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2013年2月 4日 (月)

今はもう無い企業・会社

 かつてはCMにも登場し、隆盛を極めた企業や会社があった。しかし、バブルで踊らされて皆が夢を見た時代を経て、そのあまりにも大きなツケを払わされた挙句に倒産してしまったり、収益悪化により、生き残り策に奔走した挙句、経営統合に至った会社が何と多いことか。今日は、今はもう無くなってしまった企業とか別の会社に吸収合併されてしまった会社(企業)を取り上げたい。「えっ?あの会社はもう倒産していたの?」とか「一体いつ無くなっちゃったの?」とかいう声が聞こえてきそうだ。実際には破産宣告後、会社更生法適用で、再建を目指している会社も含まれている。ではさっそく見てみたい。

 1 山一證券

 バブル崩壊後、リーマンショックなどの財政破綻が相次ぐ中、多額の不良債権を抱え経営を圧迫。損失補填問題が発覚。その後、相次ぐ経営陣の利益供与などの不正が元となり1997年に自主廃業の道を選択して倒産した。当時、金融関係の、しかも日本で4大証券会社のひとつに数えられた一流の証券会社の倒産などありえない時代だった。最後の社長の涙ながらの「社員は悪くありませんから!」という弁明は、哀れな末路を感じた。

http://www.youtube.com/watch?v=QiR-pRVFdCE

http://www.youtube.com/watch?v=QKAUQCeNxzU

http://www.youtube.com/watch?v=5jcx1ay_oSY

 2 城南電機

 故宮路年雄社長の電気製品を激安で提供するワンマン会社だった。社長自ら「城南電機の宮路社長」の通称でマスコミに登場していたが、「城南電機」という名の会社組織は存在せず、信光電機有限会社小売部門の屋号(店舗名)に過ぎない。宮路の正式な役職名は信光電機有限会社代表取締役社長であったが、一般的には「城南電機の宮路社長」として知られた。城南電機とは別に、建物管理を行う「株式会社城南」という子会社も信光電機傘下に存在していた。最盛期(1993年(平成5年))の月給は1,500万円だった。
 商品仕入は、買掛せず現金一括即払いを常套にしていた。このため常に数千万円の現金をアタッシェケースに入れて持ち歩いており、1994年(平成6年)5月23日には、本社社長室で刃物を持った男に襲われて軽傷を負い150万円を奪われるなど、生涯で6度も強盗の被害に遭った。

 3 株式会社ヤオハンジャパン

 1929年に静岡県熱海の八百屋として創業し、世界15ヶ国で店舗を運営する小売・流通チェーンに発展した。最盛期の売上は、グループ全体で年間5,000億円程度であった。中国では、1995年には上海の浦東地区に大型百貨店「Nextage」を開業した。同店は、百貨店としてはニューヨークのメイシーズに次ぐ世界第二位の店舗面積であった。創業者夫婦の長男でありヤオハン社長として急速な業務拡大を行った和田一夫は新宗教「生長の家」の熱心な信者であり、同社ではこの宗教の教義を社是(後述)として取り入れ、活動の原理としていた。1997年、グループ傘下の主要会社ヤオハン・ジャパンは1,613億円の負債を抱えて倒産、会社更生法の適用を受けた後イオングループの100%子会社「マックスバリュ東海」となり現在に至っている。ヤオハン・ジャパンを除くヤオハングループ(日本国外の事業)は、1997年以降にすべて解体、清算・譲渡された。

http://www.youtube.com/watch?v=c2Bbszpqiyw

 4 三洋電機

 1950年(昭和25年)、三洋電機株式会社設立。会社のマークに、源流企業の松下電器の「ナショナルマーク」類似の、円形に電気のスパークとサンヨーロゴをデザインしたものを採用。社名は太平洋・大西洋・インド洋を意味し、世界で活躍できる企業になるという意志が込められている。1953年(昭和28年)に開発した噴流式洗濯機が大ヒットし、一躍有名になった。2011年(平成23年)に株式交換によりパナソニックの完全子会社となった。
 一大家電メーカーの吸収合併は大きな波紋を残した。かつてはスポーツにも力を入れ、特にラグビーの日本リーグでは、トップレベルにあり、過去、複数回優勝している。ちなみに、我が家にはサンヨー製品は、洗濯機とシェーバー、コードレステレフォンがあった。

