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2013年6月

2013年6月29日 (土)

歴史探訪記(二本松編)

 私の母の故郷・二本松。幼少期には、「榎戸」にあった今は亡き祖父母の実家に幾度となく訪れたものだ。そこは私にとって特別な土地柄であった。「二本松」と聞いて真っ先に思い浮かぶのが「菊人形」と「提灯祭り」だろう、私も中学生の頃までは、毎年のように「菊人形」を見に出向いたものだし、高校生の頃は同級生と2人で4号線を自転車でひた走り、当地を再訪したものだった。また、特急に乗って友人と二本松駅で下車して訪れたこともあったし、姉とバイク2台を連ねて二本松の霞ヶ城公園で開かれる「菊人形」を見に訪れたこともあった。駅前の土産物屋の2階の喫茶で寛いで電車を待ったことも記憶にある。30年以上も前の出来事で、妙に懐かしい。しかし、祖父母が他界した後は、すっかり疎遠となり、二本松は単なる通過圏と成り下がってしまっていた。
 しかしながら、今年5月、福島出張のついでに、祖父母が亡くなってから10年ぶりに二本松市内を訪れ、祖父母、そして昨冬亡くなった叔父が眠る墓所を訪れ、手を合わせた。ずいぶんご無沙汰してしまった非礼を詫び、同時に昔は気づかなかった二本松の魅力を再発見しようと考え、久し振りに有名観光地を中心に見てあること決意した。特にNHK大河ドラマ「八重の桜」で二本松少年隊の悲劇を取り上げたり、「歴史ミステリーロマン」でも戊辰戦争の壮絶な戦いが取り上げることが多くなり、昔を偲んでの探訪を決意した次第だ。
                                  
                                   以上記事作成:6月16日(日)

 今回巡る予定の訪問先は以下の通り。

1 大壇口古戦場(二本松少年隊奮戦の地)→ 2 大隣寺(二本松隊士の墓)&二本松   
少年隊士館 → 3 霞ヶ城址(二本松少年隊像・箕輪門・本丸址・菊人形会場周辺・ 天
守台址) → 4 蔵造りの道 → 5 大七酒造 → 6 智恵子の生家(米屋&花霞・智
恵子記念館) → 7 愛宕神社(遊歩道) → 8 安達ヶ原黒塚(鬼婆伝説) → 9 光現寺(墓参り) → 10 母の実家 → 11 玉嶋屋(玉羊羹) → 12 二本松駅→ 
13 本宮駅前モットコム → 14 本宮映画劇場(二本松信金入口) → 自宅

 6月27日(木)に2日後の土曜日に実行することに決めたが、途端に天気が下り坂に。雨男健在だ。

 訪問日 6月29日(土)くもり

 <経過>

 5:55起床 6:40自宅発 
 どんよりした曇り空。肌寒いくらいの気候。車内温度計は17℃。BGMは森高。
 バイパスに入り、4号線を北上。6:51本宮IC通過。
 7:00祖父が亡くなった枡記念病院前を手を合わせて通過。羽石ICからバイパスを降り二本松IC方面へ。行き過ぎてUターン。右手上に小高いこんもりした丘を発見。JA安達の裏手の行き止まりに駐車。

 1 7:06 大壇口古戦場(二本松少年隊奮戦の地・二勇士の碑)

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 無人。肌寒い。階段を登る。canonデジカメ、暗くてオリンパスカメラを車に戻ってとってくる。ここは二段の丘で、どちらも慰霊碑が立つ。上部は直感的にまずいと思い、シャッター押せず。礼を尽くし、厳かにお参り。二本松少年隊の隊長・木村銃太郎22才の戦死之地。7:15発。二本松IC手前の交差点を左折し、2ツ目の信号を左折。かつて母親が入院した二本松中央病院を左に見て道なり。次のT字交差点を左折。緩い上り坂を200mほど行くとその左手にあった大隣寺の駐車場へ。目の前が二本松隊士館。庇に等身大人形が7~8体飾ってある。        

 2 7:17 大隣寺(二本松隊士の墓)&二本松少年隊士館

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http://www10.ocn.ne.jp/~dairinji/

 寺の入口に2名の隊士が殉職した場所。石碑立つ。カメラAUTO設定にしたら露出自動補正。明るくなる。石段を駆け上がる。紫陽花が咲く。寺の境内の左手に二本松少年隊の墓が立ち並ぶ。深々と頭を垂れ、手を合わせる。緑が深い。15分ほどの滞在中、無人で私一人。静寂に包まれ、不気味。厳かな雰囲気。石段を降りて、休憩所&レストランになっている二本松少年隊士館へ。自販機でペットの濃いお茶を150円で購入。7:35発。

 いったん坂を下り、左折し、次の信号を左折。山を一つ越える。霞ヶ城の右の駐車場へ。

 3 7:40 霞ヶ城址(二本松少年隊像・箕輪門・本丸址・菊人形会場周辺・天守台址)

 駐車場から廻って箕輪門へ続くの砂利のゆるい坂を登る。震災復旧工事で三の丸に行けない看板あり。門の手前と潜った先で箕輪門を撮影。黄色いテープで進入禁止。

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 一旦車に戻って移動を。一方通行の坂を200m上った左側の駐車場へ移動。7:50。
 霞ヶ城公園の散策開始。菊人形会場だが、何もないと広い。殺風景。中学生の頃に登ったきりの懐かしい遊歩道を行く。終始無人で単独行動。霞ヶ池、智恵子の藤棚、布袋の滝(鯉が泳ぐ)、洗心亭と巡る。遊歩道が整備されている。
 7:58傘松、8:00洗心滝、ここで時報(二本松の広報は「威風堂々」のメロディー)、
 8:03見晴らし台(ジョギングの夫婦に挨拶)、急な階段。8:06智恵子の詩碑、息切れして心臓バクバク。
 8:08 少年隊の丘(草っぱらの広場)、見覚えある風景。懐かしい。30年振り?
 8:12 から手門 急な階段を上がり、その先の階段を登れば、その先に覚えている風景が・・・。階段の先に霞ヶ城の天守台のそそり立つ石垣が見えた。

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 8:16 頂上制覇。麓の駐車場から所々で足を止めて、写真を撮りながらゆっくり登っても25分程度。運動替わりにちょうどいいハイキングコース。たいして汗も出なかった。一面の曇空で肌寒いが微風が気持ちいい。朝早いためか土曜日でも無人。風景を独り占め。360度の大パノラマ。市街地も一望の下。天気が良ければ反対方向に安達太良山が綺麗に見渡せた筈。山頂は整地されていて、東櫓台、天守台、自尽の碑、西櫓台など一周。ここで弁当を食べればよかった。8:25に火事?サイレン響く。昔の風景の面影とは全く異なる。天守閣もどきは無く、石垣と広場が整備されているだけ。見晴らしは最高。写真撮りまくり。もとよりここにはお城を彷彿させる天守閣は無かった。

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 ここはかつて山頂に天守閣のような建物があった。小学時代に遠足で訪れたり、その後も菊人形の度に訪れて登ったものだ。しかし、祖父が亡くなってからというもの、なかなか疎遠となり、二本松は通過圏と化してしまい、平成3年にこの建物も取り壊されたことを最近知り、愕然となった。実際、その天守閣のような建物は、そこを買い取った新興宗教が建てた通称「天文台」だったようだ。武者返しのように急斜面でそそり立つ石垣の陰にその建物は三層建てで存在し、石垣を回ると急な20段ほどの石段があって、そこを駆け上った上部にあったのだった。

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 この画像は「二本松城ー余湖さん」のホームページから拝借させていただきました。この場を借りて御礼申し上げます。

 8:28山頂発。上りとは異なる遊歩道で下山。上部は立ち入り禁止区域は無かった。下山ルートは去年訪問した「山寺」のよう。涼しい分、意外と疲れず。息切れもさほどではない。減量の足しになるか?紫陽花の小径がとても綺麗。秋の紅葉シーズンもよさげ。
 8:36自尽の碑、井戸、円形キャラボク、終始ひとり。誰もいない。
 8:40三の丸広場へ。相生の滝水無し。右側に菊人形で見覚えのある狭い坂道発見。菊人形の順路。そしてそこを登ると右に懐かしいアーチの石段。その先に16段返しの芝居小屋が・・・。震災で崩落し、立ち入り禁止に。写真撮りすぎてバッテリーサインひとつ減る。ピンチ。8:48駐車場に戻る。ちょうど1時間コース。足も痛まず胸も苦しくない。適度な運動には打ってつけ。8:50霞ヶ城発。

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 8:52 二本松北小、西隣りのセブンへ。おにぎり2つセット、玉子パン、カフェオレで410円。大七酒造の手前の交差点を左折し、すぐに右。「サタふく」の「自転車でGO!」で藺草さんが訪れた川沿いの蔵の小径へ。

 4 蔵造りの道& 5 大七酒造

 9:00川を渡った細い道に路上駐車し、写真のみ。9:04目の前の大七酒造へ。精米工場裏手のお寺?の駐車場へ。ところが・・・。大七酒造は本日お休み。無情にもシャッターが・・・。巨大なレンガ調の建物の外観写真のみ撮影。この周辺にはお洒落な蔵や江戸時代をモチーフにしたような酒屋が軒を連ねる。9:10発。

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 9:12鯉川橋の欄干に車を止めて写真。その後、地図を見ながら智恵子の生家へ向かう。標識を頼りに左折。右手の大きな駐車場へ。

 6 9:17 智恵子の生家(米屋&花霞・智恵子記念館)・智恵子の杜公園見晴らし台

 駐車場から案内標識に沿って徒歩1分で生家へ。一旦通り過ぎて街道へ。さっき有名な店構えに面した通りで、目の前を通ったのに気づかず・・・。この通りを挟み、向こう側から外観(花霞看板)の写真。入口の受付の小さな小屋で入場料を400円払う。品のある女性が店番。写真撮影の可否を尋ねる。建物内は木の香り。古い佇まい。時代劇のセットのようでタイムスリップかのように思える。高村(旧姓長沼)智恵子は私にとっては偶然が重なる女性。ここでは個人情報のため触れられないが、他人とは思えない境遇。古い道具や家財道具など多数展示。H4に建てた智恵子の作品の数々を展示した新記念館へ。ここは撮影禁止。地下に展示室フロアあり。ここで紙絵や絵画、彫刻、互に宛てた手紙などをじっくり時間をかけて見て回った。BGM流れる。感動した。「智恵子は東京には空がないといふ、ほんとうの空が見たいといふ」。あどけない話。監視カメラ。彼女の真っ直ぐで一途な生涯に触れ、涙が出そうになる。「貧しく飾らず単純であれ」を貫いた人生。死の床を夫の光太郎が書いた「レモン哀歌」「荒涼たる帰宅」は涙もの。6分間の彼女の生涯を描いたビデオを観た。新刊と受付の2人の女性に私の身の上を話す。もう一度順路に従って生家を一周。係員に用紙をもらって来場記念のスタンプを押す。ここも53分間の滞在中、終始私ひとり。純真な夫婦愛に触れ、「智恵子抄」を読みたくなった。

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http://www.city.nihonmatsu.lg.jp/site/kankou/453.html

 この記念館で目にした3篇の詩

「あどけない話」

智恵子は東京に空が無いといふ。
ほんとの空が見たいといふ。
私は驚いて空を見る。
桜若葉の間(あいだ)に在るのは、
切っても切れない
むかしなじみのきれいな空だ。
どんよりけむる地平のぼかしは
うすもも色の朝のしめりだ。
智恵子は遠くを見ながら言ふ。
阿多多羅山(あたたらやま)の山の上に
毎日出ている青い空が
智恵子のほんとうの空だといふ。
あどけない空の話である。

「レモン哀歌」

そんなにもあなたはレモンを待つてゐた
かなしく白くあかるい死の床で
私の手からとつた一つのレモンを
あなたのきれいな歯ががりりと噛んだ
トパアズいろの香気が立つ
その数滴の天のものなるレモンの汁は
ぱつとあなたの意識を正常にした
あなたの青く澄んだ眼がかすかに笑ふ
わたしの手を握るあなたの力の健康さよ
あなたの咽喉に嵐はあるが
かういふ命の瀬戸ぎはに
智恵子はもとの智恵子となり
生涯の愛を一瞬にかたむけた
それからひと時
昔山巓でしたやうな深呼吸を一つして
あなたの機関はそれなり止まつた
写真の前に挿した桜の花かげに
すずしく光るレモンを今日も置かう

「荒涼たる帰宅」

あんなに帰りたがつてゐた自分の内へ
智恵子は死んでかへつて来た。
十月の深夜のがらんどうなアトリエの
小さな隅の埃を払つてきれいに浄め、
私は智恵子をそつと置く。
この一個の動かない人体の前に
私はいつまでも立ちつくす。
人は屏風をさかさにする。
人は燭をともし香をたく。
人は智恵子に化粧する。
さうして事がひとりでに運ぶ。
夜が明けたり日がくれたりして
そこら中がにぎやかになり、
家の中は花にうづまり、
何処かの葬式のやうになり、
いつのまにか智恵子が居なくなる。
私は誰も居ない暗いアトリエにただ立つてゐる。
外は名月といふ月夜らしい。

 智恵子抄の一節はコチラ

 10:10 智恵子の生家発。急遽予定にない、智恵子の杜公園の見晴らし台を目指す。初めてなのにどこかで見覚えのある坂道・・・。10:12駐車場へ。愛の小径なる遊歩道あり。奇抜なデザインのコンクリ無機質の展望台へ。階段を一気に駆け上がる。360度、各方面に名所がプレートで示している。ここも無人。写真撮影。霞ヶ城とは違う絵づらの町並みを堪能。

