歴史探訪記(二本松編)
私の母の故郷・二本松。幼少期には、「榎戸」にあった今は亡き祖父母の実家に幾度となく訪れたものだ。そこは私にとって特別な土地柄であった。「二本松」と聞いて真っ先に思い浮かぶのが「菊人形」と「提灯祭り」だろう、私も中学生の頃までは、毎年のように「菊人形」を見に出向いたものだし、高校生の頃は同級生と2人で4号線を自転車でひた走り、当地を再訪したものだった。また、特急に乗って友人と二本松駅で下車して訪れたこともあったし、姉とバイク2台を連ねて二本松の霞ヶ城公園で開かれる「菊人形」を見に訪れたこともあった。駅前の土産物屋の2階の喫茶で寛いで電車を待ったことも記憶にある。30年以上も前の出来事で、妙に懐かしい。しかし、祖父母が他界した後は、すっかり疎遠となり、二本松は単なる通過圏と成り下がってしまっていた。
しかしながら、今年5月、福島出張のついでに、祖父母が亡くなってから10年ぶりに二本松市内を訪れ、祖父母、そして昨冬亡くなった叔父が眠る墓所を訪れ、手を合わせた。ずいぶんご無沙汰してしまった非礼を詫び、同時に昔は気づかなかった二本松の魅力を再発見しようと考え、久し振りに有名観光地を中心に見てあること決意した。特にNHK大河ドラマ「八重の桜」で二本松少年隊の悲劇を取り上げたり、「歴史ミステリーロマン」でも戊辰戦争の壮絶な戦いが取り上げることが多くなり、昔を偲んでの探訪を決意した次第だ。
以上記事作成:6月16日(日)
今回巡る予定の訪問先は以下の通り。
1 大壇口古戦場(二本松少年隊奮戦の地)→ 2 大隣寺(二本松隊士の墓)&二本松
少年隊士館 → 3 霞ヶ城址(二本松少年隊像・箕輪門・本丸址・菊人形会場周辺・ 天
守台址) → 4 蔵造りの道 → 5 大七酒造 → 6 智恵子の生家(米屋&花霞・智
恵子記念館) → 7 愛宕神社(遊歩道) → 8 安達ヶ原黒塚(鬼婆伝説) → 9 光現寺(墓参り) → 10 母の実家 → 11 玉嶋屋(玉羊羹) → 12 二本松駅→
13 本宮駅前モットコム → 14 本宮映画劇場(二本松信金入口) → 自宅
6月27日(木)に2日後の土曜日に実行することに決めたが、途端に天気が下り坂に。雨男健在だ。
訪問日 6月29日(土)くもり
<経過>
5:55起床 6:40自宅発
どんよりした曇り空。肌寒いくらいの気候。車内温度計は17℃。BGMは森高。
バイパスに入り、4号線を北上。6:51本宮IC通過。
7:00祖父が亡くなった枡記念病院前を手を合わせて通過。羽石ICからバイパスを降り二本松IC方面へ。行き過ぎてUターン。右手上に小高いこんもりした丘を発見。JA安達の裏手の行き止まりに駐車。
1 7:06 大壇口古戦場(二本松少年隊奮戦の地・二勇士の碑)
無人。肌寒い。階段を登る。canonデジカメ、暗くてオリンパスカメラを車に戻ってとってくる。ここは二段の丘で、どちらも慰霊碑が立つ。上部は直感的にまずいと思い、シャッター押せず。礼を尽くし、厳かにお参り。二本松少年隊の隊長・木村銃太郎22才の戦死之地。7:15発。二本松IC手前の交差点を左折し、2ツ目の信号を左折。かつて母親が入院した二本松中央病院を左に見て道なり。次のT字交差点を左折。緩い上り坂を200mほど行くとその左手にあった大隣寺の駐車場へ。目の前が二本松隊士館。庇に等身大人形が7~8体飾ってある。
2 7:17 大隣寺(二本松隊士の墓)&二本松少年隊士館
http://www10.ocn.ne.jp/~dairinji/
