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2013年3月

2013年3月30日 (土)

三春町散策(3/30)

 昨夜は飲み会だった。職場の送別会を実家近くのホテルで大々的に催した。何と総勢22名が転退職するという大型人事。ゆえに予算も奮発して、料理が8千円(飲み代別)の豪華ディナーだった。食い意地と貧乏性が相まって、散会後もしばらく居残り、同僚が手をつけなかった料理(ビーフストロガノフ・ちらし寿司・デザートアイスケーキなど)を食い漁ってしまった。日本酒も「飛露喜」、「久保田萬寿」、「くどき上手」、「写楽」など6種類くらい飲んで上機嫌となった。この一次会で満足し、代行で帰宅したのは22時過ぎだった。

 翌朝7時15分に起床し、予てから実行しようとしていた三春町散策について熟考する。二日酔いになったことはこれまでの人生で一度もないが、多少気分が優れないし、寒い朝を迎え、明日へのスライドも考える。しかし、本日の最高気温が10℃予想に比べ、明日は何と雪と雨で朝は0℃、最高気温でも5℃までしか上がらない冬に逆戻りの予報に愕然。昨日立てたスケジュールを敢行することにした。

 計画したコースは以下の通り。

 1 小和滝
 2 建福寺
 3 雪村庵
 4 舞鶴城趾
 5 弓町遊廓跡
 6 滝桜
   朝食(半田屋)

 昨春まで「三春」の職場に3年間勤務していたが、神社仏閣が多い城下町で、見所は数多く点在していたのに、滝桜にばかり気を取られ、町内の名勝旧跡にほとんど触れずに転勤してしまった。そして、おそらくは来週以降に見頃を迎えるであろう「滝桜」を始めとする桜の状況を確認する意味合いもあった。昨春は、朝5時前に自宅を出たにもかかわらず、「滝桜渋滞」にハマった。開花する前に、今の状況を自分の目で確かめておきたいというのもあった。体調回復の度合いによっては舞鶴城(城山公園)への山登りは取りやめたい。そして今週、職場の先輩(台湾旅行同行者)と盛り上がった話題が三春町内の弓町にかつてあった遊廓跡。三春は城下町だっただけに、寺社がやたら多いが、牛(べこ)の売り買いを行った弓町付近に何と遊廓が数軒あったというのだ。先輩同僚が所持していた江戸時代の三春の地図を見て驚かされた。そこで昭和21年頃まで実際に客引きを行っていたが、同年施行の「公娼制度」廃止や昭和32年の「売春防止法」が施行されたことで、この三春遊廓もまた衰退した模様。その建物が60年の時を経て、今も同じ場所に残されているという。「遊廓」とは江戸時代の吉原や京都柳橋などが有名だったが、自宅から20分圏内の場所にあったとは信じられない。しかも勤務先の目と鼻の先にあったとは・・・。「遊廓」という言葉自体、男心をくすぐる。もちろんそこで遊びたいわけでもないし、私自身は廃墟マニアではないが、昔の歴史や風俗に触れ、その時代の名残とも云うべき象徴物を訪れてみたいと考えた。その職場の先輩も三春町内の歴史に触れるべく名勝旧跡を徒歩で巡った際に、そこを訪れたらしい。では、さっそく今日の散策を振り返りたい。

 参考ホームページ&ブログ

三春町滝桜ライブカメラ http://miharukoma.com/live/

弓町遊廓に関するブログはコチラ↓

http://otarimanjyu.com/blog/index.php?e=98

http://yuukakubu.com/?p=38

http://ameblo.jp/izumiken79/entry-11429709866.html

http://mikkagashi.cocolog-nifty.com/blog/2012/01/post-7faa.html

 「散策ドキュメント」

 9時3分自宅発。車載温度計6℃ 寒い。阿武隈川手前の道路で元同僚と同じ車とすれ違う。
 9時16分小和滝 駐車せず車窓で咲いていないことを知り、信号停車中写真。

 9時18分建福寺 檀家用駐車場を拝借写真 蕾固く一週間は咲きそうもない クラウン遅い。

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 9時23分 雪村庵 路駐の工事車両4台。竹林を切り倒していた。橋にブルーシートで工事中。赤い屋根の境内まで行けず。観光客はゼロ。寒いだけ。今回は隣の民家の犬に吠えられずに済んだ。

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 磐越東線沿いの県道に戻る。葬儀場前が道路工事で一方通行。道路を舗装するローリー車が走行。

 9時30分 通勤ルートだった三春駅前通過。担橋を越え、そのまま直進。町内の大町へ。「まほら」の前を素通りし、城山公園へ登る細い急坂へ。300m先の左カーブを曲がり、二之門に駐車スペースあり。

 9時35分舞鶴城の中腹駐車場着。
 先客の車1台。歩いて散策。一旦公園へ。無人。その後山頂にあった本丸跡に向かう。散策路(遊歩道)ではなく、急斜面をよじ登る。50m登ったところで息切れ、心臓バクバク。昨日の酒呑みの影響がモロ。頭痛やら胸が苦しくなり、唾を吐きながら、途中座り込みながらも何とか登る。日頃の運動不足が露呈。
 5分足らずで山頂付近へ。花見を控えて山頂付近の広場にお祭りの準備がしてあった。夜桜見物用の提灯が飾られていた。温泉の掘削機のようなものまであった。犬を散歩させている人と老夫婦がひと組来ていただけ。本丸跡、奥跡、大広間跡などが山頂の広場に点在。「三春戊辰の役」の慰霊碑や「田村三代慰霊碑」があって、パワースポットや心霊スポットのような印象。夕方や夜は不気味で容易には近づけない雰囲気を醸していた。悪ふざけはできない神聖な場所という印象。場を荒らさないことを誓いつつ手を合わせ、広場からの町内を見下ろし、景色を堪能。やっぱり息苦しい。寒々して殺風景。花は一切咲いておらず。帰りは散策路を下って駐車場へ戻る。

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 9時58分、来た道の急坂を下る。次はいよいよ今回のメーンイベントの「三春遊廓跡」を目指す。昨年まで月一で弁当代を払うために車で通っていた道だ。信号から右折して緩い坂道を行く。途中の肉屋の前から弓町方面へ左折。緩くて細い坂(庚申坂)を上って行くと、200m先で行き止まり。そこが目標地点。

 10時00分 三春遊廓跡着。
 そこがちょっとした空き地で、その左側に三軒連なるように朽ち果てた大きな屋敷。そこが遊廓だった建物だ。実際は四軒連なっていたが、手前の花屋楼は、民家っぽく、今も人が住んでいる形跡が。二番目が一番老化が激しく廃墟化した島屋楼、三番目が双葉楼、そして一番奥がこれまた人が住んでいる様子が窺える島村楼だった。50m程の長さにこの4つの歴史を感じさせる木造建物が軒を連ねていた。周辺には「弓場」の石碑が建つ。
 震災の影響か、玄関や軒先、屋根はボロボロ朽ち果て、人の侵入を拒むかのように見るからに廃墟と化していた。車を止めて、場を荒らさないように心に誓い、一礼して周辺を散策。霊が写り込みそうで怖いものがあったが、10枚以上写真を撮った。その前には最近建てたような古民家風の建物が・・・。霊気が漂う不気味な佇まいで、とても無断で中には踏み込めなかった。かつて客引きをしていた女郎の情念が、未だに呪縛している陰気臭い印象。祟られそうな雰囲気もなきにしもあらず。
 江戸時代から昭和初期まで、この地で男女の様々な人間模様が交錯していたことだろう。化粧や身なりを艶やかに整え、格子の窓越しに色仕掛けで客を誘い入れていたのだろうか。朽ち果てた外観からはあまりそうした色恋沙汰は感じられないが、怨念はひしひしと感じられた。意味ありげだし、何か冷やかし気分で訪れてはいけない神聖な場所のように思えた。中を覗くと建物は奥にまで続いていたが、今にも崩れ落ちそう。襖の屏風絵もまた霊魂が宿っていそうで恐怖を覚えた。周囲には人の気配が全くなく、妙に静閑。僅か10分程度しかその場にいなかったが、周辺があまりにもシンと静まり返り、物音一つせず、不気味早くその場をで立ち去りたい衝動に駆られ、妙に長く感じてしまった。

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 10時10分発。県道に合流する角の場所に、例の表札版が・・・。「人の道も行いも神は見ている」という意味深な戒めの言葉が・・・。これは何を意味するのか?

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 続いては、まだ蕾状態であることが見え見えの「滝桜」に向かう。坂を上がり、288号バイパスを横切り、そのまま直進。去年も走った道だ。木立や田舎の田園をアップダウンし、曲がりくねった一本道を南へ向かう。バイパスから2.5km先の右側に全国区の絶大な人気を誇る滝桜がある。満開見頃となる時期は、この道路は大渋滞と化すが、今日は対向車も滅多に来ない。一週間後は悲惨な状態となるはず。先駆けて訪問。

 10時25分 滝桜のすぐ脇の専用駐車場へ。8台スペースがあって、先客は2台の乗用車と緑のカワサキのバイク客。ここまで自宅から20.8km。見物を終えた一家とすれ違ったら、あとは無人状態。15枚は写真を撮ったと思う。近づいて、蕾の状態を確認。枝先も写真撮影。まだ蕾は堅く、おそらく10日後くらいが見頃か?滝桜の樹木の10m前に木組みの特設ステージのような舞台が築かれてあった。虎猫が横たわって寝ていた。逃げもしないデブ猫だった。この周辺は、滝桜を取り囲むかのように遊歩道が整備され、綺麗になった。昔はこんなんじゃなかったのに。見学自体は5分程度。帰り際、別の客が2台、遊歩道に乗り付けてきた。トイレの上部に設置されたカメラを見つけ、これがLIVEカメラかと納得しつつ写真を撮った。

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 10時32分、滝桜発。「さくら湖」のヘリを回り込むように、標識を頼って郡山方面へ向かう。交通量が少なく、ガラガラだったが、制限速度を遵守。そして「三春トンネル」に三春駒の壁画絵を見つけ、トンネルを出た先で車を止めて写真撮影。あとは長い下り坂を下り、更にアップダウンを繰り返した後、三春町内から来るセブンの交差点と合流し、その後100m先で三春ハーブガーデン方面へ右折。坂道のS字カーブを登る。途中、こじんまりしたレストラン「こばりどん」の前を通過。そして走り慣れた「緑ヶ丘団地」からの道路と合流。セブンから右折し、美術館通りへ。ここでようやくペースアップし、片っ端から先行車を交わす。ねずみ警戒。阿武隈川を渡り、信号回避のため、ベニマルの駐車場を横切り、ビバの駐車場も素通りして東部幹線へ。

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 10時40分半田屋着。駐車場ガラガラ。遅い朝食を摂る。ここまで自宅を出て、途中で山登りなどしたにもかかわらず1時間半ちょっと。三春は近い。昔、今は亡き祖父が田舎のことを「ざいに行く」と言っていたが、どういう意味なのか・・・。
 半田屋では、今日は入口にいちばん近いお買い得コーナーにあったおかずから生姜焼き&目玉焼き&スパ(180円)と野菜炒め、納豆、ミニめし、味噌汁で計540円。先客は3名だった。店員のおばさん無愛想。客商売に不向き。ベニマルもそうだが、最近の店は客に挨拶しない。社員教育がダメな証拠。10分ほどで平らげた。

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 10時53分発。今日は東口経由で吾妻陸橋を渡った。その時、ラジオのニュースで、北朝鮮が韓国とアメリカに対して、最上級の警戒態勢(第一号攻撃準備態勢)で核攻撃予告。金正恩はやはり若くて暴走する恐れがあったが、案の定。気違いの指導者で、国家とともに運命を共にし、自滅への道を突き進んでいる。消防署前から右折してR4へ。そしてさくら通りを上がり、「ツルハ」の駐車場へ。実家をゴール地点とした。

 11時2分、「ツルハ」駐車場着。ここまで自宅を出て36kmの道のりだった。

 おことわり

 今日の出来事である「三春散策」の記事を差込むことにしたため、「私の好きだった月9ドラマ」は翌日曜日の記事として再アップさせて頂きます。ご了承ください。

 

 

 

 

2013年3月27日 (水)

日本に不利なスポーツのルール改正

 このところ国際スポーツも日進月歩で、毎年のようにルール改正がなされている。残念なことに、五輪競技などは欧州発祥のせいか、日本人に不利益を与えるかのような改正ばかりが目に付く。そしてつい先日はまさかの五輪伝統競技であるレスリングが正式種目から外されるという前代未聞の珍事、いや差別まで起きてしまった。そこで今回は、とりわけ国際的なスポーツ種目の中で、ルール改正が甚だしく行われた競技をピックアップしてお送りしたい。

 柔道

 カラー柔道着、畳の採用
 技の禁止(反則)・・・脚取り、タックル禁止
 判定・・・効果廃止、一本の厳格化、抑え込み時間の短縮(15秒で技あり、20秒で一本) 
 試験導入・・・一人審判制、無制限の延長戦、旗判定廃止

 日本生まれのお家芸の柔道競技が、競技人口増加に伴い、欧米に有利なようにことごとくルール変更が行われ、元の形が大幅に損なわれる危惧を抱く。

 ジャンプ

 ウェアー、スキーの板の長さが小柄な日本人には不利な変更に。従来のルールではスーツと体とのサイズの差が6cm、つまり体より6cm大きなスーツが認められていたのを、今春、「スーツは、ボディーのあらゆる部分においてぴったり体にあったものでなければならない」と変更することが発表になっていた。それを、2cmまでは許容することに緩和したというのである。結局、新ルールでは従来より4cm、小さくすることになった。
 長さについては145%の板のルールと、減量のし過ぎ防止のためのルールが設けられた。身長174センチ以上の選手は従来(身長+80センチ以内)より長い板を使えるが、174センチ未満の選手は従来より短い板を使用しなければならない。
 飛型点の増加
 スタート地点の選択・・・W杯でもその場の風の状況を判断し、個々にスタート位置を上げたり下げたりを選択可能となった。また追い風と向かい風で得点調整が行われることとなった。