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 10:20発。続いて昔、何度も訪れたことがある、丘の上にある愛宕山公園の神社の境内を目指す。しかし、石段のある場所が駐車できず、ぐるっと廻って二本松工の前へ。右手に市民会館があり、そこの裏手の駐車場へ。

 7 10:27 愛宕神社(遊歩道)

 そこから見晴らし台まで2.7kmと書かれた遊歩道を登る。裏山的な場所なので、そんなに長い距離のわけがない。間違ってないか不安の中、山の斜面沿いの道を行くと偶然眼下に二本松南小が・・・。そして小さな橋を潜り、ふと思い出し、その橋まで引き返して、その階段を上ってガードレール作りの小橋を渡ったところ、そのルートが母親の実家のある榎戸から続く遊歩道だとわかった。35年ぶりくらいに通る懐かしいあぜ道。今は亡き祖父に連れられてよく散策した山道。雑草が生い茂り、まるで獣道。やがて雑木林の木立の中へ。昔、蛇が出たこともある道だが、クマが出ないように敢えて声を出して登った。300mほどで見覚えのある神社の境内が・・・。10:36着。

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 そこは長らく人が立ち入っていないほど雑草や薮が生い茂り、不気味な感じ。私一人。もしここで倒れたら誰も助けないし、発見もされないかもしれない。昔の風景とはまるで違う。廃れた荒れ果てた印象。写真だけ撮って退却。速攻で来た道を引き返した。しかし、幼少の頃の亡き祖父との想い出の一端を垣間見れた。市民会館駐車場を10:43発。次に安達ヶ原黒塚へ向かう。      

 R4号バイパス方面へ下り、手前を左折。右カーブで坂を回り、国道、東北本線、阿武隈川の跨線橋を越える。標識を頼りに左折し、100mほど細い道を行った突き当りに黒塚のあるお寺(観世寺)へ。昔は境内や塀などなく、鬼婆が潜んでいたとされる岩屋が道路から見え、無料で見物できた。工事車両用の空き地へ駐車。

 8 10:47 安達ヶ原観世寺(黒塚・鬼婆伝説) 

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 門の前で写真。ためらいながら受付で400円の拝観料を払う。案の定ここも客は私だけ。ここは怨念に満ちた怨霊漂う恐ろしい場所。祟られないように念のためここでも写真撮影の可否を聞いて、順路も尋ねて恐る恐る中へ。もちろんすべての場所で手を合わせ、不幸が降りかからないように真摯に拝んだ。左手に巨大な石組みがあった。ここも30年以上訪れていない。近年「ふるさと村」が隣接し、五重塔がすぐ裏に聳える。うっそうとして薄暗いので余計不気味。
 ここは平和時代、若姫の病に効く薬草を求めてやってきた鬼婆が棲家とし、訪れた旅人を殺していた場所。実は目当ての妊婦を殺したところ、それが生き別れた自分の娘だったことを知り、気が狂って鬼婆と化してしまったのだ。その後、訪れた旅人に宿を貸しては次々と殺人を繰り返していたのだ。その棲家としていた岩場を一周。石にはそれぞれ名前がついていて、成仏できるように「南無阿弥陀佛」と刻まれてあったり、霊場や心霊スポットのような雰囲気。猫が放し飼いになっていて、3~4匹昼寝。とにかく薄気味悪い。
 奥の右にある「宝物殿」という建物の中のみ撮影禁止。そこに入ると、エンドレステープで鬼婆伝説を描いた世にも恐ろしい絵柄の掛け軸などの説明をしていた。地獄絵図とか曼荼羅とか、怖いお面とかとにかく怖そう。血染めの出刃包丁を洗った池などもあった。一周して戻った頃、何かにとりつかれたかのように頭が重くなったので、長居は無用と退散。受付のおばさんに丁重に「ありがとうございました」と礼を告げて、その場を後にした。

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http://home.s01.itscom.net/sahara/stone/s_tohoku/fu_kanzeji/kanzeji.htm

http://www.ac.auone-net.jp/~garou/ada1.html

 実は、昔ここを訪れた時、黒塚の手前に廃屋になった不気味なアパートがあったが、もう取り壊されて無くなっていた。11:12発。25分の見物にとどめた。来たルートを戻る。橋を渡り、旧4に入れると思い、業務スーパーの駐車場を横切るが一方通行で、また戻る。二本松工業の坂を下り、旧4へ合流。そして5月にも訪れた光現寺の駐車場へ。

 9 11:19 光現寺(墓参り)

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 ちょうど法事に参加した人が喪服で出てきた。先月も訪れて場所を特定できた墓を探して、亡き祖父母、叔父が眠る墓石へ。11:22 お墓の前へたどり着く。祖父の墓前で「先ほど愛宕神社を訪れた」ことを報告。墓碑銘をメモした。私の母を生んだ後に亡くなった母の本当の母親が昭和24年に35歳で亡くなり、祖父が平成4年に88歳で、更に後妻の祖母が平成9年に81歳で、そして昨年12月に叔父が77歳で亡くなった。没年と行年を控えた。このお墓のある高台から、先ほど登山した愛宕神社への遊歩道が見える。11:28発。南小学校を挟んだ向かいにある母の実家へ。

10 11:30 母の実家(榎戸)

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 車が止められそうな場所を探して往復。写真のみ。昔は家の目の前に井戸とポンプがあった。夏休みは泊まったこともあったし、虫取りに行った想い出もあった。ここから祖父母の亡骸を送り出したのだった。懐かしい幼少期の想い出が脳裏をよぎった。今は母の弟(叔父)が住んでいるが、今日は顔を見ないで退散。
  11:38榎戸発。野辺送りで通った道すがら、正面に光現寺の屋根が見え、停車して写真。次に向かうは玉嶋屋。二本松で最も有名な和菓子屋。売れ線の「玉羊羹」が目当て。途中、提灯祭りの山車が降りてくる長い坂道の交差点や一番の繁華街だったロータリーを通る。「橋本仏具店」のある場所にあった歩道橋も今は撤去。寂れた印象。二本松も昔に比べて活気がない感じ。車の数も少ない。旧4の道路沿い右側に古い老舗構えの店舗は見つけたが、駐車スペースが無く、素通り。左折して二本松駅方面へ。当初の予定より2時間以上早い。

 12 11:38 二本松駅

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 ずいぶん駅舎も駅前も整備されて綺麗になった。駅の右手にあった。昔入った2階の喫茶店は取り壊され、セブンに。一周してる間に車内からシャッター押す。そしてまた玉嶋屋方面へ。すると店の先の交差点の右側に屋根付きの駐車場を発見。早速分け入り駐車。

11 11:41 玉嶋屋(玉羊羹) 

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http://tamasimaya.com/

 まず、通りを挟んで店の写真を撮りたかったが、客が路上駐車で妨害。やむを得ず店内へ。950円の8個袋入りを購入。店員さんが可愛らしかった。話し方が丁寧で好感を持った。これを明日実家へ届けるつもりだ。駅前で見かけたベージュの女性と何度も出くわす。安達高校は制服がセーラー服・・・。超ミニのJKが行く。まるでAV風。11:48発。

 以上で二本松探訪はフィナーレ。帰り道、本宮で2箇所の訪問を予定していた。そのまま旧4号を南下。岳温泉への交差点を突っ切る。そのまま新国道へ合流せず。11:54旧道を行く。杉田駅の踏切を渡り、くねくね道路を行く。途中3軒連なるラブホの前を通過。やがて本宮市内へ。19℃の温度表示。市街地で左折、右折し、目抜き通りへ。そして本宮駅方面へ右折。駅のロータリーを一周して回り込んだ。       

13 12:05 本宮駅前「FMモットコム」

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 私の知り合いが今年の2月までDJをしていたコミュニティFM局だ。一度見てみたかった。車内から写真。もちろんカーステも77.7KHzにチューニングしてあった。すると局の外のスピーカーからも現在放送中の曲が・・・。ハモっていた。彼女は4年間もここでマイクを握って頑張っていたことを思い、改めて賞賛。そして本日の旅のオーラスを飾るのが、長年行きたいと思っていた或る劇場だった。右折して旧4を南へ。100mほど行くと信金がある。その裏手にそれはある。車を止められそうにないので、その先に現れた郵便局の駐車場へ。そのPからフェンス越しにその薄いピンク色の古ぼけた建物が聳え佇んでいた。

14 12:07 本宮映画劇場(二本松信金入口)

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http://www.pref.fukushima.jp/bunka/kindai/page_04.html

 ここはかつて映画館だった。地元密着の昔流行った映画を長年上映していた。今も現役だと思っていたが、路地を廻ってその建物の前に行くと、愕然とした。おそらく2年前の震災のせいだろう。歴史と伝統と由緒溢れるその建物は外壁がボロボロに朽ち果て、劇場の入口は閉ざされ、まさに閉鎖されたような印象だった。恐る恐る近寄ると、以前テレビ「ナニコレ珍百景」で紹介されたことを示す看板があった。裏に回ったら、正面の華やかな作りとは違い、掘立小屋そのもの。門構えは立派だが、見えないところには金をかけない典型。もし開いていれば劇場内や歴史的な映写機も見たかった。残念だ。心残りで何枚も写真を撮った。ここでバッテリーは赤の点滅。最後の訪問地だったので危なかった。

 12:14発。何と予定より3時間以上も早まった。半日でこれだけ見て回れるとは予想外だった。12:16 山田交差点よりR4へ合流。
 12:21 本宮IC前通過
 12:34 自宅着 走行距離61.6km

 6時間足らずで初期のの目的を達成した。雨に一度も降られず、暑くなかったので体力の消耗もなかった。帰宅後、腰痛再発。外反母趾で右足が痛む。

 費用 お茶代150円 食費410円 入場料800円  合計1,360円

  こうして振り返ってみると、あまりにも身近にありすぎて、さほど意識して気にもとめなかった場所だった二本松だが、たくさんの歴史的価値があったり、戊辰戦争で犠牲になった方々の英霊を敬う契機となり、改めて再発見した思いだった。まさに温故知新。地元にもまだまだ見たりない場所が山ほど眠っていそうだ。そう言う意味でも故郷の魅力を再発見する旅になり、有意義だった。

下は旅のメモ帳(このメモを元に当ブログにまとめている)

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 関連ブログ:「二本松の想い出」

http://tsuri-ten.cocolog-nifty.com/blog/2010/02/post-b521.html

 記事作成:6月16日(日)・6月29日(土)

 

2013年6月21日 (金)

現実離れしたテレビドラマ

 1980年代は、私が高校・大学時代を過ごした頃である。バブルに踊らされ、それは飽食の時代と呼ばれ、物質面で豊かな時期だった。しかし、同時に横浜銀蝿に代表されるようなツッパリが世相を反映したように、リーゼント頭に長ラン、ボンタンの奇抜な服装に根性焼きなどの不良が蔓延り、受験戦争や校内暴力、家庭内暴力、いじめ、暴走族、鍵っ子、落ちこぼれなどが社会問題化するなど教育問題が取り沙汰された。そんな荒れた学校現場を象徴するかのように、テレビドラマもまたそれらを誇張し、独特な視点で描かれた。特にTBS系列やフジテレビ系列の20時台は、現実離れした場面設定で、いかつい内容のものが目白押しだった。得てしてそれは、「大映テレビ」制作の番組に集約されていたと思う。

 このテレビ会社は、とにかくシビアでマニアック。セリフがとことんクサくて極端な描写で社会風刺として煽り立てていた。例えば、出生や生い立ちに纏わる隠された秘密、喧嘩、いじめつらみ、積年の因縁、殺伐とした家庭環境、傷心などを包み隠さず、オーバーなくらい堂々と表現した演出が目を引いた。そして降りかかる数々の苦難や試練を主人公が乗り越えていく様を描いていた。

 では、そうした1980年代特有のドラマを10作品ピックアップして振り返りたいと思う。

 1.スケバン刑事

 特に第2シリーズの「少女鉄仮面伝説」はありえない展開が続出。幼少期から、鉄仮面を付け、素顔を隠して生活。かつてのスポ根もののような現実離れしたストーリー。17年間も仮面を外さずに生活し、ある日、いきなり17歳の高校生で特命刑事に任命される展開。そして仮面が割れて登場したのは五代陽子(南野陽子)という黒髪の長い美少女。17年間も顔を洗えなかったわけだから、皮膚炎を発症してもおかしくない展開だが、そこはドラマ。

 決め台詞がまた泣かせる。、敵の目の前にヨーヨーを投げた後、組み込まれている桜の代紋(旭日章)を見せて「鉄仮面に顔を奪われ、十(とお)と七とせ、生まれの明かしさえ立たんこの私(あてえ)が何の因果か警察(マッポ)の手先。」で始まる名乗りの口上を行い、次回予告では「おまんら、許さんぜよ!」とのたまう。大いに笑わせてもらった。

 このドラマは斎藤由貴が演じた第1シリーズの続編として制作・放映された。この番組は「東映」の制作で、フジテレビで1985年11月から42話放送された。吉沢秋絵と相楽ハル子が共演した。

http://www.youtube.com/watch?v=GKD7yekKqes

http://www.youtube.com/watch?v=g_J7TPYM_lg

 2.スチュワーデス物語

 ご存知、ドジでのろまな亀の堀ちえみ演じる新人スチュワーデス・松本千秋と「教官!」というセリフが流行語になった村沢浩(風間杜夫)との恋愛や厳しい訓練風景を描いた大映テレビ制作のドラマ。あまりにも臭すぎるセリフのオンパレード。極端で直情径行な性格、いかつくてオーバー表現ばかりが記憶にある。そして最大の珍事は、教官の風間杜夫の弱みを握り、足蹴に扱う片平なぎさの存在。ことあるごとに義手をチラ付けせ、彼を意のままに操る。そうした鬱憤を訓練生にぶつけていたとしか思えない。山咲千里や高樹澪、白石まるみ、秋野暢子、石立鉄男(故人)、前田吟も出演していた。

