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2013年3月18日 (月)

日本人が巻き込まれた海外の事件・事故

 最近、日本人の企業戦士や海外旅行客が異国の地で事件事故に巻き込まれて命を落とすケースが数多く報道されている。やり場のない怒りとともに強い憤りを覚える。当の本人もまさかそこで犠牲になるために生きてきたのかと思えば、それが運命と呼ぶには割り切れないし、この世に相当未練を残し、さぞかし無念だったことだろう。それはどんなに予防線を張ろうとも、絶対に避けきれない事件や事故であり、あまりにも不遇すぎる出来事と言わざるを得ない。今日は、はからも海外で事件事故の巻き添えとなって死亡した出来事を取り上げたい。ただし、遺族や関係者の心情に配慮し、実名は差し控えたい。

 1 大韓航空機撃墜事件

 1983年9月1日に「大韓航空007便」のボーイング747が、ソビエト連邦の領空を侵犯(航路逸脱) したために、ソ連防空軍の戦闘機により撃墜された事件。乗員乗客合わせて269人全員が死亡した。なお、大韓航空はこの5年前にも航法ミスでソ連領空(コラ半島上空)を侵犯し、ソ連軍機に迎撃されている(大韓航空機銃撃事件)。乗員乗客の国籍は、韓国人が最多で105人、アメリカ人が62人、次いで日本人が28人(最年少3歳男児)、台湾人23人、そしてその他の国籍が12カ国で合わせて51人。なお日本人乗客の多くは、日本航空やパンアメリカン航空の直行便に比べて航空券が安価な大韓航空を使い、ソウルを経由して日本へ戻る観光客や留学生であった。

 領空侵犯の原因だが、ソ連政府によるブラックボックスの隠匿などにより、事件についての多くの疑問点が、冷戦が終結した1990年代まで解明されないままであった。その内容は「航路逸脱の原因は、乱気流もしくは積乱雲回避のため一時的にヘディングモード(方位角モード。方位のみを指定する自動操縦)へ切り替えたままINSモード(外部情報に頼らず論理的な通過点を自機の受ける加速度等から推測してたどって行く航法)に戻し忘れたか、もしくはINSモードに切り替えたが、所定の航路から7.5マイル離れていたために作動しなかった」というものである。どちらが正しいかについては証言できる者が生存しておらず、もはや真相究明が不可能なために両論併記という形となった。

http://www.youtube.com/watch?v=JYMu1MkU5j0

 2 ルクソール銃撃事件

 ルクソール事件は、エジプトの著名な観光地であるルクソールにおいて、1997年にイスラム原理主義過激派の「イスラム集団」が外国人観光客に対し行った無差別殺傷テロである。また別名をエジプト外国人観光客襲撃事件ともいう。この事件により日本人10名を含む外国人観光客61名とエジプト人警察官2名の合わせて63名が死亡、85名が負傷した。なお犯人と思われる現場から逃亡した6名は射殺された。

 概要は、1997年11月17日午前9時(現地時間)ごろ、ルクソールの王家の谷近くにある、ハトシェプスト女王葬祭殿の前にて、外国人観光客ら200名に向けて待ち伏せていた少なくとも6名(もっと多かったという証言もある)のテロリストが、守衛を襲撃した後、無差別に火器を乱射し弾薬がなくなると短剣で襲ったという。この襲撃でスイス人、ドイツ人、日本人(観光客9名、添乗員1名)ら観光客61名が殺害された。犯人らはタクシーを強奪し(犯人らは砂漠を徒歩で渡ってきて犯行に及んだため逃走手段がなかった)、さらには観光バスの運転手を脅迫して逃走しようとした。しかし、収入の糧である観光客を殺傷した犯人を逃がすまいと怒った住民の一部と警官隊に行く手を阻まれ、犯人らはバスから降りて銃撃戦をしながら逃走したが、最終的には全員が射殺された。テロのために、エジプトの外国からの観光客減少に拍車がかかってしまった。相次ぐテロに対する責任を負わせるため、エジプトのムバラク大統領は治安担当の内務大臣を事実上更迭した。また当局は更なる掃討作戦を実行したため、エジプトでは大規模なテロ事件の発生は、この事件以降沈静化したとみられる。