 ラグビー

 昔はトライ4点でゴールキック3点、現在はトライ5点、ゴールキック2点
 競技のスピィーディー化・・・ラックにおいて、ボールが一方のチームに確保された場合には、レフェリーの『ユーズ・イット』のコール後5秒以内にボールがプレーされなければならない。
 レフェリーの指示の明確化・・・ピンマイクを携帯し、観客にわかりやすいようにした。プレー中の選手にも反則を未然防止するために逐一選手に指示を出すようになった。

 バレーボール

 15点でサイドアウト制、現在は25点ラリーポイント制、しかもフルセットでの最終セットは15点先取制。
 タッチネット反則の緩和・・・2009年までは体のいかなる部分がネットに触れても反則となっていましたが、現在はネット上部の白い帯の部分以外で故意ではない場合は、触れても反則になりません。ちなみに現在ではボールを返すのに体のどの部分を使っても(足を使っても)OKですが、昔は腰から上と決められていました。ブロック時のワンタッチはカウントしない。足で蹴ってもヘディングしてもOK

 バドミントン・・・バレーと同様にラリーポイント制が導入された。

 野球

 毎年ルールがコロコロ変わることでお馴染みの種目。
 ストライクゾーン、審判4人制、ビデオ判定導入、投手の投球間隔時間、タイム時の制限時間、ボーク適用、ロージン使用、ボールとストライクの順番入れ替え「ワンボールツーストライク」など。

 ボクシング

 15R制が12R制に。リングで戦闘中に死亡する選手が後を絶たなくなり、限界を越えて試合をさせないようにした。

 陸上

 フライングでの失格・・・陸上短距離は、かつての「フライングを2度した選手は失格」から2003年に「2回目にフライングをした選手は失格」と変わった。そして昨年からは「一度のフライングで失格」へと変更された。

 バスケットボール・・・30秒ルール、2001年から国際バスケットボール連盟の規定によって24秒に変更。

 体操の得点判定・・・10点満点方式は2006年に廃止された。その理由は「みんなうまいから」なんだとか。高難易度の技が増え、またその技を駆使する選手が増えたことから、10点満点相当の評価を受ける選手が増加。差がつけづらいことからルール変更となった。 技の難易度に応じて加算する方式となった。

 フィギュアスケート

 採点法・・・こちらも各技に応じて得点が決まっている。現在は2003年シーズンから用いられているISUジャッジングシステムで行われている。

CoPでは各種目毎に技術点、構成点、ディダクションを算出し、それらを合計した総合得点によって勝敗が決する。なお総合得点が同点だった場合は、フリースケーティングまたはフリーダンスの得点が高い選手が上位に、それぞれの種目においては同点だった場合は構成点の高いほうが上位となり、構成点も同点の場合には同一順位とされる。

 国際スポーツの世界は、欧州に都合のいいように日本叩きと思われるようなルール改正が続いている。これは日本人のフェアプレー重視の精神論からは程遠いことが世界の常識であり、現実的に、オリンピックに関してはIOCの委員が日本人がいないために、数の論理で不利に扱われても異議を唱える機会がないことが原因である。やはり「役員として日本人を送り込まないと、自国に有利なようにルール改正されても文句が言えない」。これが国際基準のルールである。日本人には「スポーツは正々堂々、筋書きのないドラマであって、公正で平等」という意識が根強くあるが、それが通じない非常識が世界の常識と心得なければならない。それが嫌なら、正義を振りかざしてばかりではなく、あの手この手を使ってでも理事や役員、委員をその組織に送り込まなければならないということを認識しなければならない。

 日本が金メダルを獲得し、五輪種目から外された競技

 野球、ソフトボール、レスリング(除外候補)

 IOCはそんなに日本人に金メダルをとさせたくないのか・・・。妨害行為も甚だしい。日本人として強い憤りを感じる。

 記事作成:3月9日(土)~3月11日(月)

 

 

2013年3月26日 (火)

司会者の血液型

 「またこの話題か」と思われるかもしれない。もう飽きたという方は、聞き流し退室しても構わない。されど血液型で性格は決まらないと思う人がいる反面、優しい目で見てもらえれば結構興味深い結果が得られる。今日は、同じ血液型でも、向いている職業という観点から、血液型別に見たテレビの司会者の特徴について考察したい。以前も同様の記事を執筆したことがあるが、視聴率を稼ぐ番組で、司会者の果たす役目は大きいことから、血液型別の性質の違いから、どういう番組が向いているかを含め、考えてみたい。

 A型・・・型にはまりやすい。権威主義。プライドが高く、プレッシャーに弱い。オーソドックスでアドリブは苦手。台本通りにやるほうが気楽。真面目なのでバラエティ向きではない。ニュース報道の方が適任。とにかく早口で結論を急ごうとする。

 A型司会者・・・久米宏・みのもんた・萩本欽一・志村けん・堺正章・関口宏・森本毅郎・池上彰・中居正広・今田耕司・黒柳徹子・楠田枝里子・ダウンタウン浜田・小堺一機・さま~ず三村・愛川欽也・石橋貴明・安藤優子・福留功男・桂小金治・筑紫哲也(故人)・櫻井翔・ナイナイ矢部・草野仁・藤本義一(故人)・羽鳥慎一・浜村淳・有吉弘行

 B型・・・人の指図を受けるのが大嫌いで台本通りにやるのは苦手。固定概念に縛られるのを極端に嫌い、自分のペースでやりたいのでアドリブが得意。トーク上手。女性のウケがいい。クセがある。照れ屋を隠そうと露骨な表現。褒められると弱く腑抜けになる。皮肉や毒舌大好き。自分スタイルを貫く人を好む。

 B型司会者・・・徳光和夫・土居まさる(故人)・玉置宏(故人)・鈴木健二・宮根誠司・明石家さんま・三宅裕司・ナイナイ岡村・ダウンタウン松本・ユースケサンタマリア・大橋巨泉・逸見政孝(故人)・国谷裕子・小倉智昭・・田宮二郎(故人)・中山秀征・三波伸介(故人)・爆笑問題田中・辛坊治郎・田原総一朗・松平定知・森光子・高島彩・有田哲平

 O型・・・交友関係広い。人畜無害の対応。話題豊富。敵と味方を分け、ファミリーやグループを作りたがる。司会も砕けた感じで堅苦しさがない。

 O型司会者・・・タモリ・ビートたけし・笑福亭鶴瓶・所ジョージ・上田晋・伊東四朗・山口智充・和田アキ子・峰竜太・ホンジャマカ石塚・恵俊彰・東野幸治・さま~ず大竹・木梨憲武・児玉清(故人)・高島忠夫・桂三枝(現・文枝)・吉田照美・ロンブー淳・爆笑問題太田・東野幸治・加藤浩次・西尾由佳理・柳生博・三宅正治・山口達也・上沼恵美子・やしきたかじん・国分太一・桝太一・山岸舞彩

 AB型・・・合理主義者(ギブ&テイク派が多い)。堅苦しいいイメージ。古い風習や伝統を重んじる。疲れに弱い。

 AB型司会者・・・古舘伊知郎・内村光良・南原清隆・滝川クリステル・安住紳一郎・井上順・島田紳助・先代三遊亭円楽(故人)・芳村真理・鈴木杏樹

 私が現在・過去よく見る(見ていた)番組の司会者

 1位 関口宏・・・サンデーモーニング・知ってるつもり?クイズ100人に聞きました
 2位 久米宏・・・ザ・ベストテン・ぴったしカンカン・ニュースステーション
 3位 伊東四朗・・・ザ・チャンス・IQサプリ・伊東家の食卓
 4位 タモリ・・・笑っていいとも・ボキャブラ天国・タモリ倶楽部・ブラタモリ
 5位 所ジョージ・・・劇的ビフォーアフター・学校では教えてくれないそこんトコロ
 6位 ビートたけし・・・元気が出るテレビ・スーパージョッキー・平成教育委員会
 7位 ウッチャンナンチャン・・・ホントコ、ウリナリ・投稿特ホウ王国
 8位 萩本欽一・・・スター誕生・仮装大賞・欽どこ・週刊欽曜日・欽ドン!
 9位 志村けん・・・だいじょぶだぁ・バカ殿・ドリフの大爆笑・8時だヨ!全員集合
10位 愛川欽也・・・なるほどザワールド・アド街

 A型5人、O型4人、AB型2人、なぜかB型は上位には入っていない。たぶん、B型の司会者はバラエティやドキュメンタリー向きで女性にはウケがいいが、自己中心的で判断の基準が自分の尺度、更には相手の話はテキトーに受け流すなど真面目さは感じない印象がある。おそらく堅いニュース報道は不得手な筈だ。アナウンサーや司会者の血液型を調べてみると、それぞれの特性が如実に表れている。血液型の話題を毛嫌いしている方も、ぜひ参考にしてほしい。

 最後にあまり触れたくなかったが、好きではなかった(あえて嫌いとは書かない)司会者10位までは以下の通り。 

 1位 大橋巨泉 ・・・ 手前勝手。長寿番組が多かったが、上から目線すぎ。 
 2位 石橋貴明 ・・・ 言葉が汚く、ゲストをボロクソに扱う。好き嫌いが激しい。
 3位 宮根誠司 ・・・ 関西では抜群の人気だが、プライベートはハチャメチャ。
 4位 古舘伊知郎・・・ とにかくコメントがいかつく堅すぎる。難しそうに考えてしまう。
 5位 和田アキ子・・・ 自分の力を過信している。強がりで見掛け倒し的な印象。
 6位 小倉智昭 ・・・ 我を通そうとしたり、持論を譲らない。偉そうな印象。
 7位 田原総一朗・・・ ゲストより自分が一番多く喋ってしまう。人を立てることを知らない。
 8位 東野幸治 ・・・ ゲストに対しての口の訊き方を知らない。悪口が多く失礼。
 9位 辛坊治郎 ・・・ 毒舌で人をけなすことしか考えていない。自己中
10位 安藤優子 ・・・ 必要以上に騒ぎすぎ。震災時の報道は情けなかった。

 嫌いな司会者のうち、半数の5人がB型。傲慢で自己中な印象が否めないというのが理由。ゲストを立てることができず、人の意見を途中で遮って自分の考えをゴリ押しする傾向があって、自分が楽しんでしまう。明石家さんま的傾向。ファンの方には申し訳ないが、個人的な好き嫌いの見解なのでご容赦を!

 記事作成:3月3日(日)~3月6日(水)

 

2013年3月25日 (月)

非業の死を遂げた一族

 数年前、木村拓哉が主演しTBSで放送した「華麗なる一族」というドラマがあった。一流階級の一族に生まれた青年の複雑な人間関係やその葛藤を描き、最後は自ら命を断つまでに追い込まれた生涯を描いた秀作だった。まるでドラマのような出来事を地で行くように、数奇な運命に翻弄された挙句、非業の死を遂げた一族がいる。時代や国籍は異なるが、個々ではなく、その家族や親族までもが不可解にして不慮の死を遂げた例がある。本来は自殺という行為は、ショッキングでデリケートな問題だけに、故人の名誉やプライバシーを優先し、本来は避けたい事象ながら、それぞれが社会的影響力の強い「公人」的な存在だったことを加味し、また、Wikipediaを始め、他の一般のHPでも扱われている点を考慮し、今回この記事を掲載することにした。その点を予めご了承願います。では早速、個々ではなく、一族全体に降りかかった不幸的な出来事や事件・事故を紹介し、改めて歴史認識を深め、あわせて追悼の意を表したい。

 1. 豊臣秀次一族の不遇な処罰

 豊臣秀次は、日本の戦国武将、大名である。三好秀次、羽柴秀次とも。豊臣秀吉の甥(姉の子供)と言われ、一時期秀吉の後継者であった。小牧長久手の戦いでは徳川家康に看過されて池田恒興、森長可らを失い、九死に一生を得て逃亡するなどの失態を犯すものの、続く四国征伐では豊臣秀長と協力して長宗我部元親を攻め、これを降伏させる。九州征伐の頃から徐々に政務へも参入し続け、小田原征伐でも軍功を挙げその後の奥州仕置きを秀吉から任された。1591年には秀吉の実子鶴松が幼くして死亡したため、秀吉の後継者として関白に就任、やがて秀吉が唐入り(朝鮮出兵)に専念すると秀次は権力のほとんどを秀吉から移譲され、事実上日本のTOPに近い存在であった。
 1593年、豊臣秀吉に実子の秀頼が生まれ秀次の命運に影を落とすことになる。秀吉から権力のほとんどを移譲されたが、依然として太閤(前関白)の秀吉は健在であり、影響力も大きかった。一方秀次は奥州仕置きの際に伊達政宗、最上義光ら東国大名を取り込み、もともと秀次に近しい存在であった中村一氏、山内一豊といった与力大名も多くいた。
このような状況の中二元政治ともいえる権力構造も災いし豊臣秀吉と豊臣秀次はやがて対立を深める。両者の対立は権力の強さもあってやもすれば応仁の乱の再来ともなりかねない状況であったが、1595年、ついに進退窮まったのか、豊臣秀吉が謀叛の理由により豊臣秀次を謹慎させ実権を取り上げた。やがて秀次の切腹が秀吉より通知され、秀次は謹慎先の高野山で切腹した。享年28歳。