http://www.youtube.com/watch?v=vq0DG8YYzKI

 5 Kマート

 日本にかつて存在したコンビニエンスストアとスーパーマーケットのひとつ。 1970年代にはNACやUマートと並ぶ、代表的なコンビニエンスストアチェーンであった。 コンビニエンスストア部門とスーパーマーケット部門があり、ボランタリー・チェーン方式を採用していたが、コンビニ部門ではフランチャイズ方式で運営していた。菓子問屋の橘高が1964年(昭和39年)に食品スーパーとしてチェーンを結成した。本部は大阪府東大阪市にあり、関西を中心に出店するも1995年(平成7年)に倒産した

 6 石丸電気

 20年ほど前までは、秋葉原駅周辺には1号館から6号館まで点在し、電気の街においてその威容を誇った家電量販店。現在はエディオンの傘下に入り、石丸電気の名称は完全に無くなった。

http://www.youtube.com/watch?v=fh2Ic-BQbnU

 7 第一家庭電器

 かつて存在した日本の家電量販店チェーン。本社は東京都新宿区新宿六丁目23番15号にあった。略称および屋号は「第一家電(だいいちかでん)」。家電量販店の競争が激化し、2002年4月16日、第一家電は民事再生手続きを申請し経営破綻した。郡山市内にも日和田(オリエントパーク日和田の現ダイソー)と市内長者のインテリアダイイチが倒産した後の建物に間借りする形で2階のフロアを使用し店舗を構えていた。私はケータイを契約したことがある。

http://www.youtube.com/watch?v=Xav7A3l9ptE

 8 小銭寿司

 かつては小僧ずしと並び、全国展開したテイクアウト用の折詰寿司製造および販売を手がけていた。俳優でレーサーだった太田博之が1980年代に小銭寿司チェーンを経営して財を成したが破綻。同社在職中の1986年6月8日、監禁・強要容疑で逮捕されたことにより、会社も倒産に追い込まれた。

 9 ほっかほか亭

 現在のHOTMOTTOだ。株式会社プレナスが九州・山口地方及び東日本地区を中心に、日本全国、中国、および韓国に店舗を展開している持ち帰り弁当のチェーン店。元々山口県を含む九州および東日本地区のほっかほっか亭を運営していたが、フランチャイザーのほっかほっか亭総本部と商標権を巡り対立したことをきっかけに両社の関係が悪化し、2008年(平成20年)2月6日に、同年5月14日をもってほっかほっか亭から離脱することを発表し、続く2月12日に、新たなブランド名を「ほっともっと」にすることを発表した。全国展開の三大弁当屋は「ほっかほっか亭」、「本家かまどや」、「HOTMOTTO」である。次いで「日の丸亭」。

10 赤井電機

 かつて「オープンリール」で名を馳せた国産の電気製品・精密機器メーカー。TEACやナカミチと並んで、録音機材のメーカーとしては一流だった。

http://www.youtube.com/watch?v=hLWrX4Y78AU

11 タカラブネ

株式会社 スイートガーデンは、神戸市西区高塚台に本社を置く和洋菓子の製造販売をおこなう会社である。主に「タカラブネ」ブランドのシュークリームで知られる。2003年に民事再生法適用後は「スイートガーデン」「スイートオーブン」などのブランドも展開している。着実にチェーン展開を進め、1994年(平成6年)3月に1000店舗を達成したが、その後経営が行き詰まり、2003年(平成15年)1月に民事再生法申請し倒産したが、同年7月に受け皿となる新会社として「スイートガーデン」を設立し、ブランドを継承した。

http://www.youtube.com/watch?v=ggwJcQD0waY

12 いせやデンキ

 事業内容, 家電製品・コンピュータ・通信機器を販売する大型電気専門店チェーンの経営 ・ドコモショップの経営今はプラグシティからベイシア電器と名称を変えた。設立は1986年9月。群馬県前橋市に本社がある。当初は500平米程度の単独出店が多かったが、競合する大手の電器量販店(ヤマダ電機、コジマ、ケーズデンキなど)に比べ小規模という点とともに、ベイシアグループのモール展開に伴い、単独店はスクラップアンドビルドを行い、現在の出店はグループ企業の別の店舗と一緒に出店する場合が多い。

