会津武士道を貫いた女性たち
今年のGWに異変が起きた。昨年までは東日本大震災による「福島第一原子力発電所事故」の放射線被害の余波で、ここ福島県は観光客が激減し、何かと暗いニュースに打ちのめされていた。しかし、震災から2年を経た今年、異変が起きている。それは、幕末の戦乱に見舞われた血生臭い時代にあって、「ならぬものはならぬものです」という会津武士道を貫き、懸命に生き抜いた女性たちがいたことは既に知っているでしょうが、今年のNHK大河ドラマで砲術家の会津藩士の娘「山本八重子(後の新島八重)」の生涯を描いた「八重の桜」が放送されて以降、その影響で観光客が花見を兼ねてわんさか繰り出したからである。もともと大内宿や塔のへつり、七日町通り、飯盛山、鶴ヶ城と観光には事欠かない、「誘客資源」が山ほどあった会津だが、折からの「八重ブーム」に肖って今年は大変な人出を記録した。
実は今回と同じ状況が昭和末期にもあったのをご存知だろうか。それは日本テレビ系で毎年放送していた年末大型時代劇で、1986年に「白虎隊」が取り上げられ、2日間、延べ6時間番組として放送にされたことによるものだった。今回の大河ドラマでは、幕末期の会津戊辰戦争で男勝りの活躍をし、「ハンサムウーマン」とか「和製ジャンヌダルク」という言葉だけが独り歩きし、そうした名で呼ばれた女傑「山本(新島)八重子」にばかり注目が集まっているが、その時代を懸命に生き抜いた女性にスポットを当ててみたい。
中野竹子
会津藩江戸詰勘定役・中野平内の長女として江戸で生まれた。聡明で学問に長じ、また薙刀術の名手であった。戊辰戦争が始まると会津若松城下に戻り、学問や薙刀を教える。新政府軍が城下に侵攻した際、母・こう子らと共に娘子軍を結成し奮戦したが被弾。首級を敵に与えることを潔しとせず、母の介錯により果てた。首級は農兵の手により法界寺に埋葬された。享年18。
辞世の句は「武士の猛きこころにくらふれは 数にも入らぬ我が身なからも」。
涙なくして見られない、壮絶な最期を遂げる殉死のシーンはコチラ
中野竹子の生涯を綴ったブログはコチラ
http://www.page.sannet.ne.jp/ytsubu/takeko.htm
NHK大河ドラマ「八重の桜」では黒木メイサが演じている。NTV年末大型時代劇では岩崎良美が演じた。
西郷千恵子
会津藩氏・飯沼粂之進の二女として生まれる。会津藩国家老の西郷頼母のもとに嫁ぎ、一男五女をもうける。
1868年(慶応4年)、戊辰戦争の10月8日(旧暦の8月23日)に薩長を中心とする西軍が若松城下に進軍し、城郭に迫ると、長男の吉十郎のみを城中に送り、その後、家族や家僕を邸宅に集め、国難に殉ずる大義を説き、娘、義妹ら西郷一族21名がことごとく自刃して果てた。夫を立て、会津武士道の流儀に則り、敵に辱めを受ける前に自らが覚悟の上の集団自決であった。
西郷千恵子の辞世の句
「なよたけの 風にまかする身ながらも たわまぬふしはありとこそ聞け」
西郷一族集団自決は13分28秒から17分58秒まで
新島八重(山本八重子)
江戸時代末期(幕末)から昭和初期の日本女性。同志社創立者の新島襄の妻として知られる。旧姓は山本。会津藩の砲術師範であった山本権八・さく夫妻の子として誕生。会津戦争時には断髪・男装し家芸であった砲術を以て奉仕し、若松城籠城戦で自らもスペンサー銃と刀を持って奮戦した。会津戦争が始まる前、但馬出石藩出身で藩校日新館の教授をつとめていた川崎尚之助と結婚し、会津若松城籠城戦を一緒に戦ったが、敗戦後に捕虜となった夫と離ればなれとなり、以降二度と再会しなかったと思われる。戦後、新島襄と出会い、結婚した。
山本八重が落城の際に壁に刻んだ句である。
「あすの夜は いづくの誰か眺むらむ なれしお城に残す月影」
「白虎隊」では、今は亡き元キャンディーズの田中好子さんが演じ、まるで水戸黄門の由美かおるのようなスタイルで、夜襲をかけて敵を倒すなど、その迫真の演技が好評を得た。
「新嶋八重の墓」の映像はコチラ
http://www.youtube.com/watch?v=XlVWyU9TG0w
「八重の桜」オープニング映像はコチラ
http://www.youtube.com/watch?v=tIxFTmhaKW0
賊軍の汚名を着せられ、負けるはずのない戦に敗れ、戦場に散った会津の英傑たち。彼らの魂を想うと、心が痛み、涙なくしては語れない。会津の精神である保科正之公が定めた会津藩の家訓15か条を貫き、愛する故郷のために最後まで戦い抜き、壮絶な最期を遂げていった。私自身も祖父母は会津の生まれ。私にも脈々と会津武士道の血が受け継がれている。これを読んだ方々が、どういう気持ちで会津を思うかしれないが、飯盛山や鶴ヶ城を訪れる際は、歴史認識を新たにし、霊験あらたかな気持ちで足を運んでほしい。ただ単に一時のブームに乗っかって、物見遊山の観光気分ではなく、会津武士道を学び、英霊たちを敬い、心からの哀悼の意を捧げてほしいと思う。
一、大君の儀、一心大切に忠勤に励み、他国の例をもって自ら処るべからず。 一、武備はおこたるべからず。士を選ぶを本とすべし 上下の分を乱るべからず 一、兄をうやまい、弟を愛すべし 一、婦人女子の言 一切聞くべからず 一、主をおもんじ、法を畏るべし 一、家中は風儀をはげむべし 一、賄(まかない)をおこない 媚(こび)を もとむべからず 一、面々 依怙贔屓(えこひいいき)すべからず 一、士をえらぶには便辟便侫(こびへつらって人の機嫌をとるもの 一、賞罰は 家老のほか これに参加すべからず 一、近侍の もの をして 人の善悪を 告げしむ べからず。 一、政事は利害を持って道理をまぐるべからず。 一、法を犯すものは ゆるす べからず 一、社倉は民のためにこれをおく永利のためのものなり 一、若し志をうしない 右15件の旨 堅くこれを相守り以往もって同職の者に申し伝うべきものなり |
「会津若松市観光公社」HPより抜粋させていただきました。
記事作成:5月4日(土)
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