 死後、秀次の一族・妻妾・息子・娘・家臣の多くが粛清され、秀次の首は秀吉によって京都の三条河原に曝された。実際には、秀次の首が据えられた塚の前で、遺児(4男1女)及び側室・侍女ら併せて39名が約5時間かけて処刑された。

 2. 西郷頼母一族の集団自決の悲劇

 いずれ「八重の桜」でもその壮絶な戊辰戦争の悲劇を取り上げるであろうが、幕末の世にあって、会津藩主松平容保が京都守護職の任を引き受けてから会津の運命が狂う。やがて倒幕派との戦に巻き込まれて行く。勅許を手中にした薩長連合を中心とした西軍の勢いは凄まじく、会津は孤立無援状態となり、多大な犠牲を払った末に、負けるはずのない戦に敗れたのだった。その際、筆頭国家老であった西郷頼母邸では、劣勢を悟り、敵に捕らえられ、恥ずかしめを受ける前にと妻千恵子を始め、親類を含め、総勢21名の最後一族の集団自決があった。幼いわが娘にトドメを刺し、自らも喉を自刃し、果てた。

 感涙のシーンは13分29秒からです。土佐藩士中島信行にトドメを懇願するシーンは涙なくしては見られない。この時代、会津藩士の死を覚悟しての潔さは武士の家柄に生まれた者の心得として当然の行いだった。これが会津藩の生き様である。「なよたけの 風に任する身ながらも たゆまぬ節はありとこそきけ」。

 3. ケネディ家の呪い

 ケネディ家の人々を襲う一連の悲劇を指してしばしば使われる言葉である。一族の数人は普通の死に方をしておらず、そのうち最も有名なのはアメリカの現職大統領だったジョンと議員として大統領選出馬を予定していたロバートで、二人はそれぞれ1963年と1968年に銃で暗殺された。ジョンJrは1999年に妻と義姉と共に飛行機事故で死亡した。ではその悪魔に見出されたかのような不幸な年表を見てみたい。以下「Wikipedia」より。

  • 1941年 – ローズマリー・ケネディは知的障害だと考えられていた。彼女は鬱病のような精神疾患に罹っていた。彼女の暴力性と気分障害が悪化したため、父のジョセフは秘密裏に、ロボトミー手術を彼女に受けさせた。この手術は彼女の認知能力をさらに損い、結果として、彼女は2005年に没するまで施設で過ごすことになった。
  • 1944年8月12日 – ジョセフ・P・ケネディ・ジュニアは第二次大戦中、イギリス東部で危険な飛行任務に従事している最中、飛行機の空中爆発で戦死した。
  • 1948年5月13日 – ハーティントン侯爵夫人キャスリーン・キャヴェンディッシュは飛行機事故によって同伴者の第8代フィッツウィリアム伯爵ピーター・ウェントワース=フィッツウィリアム と共にフランスで死亡した。
  • 1956年8月23日 – ジャクリーン・ブーヴィエ・ケネディは娘アラベラを死産した。(赤ん坊に名前は無く、アーリントン国立墓地にて両親の隣に「娘」と記され葬られた。その後の調べで、ケネディ夫妻は彼女にアラベラと名付けるつもりだったことが分かった。)
  • 1963年8月9日 – パトリック・ブーヴィエ・ケネディ は6週間ほど早産で生まれ、2日後に死亡した。
  • 1963年11月22日 – アメリカ合衆国大統領ジョン・F・ケネディはテキサス州ダラスでリー・ハーヴェイ・オズワルドに暗殺された。
  • 1964年6月19日 – アメリカ合衆国上院議員エドワード・ケネディは飛行機事故に遭い、補佐官とパイロットが死亡した。エドワードは同僚の上院議員バーチ・エヴァンズ・バイ2世によって機の残骸から引き出され、負傷した背中、気胸、肋骨骨折、内出血を治療するため数週間入院した。
  • 1968年6月6日 – ロバート・ケネディはカリフォルニアでの民主党の大統領予備選挙に勝利した直後、ロサンゼルスでサーハン・ベシャラ・サーハンに暗殺された。
  • 1969年7月18日 – エドワード・ケネディの運転する自動車がマーサズ・ヴィニヤードに架かる橋から転落し、同乗していたマリー・ジョー・コペクニが溺死するというチャパキディック事件が起こった。7月25日に彼はテレビで「事故の夜、何らかの恐ろしい呪いが本当に全てのケネディ一族に降りかかるのか、疑問に思っていた」と述べた。
  • 1973年8月13日 – ジョセフ・パトリック・ケネディ2世の運転する自動車が事故に遭い、同乗者の一人パム・ケリーは麻痺の後遺症が残った。
  • 1973年11月17日 – エドワード・ケネディ・ジュニアは12歳にして骨腫瘍のため右足の一部を切除された。
  • 1984年4月25日 – デイヴィッド・ケネディはフロリダ州パームビーチのホテルの一室で、ペチジンとコカインの過剰摂取により死亡した。
  • 1991年 – ウィリアム・ケネディ・スミスは強姦容疑をかけられ、全ての容疑について無罪となった。
  • 1997年12月31日 – マイケル・ルモアーヌ・ケネディはコロラド州アスペンにてスキー事故で死亡した。
  • 1999年7月16日 – ジョン・F・ケネディ・ジュニアは飛行機事故で、妻のキャロリン、義姉と共に死亡した。自身で操縦していた軽飛行機 Piper PA-32R が誤操縦によってマーサズ・ヴィニヤード沖の大西洋上に墜落したのである。
  •  これだけの不幸が一族や親族に起きたのは、どう考えても単なる偶然とは言い難い。これがケネディ家に降りかかった、まさに「呪い」である。

     4. 政治家・中川父子の不可解な死

     親子で自民党の政治家だった中川一郎と中川昭一もまた、不可解な死を遂げた。両者ともに、一度は総理大臣を狙えるまでに実力を付け、次代のニューリーダーと期待された矢先に自殺や不慮の死によってその幕引きを見ている。

     中川一郎 (中川一郎・怪死事件より一部引用)

     昭和58年1月9日早朝、自民党の大物政治家・中川一郎(当時57歳)が宿泊先の札幌パークホテルの浴室で死んでいるのを夫人の貞子さんが発見した。当初、死因は「急性心筋梗塞」と発表された。ところが、2日後の11日になって、死因は「首吊り自殺」であったことが公表された。中川の首吊り自殺は不審な点が多く、いまでも「他殺か自殺」か論議が分かれている。まず、自殺方法に疑問を呈する声がある。中川は、浴槽に座ったまま浴衣の紐で自分の首とタオル台の留め金を結んで自殺していた。警察の検証では確かにこの方法でも「死ぬことは可能」であるようだ。だが、この方法は《最後の瞬間まで自身の強い意志で死に向かっていかなければならない》。このようなことが人間として可能なのだろうか、という点が挙げられる。
     さらに、死亡してから僅か2日後に荼毘に付されており遺体の検証も十分でなかったと指摘する声もあった。一般に、大物政治家であれば遺族は党との相談で葬儀をする事情から死亡してから数日間はそのままの状態で置かれる場合が多い。中川の場合、あまりにも荼毘に付すのが早いと思われた。
     また、中川は遺書らしいものは何も残していなかった点である。これも自殺する場合、通常では考えられないことであり、よって他殺説が今でも根強く指摘されている。

     中川昭一 

     1983年1月、自由民主党衆議院議員在職中だった父・一郎が急死したことを受け、銀行を退職し、同年12月に行われた第37回衆議院議員総選挙に、自由民主党の公認を得て北海道第5区から立候補した。弔い選挙となったこの選挙には、父・中川一郎の側近として秘書を務めていた鈴木宗男も立候補。2人による後継争いは、マスコミから「骨肉の争い」と書き立てられた。この選挙で中川はトップ当選した。その後、農林水産大臣で初入閣し、経済産業大臣、政調会長、財務大臣兼財務金融大臣などの要職を歴任。
     しかし、大臣在職の2008年2月、中川はG7の財務大臣・中央銀行総裁会議出席のためにイタリア・ローマを訪れたが、この会議の後の記者会見における、呂律が回っていない、酩酊しているかのような姿が注目された。この様子は各メディアで大きく取り上げられ、猛批判を浴びることとなった中川は釈明を行ったが、3日後には大臣職を辞すこととなった。

     大臣辞職から約半年後の2009年(平成21年)8月、第45回衆議院議員総選挙が行われ、中川は現職選挙区であった北海道第11区から再選を目指して立候補した。中川は謝罪回りに奔走するとともに、断酒宣言も行ったが落選し失職した。
     翌月中川は、自身のウェブサイトで、「今後新たに決意を持って進んでいきます。発信していきます。『日本が危ない』から」と記したものの、健康は優れず、腰痛や風邪に悩まされるとともに、不眠症のため睡眠薬を服用する状況であったという。同年10月4日、東京都世田谷区の私邸2階の寝室で倒れているところを、郁子夫人によって発見された。東京消防庁による救急搬送先で死亡が確認されたが、実際の死亡日時は発見前日の10月3日と推測されている。死因について、その後遺族は弔問客に急性心筋梗塞と説明していたとされるが、実際の死因の特定は行政解剖の結果待ちとなった。つまり、検死だけで済まされず司法解剖が行われたことを考えても、通常の死に方ではないことが窺える。

    急死を知らせるニュース報道 https://www.youtube.com/watch?v=Dcv4ip4EkVM

     辛坊治郎氏の許しがたい暴言 http://www.youtube.com/watch?v=WguaLvFcpS0

     5. 沖田浩之一族の不可解な死

     沖田浩之といえば、竹の子族リーダーからスカウトされ、芸能界に転身。キツネ目が特徴のアイドル歌手として人気があったし、俳優としても様々な映画やドラマに出演していた。しかし、家族の残した借金や俳優としての素質のなさに思い悩み、更に実父の様に慕っていた師匠、津川雅彦から演技に関して強く叱責され、自ら命を絶ったのだった。彼はその近親者が相次いで自殺してこの世を去ったという不可解な連鎖があることが気になる。
     父親(享年71)は不動産、ゴルフ会員権などを扱う会社を経営していたが、経営をまかせた長男(沖田の兄)の乱脈ぶりとバブル崩壊で多額の債務を抱え平成8年9月、「自分の生命保険で、会社の損失を補填してほしい」と首を吊ったという。
     翌年12月には、母親(享年62)ががんで死去した際は、沖田浩之のショックは大きかったようだ。両親の保険金は会社の負債を埋めるため、すべて長男に渡したが、長男は金を会社に入れず、責める沖田に、長男は「俺が死んだら保険金が入るから、死ねばいいんだろ」と反発。
     弁護士だった祖父も、担当事件絡みで正当性を主張するために自殺しており、兄だけは自殺させたくない、と沖田は思っていたという。しかし、1年後に沖田自身が首を吊って自殺。長男もその後、首を吊って亡くなった(享年43)。

     自殺の真相はいまだ不明だが、祖父・父・兄・本人と一家3代4人が相次いで自殺している。

    http://www.youtube.com/watch?v=YItmM2KjZ7U

     さて、今回の記事をどう思ったでしょうか。偶然とか運命では割り切れないような、不遇な最期を遂げている一族だと思う。あまりにも悲しい結末だ。単細胞な私は、死ぬ気になれば何でもできるだろうと思うが、実際は本人にしかわからない苦悩やどうにもならない葛藤があって、最終的に死を選んだと思う以外にない。彼らが今も存命ならば、きっと素晴らしい国を築き、あるいは名優として君臨し、社会に与えた影響は大きかったに違いない。特にジョン・F・ケネディや中川昭一はさぞかし無念だったに違いない。政治に身を投じ、いろいろな柵の中で生きたために、思いもよらぬ運命に引きずり込まれた感が否めない。惜しい人物を我々は失ったのだ。彼らに変わる傑出した人物は現れないと思うが、今はこの記事を追悼記として、彼らの成仏とあの世でのご冥福を祈ることしかできない。

     記事作成:3月13日(水)

    2013年3月23日 (土)

    映画・テレビドラマのロケ地巡りしたい場所

     退職したらおそらく時間を持て余すことが多くなる。「毎日サンデー」の中で、何も目的もなく自堕落して過ごすのだけは回避したい。そこでぜひやりたいことがある。タイトルに示したように、有り余る時間を有効活用したいので、ぜひ旅行に出たい。しかしそれは物見遊山では時間の浪費に繋がるので、毎回目的をもって臨みたいそこで私が旅行のテーマの一端として考えているのは、映画やテレビドラマで取り上げた場所を訪れたいということだ。つまり、ミーハーで俗物根性と言われても仕方ないが、ロケ現場を見て歩くということだ。これまでに、「北の国から」の富良野界隈や「網走番外地」、「駅STATION」、「昨日、悲別で」は訪れたことがある。そして一昨年はNHK連続テレビ小説「てっぱん」の舞台となった尾道を訪問した。往復2,000kmを2泊3日で走破したのだった。日本人として生まれたからには、何としても実現したい夢でもある。では、早速私が訪れたいスポットを見てみたい。

     「国内編」

     1位 テレビドラマ「同窓会へようこそ~遅すぎた夏の帰郷~」 倉敷

      森田酒造・倉敷駅ホーム・美観地区・観龍寺石段・はしまや・下津井港ほか

    http://etsushi.net/uozaalbum/doso.html

    http://www.f3.dion.ne.jp/~arision/page-dousoukaiheyoukoso-1.htm

     2位 江戸川乱歩「美女シリーズ」 伊豆半島周辺

     ①伊豆半島周辺(城ヶ崎門脇吊橋・浄蓮の滝・河津七滝・ループ橋)

