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2013年4月

2013年4月25日 (木)

AKBにいそうな昔のアイドルたち

 世はまさにAKB時代。彼女達は歌だけでなく、ファンを大切にし、被災地支援などの慈善活動も数多く行うなど、従来にないような国民的アイドル像としての地位を確立した。当分はミリオンセールスのメガヒットが続くだろうし、総選挙という手法を導入し、自らが頑張る材料を構築。卒業と新加入を繰り返すあたりは、さすがは秋元康プロデュース。おニャン子で成功した手法を、彼らの子供世代にも適用し、更なるブレイクを引き起こした。されど、そんな今をときめく彼女たちにも引けを取らないようなアイドル全盛の時代がかつてあった。それは1980年代のバブル景気前後のことだった。次々とアイドルが登場しては、瞬く間に消えていった。たぶん今から四半世紀近く経過した今でも、決してAKBや乃木坂46にも劣らぬ程の顔立ちと歌唱力を持っていた。
 そこで本日は、私自身がミーハー時期を過ごした当時を懐かしむ目的で、現在AKBにいてもセンターを取れそうな、そんなかつてのアイドルたちを5人紹介したい。なおリンクした「YouTube」映像は予告なく削除される場合があることをご容赦願います。

 志村  香

 1969年7月30日生まれ。1980年代後半に活動した 東京都墨田区出身の歌手、タレント。堀越高等学校卒業。血液型:B。中学3年在学中の1984年9月、映画「パンツの穴(2)」のオーディションに応募、同年12月9日に池袋西武で行われた最終オーディションに於いて58,117名の中から選ばれる。翌1985年4月公開の映画で主役デビューを果たすと共に、4月21日には「曇り、のち晴れ」で歌手デビューも果たす(この曲は後に酒井法子がオーディションの際に歌い、また作者の尾崎亜美もセルフカバーしている)。当初のプロモーションはアイドル雑誌との連携など、前年デビューで系列事務所の菊池桃子を踏襲した展開で行われた。
 シングルは1985年から86年までの間に5枚発売されたが、オリコンチャートでベスト10入りした曲はない(最高位は「曇り、のち晴れ」「星のシンフォニー」の22位)。またアルバムはオリジナル・ベスト・他アイドルとのコンビネーション盤がそれぞれ1枚発売されている。
 1980年代半ばには国内2輪ロードレースのイベントなどにゲスト出演していたが、その後引退。

 岡本舞子

http://www.youtube.com/watch?v=w-5HzylwEIc

http://www.youtube.com/watch?v=yhBznpykZwM

 1970年9月3日生まれの東京都出身の女優、アイドル。フロム スクラッチに所属していた。血液型はO型。平尾昌晃ミュージックスクール東京本校出身。子役として芸能界入りし、西城秀樹が司会を務めた土曜日朝の情報番組「モーニングサラダ」から、「サニーサイド7」、「うるとら7:00(セブンオクロック)」(日本テレビ系列)へ続く一連シリーズのマスコットを務める。また、テレビアニメ「魔法の妖精ペルシャ」のテーマ曲「見知らぬ国のトリッパー」を歌うほか、声優としてもゲストで出演した。
 1985年4月25日に、ビクター音楽産業(現在:ビクターエンタテインメント)より「愛って林檎ですか」で正式にアイドルとしてレコードデビュー。同年「第4回メガロポリス歌謡祭」優秀新人エメラルド賞、「第16回日本歌謡大賞」新人賞を受賞した。その後はミュージカルへの出演等順調な芸能活動を続け、1987年には、松竹映画配給「舞妓物語」でスクリーンデビューを果たす。しかし、同年秋に引退。現在は、一児の母。

 彼女の歌唱場面の映像は埋込み処理が禁止されています。

 島田奈美

 

 東京都練馬区出身の音楽ライター、ディスクジョッキー。10代の頃は島田奈美という芸名でアイドルとして活動していた。富士見中学校・高等学校卒業。現在は島田奈央子として活動している。アイドル歌手時代には、シングル14枚、オリジナルアルバム10枚をリリース。、「身長161cm、体重44kg、B80W60H83、足23cm」。キャッチフレーズは「スイートでキュートな15歳」。所属事務所は「メリーゴーランド」。ベストテン番組にも出演した。4月から7月にかけて、TBS系ドラマ「お坊っチャマにはわかるまい!」にて、とんねるずの木梨憲武の妹、「平田奈美」役でテレビドラマデビュー。血液型は見るからにO型そのもの。

 河田純子

 1974年11月22日生まれ。」1990年代に活躍した日本のアイドル、シンガーソングライター、女優である。秋田県秋田市飯島字鼠田出身。血液型はO型。日出女子学園高校卒業。女子栄養大学短期大学部卒業。やはりO型アイドルは受ける印象が一緒。第2回東鳩オールレーズンプリンセスコンテストで準優勝(優勝は、麻田華子)し、これをきっかけに、13歳でテレビデビュー後、シングル9枚、アルバム3枚をリリース。ニックネームは「ジュンジュン(JUN2)」

 彼女は後に登場してきた姫乃樹リカにも似ている。

http://www.youtube.com/watch?v=-lgTAB6dI6s

 吉田真里子

http://www.youtube.com/watch?v=ls7gi2S7uME

http://www.youtube.com/watch?v=vGXjGk8t9aI

 1970年11月19日 は、1980年代後半から1990年代 前半にかけて活躍した日本のアイドル、シンガーソングライター。 兵庫県姫路市出身。 身長156cm、体重45kg。B型。スリーサイズはB79cm W59cm H80cm。1987年、第6回ミスマガジン特別賞を受賞。1988年、「とまどい」でCBS・ソニーからデビュー。シングル8枚、アルバム5枚をリリース。1993年、インディーズレーベル「ブルータートル」を設立。1999年、最後のライブ。以降、オフィシャルHPを開設し、時々日記を更新。ラジオ番組への出演、ファン向けイベントのみ活動。2002年、自身のHPにて、2001年9月21日に入籍した事を発表。あわせて芸能活動引退を発表。

 吉田万里子の詩集とCDを私は持っていた。今で言うグラビアアイドル系で、歌ドルという存在だった。長い髪にロリが多少入った印象。同じB型の空想系の菊池桃子にも似た登場をしていた。

 乃木坂は美少女揃いのユニットだが、今日紹介したかつてのアイドルたちが今、AKBにいても人気を独占しそうな印象。それほど1980年代はアイドル宝庫の時代だった。今見ても、ファッションや髪型、曲調などさほど古さは感じない。本日挙げた5人のアイドルは、トップアイドルとまではいかず、恐らく名前を覚えている方々は少ないかもしれない。しかし、彼女たちがスポットライトを浴びて、必死に歌い、輝いていた時期があったことを、ファンの一人として忘れる訳にはいかず、そういう趣旨から本日は掲載した次第である。

 記事作成:4月21日(日)

2013年4月23日 (火)

私の想い出の品

 今日は趣向を変えて実家に眠っていた私の想い出の品を紹介したい。4月14日(日)正午放送の「開運なんでも鑑定団」の外国人プロレスラーのサイン色紙のコレクターを見て思い出した。それは或る女性タレントのサインだった。さて、誰のサインかわかるだろうか?

 ヒント:昭和60年代、世の中を席巻した女性グループのうちの一人です。

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 正解は1985年に「夕やけニャンニャン」から誕生した素人女子高生グループで、その時期、AKB並みに人気が高かった「おニャン子グループ」、そして彼女はそのメンバーで会員番号16番、さらには「うしろゆびさされ組」という2人組ユニットのひとりでもあった。もうおわかりだろう。この色紙を書いた女性は高井麻巳子さんだ。まずは彼女のプロフを紹介したい。

 高井 麻巳子(たかい まみこ、1966年12月28日 - )は、日本の元アイドル歌手であり、 エッセイスト・イラストレーターである。女子美術短期大学中退。株式会社秋元康事務所 監査役。現姓、秋元(あきもと)。 1985年(昭和60年)から『おニャン子クラブ』の一員として芸能活動を行っていた。福井県出身で血液型はO。
 1985年(昭和60年)に福井県立若狭高等学校を卒業。若狭高校時代は出しゃばるタイプではなかったものの人気者で、ミス若高(じゃっこう)と呼ばれていた。高等学校卒業後、美術大学進学を目指して予備校へ入学すべく上京。
 1985年(昭和60年)4月、『夕やけニャンニャン』内のコーナー「アイドルを探せ」の出場者をスカウトをする企画で、原宿を歩いているときに伊藤克信にスカウトされる(が、番組側のやらせだったとの説もある)。同コーナーで「青い珊瑚礁」を歌い、おニャン子クラブ会員番号16番としてデビュー。