 なお、2013年2月26日にも、現地の海外ツアーに参加した日本人4人を含む20人が、熱気球で上空からルクソールの王家の谷の観覧中に火災に見舞われ、300m下の地上に落下し、焼死した事件も起きてしまった。

http://www.youtube.com/watch?v=ZNILcdi_phM

 3 ルーマニア女子大生殺害事件

 2012年8月15日、ルーマニアの首都ブカレスト郊外で日本人女性の遺体が発見された事件で、女性の 身元が判明した。事件に巻き込まれたのは都内の名門私立女子大に通う20歳の女子大生。彼女は海外就業体験、インターシップで日本語教師として迎えられる予定だった。ブカレスト空港に着き、現地の男に「荷物を運ぶのを手伝うから」と声をかけられ、タクシーに相乗り。そのまま森の中に連れ去られ、性的暴行を受けたのち殺害されたのだった。女性ひとりの外国旅行がいかに危険かを日本中に知らしめた凶悪犯罪だった。

http://www.youtube.com/watch?v=dShsw9AOqP8

 4 ニュージーランド大地震

 カンタベリー地震(正式名称)は2011年2月22日12時51分にニュージーランドのカンタベリー地方で発生したモーメントマグニチュード(Mw)6.1の地震。特に被害を受けた都市クライストチャーチの名を取って「クライストチャーチ地震」「リトルトン地震」、また単に「ニュージーランド地震(NZ地震)」と呼称される場合もある。特に、クライストチャーチ周辺が被害を受けており、クライストチャーチ大聖堂の塔が崩壊し、市内の多くの地域で停電や断水が発生した。 また、クライストチャーチでは観測史上最大規模の液状化現象が発生し、カンタベリー大学の調査では被害家屋は40,000-50,000棟に上るとされている。さらに、地元テレビ局カンタベリー・テレビ(CTV)の入ったビルが倒壊し、同局の関係者やこのビルに入居していた語学学校の生徒・留学生らが巻き込まれ多数の死傷者が発生した。死者は15の国と地域に拡大し、185人が犠牲になった。た。日本人は地元ニュージーランド人の204人に次ぐ28人の若者が巻き込まれて亡くなった。

http://www.youtube.com/watch?v=wXK2U3GUK_A

 5 アルジェリア・テロリストによる人質銃撃事件 

 北アフリカのアルジェリアで発生したイスラム過激派によるテロ事件。政府部隊の強行 攻撃により、石油・天然ガスプラントを建設する日揮で働く10名を含む多くの犠牲者が出る最悪の事態になった。モフタール・ベルモフタールに率いられたイスラーム系武装集団が、アルジェリアのイナメナス付近の天然ガス精製プラントにおいて2013年1月16日に引き起こした人質拘束事件。犠牲になった日本人は全員が日揮関係の幹部・協力会社・派遣社員であった。日揮は1969年からアルジェリアでプラント建設を行っており、アルジェリアで数々のプロジェクトを成功させてきた。また工事を行う際には現地のエンジニアを雇い、教育していたため現地での信頼は厚かったという。

http://www.youtube.com/watch?v=KOQAkWY4szs

http://www.youtube.com/watch?v=uTU9RKMDGZ0

 6 アルカイダ日本人拉致人質殺害事件

 イラク日本人人質事件は、2002年からのイラク戦争に関連して、2004年にイラク武装勢力がイラクに入国していた日本人を誘拐・拘束し、自衛隊の撤退などを求めた一連の事件。
 イラク現地の武装勢力が、イラクに入国した外国籍のボランティア、NGO職員、民間企業社員、占領軍関係者などを誘拐する事件が頻発した。誘拐の要求の多くは、誘拐した外国人を人質に、彼らが本籍を置く政府に対して、自国の軍隊(日本では自衛隊)をイラクから引き上げることを要求するものであった。