寺の入口に2名の隊士が殉職した場所。石碑立つ。カメラAUTO設定にしたら露出自動補正。明るくなる。石段を駆け上がる。紫陽花が咲く。寺の境内の左手に二本松少年隊の墓が立ち並ぶ。深々と頭を垂れ、手を合わせる。緑が深い。15分ほどの滞在中、無人で私一人。静寂に包まれ、不気味。厳かな雰囲気。石段を降りて、休憩所&レストランになっている二本松少年隊士館へ。自販機でペットの濃いお茶を150円で購入。7:35発。
いったん坂を下り、左折し、次の信号を左折。山を一つ越える。霞ヶ城の右の駐車場へ。
3 7:40 霞ヶ城址(二本松少年隊像・箕輪門・本丸址・菊人形会場周辺・天守台址)
駐車場から廻って箕輪門へ続くの砂利のゆるい坂を登る。震災復旧工事で三の丸に行けない看板あり。門の手前と潜った先で箕輪門を撮影。黄色いテープで進入禁止。
一旦車に戻って移動を。一方通行の坂を200m上った左側の駐車場へ移動。7:50。
霞ヶ城公園の散策開始。菊人形会場だが、何もないと広い。殺風景。中学生の頃に登ったきりの懐かしい遊歩道を行く。終始無人で単独行動。霞ヶ池、智恵子の藤棚、布袋の滝(鯉が泳ぐ)、洗心亭と巡る。遊歩道が整備されている。
7:58傘松、8:00洗心滝、ここで時報(二本松の広報は「威風堂々」のメロディー)、
8:03見晴らし台(ジョギングの夫婦に挨拶)、急な階段。8:06智恵子の詩碑、息切れして心臓バクバク。
8:08 少年隊の丘(草っぱらの広場)、見覚えある風景。懐かしい。30年振り?
8:12 から手門 急な階段を上がり、その先の階段を登れば、その先に覚えている風景が・・・。階段の先に霞ヶ城の天守台のそそり立つ石垣が見えた。
8:16 頂上制覇。麓の駐車場から所々で足を止めて、写真を撮りながらゆっくり登っても25分程度。運動替わりにちょうどいいハイキングコース。たいして汗も出なかった。一面の曇空で肌寒いが微風が気持ちいい。朝早いためか土曜日でも無人。風景を独り占め。360度の大パノラマ。市街地も一望の下。天気が良ければ反対方向に安達太良山が綺麗に見渡せた筈。山頂は整地されていて、東櫓台、天守台、自尽の碑、西櫓台など一周。ここで弁当を食べればよかった。8:25に火事?サイレン響く。昔の風景の面影とは全く異なる。天守閣もどきは無く、石垣と広場が整備されているだけ。見晴らしは最高。写真撮りまくり。もとよりここにはお城を彷彿させる天守閣は無かった。
ここはかつて山頂に天守閣のような建物があった。小学時代に遠足で訪れたり、その後も菊人形の度に訪れて登ったものだ。しかし、祖父が亡くなってからというもの、なかなか疎遠となり、二本松は通過圏と化してしまい、平成3年にこの建物も取り壊されたことを最近知り、愕然となった。実際、その天守閣のような建物は、そこを買い取った新興宗教が建てた通称「天文台」だったようだ。武者返しのように急斜面でそそり立つ石垣の陰にその建物は三層建てで存在し、石垣を回ると急な20段ほどの石段があって、そこを駆け上った上部にあったのだった。
この画像は「二本松城ー余湖さん」のホームページから拝借させていただきました。この場を借りて御礼申し上げます。
8:28山頂発。上りとは異なる遊歩道で下山。上部は立ち入り禁止区域は無かった。下山ルートは去年訪問した「山寺」のよう。涼しい分、意外と疲れず。息切れもさほどではない。減量の足しになるか?紫陽花の小径がとても綺麗。秋の紅葉シーズンもよさげ。
8:36自尽の碑、井戸、円形キャラボク、終始ひとり。誰もいない。
8:40三の丸広場へ。相生の滝水無し。右側に菊人形で見覚えのある狭い坂道発見。菊人形の順路。そしてそこを登ると右に懐かしいアーチの石段。その先に16段返しの芝居小屋が・・・。震災で崩落し、立ち入り禁止に。写真撮りすぎてバッテリーサインひとつ減る。ピンチ。8:48駐車場に戻る。ちょうど1時間コース。足も痛まず胸も苦しくない。適度な運動には打ってつけ。8:50霞ヶ城発。