13 九十九電機

 1968年、アマチュア無線機器販売を開始。1977年、アップルの販売を開始。1990年代には秋葉原パソコン販売四天王の一つとして認知されるに至った。1997年、創業者・鈴木勇(当時・代表取締役会長)が死去。2002年から2007年までは石丸電気と資本・業務提携したが、後に述べるとおり石丸はエディオンに、九十九はヤマダにと別々の道を歩むことになった。2008年10月30日に、民事再生手続開始の申し立てを行い、事実上の倒産。負債総額は約110億円であった。バブル期の不動産取得や業務拡大に伴う借入金が主原因としている。同年11月5日、民事再生手続の開始決定がなされた。2009年1月6日に、ヤマダ電機へ事業譲渡することで基本合意し、同年3月10日に、ヤマダ電機が新設した子会社株式会社Project Whiteに事業譲渡された

http://www.youtube.com/watch?v=8lufg5fF0l0

14 東ハト

 キャラメルコーンやオールレイズンで一世を風靡したお菓子メーカーだ。創業時の社名は「東京製菓」であったが、同名の企業が多数存在したため、初代社長の好みであった鳩を冠して「鳩印東京製菓」のブランドで営業を行った。だが社名が長く、電報での発注の際に料金が余計にかかるため、問屋が「ハトトウ」・「トウハト」の略称を使用して注文するようになり、そのうち後者の響きが良かったため、後に社名にも採用する事になった。関連会社によるゴルフ場開発が失敗して多額の負債を抱えたことで、2003年に民事再生法の適用を申請して倒産する。しかし、本業の食品事業については黒字経営であったため、倒産の原因となった不動産事業を分離して、ユニゾンキャピタル傘下にてバンダイと丸紅の協力を得て再建された。

http://www.youtube.com/watch?v=WDFMfivt-pc

http://www.youtube.com/watch?v=bl6nKqLMszw

http://www.youtube.com/watch?v=KHTNiXfjJVM

15 ライカ

 伊藤忠商事グループで紳士・婦人・子供用衣料の製造販売を手がけていたライカが、2011 年4月30日をもって事業を停止し、解散した。ヴィヴィアン・ ウエストウッド マンやランバン オン ブルーなどのブランド事業はそれぞれ譲渡された。大阪を本拠地とするライカは1957年に創業。1998年から2003年まで「DRIES VAN NOTEN(ドリス ヴァン ノッテン)」を展開していたが、2004年には約600億円の負債で民事再生法適用を開始。子会社ブルーノートジャパンをライカとして統合するとともに伊藤忠商事の100%出資子会社として再スタートを切り、欧州のブランドを中心に展開してきた。2009年の売上高は120億円。

16 アルプス社

 かつて日本に存在した地図の製作・販売会社である。アルプス社は、「アトラスRD」シリーズなどの地図の出版と「プロアトラス」シリーズなどのPC向け地図ソフトの制作、販売などを行っていた。しかし、売上の減少により2004年に民事再生法の手続きを申請。ヤフーが支援に乗りだし、ヤフー100%出資の子会社となった。その後も、道路地図帳や「プロアトラス」などソフト製品の製作、法人向けのGISによるソリューションなどの事業を続けていたが、2007年に「プロアトラス」シリーズの販売を株式会社クレオに移行。2008年にヤフーに吸収合併され、解散した。現在、事業はヤフーがすべて継承している。

