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2013年7月11日 (木)

昔話⑧(城の街・郡山)

 我が街「郡山」は戦中戦後、重化学工場(保土ヶ谷化学・日本化学など)や紡績工場(日東紡など)が多くあり、主に商工業関連の産業で繁栄し、昭和39年には「新産業都市」に指定されるなど商都として栄え、1997年には県庁所在地でもないのに「中核都市」に格上げされた。
 福島県の中央に位置し、東北新幹線を始め、東北縦貫自動車道、磐越自動車道が交わり、国道も4号線と49号線が交差し、福島~白河、会津~いわきなど、どこに行くにも都合の良い交通の要衝であったことから、人的交流はもとより物流が活発な土地柄であった。しかし、歴史を遡ると、古くは奥州街道の道すがら、「宿場町」として発展したようだ。やはり古の旅人も、当地で旅の疲れを癒し、奥座敷の磐梯熱海温泉も重宝されていただろうことは、およそ察しがつく。
 ところが、このような当地にあって、よもや郡山市に多数のお城が点在していたのをご存知だろうか?「えっ、郡山に城なんかあったっけ?」と疑問に思うに違いないだろう。郡山市は過去、幾度にも渡って、大小の部落や村が合併を繰り返し、1965年の大規模な大同合併によって現在の「大郡山市」を形成していることは周知の事実だが、驚くなかれ「~城」と名がつく史跡が12もあったのだった。それに加えて防衛上の拠点、あるいは「~館」、旧跡を含めると全部で30近くにも及ぶのだ。これには40年以上の長きに渡り、当地に住んだ私にとっても「青天の霹靂」だった。
 ところで、私は現在、八山田界隈に居を構えているが、市内のそこかしこにお城が存在していたようだ。喜久田町前田沢、片平、安子ヶ島、磐梯熱海、守山、更には市街地の桜木一丁目、大槻、富久山町久保田にもあったようだ。実際には「城」とは名ばかりで、私たちが「城」として認識しているような天守閣や外敵の侵入を防ぐ城壁、門扉などは存在しなかった。土豪や土塁、簡素な石垣が積まれ、その上に本丸と思しき建物を配しただけの貧素な佇まいだった。しかもその殆どが丘陵や山の斜面をそのまま利用した、まさしく天然の要砦だった。

 さて、今回、このようなテーマを思いついたのは、6月27日に何気にネット検索をしていた折、「廃墟」ならぬ「廃城」を取り上げたサイトに出会ったのがきっかけだった。それは「余湖くん」という方が、県内各地を隈なく自分の脚で稼いで取材し、事細かに築城の経緯や歴史的背景、伝記などを調べ上げ、その詳細を丁寧に図式したり、文章化した秀作HPだった。また、福島県内のみならず、足繁く全国各地を歩き回り、予想見取り図などを鳥瞰図として描写した、希少にして貴重なサイトであった。その出来栄えには几帳面を絵に描いたような私でも舌を巻くほどで、世の中、上には上がいるものだと悟った。下のリンクしたアドレスをクリックでアクセスできます。

 「余湖くんのホームページ」はコチラ

 今回の記事は、彼のHPを大いに参考させていただくが、彼に敬意を表し、詳細は彼のHPをご覧頂くこととし、ここでは郡山に実在した「城」「館」などの旧跡・史跡の名称と所在地のみの紹介とさせていただきたい。