8:52 二本松北小、西隣りのセブンへ。おにぎり2つセット、玉子パン、カフェオレで410円。大七酒造の手前の交差点を左折し、すぐに右。「サタふく」の「自転車でGO!」で藺草さんが訪れた川沿いの蔵の小径へ。
4 蔵造りの道& 5 大七酒造
9:00川を渡った細い道に路上駐車し、写真のみ。9:04目の前の大七酒造へ。精米工場裏手のお寺?の駐車場へ。ところが・・・。大七酒造は本日お休み。無情にもシャッターが・・・。巨大なレンガ調の建物の外観写真のみ撮影。この周辺にはお洒落な蔵や江戸時代をモチーフにしたような酒屋が軒を連ねる。9:10発。
9:12鯉川橋の欄干に車を止めて写真。その後、地図を見ながら智恵子の生家へ向かう。標識を頼りに左折。右手の大きな駐車場へ。
6 9:17 智恵子の生家(米屋&花霞・智恵子記念館)・智恵子の杜公園見晴らし台
駐車場から案内標識に沿って徒歩1分で生家へ。一旦通り過ぎて街道へ。さっき有名な店構えに面した通りで、目の前を通ったのに気づかず・・・。この通りを挟み、向こう側から外観(花霞看板)の写真。入口の受付の小さな小屋で入場料を400円払う。品のある女性が店番。写真撮影の可否を尋ねる。建物内は木の香り。古い佇まい。時代劇のセットのようでタイムスリップかのように思える。高村(旧姓長沼)智恵子は私にとっては偶然が重なる女性。ここでは個人情報のため触れられないが、他人とは思えない境遇。古い道具や家財道具など多数展示。H4に建てた智恵子の作品の数々を展示した新記念館へ。ここは撮影禁止。地下に展示室フロアあり。ここで紙絵や絵画、彫刻、互に宛てた手紙などをじっくり時間をかけて見て回った。BGM流れる。感動した。「智恵子は東京には空がないといふ、ほんとうの空が見たいといふ」。あどけない話。監視カメラ。彼女の真っ直ぐで一途な生涯に触れ、涙が出そうになる。「貧しく飾らず単純であれ」を貫いた人生。死の床を夫の光太郎が書いた「レモン哀歌」「荒涼たる帰宅」は涙もの。6分間の彼女の生涯を描いたビデオを観た。新刊と受付の2人の女性に私の身の上を話す。もう一度順路に従って生家を一周。係員に用紙をもらって来場記念のスタンプを押す。ここも53分間の滞在中、終始私ひとり。純真な夫婦愛に触れ、「智恵子抄」を読みたくなった。
http://www.city.nihonmatsu.lg.jp/site/kankou/453.html
この記念館で目にした3篇の詩
「あどけない話」
智恵子は東京に空が無いといふ。
ほんとの空が見たいといふ。
私は驚いて空を見る。
桜若葉の間(あいだ)に在るのは、
切っても切れない
むかしなじみのきれいな空だ。
どんよりけむる地平のぼかしは
うすもも色の朝のしめりだ。
智恵子は遠くを見ながら言ふ。
阿多多羅山(あたたらやま)の山の上に
毎日出ている青い空が
智恵子のほんとうの空だといふ。
あどけない空の話である。
「レモン哀歌」
そんなにもあなたはレモンを待つてゐた
かなしく白くあかるい死の床で
私の手からとつた一つのレモンを
あなたのきれいな歯ががりりと噛んだ
トパアズいろの香気が立つ
その数滴の天のものなるレモンの汁は
ぱつとあなたの意識を正常にした
あなたの青く澄んだ眼がかすかに笑ふ
わたしの手を握るあなたの力の健康さよ
あなたの咽喉に嵐はあるが
かういふ命の瀬戸ぎはに
智恵子はもとの智恵子となり
生涯の愛を一瞬にかたむけた
それからひと時
昔山巓でしたやうな深呼吸を一つして
あなたの機関はそれなり止まつた
写真の前に挿した桜の花かげに