 このドラマはTBS系列で、1983年10月から22話放送された。大映テレビは、ご存知スーパースターとして引退した山口百恵の「赤いシリーズ」を世に送った番組制作会社。「夜明けの刑事」や「明日の刑事」など情に訴えるような内容が多かった。

http://www.youtube.com/watch?v=OF-6bcQCPOA

 3.花嫁衣裳は誰が着る

 1986年(昭和61年)4月23日 から1986年(昭和61年)10月15日までフジテレビ系列で放送された。主演は堀ちえみ、 伊藤かずえ。父親を知らない少女がデザイナーを目指して数々の苦難を乗り越え、成功し幸せをつかむまでを描いたテレビドラマ。大映テレビ製作。全24話。堀ちえみ主演のテレビドラマの時間枠は2作目にあたる。

 「父を知らず、三歳で母を失った少女にただ一つ許されていたのは夢を見る事であった。 この物語は、その儚い夢を大事に育てた少女の愛のロマンである。」という冒頭部のナレーションがこの制作会社のお約束である。そして出生や生い立ちが不遇で、苦難との戦いを強いられる根性物語だ。

 出演者は堀ちえみ、伊藤かずえ、松村雄基、岡田奈々、高橋昌也、名古屋章などお馴染みの面々である。主題歌を歌う椎名恵の「愛は眠らない」は名曲だった。

http://www.youtube.com/watch?v=JKh1XElidKo

 4.スクールウォーズ

 ご存知スポコンもの。日本テレビ系列で、1984年10月から26回放送。制作はやはり大映テレビ。伏見工業がモデルで、泣き虫先生として名を馳せた山口良治先生をモチーフにして制作された。荒れた学校の不良学生をラグビーを通して目的意識を与え、更正させる内容。「ALL FOR ONE  ONE FOR ALL」という言葉はこの時メジャーになった。笑えるのは番長同士の果し合いのような場面や不良連中同士の柵などが描かれ、仲間を抜けられずに葛藤する場面もあった。オープニングの校舎のガラスを叩き割るシーン、廊下を暴走二輪車が走り回る絵、超リーゼント頭に長ランボンタンの出で立ちは、当時の世相を物語る。荒んだ心の闇を巧みに描写していた。今ではあのような不良っぽい格好は、騎士団、桜木花道、AKBINGOの司会を担当したバッドボーイズの佐田正樹、それにROOKIESだけだろう。

 出演者も今考えると懐かしい。主役の滝沢賢治役に山下真司、岡田奈々、松村雄基、宮田恭男、高野浩和イソップ)、伊藤かずえ、梅宮辰夫、鶴見辰吾、坂上二郎などいわゆる「大映」ファミリーの面々であった。好評を得、続編や映画版も制作された。

http://www.youtube.com/watch?v=pUcJ77towDo

 5.美少女戦士セーラームーン(実写版)

 2003年10月から49話制作された。1990年代にテレビアニメ化され大ブームとなった武内直子の漫画『美少女戦士セーラームーン』を原作に、CBC・電通・東映製作によって制作され、TBS系列各局で毎週土曜7:30〜8:00に放送された。

 こちらは元々アニメがメインだったので、実写版が登場した時にはかなり違和感があった。格闘シーンなど動きがぎこちなかったり、衣装と日本の女の子とのギャップもあった。原作、アニメ独特の「髪の色」は変身後のみ。変身前は全員が黒髪か茶髪。派手なセーラー服に身を包み、激しいアクションシーンなどをこなしていた。変身ポーズがハイライトだった。

  • 月野うさぎ / セーラームーン / セレニティ - 沢井美優
  • 水野亜美 / セーラーマーキュリー - 浜千咲(幼少期:松元環季)
  • 火野レイ / セーラーマーズ - 北川景子(幼少期:田中明)
  • 木野まこと / セーラージュピター - 安座間美優(幼少期:鳴海美翔)
  • 愛野美奈子 / セーラーヴィーナス - 小松彩夏
  •  私は、北川景子がメジャーになってから、この番組に出演していたことを知った。実は子供が小さかったので、一緒に見て、しかも全話DVDに録画してあった。

    http://www.youtube.com/watch?v=hfrFxfwB1fQ

     6.少女に何が起ったか

     1985年1月から12話放送)TBS系列で放送 された大映テレビ製作のテレビドラマ。小泉今日子の初主演連続ドラマである。あらすじは以下の通り。

     北海道の稚内市抜海で育った少女・野川 雪(小泉今日子)。高校卒業後、漁港で働いていたが、母の死の直後に現れた謎の男から、亡き父は有名なピアニストであり、そして東音楽大学学長の息子であると聞かされる。父を勘当したという学長に対し「両親に謝罪し結婚を認める」「自分を東家の人間と認める」を要求。東京の東家に乗り込んでゆく…。

     戸籍の父親の欄は空白、他にも証拠なしとして周囲から嘲られ、罵られるが、学長の取り計らいで親子関係が判明するまで、東家のメイドとして働く事になった。そして東音楽大学へ特待生として入学。同じ大学へ通う東家の娘、美津子と取り巻きのお嬢様学生、東家の人間、深夜0時になると現れる刑事などに悩まされながらも、雪はピアノ科助教授、大津の指導と特待生達の友情の中でピアノの腕を上達させて行く。その一方、東音楽大学内での裏口入学問題の捜査が静かに進んでいた…。

     いじめや嫌がらせの極致。ひとつひとつのセリフが固くてわざとらしい。極端な言い回しやアクセントが変な感じを受けた。何を隠そう、ドラマの中で、主人公の小泉今日子が逃避行を企てて、極寒の北海道抜海駅に降り立った場面を見て、私は翌年の6月にロケ現場を訪れた。ドラマに登場した小さな駅舎の朱塗りの格子柄のガラス戸を目の当たりにして感激した覚えがある。

     出演者は小泉今日子、辰巳琢郎、賀来千香子、柳沢慎吾、辺見マリ、長門裕之、松村雄基、岸田今日子、石立鉄男、宇津井健など

    http://www.youtube.com/watch?v=A-Xznp_NINc

     7.噂の刑事トミーとマツ

     1979年から1982年の水曜日20: 00 ‐20:54(JST、1982年9月までは20:00 ‐20:55)にTBS系ほかで放送されていた大人気、高視聴率のアクションコメディ刑事ドラマである。やはり制作は大映テレビだ。

     外見も性格も対照的な2人の刑事、警視庁富士見署捜査課の岡野富夫(トミー)と松山進(マツ)の名コンビが時には衝突し時には協力しながら事件を解決まで導く。トミーは気の弱い刑事であるが優男で女性にもてる。マツは直情型の刑事で、女好きであるものの不細工で背が低く、シークレットブーツを愛用しており「世界一踵の高い靴の男」と言われている。各話のクライマックスの格闘・銃撃戦シーンで怖じ気づくトミーにマツがしびれを切らし、「男女のト・ミ・コー」とトミーを怒鳴りつけると、トミーが耳をピクピクと震わせた後急に発奮し、あっと言う間に悪党をなぎ倒すと言う展開が定番となっていた。

     出演者は国広富之、松崎しげる、清水章吾、井川比佐志、林隆三、石立鉄男、志穂美悦子など

    http://www.youtube.com/watch?v=Y9IyCB-qGCs

     8.不良少女と呼ばれて

     1984年4月17日~9月25日にTBS系列で放送された大映テレビ製作のテレビドラマ。原作は舞楽者である原笙子の自伝的小説。平均視聴率18.3%。主人公の曽我笙子が、母親の「あなたさえ生まれていなければ…」という言葉から非行に走る。だが、ひとりの青年の愛により、彼女は更生していくというストーリー。

     出演者は、主役に伊藤麻衣子、国広富之、伊藤かずえ、松村雄基、比企理恵、小林哲子、山田邦子。高橋昌也、高橋恵子、名古屋章、中村晃子、岡田奈々、三ツ矢歌子、中条静夫といった大映テレビではファミリー的なキャスティングだった。

    http://www.youtube.com/watch?v=jfKzo7LmwFw

     9.ヤヌスの鏡

     1985年(昭和60年)12月4日 - 1986年(昭和61年)4月16日にフジテレビ系列で放映された、杉浦幸主演のテレビドラマ。全18回(これとは別に番外編1回)。フィルム撮影だが、番外編はVTR編集によるものであった。放映時間は毎週水曜日・20:00 - 20:54。特徴的な演出で話題となった、いわゆる「大映ドラマ」のうちの一つ。

     「古代ローマの神・ヤヌスは、物事の内と外を同時に見ることができたという。この物語は、ヤヌスにもう1つの心を覗かれてしまった少女の壮大なロマンである。もし、あなたに、もう1つ顔があったら・・・」。(オープニング・ナレーションより)

     普段は真面目で気弱な優等生・裕美が、突然、別人格である凶悪な不良少女・ユミになり、夜の繁華街を我が物顔で闊歩し、暴走族などを相手に合気道の技を使って大暴れする。そんな裕美とユミの姿を通して、誰もが抱える変身願望と多重人格の恐怖を描くサスペンス調の学園ドラマである。
     主人公の小沢裕美は、多重人格の少女。裕美の母が高校生だった時、交際相手の子を妊娠し、挙げ句、その交際相手である男からも捨てられてしまう。裕美の母は、両親の諌めにも耳を貸さずに、裕美を私生児として出産。その後、あることが理由で赤子の裕美を残して入水自殺をし他界してしまう。そのことが深い傷となり、祖母は裕美に対して厳しい躾で育てるが、裕美の母を非難し否定するような祖母の言葉の暴力や折檻により、裕美は自分の心を強く抑圧することとなる。そのことにより祖母の折檻を連想させるガラスや陶器類の割れる音(正確には破壊する場面を目撃したり、その場面を思い出したりという場合もこれに該当する)、裕美自身がぶたれたり(誰かがぶたれる光景を見ただけでも)、お香の匂い(お香以外にも、裕美自身にとって苦手と感じる“煙を発するものの臭い”)などが変身のきっかけとなり、裕美(ヒロミ)とユミの二つの顔(人格)が交互に現れる。

     出演者は主役に杉浦幸、山下真司、風見慎吾、河合その子、宮川一朗太、大沢逸美、前田吟、吉行和子、高橋悦史、中条静夫という大映テレビのお馴染みの顔ぶれ。

    http://www.youtube.com/watch?v=JL8xO-BQYPk

    10.ポニーテールは振り向かない

     TBS系列でテレビドラマ(1985年10月12日 - 1986年3月29日)化された(大映テレビ製作)。
     「この物語は、3歳で母と別れ18歳で父を失いながらもあらゆる迫害(ハンディキャップ)と戦い、振り向くことなくドラマーとしての自己を確立した一少女と、挫折しながらもやがて己の道を開いた若者たちの記録である」(オープニングナレーションより)。

     未記は名ジャズドラマーの父からドラムを教わり腕を磨いていた。やがて到来したロックの時代に馴染めず、ドラムを捨てた一家は貧困に追い込まれ、母は家出、未記は非行に身を堕し女子少年院に収監された。18歳で父が死に、再び不良の世界に舞い戻ったが、音楽の世界に希望を見い出し世界一のスーパーロックバンド結成を誓う。

     出演者は主役に伊藤かずえ、松村雄基、鶴見辰吾、国広富之、坂上忍、岡田奈々、片平なぎさ、名古屋章と同じキャスティング。

    http://www.youtube.com/watch?v=YMY5kGUKf2g

     他にも同様の当時の社会問題を風刺したやりすぎ感のあるドラマには「スワンの涙」、「天使のアッパーカット」、「このこ誰の子?」、「セーラー服反逆同盟」、「乳姉妹」、「家なき子」、「積木くずし」、「アリエスの乙女たち」、「プロゴルファー祈子」など学園モノや家庭の問題を取り上げた内容が主流だった。この頃のドラマで共通するのは、派手な不良の服装と髪型と化粧、廃れた性格、映像では暗めのザラついたフィルム撮影。いかつくていかにもという印象。おぞましさとおどろおどろしい雰囲気をわざとらしく作り出していた。そして面白いことに、大映テレビ制作の学園モノのドラマは、決まって同じ雰囲気と同じ共演者で占められていた。

     伊藤かずえ、松村雄基、片平なぎさ、山下真司、中条静夫(故人)、大沢逸美、名古屋章(故人)、高橋昌也、岡田奈々など。おそらくそのテレビ会社専属の俳優陣なのだろう。中には既に芸能界を引退して一銭から退いてしまった方も少なくない。安永亜衣、杉浦幸、中康次らがそうである。

     また、番組の主題歌からヒットした歌も多い。多くの歌手がメジャーデビューを果たした。麻倉未稀、小比類巻かほる、椎名恵、「YouTube」のオープニング映像をリンクしたので是非ご覧あれ。

     最後に、よくよく考えてみると、水曜日の20時台の学園ドラマは、大映テレビに割り振られた時間だったように思う。かつて木下恵介アワーが存在したように。そして毎回、番組名こそ変われども、出演者はほとんど同じで、番組の基本コンセプトも同様で、似たようなストーリーが展開された。良くも悪くもそれが時代だったという印象がある。

     参考記事

     「大映ドラマ80年代名作グラフィティ」

     http://homepage1.nifty.com/dorama/daiei80.htm

     「大映テレビドラマ特集」

     http://www.murauchi.com/store/dvd/daieiTV/

     記事作成:6月2日(日)

    2013年6月20日 (木)

