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2013年4月18日 (木)

今は亡き美人スターたち

 つい先日、女優の坂口良子さんが急逝し、この世を去った。57歳という若さで、これから女優としてもう一花咲かせようという時に・・・。何とも残念でならない。謹んでご冥福をお祈りしたい。ところで、1964年生まれのテレビっ子だった私にとって、物心ついた頃に、いつでも傍らにテレビがあり、ドラマや映画、スポーツ中継やドキュメンタリー、娯楽番組まで多彩なテレビ番組に胸をときめかしながら観ていた時代が懐かしい。今日のブログは、半世紀近く私がテレビを見続けて来て、今は亡くなられた天国のスターで、美人だと思う方々を10名ピックアップして紹介したい。

 1位 坂井泉水

 ご存知ZARDのヴォーカルだった坂井泉水さん。「美人薄命」とは彼女のためにあるような言葉だ。どことなく影があって、謎めいた女性として登場した。主な活動はCD販売で、デビュー当時、テレビの歌番組への出演やコンサート活動などはあまり行わず、神秘のヴェールに包まれた覆面ユニット的な存在だった。それがレコードジャケットで横顔やわざとぼかした姿で登場したために、実在するのかすらわからない有様だった。ところが、MJなどに登場すると、その容姿端麗な美形な出で立ちに誰もが息を飲み、吸い込まれるような感覚に襲われたに違いない。「揺れる想い」「負けないで」など、立て続けにヒットを飛ばし、1990年代のミュージックシーンを牽引した。40歳で闘病中に不慮の事故によりこの世を去った。彼女の墓でさえ、未だに非公開とされている。血液型はA

 2位  大原麗子

 日本の女優の中では絶世の美女の部類に入る大女優だった。悩ましい表情とどこか落ち着き払った不思議な存在の年齢よりもずっと若く見えた小悪魔的な和服美人。渡瀬恒彦、森進一と結婚したが、相次いで離婚した。私生活よりも女優業を優先し、いつまでも光えい輝いていたかったという印象。器用ではなく、両立は難しかったように思える。渡瀬恒彦との離婚は精神的なショックが大きく、また未練たらたらで、運転手に訳もなく渡瀬の自宅の前を通るように懇願していたこともエピソードとして残っている。代表作は「春日局」、「徳川慶喜」、「雑居時代」。東芝日曜劇場は常連だった。2009年8月6日、連絡が取れず不審に思って警察に通報していた実弟らによって、自宅で死亡しているのが発見された。行政解剖の結果、死亡推定日時は同年8月3日。62歳没。死因は不整脈による脳内出血であると診断された。血液型はAB

 3位 田中絹代

 山口県出身の大正・昭和期の日本の大女優・映画監督。日本映画の黎明期から日本映画界を支えた大スターであり、日本映画史を代表する大女優の一人。世界三大映画祭(カンヌ・ヴェネツィア・ベルリン)の全てにおいて出演作が受賞している。また、日本で二人目の女性映画監督でもある。恋多き女性としても有名で、清水宏監督との同棲生活と破局、慶應義塾大学野球部の花形スターだった水原茂とのロマンスなどは大きな話題となった。溝口健二監督は、田中に惚れていて結婚を願望していたが、田中の側は溝口に魅力を感じておらず、新藤兼人や田中の証言によると溝口の片思いだったと言われる。
 神奈川県鎌倉市の鎌倉山にあった自宅敷地は「絹代御殿」と呼ばれるほどの風格ある建築物だった山椒洞。代表作は「愛染かつら」、「西鶴一代女」、「前略おふくろ様」
 1977年3月21日、肺癌が転移した脳腫瘍のため67歳で死去。死後、勲三等瑞宝章が授与された。