 「郡山市内に実在した城たち」

 阿久津館・・・市内東部の阿武隈川に架かる阿久津橋の北東側一帯にあった。
 安子ヶ島城・・・JR磐越西線安子島駅の周辺が安子ヶ島城の跡である。  
 大平城・・・東部の大平町の熊野神社のある比高60mほどの山に築かれている。
 大槻城・・・現在の大槻小学校が、かつての大槻城の本丸跡である。  
 小倉城・・・  
 片平城・・・片平町の岩蔵寺の南300mほどのところにある愛宕神社が城址。  
 上伊豆島上館・・・熱海町上伊豆島小学校の東300mに鹿島神社があるが、この50mほどの台地先端部が上伊豆島の上館の跡。  
 上伊豆島中館・下館・・・ 上館の東500m、共同墓地の上の比高40mほどの山稜上が中館の跡。 
 木村館・・・郡山東ICの東南600mほど。現在、木村神社の建つ比高30mほどの独立した山の上。  
 窪田城・・・富久山町久保田古町の山王山の東南600mほどの所にあったとされる城址  
 鞍馬城・・・  
 郡山城・・・桜木町一丁目、北側の逢瀬川に向かって東西に長く延びている比高10mほどの河岸段丘の先端部近くを利用した城であった。  
 笹川御所・・・安積永盛駅の南600mほどの阿武隈川に臨む河岸段丘上に築かれた城館。
 山王山陣場・・・城ではなく、あくまでも陣場。場所は富久山町久保田の日吉神社の境内。  
 水神館・・・郡山養護学校に付設した心身障害児総合療育センターのすぐ東南部分。  
 勢至堂峠防塁・・・勢至峠のトンネルより現在車両通行止めの旧道を歩いて行った先。 
 只野本郷館・・・市内西部の多田野小学校の北西300mほどのところにあった。 
 西田山王館・・・西田三丁目にある日枝神社の祭られている山稜にあった。
 西堂屋防塁・・・長沼城から勢至堂峠に向かう途中にある。  
 高倉城・・・高倉小学校の南側にそびえる、比高90mほどの山が高倉城の跡。 
 高玉城・・・磐越自動車道「磐梯熱海IC」から西へ600mほどの県道24号線沿いにある。  
 成山館・・・成山町北側にある比高15mほどの台地先端部にあった。 
 日和田館・・・JR東北本線日和田駅のすぐ北西側に、比高8mほどの低い独立台地一帯。  
 福原館・・・日和田三丁目の鹿嶋神社のある比高20mほどの台地上にあった。 
 前田沢城・・・五百川に臨む比高15mほどの河岸段丘上にある。  
 守山城・・・JR水郡線「磐城守山駅」の東方にある、守山小学校や正八幡宮が守山城の跡。 
 横川館・・・7熱川町横川に帳附神社があるが、この神社のある台地上を「舘山」といい、横川館があったところである  
 横沢館

 実にその数、計28。まさに脚で稼いだ成果である。まったくもって脱帽だ。

 ところで、元来「城」の役目とは何かというと、一番の目的は外敵の侵入や攻撃を防ぐ防衛的拠点であり、そこに君主(地元の殿様など)が居を構え、政を執り行い、国を治めていた。城は、その地域のラウンドマーク的な役割も担うし、町の中心を意味する。その威容は権力の象徴を誇示するものだし、築城することで財力が豊かで治安が整っているイメージを国内外に与える。君主を頂点として秩序が保たれ、平定していると外部にアピールできる。城下町が賑わい、そこで暮らす町民が多く集まり、物流や消費をも促進できる。もとより郡山市は広大な面積を有していることから、その集落や部落ごと、要所々々に城を置き、周辺監視に当たらせたのだろうことは容易に想像がつく。

 現在、私たち地元民が、一般的に「城」として認識している福島県内の居城は以下の通りだろう。

 1 若松城(鶴ヶ城)
 2 小峰城(白河 正式には櫓)江戸時代は、地方の大名などが、必要以上の武力を保持しないように、「一国一城」という決まりがあったため、城として扱われなかった。
 3 二本松城(霞ヶ城)

 その他として、地元民が強く推すのが以下の城。

 1 小浜城(岩代)
 2 棚倉城 
 3 舞鶴城(三春)

 城があった場所の住民は、今でもそれを誇りにしているし、未だにその過去の栄光を引きずっている嫌いも無きにしも非ずのところがある。

 さて、いかがだったでしょうか。興味があれば、気晴らしや体力作りの一環で、こうした“城巡り”に興じてみてはいかがだろう。地元でも未知のものに出逢え、再発見することがあるかもしれない。

 終わりに、これまで10作以上も「郡山ネタ」をお送りして来たが、今回だけは私自身が目からウロコ状態で、初耳&初物尽くしだった。これは同時に、まだまだ私が知らない郡山の新たな魅力が隠されていることを意味する。いずれは願わくは、郡山に生まれし者の務めとして、終生隅々まで見て歩き、古からの歴史ロマンにどっぷり浸かりたいと考えている。

 記事作成:6月28日(金)

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