      「白い人魚の美女」「黄金仮面シリーズ」など

     ②伊東市周辺(駅・錦ヶ浦)「魅せられた美女」

     ③五重塔(富士北市吉野→架空の都市のため、所在不明)「五重塔の美女」

     ④三浦半島(油壺ほか)「エマニエルの美女」「大時計の美女」

     3位 テレビドラマ「白線流し」 松本市・安曇野市

     あがたの森公園・開智学校・七倉医院・松本駅・市立図書館・田川鉄橋・広澤寺ほか

    http://loca.ash.jp/show/1996/d199601_hakusen.htm

    http://www.bekkoame.ne.jp/~masa-ki/place.html

    http://www.pension-raccoon.com/contents/drama/hakusen_nagashi/hakusen_index.html

     4位 テレビドラマ「飛び出せ青春」「われら青春」

      藤沢市周辺 ラグビーボールを投げ合った四方津駅のプラットホーム 上野原駅 太陽学園(日大明誠高校) 下田海岸 爪木崎

    http://homepage1.nifty.com/dorama/untitled2.htm

    http://www.geocities.co.jp/Hollywood-Theater/8207/wareraseishun.htm

     5位 映画「幸福の黄色いハンカチ」 

     北海道(豊沼・歌志内・富良野・狩勝峠・新得・帯広・音更・陸別町桜井牧場・足寄・阿寒湖・美幌峠・弟子屈・鶴居村・藻琴湖・網走・札幌夕張日吉&本町・高松・栗山町)

    http://www.ac.auone-net.jp/~takizawa/hokkaido2011.html

     6位 テレビドラマ「ゆうひが丘の総理大臣」「あさひが丘の大統領」

     拓殖大学八王子校舎・多摩美術大学・南浅川橋・キッチンかおる・

    http://www.geocities.co.jp/Hollywood-Theater/8207/yuhigaoka.htm

    http://www.geocities.co.jp/Hollywood-Theater/8207/asahigaoka.htm

    http://loca.ash.jp/show/1994/d197810_yuuhi.htm

    http://www.youtube.com/watch?v=-oWixya0t7c

    http://ameblo.jp/akotirin/theme-10030876356.html

     7位 映画「波の数だけ抱きしめて」 

      湘南・藤沢周辺・江ノ島・保土ヶ谷カトリック教会・博報堂・chp・九十九里浜一宮

    http://gensun.org/wid/1536575

     8位 テレビドラマ「俺たちの旅」「俺たちの朝」

        鎌倉周辺(極楽寺駅・北鎌倉)・江ノ島

    http://www.geocities.co.jp/Hollywood-Theater/8207/oretatinotabi.htm

    http://www.geocities.co.jp/Hollywood-Theater/8207/oretatinoasa.htm

     9位 映画「転校生」 

     尾道市(御袖天満宮・斎藤一夫の家・一美の家・長江小学校坂道・福善寺・福山城・千光寺・尾道駅・こもん・跨線橋)

    http://gure-tinu-hitori.sakura.ne.jp/tencousei.htm

    http://www.youtube.com/watch?v=GThRlh8o-oo

    10位 「陽あたり良好!」 

      田園調布周辺・東急東横線沿線(ひだまり荘)・東京工芸大学・今井浜

    http://homepage1.nifty.com/dorama/hiatari.htm

     「海外編」

     1位 台湾映画「言えない秘密」

         淡水(淡江中学・防波堤・自転車の二人乗り遊歩道・CDショップほか)

    http://www.his-j.com/tyo/tour/4tpe/ienai.htm

    http://jayirohon.exblog.jp/17041006/

     2位 台湾映画「海角七号~君想う、国境の南~」

        恒春界隈(アガの部屋・コンサート会場の砂浜・リゾートホテルほか) 

    http://vanfansfun.exblog.jp/9763853/

    http://mainichi.jp/feature/news/20120323org00m200010000c.html

    http://www.youtube.com/watch?v=lloEdzxoz68

    http://www.youtube.com/watch?v=gTuCHVbp1IE

     3位 台湾映画「台北に舞う雪」

        平渓線菁桐駅周辺・天燈上げ・朱橋・老街・お祭り&歌謡ショー会場

    http://www.cinemajournal.net/special/2010/pingxi/index.html

    http://ameblo.jp/piromeria/entry-11051798011.html

    http://kozancha.exblog.jp/13594931/

    http://www.cazoo.jp/blog/archives/2011/03/post_2056.html

    http://taiwanrokechi.jugem.jp/?eid=24

     4位 韓流ドラマ「冬のソナタ」

     南怡島&春川周辺(散歩道・春川高校・明洞ツリー・マルシアン事務所・ポラリス事務所)

     (中央高校・プラザホテル・天主教厚岩洞教会・ユジンの家・チュンサンの家・ユジンのアパート・インチョン国際空港・龍平リゾート・湫岩海水浴場・外島ほか)

    http://www.seoulnavi.com/special/5003305

    http://www.seoulnavi.com/special/5003357

    http://www.alan1.net/jp/asia/korea/sg/2645/ag/12935/

    http://www.bea.hi-ho.ne.jp/piyuchan/fuyusonaroke.html

    http://huyunosonata.com/kankou/kankokutizu.htm

     5位 「ローマの休日」
     
       トレビの泉・真実の口・サンピエトロ広場・バルバリー宮・共和国広場ほか

    http://www.geocities.jp/romanokotaro/newpage1.html

    http://www.tabi2ikitai.com/italy/j0101a/a01001.html

    http://www.arukikata.co.jp/webmag/2006/0608/sp/060800sp_03_01.html

     未だに訪れていない日本の名所は多いが、こと外国となるとどこでも目新しい。エジプト、ペルー、イタリア、スペイン、フランス、イギリス、ドイツなどいろんな場所を訪ね歩きたい。その布石として10年以上ぶりに海外に出向き、初のアジア進出を果たした。治安が悪い場所もあるが、危険を回避しつつ、主だった場所を訪れて様々な文化や風習、民族と触れ合ってみたい。特にその魅力は、私の大好きな映画やテレビドラマのロケ地に集約されている。単なる物見遊山ではなく、毎回何らかの目的意識をもって世界巡りをすれば、記憶にも残るし、想い出にもなろう。老後も含めてそういう人生の楽しみを謳歌していきたい。

     記事作成:2月25日(月)~

    2013年3月20日 (水)

    被災者必見!普天間かおりさんからのメッセージ

     2万人近い死者・行方不明者を出した東日本大震災。あれから2年以上の月日が流れた。今更ながら、地震や津波の恐ろしさを実感するとともに、ひとたび事故が起きれば取り返しのつかない大災害をもたらす原発事故の恐怖を思い知らされている。私が釣りに出会うきっかけを作ってくれた請戸漁港は、私が生きているうちに実釣することは叶わないだろう。姉が住んでいた、大好きだった浪江の町にさえ訪れる願いは何十年先になるかしれない。考えるだけで、落ち込んでしまう。憎き原発、そして誠意ある対応が見られない東電、そして除染がままならない自治体の遅い対応に苦虫を潰す思いの日々をすっと送ってきた福島県民。人生が変わってしまった印象だ。

     そんな悲哀に暮れる県民をたくさんの方々が励ましてくれた。県民では「西田敏行」や「箭内道彦」、「フラガール」、「エアリアル」などもそうだが、今回紹介したいのはラジオ福島ではすっかり有名だが、沖縄県出身の歌手・普天間かおりさんだ。彼女は同局のラジオ番組のレギュラーを担当し、時々来福し、被災者のリスナーを激励してくれている。彼女の歌声は、被災者の魂を揺さぶる感がある。あまり演歌調の曲に興味がない私でも、彼女の歌は不思議と琴線に触れる。損得なしで感動する。まずは彼女をご存知ない方のために彼女のプロフを掲載したい。

     ~普天間かおり~

     1973年生まれの沖縄県中頭郡中城村出身の歌手、シンガーソングライター。琉球王朝の流れを汲む家系に生まれる。3歳のころから歌い始め、沖縄の芸能界で知られた存在となる。1991年「本間かおり」としてキングレコードよりデビュー、アニメソングを中心に歌手活動を始める。その後1997年に芸名を本名に戻し、シンガーソングライターとしてインディーズでライブを中心に活動。1999年にテイチクからCDをリリース、現在に至る。
     故郷沖縄のことを想った、スローな曲を数多く発表。またラジオ番組のパーソナリティも多数こなしている。ポッドキャスティング「普天間かおりの真南風便り」をラジオ福島にて配信中。福島県裏磐梯観光大使。

     それでは一度は耳にしたことがある名曲を4曲どうぞ!

     「守りたいもの」

    http://www.youtube.com/watch?v=MdYZgxPRYek

    気がつけば いつでもそばにあなたがいて
    ひとりじゃないよって やさしく包んでくれた
    つられて笑うようなありふれた時を
    あとどれくらい あなたと過ごせるのだろうか

    悲しみが絶えないこの世界だけど
    確かな安らぎを ここに見つけた

    守りたいものがあるよ 愛するひとがいるよ
    私をもっと強くする 見えない力になる
    守るべきものがあるよ 愛すべきひとがいるよ
    ふるえる心(いのち) ぎゅっと抱きしめる
    しっかり生きなさいと

     この歌は、福島県では「人形の京月」のCMソングとしてサビの部分が使われていることでお馴染み。

     「僕の誇り」

     福島県民なら涙なくしては聞けない名曲です。合唱にしたことで感動は倍加します。失った故郷を思う気持ち、故郷を愛する意味、郷愁を誘う歌詞、すべてが感激します。

    おじいちゃんとおばあちゃんが生まれたところ
    お父さんとお母さんが出逢ったところ
    そして僕が泣いて笑って 過ごすこの場所は
    世界でひとつだけの大切なふるさと
    春の朝は鳥と歌い
    夏の月を映す水鏡
    君に見せたい景色があるんだ
    ガイドブックには載らなくたって
    数え切れない思い出たちも

    <a href="http://www.3131.info/%E6%99%AE%E5%A4%A9%E9%96%93%E3%81%8B%E3%81%8A%E3%82%8A/%E5%83%95%E3%81%AE%E8%AA%87%E3%82%8A%28%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%96%E3%83%BB%E3%83%90%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%B3%29/">僕の誇り(ライブ・バージョン) 歌詞<a> - <a href="http://www.3131.info">J-POP 歌詞<a>

    僕の誇り 僕のふるさと

    いつか僕が大人になって どこか遠い街へと
    旅立って行くとしても 決して忘れない
    秋の夕陽 色付く森
    冬に光る 雪の山並みを
    君に見せたい景色があるんだ
    ギネスブックには載らなくたって
    もしも心が折れそうなとき
    おかえりなさいと迎えてくれるだろう
    僕の誇り 僕のふるさと

     「Smile Again」

    三月 春の日 穏やかな午後でした
    街も木々も人も みんな変わり果てました
    すべてを失くした人の前に 言葉は役に立たなくて
    それでも贈り続けたい あなたを励まし続けたい
    負けないで 負けないで 生きてゆくことあきらめないで
    がんばって がんばって たくさんの愛が見守っているよ
    もう一度あなたが笑える日まで

    大切な人を亡くした哀しみ
    怖かったよね 不安だよね 抱きしめてあげたい
    この世に神様はいるのかな 人生って一体何だろう?
    それでも信じ続けたい あなたには立ち上がる強さがある
    負けないで 負けないで 生きていてくれて本当に良かった

    がんばろう がんばろう たくさんの愛とつながっているよ
    もう一度あなたが笑える日まで

    右手は私のために 左手はあなたのために
    この手を差し出すから 誰も見捨てはしない
    いつかきっと必ず 道は開けると信じて
    どうかどうかどうか 生きて抜いて……

    負けないで 負けないで 生きてゆくことあきらめないで
    がんばって がんばって たくさんの愛が見守っているよ
    負けないで 負けないで 生きていてくれて本当に良かった
    がんばろう 一緒にがんばろう たくさんの愛とつながっているよ
    もう一度あなたが笑える日まで

     会場の観衆のすすり泣く声が聞こえます。震災前後で生活が一変した私たちに寄り添い、ずっと励ましている、そんな彼女に心から感謝したい。魂の叫びをここまで理解してくれる彼女は凄いとしか言い様がない。この歌を聴いた方の感想は以下の通りです。

     普天間さんの歌声と共に歌詞がとても心に響きます 何故か涙が溢れてきて…
     歌詞にも有りますが被災者の方々、沢山の愛が見守っています
     決して諦めないで下さいね
     歌が出るまでにはなかなか時間が必要でしょうが
     辛いときに自然にこの歌が出て来て欲しい気持ちです
     みなさん、頑張り過ぎないで下さい
     辛いときには周りの人に話して気持ちを楽にして下さい。 by 福島県民

     テレビを見ているとあまりにも変わってしまった町、あかるい内容­にならない報道
     気持ちがイライラするのでrfcラジオを聞いています。ところど­ころ壊れた自宅に住みなん
     とか毎日仕事をしています。Smile Again見ました。涙がとまりません なぜだかわかりま
     せんが涙がとまりません。 by 福島県郡山市在住

     「桜舞う町で」 富岡町復興応援ソング

    春は夜の森 花爛漫に 桜のトンネルを抜けて
    夏燃えさかる宵の火祭り 掛け声に高鳴る鼓動
    桜舞う町で あなたに会いたい
    潮騒聞きながら やさしい夢を見たい 
    遠く離れても 季節は巡れども
    私のふるさとは 今も胸に鮮やかに


    浜通りから昇る朝陽に 輝く生命の息吹
    秋の紅葉を染める夕焼け 白鳥が冬を運んだ
    桜舞う町で あなたに会いたい
    星の降る夜に そっと願いかけて
    小さな蕾よ 芳しく咲き誇れ 
    ひたむきに生きる美しさを忘れない