    あ~紛らわしい!~有名人の名前編~

     世の中にはややこしくなるほど似ているものが存在する。例えばご当地郡山市は、やたらと渡辺という苗字が多い。渡辺もあれば渡部もあったり、渡邉や渡邊という書き方もある。実に紛らわしい。学生時代、佐藤や鈴木よりも渡辺の方が断然多く、各クラスに3~5人程度いたと記憶している。そんな類似した名前が、こと芸能界で照らし合わせれば、顕著である。そこで今回は、芸能界や有名人で似たような名前の人を列挙したい。遊び感覚で読んでいただけたら幸いだ。ただし、兄弟姉妹(双子を含む)は似ていて当たり前なので割愛したい。

     1 東条英機(元首相・A級戦犯)と西城秀樹(歌手)
     2 木村拓哉(SMAP)と木村拓也(プロ野球選手・故人)
     3 榎本武揚(函館戦争)と榎木孝明(俳優・画家) 
     4 桂小五郎と木戸孝允(同一人物)
     5 宮川大助(漫才師)と宮川大輔(タレント)
     6 水野真紀と水野美紀(女優)
     7 陣内孝則(俳優)と陣内智則(芸人)
     8 森高千里(歌手)と森下千里(グラビアアイドル・タレント)
     9 高橋克典(俳優)と高橋克実(俳優) 
    10 峰竜太(俳優)と竜雷太(俳優)
     
    11 麻生久美子(女優)と麻木久仁子(タレント)
    12 北村一輝(俳優)と沢村一樹(俳優)
    13 田中れいなと田中麗奈(女優)
    14 きたろう(タレント)と喜多郎(ミュージシャン)
    15 稲垣潤一(歌手)と稲本潤一(サッカー選手)
    16 相田翔子(歌手)とはいだしょうこ(歌のお姉さん)
    17 ジャン・レノ(俳優)とジョン・レノン(歌手)
    18 いとうあいこといとうあさこ(芸人)
    19 五木ひろし(歌手)と五木寛之(作家)
    20 加藤あい(女優)と阿藤海(グルメリポーター)

    21 鈴木亜美(歌手)と鈴木えみ(モデル)
    22 松田聖子(歌手)と野田聖子(国会議員)
    23 森貴美子と森公美子(オペラ歌手)
    24 深田恭子(女優)と内田恭子(アナウンサー)
    25 ちあきなおみ(歌手)とちわきまゆみ
    26 カルーセル麻紀(ニューハーフ)とカルメンマキ(歌手)
    27 タイガーウッズ(ゴルファー)とタイロンウッズ
    28 矢田亜希子(女優)と和田アキ子(歌手)
    29 倖田來未(歌手)と志田未来(女優)
    30 松井稼頭央(プロ野球選手)と松居一代(女優)

    31 氷川きよし(歌手)と西川きよし(芸人)
    32 杉浦幸(元女優)と杉浦友紀(NHKアナウンサー)
    33 レイザーラモンHGとレイザーラモンRG(芸人)
    34 松平健(俳優)と松平健太(卓球選手)
    35 酒井美紀(女優)と坂井真紀(女優)
    36 酒井若菜(女優)と酒井彩名(タレント)
    37 高岡早紀(女優)と正岡子規(詩人・作家)
    38 高橋由美子(女優)と高岡由美子と高安由美子
    39 田中みな実(TBSアナウンサー)と田中美奈子(女優)
    40 西川峰子(歌手)とにしおかすみこ(芸人)

    41 井上純一(俳優)と井上順(タレント)
    42 沢田亜矢子(女優)と八田亜矢子(東大卒タレント)
    43 西村和彦(俳優)と西村雅彦(俳優)
    44 木内みどり(女優)と木之内みどり(元歌手)
    45 鈴木杏樹(女優)と鈴木杏(女優)
    46 中山美穂(歌手)と中井美穂(古田敦也夫人)
    47 藤竜也(俳優)と藤原竜也(俳優)
    48 藤吉久美子(女優)と秋吉久美子(女優)
    49 新沼謙治(歌手)と大沼慎二(プロ野球選手)
    50 矢田亜希子(女優)八木亜希子(元フジテレビアナウンサー)と矢野顕子(歌手)

    51 アントニオ猪木(プロレスラー)とアントキの猪木(芸人)
    52 浅利香津代と浅香光代(女優)
    53 相武紗季(女優)と相沢紗世(タレント)
    54 遠藤久美子(タレント)と後藤久美子(女優)
    55 平山あや(タレント)と平原綾香(歌手)
    56 岩崎宏美(歌手)と岩崎ひろみ(女優)
    57 ジンギス・カンとチンギス・ハン(同一人物)
    58 牛若丸と源義経(同一人物)
    59 桜田淳子(元歌手)と櫻井淳子(女優)
    60 川口順子(政治家)と浜口順子(タレント)

    61 柏木由紀子(女優)と柏木由紀(歌手・AKB)
    62 南野陽子(歌手・女優)と南田洋子(女優・故人)
    63 ほしのあき(タレント)とはしのえみ(タレント)
    64 相田みつを(作家)とせんだみつお(タレント)
    65 赤井英和(俳優)と長井秀和(芸人)
    66 綾部祐二(芸人)と阿部祐二(リポーター)
    67 飯島直子(女優)と浜島直子(モデル)
    68 池田勇太(ゴルファー)と池田勇人(元首相・故人)
    69 石田ひかり(女優)と西田ひかる(タレント)
    70 石川亜沙美(女優)と水川あさみ(女優)

    71 石倉英彦(俳優)と石塚英彦(タレント)
    72 市原隼人(俳優)と寺原隼人(プロ野球選手)
    73 伊吹吾郎(俳優)と伊吹剛(俳優)
    74 木村佳乃(女優)と木村文乃(女優)
    75 梅田彩佳(AKB)と梅田綾乃(AKB)
    76 遠藤憲一(俳優)と遠藤賢一(俳優)
    77 大島美幸(芸人)と青島美幸(故・青島幸男の長女)
    78 大竹一樹(芸人)と大森一樹(映画監督)
    79 大槻ケンジ(歌手)と大西賢示(はるな愛の本名)
    80 岡崎友紀(女優)と森崎友紀(料理研究家)

    81 岡田武史(サッカー監督)と岡村隆史(芸人)
    82 奥貫香(女優)と奥居香(歌手)
    83 奥田恵梨華(女優)と戸田恵梨香(女優)
    84 加藤夏希(女優)と佐藤夏希(AKB)
    85 加藤晴彦(俳優)と斎藤晴彦(俳優)
    86 角松敏生(歌手)とカルロストシキ(歌手)
    87 川野太郎(俳優)と河野太郎(政治家)
    88 北原里英(AKB)と喜多村英梨(声優)
    89 木下優樹菜(タレント)と木下有希子(SKE)
    90 瀧本美織(女優)と市川美織(AKB)

    91 久保田早紀(歌手)と久保田磨希(女優)
    92 小島聖(女優)と小松聖(プロ野球選手)  
    93 小島よしお(芸人)と児玉誉士夫(ロッキード事件・故人) 
    94 小林麻耶(アナウンサー)と小泉麻耶(グラビアアイドル)
    95 斎藤佑樹(プロ野球選手)と斎藤由貴(女優)
    96 堺正章(俳優)と堺正幸(アナウンサー)
    97 坂本龍一(音楽家)と坂本龍馬(幕末の英雄)
    98 瑳川哲朗(俳優)と出川哲朗(タレント)
    99 島田陽子(女優)と熊田曜子(タレント)
    100 生野陽子(アナウンサー)と笙野頼子(作家)

    101 白木みのる(俳優)と千秋実(俳優・故人)
    102 須藤理彩(女優)と工藤里紗(タレント)
    103 瀬能あづさ(タレント)と真野あずさ(女優)
    104 平愛梨(女優)平松愛理(歌手)
    105 武井咲(女優)と和久井映見(女優)
    106 田中好子(女優・故人)と中田喜子(女優)
    107 多部未華子(女優)と多岐川華子(タレント)
    108 田村正和(俳優)と三村マサカズ(芸人)
    109 玉木宏(俳優)と玉置宏(司会者・故人)
    110 露口茂(俳優)と露木茂(アナウンサー)

    111 冨永愛(モデル)と徳永愛(声優)
    112 鳥居みゆき(芸人)と鳥居ユキ(デザイナー)
    113 長澤奈央(女優)と南沢奈央(女優)
    114 長野美郷(キャスター)と野中美郷(AKB)
    115 中島みゆき(歌手)と川中美幸(歌手)
    116 中村メイコ(女優)と中原めいこ(歌手)
    117 中村あゆみ(歌手)と若村麻由美(女優)
    118 夏木陽介(俳優)と夏夕介(俳優・故人)
    119 猫ひろし(タレント)と舘ひろし(俳優)
    120 野沢直子(タレント)と野沢雅子(声優)

    121 橋爪功(俳優) と 橋本功(俳優・故人)
    122 畑山隆則(元プロボクサー) と 竹山隆範(芸人)
    123 浜田省吾(歌手)と浜田翔子(タレント)
    124 東原亜希(タレント)と西原亜希(女優)
    125 hide(元X JAPAN・故人) と hyde(L'Arc~en~Ciel)
    126 平野綾(声優)と平山あや(女優)
    127 ヒロミ(タレント)とヒロシ(芸人)
    128 藤井彩子(アナウンサー)と藤あや子(歌手)
    129 藤村美樹(元キャンディーズ)と藤本美貴(元モー娘。)
    130 ポール牧(タレント・故人)とポールマッカートニー(歌手)

    131 布施博(俳優)と布勢博一(脚本家)
    132 ベッキー(タレント)とワッキー(芸人)
    133 堀ちえみ(歌手)と江利チエミ(歌手・故人)
    134 マギー審司(芸人)と牧伸二(芸人・故人)
    135 槇原敬之(歌手)と牧原俊幸(アナウンサー)
    136 増田明美(タレント)と松野明美(タレント)
    137 枡田絵理奈(アナウンサー)と松井珠理奈(SKE)
    138 松原智恵子(女優)と松原千明(女優)
    139 松本人志(芸人)とマツモトキヨシ(ドラッグストア)
    140 松本莉緒(女優)と松下奈緒(女優)

    141 松本梨香(声優)と松本梨奈(SKE)
    142 馬渕晴子(女優)と鰐淵晴子(女優)
    143 真理アンヌ(女優・タレント)と 森杏奈(AKB)
    144 真璃子(歌手) と 真由子(女優)
    145 三浦浩一(俳優)と三浦洋一(俳優・故人)
    146 三浦友和(俳優) と 三波豊和(タレント)
    147 三谷幸喜(脚本家) と 納谷幸喜(元横綱・大鵬の本名・故人)
    148 水橋かおり(声優)と 水森かおり(演歌歌手)
    149 宮崎美穂(AKB)と 宮澤美保(女優)
    150 宮里藍(女子プロゴルファー) と 宮崎あおい(女優)

    151 宮沢りえ(女優)と 宮澤佐江(AKB)
    152 宮田輝(元NHKアナ・故人) と 宮本輝(作家)
    153 宮脇康之(俳優) と 寺脇康文(俳優)
    154 向井亜紀(タレント) と 向井千秋(宇宙飛行士)
    155 村上里佳子(タレント・モデル)と 村上佳菜子(フィギュアスケート選手)
    156 森口祐子(プロゴルファー)と 森口瑤子(女優)
    157 八代英太(政治家) と 八代英輝(弁護士)
    158 安田美沙子(タレント)と 安井美沙子(参議院議員)
    159 山口紗弥加(女優) と 山本紗也加(dream)
    160 山口鉄也(プロ野球選手)と 山口達也(歌手)

    161 山口美江(タレント・故人)と 山口もえ(タレント)
    162 山田悠介(俳優)と 山田涼介(アイドル歌手)
    163 優木まおみ(タレント) と ゆうきまさみ(漫画家)
    164 吉沢秋絵(元おニャン子) と 吉沢梨絵(女優)
    165 吉永小百合(女優)と 吉井小百合(スピードスケート選手)
    166 笠 浩史(政治家)と 笠 浩二(元C-C-B)
    167 渡辺謙(俳優) と 渡部建(芸人)
    168 渡辺直人(プロ野球選手)と 渡辺直美(タレント)
    169 渡部篤郎(俳優) と 渡辺篤史(タレント)
    170 渡辺美佐子(女優) と 渡辺美里(歌手)

    171 戸田恵梨香(女優)と奥田恵梨香(女優)

     以上、171組の一度聞いただけでは判別不能な実に紛らわしい有名人の名前を紹介した。今回の記事はYahoo!知恵袋に寄せられたQ&Aを参考にさせていただきました。



     記事作成:5月30日(木)~6月1日(土)

    2013年6月18日 (火)

    私が好きだった番組「プロポーズ大作戦」

     タイトルを見て早合点してしまった方には謝りたい。本日は2007年にフジテレビ系列で放送された山下智久、長澤まさみ主演のテレビドラマの「プロポーズ大作戦」ではない。おそらくは、40代以上の方でないとオンタイムでは見ていないので理解し難いと思う。ところで、恋のキューピット役や男女の出会いを取り持つ番組には昔からいろいろあった。芸能人の出会いを演出した「ラブラブゲーム」に始まり、桂三枝と西川きよしが司会を務め、ゲーム形式の「パンチDEデート」、昭和末期には「ちょっと待った!」コールがブームとなった「ねるとん紅鯨団」、2000年代には「恋するハニカミ」と「あいのり」、現在では「ナイナイのお見合い大作戦」、さらには週末のシンデレラ「弾丸トラベラー」などが挙げられる。現代のような出会い系や「婚活」という言葉がない私が学生時代を送った昭和にあって、関西のノリの良さで一世を風靡した番組があった。それこそタイトルに掲げた「プロポーズ大作戦」である。まずは、本番組を知らない若者世代の方に、あらましを紹介したい。