 4位 夏目雅子

 今も語り継がれる伝説の女優としての地位を確固たる不動のものとしている。1977年、カネボウ化粧品のキャンペーンガールとなり、「クッキーフェイス」のCMで注目を集め、この時、夏の注目の目玉商品になることで、芸名を本名の小達雅子から夏目雅子へと改名した。1978年、NHK大河ドラマ『黄金の日日』に出演。日本テレビ系『西遊記』では三蔵法師役を演じて人気を得る。この時、「頭の形が良く、美しくて神々しい」と話題になった。ドラマは好評で、翌年放送される『西遊記II』にも出演。1981年、『野々村病院物語』に出演。NHK大河ドラマ『おんな太閤記』にもお市の方役で出演。この年にバセドウ病の手術を行った。1982年、『鬼龍院花子の生涯』の台詞「なめたらいかんぜよ!」が流行語となる。自らがヌードとなり、迫真の演技が話題になりこの作品でブルーリボン賞獲得。演技派女優としての地位を確立した。1984年、不倫していた作家伊集院静と結婚。1985年2月14日、舞台『愚かな女』の公演の最中に体調不良を訴え、出演続行を望む本人を何とか説得して、翌2月15日、慶應義塾大学病院に緊急入院した。急性骨髄性白血病と診断された。
 1985年9月11日午前10時16分、逝去。約7ヶ月という長い闘病生活を送りながらも順調に回復し、退院間近の報道もあった矢先であったが、その後、抗がん剤の副作用等が原因とみられる肺炎を併発。8月下旬からずっと高熱を発し、9月8日に突然熱が一時的に引いたが、翌日から高熱を発して意識不明の重体になり27歳で死去。血液型はB

 5位 坂口良子

1971年(昭和46年)、ミス・セブンティーンコンテストで優勝し、芸能界入り。1972年、フジテレビのドラマ『アイちゃんが行く!』で主演デビュー。その後も『たんぽぽ』『前略おふくろ様』『犬神家の一族』等人気作品に次々と出演、愛くるしい顔立ちと親しみやすいキャラクターで人気を集めた。さらに、『池中玄太80キロ』ではキャリアウーマンを演じるなど演技の幅も広げ、写真集ではヌードも披露するなど大人の女優への転身を計った。その後も2時間ドラマ等に出演していた。晩期には2008年(平成20年)から芸能活動を開始した娘の坂口杏里との母娘共演が多く、母娘でゲスト出演した2013年(平成25年)1月10日放送の『ダウンタウンDXDX 2013新春スペシャル』が最後のテレビ出演となった。
 2013年(平成25年)3月27日午前3時40分、横行結腸癌および肺炎のため死去。同月中旬には『週刊女性』が坂口の重病説を報道、これに対して坂口は自身のブログで、前年末から腸閉塞・肺炎・インフルエンザに罹患し、点滴治療を受けるなどして静養中であると説明していた。57歳没。血液型はO

 6位 松本友里

 1980年代にアイドル歌手としてデビューし、その後女優に転身し、時代劇の町娘役での出演が多かった。大地真央と離婚した松平健と再婚したが、母親の介護疲れで極度のノイローゼに見舞われ、その後、母親が死去。うつ病を患うようになり、夫の松平健が舞台公演中に自ら命を絶った。2010年11月15日午前3時ごろ、自宅のドアノブにロープで首をつっているのを泊まり込みのベビーシッターが発見し警察に通報、死亡が確認された。遺書の有無は明らかにされていない。42歳没。血液型はA