すずしく光るレモンを今日も置かう
「荒涼たる帰宅」
あんなに帰りたがつてゐた自分の内へ
智恵子は死んでかへつて来た。
十月の深夜のがらんどうなアトリエの
小さな隅の埃を払つてきれいに浄め、
私は智恵子をそつと置く。
この一個の動かない人体の前に
私はいつまでも立ちつくす。
人は屏風をさかさにする。
人は燭をともし香をたく。
人は智恵子に化粧する。
さうして事がひとりでに運ぶ。
夜が明けたり日がくれたりして
そこら中がにぎやかになり、
家の中は花にうづまり、
何処かの葬式のやうになり、
いつのまにか智恵子が居なくなる。
私は誰も居ない暗いアトリエにただ立つてゐる。
外は名月といふ月夜らしい。
智恵子抄の一節はコチラ
10:10 智恵子の生家発。急遽予定にない、智恵子の杜公園の見晴らし台を目指す。初めてなのにどこかで見覚えのある坂道・・・。10:12駐車場へ。愛の小径なる遊歩道あり。奇抜なデザインのコンクリ無機質の展望台へ。階段を一気に駆け上がる。360度、各方面に名所がプレートで示している。ここも無人。写真撮影。霞ヶ城とは違う絵づらの町並みを堪能。
10:20発。続いて昔、何度も訪れたことがある、丘の上にある愛宕山公園の神社の境内を目指す。しかし、石段のある場所が駐車できず、ぐるっと廻って二本松工の前へ。右手に市民会館があり、そこの裏手の駐車場へ。
7 10:27 愛宕神社(遊歩道)
そこから見晴らし台まで2.7kmと書かれた遊歩道を登る。裏山的な場所なので、そんなに長い距離のわけがない。間違ってないか不安の中、山の斜面沿いの道を行くと偶然眼下に二本松南小が・・・。そして小さな橋を潜り、ふと思い出し、その橋まで引き返して、その階段を上ってガードレール作りの小橋を渡ったところ、そのルートが母親の実家のある榎戸から続く遊歩道だとわかった。35年ぶりくらいに通る懐かしいあぜ道。今は亡き祖父に連れられてよく散策した山道。雑草が生い茂り、まるで獣道。やがて雑木林の木立の中へ。昔、蛇が出たこともある道だが、クマが出ないように敢えて声を出して登った。300mほどで見覚えのある神社の境内が・・・。10:36着。
そこは長らく人が立ち入っていないほど雑草や薮が生い茂り、不気味な感じ。私一人。もしここで倒れたら誰も助けないし、発見もされないかもしれない。昔の風景とはまるで違う。廃れた荒れ果てた印象。写真だけ撮って退却。速攻で来た道を引き返した。しかし、幼少の頃の亡き祖父との想い出の一端を垣間見れた。市民会館駐車場を10:43発。次に安達ヶ原黒塚へ向かう。
R4号バイパス方面へ下り、手前を左折。右カーブで坂を回り、国道、東北本線、阿武隈川の跨線橋を越える。標識を頼りに左折し、100mほど細い道を行った突き当りに黒塚のあるお寺(観世寺)へ。昔は境内や塀などなく、鬼婆が潜んでいたとされる岩屋が道路から見え、無料で見物できた。工事車両用の空き地へ駐車。
8 10:47 安達ヶ原観世寺(黒塚・鬼婆伝説)
門の前で写真。ためらいながら受付で400円の拝観料を払う。案の定ここも客は私だけ。ここは怨念に満ちた怨霊漂う恐ろしい場所。祟られないように念のためここでも写真撮影の可否を聞いて、順路も尋ねて恐る恐る中へ。もちろんすべての場所で手を合わせ、不幸が降りかからないように真摯に拝んだ。左手に巨大な石組みがあった。ここも30年以上訪れていない。近年「ふるさと村」が隣接し、五重塔がすぐ裏に聳える。うっそうとして薄暗いので余計不気味。