     「プロポーズ大作戦」

     1973年4月2日から1985年3月26日まで朝日放送(ABCテレビ)で放映された公開恋愛バラエティ番組である。司会を横山やすし・西川きよし、桂きん枝が務めた。

     前半は、「目当てのお相手」との出会いを求めて番組に応募してくる視聴者の依頼に答えて、スタジオでの「ご対面」を実現させるというコーナーだった。ここでの依頼は、「お相手」が「通勤時にいつもすれ違う」など、どこの誰かが分からないので探して欲しいというものと、「取引先の受付嬢」など、どこの誰かは分かっているが、直接告白するきっかけがないので、番組をきっかけにして気持ちを伝えたいというものに二分された。

     コーナーの進行としては、最初に、司会者と依頼者がトークを行い、「見かけたきっかけ」や「お相手」に対する熱い思いなどを聞き出した後、やすしの「神の御前にて身を委ねたる、○○殿の願いを叶えたまえ~」という台詞とともに、「お相手」がステージのカーテンから登場するというのが、基本的なパターンだった。また、「お相手」の登場後には、キューピットが、「お相手」のプロフィールの紹介や、見つけ出すに至った経過の報告があった。さらに、司会者、キューピット、依頼者、「お相手」によるトークの後、依頼者から「お相手」に対する告白タイムが設けられていた。ただし、「情報が少なすぎる」「相手は判明したが、番組収録日までに連絡が取れなかった」「出演拒否」などの事情により、「お相手」が登場しない場合もあった。この場合には、カーテンは開かずに横からキューピットが出てきて、「経過の報告」や「出演拒否理由の説明」が行われた。

     中間部は今回のゲストに関するコーナーで、ゲストが街であっち向いてホイをやり、ゲストに勝った人はカードを引いて出た事を行う「スターが挑戦!アッチャムイテホイ」や、ゲストが何かやっているVTRを見せ、観客から募った3名がゲストは誰かを解答する「スターWho's Who」などが行われた。その後、ゲストの歌となり、後期からはそのゲストは後半の見物もする。

     そして後半は「フィーリングカップル5VS5」と題され、大学生が学校対抗形式で、それぞれ男性チーム・女性チームに分かれて5人ずつ登場し、集団お見合いをさせるというコーナーである。参加者はお気に入りの相手を第一印象で選んだ上で、それぞれの個性や学校生活などについて自由に話を持つ。そして最終的に出演者の目前にある大型テーブルを使って判断をし、両想いになるとカップル成立と判断するものであった。番組初期の頃は紐くじ方式で、カップル成立か否かを判断していた。番組中期から使用されていた、ある意味番組の象徴とも言える電光掲示による大型テーブルは、番組終了まで途中リニューアルされながら使われていたが、番組終了後は倉庫に保存される事も無く解体された。

     出場者の入場時には番組テーマ曲が流れる中、客席の入口よりチーム名の入ったプラカードを持ったエスコート役(男性チームは女性、女性チームは男性)の後から出場者が登場するものであった。カップル成立・不成立の結果を見るときは、きよしが「音楽スタート!」と叫んでから行っていたが、その前に代表者1名の結果を見るのがパターンだった。その見方は、代表者が選んだ相手に直接ラインが行く(この時やす・きよは「♪ジャ〜ンジャジャジャジャ〜ン!」と歌っていた)方式だったが、後に1人ずつラインが出る物と、一斉に放射状にラインが出るのが追加された(なお後者は、途中で意地悪く一旦止めるのがしばしば有った)。

     そしてカップルが成立したら、そのカップルにインタビューをした後、「儀式」と称して男性から女性へのキスとなる。そのキスの場所は女性が決めるのだが、時によって「おまかせ」として男性の自由となる時も有った。これが好評なので、後期からは観客が「おーまかせ!!おーまかせ!!」と叫ぶ様になった。

     福島県では福島放送で火曜日(後に水曜日へ移動)の22時から放送していた。

     

     http://www.youtube.com/watch?v=Y2qU2YFqpx8

     http://www.youtube.com/watch?v=8U-JCg4L4uk

     私が中高時代は、好きな人とカップルになれるのは稀で、「告白」や「未青年の主張」なる風潮もなかった。また、男子校・女子校が大部分だったので、交際のきっかけどころか出会いの場面も少なかった。そんな中、この番組は恋愛バイブル的な要素を多分に含んでいた。しかし、私にはこの番組について、ほろ苦い想い出がある。私が大学生になったら絶対に「フィーリングカップル5vs5」に出演したかった。しかし、1年の浪人生活の末にようやく大学生になった途端、何と放送打ち切り、番組終了となってしまったのだ。長年の夢が一瞬で潰えてしまい、そのショックは相当なものだった。その後もこの番組コンセプトは、高校や大学の文化祭、学園祭の定番イベントとなった。

     どうですか?40代以上の方々には懐かしんでもらえたでしょうか?おそらく実家に録り溜めしたVHSテープにはこの番組を録画したものも大量にあるはず。でも肝心のVHSデッキが壊れてしまったので今となっては確認しようがない。残念だ。最近は冒頭でも述べた通り、あまりにもネットや携帯主流で、若者の男女の出会いの場を提供するバラエティ向けの番組が少ない。ぜひテレビ局には再考やリバイバルをお願いしたい。

     最後に、この番組のテーマソングを歌っていた「キャンディーズ」の「ラッキーチャンスを逃さないで」をお送りして結びとしたい。

     記事作成:5月26日(日)

    2013年6月17日 (月)

    今は亡き刑事ドラマの名優たち

     小学校、中学校時代にハマっていたテレビドラマに「刑事」ドラマがあったことは何度も当ブログで触れてきた。しかし、30年以上の歳月は、当たり前のように人を老いさせ、死に至らしめるものだと実感している。それは刑事ドラマに出演した名優たちにも避けられない事実で、私たちを心底楽しませてくれた方々もその多くが既に鬼籍に入られた。今回は亡くなられた名優を取り上げ、在りし日のお姿を偲びたい。

     1 太陽にほえろ!

     藤堂俊介(ボス)・・・石原裕次郎
     野崎太郎(長さん)・・・下川辰平
     柴田純(ジーパン)・・・松田優作
     滝隆一(スコッチ)・・・沖雅也
     井川利三(トシさん)・・・地井武男
     澤村誠(ブルース)・・・又野誠治

     「山さん」こと露口茂さんは、今でもご健在だが、すでに芸能界を引退している。
     
     2 特捜最前線

     神代恭介課長・・・二谷英明
     橘剛・・・本郷功次郎
     船村一平・・・大滝秀治
     叶旬一・・・夏夕介
     津上明・・・荒木しげる
     
     3 Gメン’75

     黒木哲也警視・・・丹波哲郎
     山田八兵衛・・・藤木悠
     賀川陽子・・・范文雀 
     古田刑事・・・谷村昌彦
     結城警視正・・・中丸忠雄
     土屋和正・・・長門勇

     4 熱中時代刑事編

     潮田衛太郎・・・藤岡琢也
     矢頭文治・・・小松方正
     前原国彦・・・細川俊之

     5 大都会Ⅰ~Ⅲ

     滝川竜太・・・石原裕次郎
     深町行男・・・佐藤慶
     加賀見乙吉・・・中条静夫
     丸山米三・・・高品格
     高木吾一・・・草薙幸二郎
     平原春夫・・・粟津祐

     徳吉功・・・松田優作
     吉岡務・・・小池朝雄
     武井勉・・・小山田宗徳

     加川乙吉・・・高城淳一

     6 西部警察Ⅰ~Ⅲ

     小暮謙三・・・石原裕次郎
     谷大作・・・藤岡重慶
     浜源太郎・・・井上昭文
     佐川勘一・・・高城淳一
     南長太郎・・・小林昭二
     
     7 夜明けの刑事・明日の刑事

     鈴木勇・・・坂上二郎
     小林敦・・・鈴木ヒロミツ
     相馬一郎・・・石立鉄男
     柴田武・・・佐藤允
     佐藤平吉・・・橋本功 

     8 噂の刑事トミーとマツ

     南田刑事・・・神山卓三
     西山刑事・・・井上和行
     東刑事・・・成川哲夫
     相模五郎・・・石立鉄男

     9 大空港

     加賀弘之・・・鶴田浩二
     梶大介・・・緒形拳
     
    10 俺たちの勲章

     中野祐二・・・松田優作
     野上係長・・・北村和夫
     雪子事務員・・・坂口良子

    11 誇りの報酬

     堀井久・・・鈴木ヒロミツ

     主演の根津甚八と篠ひろ子は芸能界引退、喫茶店「バビルゾン」従業員の堀江しのぶは病死した。

    12 あぶない刑事

     吉田春彦・・・秋山武史
     近藤卓造・・・中条静夫
     原熊・・・高城淳一

     13 踊る大捜査線
     
     和久平八郎・・・いかりや長介
     中西 修・・・小林すすむ
     山部良和・・・伊藤俊人

    14 はぐれ刑事純情派

     安浦吉之助・・・藤田まこと
     
    15 非情のライセンス

     会田健・・・天知茂
     矢部警視・・・山村聡
     橘警部・・・渡辺文雄
     四方刑事・・・葉山良二
     吉田刑事・・・多々良純
     酒井刑事・・・宮口二郎
     岩田刑事・・・岩城力也 
     捜査四係長・・・神田隆
     捜査一課長・・・岡田英次
     浮田刑事・・・松山英太郎
     佐竹総監室長・・・戸浦六宏 

     共演者の大友柳太朗、岸田今日子は刑事役ではないため、除外しました。

    16 私鉄沿線97分署

     本多杏子・・・坂口良子
     本城功・・・古尾谷雅人
     滝村謙三・・・長門裕之
     丸岡吾一・・・武藤章生

    17 キーハンター

     黒木哲也・・・丹波哲郎
     吹雪一郎・・・川口浩
     村岡特別室長・・・仲谷昇
     小田切慎二・・・中丸忠雄
     滝裕二・・・沖雅也

     土曜ワイドの「明智小五郎美女シリーズ」と「俺たちは天使だ」は探偵もの、「ザ・ハングマン」は裏稼業の仕置人的存在から、今回の刑事ものからは外しました。また。同様に最近の刑事ドラマは、お亡くなりになっている方が少なく趣旨を外れるため、割愛しました。

     さて、懐かしんでもらえたでしょうか。名優たちの在りし日の活躍を、忘れかけていた記憶の片隅から蘇えってきたでしょうか。すでに放送打ち切りとなった番組もあれば、現在もシリーズとして放送中のものも含まれている。かつては、ゴールデンタイムの花形番組として、お茶の間の人気を独り占めした感のある刑事ドラマの数々だが、現在は、テレビ朝日系列の「相棒」を除いて、あまり視聴率も稼げない状況に陥っている。ひと頃に比べると、刑事ドラマが激減し、2時間ドラマにばかり枠を取られている感が否めない。
     また、各テレビ局が年間10回以上放送しているノンフィクションものの「警察24時」系の番組に牛耳られているように思えてならない。かつての「俺たちは天使だ」とか「噂の刑事トミーとマツ」、90年代以降の「君の瞳をタイホする!」、2000年代以降の古畑任三郎シリーズといった、パロディー混じりの刑事ドラマのように、マンネリ化を防ぎ、独自のアイディアで創意工夫を重ね、視聴率アップの方策をあれこれ模索した時代もあった。視聴者を惹きつけるような21世紀を代表するような刑事ドラマを期待したいと思う。

     記事作成:5月19日(日)

    2013年6月14日 (金)

    戦後日本で起きた大惨事事故

     戦後に我が国で起きた事故について取り上げたい。私がこの世に生を受けて半世紀近く経つが、それだけでも毎年のようにマスコミを賑わす大きな事件や事故が相次いで発生している。もちろん人災と思しきものや自然災害も含まれているが、一度の事故で大勢の人命が奪われるような事故はあってはならない。本来、こういった類のテーマはデリケートな部分であり、被害者遺族の感情を考えると、総合的に推し量るのが得策だが、実際にこうした悲惨な事故が後を絶たない現状を憂い、その再発防止と今後の教訓や戒めとするために敢えてお送りすることを予めお断りしたい。なお、今回掲載するのは、戦後の100名以上の人命が失われてたケースという限定でお伝えしたい。なお、ご遺族の方の心情を最大限考慮し、映像の埋込み処理は自粛し、アドレスだけの紹介にとどめたいと思う。

     ~航空機・船舶・鉄道事故~

     桜木町事故

     1951年(昭和26年)4月24日13時45分頃、神奈川県横浜市の日本国有鉄道(国鉄)東海道本線支線(京浜東北線、現在は根岸線の一部)桜木町駅構内で発生した列車火災事故である。ドアが開かなかったため脱出できず、多くの死傷者を出した。犯罪的所業によるものではないが、桜木町事件と呼ばれることもある。この事故後、自動扉つきの客車内には乗降扉非常圧搾空気開放弁(非常ドアコック)の設置と表示が義務化され、緊急時にドアを乗客が手動で開けられるよう法律が改正された。死者は106人に上った。

    http://www.youtube.com/watch?v=vhSqaNHSIrQ
    http://www.youtube.com/watch?v=NfziGZsaW-s
    http://www.youtube.com/watch?v=ClWXxoJczd4
    http://www.youtube.com/watch?v=8y0SqHR9lKk