  •  1985年9月、おニャン子クラブから初のソロデビューとなった河合その子のキャンペーンに「withおニャン子クラブ」として同行。
  •  1985年10月、岩井由紀子(ゆうゆ)と二人でうしろゆびさされ組を結成、アニメ『ハイスクール!奇面組』の主題歌『うしろゆびさされ組』でユニットデビュー。
  •  1986年(昭和61年)6月、『シンデレラたちへの伝言』でソロデビューし、オリコン初登場1位を獲得。うしろゆびさされ組の活動と並行してシングル、アルバムを定期的に発売。
  • 1987年(昭和62年)4月でおニャン子を卒業、女優として連続ドラマに出演するなど活動の幅を広げる。忌野清志郎のファンであることを音楽誌のインタビューで語り、それを契機にRCサクセションのアルバム『COVERS』にゲスト参加。
  •  1988年(昭和63年)5月23日、ファンクラブ結成の直後におニャン子の仕掛け人である秋元康と結婚し、突然芸能界を引退する。
  •  2001年(平成13年)3月、長女出産。
  • 結婚後は表立った活動はなかったが、小説の挿絵などを手がけ、2002年(平成14年)、絵本『ぞうネコ』(秋元康・文、秋元麻巳子・絵)を出版。結婚後の活動はすべて「秋元麻巳子」名義。
  • 2004年(平成16年)頃、秋元康がメレンゲの気持ちに出演した時に、高井が自宅の様子をビデオカメラに撮影した模様が映った(本人も登場)。
  • Takai1 Takai2

     ではなぜ私がこれを所有していたかというと、私の3歳離れた実姉が当時、郡山市民文化センターに勤務していた。そこへ或るイベントで、彼女を含むおニャン子メンバーが訪問し、その際に、おニャン子好きだった弟のために、誰が誰だかわからないままサインをもらってきたという訳だ。確か実家にはもう一枚誰かのサインがあったと思う。もしかして立見里歌?しかし、それは今はもうない。ホコリがつかないようわざわざラップでくるんで応接間の扉の中にしまってあった。もう25年以上も前の出来事だが、長年実家に眠っていたというわけで、久方ぶりに日の目を浴びたということだ。

     おそらく彼女の名前を知っているのは、40代以上の方ということになるかもしれない。しかし、当時の彼女は新田恵利と人気を二分するほどの人気があり、他のメンバーに先駆けてユニットとソロとしてもレコード(当時はCDではない)デビューを果たしたのだった。しかしながら彼女を有名にしたのは、自分だけの力ではない。今をときめく人気放送作家兼プロデューサーで、AKBの生みの親、秋元康の夫人という事実だ。おニャン子も彼が作り出した人気グループだが、女子高生ブームを生んだだけではなく、いわば教え子ともいうべき存在の高井麻巳子を娶ったということになる。つまり、彼女が20歳くらいの時から唾をつけていて、スキを見てプロポーズし、結婚に至ったという経緯になる。普通に考えれば商売道具に手を出した単なるロリコンオヤジということになるが、彼は中央大学卒で、あの美空ひばりの「川の流れのように」の作詞を手がけるなど、印税がっぽりで、AKBでも儲けまくり、今や総資産100億円とも200億円とも言われる。つまり彼女自身も、それほどの大金持ちのセレブ婦人と言える。つまり、玉の輿に乗ったと言えなくもない。しかし、彼女が偉いのは、惜しむらくは秋元氏がそうさせているのだろうが、山口百恵と同様、芸能界から退いた後は、一切マスコミの前に登場しないことだ。「おニャン子同窓会」という特番に顔を出したこともない。これは賢い選択で、視聴者やファンにはあの頃の可愛らしい姿のまま、記憶に残っている点である。かつての夏目雅子もそうだ。

     では結びに、彼女が現役の人気アイドルだった頃の貴重な映像と、2004年の頃に自宅で撮影された出産後の彼女の姿をご覧いただきたい。

     夕やけニャンニャン「ザ・スカウト アイドルをさがせ」の名場面

     彼女の登場場面は3分23秒頃からです。

     うしろゆびさされ組

     高井麻巳子 - かげろう (おニャン子Sailing夢工場'87LIVE)

     「情熱れいんぼう」(お宝水着映像)

     「約束」

    http://www.youtube.com/watch?v=px8MBhqBrIk 

     渚の『・・・・』受難

     どうでしょうか?40代以上の方には懐かしいのでは?この頃はバブルの絶頂で、人々の懐も潤っていた。現在、爆発的流行中のAKBの反映の下地を作ったのは、彼女たちである。その後、他人数ユニットは、桜っ子くらぶやモー娘。に受け継がれ、そして同じ秋元康プロデュースのAKBに行き着いた。そう言う意味で、彼女たちおニャン子クラブが果たした役割は大きいものがある。高井麻巳子はそんな中、おニャン子でも5本の指に入るほどの人気を博したのだった。はて、私が持っているこのサイン、一体いくらぐらいの価値があるのだろうか・・・。本日回顧した「高井麻巳子」は私の大学時代のアイドルだった。私好みのアンニュイな感じで、見るからにO型っぽい顔立ち。色白に長い黒髪。性格も穏やかで、私の好みで言えば、ど真ん中ストレートだった。

     それでは、最後に最も最近、彼女の近況を伝える自宅の映像をお送りして結びとしたい。

    http://www.youtube.com/watch?v=edNUBjthYtE

     記事作成:4月14日(日)

    2013年4月18日 (木)

    今は亡き美人スターたち

     つい先日、女優の坂口良子さんが急逝し、この世を去った。57歳という若さで、これから女優としてもう一花咲かせようという時に・・・。何とも残念でならない。謹んでご冥福をお祈りしたい。ところで、1964年生まれのテレビっ子だった私にとって、物心ついた頃に、いつでも傍らにテレビがあり、ドラマや映画、スポーツ中継やドキュメンタリー、娯楽番組まで多彩なテレビ番組に胸をときめかしながら観ていた時代が懐かしい。今日のブログは、半世紀近く私がテレビを見続けて来て、今は亡くなられた天国のスターで、美人だと思う方々を10名ピックアップして紹介したい。

     1位 坂井泉水

     ご存知ZARDのヴォーカルだった坂井泉水さん。「美人薄命」とは彼女のためにあるような言葉だ。どことなく影があって、謎めいた女性として登場した。主な活動はCD販売で、デビュー当時、テレビの歌番組への出演やコンサート活動などはあまり行わず、神秘のヴェールに包まれた覆面ユニット的な存在だった。それがレコードジャケットで横顔やわざとぼかした姿で登場したために、実在するのかすらわからない有様だった。ところが、MJなどに登場すると、その容姿端麗な美形な出で立ちに誰もが息を飲み、吸い込まれるような感覚に襲われたに違いない。「揺れる想い」「負けないで」など、立て続けにヒットを飛ばし、1990年代のミュージックシーンを牽引した。40歳で闘病中に不慮の事故によりこの世を去った。彼女の墓でさえ、未だに非公開とされている。血液型はA

     2位  大原麗子

     日本の女優の中では絶世の美女の部類に入る大女優だった。悩ましい表情とどこか落ち着き払った不思議な存在の年齢よりもずっと若く見えた小悪魔的な和服美人。渡瀬恒彦、森進一と結婚したが、相次いで離婚した。私生活よりも女優業を優先し、いつまでも光えい輝いていたかったという印象。器用ではなく、両立は難しかったように思える。渡瀬恒彦との離婚は精神的なショックが大きく、また未練たらたらで、運転手に訳もなく渡瀬の自宅の前を通るように懇願していたこともエピソードとして残っている。代表作は「春日局」、「徳川慶喜」、「雑居時代」。東芝日曜劇場は常連だった。2009年8月6日、連絡が取れず不審に思って警察に通報していた実弟らによって、自宅で死亡しているのが発見された。行政解剖の結果、死亡推定日時は同年8月3日。62歳没。死因は不整脈による脳内出血であると診断された。血液型はAB

     3位 田中絹代

     山口県出身の大正・昭和期の日本の大女優・映画監督。日本映画の黎明期から日本映画界を支えた大スターであり、日本映画史を代表する大女優の一人。世界三大映画祭(カンヌ・ヴェネツィア・ベルリン)の全てにおいて出演作が受賞している。また、日本で二人目の女性映画監督でもある。恋多き女性としても有名で、清水宏監督との同棲生活と破局、慶應義塾大学野球部の花形スターだった水原茂とのロマンスなどは大きな話題となった。溝口健二監督は、田中に惚れていて結婚を願望していたが、田中の側は溝口に魅力を感じておらず、新藤兼人や田中の証言によると溝口の片思いだったと言われる。
     神奈川県鎌倉市の鎌倉山にあった自宅敷地は「絹代御殿」と呼ばれるほどの風格ある建築物だった山椒洞。代表作は「愛染かつら」、「西鶴一代女」、「前略おふくろ様」
     1977年3月21日、肺癌が転移した脳腫瘍のため67歳で死去。死後、勲三等瑞宝章が授与された。

     4位 夏目雅子

     今も語り継がれる伝説の女優としての地位を確固たる不動のものとしている。1977年、カネボウ化粧品のキャンペーンガールとなり、「クッキーフェイス」のCMで注目を集め、この時、夏の注目の目玉商品になることで、芸名を本名の小達雅子から夏目雅子へと改名した。1978年、NHK大河ドラマ『黄金の日日』に出演。日本テレビ系『西遊記』では三蔵法師役を演じて人気を得る。この時、「頭の形が良く、美しくて神々しい」と話題になった。ドラマは好評で、翌年放送される『西遊記II』にも出演。1981年、『野々村病院物語』に出演。NHK大河ドラマ『おんな太閤記』にもお市の方役で出演。この年にバセドウ病の手術を行った。1982年、『鬼龍院花子の生涯』の台詞「なめたらいかんぜよ!」が流行語となる。自らがヌードとなり、迫真の演技が話題になりこの作品でブルーリボン賞獲得。演技派女優としての地位を確立した。1984年、不倫していた作家伊集院静と結婚。1985年2月14日、舞台『愚かな女』の公演の最中に体調不良を訴え、出演続行を望む本人を何とか説得して、翌2月15日、慶應義塾大学病院に緊急入院した。急性骨髄性白血病と診断された。
     1985年9月11日午前10時16分、逝去。約7ヶ月という長い闘病生活を送りながらも順調に回復し、退院間近の報道もあった矢先であったが、その後、抗がん剤の副作用等が原因とみられる肺炎を併発。8月下旬からずっと高熱を発し、9月8日に突然熱が一時的に引いたが、翌日から高熱を発して意識不明の重体になり27歳で死去。血液型はB