ここは平和時代、若姫の病に効く薬草を求めてやってきた鬼婆が棲家とし、訪れた旅人を殺していた場所。実は目当ての妊婦を殺したところ、それが生き別れた自分の娘だったことを知り、気が狂って鬼婆と化してしまったのだ。その後、訪れた旅人に宿を貸しては次々と殺人を繰り返していたのだ。その棲家としていた岩場を一周。石にはそれぞれ名前がついていて、成仏できるように「南無阿弥陀佛」と刻まれてあったり、霊場や心霊スポットのような雰囲気。猫が放し飼いになっていて、3~4匹昼寝。とにかく薄気味悪い。
奥の右にある「宝物殿」という建物の中のみ撮影禁止。そこに入ると、エンドレステープで鬼婆伝説を描いた世にも恐ろしい絵柄の掛け軸などの説明をしていた。地獄絵図とか曼荼羅とか、怖いお面とかとにかく怖そう。血染めの出刃包丁を洗った池などもあった。一周して戻った頃、何かにとりつかれたかのように頭が重くなったので、長居は無用と退散。受付のおばさんに丁重に「ありがとうございました」と礼を告げて、その場を後にした。
http://home.s01.itscom.net/sahara/stone/s_tohoku/fu_kanzeji/kanzeji.htm
http://www.ac.auone-net.jp/~garou/ada1.html
実は、昔ここを訪れた時、黒塚の手前に廃屋になった不気味なアパートがあったが、もう取り壊されて無くなっていた。11:12発。25分の見物にとどめた。来たルートを戻る。橋を渡り、旧4に入れると思い、業務スーパーの駐車場を横切るが一方通行で、また戻る。二本松工業の坂を下り、旧4へ合流。そして5月にも訪れた光現寺の駐車場へ。
9 11:19 光現寺(墓参り)
ちょうど法事に参加した人が喪服で出てきた。先月も訪れて場所を特定できた墓を探して、亡き祖父母、叔父が眠る墓石へ。11:22 お墓の前へたどり着く。祖父の墓前で「先ほど愛宕神社を訪れた」ことを報告。墓碑銘をメモした。私の母を生んだ後に亡くなった母の本当の母親が昭和24年に35歳で亡くなり、祖父が平成4年に88歳で、更に後妻の祖母が平成9年に81歳で、そして昨年12月に叔父が77歳で亡くなった。没年と行年を控えた。このお墓のある高台から、先ほど登山した愛宕神社への遊歩道が見える。11:28発。南小学校を挟んだ向かいにある母の実家へ。
10 11:30 母の実家(榎戸)
車が止められそうな場所を探して往復。写真のみ。昔は家の目の前に井戸とポンプがあった。夏休みは泊まったこともあったし、虫取りに行った想い出もあった。ここから祖父母の亡骸を送り出したのだった。懐かしい幼少期の想い出が脳裏をよぎった。今は母の弟(叔父)が住んでいるが、今日は顔を見ないで退散。
11:38榎戸発。野辺送りで通った道すがら、正面に光現寺の屋根が見え、停車して写真。次に向かうは玉嶋屋。二本松で最も有名な和菓子屋。売れ線の「玉羊羹」が目当て。途中、提灯祭りの山車が降りてくる長い坂道の交差点や一番の繁華街だったロータリーを通る。「橋本仏具店」のある場所にあった歩道橋も今は撤去。寂れた印象。二本松も昔に比べて活気がない感じ。車の数も少ない。旧4の道路沿い右側に古い老舗構えの店舗は見つけたが、駐車スペースが無く、素通り。左折して二本松駅方面へ。当初の予定より2時間以上早い。
12 11:38 二本松駅
ずいぶん駅舎も駅前も整備されて綺麗になった。駅の右手にあった。昔入った2階の喫茶店は取り壊され、セブンに。一周してる間に車内からシャッター押す。そしてまた玉嶋屋方面へ。すると店の先の交差点の右側に屋根付きの駐車場を発見。早速分け入り駐車。
11 11:41 玉嶋屋(玉羊羹)