     洞爺丸事故

     1954年(昭和29年)9月26日に青函航路で台風第15号により起こった、国鉄の青函連絡船洞爺丸が沈没した海難事故である。修学旅行中の中学生を含む、死者・行方不明者あわせて1155人に及ぶ、日本海難史上最大の惨事となった。

    http://www.youtube.com/watch?v=Md6OmZr5w8M
     

     紫雲丸事故

     日本国有鉄道(国鉄)の宇高連絡船「紫雲丸」が1947年(昭和22年)6月9日の就航から、わずか9年間に5度にわたって起こした事故の総称である。なお、そのうち2件は死亡者を発生させた。また、その中でも最大の被害を出した1955年(昭和30年)5月11日の5回目の事故を指す場合が多い。1955年(昭和30年)5月11日午前6時56分、上り第8便で運航中、同じ宇高連絡船・下り153便大型貨車運航船「第三宇高丸」と衝突して沈没。最大の被害を出した事故であり、国鉄戦後五大事故の1つでもある。「紫雲丸事故」といった場合はこの事故を指すことが多い。修学旅行中の広島県豊田郡木江町立南小学校(現・豊田郡大崎上島町立木江小学校)の児童などを中心に死者168名を出した。

     第五北川丸沈没事故

     1957年4月12日は穏やかな天気であり、「西の日光」といわれる生口島(当時:広島県豊田郡瀬戸田町、現在:広島県尾道市瀬戸田町)・耕三寺には大勢の団体参拝客や花見客が訪れていた。午後0時半に瀬戸田港から尾道港への帰途についた芸備商船の定期客船であった第5北川丸(総トン数39t、旅客定員77名、船員7名、合計定員84名)が出航した。この客船は、定員が84名であったにもかかわらず、235名(うち子供12名)という旅客定員の3倍超の乗客と乗員4名を乗せていた。しかも同船は建造から33年(1924年建造)経過した老朽木造船であり、乗員5名のうちひとりを別の用事のために下船させたため、船長自らが切符整理を行い、舵を当時16歳の甲板員見習(事故により死亡)に任せていた。生口島瀬戸田港から尾道港に向け出航しておよそ10分後、佐木島西方にある寅丸礁(事故後、灯台が設置された)と呼ばれている暗礁に座礁・転覆し、あっというまに沈没してしまった。付近を航行していた運搬船や漁船がただちに救助に当たったが、船内に閉じ込められるなどして死者・行方不明113名、負傷者49名を出す惨事になった。

     南海丸遭難事故

  •  1958年1月26日の17時ごろ、徳島地方気象台は強風注意報を出したが、紀阿連絡航路の南海汽船(後の南海フェリー)所属の旅客船「南海丸」は、17時30分頃に和歌山市に向け徳島県小松島市(現在の徳島小松島港)から出航した。
  • 同日18時28分ごろに無線電話で危険を知らせる連絡を最期に消息を絶った。当時、南海丸がいた紀伊水道の沼島付近は平均風速17ないし20メートル、平均波高4ないし5メートルの悪天候であったものと推定されたため、直ちに僚船や海上保安庁の巡視船らによる救助体制がとられた。
  •  翌々日の28日16時ごろに紀伊水道沼島の南西2.4海里の水深約40メートルに沈没している船体が発見された。その後船体は引き上げられたが、旅客139名乗組員28名の167人全員が死亡もしくは行方不明となる大惨事になった。

     三河島事故

     1962年(昭和37年)5月3日21時37分頃、東京都荒川区の日本国有鉄道(国鉄)常磐線三河島駅構内で発生した列車脱線多重衝突事故である。「国鉄戦後五大事故」の一つ。

     常磐線三河島駅構内で、貨物線から進行方向右側の下り本線に進入しようとした田端操車場発水戸行の下り第287貨物列車(D51 364牽引、45両編成)が、出発信号機の停止信号を行き過ぎて安全側線に進入し脱線。先頭の機関車と次位のタンク車が下り本線上に飛び出した。その直後に、三河島駅を4分遅れで出発し下り本線を進行してきた上野発取手行きの下り第2117H電車(6両編成)が下り本線を塞いでいたタキ50044に衝突。先頭車と2両目の車両が脱線し、上り本線上に飛び出した。さらに約7分後、その現場に上野行きの上り第2000H電車(9両編成)が進入し、線路上に降りて移動中だった2117Hの乗客多数をはねた上、上り本線上に停止していた2117Hの先頭車と衝突した。これにより2117Hの先頭車と2両目の前部が原形を留めず粉砕された。上り2000Hは先頭車が原形を留めず粉砕され、2両目は築堤下に転落して線路脇の倉庫に突っ込み、3両目も築堤下に転落、4両目が脱線した。結果、死者160人、負傷者296人を出す大惨事となった。

    http://www.youtube.com/watch?v=BShBCb7z95Y
    http://www.youtube.com/watch?v=xcn_076aayA
    http://www.youtube.com/watch?v=FcyBshjoEw0
    http://www.youtube.com/watch?v=_vvI4-zunRs

     鶴見事故

     1963年(昭和38年)11月9日21時40分頃に日本国有鉄道(国鉄)東海道本線鶴見駅 - 新子安駅間の滝坂不動踏切(神奈川県横浜市鶴見区)付近で発生した列車脱線多重衝突事故である。上下列車合わせて死者161名、重軽傷者120名を出す大惨事となった。なお、当日には福岡県大牟田市の三井三池炭鉱でも死者458人を出す大爆発事故が発生しており、「血塗られた土曜日」「魔の土曜日」と呼ばれた。

    http://www.youtube.com/watch?v=c2bOpe3DLus

     全日空羽田沖墜落事故

     1966年2月4日に東京湾の羽田空港沖で起きた全日空のボーイング727-100型機の墜落事故。合計133人全員が死亡し、単独機として当時世界最悪の事故となった。

    https://www.youtube.com/watch?v=26gBYZxXtbo

     飛騨川バス転落事故

     1968年(昭和43年)8月18日、岐阜県加茂郡白川町の国道41号において、乗鞍岳へ向かっていた観光バス15台のうち、岡崎観光自動車所有の2台のバスが、集中豪雨に伴う土砂崩れに巻き込まれて増水していた飛騨川に転落し、乗員・乗客107名のうち104名が死亡した事故である。日本のバス事故史上における最悪の事故となった。

    https://www.youtube.com/watch?v=Gd9iyC42-pI

     全日空雫石飛行機衝突事故

     1971年7月30日に発生した航空事故(空中衝突)である。岩手県岩手郡雫石町上空を飛行中の全日本空輸の旅客機と航空自衛隊の戦闘機が飛行中に接触し、双方とも墜落した。自衛隊機の乗員は脱出に成功したが、機体に損傷を受けた旅客機は空中分解し、乗客155名と乗員7名の計162名全員が犠牲となった。1985年8月12日に「日航ジャンボ機墜落事故」が発生するまで、最大の犠牲者数を出した国内の航空事故であった。

     現場付近は「慰霊の森」という慰霊碑を伴う追悼施設が建立された。

    https://www.youtube.com/watch?v=bDchRvK8fss

    http://www.youtube.com/watch?v=t32do07Hz7M

      犀川スキーバス転落事故

      1985年1月28日、日本福祉大学の学生ら総勢46名を乗せた三重交通バスは、北志賀高原の竜王スキー場へ向かっていた。午前5時45分。犀川に架けられた大安寺橋にさしかかる手前の左カーブで、バスはガードレールを破り水深4メートル、水温4度という極寒の犀川に転落。転落地点は下流に建設された笹平ダムのダム湖にあたる。総46名のうち、乗客の大学生22名、教員1名、運転手ら2名、合計25名の命が失われた[。助かった21名のうち8名も重軽傷を負った。

    https://www.youtube.com/watch?v=XhHNRekEGX8

     日航機墜落事故

     1985年(昭和60年)8月12日18時56分に、日本航空(JAL、正式名はJAPAN AIRLINES)123便、東京(羽田)発大阪(伊丹)行、ボーイング747SR-46(ジャンボジェット、機体番号JA8119)が、群馬県多野郡上野村の高天原山の尾根(御巣鷹の尾根)に墜落した事故である。運輸省航空事故調査委員会による事故調査報告書によると、乗員乗客524名のうち死亡者数は520名、生存者(負傷者)は4名であった。死者数は日本国内で発生した航空機事故では2013年1月の時点で最多であり、単独機の航空事故でも世界最多である。この日はお盆の帰省と重なり、満員の乗客が乗っていたことで被害を拡大させた。乗客の中には阪神タイガースの球団社長や相撲部屋の親方、更には世界的なシンガーの坂本九さんや宝ジェンヌも含まれていた。奇跡的に4名が生還した。

    http://www.youtube.com/watch?v=ciDERYL06lk

    http://www.youtube.com/watch?v=jqlC_LphagA

     中華航空140便墜落事故

     1994年4月26日午後8時16分頃、台湾の台北を出発し名古屋空港へ着陸しようとしていた、中華航空140便(エアバスA300-600R型機、機体記号B-1816:1991年製造)が名古屋空港滑走路34へのILS進入中に失速し、滑走路東脇に墜落した。また台北に帰る燃料も積載していたため燃料が炎上した。この事故で乗客256名、乗員15名の合わせて271名のうち日本人154名を含む乗客249名と乗員15名の合わせて264名が犠牲になり、乗客7名が重傷を負った。生存者はいずれも主翼の桁の上付近に着席していた乗客であった。犠牲者数は1985年(昭和60年)の日航ジャンボ機墜落事故に次ぐ、日本史上ワースト2位であり、国内の空港で起きた事故の犠牲者数では日本史上最悪である。

     JR福知山線脱線事故

     2005年(平成17年)4月25日に西日本旅客鉄道(JR西日本)の福知山線(JR宝塚線)塚口駅 - 尼崎駅間で発生した列車脱線事故である。乗客と運転士合わせて107名が死亡し、562名の負傷者を出した。原因は運転士の精神異常とATC装置のセットミス、更にはオーバーランを起こしたり、カーブを制限速度を大幅に越えるスピードで進入したことによる脱線であり、沿線左側のマンションの駐車場に突っ込み、大破。L字型に折れ曲がり、救出が難航したことが死傷者を増大させた。

    http://www.youtube.com/watch?v=ngWgFz94Eo0
    http://www.youtube.com/watch?v=vB6GMp3rANM
    http://www.youtube.com/watch?v=jN2jH9r1B6g

     他にも交通機関による重大事故には、1968年のK機長の逆噴射による日本航空羽田空港沖墜落事故(1982年)、信楽高原鐵道列車衝突事故(1991年)も記憶に新しい。個人的に印象にあるのは、1988年に横須賀沖で起きた海上自衛隊潜水艦「なだしお」と遊漁船「第一富士丸」の衝突事故だ。30名が死亡した。

    http://www.youtube.com/watch?v=wes8j5gufuo

    http://www.youtube.com/watch?v=TK6ZJn0D0rU

     ~炭鉱・トンネル事故~

     二又トンネル爆発事故

     1945年11月12日に、福岡県田川郡添田町落合の日田彦山線彦山駅から南方500mにあった二又トンネル(鉄道路線は未開通)において、アメリカ軍が大日本帝国陸軍の隠していた火薬を焼却処理しようとしたところ大爆発を起こし、山全体と多数の民家が吹き飛ばされて死者147人、負傷者149人を出した事故である。

    http://www.youtube.com/watch?v=gk8dVxRZqFY

     三井三池三川炭鉱炭じん爆発事故

    1963年(昭和38年)11月9日午後3時10分頃に、三井鉱山三池鉱業所三川鉱(三川坑)第一斜坑の坑口から約1,500メートル付近の斜坑で炭塵爆発が起きた。当時、坑内は1,200人以上の労働者が従事しており、死者458名、一酸化炭素中毒(CO中毒)患者839名を出した。

     他にも93名死亡の北炭夕張新炭鉱ガス突出事故(1981年)、、三井三池炭鉱有明鉱坑内火災(1984年、死者83人)、三菱南大夕張炭鉱ガス爆発(1985年、死者62人)など痛ましい炭鉱事故が相次いだ。また、トンネル事故では、1979年の日本坂トンネル火災事故 や1996年2月10日の豊浜トンネル岩盤崩落事故 、昨年起きてしまった 笹子トンネル天井板落下事故がある。

    http://www.youtube.com/watch?v=wLmc7j8tn58

     ~火災事故~

     千日デパート火災

     1972年(昭和47年)5月13日、大阪市南区(現在の中央区)千日前の千日デパートで起きた火災。死者118名・重軽傷者78名、沖縄の復帰を間近に控えた日本のビル火災史上最悪の大惨事となった。

    http://www.youtube.com/watch?v=hQWvC1h6s1E

     熊本大洋デパート火災

     1973年(昭和48年)11月29日午後1時15分に、熊本県熊本市中央区下通1丁目3番10号にあった百貨店の「大洋デパート」(鉄筋コンクリート地下1階、地上13階建て・一部9階建て)で発生した、火災事故である。従業員の誘導で従業員60名・客70名ほどが屋上に避難して助かった。はしごで救出された人数は67名。また、増築用の足場を利用して25名が救出された。この火災で3階以上延べ1万3500平方メートルを全焼し、年末に向けての買い出し客や従業員、工事関係者ら103人が死亡、124人が重軽傷を負うという、日本のビル火災では大阪市の千日デパート火災に次ぐ大惨事となった(千日デパートはいわゆる寄り合い店舗であり、百貨店ではないため、デパート火災としては史上最悪)。当時は衛星回線を使ったテレビの全世界中継が始まっており、ヨーロッパで実況放送が放映されていた。私自身もニュースで生中継される火災現場の映像を今でも覚えている。

    http://www.youtube.com/watch?v=-UYXkRN_52s
    http://www.youtube.com/watch?v=vuLCqZv8ew0

     他には1982年2月8日のホテルニュージャパン火災、2001年に起きた歌舞伎町ビル火災(44名死亡)がある。

    http://www.youtube.com/watch?v=BszKkM2nmAU 
    http://www.youtube.com/watch?v=LSfNju4yD-M