     5位 坂口良子

    1971年(昭和46年)、ミス・セブンティーンコンテストで優勝し、芸能界入り。1972年、フジテレビのドラマ『アイちゃんが行く!』で主演デビュー。その後も『たんぽぽ』『前略おふくろ様』『犬神家の一族』等人気作品に次々と出演、愛くるしい顔立ちと親しみやすいキャラクターで人気を集めた。さらに、『池中玄太80キロ』ではキャリアウーマンを演じるなど演技の幅も広げ、写真集ではヌードも披露するなど大人の女優への転身を計った。その後も2時間ドラマ等に出演していた。晩期には2008年(平成20年)から芸能活動を開始した娘の坂口杏里との母娘共演が多く、母娘でゲスト出演した2013年(平成25年)1月10日放送の『ダウンタウンDXDX 2013新春スペシャル』が最後のテレビ出演となった。
     2013年(平成25年)3月27日午前3時40分、横行結腸癌および肺炎のため死去。同月中旬には『週刊女性』が坂口の重病説を報道、これに対して坂口は自身のブログで、前年末から腸閉塞・肺炎・インフルエンザに罹患し、点滴治療を受けるなどして静養中であると説明していた。57歳没。血液型はO

     6位 松本友里

     1980年代にアイドル歌手としてデビューし、その後女優に転身し、時代劇の町娘役での出演が多かった。大地真央と離婚した松平健と再婚したが、母親の介護疲れで極度のノイローゼに見舞われ、その後、母親が死去。うつ病を患うようになり、夫の松平健が舞台公演中に自ら命を絶った。2010年11月15日午前3時ごろ、自宅のドアノブにロープで首をつっているのを泊まり込みのベビーシッターが発見し警察に通報、死亡が確認された。遺書の有無は明らかにされていない。42歳没。血液型はA

     7位 岡田嘉子

     広島県出身、大正 - 昭和初期、サイレント映画時代のトップ映画女優であった。奔放な恋愛遍歴とソビエト連邦(現在のロシア)へ亡命するなど波乱の生涯を送ったことでも知られる。第一回作品は1923年(大正12年)倉田百三の戯曲「出家とその弟子」をベースにした「髑髏の舞」。愛欲心理描写がサイレント期、日本映画のエポックとなった新生日活のこの大作で、嘉子は町娘を演じ映画でも一躍スターとなった。1927年(昭和2年)「彼をめぐる五人の女」に主演、これもベストテン2位となりモダンなタイプのヒロイン像は、それまでの日本の女優にないタイプのもので新しい時代の息吹きとして大きな評判を獲る。同年、大作映画「椿姫」のヒロインに抜擢される。今までに無い意欲を持って撮影に挑んだが、ロケ現場で群集を前に村田監督から罵倒に近い叱声を浴びたり、私生活の悩みを抱えそれを相手役の美男俳優、竹内良一に相談したところ衝動的に駆け落ちし失踪。新聞は「情死をなす恐れあり」などと書きたて、スキャンダルとして大騒ぎになる。まもなく結婚。日活は解雇され映画界から閉め出された。恋の逃避行は彼らを大衆のアイドルとしたが、反面その奔放さに対する反感も強く、舞台では立ち往生させられるほどのひどい野次に見舞われた。
     1937年(昭和12年)日中戦争開戦に伴う軍国主義の影響で、嘉子の出演する映画にも表現活動の統制が行われた。過去にプロレタリア運動に関わった杉本は執行猶予中で、召集令状を受ければ刑務所に送られるであろう事を恐れ、ソ連への亡命を決意。1937年(昭和12年)暮れの12月27日、二人は上野駅を出発。北海道を経て翌1938年(昭和13年)1月3日、2人は厳冬の地吹雪の中、樺太国境を超えてソ連に越境する。駆落ち事件として連日新聞に報じられ日本中を驚かせた。1992年、モスクワの病院で死去。89年の波乱に満ちた生涯に幕を閉じた。

     8位 本田美奈子

     高校2年生の1984年9月に第8回長崎歌謡祭に本名で出場し、「夢少女」という楽曲を歌ってグランプリを受賞。このことがレコードデビューのきっかけとなった。1985年4月20日に東芝EMIから「殺意のバカンス」でデビューした。1986年2月5日に「1986年のマリリン」をリリース。へそを露出させた衣装や激しく腰を振る振り付けなど当時のアイドル歌手としては異例の演出と相俟って大ヒットとなった。
     1990年、ミュージカル『ミス・サイゴン』のオーディションを受け、約1万5000人の中からヒロインのキム役に選ばれた。1992年5月5日『ミス・サイゴン』日本初演。以来一年半のロングランをこなし、その歌唱力、演技力を高く評価された。1992年度第30回ゴールデン・アロー賞演劇新人賞を受賞。
     1994年、『屋根の上のバイオリン弾き』にホーデル役で出演。1997年、『レ・ミゼラブル』にエポニーヌ役で出演。以後も繰り返しこの役で出演した。
     2004年末頃から風邪に似た症状や微熱が続いた。本田は翌2005年1月12日、急性骨髄性白血病と診断を受けて緊急入院、その翌日にはその事実が公表された。その後肺への合併症から容態が急変し、同年11月6日午前4時38分、家族らの見守るなか、死去した。38歳没。血液型はO

     9位 乙羽信子

     鳥取県出身、大阪育ちで、小学校のときから日本舞踊を習い、また、養父の姉に連れられて宝塚歌劇を見に行くうち、憧れるようになり、1937年、宝塚音楽歌劇学校に入学する。宝塚歌劇団26期生。同期生に越路吹雪、月丘夢路、東郷晴子、大路三千緒、浦島千歌子、瑠璃豊美らがいた。1939年の公演『宝塚花物語』で同期生達と共に初舞台を踏む。戦後、再開された公演でトップ娘役(主に雪組公演出演)として淡島千景と人気を二分し戦後の宝塚歌劇団第一期黄金時代を支える。その後退団し、松竹や大映に入社し、銀幕のスタートして映画出演四人気を博す。1952年、「近代映画協会」を設立していた新藤兼人の第1回自主制作映画『原爆の子』に大映の反対を押し切って出演する。これを機に大映を退社。近代映画協会が製作する映画に立て続けに出演する中で、それまでの「宝塚歌劇団出身」「お嬢様女優」「百萬弗のゑくぼ」「清純派」のイメージから180度転換し強烈なリアリズムあふれた演技を見せ、日本映画史にその名を残すこととなる。それを象徴する作品で、代表作となったのが、1960年の『裸の島』である。せりふが一切なく、登場人物も狭い島で働く夫婦だけという実験的な映画であったが、そのリアリティーあふれる画面は大好評となり、第2回モスクワ国際映画祭でグランプリを受賞するなど、世界的に高い評価を受ける。
     1978年、新藤と結婚。結婚後、最初の作品となった『絞殺』で、1979年、ヴェネツィア国際映画祭最優秀主演女優賞を受賞する。杉村春子との共演で話題になった新藤の『午後の遺言状』の撮影を終えた1994年12月22日午前、肝臓癌による肝硬変で死去。享年70。

    10位 高峰秀子

     北海道函館市出身。夫は松山善三。1929年に映画『母』への出演で子役でデビューして以降、戦前・戦後を通じて日本映画界で活躍したスターの一人。1979年に女優を引退した後にはエッセイストなどとしても活動した。街を歩いていてもファンに追いかけられるという人気だったが、ある日逃げ込んだ銀座の骨董品屋で骨董品の魅力に取り付かれる。以後骨董品集めが趣味となり、造詣が深い。東宝では『綴方教室』、『馬』などの映画に出演し、天才子役から女優へと成長していく。『馬』で助監督を務めた黒澤明と撮影中に恋に落ちたが、母親の反対で別れさせられた。東宝争議で、大河内伝次郎、長谷川一夫、黒川弥太郎、藤田進、原節子、高峰秀子、山田五十鈴、入江たか子、山根寿子、花井蘭子で「十人の旗の会」を結成、政治的イデオロギーの強い東宝労働組合を脱退し新東宝へ移籍。その後は小津安次郎や市川崑などの名監督の作品に出演し、昭和を代表する女優に成長。1979年女優引退を発表。引退後はエッセイストとして活動。2010年12月28日、肺がんにより東京都渋谷区の病院で死去。86歳没。

     彼女たち以外では星玲子さん、高杉早苗さんも美人だった。

     今もご存命で日本を代表する美人女優(御歳50歳以上)

     1位 吉永小百合

     2位 原 節子

     。「永遠の処女」と呼ばれ、戦前から戦後にかけて活動し、日本映画の黄金時代を体現した。代表作に『わが青春に悔なし』、『青い山脈』、『めし』、『東京物語』などがある。本名は会田 昌江(あいだ まさえ)。1963年に女優業を引退した。2000年に発表された『キネマ旬報』の「20世紀の映画スター・日本編」で女優部門の第1位にノミネートされている。現在92歳になられている。

