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2012年11月 8日 (木)

今は無き福島県内の建造物

 東日本大震災以降、福島県は何かと福島原発による風評被害によって汚染地帯扱いされることが多くなった。県民感情からすると極めて遺憾である。なぜなら私たち県民は紛れもなく被害者であり、謂れのない罵りを受けているからである。広範囲に広がった高濃度セシウムによる海洋汚染水で、水産業は再開の目処すら立たないし、米・野菜・穀類などの農業も危機的状況に置かれているのは避けようのない事実である。
 しかしながら、震災前は福島県は雄壮な大地と自然の宝庫であった。海、山、湖がほどよく調和し、それぞれの特色を生かした産業が隆盛を誇っていた。また前知事の功績で、縦と横の高速交通ネットワークに加え、空の港が開港。物流や人的交流も活発化したのだった。首都機能移転の有力候補地として名前が上がっていた。そんな1980年代のバブルから1990年代にかけては、我が福島県はいろんな意味で勢いがあった時節であった。そこで今回は、古き佳き時代を回顧する意味で、かつて確かに福島県内に足跡を残し、実在した建造物を取り上げ、それらを懐かしみながら郷愁に浸ってみたい。

 1 原町無線塔

 昭和末期まで原町市に実在し、聳え立っていた高さ200m程の巨大な煙突型の無線塔である。原町市は現在、平成の市町村合併により南相馬市に名称を変えた。先の震災では全国的に有名になってしまった土地であるが、相馬野馬追いでも有名な場所だ。今回取り上げる、現在は幻となってしまった無線塔は、市内のどこからでもそのお化け煙突が見ることができ、ある種ラウンドマーク的な役割を果たしていた。この無線塔は、大正10年に開局した磐城無線電信局原町送信所の主塔の通称で、原町市民及び原町市出身者はこの市のシンボルとして親しまれた。
 無線塔は高さ約200mの鉄筋コンクリート製で、開局当時は東洋一の高さと機能を誇る送信所であり、周りに5本鉄柱製の塔があって、その間にアンテナ線が張られていた。日本から外国に通信することができる唯一の施設で、大正12年に起こった関東大震災の第一報をアメリカほかの世界へに打電した事でも有名。昭和8年にはその役割を終えて原町送信所は廃止された。その後は解体するにも巨額の費用を要し、そのまま放置され続けたが、老朽化により、崩壊の危惧が叫ばれ、やむを得ず昭和56年に解体されてしまった。現在では、追憶の目的で、実物の1/10サイズの高さ20mほどのミニチュアが国道6号線近くのウェディングパレスの一角に建っている。

Musen2 Musen1

<参考ブログ>

http://shi.na.coocan.jp/haramachimusentou.html

 2 郡山三森峠(三森隧道と古代の村)

Sanmori Sanmori2

Sannmori3 Sanmori4

 かつては郡山と会津地方を結ぶ交通の要衝として車の通行量も多かった峠道。郡山市の西の外れから湖南町、猪苗代湖の南岸を迂回するようにして強清水まで続いている県道6号線だが、今では谷を跨ぐ立派な橋と長いトンネルが貫通し、行き来も楽になった。しかし、私が社会人になって間もない平成初期までは幾重にも九十九折となって急カーブ&急勾配の連続だった旧峠街道があった。スキーの帰りなどに、また会津に住んでいた平成元年頃は頻繁に走った道だ。その頂上部には、狭くて昼間でも暗いトンネルがあった。昭和37年に開通したそれは、もちろん曰く付きで、様々な心霊報告が飛び交っていた。長さは確か300mほどだったのではないか。湖南側から来ると、出た瞬間左にカーブするが、その右側が少し膨らんでいるちょっとした駐車場で、真正面には郡山の夜景が見れたし、また右側奥手には寂れた茶屋があった。そして何とそのトンネルの真上には、古代の縄文時代の住居である竪穴式の形の住まいが再現されていた。トンネル工事中にそこから古代遺跡(縄文土器)が発掘されたのがそもそもの発端らしい。灯りもなく、とても日没後には通れないような薄気味悪い場所だった。今では完全閉鎖されているし、震災であちこち路肩が崩れたり、途中で道路が寸断されていたり、崖崩れ、道路には草木が生い茂り、オフロードバイクでも容易に近づけない難所と化してしまった。茶屋はもちろん廃墟で荒れ放題。実は麓にも休石茶屋があった。夜には不気味な赤色の電飾がうっすら灯り、それはお化け屋敷の様相を呈していた。オカルト好きな「廃墟マニア」にはたまらないだろうが、普通の人はまず近づかない場所となってしまった。

<参考ブログ>

http://www.geocities.jp/wellon2/tohge/tohge/sanmori.htm

http://www10.tok2.com/home/michibeya/road/touge_html/sanmori_2003_01.html

 3 郡山高玉金山(たかたまきんざん)