 2004年4月7日 - イラクで日本人3名(ボランティアと称する女性、フリーカメラマンの男性、ジャーナリスト志望の未成年の少年)が武装勢力によって誘拐される。4月8日 - カタールのテレビ局「アルジャジーラ」が犯行グループから送られてきた映像を放送した。犯行グループは、イラクのサマーワに駐留している自衛隊の撤退を要求する声明を発表した。犯行グループからの要求に対し、日本政府は自衛隊を撤退させる考えのないことを表明。
4月14日 - 新たに、日本人2人(自称ジャーナリストとNGO団体職員)がバグダード西方で何らかの武装勢力により連れ去られた。一方、イタリアのシルヴィオ・ベルルスコーニ首相は日本の小泉首相と同様に撤兵を断固として拒否する声明を出していたが、イタリア人人質の1人の殺害が公表された。
4月15日 - 日本人3名はイラク・イスラム聖職者協会の仲介もあり無事解放された。解放された3名は今回の犯行グループ名と思われる「サラヤ・ムジャヒディン・アンバル(アンバル州の聖戦士軍団)」と署名されていた犯行グループの声明文を所持していた。なお、後に解放の仲介をしたとされる地元有力者が殺害されている。
4月17日 - 14日から拘束されていた日本人2人がバグダード市内のモスクで解放された。

4月未明-フリージャーナリストと称する日本人2人がイラクの武装勢力に拉致された。この際の報道は前回ほど活発ではなく、ほどなく解放された。

10月未明-バックパッカーとしてニュージーランドからイスラエルを通じイラクに入国した日本人の青年が行方不明となり、10月24日、彼を拉致した犯行グループ「イラクの聖戦アルカーイダ組織」の声明がインターネットに公開された。
 30日、首を切断された遺体が発見され、後日になって殺害の模様が公開され、その後その動画がインターネット上に流布する事態となった。遺族は「息子は自己責任でイラクに入国しました。危険は覚悟の上での行動です」「彼の死を政治的に利用しないで欲しい」と言う声明を発表した。そのため、最初の人質3人のようなバッシングは起こらず、マスコミも比較的淡々と報道した。

 2005年5月9日-イラクの武装勢力「アンサール・アル・スンナ軍」がイギリス系民間軍事会社職員の日本人と銃撃戦の末拘束したとの声明を発表した。
 5月28日、武装勢力は日本人の死亡をネットに発表した。日本人を狙った計画的誘拐ではなく、戦闘で負傷し捕虜になったものであったため、テロリストから日本政府への要求は無いに等しく、それへの対応を巡って世論が割れる事も無かった。

http://www.youtube.com/watch?v=FqYAt_BuSog

 7 グァム島無差別通り魔殺傷事件

 グアム無差別殺傷事件 米グアム島の繁華街タモン地区で現地時間2月12日午後10時20分(日本時間同9時20分)ごろ、地元に住むチャド・ライアン・デソト被告(21)=加重殺人罪などで21日に起訴=が運転する車が暴走して通行人をはね、商店の壁に激突。被告はその後、周囲にいた人々を刃物で無差別に襲撃した。親族の結婚式や観光で訪れていた上原和子さん(81)、杉山利恵さん(28)、横田仁志さん(51)が死亡、日本人ら10人以上が負傷した。

http://www.youtube.com/watch?v=z0jBToMdixo

 8 高知学芸高校上海列車事故

 1988年(昭和63年)3月24日に中国上海郊外で発生した急行列車同士による列車衝突脱線転覆事故である。修学旅行のため乗車していた日本の高知学芸高校の生徒と引率教師が事故に巻き込まれ、多数の死傷者を出した。
 一行が乗車した311列車は、蘇州から杭州に向かうには運行上の都合から一旦上海で方向転換する必要があった。311列車は上海西郊の真如駅で停車し、そこで機関車を切り離し、再び後部に連結し直し進行方向を変えた。そこから南翔駅まで逆行し、待避線で対向列車を先行させたあと、上海郊外を迂回するバイパス線「南新線」に乗り入れて、さらに京杭線に乗り入れ杭州に向かう複雑な列車運行を行う予定だった。待避線は上海駅から15km離れた封浜にあった。311列車は急制動をかけて停車寸前に再び動き始めた。だが、これは決められた停止位置をオーバーランしており、単線区間の本線に入っていた。そのため本来の停止位置から160m離れた地点で、15時20分頃に北上してきた長沙発上海行きの第208急行列車と正面衝突した。衝突の衝撃で208列車の郵便貨車が脱線転覆し、311列車の2両目に3両目が食い込んだ。
 この事故では29名が死亡し99名が負傷したが、そのほとんどが大破した2両目に乗車していた高知学芸高校の修学旅行生一行であり、生徒27名と引率教諭1名が犠牲となり36名が負傷した。特に列車が食い込んだために破損がひどく、閉じ込められた乗客の救助は翌日まで掛かった。一行の大部分は3月26日に上海から高知空港に直行するチャーター便で帰国し、翌日、犠牲者27名の遺体は遺族とともにチャーター機で高知に帰った。後に重体の1名が死亡している。