     3位 岩下志麻
     4位 松原智恵子
     5位 山本富士子
     6位 ひし美ゆり子
     7位 八千草薫
     8位 樋口可南子
     9位 栗原小巻
    10位 竹下景子 

     他にも浜木綿子、酒井和歌子、山本陽子、島田陽子、夏樹陽子、十朱幸代さんも美人女優の代表だろう。

     記事作成:3月中旬~4月4日(木)

     追記

     昨日(4/17)に昨春まで勤務していた三春町の職場で、一緒の部署で、しかもデスクが隣だった元同僚が急逝した。まだ40歳という若さだった。同じ年(平成21年4月)に転勤し、苦楽を共にした女性だった。まだ独身で、おっとり系で可愛らしい声で、結構ウマが合って冗談を言い合った仲だった。4月8日まで、普通通りに勤務していたらしい。今でも信じられないでいるが、本日のテーマと合致する出来事に言葉が見つからず、途方に暮れている。今はただ、彼女の冥福をお祈りすることしかできない。一緒に仕事ができたことを心から嬉しく思う。この場をお借りしてお悔やみ申し上げます。(SUZU)

    2013年4月16日 (火)

    野球小僧の妄想話

     私は小学校でソフトボールに熱中し、同じ時期にV9を達成し、圧倒的な強さを誇った巨人の大ファンになり、中高時代には野球を齧っていた。つまり、私の学生時代は野球と共にあったと言って過言ではない。いや、これでは軽い気がする。相当の「野球キチ」だったと言っておこう。恐らく、私と同じ野球少年の幼少時代を過ごした方は、「私と同じことをしていたのではないか?」というのが今日のテーマだ。敢えて「妄想話」と題したが、誰もが同じことをした経験があるのではないだろうか。では早速4つに分けて話したい。

     1 ドラフト会議が来るたびに、自分が指名された時のことを考えた!

     絶対にありえないのに、毎年秋に行われるプロ野球ドラフト会議で自分が指名された時の模様を妄想したことがある。とんねるずの石橋貴明やSMAPの中居正広も同じことを口にしていたことを聞いたことがある。野球少年だった人は、同じことを想像したことはないだろうか。そして指名後、大勢のマスコミに囲まれる場面を空想したり、インタビューやサインの練習をしたり、自分の背番号まで思い描いたことがないだろうか?これは野球少年の永遠の夢に違いない。今ではメジャー挑戦も決して夢ではなくなったが、当時は、メジャーなどという発想自体がなかったので、その重い門戸を開いてくれた野茂英雄は、国民栄誉賞に匹敵するだけの功績であろう。当然、ドラフト会議での指名の瞬間は、今は亡きパンチョ伊東さんのアナウンス。そして勝手に複数指名で、くじを引き、念願の球団からの指名を勝ち取った時の安堵と歓喜の表情がテレビ画面に大写しになる。そしてその球団の帽子をかぶって、部員たちに胴上げをされている絵が浮かぶ・・・。

     2 勝手に自分のプロ入り後の成績を想像し、引退するまでの年俸額を考えた!

     例えばこんな具合である。ノートに書いて密かに楽しんだことがあったのでは?

     <投手の場合>

           登板  勝  敗  S   奪三振  防御率    年俸     年齢
     1年目  18   8   2   3       120   1.98   900万円    19
     2年目  29  15   6   0   202   2.04  2700万円    20
      ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
    10年目  32  17  8   1   218   2.31  2億8千万円   28
     計    294 155 87  12  2011   2.29   
      ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
    15年目  33  18  9   0   201   2.51  3億5千万円   34  
    20年目  19  10  7   0   151   3.10   現状維持    39 
     計    601 281 142  27  3911   2.54   生涯獲得 33億5千万円     

     <打者の場合>

            試合  打数  安打  打点  本塁打  打率    年俸
     1年目    88   277     67   41    12   .241     900万円   
     2年目   121  415  129      87    23   .310     3100万円
      ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
    10年目   144   467  155  103   45   .332     3億2千万円 
     計    1276  4112   1291 987    341  .314  
      ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
    15年目   140  439  137   97    40  .312   5億2千万円
    20年目   88   288    81   64    17  .281    引退  
     計    2319  8219 2585 2001  510  .314 生涯獲得 39億3千万円  

     3 勝手に順位を予想し、順位表の変化を勝手に作成したことがある!

            試合  勝   敗  分  勝率  ゲーム差
    1 阪神   65   41  22  2  .650   - 
    2 中日   69   40  28  1  .588  3.5
    3 巨人   68   37  26  5  .587  0.5

            試合  勝   敗  分  勝率  ゲーム差
    1 阪神   65   41  22  2  .650   - 
    2 中日   69   40  28  1  .588  3.5
    3 巨人   68   36  27  5  .571  1.5

            試合  勝   敗  分  勝率  ゲーム差
    1 阪神   102  62  37  3  .626   -     マジック37
    2 巨人   101  54  39  8  .580  5.0
    3 中日   108  61  45  2  .575  0.0

            試合  勝   敗  分  勝率  ゲーム差
    1 巨人   144  80  55  9  .592   - 
    2 阪神   144  83  58  3  .588  0.0
    3 中日   144  80  61  3  .587  3.0

     こんな感じで、最後まで劣勢だった贔屓チームが、最終決戦で大逆転優勝を果たすという場面を思い描いたことはないだろうか?かつて巨人VS中日が最終戦までもつれ込み、斎藤、槇原、桑田と3本柱を投入した巨人が、敵地のナゴヤ球場で劇的な逆転Vを果たしたことがあったが、これを再現したようなペナントレース予想だ。

     4 最後は超美人アナウンサーやモデル、タレントと結婚する。

     古田、笘篠、石井一、緒方、和田、林、新庄、井端、松中、青木、イチロー、松坂、高橋由、斉藤和巳、黒田哲史、西岡、岩隈、岡島秀樹、内川、澤村、岩村、中村剛也、田中賢介など、みんな奥さんは綺麗。こんな絶世の美女との結婚を夢見たことはあるのでは?はっきり言って最後のこれは妄想以外の何物でもない。

     この中で、私が一番美人だと思うのは、今季、楽天から古巣のヤクルトに復帰した元メジャーリーガー岩村明憲の奥様、美幸貴さんだと思う。若い頃の森高千里のようだ。

    Iwamura Iwamura3

    Iwamura Iwamura2

     記事作成:4月8日(月)

    2013年4月10日 (水)

    「郡山発!おもしろ看板大集合」第一弾

     今回はおもしろいオブジェではなく、どこにでもありそうなおかしな、おもしろ看板特集である。昔から看板というと、町外れの田舎の商店のトタン板の側壁に決まりごとのようにかけられた「オロナイン軟膏」(浪花千栄)や「オロナミンC」(大村崑)、「ボンカレー」(松山容子)、「金鳥蚊取り線香」(美空ひばり)、「アース」(水原弘・由美かおる)のブリキ製の看板。今となっては過去の遺物だが、最近は何とかして注意を引こうという見栄見栄の凝った看板が多い。やむすると誇大広告でJAROからクレームが来そうだが、ここ、郡山市内で見かけたそんな滑稽極まりないデザインの看板を紹介したい。

     1 名前がユニークな呼吸器科クリニック

     これは会津街道を北上し、喜久田小学校前を通り、本宮街道とぶつかったT字交差点立っている。名前が面白くてエントリーした。最近、大きないびきや睡眠時無呼吸症候群、不眠症で悩んでいる患者が増えていることから、治療すれば安眠できることをアピールしてこのようなネーミングにしたんだろう。

    P8192361

     睡眠時無呼吸症候群(SAS)患者には朗報。その名も安心を誘う「ぐっすりーぷ呼吸器クリニック」だ。英語で快眠・安眠を意味する「GOOD SLEEP」と日本語の「ぐっすり」を掛けている。日本でも珍しいSAS治療の専門医院だ。ダジャレ好きの院長でもいるのかな?

    http://www.gusleep.jp/

     他にも風変わりな病院の名前が郡山には数多い。フレンドリーな印象を与えようという狙いか?例えば 「川のほとりの歯医者さん」とか「いちろうクリニック」、「きらきら歯科」、「郡山ほっとクリニック」、「ミッキー歯科クリニック」、「ユニバース歯科」、「タウン形成外科クリニック」、「ワイズデンタルクリニック」、「東京ノーストクリニック」、「ロマリンダクリニック」など、やたら横文字やカタカナ表記の病院だらけ。

    Dvc00206

     2 巨大鯉が空を舞う?

