に行われた長野冬季オリンピックのスキーのジャンプ競技のラージヒルで、それまで不調に苦しんでいた原田雅彦が因縁の二回目、汚名返上の大ジャンプを成し遂げた際に生まれた。日本国民の感情を代弁してアナウンサーに言わせた感じがした。当の声の主はNHKの工藤三郎アナ。映像の埋込み無効処理のため、下のアドレスをクリックしてください。
http://www.youtube.com/watch?v=PWjkrQmtyF4&playnext=1&list=PL201DE1473F806935&feature=results_main
実際は、ラージヒル個人戦の際に生まれた名言でした。本番に弱い原田のイメージを払拭するかのように、実況が絶叫した。
第6位 「まだ続く、繋いだ、繋いだ、日本文理の夏はまだ終わらな~い~!」
今も記憶に新しい2009年夏の全国高校野球甲子園大会決勝。現在、広島で活躍する堂林投手率いる強豪・中京大中京と対戦した新潟の日本文理高校。最終回4対10という6点ビハインドの中、決して諦めず、繋いで繋いで1点差まで詰め寄り、一打同点のチャンスを築いた。しかも9回二死ランナー無し、2ストライクを取られてからの猛反撃だった。抜群の選球眼とファールで粘りに粘り、気づけば球場全体が日本文理に大声援を送っていた。最後は三塁ライナーでゲームセットとなり、惜しくもあと一歩及ばなかったが、大観衆は日本文理に惜しみない拍手を送った。この試合を実況したのは、元朝日放送アナウンサーの植草貞夫氏。歩く名言集とも呼ばれるほど、球史に残る名言を数多く残した。「甲子園は清原のためにあるのか~!」も彼の発言。
伝説の実況は4分36秒頃です。「なんと表現していいのかわからない。日本文理の最後の最後のすごい粘りだ~」という絶叫も素晴らしかった。
https://www.youtube.com/watch?v=TULcy3DD1Bo
第7位 伝説のバックスクリーン3連発 「こ~れも行くのか~」
1985年に甲子園球場で行われた伝統の巨人阪神戦でその名言は誕生した。この年、巨人のエース格だった槙原からバース・掛布・岡田のクリーンアップが相次いでバックスクリーン付近に叩き込んだ3連発。確かこの劇的シーンは4月に行われたが、この勢いそのままに阪神が21年振りにリーグ優勝を飾った。その年の阪神の破竹の勢いを象徴するシーンがこの場面で、当時のABC朝日放送の有名アナだった植草貞夫氏の絶叫がすべてを物語っている。
それにしても阪神ベンチと甲子園のファンのお祭り騒ぎは凄い!
植草アナと言えば、KKコンビが活躍していた1980年代の高校野球の実況でも有名。彼の怪物・清原のホームランを形容したアナウンスも語り草になっている。それは・・・
「甲子園は清原のためにあるのか~!」という絶叫だった。
最後に、今回のテーマにおよそおあつらいむきな映像が「Youtube」にアップされていた。サッカーにおける山本浩アナの名実況なのだが、サッカーひとつをとってもこれだけエキサイトするのだ。実況の価値の重さをまざまざと知らされた思いだ。
ぜひ今回のブログを現職のアナウンサーに見てもらい、言葉の魔術師となれるよう研鑽を積んでいただきたいものだ。それは決して多事雑言ではないし、他人の真似言であってはならない。わざとらしい予め用意した言葉ではなく、その場でとったさに出た、臨場感あふれる卓越した味のある「ひとこと」であるように・・・。
記事作成:8月22日(水)
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