    桜舞う町で あなたに会いたい
    潮騒聞きながら やさしい夢を見たい
    広がる青空 ふるさとへ続いてる
    一歩 また一歩 力強く 前を向いて


    愛するふるさと
    愛する福島
    ずっと この胸に・・・・・

     彼女は演歌を曲調としたシンガーソングライターだが、命をうたう歌手と言えるかもしれない。飾り気はないが、人間の本質を悟り、根っこにある人として忘れてはならない大事なものを詩に綴り、心を揺さぶる。そんな日本人が忘れかけていたものを思い出させてくれる、そんな心の歌手だと思う。

     2013年春、当地・福島県は今もなお環境被害に苦しんでいる。しかも四重苦である。「原発放射線」だけでなく、「花粉」、「黄砂」、そして「PM2.5」との闘いを強いられているからやるせない。この2年で環境は極致とも言える最悪極まりない状況だ。ただでさえ、暗いムードなのに、輪をかけてこれでは滅入っていまう。しかし、明るい話題もある。まもなく始まるセンバツ高校野球で、我が福島県は史上初の2校同時出場を果たした。明るく前向きに生きていこうという勇気を与えてくれるためにも、代表校には頑張って欲しい。たとえ負けても懸命にプレーする姿にどれだけ元気づけられるかしれない。夢や希望、そして生きる気力を分け与えてほしい。それを願って本日の記事を結びとしたい。 

     記事作成:3月18日(月)

     追 記

     この日(3月18日)には原因不明の停電に見舞われた原発事故現場。東電は相も変わらず、冷温停止としていた原子炉格納容機内の水温が再び上昇に転じ、危うい状況に置かれたにもかかわらず、停電の事実を3時間以上も経ってから県に報告。県民を呆れ返らせた。どこまで東電は隠蔽体質を貫き、県民を馬鹿にし続けるのか・・・。話にならない。

     「朝日デジタル」に掲載されていた、停電が復旧しない東電の対応に関しての記事を引用したい。まさに福島県民の怒りの気持ちを代弁している。

     安全だと言って事故を起こし、​事故原因も分からず、周辺には誰も住めないまま「収束した」と言い。​事故から2年経っても、未だ完全に制御出来ない。電気の会社で起きた停電と言うトラブルの原因すら分からない。​原発関係者は、明日まで今の状態が続けば「少し」憂慮が必要と、呑気な事を言っていたぞ。

    ​ それでも、現政権は推進・新設をすると言い。​「原発ゼロ」の言葉はこの事故当事国、日本から消滅した!​国民の多くは事故当時の恐怖や心配を忘れ、報道は安全神話の真っただ中の様に、他のニュースで覆い隠す。

    ​ 思い出せ、2年前の事故当時!​思い出せ事故から爆発までの東電の対応・言動。
    ​停電が続けばどうなるか?思い出せ!危険な核を人は制御なんて出来なぃと言う事を。
    ​恐らくは今回の停電も、何とか復旧するのかもしれない。​でも爆発前、皆がそう思っていたのではないか。

     今回大丈夫でも、今後どんなトラブルが発生しても大丈夫と信じるのか?
    ​事故を起こして2年、未だ何処の原発も安全だと信じるのか?

    2013年3月18日 (月)

    日本人が巻き込まれた海外の事件・事故

     最近、日本人の企業戦士や海外旅行客が異国の地で事件事故に巻き込まれて命を落とすケースが数多く報道されている。やり場のない怒りとともに強い憤りを覚える。当の本人もまさかそこで犠牲になるために生きてきたのかと思えば、それが運命と呼ぶには割り切れないし、この世に相当未練を残し、さぞかし無念だったことだろう。それはどんなに予防線を張ろうとも、絶対に避けきれない事件や事故であり、あまりにも不遇すぎる出来事と言わざるを得ない。今日は、はからも海外で事件事故の巻き添えとなって死亡した出来事を取り上げたい。ただし、遺族や関係者の心情に配慮し、実名は差し控えたい。

     1 大韓航空機撃墜事件

     1983年9月1日に「大韓航空007便」のボーイング747が、ソビエト連邦の領空を侵犯(航路逸脱) したために、ソ連防空軍の戦闘機により撃墜された事件。乗員乗客合わせて269人全員が死亡した。なお、大韓航空はこの5年前にも航法ミスでソ連領空(コラ半島上空)を侵犯し、ソ連軍機に迎撃されている(大韓航空機銃撃事件)。乗員乗客の国籍は、韓国人が最多で105人、アメリカ人が62人、次いで日本人が28人(最年少3歳男児)、台湾人23人、そしてその他の国籍が12カ国で合わせて51人。なお日本人乗客の多くは、日本航空やパンアメリカン航空の直行便に比べて航空券が安価な大韓航空を使い、ソウルを経由して日本へ戻る観光客や留学生であった。

     領空侵犯の原因だが、ソ連政府によるブラックボックスの隠匿などにより、事件についての多くの疑問点が、冷戦が終結した1990年代まで解明されないままであった。その内容は「航路逸脱の原因は、乱気流もしくは積乱雲回避のため一時的にヘディングモード(方位角モード。方位のみを指定する自動操縦)へ切り替えたままINSモード(外部情報に頼らず論理的な通過点を自機の受ける加速度等から推測してたどって行く航法)に戻し忘れたか、もしくはINSモードに切り替えたが、所定の航路から7.5マイル離れていたために作動しなかった」というものである。どちらが正しいかについては証言できる者が生存しておらず、もはや真相究明が不可能なために両論併記という形となった。

    http://www.youtube.com/watch?v=JYMu1MkU5j0

     2 ルクソール銃撃事件

     ルクソール事件は、エジプトの著名な観光地であるルクソールにおいて、1997年にイスラム原理主義過激派の「イスラム集団」が外国人観光客に対し行った無差別殺傷テロである。また別名をエジプト外国人観光客襲撃事件ともいう。この事件により日本人10名を含む外国人観光客61名とエジプト人警察官2名の合わせて63名が死亡、85名が負傷した。なお犯人と思われる現場から逃亡した6名は射殺された。

     概要は、1997年11月17日午前9時(現地時間)ごろ、ルクソールの王家の谷近くにある、ハトシェプスト女王葬祭殿の前にて、外国人観光客ら200名に向けて待ち伏せていた少なくとも6名(もっと多かったという証言もある)のテロリストが、守衛を襲撃した後、無差別に火器を乱射し弾薬がなくなると短剣で襲ったという。この襲撃でスイス人、ドイツ人、日本人(観光客9名、添乗員1名)ら観光客61名が殺害された。犯人らはタクシーを強奪し(犯人らは砂漠を徒歩で渡ってきて犯行に及んだため逃走手段がなかった)、さらには観光バスの運転手を脅迫して逃走しようとした。しかし、収入の糧である観光客を殺傷した犯人を逃がすまいと怒った住民の一部と警官隊に行く手を阻まれ、犯人らはバスから降りて銃撃戦をしながら逃走したが、最終的には全員が射殺された。テロのために、エジプトの外国からの観光客減少に拍車がかかってしまった。相次ぐテロに対する責任を負わせるため、エジプトのムバラク大統領は治安担当の内務大臣を事実上更迭した。また当局は更なる掃討作戦を実行したため、エジプトでは大規模なテロ事件の発生は、この事件以降沈静化したとみられる。

     なお、2013年2月26日にも、現地の海外ツアーに参加した日本人4人を含む20人が、熱気球で上空からルクソールの王家の谷の観覧中に火災に見舞われ、300m下の地上に落下し、焼死した事件も起きてしまった。

    http://www.youtube.com/watch?v=ZNILcdi_phM

     3 ルーマニア女子大生殺害事件

     2012年8月15日、ルーマニアの首都ブカレスト郊外で日本人女性の遺体が発見された事件で、女性の 身元が判明した。事件に巻き込まれたのは都内の名門私立女子大に通う20歳の女子大生。彼女は海外就業体験、インターシップで日本語教師として迎えられる予定だった。ブカレスト空港に着き、現地の男に「荷物を運ぶのを手伝うから」と声をかけられ、タクシーに相乗り。そのまま森の中に連れ去られ、性的暴行を受けたのち殺害されたのだった。女性ひとりの外国旅行がいかに危険かを日本中に知らしめた凶悪犯罪だった。

    http://www.youtube.com/watch?v=dShsw9AOqP8

     4 ニュージーランド大地震

     カンタベリー地震(正式名称)は2011年2月22日12時51分にニュージーランドのカンタベリー地方で発生したモーメントマグニチュード(Mw)6.1の地震。特に被害を受けた都市クライストチャーチの名を取って「クライストチャーチ地震」「リトルトン地震」、また単に「ニュージーランド地震(NZ地震)」と呼称される場合もある。特に、クライストチャーチ周辺が被害を受けており、クライストチャーチ大聖堂の塔が崩壊し、市内の多くの地域で停電や断水が発生した。 また、クライストチャーチでは観測史上最大規模の液状化現象が発生し、カンタベリー大学の調査では被害家屋は40,000-50,000棟に上るとされている。さらに、地元テレビ局カンタベリー・テレビ(CTV)の入ったビルが倒壊し、同局の関係者やこのビルに入居していた語学学校の生徒・留学生らが巻き込まれ多数の死傷者が発生した。死者は15の国と地域に拡大し、185人が犠牲になった。た。日本人は地元ニュージーランド人の204人に次ぐ28人の若者が巻き込まれて亡くなった。

    http://www.youtube.com/watch?v=wXK2U3GUK_A

     5 アルジェリア・テロリストによる人質銃撃事件 

     北アフリカのアルジェリアで発生したイスラム過激派によるテロ事件。政府部隊の強行 攻撃により、石油・天然ガスプラントを建設する日揮で働く10名を含む多くの犠牲者が出る最悪の事態になった。モフタール・ベルモフタールに率いられたイスラーム系武装集団が、アルジェリアのイナメナス付近の天然ガス精製プラントにおいて2013年1月16日に引き起こした人質拘束事件。犠牲になった日本人は全員が日揮関係の幹部・協力会社・派遣社員であった。日揮は1969年からアルジェリアでプラント建設を行っており、アルジェリアで数々のプロジェクトを成功させてきた。また工事を行う際には現地のエンジニアを雇い、教育していたため現地での信頼は厚かったという。

    http://www.youtube.com/watch?v=KOQAkWY4szs

    http://www.youtube.com/watch?v=uTU9RKMDGZ0

     6 アルカイダ日本人拉致人質殺害事件

     イラク日本人人質事件は、2002年からのイラク戦争に関連して、2004年にイラク武装勢力がイラクに入国していた日本人を誘拐・拘束し、自衛隊の撤退などを求めた一連の事件。
     イラク現地の武装勢力が、イラクに入国した外国籍のボランティア、NGO職員、民間企業社員、占領軍関係者などを誘拐する事件が頻発した。誘拐の要求の多くは、誘拐した外国人を人質に、彼らが本籍を置く政府に対して、自国の軍隊(日本では自衛隊)をイラクから引き上げることを要求するものであった。

     2004年4月7日 - イラクで日本人3名(ボランティアと称する女性、フリーカメラマンの男性、ジャーナリスト志望の未成年の少年)が武装勢力によって誘拐される。4月8日 - カタールのテレビ局「アルジャジーラ」が犯行グループから送られてきた映像を放送した。犯行グループは、イラクのサマーワに駐留している自衛隊の撤退を要求する声明を発表した。犯行グループからの要求に対し、日本政府は自衛隊を撤退させる考えのないことを表明。
    4月14日 - 新たに、日本人2人(自称ジャーナリストとNGO団体職員)がバグダード西方で何らかの武装勢力により連れ去られた。一方、イタリアのシルヴィオ・ベルルスコーニ首相は日本の小泉首相と同様に撤兵を断固として拒否する声明を出していたが、イタリア人人質の1人の殺害が公表された。
    4月15日 - 日本人3名はイラク・イスラム聖職者協会の仲介もあり無事解放された。解放された3名は今回の犯行グループ名と思われる「サラヤ・ムジャヒディン・アンバル(アンバル州の聖戦士軍団)」と署名されていた犯行グループの声明文を所持していた。なお、後に解放の仲介をしたとされる地元有力者が殺害されている。
    4月17日 - 14日から拘束されていた日本人2人がバグダード市内のモスクで解放された。

    4月未明-フリージャーナリストと称する日本人2人がイラクの武装勢力に拉致された。この際の報道は前回ほど活発ではなく、ほどなく解放された。

    10月未明-バックパッカーとしてニュージーランドからイスラエルを通じイラクに入国した日本人の青年が行方不明となり、10月24日、彼を拉致した犯行グループ「イラクの聖戦アルカーイダ組織」の声明がインターネットに公開された。
     30日、首を切断された遺体が発見され、後日になって殺害の模様が公開され、その後その動画がインターネット上に流布する事態となった。遺族は「息子は自己責任でイラクに入国しました。危険は覚悟の上での行動です」「彼の死を政治的に利用しないで欲しい」と言う声明を発表した。そのため、最初の人質3人のようなバッシングは起こらず、マスコミも比較的淡々と報道した。