     そこは郡山南ICに向かう途中、三穂田町のカルチャーパークの手前にある。店の入口にはすぐそれとわかる巨大ディスプレイ、というよりオブジェのような看板が聳える。ここ郡山市は日本一の鯉の養殖地であり、町の西南部を中心に池や生簀を備えた販売所が点在している。残念ながら、今年6月に、この近くの養鯉場で5歳の男児が自転車で生簀に落ち、亡くなるという痛ましい事故が起きてしまった。

    P9042464

    一世を風靡したブリキ製の看板

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     関連ブログ

    http://edelweiss.inside-ricefield.com/kamban/~top.html

     この記事を書き始めて何と8ヶ月経過した。途中何度も頓挫したが、今回は第一弾として紹介し、その後、面白い看板を見つけたら続編として執筆し、公開したいと思っている。

     記事作成:平成24年7月17日(火)~

    2013年4月 9日 (火)

    想い出のドラマ「キスの温度~いちばん近い他人~」

     私が東京で大学生活を送っていた1987年頃、一本のトレンディ系の映画が封切りされた。バブル時代を象徴するひとつ、空前の「スキーブーム」を巻き起こした時代反映するかのように制作されたのが「私をスキーに連れてって」だった。スキー場で知り合った若い男女が、都会に戻ってみると、同じ会社の社員だった。運命を感じそうなストーリーがウケ、大ヒットとなった。そのテレビ版として登場したのが、1話完結として制作放送されたパナソニックドラマ「キスの温度」だった。スキーツアーのバスで出会った若い男女が、東京で再会し、しかも同じ部署に異動してきて、同じプロジェクトに携わる内容。出来過ぎの感は否めないが、「東京ラブストーリー」でトレンディドラマの女王の座を不動にした鈴木保奈美が主演し、その相手役に、一世風靡セピアのメンバーとして硬派な印象で出てきた柳葉敏郎が共演。更にはそれぞれの友達役として山口智子と石黒賢、それに岩城滉一が脇を固めるという豪華布陣でキャスティング。視聴率も高かった。そして、この主題歌を担当したのが、稲垣潤一だった。

     放送日 1990年5月9日(水) 21時3分~22時52分
     放送局 日本テレビ
     番組名 パナソニックスペシャル「キスの温度いちばん近い他人」
     主題歌 稲垣潤一「一番近い他人」 
     出演者
     柳葉 敏郎、鈴木保奈美、山口 智子、石黒  賢、中畑  清、比企 理恵、鳥越 マリ、岩城 滉一(特別出演)、吉川十和子(君島十和子)、室田日出男、布施  博(友情出演)、風間トオル(友情出演)、屋敷かおり、筒井由美子、松村彦次郎、甲斐 美恵、鈴木 祥仁

     内容は、スキー場での運命の出会いから東京に帰って、偶然に同じ会社の同じプロジェクトの仕事に携わることになった。鈴木保奈美は年上でいつも上から目線の彼氏、岩城滉一と交際し、最初は「ブチ切れ男」と嫌っていた鈴木だが、仕事で衝突ばかりしてすれ違ってばかりいた柳葉に徐々に心惹かれていく。「白浜リゾート」開発プロジェクトでも意見は真っ向から対立。若い女性をターゲットにし、トレンディ路線を提案する鈴木と小さな子供から「老人までが楽しめるのが本当のリゾートだ」と持論を譲らない柳葉。しかし、企画書が採用されたのは鈴木のプランだった。負い目を感じながらも仕事に邁進するOLの姿を映し出した。ギクシャクしたり、お互い気になったりと揺れる恋愛感情や恋心の微妙な動きを巧みに描写したドラマだった。最後はコンサート会場に彼が現れるか否かで恋が成就するか運命が託される。

    Kiss1 Kiss

    Kiss2 Kiss3

    Kiss4 Kiss5

    Kiss6 Kiss7

    Kiss8

     動画映像(冒頭部分のみ埋め込み処理しますが、削除される場合あり)

     

     挿入歌の大部分が稲垣潤一の楽曲だった。

     トライアングル
    http://www.youtube.com/watch?v=OgY-tloS-2Q

     Stay with me
    http://www.youtube.com/watch?v=l_gIyhci1u8

    Just the same
    http://www.youtube.com/watch?v=beJzPrlfFBI

    1969の片想い
    http://www.youtube.com/watch?v=aFDdglJL5hQ

     唇を動かさないで
    http://www.youtube.com/watch?v=uub1ZbQO2Sc

     生まれる前にあなたと
    http://www.youtube.com/watch?v=DssSqQmu1hc

     君に逢いたい午後
    http://www.youtube.com/watch?v=dhpTr91-S1Q

     君らしくない
    http://www.youtube.com/watch?v=oXTMu_Wq7Hc

     時を越えて
    http://www.youtube.com/watch?v=RE-I76G6z_8

     私がお気に入りだったシーンは、冒頭のザイラーバレースキー場を颯爽と雪煙を上げて滑走する柳葉敏郎のスキーシーン。とにかくかっこよかった。秋田県出身で運動神経抜群だった彼は、吹き替えなしでウェーデルンやパラレルを綺麗に決めていた。赤いウェアーが白いゲレンデに映えていた。

     私は放送された時にVHSビデオに録画した。それを30回以上は観ていたと思う。私は当時26歳で、4つ下の彼女と交際していたが、恋愛バイブルともいえる作品だった。今もビデオを所有しているが、肝心のデッキが壊れてしまい、観ることはかなわない。1年後に鈴木保奈美と風間トオルが共演した「五月の風」というパナソニックドラマも録画して所持していた。
     なお、この作品は既に23年も前になるが、DVD化はされていない。観たい方は、VHSビデオを今でもTSUTAYAでレンタルしているので是非どうぞ。

    http://store.tsutaya.co.jp/item/rental_dvd/180458287.html

     参考ブログ:「ハルカの記憶」(このブログから画像をお借りしました)

    http://taiyounokioku.cocolog-nifty.com/blog/2009/12/post-0dd5.html 

    記事作成:3月31日(日)

    2013年4月 8日 (月)

    続・台湾が日本にしてくれたこと~日台友好~

     今更だが、今年のWBCは日本の三連覇の夢は潰えた。しかし、その悔しさよりも、もっと大事なことをこの大会を通じて私たちは学んだ気がする。3月8日、東京ドームで行われたアジアラウンドでの台湾戦を覚えているだろうか?
     先の震災において、台湾から寄せられた数多くの善意の支援に、日本人がどれほど台湾の方々に感謝し、心からお礼を言いたかったかがわかるし、また、それに応えてくれた台湾の代表選手や台湾の方々にも感動し、涙した。まずは、その感動し、涙した映像を見て欲しい。

     どうです?涙が出ませんか?きっかけはツイッターに日本の若者が書き込んだ或るアイディアだった。翌日に迫ったWBCの日台戦で、球場内で東日本大震災で「世界一となる200億円を超す義援金を送ってくれた台湾に感謝の意を示すプラカードを掲げよう」というものだった。これに多数の日本国民が賛同。当日は、日本人と台湾人の真の友好関係を国内外にアピールするものとなった。

     しかし、心温まるストーリーはこれで終わらなかった。試合前、試合中を問わず、オーロラビジョンで球場内が映し出される度に、「台湾多謝!」とか「謝謝台湾」、「I LOVE 台灣」などと書かれたプラカードを掲げた日本人の姿を見た台湾の選手が感動し、試合後に、僅差で敗れた台湾のナショナルチームの選手たちが、マウンド上で円陣を作り、360度、日本式の深々としたお辞儀をして礼には礼を尽くしてくれたのだった。この模様は、試合終了後だったため、地上波では放送されなかったが、球場に詰めかけた野球ファンからは、感動の拍手に包まれたという。そして試合後も、球場外で台湾の応援団と日本の野球ファンが一緒に記念撮影し、握手を交わすなど友好ムードは最高潮に達したというのだ。

     台湾人は、震災から2年も経過しているのにもかかわらず、未だに日本人が台湾からの心からの支援に感謝し続けていることに驚いた様子だった。日本人は何と義理堅く、人情味あふれる民族なのかと・・・。これを契機にますます両国が親密になることを願ってやまない。

     最後に、この動画に寄せられた視聴者のコメントと関連動画を紹介したい。

     あの、お辞儀の理由がよく解りました。本当に嬉しいです。泣けます。日台の関係がこれからもっと発展することを願っています。多謝台湾!

     正直台湾いい意味では日本よりも日本らしいと思う。

     この試合、本当に観客は国籍関係ない一体感がありました。この試­合を観に行けた事は一生忘れないと思います。両国の選手、観客の­方々、感動を本当にありがとうございました。

     たった今、娘と一緒にこの動画を見ていて、感動のあまり涙を流し­てしまいました...娘の前で涙を流したのは初めてです...日本のメディアはもっともっと台湾の方々への感謝の気持ちを大き­く伝えるべきです。台湾の方々、本当に有難うございます。謝謝台彎!