17 東洋瓦工業

東洋瓦工業は昭和6年頃に創業された三州地区の中堅瓦製造業者。平板60%、和型20%、S型20%の比率で製造し、ピーク時の平成4年12月期には年商約46億円をあげていた。しかし、同業者との価格競争で収益力が低下していたうえ、生産設備への投資に伴い年商を上回る借入金を抱えるなど慢性的な資金不足に陥っていた。その後は、受注不振や原油価格の高騰を背景にした原材料費の上昇なども加わり、18年12月期の年商20億6634万円に対して、1億6276万円の赤字を計上するなど、業績低迷が続いていた。12月21日、名古屋地裁に民事再生手続開始を申し立て、同日保全命令を受けた。負債総額は42億円に上った。

18 新風舎

 派手な広告でアマチュア作家の興味を誘い、原稿を大々的に募集し、企画出版を提案するが、実質は協同出版とか自費出版で多額の請求を行い、カモから大金を巻き上げた会社である。投稿した原稿に対して、それは大層な褒め言葉で賛辞し、「読者に感動を与える作品ですが、今回は企画出版には至りませんが、惜しい作品なので格安でできる自費出版を提案いたします」という文言の甘い誘いを仕掛けてくる。投稿者をその気にさせて、見積もりを見ると、100万円単位の金額がおどっているのだ。100冊単位で申込めるが、一般の書店に流通させることはほとんどなく、最悪の場合、書店にさえ並ばず、宣伝行為もほとんど行われず、在庫は一般読者にその存在すら知られることなく、倉庫に眠ったままである。悪徳の場合、200冊契約しておきながら、本人に50冊献本して、あとの150冊は印刷&製本すらしない詐欺行為である。この行為がバレて信用を失い、倒産に追い込まれたと言ってもいいくらいだ。

http://www.youtube.com/watch?v=4VJ3oDYHLX4

19 アイワ(株)

 アイワ (Aiwa) は、かつて存在したオーディオ機器のブランドである。1951年に愛興電気産業株式会社の名で創立、1959年にブランド名アイワを社名にした。1960年代には日本で初めてカセットテープレコーダー、ラジカセを発売。末期のアイワブランドからは考えられないような高級オーディオも製造し、ヴェロシティマイクロホン等はNHKに用いられた。 2002年までは独立 企業のアイワ株式会社だった。 2002年、法人はソニーに吸収合併され、アイワはソニー の1ブランドとなった。現在はアフターサービス等を除き事業を終了している。

http://www.youtube.com/watch?v=8GwAqM5uzDI

http://www.youtube.com/watch?v=xtEaVz8Wgns

http://www.youtube.com/watch?v=JC-cYzW5rJQ

20 よつば電機

 家電量販店で、かつて、福島県内にも支店が数多くあった。近場では郡山市の亀田、現在のTSUTAYAの隣りのかっぱ寿司のあたりと、須賀川の4号線沿いにあった。その後、茨城に本拠地を構えていたカトーでんきが買収し、その後K'sデンキへと名称を変えた。

 他にもTVショッピング大手だった日本直販もまた2012年11月に倒産、協栄生命保険は2000年10月に4兆5,000億円を越える負債を抱え、大型倒産に追い込まれた。また、同じ時期に、金融関係の会社の吸収合併や経営統合が相次いだ通り、生き残れなくなった会社が大型倒産に至った。千代田生命保険(2兆9,000億円)、日本リース(2兆1,000億円)、東京生命保険(9,800億円)、ライフ(9,600億円)、マイカル(1兆5,000億円)などケタ違いの負債額での倒産が数多く出た。

 経営存続が厳しい企業・・・東電、JAL(負債額2.3兆円会社更生法適用)、武富士(負債額4336億円会社更生法適用)

 福島県内の企業で会社再建を実行中の企業

 福島交通(2008年会社更生法適用)
 ホテルハマツ(2003年(平成15年)8月に122億円の負債を抱えて民事再生法の適用を申請し、経営を他社に移譲)
 うすい百貨店(2003年(平成15年)8月にメインバンクの秋田銀行からの申請で産業再生機構による支援が決定され、再生計画が実行される)。