     2005年5月9日-イラクの武装勢力「アンサール・アル・スンナ軍」がイギリス系民間軍事会社職員の日本人と銃撃戦の末拘束したとの声明を発表した。
     5月28日、武装勢力は日本人の死亡をネットに発表した。日本人を狙った計画的誘拐ではなく、戦闘で負傷し捕虜になったものであったため、テロリストから日本政府への要求は無いに等しく、それへの対応を巡って世論が割れる事も無かった。

    http://www.youtube.com/watch?v=FqYAt_BuSog

     7 グァム島無差別通り魔殺傷事件

     グアム無差別殺傷事件 米グアム島の繁華街タモン地区で現地時間2月12日午後10時20分(日本時間同9時20分)ごろ、地元に住むチャド・ライアン・デソト被告(21)=加重殺人罪などで21日に起訴=が運転する車が暴走して通行人をはね、商店の壁に激突。被告はその後、周囲にいた人々を刃物で無差別に襲撃した。親族の結婚式や観光で訪れていた上原和子さん(81)、杉山利恵さん(28)、横田仁志さん(51)が死亡、日本人ら10人以上が負傷した。

    http://www.youtube.com/watch?v=z0jBToMdixo

     8 高知学芸高校上海列車事故

     1988年(昭和63年)3月24日に中国上海郊外で発生した急行列車同士による列車衝突脱線転覆事故である。修学旅行のため乗車していた日本の高知学芸高校の生徒と引率教師が事故に巻き込まれ、多数の死傷者を出した。
     一行が乗車した311列車は、蘇州から杭州に向かうには運行上の都合から一旦上海で方向転換する必要があった。311列車は上海西郊の真如駅で停車し、そこで機関車を切り離し、再び後部に連結し直し進行方向を変えた。そこから南翔駅まで逆行し、待避線で対向列車を先行させたあと、上海郊外を迂回するバイパス線「南新線」に乗り入れて、さらに京杭線に乗り入れ杭州に向かう複雑な列車運行を行う予定だった。待避線は上海駅から15km離れた封浜にあった。311列車は急制動をかけて停車寸前に再び動き始めた。だが、これは決められた停止位置をオーバーランしており、単線区間の本線に入っていた。そのため本来の停止位置から160m離れた地点で、15時20分頃に北上してきた長沙発上海行きの第208急行列車と正面衝突した。衝突の衝撃で208列車の郵便貨車が脱線転覆し、311列車の2両目に3両目が食い込んだ。
     この事故では29名が死亡し99名が負傷したが、そのほとんどが大破した2両目に乗車していた高知学芸高校の修学旅行生一行であり、生徒27名と引率教諭1名が犠牲となり36名が負傷した。特に列車が食い込んだために破損がひどく、閉じ込められた乗客の救助は翌日まで掛かった。一行の大部分は3月26日に上海から高知空港に直行するチャーター便で帰国し、翌日、犠牲者27名の遺体は遺族とともにチャーター機で高知に帰った。後に重体の1名が死亡している。

    http://www.youtube.com/watch?v=M73dWVhdQDQ

     9 ハワイ沖水産高校実習船えひめ丸事故

     えひめ丸事故(えひめまるじこ)とは、2001年2月10日8時45分(日本時間)、 アメリカ合衆国ハワイ州のオアフ島沖で、愛媛県立宇和島水産高等学校の練習船「 えひめ丸」が浮上してきたアメリカ海軍の原子力潜水艦「グリーンビル」に衝突され沈没した事故。乗務員の35人のうち、えひめ丸に取り残された教員5人、生徒4人が死亡し、12人が負傷。救出されたうち9人がPTSDと診断された。2002年11月14日、被害者35人のうち33人の家族ら、米国海軍から総額約1390万ドル(約16億8000万円)の補償金が支払われることで和解。

    http://www.youtube.com/watch?v=8w8eV474Lkc

    10 バリ島爆弾テロ事件

     2002年のバリ島爆弾テロ事件は、インドネシアのバリ島南部で発生したテロで、2002年10月12日に発生した。
     2002年10月、バリ島南部の繁華街クタで、路上に止めてあった自動車爆弾が爆発、向かいのディスコなど多くの建物が吹き飛んで炎上し、外国人観光客を含む202名が死亡した。犯行声明は無かったが、インドネシア当局は国内のイスラム過激派「ジェマ・イスラミア」(JI)幹部の多数を犯行容疑で拘束した。世界有数の観光地で発生したテロは衝撃を与えた。
     2008年11月9日、インドネシア政府は実行犯3名の死刑を執行した。インドネシアでは他にも、2003年8月に首都ジャカルタで米国系の高級ホテルが爆発して12名が死亡、2004年には市内のオーストラリア大使館が爆発して9名が死亡、2005年10月1日、クタのレストランで1人と、ジンバランの海岸レストランで2人が自爆テロを起こし、20名以上が死亡したなど、外国人や外国施設を目標とした爆破テロが続いて発生しており、これら全てにJIが関与したと考えられている。背景には、インドネシア国内でのアメリカやイギリスの進める対テロ戦争・イラク戦争への反発があり、表立って反対しない政府に対して、市民の不満が募っていることも関連があると見られている。

    http://www.youtube.com/watch?v=qdRv7Rf7LEQ

    11 釜山室内射撃場火災

     2009年11月14日、韓国・釜山市の室内射撃場「ガナダラ実弾射撃場」で爆発とともに火災が発生、日本人10人を含む15人が死亡した。火災に巻き込まれたのは長崎県雲仙市からのツアー客で、同じ学校の卒業生。出火場所は射撃室の出入り口に最も近い射撃台付近。射撃時に発生した火花などが、残留火薬やポリウレタン製の防音材に引火、一気に燃え広がったとみられる。

    http://www.youtube.com/watch?v=YpAQe_ILJfs

    12 アフガニスタンで日本人拉致、殺害事件

     2008年8月26日、アフガニスタンで人道支援活動を行う非政府組織(NGO)ペシャワール会メンバーの男性(31)が反政府武装勢力、タリバンに拉致された後、殺害された。アフガニスタンでは01年9月11日の米同時多発テロの後、テロを支援したとして米国を中心とする多国籍軍がタリバン政権を崩壊させた。しかし、その後も政情は不安定で辺境地域を中心にタリバンや武装組織が勢力を拡大、人道支援などを行っている外国人へのテロも相次いでいる。

    http://www.youtube.com/watch?v=f9S9_txKzCM

    13 スマトラ島沖地震

     2004年12月26日、インドネシア西部、スマトラ島北西沖のインド洋でマグニチュード9.3の巨大地震が発生。インド洋一帯を襲った大津波などにより死者22万人に達する大災害となった。特に震源地に近かったスマトラ島西部のアチェ地方は壊滅的な打撃を受けた。クリスマス休暇の観光客を中心にした外国人の被害者も多く、日本人の死者は40人(行方不明2人)に上った。タイのプーケット島や、スリランカの東海岸で津波に巻き込まれた例が多かった。

    http://www.youtube.com/watch?v=dcq1CgRP3bY

    14 米同時多発テロ

     2001年9月11日、米国東部で航空機を使った4つのテロ事件が発生、計2973人が死亡した。米国はウサマ・ビンラディンをリーダーとするテロ組織「アルカイダ」が計画、実行したと断定。犯人引き渡しを拒んだタリバン政権のアフガニスタンを攻撃することになる。日本人の犠牲者の大半が、旅客機の自爆攻撃で崩壊したニューヨークの世界貿易センタービルで被害に遭い、このうち12人が富士銀行(現みずほフィナンシャルグループ)とそのグループ企業の行員らだった。

    http://www.youtube.com/watch?v=MbzFVX-3u3A

    15 オーストリアケーブルカー火災事故

     2000年11月11日朝、オーストリア中西部のカプルンで氷河スキー場に向けてトンネル内を走行中のケーブルカーで火災が発生。猪苗代中学校(福島県猪苗代町)のスキー部員ら日本人10人を含む155人が犠牲となった。車内に設置された暖房器具の過熱が原因として、02年1月にケーブルカー運行会社幹部ら16人が失火罪で起訴されたが、ザルツブルク地裁は04年2月、全員に無罪を言い渡し、05年9月、リンツ高裁で確定。民事賠償でも2008年までに和解が成立した。

    16 ミニヤコンカ遭難事故

     1981年5月10日、中国・天山山脈のミニヤコンカ(7556メートル)の登頂を目指していた北海道山岳連盟の8人が次々と滑落死。日本隊の海外登山では最大の遭難事故となった。困難な条件を求めて危険に挑む海外登山では大きな遭難事故も多く、世界最高峰のエベレスト(中国名チョモランマ、8848メートル)では登頂成功の後だけでも累計8人の日本人が死亡している。

    17 マリアナ海域漁船集団遭難事故

     1965年10月7日、南太平洋に出漁中のカツオ・マグロ漁船7隻が、台風の進路を避けマリアナ諸島アグリガン島付近で台風を待避しようとしたところ、予想に反し台風の中心が同島付近を通過。死亡・行方不明者209人という海外での海難事故としては最大の被害を出した。海外での海難事故としては、64年12月に「宇治丸」がアフリカのアンゴラ沖で行方不明になり32人、82年1月に「第28あけぼの丸」がアリューシャン列島沖で転覆して同じく32人が死亡するなど、漁業関係での大きな被害が多い。

     その他

     第五福竜丸・・・ビキニ環礁で操業中、水爆実験により被爆した事件。

     シリア内戦、邦人ジャーナリスト銃撃死亡事件(山本美香さん)

     日本人留学生射殺事件

     ペルー日本大使館公邸人質襲撃事件  

     万里の長城遭難凍死事故

     追記

     シリアでのイスラム国よる日本人人質殺害事件(H27年1月:湯川遥菜さん・後藤健二さん)

     こうして考えると、数多くの日本人が異国の地で命を落としているかがよくわかる。中には避けられた事件や事故もあるが、概ね予期せぬ出来事である。当の本人は死の意識はもとより遠い外国でよもや死ぬとは考えてみなかった筈だ。覚悟もないままに殺害された命もあれば、運命に弄ばれるかのように翻弄された挙句に死んでいった方もいる。それが天命と呼ぶにはあまりにも悲しすぎる。やはり「君子危うきに近寄らず」というのがセオリーかもしれない。もし、この記事を読んで、海外に出向くのを躊躇ったり、恐怖心を抱かせてしまったら申し訳ないが、自分の命は自分で守らなければならないことを痛切に感じた事件事故だったように思う。これを次の教訓とし、同じ轍を踏まぬようにしていかなければ、犠牲になった方々は浮かばれないように思う。

     記事作成:2月27日(水)~28日(木)

    2013年3月12日 (火)

    想い出のドラマ「白線流し」

     若者たちの巣立ちを描いた青春ドラマは、これまで幾度となく制作され放送されて来た。その草分け的な番組はNTV系列の「俺たちの旅」であり、「俺たちの朝」や「俺たちの祭り」に引き継がれた。いわゆる「俺たちの」シリーズだ。若者が避けて通れない、自分の夢と現実の狭間で揺れ動く葛藤、家族や恋愛などの複雑な人間模様、夢破れ挫折を経験し、悩み苦しむ中で、友情が芽生え、裏切りにあいながらも共に助け合い、励ましあいながら成長していく内容で描かれることがしばしである。1980年代は「昨日、悲別で」がその代表格だった。その後、1990年代を代表するトレンディー連ドラとして放送された、鈴木保奈美主演の「愛という名のもとに」もまた青春ストーリーだった。そして筒井道隆、石田ひかりらが出演した「あすなろ白書」もそうかもしれない。しかし、1990年代において、私がもっとも好んで観ていた青春ドラマは「白線流し」だった。覚えているだろうか。地方都市に住む若者たちが織り成す青春ストーリーを描いたドラマで、このレギュラー作品に感銘を受けた若者たちが視聴率を押上げた。番組が最終回を迎えた後も、再編を望む声に後押しされ、毎年のように続編が撮影されては上映されてきた。それは「北の国から」と同様、その後の出演者たちのドラマの続き、そして成長を見届けたいと願う「白線流しファン」のバックアップがあったからこそであった。このドラマが完結してからすでに7年以上が経過してしまったため、忘れている方も多いことと思い、概要とキャスト、ストーリーから紹介したい。

     <白線流し>

     白線流しは、毎年、卒業式の日に卒業生たちが学帽の白線と セーラー服のスカーフを一本に結びつけ川に流す行事。例年3月1日に、岐阜県高山市 にある岐阜県立斐太高等学校で、学校前を流れる大八賀川において行われ、70年以上 行われている行事で、それをドラマ化し、最終回で取り上げて放送した。『白線流し』という行事が全国的に知れ渡ったのは、1992年3月29日にフジテレビで放送された「別離(わかれ)の歌〜飛騨高山の早春賦・『白線ながし』〜」であった。同年に卒業式を迎える斐太高校3年G組の生徒達を追ったドキュメンタリー番組である。その4年後の1996年にフジテレビ系列で連続テレビドラマ『白線流し』が放映され、いっそう知名度があがった。このドラマは斐太高校の「白線流し」をヒントに製作されたが、岐阜県高山市の斐太高校が舞台ではなく、長野県松本市の松本北高の生徒たちの青春群像という設定である。なお、松本北高は架空の高校であり、松本市には「白線流し」の行事を行っている高校はない。

     テレビドラマは1996年1月 - 3月にフジテレビ系列で木曜22:00~22:54に放送された。全11回。連続ドラマ放送では、木曜10時という時間に放送されるドラマとしては視聴率は伸びなかった。しかし、放送終了後に同年代の視聴者からの「ぜひ続編を」という反響が大きく、続編がスペシャル番組として放送され、2005年10月7日放送のスペシャル「白線流し 〜夢見る頃を過ぎても」にて完結した。

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     あらすじは、松本市の松本北高校(架空)卒業間近の3年生を中心とした男女7人の青春物語。偶然出会った定時制生徒との友情、恋愛を松本の静かな風景の下で高校卒業まで綴っていくストーリー。平均視聴率は10.9%で最高は12.6%(第9話と10話)。好評につき、高校卒業後のそれぞれの歩みを追ったスペシャル版が毎年のように制作された。タイトルは以下の通り。

    『白線流し 19の春』
    1997年8月8日、21:03 - 23:22放送 視聴率19.3%
    『白線流し 二十歳の風』
    1999年1月15日、21:00 - 23:02放送 視聴率14.4%
    『白線流し 旅立ちの詩』
    2001年10月26日、21:00 - 22:52放送 視聴率17.1%
    『白線流し ~二十五歳』
    2003年9月6日、21:00 - 23:09放送 視聴率16.0%
    『白線流し ~夢見る頃を過ぎても』
    2005年10月7日、21:00 - 23:22放送 視聴率14.5%