 7位 岡田嘉子

 広島県出身、大正 - 昭和初期、サイレント映画時代のトップ映画女優であった。奔放な恋愛遍歴とソビエト連邦(現在のロシア)へ亡命するなど波乱の生涯を送ったことでも知られる。第一回作品は1923年(大正12年)倉田百三の戯曲「出家とその弟子」をベースにした「髑髏の舞」。愛欲心理描写がサイレント期、日本映画のエポックとなった新生日活のこの大作で、嘉子は町娘を演じ映画でも一躍スターとなった。1927年(昭和2年)「彼をめぐる五人の女」に主演、これもベストテン2位となりモダンなタイプのヒロイン像は、それまでの日本の女優にないタイプのもので新しい時代の息吹きとして大きな評判を獲る。同年、大作映画「椿姫」のヒロインに抜擢される。今までに無い意欲を持って撮影に挑んだが、ロケ現場で群集を前に村田監督から罵倒に近い叱声を浴びたり、私生活の悩みを抱えそれを相手役の美男俳優、竹内良一に相談したところ衝動的に駆け落ちし失踪。新聞は「情死をなす恐れあり」などと書きたて、スキャンダルとして大騒ぎになる。まもなく結婚。日活は解雇され映画界から閉め出された。恋の逃避行は彼らを大衆のアイドルとしたが、反面その奔放さに対する反感も強く、舞台では立ち往生させられるほどのひどい野次に見舞われた。
 1937年(昭和12年)日中戦争開戦に伴う軍国主義の影響で、嘉子の出演する映画にも表現活動の統制が行われた。過去にプロレタリア運動に関わった杉本は執行猶予中で、召集令状を受ければ刑務所に送られるであろう事を恐れ、ソ連への亡命を決意。1937年(昭和12年)暮れの12月27日、二人は上野駅を出発。北海道を経て翌1938年(昭和13年)1月3日、2人は厳冬の地吹雪の中、樺太国境を超えてソ連に越境する。駆落ち事件として連日新聞に報じられ日本中を驚かせた。1992年、モスクワの病院で死去。89年の波乱に満ちた生涯に幕を閉じた。

 8位 本田美奈子

 高校2年生の1984年9月に第8回長崎歌謡祭に本名で出場し、「夢少女」という楽曲を歌ってグランプリを受賞。このことがレコードデビューのきっかけとなった。1985年4月20日に東芝EMIから「殺意のバカンス」でデビューした。1986年2月5日に「1986年のマリリン」をリリース。へそを露出させた衣装や激しく腰を振る振り付けなど当時のアイドル歌手としては異例の演出と相俟って大ヒットとなった。
 1990年、ミュージカル『ミス・サイゴン』のオーディションを受け、約1万5000人の中からヒロインのキム役に選ばれた。1992年5月5日『ミス・サイゴン』日本初演。以来一年半のロングランをこなし、その歌唱力、演技力を高く評価された。1992年度第30回ゴールデン・アロー賞演劇新人賞を受賞。
 1994年、『屋根の上のバイオリン弾き』にホーデル役で出演。1997年、『レ・ミゼラブル』にエポニーヌ役で出演。以後も繰り返しこの役で出演した。
 2004年末頃から風邪に似た症状や微熱が続いた。本田は翌2005年1月12日、急性骨髄性白血病と診断を受けて緊急入院、その翌日にはその事実が公表された。その後肺への合併症から容態が急変し、同年11月6日午前4時38分、家族らの見守るなか、死去した。38歳没。血液型はO

 9位 乙羽信子

 鳥取県出身、大阪育ちで、小学校のときから日本舞踊を習い、また、養父の姉に連れられて宝塚歌劇を見に行くうち、憧れるようになり、1937年、宝塚音楽歌劇学校に入学する。宝塚歌劇団26期生。同期生に越路吹雪、月丘夢路、東郷晴子、大路三千緒、浦島千歌子、瑠璃豊美らがいた。1939年の公演『宝塚花物語』で同期生達と共に初舞台を踏む。戦後、再開された公演でトップ娘役(主に雪組公演出演)として淡島千景と人気を二分し戦後の宝塚歌劇団第一期黄金時代を支える。その後退団し、松竹や大映に入社し、銀幕のスタートして映画出演四人気を博す。1952年、「近代映画協会」を設立していた新藤兼人の第1回自主制作映画『原爆の子』に大映の反対を押し切って出演する。これを機に大映を退社。近代映画協会が製作する映画に立て続けに出演する中で、それまでの「宝塚歌劇団出身」「お嬢様女優」「百萬弗のゑくぼ」「清純派」のイメージから180度転換し強烈なリアリズムあふれた演技を見せ、日本映画史にその名を残すこととなる。それを象徴する作品で、代表作となったのが、1960年の『裸の島』である。せりふが一切なく、登場人物も狭い島で働く夫婦だけという実験的な映画であったが、そのリアリティーあふれる画面は大好評となり、第2回モスクワ国際映画祭でグランプリを受賞するなど、世界的に高い評価を受ける。
 1978年、新藤と結婚。結婚後、最初の作品となった『絞殺』で、1979年、ヴェネツィア国際映画祭最優秀主演女優賞を受賞する。杉村春子との共演で話題になった新藤の『午後の遺言状』の撮影を終えた1994年12月22日午前、肝臓癌による肝硬変で死去。享年70。