     日本の野球があるから台湾の野球があり、台湾の支援があるから今­の日本がある。つくづく野球っていいなと思いました…

     <関連ブログ>

    http://www.youtube.com/watch?v=WI8cyb5UjGs

    http://www.youtube.com/watch?v=NX9H_jthWBg

    http://www.youtube.com/watch?v=WX2ySUiVuRg

    http://www.youtube.com/watch?v=53E1f2FNkdY

    http://www.youtube.com/watch?v=z-oqrI_8KJ8

    http://www.youtube.com/watch?v=CLvzgOzEdfs

    http://www.youtube.com/watch?v=z-oqrI_8KJ8

     男性必見のおまけ

    http://www.youtube.com/watch?v=rvqbAaHvR5c

    http://www.youtube.com/watch?v=3FcuxRYQ0EM

     記事作成:4月6日(土)

    2013年4月 7日 (日)

    2013年春・福島を去ったアナウンサー

     4月に入ってから急激にアクセスが殺到した。それは「福島県の人気女子アナ10傑」という、私が2年前に掲載した記事だった。理由は3月いっぱいで福島県内のテレビ局を退社したアナウンサーが多かったからだ。今年は特に、震災の前後、私たち被災者や原発事故で今も苦しむ福島県民と同じ運命を共にし、ある時は報道という立場で真実を伝え、またある時は、明日も見えない中、避難もせずに福島県民に寄り添うように当地に留まり、懸命に勇気づけてくれた方たちである。その県民に慕われた彼らが、様々な理由で本県を去ることとなり、その献身的なサポートに感謝の言葉を送りたいという気持ちの表れからだと思う。
     そこで今日は、この春、契約任期満了、または定期異動、あるいは自主都合などで福島県内のテレビ局を退社し、本県を去って行ったアナウンサー達を紹介したい。なお、リンクした「You Tube」の映像は予告なしに削除されることがあることをご了承願います。

     1 名和田知加

    Nawata2  自称「福島県民の恋人」や「ジャージー名和田」として、6年間、私たちを楽しませてくれた名和田知加アナウンサーが、福島テレビを退社した。もともと東京出身だった。3月30日の「サタふく」のラストで突然に退社の挨拶をした彼女。誰もが驚き、そして残念に思ったことだろう。いつも明るく元気で、「キューティーハニー」など踊り付きで歌い、エンターテナーぶりを発揮し、アナウンサーらしからぬ行動で笑わせてくれた彼女だったが、この度の退社はなんの前触れもなく、あまりにも急だった。この電撃発表以降、2~3日、福島テレビの「アナウンサー日記」のブログが全く繋がらない事態となった。私は震災前、「サタふく」上がりの彼女と藺草アナが他のスタッフと一緒に郡山駅まで移動中の新幹線のデッキで偶然鉢合わせとなり、挨拶したことがあったし、震災の年の4月、早朝、仕事に向かう前に滝桜を訪れた際、たまたま「めざましテレビ」の生中継があり、彼女が全国に生リポートしていた場面に出くわしたことがあった。名和田アナは県民に最も愛された女子アナだったかもしれない。中央大学卒で血液型はB型だった。4月からお隣りの「とちぎテレビ」に転勤する彼女の今後の活躍に期待したい。

     ところで、彼女がアナウンサーを志した理由として、大学時代に演劇を学び表現の楽しさを知ったことを挙げている。走ることが趣味で、過去にホノルルマラソンを完走している。
     2012年7月21・22日放送の『FNS27時間テレビ2012 笑っていいとも!真夏の超団結特大号!! 徹夜でがんばちゃっても良いかな?』内のFNS対抗企画「FNSアナウンサーがんばった歌謡大賞」で福島テレビ代表として出演し、優勝を果たした(名和田に取っては2009年の三輪車レースに出場したがリタイアの屈辱を味わったために3年越しにリベンジを成し遂げた)。担当番組は、弦哲也のFTVカラオケグランプリ(2007年11月 - 2010年9月)、サタふく(2008年4月 - 2013年3月)、ニュース報道などであった。

    Nawata

    「FTVアナウンサー日記」での彼女のお別れの挨拶はコチラ↓

    http://www.fukushima-tv.co.jp/blog/2013/03/post-99.html

    http://www.youtube.com/watch?v=MUQOjjXH7oY&feature=endscreen&NR=1

     「とちぎテレビ」へ転勤後の彼女のプロフはこコチラ

    http://www.tochigi-tv.jp/profile/?id=86

     2 高島英里奈

     神奈川出身で血液型はA。身長148cmと小柄。趣味はクラシックバレエ、映画鑑賞。福島放送アナウンサーとして活動。土曜の朝9時半から生放送の「ドミソラ」を担当し、県内各地に繰り出し、衣食住を中心にリポート。真夜中の5分間番組だった「べしゃるーむ」にも時々出演し、愛嬌を振りまいていた。一戸奈美に似た可愛い印象で、明るく癒し系だった彼女の存在は大きかった。個人的には彼女のファンだったので、退社して郡山市から去っていったことは残念でならない。

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    Takashima3

    http://www.kfb.co.jp/ana/takashima/2013/03/post_33.php

    「彼女からのお別れの挨拶」(3月31日付)

    http://www.kfb.co.jp/ana/takashima/

     個人的に「ドミソラ」は好きな番組なので、初回の番組放送スタートからほとんどの回をブルーレイレコーダーに録画してある。

     彼女の現状はコチラ

    http://www.fujimani.com/2013/06/09/8/

     どうやら故郷の神奈川県藤沢に戻り、街の情報誌のPR活動を行っているようだ。そして再び、アナウンサーとして「Radio Shonan 83.1」にDJとして復帰した。

    http://www.radioshonan.co.jp/program/oishii.html

    http://www.radioshonan.co.jp/djindex/takashima.html

     明るく元気に3年間滞在した福島県の名産品を紹介してくれている。ありがたい。

     3 丸井汐里

     新卒でNHK福島放送局に2年間勤務し、夕方の「はまなかあいづ」では欠かせないキャスターとして活躍した。また、平日の昼前の「ふくみみ」や「福島おでかけ隊」でも県内各地から様々な情報をリポートした。3月31日付でNHK広島放送局へ異動となった。NHKは契約アナウンサーが多く、全国規模で異動があるので大変だ。清楚な顔立ちと、落ち着いたアナウンスで、私は結構お気に入りだった。東京都八王子市出身。法政大学卒。

    Marui3 Marui

    Marui2 Marui4

    http://www.nhk.or.jp/fukushima-blog/100/150755.html

    「丸井汐里アナウンサーのお別れの挨拶」(スクロールしてご覧下さい)

    http://www.nhk.or.jp/fukushima-blog/100/index.html

    「NHK広島のキャスター紹介のホームページ」

    http://www.nhk.or.jp/hiroshima/announcer/c32_marui.html

    「丸井汐里さんの大学時代のお宝映像」はコチラ↓

    http://www.youtube.com/watch?v=u9Xuvfc7xNk

     NHK福島放送局では、他に契約アナウンサーだった本多真弓アナウンサーも退社された。

     NHK契約アナウンサー一覧はコチラ

     4 中山由佳

    Nakayama  彼女は昨年12月29日付で福島中央テレビ(FCT)を退社した。17年間の長きに渡り、県民に愛され、2012年9月に結婚し、妊娠を機に退社を決意した模様。福井県立藤島高等学校を経て慶應義塾大学卒業後の1996年、福島中央テレビに入社。かつては夕方の情報番組メインを張るほか、地上デジタル放送推進大使も務めていた(2010年現在は大橋聡子が引き継いでいる)。2012年9月、結婚。同年12月、福島中央テレビを退社と同時に妊娠をブログなどで公表。血液型はAB

     担当番組
     ゴジてれ土曜版(サブMC 1997年4月 - 2002年3月、メインMC 2002年4月 - 2004年10月9日)、ニュースの女王決定戦(スタジオ出演 2000年 - 2007年)、ゴジてれ金曜スタイル(メインMC 2004年10月16日 - 2006年5月6日)、ゴジてれシャトル(サブMC 2006年5月8日 - 2008年3月29日、それ以前は「どこだべ旅情」「わらしべ放浪記」リポーターやサブMC代行)、ゴジてれ Chu!(16時台ニュース担当・18時台サブキャスター 2008年3月31日 - 2012年12月27日)、FCTニュース(不定期)

     5 藤川貴央

    Fujikawa  報道記者兼アナウンサーだった彼は、昨年途中から「サタふく」に出演していたが、3月15日付で福島テレビを退社することとなった。福島テレビでは3年間在籍だったが、残念ながら退社の運びとなった。

  •  柔道初段。高校時代には柔道部主将を務めた。立命館大学法学部在学中、日本放送作家協会関西支部主催の朗読劇に出演。平山助次郎や大石主税などを演じた。第7回京都学生祭典では、FM802のDJ鬼頭由芽と共に学生司会者を務めた。2010年のFNSの日26時間テレビでは、「おバカ新人アナウンサーチーム」のリポートアナウンサーとして、三輪車12時間耐久レースに出場。その際品川庄司の品川祐に「ヘキサゴンチームのRYOEIの弟みたい」と指摘され、RYOEIと2ショットで出演。血液型はA
  • 大阪府大阪市旭区出身。
  • 大阪教育大学附属高等学校平野校舎、立命館大学を卒業。
  • 2010年4月、福島テレビに入社(福島本社報道部アナウンサー)。
  • 2011年5月、福島テレビ郡山支社報道記者。
  • 2012年7月、福島テレビ福島本社報道部アナウンサー。
  • 2013年3月、福島テレビを退社。
  •  同期入社で京都出身の延増惇とは同じ立命館大学時代からの友人らしい。

     これまでも、KFBの羽藤淳子アナウンサー(寿退職)やTUFの山田幸美アナ(現在広島ホームテレビ勤務)と上條麻里奈アナ(現在フリーアナウンサー転向)が退社した時もショックだった。春は出会いと別れの季節だが、もしかすると、福島県民の中には、彼(彼女)らが退社し、すでに福島県を後にしていたことを知らなかった人もいるだろう。震災前後のこの時期に、彼らが福島県内の放送局に確かに在籍し、県民を元気づけるために活躍していたことを決して忘れはしない。4月に入り、彼らが姿を消してからめっきり寂しくなったが、記憶の中に刻み込み、彼らの残した軌跡を心に留め、いつまでも覚えていたいと思う。福島を離れても、新天地での彼らの今後の活躍と飛翔を祈念して結びとしたい。