    Hakusen3 Hakusen5

     <キャスト>

     大河内 渉・・・長瀬智也(TOKIO)
                      
     松本北高校の定時制に通う青年。母親が出て行ったあと、父が癌で亡くなり、引き取られた親戚の家でも肩身が狭い思いをしたことから、中学卒業後は一人暮らしをしながら工場で働きつつ、亡くなった父のように天文台で働くことを目指している。成績優秀で真面目な性格だが、不幸な生い立ちからひねくれてしまっており、他人に深入りすることを嫌い、誰に対しても距離を置くようなところがある。
     卒業後は大学に合格するも辞退し、北海道の天文台に就職するが、不景気のあおりを受け天文台が閉鎖。その後東京で園子と同棲生活を始めるも、ホストクラブで働いているところを園子にばれたのがきっかけで別れることに。そして青年海外協力隊の同僚だった美里と結婚するも、死別。岐阜で美里と生活している時も天文の勉強をしていたようである。そしてついに「夢見る頃を」の最後では父の後を継ぎ、念願だった松本の小川天文台の仕事についた。

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     七倉 園子・・・酒井美紀

     松本北高校3年生。明確な夢や目標を持てず、迫り来る進学に悩みを抱えている。現役時は信州大学を受験予定だったが、当日のハプニングで受験できず一浪を決意。
     一年後、早稲田大学に入学し上京するも、卒業時に立てた教師になるという夢を見失い、卒業後は東京の小さな出版社でアルバイトとして働くことに。当初は苦労していたが、だんだんと仕事が楽しくなってきた矢先、故郷松本の高校の誘いを受け、松本白稜高校で臨時講師として働く。その後、教員採用試験に合格し、母校の松本北高校に教師として戻ってきた。シリーズを通して渉に恋心を抱いている。「二十歳の風」までは順調な交際を続けていた二人だったが、「旅立ちの詩」で別れることに。「二十五歳」では渉の結婚を知り、白線を流した川で号泣してしまう。「夢見る頃を」では優介と交際し、結婚するつもりだったが、渉への思いを捨てきれず別れを切り出す。最後に渉と再会し抱き合ったことから、この後再び渉との交際が復活したと思われる。
                                               
     飯野 まどか・・・京野ことみ

     松本北高校3年生。富山慎司とは高校時代から恋人同士。園子とは中学からの同級生。推薦入学による都内の大学への進学が決まっていたが、慎司の雪山遭難をきっかけに将来を考え直し、看護師を目指すために名古屋の看護学校に進学する。
     その後一時期慎司と別れ、先輩医師と付き合っていたが半ば捨てられた形で別れてしまい、再び慎司との交際が復活する。現在は信州大学医学部付属病院で看護師として働いている。「旅立ちの詩」で長年の交際を実らせ、慎司と結婚。「二十五歳」以降出演時のクレジットは「富山まどか」になっている。息子、慎吾をもうけるも、仕事と育児の両立でノイローゼ気味だった。園子の良き相談相手でもある。

     長谷部 優介・・・柏原崇

     松本北高校3年。京都大学への進学を目標として勉学に励み、成績は学年でもトップクラスだった。入試直前に信州銀行支店長の父(佐々木勝彦)が収賄事件で逮捕され大きく揺れるが、その後出会った信濃タイムス記者の影響を受け、弁護士を目指すことに。
     その後念願の京都大学に進学し、司法修習生を経て弁護士になるも、自分の思い描いていた理想とのギャップにずっと悩んでいる。プライドが高く、はっきりと物事を言うタイプ。こちらもシリーズを通して園子に思いを寄せている。連ドラ第一話での園子とのキスシーンはシリーズ屈指の名シーンである。その後園子が渉と交際することになったため、茅乃と交際していたが、自然消滅。「夢見る頃を」ではチャンスとばかりに園子に告白。交際を始め、結婚寸前までこぎつけるも、結局ふられてしまった。しかし何事もなかったかのように、天文台のプラネタリウム作りに参加していた。

     橘 冬美・・・馬渕英里何

     松本北高校3年。将来は女優になる事を目指しており、卒業後は上京し、小さな劇団で役者を目指すも、挫折。
     その後脚本家を目指すべく上京、執筆・投稿をしながら仕事を転々としていたようである。「二十五歳」では、仕事先で出会った士郎と同棲していたが、「夢見る頃を」で士郎に愛想をつかし別れることに。7人の中では一番恋愛に恵まれなかったといえる。実家は浅間温泉にある旅館。この旅館は「尾上の湯」という名前で実際に浅間温泉で営業している。

     富山 慎司・・・中村竜

     松本北高校3年。飯野まどかとは高校時代からの恋人で、まどかのワガママにいつも振り回されている。特に将来何になりたいか目標はなかったが、卒業目前に雪山で遭難。一時記憶喪失に。しかし仲間の支えで記憶を取り戻し、救出してくれた隊員に感銘を受け、山岳救助隊の隊員を目指すべく卒業後は警官に。
     その後まどかと結婚。仕事に家庭に充実した毎日を送っていたが、誤って園子の教え子カップルを追跡し、ケガをさせてしまう。さらにまどかが育児と家事と仕事の両立でノイローゼ気味になっていたこともあり、家族のために山岳救助隊隊員になる夢を諦め、警官を辞め実家の神社の神主になった。7人のなかでは警官時代に出張で東京にいった以外、唯一松本を離れていない。

     汐田 茅乃・・・遊井亮子

     渉と同じ工場で働く女性。渉に恋心を抱いている。そのためか、当時園子に嫌がらせを繰り返していた。さらに、保護観察期間中で筋金入りのワルだった。しかし、6人との友情に触れ、改心。メンバーに加わった。松本市内の私立高校中退。実家は売れない洋品店である。
     その後東京の生地屋で働いた後、スタイリストの道に。順風満帆に見えたが、女優との契約を打ち切られ、一転借金取りに追われるハメに。それでも持ち前の強気な性格でたくましく生きているようである。恋愛面では優介と交際していたが、自然消滅。その後は仕事が忙しく、恋愛する暇もなかったようだ。今となっては高校の同級生だったイメージがあるが、第7話で勇介達に借りたお金を返そうと勇介宅の住所を教えてもらおうとした時(第9話)以外、高校の校舎に入ったことがなかった。しかし、「夢見る頃を」でプラネタリウム作りに参加するため、松本北高校の校舎に足を踏み入れた。

     その他の出演者

     余貴美子、平泉成、白川和子、松本留美、山本圭ほか

     主題歌・・・・スピッツ「空も飛べるはず」

     名場面動画集

    http://www.youtube.com/watch?v=mwh-ojAu5as

    http://www.youtube.com/watch?v=U53_k0muOBU

    http://www.youtube.com/watch?v=2eFvnO0uA2c

    http://www.youtube.com/watch?v=pPkdOxpyXvg

     ロケ地

    長野県松本市:松商学園高等学校(ドラマでは松本北高校)、松本電気鉄道上高地線、深志神社(慎司の実家)、信州大学医学部附属病院、松本駅ほか。主な舞台となっている。長野県小川村:小川天文台
    北海道初山別村:しょさんべつ天文台など
    東京都内:第1話、第7話、「-19の春」など
    岐阜県高山市:最終話で登場。岐阜県立斐太高等学校など

     関連ブログ

    http://loca.ash.jp/show/1996/d199601_hakusen.htm

    http://www.valley.ne.jp/~eiichi/

    http://www.iris.dti.ne.jp/~temple/haku/hakuindex.html

     さて、いかがだったでしょうか。甘酸っぱい青春時代を思い出させてくれる様な、純粋な心を持った真っ直ぐな生き様を包み隠さず描いた名作ドラマだった。「人を信じることとは」、「人を愛することとは」、「何を夢見てどこに自分が向かおうとしているのか」、先が見えない不安と闘い、葛藤して悩み、傷つき、そしていつしか大人になっていく自分に気づく。このドラマを通していろんなことを学んだ人も多かったと思う。このドラマが完結して8年近い月日が流れた。再びこのような青春群像を描いた秀逸したドラマの登場を心待ちにしている。

     記事作成:1月~2月28日(木)

    2013年3月11日 (月)

    震災の記憶(2周年)

     今日であの未曾有の大災害をもたらした「東日本大震災」から2年が過ぎ、3年目を迎えることとなった。2万人近い人々が地震や津波によって命を落とした。街を見渡せば、未だに瓦屋根があの日のまま放置されていたり、ブルーシートがかけられたままの光景があちこちに見られる。一見、表面上は平静を取り戻したかのように見えるが、主な施設や公園には忌々しい放射線値を測るモニタリングポストが立ち、未だに農業・水産業は大打撃を受けたままである。外部&内部被曝によって、いつ甲状腺がん発病するかわからない状況下の中、我が故郷・郡山は、あまりニュースで取り上げられなくなった「原発」の見えない恐怖と背中合わせの中で、生活しているのである。今日は、まる2年を迎えた震災記念日にあたることから、早く忘れたい記憶ではあるが、決して忘れてはならぬあの日の出来事を記憶の中に残すべく、震災の日のことを回顧し、亡くなられた方々のご冥福を祈り、合わせて黙祷を捧げ、追悼も行いたい。

     平成23年3月11日午後2時46分

     その日は午前中、息子の中学校の卒業式に参列した。その後、和風レストラン「まるまつ」で昼食をとり、その後、K'sデンキでブルーレイデッキの商談をし、時間潰しに思いつきで「ブックマート」に立ち寄り、立ち読みをしていたのだった。

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    上の場所で「携帯の緊急地震速報」が鳴り、急いでカウンター左側の出口へ駆け足。

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    間髪入れずに体験したことがないような大きな揺れが襲いかかった。外では車が前後に激しく揺れ、今にも飛び出しそうだった。大きなガラスにヒビが入った。

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    この外灯が倒れてきそうな感じだった。ほどなく入口から次々と人が外へ飛び出してきた。車に飛び乗り、車が前に飛び出ないように必死でブレーキペダルを踏み続けた。

                         ↓

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    車内から見ると、目の前の4階建てマンションが前後に傾くように大きく揺れ、隣の和風レストランの瓦屋根が次々落下。運転席で必死にブレーキをかけながら「早くおさまれ!」と祈りながら「うわっうわっ!」としか言葉が出て来なかった。この時、とんでもない大変な出来事が起こってしまったことを悟った。

     そして突如周辺は猛吹雪に・・・。この世の終わりを思わせるような長くて激しい揺れが続いた。3分くらい大きな揺れが続いた後、ようやく収まってきたところで、自宅や実家の状況が気になり、ひとまず自宅へ向かう。信号が消え、かっぱ寿司の東側の狭い通路を迂回した。ファミマの交差点から左折し、R49に入り、バイパスを駆け上がってとにかく自宅まで飛ばして帰った。すると幸いにも自宅は崩れてはいなかった。断続的に大きな揺れが襲いかかり、自宅前の電柱が大きく揺れる余震が続いた。家具が倒れ、玄関から容易に室内に入れない状況だった。やがて昼食から息子たちが帰宅し、家族の無事を確認した。更にワンセグで状況確認。次々飛び込んでくる情報で、災害の状況が明らかに。「大津波警報」という聞きなれない文言がテロップで流れ、アナウンサーの必死の形相で事の重大さを認識したのだった。幸い自宅は停電は免れたが、水道がストップした状態だった。電話は震災直後からまるで通じず、実家の安否は不明だった。

     動画で振り返る福島県(郡山中心)の状況

     ① ラジオ福島(2分41秒から)

     スタジオの物音から判断すると、2分41秒から5分24秒までずっと大きな揺れが続いていたことが解る。つまり2分43秒もの長い間、震度6クラスの大地震が継続して発生していたことになる。深作アナウンサーは努めて冷静に身の安全の確保を訴え続けた。一切取り乱すこともなく、アナウンサーの鑑だ。

     ② 郡山市内の店舗のカメラ

    http://www.youtube.com/watch?v=iuL5szlZIkY

    http://www.youtube.com/watch?v=RAA18wCKpzw

    http://www.youtube.com/watch?v=FX7l1-0CXRc

    http://www.youtube.com/watch?v=w3dy4DUPH88

     ③ 堂前の小料理屋の客が撮影した動画

    http://www.youtube.com/watch?v=FqQIc0Jic0g

     ④ アミューズパーク郡山(旧郡山スケートセンター)

    http://www.youtube.com/watch?v=DwP5VLVonJ4

     ⑤ FTVの社内カメラ

    http://www.youtube.com/watch?v=bAlrizLNN9M

     ⑥ 4号バイパス(日和田のJUSCO前付近)

    http://www.youtube.com/watch?v=hJvidAganrc

     ⑦ うすい百貨店周辺

    http://www.youtube.com/watch?v=J7yubGtkKMQ

    http://www.youtube.com/watch?v=QK2O5lrRurk

     ⑧ 郡山駅

    http://www.youtube.com/watch?v=NWuwHtZtHfY

    http://www.youtube.com/watch?v=emyJZTklhhs

     ⑨ 富田町界隈(カインズホーム)

    http://www.youtube.com/watch?v=RUY5buYYLWM

     ⑩ 震災後の状況(外国人撮影)

    http://www.youtube.com/watch?v=zUGs3V85uAo

    http://www.youtube.com/watch?v=jWfNct5imr8

     ⑪ 福島第一原発の水蒸気爆発

    http://www.youtube.com/watch?v=r3tG_E0XGck

    http://www.youtube.com/watch?v=eLr5_UxhoTA

    http://www.youtube.com/watch?v=7V-0XBdS86A&list=PLD19730E43CC6D63F

     「東日本大震災120秒で振り返る衝撃映像集」 *閲覧注意

     「東日本大震災」国家存亡の危機180秒映像! *閲覧注意

     「1000年後に残したい映像」

    http://www.youtube.com/watch?v=dkdHZKefQOI

     今も放射線被害が続き、風評被害にも苛まれている状況が続いている。農業、水産業は再開の目処が立たない状況が続いている。原発周辺の町(大熊・双葉・浪江・富岡)は未だに立ち入り制限されたままで、誰も住めない状態である。避難所生活や仮設住宅に移住したままである。県外に散らばった県民は、一体いつになれば故郷に戻れるかわからない。この2年、未曾有の災害だったこともあり、政府の対応は後手後手で、未だに私が暮らす郡山市は除染が進まないでいる。いつになったら元の平穏な生活に戻れるか先が見えないが、福島県民としてプライドを失わず、前を向いて協力しながら一歩ずつ前進していきたい。