http://www.youtube.com/watch?v=M73dWVhdQDQ

 9 ハワイ沖水産高校実習船えひめ丸事故

 えひめ丸事故(えひめまるじこ)とは、2001年2月10日8時45分(日本時間)、 アメリカ合衆国ハワイ州のオアフ島沖で、愛媛県立宇和島水産高等学校の練習船「 えひめ丸」が浮上してきたアメリカ海軍の原子力潜水艦「グリーンビル」に衝突され沈没した事故。乗務員の35人のうち、えひめ丸に取り残された教員5人、生徒4人が死亡し、12人が負傷。救出されたうち9人がPTSDと診断された。2002年11月14日、被害者35人のうち33人の家族ら、米国海軍から総額約1390万ドル(約16億8000万円)の補償金が支払われることで和解。

http://www.youtube.com/watch?v=8w8eV474Lkc

10 バリ島爆弾テロ事件

 2002年のバリ島爆弾テロ事件は、インドネシアのバリ島南部で発生したテロで、2002年10月12日に発生した。
 2002年10月、バリ島南部の繁華街クタで、路上に止めてあった自動車爆弾が爆発、向かいのディスコなど多くの建物が吹き飛んで炎上し、外国人観光客を含む202名が死亡した。犯行声明は無かったが、インドネシア当局は国内のイスラム過激派「ジェマ・イスラミア」(JI)幹部の多数を犯行容疑で拘束した。世界有数の観光地で発生したテロは衝撃を与えた。
 2008年11月9日、インドネシア政府は実行犯3名の死刑を執行した。インドネシアでは他にも、2003年8月に首都ジャカルタで米国系の高級ホテルが爆発して12名が死亡、2004年には市内のオーストラリア大使館が爆発して9名が死亡、2005年10月1日、クタのレストランで1人と、ジンバランの海岸レストランで2人が自爆テロを起こし、20名以上が死亡したなど、外国人や外国施設を目標とした爆破テロが続いて発生しており、これら全てにJIが関与したと考えられている。背景には、インドネシア国内でのアメリカやイギリスの進める対テロ戦争・イラク戦争への反発があり、表立って反対しない政府に対して、市民の不満が募っていることも関連があると見られている。

http://www.youtube.com/watch?v=qdRv7Rf7LEQ

11 釜山室内射撃場火災

 2009年11月14日、韓国・釜山市の室内射撃場「ガナダラ実弾射撃場」で爆発とともに火災が発生、日本人10人を含む15人が死亡した。火災に巻き込まれたのは長崎県雲仙市からのツアー客で、同じ学校の卒業生。出火場所は射撃室の出入り口に最も近い射撃台付近。射撃時に発生した火花などが、残留火薬やポリウレタン製の防音材に引火、一気に燃え広がったとみられる。

http://www.youtube.com/watch?v=YpAQe_ILJfs

12 アフガニスタンで日本人拉致、殺害事件

 2008年8月26日、アフガニスタンで人道支援活動を行う非政府組織(NGO)ペシャワール会メンバーの男性(31)が反政府武装勢力、タリバンに拉致された後、殺害された。アフガニスタンでは01年9月11日の米同時多発テロの後、テロを支援したとして米国を中心とする多国籍軍がタリバン政権を崩壊させた。しかし、その後も政情は不安定で辺境地域を中心にタリバンや武装組織が勢力を拡大、人道支援などを行っている外国人へのテロも相次いでいる。