     ~その他~

     彌彦神社将棋倒し事故

     1956年(昭和31年)1月1日午前0時過ぎ、新潟県西蒲原郡弥彦村の彌彦神社(弥彦神社)拝殿前で初詣客が新年の餅蒔きに殺到、玉垣が崩れて将棋倒しになった事故並びに事件。群集事故の一つである。当時の弥彦神社は照明設備が整っておらず周囲が暗かった事、多くの警察官がバス駐車場の交通整理に割り振られて境内にいなかった事も事態に拍車をかけ、この状態が午前1時近くまで30~40分間続き、死者124人・重軽傷者77人を出した。

    http://showa.mainichi.jp/news/1956/01/post-3475.html

     同様の事故は、2001年の明石花火大会歩道橋将棋倒し事故(247名死傷)である。

    http://www.youtube.com/watch?v=V9TZciSMlnc

     橋北中学校水難事件(津海岸集団水難事件)

     昭和30年7月28日(1955年7月­28日)に三重県津市の津市立橋北中学校の女子生徒36人が、同市中河原海岸(文化村­海岸)で水泳訓練中に溺死した水難事件。穏やかな浅瀬で一瞬にして多くの生徒が亡くな­ったためオカルト扱いされることも多い。

    https://www.youtube.com/watch?v=_jIIzk0ljeA

    再現・検証VTRはコチラ https://www.youtube.com/watch?v=HUrqNzRJQIs

     ~外国で起きた日本人絡みの事故~

     高知学芸高校上海列車衝突事故(1988年3月21日、29名死亡)

    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8A%E6%B5%B7%E5%88%97%E8%BB%8A%E4%BA%8B%E6%95%85

     水産高校実習船「えひめ丸」ハワイ沖衝突沈没、(2001年2月10日、9名死亡)

    http://www.youtube.com/watch?v=M73dWVhdQDQ

     
     さて、過去をほじくり返すような内容になったが、今回掲載したのは、二度と同じような悲惨な事故を起こさないという切なる願いからである。いつ何時、思いもよらない災難や事故が降りかかり、どこで命を落とすかわからない。このような事故は本来あってはならないもので、基本的に事故は人災であり、細心の注意を払ってさえいれば未然に防げるものである。それを怠ったばかりに巻き込まれ、人生を閉じるようなことがあっては死んでも死にきれない。金で命は買えないという点を再認識し、自己防止に向けた取り組みを厳重にしてもらいたいものだ。

     参考 「日本の事故一覧」は コチラ

              「戦後日本で起きた大惨事列車事故」はコチラ

     記事作成:5月26日(日)

    2013年6月12日 (水)

    ちょっと怖い話

     最近、急激に気温が上がり、半袖着用、アイスを暴食するようになった。そして少しでも安く涼を求めようとして、「YouTube」で怖い映像を見るようになった。そのひとつが「稲川淳二の怖い話」だ。話だけではない。彼のDVDシリーズ「恐怖の現場」は、全国各地に出向き、幽霊の噂が絶えない心霊スポットを訪ねて、その真相を探ろうという、ちょっと間違ったら祟られそうな取材VTRだ。あまりにも危険なのでここではリンクは回避したいが、ご覧になりたい方は「YouTube」で検索してみてください。前置きはこの辺にして、早速本日のテーマに入るが、以前、当ブログで掲載した「郡山のミステリースポット」の記事をアップしたが、現在も人気記事ランキングトップ10に入るなど、大変な反響を頂いた。今回も徐々に暑くなって来たこの時期にちょっとした涼を分け与えたいと考えた結果、「ちょっと怖い話」をお送りすることに決した。耳にしただけで冷や汗が背筋を伝うような事象を列挙し、それらについて簡単な用語解説を添えていきたい。実はこれらは、科学では解明できない死後の世界からのメッセージなのかもしれない。

     1 ドッペルゲンガー?それとも他人の空似?

     ドッペルゲンガーはかなり怖い意味で用いられる。それはドイツ語で、「生きている人間の霊的な生き写し」を意味する。自分の姿を第三者が違うところで見る、または、自分が異なった自分自身を見る現象のことである。自ら自分の「ドッペルゲンガー」現象を体験した場合には、「その者の寿命が尽きる寸前の証」という民間伝承もあり、未確認ながらそのような例が数例あったということで、過去には恐れられていた現象でもある。ドッペルゲンガーの特徴として、ドッペルゲンガーの人物は周囲の人間と会話をしない。本人に関係のある場所に出現する。等があげられる。死期が近い人物がドッペルゲンガーを見るという事から、「ドッペルゲンガーを見ると死期が近い」という民間伝承が生まれたとも考えられる。つまりは、分身のようにそっくりなもう1人の 自分。日常の中にふと出没する不気味な存在です。自分のドッペルゲンガーに遭遇して しまうと死ぬ、という説のことだ。

     同じ日本人という民族であれば、よく似た人とか、生き写しという人がいても不思議ではない。実際に10年前に亡くなった私の父は、東国原英夫氏と顔が瓜二つである。これは言葉では証明できない事象だ。他人の空似という言葉もあるが、この広い世界、自分にそっくりな他人がいても別段おかしな話ではない。

     また霊を見てしまったら、絶対に話しかけてはならないというのが定説としてある。迂闊にも話しかけたてしまうと、憑依したり、本人を霊界にいざなってしまうと言われている。

     2 デジャヴ

     これは決して霊体験ではない。フランス語が一般言語化したもので、日本語訳では「既視感」と呼ぶ。ある光景を見て、それを前にも見たことがあると錯覚する現象である。基本的には記憶の中にある昔の映像と今見ている映像が脳内で関連付けられたにもかかわらず、その昔の記憶の詳細(場所、時間)を思い出せない場合に生ずる違和感がその正体である。

     3 予知夢と正夢

     よく意味がわからない夢やあの夢はなんだったのかということがないだろうか?ついさっきまで寝床で見ていた夢なのに、起きた途端にはっきりとは思い出せない。そんな夢を見たことがあるでしょう。それこそがあの世との通信だったのでは。前世の姿を寝ている時だけ、記憶を蘇らせてくれるのでは。つまり寝ている時には、意識がなく死んだ状態にいちばん近い状態にあるから。その時に前世の生前の姿をオーバーラップして来るのでは。

     予知夢はこれから未来で起きるかもしれない出来事を夢の中で知らせてくれるもの。偶然にそれが現実的になったら、それは科学では解明できない不思議な超常現象となる。正夢は夢に見たことが、そのまま現実的に起こること。いずれも夢は人間の願望だったり、現在に精神状態を如実に表すものとされている。

     4 エクソシストとは・・・

     1970年代に当時の人々を恐怖に陥れたアメリカのホラー映画。エクソシストとは、英語で"悪魔払い(カトリック 教会のエクソシスム)の祈祷師"という意味である。ホラー映画ではこの映画が基礎となっている節が強い。ラップ現象やポルターガイスト現象という言葉もクローズアップされた。主に「死者の霊魂によって引き起こされるもの」であると、心霊現象研究家や、霊能者などの大部分は解釈している。

     5 輪廻転生と生まれ変わり

     今は亡き歴史上の人物で、何かその生き方や功績に惹かれたり、研究するほど没頭したり、何か同じ感覚で他人のような気がしない、あるいは心底陶酔し、尊敬してしまうほどの影響を受けたことはないでしょうか。それはましかすると前世のあなた自身だった可能性が無きにしも非ずだ。実際は記憶を無くしているだけで、もしかしたら何かのふとしたきっかけで思い出すこともあるかも。一番怪しいのは、その有名人の没年月日とあなたが同じ誕生日だったりすると、その人の生まれ変わりかもしれない。もし輪廻転生があるとして、あなたが生まれ変わる前の姿がハエやゴキブリだったら、虫も殺せなくなってしまう。もし、その蚊が死んだ自分の家族だと考えたら、何もできないし、動物に肉すら口にできなくなってしまうことだろう。記憶が消えてくななるように神様が細工してくれているのかもしれない。

     6 前世

     これも怖い話で、夢枕で一度だけでではなく、何度も決まって見る夢はないだろうか。例えば脂汗をかいて、飛び起きてみたら夢でホッとしたという経験が。例えば、ライオンに追いかけられて、食われそうになった時にパッと目が覚めたり、サメやクマ、ワニに襲われた瞬間に目が覚めたなど。まだまだある。江戸時代末期に、侍に切られて亡くなった途端に目が覚めたとか、現代では大きな爆発で吹き飛ばされて死を覚悟したところで起きたとか。これこそが、あなたが前世で亡くなった場面そのものかもしれないのだ。生まれ変わってから記憶を失っているだけで、不意に同じような場面に出くわしたり、眠っているときは、脳が休止し、死んだ状態に近くなるため、前世の終末の出来事がオーバーラップして、その体験を甦らせるのかもしれない。

     7 幽体離脱

     人間が死んだ直後、魂が肉体(屍)を離れ、宙を舞い、自分の体を上部から見るというもの。双子の芸人の「ザ・たっち」がよくやったネタ。危篤状態から運良く生還した患者がよく臨死体験をしたという話を聞く。すると声を揃えたように「暗いトンネルを抜けると、光に満ち溢れた、明るくて暖かいお花畑が現れ、天使が楽しそうに遊んでいる。そのうちに小川の向こう岸で、先に亡くなった家族が手を振って笑顔で迎えに来てくれている。」と話す。これこそがいわゆる三途の川で、これを渡りきると現世とはサヨナラである。神様が死の淵では、断末魔の苦しみではなく、このような天国のような世界を用意してくれていると思う。がん患者が末期の状態になると、もがき苦しんでいた痛みが嘘のように消え、安らかな最期を迎えるという、あれがまさに天が最後に授けてくれるご褒美なのかもしれない。

     8 死にまつわることわざ、怖そうな言葉

       死人に口なし
       あの世(地獄)の沙汰も金次第
       嘘をつくと閻魔様に舌を抜かれる
       嘘つくと針千本飲ます
       人を呪えば穴二つ
       血で血を争う(骨肉の争い)
       骨肉相馬喰む
       肉を切らせて骨を断つ
       毒を食らわば皿まで
       人の不幸は蜜の味
       草木も眠る丑三つ時
     

     9 虫の知らせ

     何か良くないことが起こりそうなことを警告がてら予兆として起こしたり、それを予想させる出来事がある。その虫とは、実は自分の亡くなったご先祖様であったり、神からのお告げだと解釈する霊能者もいる。虫の知らせの「虫」は、古く、人間の体内に棲み、意識や感情にさまざまな影響を与える と考えられていたもので、潜在意識や感情の動きを表す。 「虫がいい」「腹の虫が治まら ない」などの「虫」も、この考えから生じた語である。 これら「虫」の付く言葉の多くが悪いことを暗示したり予想させるのに使われる。

     「虫の息」、「一寸の虫にも五分の魂」、「飛んで火に入る夏の虫」、「悪い虫が付く」、「虫が好かない」、「虫の居所が悪い」、「苦虫を噛みつぶしたよう」などである。


     10 弱肉強食と食物連鎖

     強いものが弱いものを倒して、その肉を貪り食って、生きながらえていく。これは自然の理である。人間もそうで、動物や植物を食べなければ生きていけない、実に罪深い存在である。でも生きるためには何かを犠牲にしていかなければならない。自分が直接手をくださなくても誰かが殺した食肉や魚を食べていることに変わりはない。天敵に襲われ、一瞬にして終わる命もあれば、何十年もの間、敵を擬態などで欺いて長生きする魚や動物もいる。遅かれ早かれ確実に死を迎えるわけだが、その長さはまちまちで、やはりそのものの持つそれが宿命(さだめ)なのだろう。

     同様に食物連鎖(food chain)とは、生物群集内での生物の捕食(食べる) ・被食(食べられる)という点に着目し、それぞれの生物群集における生物種間の関係を 表す概念である。

    11 仮想体験

     バーチャルリアリティーという。この言葉自体は別に怖いことはない。実際の形はしていないか、形は異なるかも知れないが、機能としての本質は同じであるような環境を、ユーザの感覚を刺激することにより理工学的に作り出す技術およびその体系。略語としてVRとも。日本語では「人工現実感」あるいは「仮想現実」と訳される。

    12 迷信・言い伝え

      夜に口笛吹くと蛇が来る
      夜に靴を下ろしてはいけない
      合わせ鏡
      手鏡を上向きにしておくと悪いものが来る
      落ちている櫛を拾ってはいけない
      畳の縁を踏むと縁起が悪い
      「墓で転んで出来た傷は治らない」
      「霊柩車を見たら親指隠せ 親の死に目に会えない」
      「黒猫やカラスは縁起が悪い」
      「ビワの木を庭に植えると不幸(病気)になる」
      「夜に洗濯物を干すと縁起が悪い」
      「黒猫に行き先を横切られると不吉」
      「カラスが鳴くと人が死ぬ」
      「夜の蜘蛛は親でも殺せ」

     これらは全て戒めである。悪いことが起こることを予知したり、予見したりすることで、予め危険を回避しようとする機能が働く。教訓めいたことも含まれている。食生活では「食べ合わせ」などもこれにあたる。「梅干とウナギ」「松茸とあさり」「卵とにんにく」「ごぼうと鮎」「かき氷と天ぷら」「馬肉と山芋」「スイカとさんま」「スイカとてんぷら」「ハマグリととうもろこし」「きゅうりとこんにゃく」などである。消化が悪くて食あたりや腹痛を招く恐れがある食べ合わせを回避しようとするものである。

    13 童話・昔話

     20年以上前に「本当は怖いグリム童話」という新解説本がベストセラーになったことがあった。出処が不明だったり、作者不詳だったり、得体の知れない話だが、実際は過去の霊体験や不思議な出来事との遭遇などをエピソードとして伝えたのが、その手の物語であるという説。私は幼少期にはフィクションや作り話を疑わなかったが、冷静に考えると、確かに作り話にしては出来すぎている。