まず、通りを挟んで店の写真を撮りたかったが、客が路上駐車で妨害。やむを得ず店内へ。950円の8個袋入りを購入。店員さんが可愛らしかった。話し方が丁寧で好感を持った。これを明日実家へ届けるつもりだ。駅前で見かけたベージュの女性と何度も出くわす。安達高校は制服がセーラー服・・・。超ミニのJKが行く。まるでAV風。11:48発。
以上で二本松探訪はフィナーレ。帰り道、本宮で2箇所の訪問を予定していた。そのまま旧4号を南下。岳温泉への交差点を突っ切る。そのまま新国道へ合流せず。11:54旧道を行く。杉田駅の踏切を渡り、くねくね道路を行く。途中3軒連なるラブホの前を通過。やがて本宮市内へ。19℃の温度表示。市街地で左折、右折し、目抜き通りへ。そして本宮駅方面へ右折。駅のロータリーを一周して回り込んだ。
13 12:05 本宮駅前「FMモットコム」
私の知り合いが今年の2月までDJをしていたコミュニティFM局だ。一度見てみたかった。車内から写真。もちろんカーステも77.7KHzにチューニングしてあった。すると局の外のスピーカーからも現在放送中の曲が・・・。ハモっていた。彼女は4年間もここでマイクを握って頑張っていたことを思い、改めて賞賛。そして本日の旅のオーラスを飾るのが、長年行きたいと思っていた或る劇場だった。右折して旧4を南へ。100mほど行くと信金がある。その裏手にそれはある。車を止められそうにないので、その先に現れた郵便局の駐車場へ。そのPからフェンス越しにその薄いピンク色の古ぼけた建物が聳え佇んでいた。
14 12:07 本宮映画劇場(二本松信金入口)
http://www.pref.fukushima.jp/bunka/kindai/page_04.html
ここはかつて映画館だった。地元密着の昔流行った映画を長年上映していた。今も現役だと思っていたが、路地を廻ってその建物の前に行くと、愕然とした。おそらく2年前の震災のせいだろう。歴史と伝統と由緒溢れるその建物は外壁がボロボロに朽ち果て、劇場の入口は閉ざされ、まさに閉鎖されたような印象だった。恐る恐る近寄ると、以前テレビ「ナニコレ珍百景」で紹介されたことを示す看板があった。裏に回ったら、正面の華やかな作りとは違い、掘立小屋そのもの。門構えは立派だが、見えないところには金をかけない典型。もし開いていれば劇場内や歴史的な映写機も見たかった。残念だ。心残りで何枚も写真を撮った。ここでバッテリーは赤の点滅。最後の訪問地だったので危なかった。
12:14発。何と予定より3時間以上も早まった。半日でこれだけ見て回れるとは予想外だった。12:16 山田交差点よりR4へ合流。
12:21 本宮IC前通過
12:34 自宅着 走行距離61.6km
6時間足らずで初期のの目的を達成した。雨に一度も降られず、暑くなかったので体力の消耗もなかった。帰宅後、腰痛再発。外反母趾で右足が痛む。
費用 お茶代150円 食費410円 入場料800円 合計1,360円
こうして振り返ってみると、あまりにも身近にありすぎて、さほど意識して気にもとめなかった場所だった二本松だが、たくさんの歴史的価値があったり、戊辰戦争で犠牲になった方々の英霊を敬う契機となり、改めて再発見した思いだった。まさに温故知新。地元にもまだまだ見たりない場所が山ほど眠っていそうだ。そう言う意味でも故郷の魅力を再発見する旅になり、有意義だった。
下は旅のメモ帳(このメモを元に当ブログにまとめている)
関連ブログ:「二本松の想い出」
http://tsuri-ten.cocolog-nifty.com/blog/2010/02/post-b521.html
記事作成:6月16日(日)・6月29日(土)
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