     関連ブログ

    2014年春・福島の女子アナ異動」はコチラ

    http://tsuri-ten.cocolog-nifty.com/blog/2014/04/post-526b.html

    「福島県の若手女子アナ特集」はコチラ

    http://tsuri-ten.cocolog-nifty.com/blog/2014/02/post-be45.html

    「想い出の福島県内のテレビ局女子アナ(前編)」はコチラ

    http://tsuri-ten.cocolog-nifty.com/blog/2014/03/post-ef07.html

    「想い出の福島県内のテレビ局女子アナ(後編)」はコチラ

    http://tsuri-ten.cocolog-nifty.com/blog/2014/03/post-e86f.html

     記事執筆:4月5日(金) 

     追記

     4月7日(日)21時36分、無名ブロガーの方から本記事中の藤川アナに対する訂正依頼のコメントがありました。その後、調査の結果、記載の一部に誤りがあったため、修正いたしました。ご指摘ありがとうございます。(SUZU)

    2013年4月 5日 (金)

    緊急掲載「がんばれ富岡町!」復興応援ソング

     東日本大震災から2年、我がふるさと「福島県」は未だに出口の見えない原発の放射線被害の真っ只中にいる。特に甚大なのは、浜通りに暮らす方々で、東京電力福島第一原子力発電所のある大熊町、10km圏内にある浪江町、富岡町など、未だに帰宅困難地域に指定され、人が住めない町と化してしまった。更に、今も東電第二原発を町内に抱える富岡町にあっては、この時期、多くの観光客で賑わい、活気を見せる季節を迎えているはずだった。「夜の森」の「桜のトンネル」は訪れる者の心を掴んで離さず、更に「夜ノ森駅」のプラットホーム沿いの斜面に植栽された美しいツツジの花々に、訪問客は心癒され、それ自体、春の風物詩として可憐に咲き誇り、この時期に町内はお祭りムード一色であった。

     ところで3月20日付の当ブログにおいて、震災以降、福島県民を激励する活動を行っている歌手の「普天間かおり」さんの特集記事を掲載したが、今日は、ようやく「さくら便り」が届いた当地において、かつての賑わいを思い出し、散り散りとなって避難生活を余儀なくされている富岡町民にエールを送るとともに、一日も早い帰還を願う意味で、このPVを捧げたい。

     「桜舞う町で」 by 普天間かおり with 村井敏朗

    春は夜の森 花爛漫に 桜のトンネルを抜けて
    夏燃えさかる宵の火祭り 掛け声に高鳴る鼓動
    桜舞う町で あなたに会いたい
    潮騒聞きながら やさしい夢を見たい 
    遠く離れても 季節は巡れども
    私のふるさとは 今も胸に鮮やかに


    浜通りから昇る朝陽に 輝く生命の息吹
    秋の紅葉を染める夕焼け 白鳥が冬を運んだ
    桜舞う町で あなたに会いたい
    星の降る夜に そっと願いかけて
    小さな蕾よ 芳しく咲き誇れ 
    ひたむきに生きる美しさを忘れない


    桜舞う町で あなたに会いたい
    潮騒聞きながら やさしい夢を見たい
    広がる青空 ふるさとへ続いてる
    一歩 また一歩 力強く 前を向いて


    愛するふるさと
    愛する福島
    ずっと この胸に・・・・・

     「You Tube」に寄せられたこのPVに関するコメントを紹介して、私も大半の町民が、わが街・郡山市の仮設住宅で暮らし、不便な生活を強いられている皆さんを心から激励したいと思う。

    普天間さんの澄んだ歌声とBinさんのセクシーなコーラスが絶妙­です。
    映像のような美しい桜もぼちぼち満開でしょうか。
    福島及び東北地区の復興を心よりお祈りいたします。

    震災前は毎年行ってました。桜のトンネルがすばらしくきれいです­。
    かおりさんの歌は癒されます。

    福島県内新聞のニュースでは「富岡町桜の集い2013~富岡町を­忘れない~」実行委員会は、シャトルバスで車窓から桜並木を鑑賞­する。空間放射線が比較的高いため、原則、バスから降りられない。
    のんびりとした桜の花見とは、いかないようです。現実は厳しい。

     「頑張れ富岡!負けるな富岡!福島県民はいつも富岡や被災者と共にいます!」

     関連ブログ

    「被災者必見!普天間かおりさんからのメッセージ」はコチラ↓

    http://tsuri-ten.cocolog-nifty.com/blog/2013/03/post-ada0.html

     記事作成:4月4日(木)

    2013年4月 4日 (木)

    想い出のドラマ「おとこ同志おんな同志」

     このドラマを覚えている方はどれくらいいるだろう。昭和53年の1月7日から2月11日まで、毎週土曜日の夜9時からNTV系列「土曜グランド劇場」で放送されていたパロディ仕立ての傑作ドラマだった。回数は短くて連続6回シリーズ。
     その内容は、結婚をせがまれている女性から逃れようと、同じマンションに暮らす、同じ境遇の男同士が偶然出会い、悪巧み。何とお互いの部屋を交換し、さも初めからそこに住んでいたかのように装うという何とも馬鹿げた滑稽なストーリーなのだが、それぞれのペアの女性もまた、最初はおかしいと思いながら、男同士の魂胆がバレ、大目玉かと思いきや、女性もわざと騙された振りで、男たちを次第に窮地に追い込み、懲らしめるというもの。当時中1だった私だが、親子で見て笑い転げていたのを覚えている。当時、家庭用VTRが無く、何とかしてこのおもしろ可笑しな番組を残そうと、カセットテープに録音した想い出がある。それも数年後、母親に処分されてしまった。

     <出演者>

     熟年カップル 杉浦直樹(故人) 役名:倉田  岸田今日子(故人)役名:モモコ

    Sugiura Kishida

     若者カップル 堺正章 役名:努 池上季実子 役名:陽子

    Masaaki Ikegami

     陽子の厳格な父親役 西村晃(故人)
     バーのチーママ役 かたせ梨乃

    Nishimurakou Kataserino

     他にも根岸季衣、賀原夏子、名古屋章(故人)、谷啓(故人)、小倉一郎、福田陽一郎らが脇を固めていた。

     <ストーリー>

     グリーンマンションの1号棟305号室に住む片山努(堺正章)は、恋人の学生・桐小路陽子(池上季実子)に結婚を迫られて大弱り。一方、同じマンションの2号棟308号室の宝石商・倉田茂(杉浦直樹)は、8年間もつき合っている一柳モモ子(岸田今日子)に同棲したいとせがまれ困り果てていた。女性の猛攻から逃れるには転居しかないと考えた努と茂は、互いの部屋を交換しようとスナックで密談をかわす。その結果、お互いの部屋を交換して住むことにした。その後も二人は恋人の猛攻をかわすためにあの手この手を使って逃げ回ろうとする。
    1. 1978年1月7日 「男たちの夜逃げ」
    2. 1978年1月14日 「あきらめない女たち」
    3. 1978年1月21日 「追いつ追われつ」
    4. 1978年1月28日 「化かし合い」
    5. 1978年2月4日 「男と女どっちもどっち」
    6. 1978年2月11日 「男の叫び "女は"…!」
     Wikipedia掲載の記事はコチラ

     主題歌 井上忠夫 「男と女の星座」 1978年発売

    Seiza

     ♪生まれた星座が乙女でも 愛を知ってる訳じゃない
     時の流れは早いだろうが
     「愛してるわ」と言う前に ひと息ついて旅をしろ♪

     挿入歌 井上忠夫 「君に捧げんサヨナラを」

    http://blogs.yahoo.co.jp/sphkz639/17707422.html

     実は、このレコードを購入して持っていた。多分実家に今も残っていると思う。
     

     さて、最初からうまくいくはずがない部屋と彼女の交換計画。独身貴族を貫きたいために、結婚を迫る相手から逃亡を企てる苦肉の策だが、その人間の心理を巧みに利用したパロディ風のストーリーは、当時のドラマ界にあっては斬新で、大ウケだった。私のお気に入りのストーリーは、部屋にいると交換した女性にバレるのではないかとビクついて、気持ちが休まらず、行きつけのバーで二人は時々密会する。お互いバレてないかの確認と情報交換、そして今後の算段を念入りに練るのだった。バーのチーママ役で出演し、当時新人として登場し、巨乳が一際目を引く「かたせ梨乃」が聞き役となり、途中で決まって口を挟み、男2人が声を揃えて、彼女の豊満な胸を見ながら「大きい~な~」と発言して、それがオチとなってCMに入るシーンが格別だった。

     このドラマ、お色気もありながらも全然いやらしさが無く、堺正章が、パートナーの池上季実子が杉浦直樹に取られそうになってヤキモチを焼く場面や騙されたふりをして男心を手玉にとって逆に弄ぶ場面とか、結構人間模様も面白く描かれ、子供ながら参考になった。

     このドラマは、ビデオ化も実現しなかったし、35年時を経過した今、DVD化もほぼ不可能だし、再放送も有り得ないだろう。出演者も数多く亡くなられており、当時の面影を偲ぶ術は、自分の記憶を掘り起こすしか手段がない。ぜひこのドラマを覚えている方がいたら、コメントをお寄せください。このドラマを通じ昔を懐かしみたいと思います。

     記事作成:3月31日(日)