     かぐや姫(竹取物語)
     かぐや姫は宇宙人が送り込んだ。だから竹やぶが光り輝き、竹を割ってみると中から赤ん坊が・・・。おじいさんおばあさんに育ててもらっている間、地球を偵察し、それが済み、役目を果たしたから月からの使者が迎えに来た。当時はUFOという概念がないため、馬車と表現したに違いない。事実は昔人が宇宙人と遭遇した出来事を何らかの形で後世に残そうとした伝記だったのでは・・・。

     浦島太郎
     自分が助けた亀に連れられて龍宮城へ。そんな馬鹿な。普通なら亀の背中に乗って海中深くに潜ったら、確実に窒息死。実際は、その亀はUFOだったに相違ないのだ。そして実際は海ではなく、浦島太郎は宇宙旅行をしてきたに違いない。鯛やヒラメの舞い踊りは実際は火星人などの宇宙人の姿を描いたものでは?時空を飛び越え、だから戻ってきた時につじつま合わせでおじいさんになってしまった。宇宙時間は地球時間ではあっという間に過ぎ去ってしまうというこじつけの典型。

     一寸法師
     お椀に乗って旅をし、悪い鬼をやっつける。大体一寸しかない少年が鬼を倒せるはずがない。まさしく超常現象。お椀=UFOで実際は普通の大きさの少年なのだが、UFOをお椀と表現すれば、ミニサイズとなってしまう。悪い宇宙人をそのUFOで攻撃に行ったとしか思えない。

     桃太郎
     これこそ怪しい。おばあさんが川で洗濯していると川上から大きな桃がドンブラコ・・・。大きな桃=UFO?そんな赤ん坊が入るほどの大きな桃を、クレーンも車もない時代に、非力なおばあさんが家に持って帰れるはずがない。しかも包丁で割ってみたら、中から珠のような男の赤ん坊が・・・。普通なら血だらけの斬殺死体が転がり出てきて、一気にサスペンスものになるはずだ。しかも成長した桃太郎が鬼退治?ありえない。これこそスターウォーズ。帝国のダースベイダーのような奴らを成敗に行ったに相違ない。道場破りじゃあるまいし、ある日突然、いきなり鬼ヶ島に乗り込んでいったら、鬼だってたまったもんじゃない。そして財宝を戦利品として持ち帰る桃太郎。やってることは海賊や山賊などの盗賊とおなじではないのか?

     舌切り雀
     舌をおばあさんに切られた雀の復讐劇。お爺さんに助けられてかわいがられていた雀は、お婆さんが障子の張り替えに使おうとしていた糊を食べてしまい、舌を切られて逃げ出す。その雀をお爺さんが追って山へ行くと、雀たちが恩返しにご馳走してくれたり踊りを見せてくれた。お土産として大小2つのつづらのどちらを持って行くか聞かれ、小さい方を持って帰り家に着いて中を見てみると小判が詰まっていた。欲張りなお婆さんは、大きなつづらをもらおうと雀の宿に押しかけ、大きい方を強引に受け取って、帰り道で開けてみると中には妖怪や虫や蜥蜴や蜂や蛙や蛇が詰まっており、お婆さんは腰を抜かし気絶してしまう(妖怪に食い殺されてしまう、又は妖怪から命からがら逃げ切り改心するという説もあり)。 これは怖い。

     三枚のおふだ
     山姥に食い殺されそうになる小僧が、和尚さんからもらった3枚の御札を使って難を逃れていく話。はっきり言ってジェイソン並みの殺人鬼の話だ。二本松にも鬼婆伝説があるが、これも昔話としては恐怖で、冒険する際や危ない橋を渡る時の戒めとして使ったのではないか。

     鶴の恩返し
     「決して覗いてはいけません。」と釘を刺していたにもかかわらず、おじいさんが障子から覗くと何と鶴が機織りをしている。そんなバカな!鶴が娘に化けて・・・・。カフカの化身じゃないって!これこそが宇宙人の仕業ではないのか・・・。大昔の人の想像力でなせる作り話ではない。

     他にも「さるかに合戦」や「かちかち山」など、多くの昔ばなしや民話の類がそうであるように、この話も本来言い伝えられて来たものは残酷でグロテスクな内容を含んでいる。 

    14 金縛り

     主に就寝中、意識がはっきりしていながら体を動かすことができない症状を指す。体が締め付けられるような感覚からこう呼ばれる。医学的には睡眠麻痺と呼ばれる。睡眠時の全身の脱力と意識の覚醒が同時に起こった状態。不規則な生活、寝不足、過労、時差ぼけやストレスなどから起こるとされる。 脳がしっかり覚醒していないため、人が上に乗っているように感じる、自分の部屋に人が入っているのを見た、耳元で囁かれた、体を触られているといったような幻覚を伴う場合がある。これは夢の一種であると考えられ幽霊や心霊現象と関連づけられる原因になっている。 ただし金縛りの起きる状態がほとんど就寝中であることから学者の説明は睡眠との関係についてである。覚醒状態においての「金縛り」というものについては科学的にはほぼ未解明であり、精神的なものに起因するとされることも多い。霊的なものを信じていない人の場合は、宇宙人に何かをされたなどという形式の認知になるという説がある。

    15 恐怖漫画

     私が子供の頃、怖い漫画が目白押しだった。つのだじろうや楳図かずおがその草分けだったが、「ドカベン」や「がきデカ」、「ブラックジャック」、「マカロニほうれん荘」などの人気で発行部数が「ジャンプ」や「マガジン」を凌いでトップだったのが、秋田書店の「少年チャンピオン」だった。1977年には200万部を突破していた。その「チャンピオン」に連載されていたホラー漫画が「恐怖新聞」と「魔太郎が来る」、「エコエコアザラク」だった。どちらも1970年代のオカルトブームの火付け役を担った作品だった。
     「恐怖新聞」は、人が死ぬ前兆として特定の家庭だけに届く新聞だ。翌日の自分の死亡を掲載する記事が予め配達されたり、大きな事件や事故、災難が降りかかってくることを予知して知らせたりする世にも恐ろしい新聞だった。タッチも極めて怖かったと記憶している。
     「魔太郎が来る」は、典型的「いじめられっ子」である主人公・浦見魔太郎。毎回様々な人物からいじめを受けるが、どうしても許せない行き過ぎたいじめや悪行に対しては自身の持つ超能力「うらみ念法」やオカルトアイテム、残虐な手段をもってして夜な夜な復讐しにまわるという内容。 
     また、後者の「エコエコアザラク」は、黒魔術を駆使する若い魔女が用いる奇妙な呪文だが、それを唱えることで恨みのある人間を呪い殺したり、人間の奥底に潜む深層心理が現実のものとなったり、念力で人を死に至らしめたりする、恐ろしい漫画だった。
     そして大学生の頃、同じアパートの友人が愛読していた漫画を読んで、身の毛がよだち、夜も眠れないほどの恐怖に陥れられたのが、つのだじろう作の「うしろの百太郎」だった。百太郎とは、磨呂のような眉毛と出で立ちで、主人公に背後霊(守護霊)として張り付いている。そして人間の臨死の際に、骸骨の姿をした死神が大きな鎌を持って魂の緒を切りに来る。もしそれを切られたら、絶命するのだ。その漫画では、大木の切り株が死後の世界への入口として描かれていて、その後、しばらく木陰で一休みする行為を躊躇った。

    16 稲川淳二の怖い話

     今は亡き落語家の桂枝雀さんも、独特な語り口調を駆使した怪談話で一世を風靡し、終いには自ら命を絶ったが、こうした怖い話の語り手として第一人者となったのが誰あろうテレビタレントだった稲川淳二だろう。きっかけはラジオ放送での怪談が好評を博し、以後「霊感タレント」としても活動することとなった。彼もそうだが、元来AB型には易者や占い師、イタコ、霊媒師が多いとされているが、霊能力が備わりやすいとされている。
     彼を一躍有名にしたのが、『恐怖の現場』というDVDシリーズで、心霊がいることを証明するために、全国各地に点在する心霊スポットと呼ばれている廃墟や場所に潜入するドキュメントを制作しており、「科学で心霊を説明しようとする考えが大嫌いだ」と番組内で強く発言したことがある。冷やかし半分や生半可な考えでこういう場所に足を踏み入れると霊の反感を買い、絶対に痛い目に遭う。

    17 恐怖のワラ人形

     私が世にも恐ろしいと感じるのは、人形を使って恨みを持つ人間を呪う儀式。そうワラ人形である。相手を心底恨み、相手を呪いながら、誰もが寝静まった夜半(丑の刻)に、人知れず神社の境内の大木に五寸釘で打ち付ける行為で、別名「丑の刻参り」とも言う。そして相手を凄まじい呪術によって殺そうと試みる。怨みの深さよりも、実際の人間が、真夜中に人知れずそういう行いをしている場面に出くわしたら、恐ろしくて声も出ない。ガチで殺してやりたいほどの怨念で、相手を呪っているのだから。京都の貴船神社がそのルーツだと言われている。

    18 怖すぎる実話

     日本で起きた大量殺人をご存知だろうか。最近、西村望の小説「丑三つの村」が映画化されたDVDを借りたが、それこそが、岡山県で実際に起きた津山事件である。何と一晩で村人たちを次々襲い、男女や年齢を問わず、日本刀や猟銃で30人もの人間を惨殺した異常殺戮である。この事件は横溝正史も小説化し、「八ツ墓村」として放映された。それより怖い描写がその「丑三つの村」であった。その映画作品の殺人犯を演じたのが、自ら命を絶った今は亡き古尾谷雅人だけに、何か因縁や怨念を感じざるを得ない。この実話をよりリアルに恐怖に陥れているのは、その映画の主役を演じた古尾谷雅人が、自ら命を絶ったという点だ。ツタンカーメンの発掘に携わった人々や映画「エクソシスト」の関係者に災難が降りかかったのと同様に、死者の呪いなどではないかと囁かれている。

     また、日本で最も多くの人間を殺害した事件は、何と産婦人科医院の産婆によるものであった。それは東京新宿で起きた「寿産院もらい子殺人事件」である。第二次世界大戦後のベビーブームのおり、大量の嬰児が寿産院に預けられていたが、同院では嬰児に対する虐待が常態となっており、また、凍死、餓死、窒息死などさまざまな死因で嬰児は亡くなっていた。寿産院を経営する夫婦は乳幼児を貰い受けるなどとした新聞広告などによって200人以上の乳幼児を集め、1人につき4000円から5000円の養育費を受けとりながら食事をろくに与えずに100人以上を死亡させた。この事件が謎にして不可解なのは、100人以上もの子供を殺害したにもかかわらず、東京地方裁判所では、主犯女性に懲役8年、夫に懲役4年、助手は無罪、医師は禁固4年の判決。1952年(昭和27年)4月、東京高等裁判所は、主犯女性に懲役4年、夫には懲役2年の判決を下しただけの極めて異例の軽すぎる結末であった。

    19 軽はずみな気持ちや物見遊山で行ってはけない場所

     事件や事故で人が大勢亡くなった場所には、軽率に訪れてはいけない。幽霊を見てしまったら、間違っても話しかけてはいけないように、そういう場所は得てしてあの世(魔界)への入口になっており、下手に近寄ると、死者に誘われてしまう危険性がある。そういう場所をピックアップしたい。

     恐山(イタコ)、仏ヶ浦(以上青森県)、東日本大震災被災地(岩手・群馬・福島県)、慰霊の森(雫石)、小手の森城址(福島県)、弥彦神社(新潟県)、御巣鷹山(群馬県)、富士樹海(山梨県)、錦ヶ浦(神奈川県)、東尋坊(福井県)、関ヶ原(滋賀県)、沖縄などが代表的な場所。他には古戦場、病院の廃墟、夜の墓地、神社仏閣、霊場、自殺の名所などが挙げられる。このような、明らかに神聖な場所を訪れる際は、身を清め、神妙な面持ちで、かつまた死者を敬う気持ちを携えて、真摯に心して赴きたい。そうしないと予期せぬ厄が降りかかったり、祟があるかもしれない。

    20 その他

     人面魚、人面犬、人魚など。人間になりそこねた姿とか人間の生まれ変わり、あるいは生き写しと言われる存在。人魚はマーメイドとか人魚姫とか美人の姿を想像すれば美談だが、実際は上半身が人間で、下半身がウロコに包まれた魚。やっぱりこの世のものではない。また、私自身は「人形」は怖いと感じる。人間が幼少の頃から情をかけて可愛がってきた分情念が移る。北海道に住んでいた頃は、夕張に行く手前に万念寺というお寺があった。そこは髪の毛が伸びる「お菊人形」が奉納されていた。毎年、少しずつ髪が伸びる人形・・・。これこそ超常現象であり、科学では解明できない。だから人形を祀る神社やお寺があったりするのだ。また、最近、ペット霊園も多くなった。家族同様に愛情を注ぎ、可愛がったペットの死後、手厚く懇ろに葬る人が増えている。これも情が移った故の行動である。慣れ親しんだ物に感謝するのも日本人ならでは。人形もそうだが、針供養もまた何気に怖い風習。 

     さて、最後の方はボルテージが上がってしまい、「ちょっと怖い話」どころか眠れないほどの衝撃があったかもしれない。逆に、蒸し暑い夏の夜にはうってつけの話題になったかも。しかし、最先端科学が幅を利かせている現世においても、未だに解明できない超常現象や心霊現象はなくなることはない。なぜ人は怖さやスリルを求めるのだろうか。脳の構造に問題解決への糸口がありそうだが、ジェットコースターに乗るのも、敢えてお化け屋敷に入るのも、肝試しに挑むのも、廃墟探検や心霊スポットへ足を運ぶ人がいるのも、おそらくは普段では体験できないような仮想体験を求めてのことだろう。そこには解き放たれたいという深層心理や願望があるのかもしれない。

     記事作成:5月13日(月)

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