10位 高峰秀子

 北海道函館市出身。夫は松山善三。1929年に映画『母』への出演で子役でデビューして以降、戦前・戦後を通じて日本映画界で活躍したスターの一人。1979年に女優を引退した後にはエッセイストなどとしても活動した。街を歩いていてもファンに追いかけられるという人気だったが、ある日逃げ込んだ銀座の骨董品屋で骨董品の魅力に取り付かれる。以後骨董品集めが趣味となり、造詣が深い。東宝では『綴方教室』、『馬』などの映画に出演し、天才子役から女優へと成長していく。『馬』で助監督を務めた黒澤明と撮影中に恋に落ちたが、母親の反対で別れさせられた。東宝争議で、大河内伝次郎、長谷川一夫、黒川弥太郎、藤田進、原節子、高峰秀子、山田五十鈴、入江たか子、山根寿子、花井蘭子で「十人の旗の会」を結成、政治的イデオロギーの強い東宝労働組合を脱退し新東宝へ移籍。その後は小津安次郎や市川崑などの名監督の作品に出演し、昭和を代表する女優に成長。1979年女優引退を発表。引退後はエッセイストとして活動。2010年12月28日、肺がんにより東京都渋谷区の病院で死去。86歳没。

 彼女たち以外では星玲子さん、高杉早苗さんも美人だった。

 今もご存命で日本を代表する美人女優(御歳50歳以上)

 1位 吉永小百合

 2位 原 節子

 。「永遠の処女」と呼ばれ、戦前から戦後にかけて活動し、日本映画の黄金時代を体現した。代表作に『わが青春に悔なし』、『青い山脈』、『めし』、『東京物語』などがある。本名は会田 昌江(あいだ まさえ)。1963年に女優業を引退した。2000年に発表された『キネマ旬報』の「20世紀の映画スター・日本編」で女優部門の第1位にノミネートされている。現在92歳になられている。

 3位 岩下志麻
 4位 松原智恵子
 5位 山本富士子
 6位 ひし美ゆり子
 7位 八千草薫
 8位 樋口可南子
 9位 栗原小巻
10位 竹下景子 

 他にも浜木綿子、酒井和歌子、山本陽子、島田陽子、夏樹陽子、十朱幸代さんも美人女優の代表だろう。

 記事作成:3月中旬~4月4日(木)

 追記

 昨日(4/17)に昨春まで勤務していた三春町の職場で、一緒の部署で、しかもデスクが隣だった元同僚が急逝した。まだ40歳という若さだった。同じ年(平成21年4月)に転勤し、苦楽を共にした女性だった。まだ独身で、おっとり系で可愛らしい声で、結構ウマが合って冗談を言い合った仲だった。4月8日まで、普通通りに勤務していたらしい。今でも信じられないでいるが、本日のテーマと合致する出来事に言葉が見つからず、途方に暮れている。今はただ、彼女の冥福をお祈りすることしかできない。一緒に仕事ができたことを心から嬉しく思う。この場をお借りしてお悔やみ申し上げます。(SUZU)

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