     記事作成:1月19日(土)

     

     

    2013年3月 9日 (土)

    感動する福島のローカルCM&PV

     今日は福島県民しか知らない地域限定CMをお送りしたい。そしてその中でも感動する作品をセレクトしたい。震災から約2年、未だに原発被害は収束していないが、いつまでも被災者のままではいられない。今日は勇気を与えてくれそうなCMやPVを見ていただいて、明日への活力にして貰えたら幸いだ。

     第1位 こころネットグループ

     心という字が使われた文字を繋いだリレーCM。この歌が心に染み入る。人生を感じさせる力作だと思う。これは冠婚葬祭の企業グループが制作したCMだ。

     第2位 NOTHING BEATS FUKUSHIMA, DOES IT? 60" 福島版

    http://www.youtube.com/watch?v=1BnnQxIM7jQ

    http://www.youtube.com/watch?v=VMWbimk9VJo&NR=1&feature=endscreen

     震災後ずっと流れていた激励メッセージ入りのCM。ご当地出身の西田敏行の福島弁が心に響く。震災からまもなく丸2年。今、あの日の出来事を追憶し、亡くなれれた方々のご冥福を祈りたい。

     第3位 絆リゾート・スパリゾートハワイアンズ with フラガール

    http://www.youtube.com/watch?v=_oXDbznC8ZE

    http://www.youtube.com/watch?v=OG4QRmIdDqk&NR=1&feature=endscreen

     震災で施設が被災し、休業を余儀なくされたハワイアンズ。フラガールの全国キャラバンで「福島は元気です」と各地をアピールして回った。彼女たちも登場し、再オープンをPRする作品に目頭が熱くなったCMだった。

     第4位 LIVE福島 “I Love you 福島”

     震災後、暗く沈んだ福島県民を元気づけようと結成された「猪苗代湖ズ」。被災地を回り、各地で復興イベントを開催した。その時の模様を紹介した映像。今見ても涙が出る。私の中学時代の同級生、箭内道彦は郡山名誉市民になって然るべき存在だと思う。

    http://www.youtube.com/watch?v=7_ozOhsSqak

     第5位 東邦銀行

     この歌が大好きだった。地元密着の地域とともにあるのが東邦銀行のキャッチフレーズ。こういうCMをどんどん流して欲しい。

     第6位 パチンコ DAIEI

     歌で好きなのは、この「パチンコDAIEI」の「Moment」で、とても感動する私のお気に入りのCMだ。

    http://www.youtube.com/watch?v=A0NMUlQfZZA

     記事作成:2月23日(土)~

    2013年3月 8日 (金)

    本当にあった身の毛もよだつ事件

     何か最近はオカルトチックな事件・事故の話題にばかり終始している感がある。あまりよろしくない傾向だが、日本でいっこうに凶悪犯罪が無くならない現実を憂い、「犯罪を犯すと行く末はどうなるか」を正当な判断をもって考えてもらいたいと思い、今回も記事を執筆してみた。
     これまで日本や世界各地で大勢の何の罪もない普通の生活を営んでいた人々が、予期せぬ犯罪に巻き込まれて命を落としている。それは人間の手によるものとは限らないが、多くの場合、亡くなられた方々は、それを予知できぬまま犠牲になっている。最近では、グァム島で起きた無差別殺傷事件、そして京都亀山で起きた未成年者による暴走運転での巻き添えなどがある。やはり日本は治安が良いせいか、普段から自分が犯罪に巻き込まれるなどという認識は、日常生活からは縁遠い存在であり、その不安を微塵も抱いていないのが実情だろう。しかし、今やいつどこで命を落とすかわからない時代に成り下がってしまった。したがって、常に犯罪予防への防衛線を張る必要があるように思われるのだ。今回は、これまで日本で起きた凄惨な事件を振り返ることで、多少なりとも危機意識の啓発に役立てていただきたくて、本テーマを設定した次第である。

     三毛別羆襲撃事件

     三毛別羆事件(六線沢熊害事件、苫前羆事件とも呼ばれる)とは、1915年(大正4年)12月9日 - 12月14日にかけて、北海道苫前郡苫前村(現:苫前町古丹別)三毛別(現:三渓)六線沢で発生した、日本国内で最も大きな獣害(じゅうがい)事件。羆(ヒグマ)が数度にわたり民家を襲い、当時の開拓民7名が死亡、3名の重傷者を出すという被害があった。しかも真冬に冬眠できなかった3mを越えるような大型の羆は、食料を求めて凶暴化し、次々と村人に襲いかかり、女性ばかりを連れ去り、人肉を貪り食う異様な有様だった。

     事件を再現した映画「リメインズ~美しき勇者たち」 *閲覧注意

    http://www.youtube.com/watch?v=g8UHPNLsBTw

     現在の事件現場付近の映像

    http://www.youtube.com/watch?v=u3NuxLb9udQ

    http://www.youtube.com/watch?v=8GF_S0b9V8I

     私は数年前に「奇跡アンビリーバボー」で取り上げた再現VTRを見て、この悲惨な事件を知った。私が北海道に住んでいた時には、こんな事件があったことすら知らなかった。苫前はバイクツーリングで2回、通った町だ。当時は、ヒグマの恐ろしさなど微塵も考えたことなどなかった。この事件を知って、熊への認識がガラリと変わった。

    http://www.youtube.com/watch?v=bgkmUS0QQPk

    http://www.youtube.com/watch?v=y6V0Y-xlwXw

    http://www.youtube.com/watch?v=Va0dxsYVyBM

    http://www.youtube.com/watch?v=HqbQhOxsU_Y

    http://www.youtube.com/watch?v=zdd3_B92VcI

    「苫前町郷土資料館」はコチラ http://blogs.yahoo.co.jp/babacyan2006/47471204.html

     津山30人殺し事件

     津山事件(つやまじけん)または津山三十人殺し(つやまさんじゅうにんごろし)は、1938 年(昭和13年)5月21日未明に岡山県苫田郡西加茂村大字行重(現・津山市加茂町行 重)の貝尾・坂元両集落で発生した大量殺人事件。犯人の姓名を取って都井睦雄事件ともいう。2時間足らずで30名(自殺した犯人を含めると31名)が死亡し、3名が重軽傷を負うという、犠牲者数がオウム真理教事件(27名)をも上回る日本の犯罪史上前代未聞の殺戮事件であった。

    http://www.youtube.com/watch?v=gshn2jE4bpc 「八つ墓村」(閲覧注意)

     映画「八ツ墓村」のモデルになった事件としてあまりにも有名。自ら結核を患い、徴兵されなかった悔しさと、村人に結核によって相手にされなくなったことを恨んだ末に殺人鬼と化し、次々と村人たちの家を深夜に廻って殺害を繰り広げた。幼い子供や女まで無差別に殺人を重ねた。日本刀や猟銃などを武器に、頭には鬼を彷彿させるような出で立ちでロウソクを2本差し、寝込みを襲った。最期は自刃して終わったため、真相は闇に葬られた。

     白昼、マスコミの面前で行われた殺人事件

     豊田商事永野会長刺殺事件とは1985年(昭和60年)6月18日に発生した殺人事件。
     豊田商事は現物まがい商法による悪徳商法によって被害者数は数万人、被害総額は  
    2000億円の巨大詐欺事件を起こした会社として社会的に注目されていた。
     1985年6月18日、大阪市北区にあった永野一男豊田商事会長のマンションの玄関前に「今日逮捕」との情報を聞きつけてマスコミ取材班が集まっていた。午後4時30分過ぎ、被害者の元上司に当たる自称右翼の男二人が永野の部屋の前に姿を現した。二人は張り込んでいたガードマンに「永野に会わせろ」と要求。連絡を取るためにガードマンが階下に下りた後、二人は元部下の被害者6人から「もう金はええ、永野をぶっ殺してくれ」と頼まれたと報道陣に語った。そして窓の格子を蹴破り、窓ガラスを破って侵入、永野の頭部など全身13箇所を銃剣で刺した。当時永野の住んでいた部屋のドアの前などには大勢のマスコミがいたが、誰も止めようとはしなかった。
     永野は直ちに病院へ運ばれたが、腹部を刺されたのが致命傷となり、出血多量により約45分後の午後5時15分に息を引き取った。この時の永野の所持金はわずか711円だった。部屋から出た犯人らは、「警察を呼べ。俺が犯人や」と報道陣に語り、マンションから出たところで逮捕された。

    http://www.youtube.com/watch?v=noThDnRwb0c

     マスコミは目の前で起きた惨劇の傍観者にしかぎない。これは許されざる行為だ。目の前で犯罪が行われるのが確実な状況下で、止めることもせず、みすみす人ひとりの命を消し去ってしまった。

     三菱銀行北畠支店人質籠城事件(梅川事件)

     三菱銀行人質事件(みつびしぎんこうひとじちじけん)は、1979年(昭和54年)1月26日に 大阪府大阪市住吉区万代二丁目の三菱銀行北畠支店(現三菱東京UFJ銀行北畠支店 )に猟銃を持った男が押し入り、客と行員30人以上を人質に立てこもった事件。
     事件発生から42時間後に立てこもっていた梅川昭美(うめかわ あきよし、1948年3月1日 - 1979年1月28日)がSAT の前身である大阪府警察本部警備部第2機動隊・零(ゼロ)中隊により射殺。梅川は警察官2名、行員2名(うち1名は支店長)の計4名を射殺、女性行員を裸にして盾代わりに並ばせるなどもした。
     大阪府警察本部は梅川に投降するよう交渉を続けたが、最終的に犯人射殺で解決するに至った。戦後、日本の人質事件が犯人射殺という形で解決した事件は、1970年の瀬戸内シージャック事件、1977年の長崎バスジャック事件とこの事件の3つだけであり、三菱銀行人質事件以降、存在しない。

    http://www.youtube.com/watch?v=lxW0HSDKnbw

    http://www.youtube.com/watch?v=lTrbna13G34

     この実話の凶悪事件は、映画化された。宇崎竜童主演の「TATTO<刺青>あり」だ。

    http://www.youtube.com/watch?v=hC5Y-YNwHeU

     他にも、古くは行員が大量毒殺された帝銀事件(犯人とされた画家の平沢貞通は最期まで執行されずに獄中生活を強いられ病死)、連続幼女誘拐殺人事件(犯人宮崎勤は死刑執行)や小平事件(犯人小平義雄は死刑執行)、一連のオウム真理教事件、更には殺人鬼と呼ばれた大久保清や勝田清貴による連続殺人事件、秋葉原の歩行者天国連続殺傷事件、大阪の教育大学附属池田小乱入殺傷事件(宅間守は死刑執行)、酒鬼薔薇聖斗事件など挙げたらキリがない。

    http://matome.naver.jp/odai/2132988308885473201

     これらの凄惨な事件を目の当たりにすると、自分の命は自分で守るしかないという危機意識の啓発が必要に思われる。そしてつい先日、谷垣法務大臣が死刑を命じ、3人の死刑囚が執行されたが、凶悪犯罪を引き起こせば、その行く末は死刑をもって償うしかないという厳罰化への波と風潮の盛り上がりが求められる。もちろん、犯人を死刑に処したところで犠牲者が生還するわけではないし、その罪が消えるわけではない。同じ苦しみを味あわせることで、どれほど犠牲者が無念だったかを瀬戸際で思い知らせるしか方法がない。人を殺した者に更生させる意味などない。人名の貴さを説いたところで殺された人間は生き返らないのだから。遺族の憤りは収まらないし、更生など何の意味も持たないのだ。何も罪のない人間が、面識もない極悪非道の犯罪者に場当たり的に殺され、あの世に葬り去られながら、一方で殺した人間が、刑期を終え、表面的に罪を償って社会復帰できたら、明らかに不公平だし、この世に生きながらえていること自体腹だたしいではないか。弁護人や死刑廃止を訴えている人間は、「人命尊重」などを旗印に運動している偽善者に過ぎない。もし愛する家族が残酷な方法で殺害され、見るも無残な姿で発見されたら、絶対に犯人を許しはしないだろう。自分の手で殺したい衝動に駆られることだろう。それを防ぐ意味でも死刑制度は必要なのだ。

     それよりむしろ私が重視したいのは、犯罪を起こさせない方策である。そのためには、公共心や道徳心を幼少期から育てる教育が必要であろう。隣りに誰が住んでいるかもわからないような都会の住環境。プライバシーを優先し、個人主義の生き方が尊重された結果がこれである。孤独に苛まれ、どういう環境下で犯罪行為への布石が打たれたかは不明だが、少なくとも円滑な人間関係が構築されれば、未然に防ぐことが可能だったのではないだろうか。これ以上、意図せぬ犯罪によって何の罪もない人間が巻き込まれ、命を落とすようなことがあっては断じてならない。

     記事作成:2月21日(木)~24日(日)

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