 外国の会社の大型倒産

 1 パンナム 

 パンアメリカン航空、通称:パンナムは、アメリカ合衆国に存在した航空会社である。民間航空が各国で盛んになってきた1927年に設立され、最初はカリブ海路線ならびに南アメリカを結ぶ国際線を運航し、その後1930年代には路線網をヨーロッパやアジア太平洋地域をはじめとした世界各国へ拡大した。
 しかし、1960年代後半頃より世界的に海外旅行が大衆化し価格競争が激化する中、高コストの経営体質を改善できなかったことや、1970年代にジミー・カーター政権下で導入された航空自由化政策「ディレギュレーション」の施行、その後の国内航空会社の買収の悪影響により次第に経営が悪化し、1991年12月4日に会社破産し消滅した。

http://www.youtube.com/watch?v=y9OuyXHuwWE

http://www.youtube.com/watch?v=TIc1k0bjlXw

 2 ノースウェスト航空

 かつて アメリカ合衆国ミネソタ州イーガン(ミネアポリス・セントポール郊外)に本部をおいていた 航空会社。デルタ航空と経営統合し、2010年1月31日をもってデルタ航空となった。経営合併の原因は原油価格高騰に伴う燃料費の増加などによって収益が悪化したことによる。2008年1月にデルタ航空と合併交渉を開始し、同年4月14日に合併合意を発表。同10月29日、アメリカ合衆国司法省が認可したことで両社は即日合併を発表した

http://www.youtube.com/watch?v=maNaheSL_VI

 3 GM

 まぁ、アメリカの航空会社や、全米の3大モーターであっても、景気の波には乗り切れず、倒産に追い込まれてしまう状況は、会社経営の難しさを如実に描写している。ゼネラルモーターズ(General Motors Corporation)は、アメリカ合衆国ミシガン州 デトロイトに本社を置く企業で、アメリカの自動車ビッグスリーの一角。略称は「GM」。 2009年6月1日に連邦倒産法第11章の適用を申請し、2009年7月10日に手続きを終えた。

http://www.youtube.com/watch?v=uEKtFzSxNpU

 おまけ 世界のビッグスリー

 <自動車>

 日本自動車メーカーのビッグスリー - トヨタ自動車・日産自動車・本田技研工業
 アメリカ自動車メーカーのビッグスリー - ゼネラルモーターズ、フォードモーター、クライスラー
 ドイツ自動車メーカーのビッグスリー - メルセデス・ベンツ、BMW、フォルクスワーゲン
 中国自動車メーカーのビッグスリー - 第一汽車・東風汽車・上海汽車

 <航空会社>

 アメリカ航空会社のビッグスリー - アメリカン航空・ユナイテッド航空・デルタ航空
 日本の航空会社のビッグスリー - 日本航空(JAL)・全日本空輸(ANA) ・日本エアシステム(JAS) ⇒JASは2006年10月1日に日本航空インターナショナルに吸収合併し消滅。
 ヨーロッパ航空会社のビッグスリー - エールフランス‐KLM、ルフトハンザドイツ航空、インターナショナル・エアラインズ・グループ

 おまけ

 会社更生法手続きで、再建を目指している「武富士」の伝統的なCMをお送りしたい。バブル景気(1980年代中盤~1990年代初頭)前後、消費者金融のCMは華々しかった。\shop武富士、アコム、アイフル、ほのぼのレイクなどが業界を闊歩した。無人の現金支払機のネーミングも一世を風靡した。「むじんくん」とかである。CMもサラ金の暗いイメージを脱却し、クレジット感覚で来店しやすい雰囲気作りを実践し、業績を伸ばし続けた。そのイメージアップに一役買ったのが「武富士ダンサーズ」だった。

 記事作成:平成24年10月~平成25年1月25日(金)

 追記

 No.9のほっかほか亭の記述を一部訂正しました。

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