http://www.youtube.com/watch?v=f9S9_txKzCM

13 スマトラ島沖地震

 2004年12月26日、インドネシア西部、スマトラ島北西沖のインド洋でマグニチュード9.3の巨大地震が発生。インド洋一帯を襲った大津波などにより死者22万人に達する大災害となった。特に震源地に近かったスマトラ島西部のアチェ地方は壊滅的な打撃を受けた。クリスマス休暇の観光客を中心にした外国人の被害者も多く、日本人の死者は40人(行方不明2人)に上った。タイのプーケット島や、スリランカの東海岸で津波に巻き込まれた例が多かった。

http://www.youtube.com/watch?v=dcq1CgRP3bY

14 米同時多発テロ

 2001年9月11日、米国東部で航空機を使った4つのテロ事件が発生、計2973人が死亡した。米国はウサマ・ビンラディンをリーダーとするテロ組織「アルカイダ」が計画、実行したと断定。犯人引き渡しを拒んだタリバン政権のアフガニスタンを攻撃することになる。日本人の犠牲者の大半が、旅客機の自爆攻撃で崩壊したニューヨークの世界貿易センタービルで被害に遭い、このうち12人が富士銀行(現みずほフィナンシャルグループ)とそのグループ企業の行員らだった。

http://www.youtube.com/watch?v=MbzFVX-3u3A

15 オーストリアケーブルカー火災事故

 2000年11月11日朝、オーストリア中西部のカプルンで氷河スキー場に向けてトンネル内を走行中のケーブルカーで火災が発生。猪苗代中学校(福島県猪苗代町)のスキー部員ら日本人10人を含む155人が犠牲となった。車内に設置された暖房器具の過熱が原因として、02年1月にケーブルカー運行会社幹部ら16人が失火罪で起訴されたが、ザルツブルク地裁は04年2月、全員に無罪を言い渡し、05年9月、リンツ高裁で確定。民事賠償でも2008年までに和解が成立した。

16 ミニヤコンカ遭難事故

 1981年5月10日、中国・天山山脈のミニヤコンカ(7556メートル)の登頂を目指していた北海道山岳連盟の8人が次々と滑落死。日本隊の海外登山では最大の遭難事故となった。困難な条件を求めて危険に挑む海外登山では大きな遭難事故も多く、世界最高峰のエベレスト(中国名チョモランマ、8848メートル)では登頂成功の後だけでも累計8人の日本人が死亡している。

17 マリアナ海域漁船集団遭難事故

 1965年10月7日、南太平洋に出漁中のカツオ・マグロ漁船7隻が、台風の進路を避けマリアナ諸島アグリガン島付近で台風を待避しようとしたところ、予想に反し台風の中心が同島付近を通過。死亡・行方不明者209人という海外での海難事故としては最大の被害を出した。海外での海難事故としては、64年12月に「宇治丸」がアフリカのアンゴラ沖で行方不明になり32人、82年1月に「第28あけぼの丸」がアリューシャン列島沖で転覆して同じく32人が死亡するなど、漁業関係での大きな被害が多い。

 その他

 第五福竜丸・・・ビキニ環礁で操業中、水爆実験により被爆した事件。

 シリア内戦、邦人ジャーナリスト銃撃死亡事件(山本美香さん)

 日本人留学生射殺事件

 ペルー日本大使館公邸人質襲撃事件  

 万里の長城遭難凍死事故

 追記

 シリアでのイスラム国よる日本人人質殺害事件(H27年1月:湯川遥菜さん・後藤健二さん)

 こうして考えると、数多くの日本人が異国の地で命を落としているかがよくわかる。中には避けられた事件や事故もあるが、概ね予期せぬ出来事である。当の本人は死の意識はもとより遠い外国でよもや死ぬとは考えてみなかった筈だ。覚悟もないままに殺害された命もあれば、運命に弄ばれるかのように翻弄された挙句に死んでいった方もいる。それが天命と呼ぶにはあまりにも悲しすぎる。やはり「君子危うきに近寄らず」というのがセオリーかもしれない。もし、この記事を読んで、海外に出向くのを躊躇ったり、恐怖心を抱かせてしまったら申し訳ないが、自分の命は自分で守らなければならないことを痛切に感じた事件事故だったように思う。これを次の教訓とし、同じ轍を踏まぬようにしていかなければ、犠牲になった方々は浮かばれないように思う。

 記事作成:2月27日(水)~28日(木)

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