     

    2013年4月 2日 (火)

    私が愛した歴代バンド10傑

     今日は全く個人的な話題のため、興味のない方はスルーしていただきたい。1960年代生まれの私にとって、フォークグループやロックバンドは幼少の頃から歌謡界やポップス界に当たり前のように存在し、一発屋と呼ばれるユニットを含め、入れ替わり立ち代り様々なバンドが世相を反映し、そしてまたブームを生み出した。かくいう私も中2でフォークギターを始め、いろんなバンドの楽曲をコピーして歌っていた。今では学生時代の想い出のひとコマとして深く胸に焼きついている。そこで今日の話題は、半世紀近く生きてきた私が、好きになって夢中で聴いたバンド(ユニット)やグループを10組取り上げてみたい。もちろん洋楽も大好きで学生時代にハマったが、今回は邦楽(JーPOP)オンリーで考えたい。

     1 アリス

     結成年:1971年
     メンバー:谷村新司・堀内孝雄・矢沢透
     代表曲:チャンピオン・冬の稲妻・ジョニーの子守唄・今はもうだれも・帰らざる日々
     私が好きだった曲トップ10

     1位 チャンピオン                   6位  帰らざる日々
     2位 遠くで汽笛を聞きながら    7位 狂った果実
     3位 ジョニーの子守唄            8位 さらば青春の時
     4位 秋止符                          9位 走っておいで恋人よ
     5位 冬の稲妻                      10位 今はもうだれも



     コメント:昭和52年頃に彗星のごとくメジャーになった。「冬の稲妻」が大ヒットしたが。この時既に29歳だった。下積みが長いように思われがちだが、それまでも「今はもうだれも」や「帰らざる日々」がヒットしていた。武道館ライブのレコードで大ブレークした。「遠くで汽笛を聞きながら」、「ジョニーの子守唄」、「チャンピオン」、「秋止符」などのヒット曲があり、ソロでも「日はまた昇る」、「昴」、「サライ」、「君の瞳は10000ボルト」が大ヒットした。また、アイドル歌手にも楽曲を提供。山口百恵の「いい日旅立ち」は旧国鉄のイメージソングで使用され、ミリオンヒットした。

     2 オフコース

     結成年:1970年
     メンバー:小田和正・鈴木康博
     代表曲:さよなら・愛を止めないで・I love you・YESY SE YES
     私が好きだった曲トップ10

     1位 愛を止めないで     6位  時に愛は
     2位 Yes-No                7位 せつなくて
     3位 言葉にできない      8位 秋の気配
     4位 風に吹かれて      9位 さよなら 
     5位 君が、嘘を、ついた   10位 眠れぬ夜 

     

    http://www.youtube.com/watch?v=BvpyHY3vq-E

     コメント:3つ上の姉の影響で聴き始めた。東北大・早稲田大学院を出た小田和正を中心に、当初は鈴木康博と2人組だったが、後に5人にメンバーを増やし、1970年代を代表するバンドになった。小田和正のソロの曲も好きだ。「ラブストーリーは突然に」「たしかなこと」。あの高い美声にどれほどの女性ファンが魅了されたことだろう。

     3 サザンオールスターズ

     結成年:1975年
     メンバー:桑田佳祐・原由子・関口和之・松田弘・野沢秀行・大森隆志(脱退)
     代表曲:いとしのエリー・TSUNAMI・真夏の果実
     私が好きだった曲トップ10

     1位 忘れじのレイドバック   6位 鎌倉物語
     2位 TSUNAMI         7位 いとしのエリー
     3位 涙のキッス         8位 さよならベイビー
     4位 栞のテーマ         9位 チャコの海岸物語  
     5位 真夏の果実               10位 希望の轍



     コメント:夏といえばサザンというのが定番だった。「勝手にシンドバッド」で登場したときは衝撃的で、早口な歌唱法と独特な艶っぽい歌詞は、当時の若者の度肝を抜いた。サザンは活動休止発表後、版権が厳しく、「YouTube」への投稿がありません。

     4 ハウンドドッグ

     結成年:1976年
     メンバー:大友康平・高橋良秀・玉手・八島順一・蓑輪単志・佐藤証・畑山広志
     代表曲:ff・ONLY LOVE・嵐の金曜日
     私が好きだった曲トップ10

     1位 ラストシーン        6位 Bridge ~あの橋をわたる時~
     2位 Only Love          7位 Knock Me Tonight
     3位 Ambitious       8位  浮気なパレット・キャット
     4位 涙のバースデー      9位 Bad Boy Blues
     5位 嵐の金曜日    10位 ff


     
     コメント:私は社会人になってから好きになり、よく彼女とドライブ中に聴いていた。また、友人がカラオケで「ラストシーン」を歌ったのを聴いて、この曲が私の十八番になった。

     5 B'z

     結成年:1988年
     メンバー:稲葉浩二・松本孝弘
     代表曲:太陽のKomachi エンジェル ・Ultra Soul   
     私が好きだった曲トップ10

     1位 愛のままにわがままに僕は君だけを傷つけない 6位  ALONE
     2位 Ultra Soul              7位 イチブトゼンブ
     3位 いつかのメリークリスマス     8位  BE THERE
     4位 EASY COME EASY GO      9位 LADY-GO-ROUND
     5位 太陽のKomachi エンジェル     10位 BAD COMMUNICATION

     コメント:1990年代の黄金デュオ。かなりハマった。私と同い年の稲葉の歌い方を真似したり、ソプラノ系の高い声も好きだった。メロディーメーカーでミリオンヒットを連発し、1990年代のミュージックシーンを牽引した第一人者。

     
     6 ZARD

     結成年:1991年
     メンバー:坂井泉水・町田文人・星弘泰・道倉康介・池澤公隆
     代表曲:負けないで・揺れる想い・君がいない・愛が見えない
     私が好きだった曲トップ10

     1位 揺れる想い              6位 きっと忘れない
     2位 負けないで              7位 サヨナラは今もこの胸に居ます
     3位 永遠               8位 眠れない夜を抱いて
     4位 Goodbye My Loneliness   9位 君がいない 
     5位 マイフレンド         10位 この愛に泳ぎ疲れても



     コメント:B'zと並んで1990年代のミュージック界を彩った。覆面歌手としてその正体はベールに包まれていた。CDリリースだけで歌謡番組には出演しなかったため、ZARDは実態がないグループと囁かれたが、さっそう坂井泉水が登場し、超美人の素顔を披露。人気は沸騰した。今もどこかで生きている気がしている・・・。

     7 コブクロ

     結成年:2001年(メジャーデビュー)
     メンバー:小渕健太郎・黒田俊介
     代表曲:蕾・桜・風見鶏・轍・永遠にともに
     私が好きだった曲トップ10

     1位 蒼く優しく      6位 YELL
     2位 蕾                 7位 ここにしか咲かない花
     3位 桜                 8位  願いの詩
     4位 赤い糸             9位 轍
     5位 Million Films   10位 君という名の翼



     コメント:2000年代にハマったユニット。個人的にはハーモニーを効かせたバラード調の楽曲がお気に入りだ。

     8 GReeeeN

     結成年:2002年
     メンバー:不詳(4人組)
     代表曲:キセキ・扉・涙空・歩み
     私が好きだった曲トップ10

     1位 遥か      6位 愛唄
     2位 キセキ      7位  涙空 
     3位 旅立ち      8位 桜color
     4位 be free      9位 雪の音
     5位 扉             10位  歩み

     コメント:我が地元郡山ゆかりの覆面ユニット。郡山市にある歯科大学で知り合い、全国区に羽ばたいた。郡山駅前には彼らの功績にあやかって、緑色のドアと足跡が刻み込まれている。PVがドラマ仕立てで感動する。今春、メンバーは歯科医師として全国に散らばった。

     9 FUNKY MONKEY BABYS

     結成年:2004年
     メンバー:ファンキー加藤・モン吉・DJケミカル
     代表曲:桜・ヒーロー・涙
     私が好きだった曲トップ10

     1位 もう君がいない    6位 希望の唄
     2位 告白             7位   旅立ち
     3位 桜             8位 あとひとつ 
     4位 ヒーロー                9位 ふるさと
     5位  涙             10位 あの空へ



     コメント:2010年代に私が最も愛したバンド。有名人をPVに起用し、一大フィーバーを巻き起こした。今春、解散。

    10 ケツメイシ

     結成年:1993年
     メンバー:Ryo・Ryoji・大蔵・DJ KOHNO
     代表曲:手紙・花鳥風月・さくら・冬物語・涙
     私が好きだった曲トップ10

     1位 さくら                6位 旅人
     2位 冬物語       7位 出会いのかけら
     3位 東京        8位 バラード
     4位 そばにいて    9位 夏の思い出
     5位 トレイン      10位 涙



     コメント:ご存知ラップ&レゲイ系のユニット。若い彼らだが、年配の方々の琴線に触れるような名曲を世に送っている。共感を抱くような純な物語を描いており、早口のラップで意味不明部分はあるが、妙に感動する。「さくら」を観て鈴木えみのファンになった。

     その他

     ゴダイゴ、ツイスト(以上中学時代)YMO、杉山清貴&オメガトライブ(以上高校時代)、T-SQUARE(大学時代)、T-BOLAN、WANDS、J-WALK(社会人)などが好きでよく聴いていた。

     記事作成:2月27日(水)~3月27日(水)

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