Takatama1 Takatama2

 ここは郡山市民ですらあまり訪れたことがない知る人ぞ知る観光スポットだった。かつて福島県郡山市熱海町にあった金山である。戦国時代に開かれ、最盛期の昭和時代初期には日本三大金山の一つに数えられた。1935年には1t以上もの金を産出したほどであった。1976年に閉山し、跡地では高玉金山土地管理組合が坑内探検や砂金採り体験ができる観光施設を運営していた。トロッコ列車で坑道分け入り、鉱夫気分を味わえたほか、野天の黄金風呂などの温泉施設もあった。しかし、アクセスが悪い上に、PR不足もあってその存在を知る人は少なく、赤字続きで存続が難しくなって、さらには震災により施設が破壊されたため、2011年をもって閉鎖された。

<参考ブログ>

http://www.kanko-koriyama.gr.jp/tourism/detail3-0-68.html

http://toba.livedoor.biz/archives/6752490.html

http://www.miharu-e.co.jp/ja7fyg/kouzan/takatama/takatama.html

 4 福島高子沼グリーンランド

Takakonuma Takakonuma2

 ここは昭和40年代後半から平成11年まで営業していた、福島の北東部の高子沼に実在した遊園地だった。子供騙しの遊園ではなく、福島県では初のジェットコースターを兼ね備えた本格的なレジャー施設だった。阿武隈山系の丘陵地の斜面の高低差を利用して築かれていた。観覧車、アドベンチャーコースター、ボブスター、フライングエレファント、ダックス、ゴーカート、スカイサイクル、ツインドラゴン、メリーゴーランド、チェーンタワー、ミニSLなどの遊具があった。2006年にはすべての放置されていた遊具類が撤去された。今ではその名残が斜面に残るだけとなった。

 5 須賀川ゴジラの卵&足跡

Gojira1 Gojira2

 須賀川といえば映画監督・円谷英二を生んだ土地である。「ゴジラ」の生みの親で、その後のウルトラマンシリーズを世に送り、子供たちのヒーローを数多く生み出した神様のような人である。その功績をたたえる意味で、昭和末期に須賀川の景勝地・乙字が滝のほとりに岩肌を削った場所に創設されたのが、巨大な卵と足跡であった。また、山岳部の山の斜面にはゴジラをかたどった電飾照明で連夜ライトアップされ、その機運を盛り上げた時期もあった。残念ながら、ゴジラの卵は1997年3月に心ない人間の手によって焼失してしまった。私はそこに3~4回訪れたことがあった。楕円形で白の巨大なそれは、訪れるものを圧倒した。そばに足型に地面に掘られた足跡も巨大だった。

 6 横向ロッジ&裏磐梯国民宿舎「五色沼」

Yokomuki Gosikinuma

 温泉宿や廃業したホテルなどで県内を代表するのがこの二つだろう。前者は箕輪スキー場と隣り合わせの横向スキー場の真下に建ち、長らく廃墟を観光客やスキー客に晒し続けた。そこは猪苗代町から福島市へ抜ける国道115号線沿いの山頂部にある土湯トンネル付近の急カーブにあるため、嫌でもその前を通る羽目になる。今は取り壊されて更地になっているようだ。また、後者の「五色沼」は裏磐梯に向かう国道の途中にあった国民宿舎。廃業し、しばらくは廃墟状態で放置され、マニアの絶好の探検スポットになっていたようだが、2008年に火災により全焼した。昨年までは黒焦げの状態で放置されていたが、その後はどうなったのだろうか。

 私は「廃墟マニア」ではないので、よくわからないが、廃墟関係のブログを拝見すると、最も有名なのが、磐梯山の麓にあった「翁島ペンション」らしい。残骸が散らばるなどかなり朽ち果てていて、足を踏み入れることも憚りたくなるような悲惨さらしい。もちろん心霊スポットとして全国から訪れるマニアが後を絶たないと言う。まぁ温泉旅館が廃業し、そのまま放置されている例はどこにでもある。特に福島県は観光地のため、数多くの廃墟と化したホテルや旅館は多い。ひとつはバブル崩壊で経営が立ち行かなくなったのが一因。そして昨年の原発事故により観光客が激減し、経営難により、あえなく店じまいをしたケースもある。二本松岳温泉にあった「グリーンピア二本松」でも身売りされてしまったほどだ。

 稲川淳二が訪問した際の「翁島ペンション」の映像はコチラ(クリック注意)

http://www.youtube.com/watch?v=m2Tlc995B6A&feature=related

 今回のテーマ記事は以上で終了となる。他にも古くは「常磐炭坑」もあるし、磐梯熱海温泉には温泉街にありがちな「東北秘宝館」なる建物もあった。そして営業を停止したまま廃墟と化したドライブインなどはどこにでも点在している。代表的なのは磐梯吾妻スカイラインのそばにあった「土湯ドライブイン」。そういった箇所は必ずと言っていいほどミステリースポットになってしまう傾向がある。しかし、朽ち果てていても私たちの記憶の中にはずっと生き続けていくのは間違いのないところだ。かつて繁栄し、隆盛を極めた場所や建物が消えて無くなってしまうのは残念だが、こうした記事に残すことでいつでもそれがかつてそこに実在したことを示す証拠になるだろう。そういう意味からもこのような記事を記すことは意義があるような気がしている。

 関連ブログ

 「磐梯熱海・猪苗代周辺マジやばスポット」はコチラ

 記事作成:10月26日(金)~27日(土) 

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